大 公一郎(だい こういちろう、1938年4月1日 - 20… 大 公一郎(だい こういちろう、1938年4月1日 - 2021年6月22日)は、日本の実業家。あらた代表取締役会長や、生活協同組合コープさっぽろ生協会会長、全国化粧品日用品卸連合会会長、札幌市社会福祉協議会会長などを歴任した。 北海道函館市生まれ。1957年北海道函館東高等学校卒業。1961年一橋大学商学部卒業、レナウン商事入社。1963年に父・總一郎が経営する生活雑貨・化粧品卸の大加十全堂入社。1967年大加十全堂取締役営業部長に昇格。1969年、道内の卸売他社と合併して発足したダイカの専務取締役。1979年ダイカの代表取締役社長に就任、物流強化により業容の拡大を進めた。 1980年北海道卸粧業連合会副理事長。
伊藤 憲一(いとう けんいち、1938年3月7日 - 202… 伊藤 憲一(いとう けんいち、1938年3月7日 - 2022年3月14日)は、日本の国際政治学者。専門は国際政治学、戦略論。公益財団法人日本国際フォーラム代表理事・会長。日本会議代表委員、NPO法人世界開発協力機構副総裁、青山学院大学名誉教授、カンボジア大学名誉博士。 東京都出身。1960年に一橋大学法学部を卒業し外務省に入省。ハーバード大学留学等のあと、在モスクワ、マニラ、ワシントンの日本大使館書記官、南東アジア一課長などを歴任し、1977年に外務省を退官した。 外務省退官後は新自由クラブの一員となる一方、1980年から2006年まで青山学院大学に助教授・教授として在籍するかたわら、1980年から1987年までジョージタウン大学戦略国際問題研究所(CSIS) 東京代表を務めた。
川岸 近衛(かわぎし このえ、1938年1月19日 - 20… 川岸 近衛(かわぎし このえ、1938年1月19日 - 2022年5月21日)は、日本のジャーナリスト。読売新聞社論説副委員長や、証券取引等監視委員会委員などを務めた。 1961年一橋大学経済学部卒業。大学在学中は宮崎省吾、平尾光司、飯沼健真、酒井武史らと学生運動に参加し、一橋新聞編集長も務めた。大学卒業後読売新聞社入社。1983年経済部次長。1988年論説委員。1992年論説副委員長。1998年証券取引等監視委員会委員。2004年三菱自動車工業企業倫理委員会委員。税制調査会特別委員、資金運用審議会専門委員、海運造船合理化審議会専門委員、航空審議会委員なども歴任した。 北海道支社勤務時代の1960年に、札幌市立山の手養護学校の生徒から王貞治宛のファンレターを託され、その後長く続きゴールデンスピリット賞へと到る同校への慰問のきっかけを作った。
宮崎 省吾(みやざき しょうご、1938年1月19日 - )… 宮崎 省吾(みやざき しょうご、1938年1月19日 - )は、日本の市民運動家、貿易商。国鉄横浜新貨物線反対同盟連合協議会事務局長などとして、住民運動を展開した。 東京出身。1961年一橋大学社会学部卒業。大学在学中川岸近衛、平尾光司、飯沼健真、酒井武史らと学生運動に参加。政治学岡義達ゼミ出身。大学卒業後は総合商社や、貿易会社勤務を経て、貿易商人となり、貨物線反対運動に参加。1966年国鉄横浜新貨物線反対同盟連合協議会事務局長に就任。独自の住民運動を展開した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
茂木 賢三郎/第十三代茂木 七左衞門(もぎ けんざぶろう/も… 茂木 賢三郎/第十三代茂木 七左衞門(もぎ けんざぶろう/もぎ しちざえもん、1938年1月18日 - )は、日本の実業家。勲等は旭日中綬章。独立行政法人日本芸術文化振興会理事長。1973年にハーバード大学でMBAを取得し、のちにハーバード・ビジネス・スクール日本同窓会会長も務めた。日本芸術文化振興会の理事長に就任した後、先代の逝去を受けて、名前を七左衞門(しちざえもん)に改めた。茂木啓三郎は父、茂木友三郎は実兄。妻は東ソー創業者岩瀬徳三郎の孫。 1938年千葉県出身。1960年3月一橋大学経済学部卒業。大学時代は中山伊知郎ゼミナール、柔道部に所属。1960年4月東京銀行に入行。 キッコーマンが、野田醤油として設立されて以来、茂木家からは各家一世代に一人しか入社できないという不文律があったところ、既に兄の茂木友三郎が入社していたため、賢三郎は入社できないこととなっていたが、後に一族の本家である茂木本家茂木潤一郎(第十二代七左衞門)の養子となったことから、入社が可能となり、1962年東京銀行を退社し、キッコーマンに入社した。
浅沼 信爾(あさぬま しんじ、1938年 - )は、日本出身… 浅沼 信爾(あさぬま しんじ、1938年 - )は、日本出身のエコノミスト、国際公務員。クーン・ローブ投資銀行極東代表事務所代表、世界銀行アジア第1局長、一橋大学教授等を歴任した。 三重県伊勢市生まれ。1961年一橋大学経済学部卒業、東京銀行(現三菱UFJ銀行)入行。卒業論文ではアルバート・O・ハーシュマンの不均衡成長論を研究した。 1964年、第3期YPPで世界銀行に入行。世銀のYPPに参加したのは日本人として初めてで、また当時世銀の日本人スタッフは大蔵省から出向してきていた1名のみであった。経済局、極東局、プロジェクト局農業部でエコノミストを務めた。 卒論で扱ったハーシュマンのインドでのプロジェクトに参加したのち、GHQで農地改革を担当した3人のエコノミストのうちの1人であるウィリアム・ギルマーティンや、同じくGHQで農協設立などを行ったシーク・タカハシに師事し、カントリー・エコノミストとしての修練を積んだ。
古川 浩一(ふるかわ こういち、1938年 - )は日本の経… 古川 浩一(ふるかわ こういち、1938年 - )は日本の経営学者、会計学者。東京工業大学名誉教授、岩手県立大学名誉教授。日本経営協会経営科学文献賞、中小企業研究奨励賞受賞。 1964年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。東京工業大学工学部助手、助教授、教授、岩手県立大学総合政策学部教授、岩手県立大学大学院総合政策研究科長、IGRいわて銀河鉄道監査役を歴任。1967年日本経営協会経営科学文献賞受賞。1988年『財務分析の研究』により九州大学経済学博士の学位を取得。1989年財団法人商工総合研究所中小企業研究奨励賞受賞。1998年日本経営財務研究学会副会長。2009年中央大学総合政策学部特任教授を定年退職。
松元 宏(まつもと ひろし、1938年 - )は、日本の歴史… 松元 宏(まつもと ひろし、1938年 - )は、日本の歴史学者、経済学者。近現代日本経済史専攻。横浜国立大学名誉教授・元副学長。 宮崎県生まれ。1964年一橋大学経済学部卒業。1970年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。三井文庫研究員を経て、1974年横浜国立大学経済学部助教授。1981年同教授、経済学博士。1990年附属貿易文献資料センター長。1994年経済学部長。1998年学生部長。1999年副学長。2002年まで評議員を務め、2004年横浜国立大学名誉教授。政治経済学・経済史学会理事、小山町史編纂事業委員、大磯町史編纂委員、御殿場市史編さん専門委員等も務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
吉田 映子(よしだ あきこ、1937年12月27日 - 19… 吉田 映子(よしだ あきこ、1937年12月27日 - 1997年1月2日)は、日本の英米文学者、翻訳家。 千葉県出身。別名・吉田昤子。一橋大学大学院社会学研究科修了。東京女子医科大学看護短期大学教授を務めた。
江頭 邦雄(えがしら くにお、1937年10月1日 - 20… 江頭 邦雄(えがしら くにお、1937年10月1日 - 2008年4月7日)は、日本の実業家。味の素代表取締役社長・会長、経団連副会長、日本冷凍食品協会会長等を務めた。 長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保北高等学校卒業後、2年間の大学浪人生活を経て、一橋大学に入学。1962年同大学卒業。同年に味の素に入社。 1987年味の素取締役に就任、1997年に社長に就任、2005年に会長就任。味の素冷凍食品の分社化、油事業の分社化及びホーネンコーポレーションとの経営統合によるJ-オイルミルズ設立などを行う一方、ネスレやユニリーバなどと伍していくため世界中で積極的にM&Aを進めた。2003年欧州味の素食品設立。
近藤 克彦(こんどう かつひこ、1937年(昭和12年)9月… 近藤 克彦(こんどう かつひこ、1937年(昭和12年)9月5日 - )は日本の銀行家。第一勧業銀行頭取やみずほフィナンシャルグループ名誉顧問を務めた。 山口県の現在の光市出身。山口県立光高等学校を経て、一橋大学経済学部に入学。大学では体育会バレーボール部に所属。大学卒業後の進路としては、自動車メーカーを希望していたが、先輩の顔をたてて、第一銀行人事部の面接を受け、大学を卒業した1960年に入行。主に人事部門、営業部門を歩む。 スタンフォード大学留学、ニューヨーク支店勤務、国際金融部長等を経て、1990年から第一勧業銀行取締役。その後人事第二部長、人事企画部長等を務めた。人事第二部長時代には旧日本勧業銀行出身者の人事を扱う人事第一部と旧第一銀行出身者の人事を扱う人事第二部を統合した。
美濃口武雄(みのぐち たけお、1937年7月26日 - 20… 美濃口武雄(みのぐち たけお、1937年7月26日 - 2021年8月28日)は、日本の経済学史学者。一橋大学名誉教授。 東京市中野区で美濃口時次郎の長男として生まれる。成蹊中学校・高等学校を経て、1962年一橋大学経済学部卒(中山伊知郎ゼミ)、1967年同大学院博士課程単位取得退学(師は荒憲治郎)、一橋大学経済学部専任講師、1969年オックスフォード大学留学(ブリティッシュ・カウンシル・スカラー)、1971年助教授、1978年教授。2001年定年退任、名誉教授となり、関東学院大学教授、富士大学大学院初代研究科長を務めた。 指導学生に蜂谷豊彦一橋大学教授、池尾愛子早稲田大学教授、小峯敦法政大学教授、大熊英司元テレビ朝日アナウンサーなど。
松井 正俊(まつい まさとし、1937年7月22日 - )は… 松井 正俊(まつい まさとし、1937年7月22日 - )は、日本の実業家、第3代松井証券社長。
水野 忠夫(みずの ただお、1937年7月13日 - 200… 水野 忠夫(みずの ただお、1937年7月13日 - 2009年9月20日)は、日本のロシア文学者、翻訳者。ロシア・アヴァンギャルド研究者として知られた。
石 弘光(いし ひろみつ、1937年4月9日 - 2018年… 石 弘光(いし ひろみつ、1937年4月9日 - 2018年8月25日)は、日本の経済学者。専門は財政学。学位は、経済学博士(一橋大学・論文博士・1977年)(学位論文「財政構造の安定効果 : ビルトイン・スタビライザーの分析」)。一橋大学名誉教授(第14代学長)、放送大学名誉学長(第6代学長)、中国人民大学名誉教授。オックスフォード大学客員教授、政府税制調査会会長なども務めた。 東京府(現・東京都)出身。父は教育学者(学校経営学)の石三次郎(元全国家庭科教育協会長・東京教育大学(現筑波大学)教授)。環境ジャーナリストの石弘之(元東京大学教授)は弟。末弟の石和久は日本の医師、医学博士であり順天堂大学名誉教授。
安崎 暁(あんざき さとる、1937年3月3日 - 2018… 安崎 暁(あんざき さとる、1937年3月3日 - 2018年5月26日)は、日本の実業家。小松製作所代表取締役社長や、日本建設機械工業会会長、国家公安委員会委員などを務めた。 1937年に陸軍大学校学生安崎操(のちに陸軍中佐・第6方面軍参謀や、自衛隊陸将・東北方面総監を歴任)の長男として、東京で生まれ、徳島県吉野川市鴨島町で育つ。1959年3月一橋大学社会学部卒業。中国経済史専攻。1961年3月一橋大学経済学部を卒業。理論経済学専攻。大学時代は小笠原流の弓道部に所属。後年には、私費を投じて大学の弓道場の建て直しを行った。 1961年4月小松製作所入社。同社では主に国際部門を担当し、海外事業展開を進めた。
山澤 逸平(やまざわ いっぺい、1937年3月1日 - )は… 山澤 逸平(やまざわ いっぺい、1937年3月1日 - )は日本の経済学者。一橋大学名誉教授。公益財団法人日本国際フォーラム参与、政策委員。
三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日… 三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日 - 2021年(令和3年)5月3日)は、日本の実業家。フジテレビ副社長、共同テレビジョン社長、扶桑社社長などを歴任した。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市長を1期務めた三ッ井卯三男の長男として生まれる。 鹿児島県玉龍高等学校、一橋大学社会学部を卒業。森園幸男(人事院事務総長)、森元順司(光文社常務)は、高校の同級生。 1960年4月、フジテレビに入社。1988年4月、取締役に選任され、のち常務。1980年代、編成局の主要ポストを歴任し、フジの全盛期を支え、1981年初頭には、「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズを案出し、開局当初の「母と子のフジテレビ」にとって替わる大ヒット作品となった。
角田 勝彦(つのだ かつひこ、1937年 - 2018年)は… 角田 勝彦(つのだ かつひこ、1937年 - 2018年)は、日本の外交官。元ウルグアイ駐箚特命全権大使。元日本ウルグアイ協会会長。サント・ドミンゴ・カトリック大学名誉教授。O&M大学名誉博士。 東京生まれ。開成高等学校を経て、1959年一橋大学法学部卒業。早瀬勇元金沢星稜大学学長は大学のクラスの同級生。大学卒業後外務省に入省し、マドリード大学外国人コース留学。外務大臣官房移住課長や、在ギリシャ日本国大使館公使、衆議院事務局渉外部副部長、外務省経済局開発途上地域課長を経て、1989年から駐ドミニカ共和国特命全権大使、ジャマイカ、バハマ駐箚、1993年から駐ウルグアイ特命全権大使を務め、1997年に退官し、中部大学国際関係学部国際関係学科教授。
古川 哲夫(ふるかわ てつお、1937年 - )は、日本の経… 古川 哲夫(ふるかわ てつお、1937年 - )は、日本の経済学者。駿河台大学経済学部名誉教授。現代日本経済研究。 神奈川県横浜市出身。一橋大学経済学部を卒業。野村証券、野村総合研究所設立で同研究所に異動後経済社会研究室室長を経て駿河台大学経済学部教授に就任。退官後は同大学経済研究所客員研究員を務める。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
山内 悦嗣(やまうち よしあき、1937年 - )は、日本の… 山内 悦嗣(やまうち よしあき、1937年 - )は、日本の公認会計士。アーサー・アンダーセン日本代表や、ソニー取締役監査委員会議長等を務めた。 開成高等学校を経て、一橋大学商学部卒業後、公認会計士登録し、1986年アーサー・アンダーセン日本代表に就任。1999年日本アンダーセン研究所副理事長、株式会社住友銀行取締役、2000年スタンレー電気株式会社監査役、2001年株式会社アマナ取締役、セイコーウオッチ株式会社監査役、2002年株式会社三井住友フィナンシャルグループ取締役、2003年ソニー株式会社取締役監査委員会議長、2005年ソニー生命保険株式会社監査役、2006年住友電装株式会社監査役、2011年株式会社アマナホールディングス、セイコーホールディングス株式会社監査役。
若松 茂美(わかまつ しげみ、1937年 - )は、日本の経… 若松 茂美(わかまつ しげみ、1937年 - )は、日本の経営コンサルタント、椅子職人。マッキンゼー・アンド・カンパニー・ディレクターや同日本支社副社長、一橋大学教授を務めた。 一橋大学商学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校経営大学院修了、Master of Business Administration。三菱重工業を経て、マッキンゼー・アンド・カンパニーのサンフランシスコ事務所に入る。大前研一とともに東京事務所開設にあたり、マッキンゼー・アンド・カンパニー・ディレクターや、日本支社副社長を務めた。定年退職後は、55歳から職業訓練施設に通って、椅子作家となり、個展の開催なども行った。元一橋大学教授。
永谷 敬三(ながたに けいぞう、1937年 - 2020年)… 永谷 敬三(ながたに けいぞう、1937年 - 2020年)は、日本出身の経済学者。経済学博士(ブラウン大学・1968年)。ブリティッシュコロンビア大学名誉教授、神戸大学名誉教授。元カナダ経済学会副会長。カナダ国籍。 福岡県福岡市博多生まれ。広島県立廿日市高等学校を経て、1959年一橋大学経済学部卒業。中山伊知郎ゼミ出身。大蔵省入省後、1963年からハワイのイースト・ウエスト・センター給費生となり佐藤隆三に師事して新古典派経済学を学ぶ。1965年からフルブライト奨学生としてブラウン大学に留学し、1968年6月に修了。最短記録で経済学博士の学位を取得した。指導教授はジェローム・ステイン。 1968年からブリティッシュコロンビア大学教授。
橋本 宗利(はしもと むねとし、1936年12月9日 - )… 橋本 宗利(はしもと むねとし、1936年12月9日 - )は、日本の経営者。広島ホームテレビ社長、会長を務めた。 広島県尾道市出身。1959年に一橋大学経済学部を卒業し、日本興業銀行に入行し、本店営業部で勤務していた。1965年5月に広島銀行監査役に就任し、取締役、常務、総務部長、専務、副頭取を歴任した。1989年6月から2008年6月までに広島ホームテレビの社長を務め、2008年6月から会長に就任した。。日本青年会議所副頭取、広島県選挙管理委員会委員長、朝日放送監査役も務めた。 1998年から2000年までに日本民間放送連盟副会長を務めた。
糠沢 和夫(ぬかざわ かずお、1936年11月20日 - 2… 糠沢 和夫(ぬかざわ かずお、1936年11月20日 - 2020年9月28日)は、日本の経済人、外交官。むつ小川原開発社長、経団連専務理事を経て、経団連出身者として初の特命全権大使や、民間人初の外務省大臣官房文化交流部長を務めた。初代本宮市名誉市民、タイ王国功労賞受賞、ハンガリー共和国功労中十字型章受章。外務大臣表彰。 福島県安達郡本宮町(のち本宮市)中條で実業家・糠沢仙吉の七男として生まれる。母のユウは、元棚倉町町長・宗田利助の六女。祖父の糠沢仙助は元本宮銀行頭取。 本宮町立本宮小学校、本宮町立本宮中学校、福島県立安積高等学校を経て、1959年一橋大学経済学部卒業。同年、経済団体連合会事務局入局。
北岡 郊司郎(きたおか こうしろう、1936年11月14日 … 北岡 郊司郎(きたおか こうしろう、1936年11月14日 - 2020年9月21日)は、日本の経営者。大昭和製紙(現在の日本製紙)社長を務めた。 徳島県出身。1961年に一橋大学社会学部を卒業し、同年に大昭和製紙に入社した。1987年6月に取締役に就任し、1991年6月に顧問、1994年6月に常務、1999年6月に専務を経て、2001年3月から2003年3月までに社長を務めた。 2020年9月21日、肺血栓塞栓症のために死去。83歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
中川 學(なかがわ まなぶ、1936年9月29日 - 200… 中川 學(なかがわ まなぶ、1936年9月29日 - 2004年2月17日)は日本の学者。専門は中国社会経済史、マクロエンジニアリング。一橋大学名誉教授、元国際マクロエンジニアリング学会協会連合筆頭副理事長。デウィット・クリントン知事記念国際マクロエンジニアリング学会賞。 千葉県市川市出身。栄光学園中学校、東京都立竹早高等学校を経て、1959年一橋大学経済学部卒業、1961年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、1964年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。一橋大学で村松祐次及び増淵龍夫に師事し東洋史研究にあたる。 1964年一橋大学経済学部専任講師、1968年同助教授、1977年同教授。
時子山 和彦(とこやま かずひこ、1936年7月22日 - … 時子山 和彦(とこやま かずひこ、1936年7月22日 - 1986年12月21日)は、日本の経済学者。元一橋大学経済学部教授。専門は計量経済学。東京府生まれ。父は早稲田大学第9代総長時子山常三郎。妻・ひろみは日本女子大学教授。 荒憲治郎門下で、20年間にわたり一橋大学経済学部において計量経済学・理論経済学の研究と教育に従事。指導学生に須賀晃一早稲田大学副総長など。 一定の消費構造において最大の効用を得るのは利潤率が等しいときであることを分析し、当時政策目標とされていた消費税導入の理論的支柱を目指した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
横川 新(よこかわ あらた、1936年6月25日 - 200… 横川 新(よこかわ あらた、1936年6月25日 - 2009年1月4日)は、日本の法学者。専門は国際法。第12代成城大学学長。学位は法学博士。成城大学名誉教授。法務省難民審査参与員等も務めた。 福岡県久留米市生まれ。東京都立西高等学校を経て、1962年一橋大学法学部を卒業。1965年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、1968年同博士課程単位習得退学。指導教官は大平善梧。1985年、『国際投資法序説』により、一橋大学法学博士の学位を取得。審査員は皆川洸、細谷千博、秌場準一。 1968年成城大学法学部助手。同助教授、ロンドン大学留学を経て、1977年、成城大学法学部教授に昇格。法学部長を経て、1999年から南博方の後任として第12代成城大学学長を務めた。
楠本 捷一朗(くすもと しょういちろう、1936年6月20日… 楠本 捷一朗(くすもと しょういちろう、1936年6月20日 - 2011年5月1日)は、日本の経済学者。専門は数理経済学、ミクロ経済学、厚生経済学。筑波大学名誉教授。経済学博士(ロチェスター大学)。 京都府生まれ。1965年横浜国立大学経済学部経済学科卒業。1969年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。指導教官荒憲治郎。1973年ロチェスター大学大学院博士課程修了、経済学博士(Ph.D(Economics))。 1974年千葉大学人文学部助教授。1979年筑波大学社会工学系助教授。1989年同教授。1993年同社会工学類長。1995年同大学院社会工学研究科長。1996年からは同博士課程長として、斯波恒正とともに、社会工学研究科博士課程計量ファイナンス・マネジメント専攻の開設にあたった。
南 敬介(みなみ けいすけ、1936年〈昭和11年〉3月1日… 南 敬介(みなみ けいすけ、1936年〈昭和11年〉3月1日 - 2016年〈平成28年〉11月6日)は、日本の実業家。富士銀行副頭取、東京建物会長、東京建物不動産販売社長。 不動産協会副理事長、不動産公正取引協議会連合会会長、首都圏不動産公正取引協議会会長、ロングライフビル推進協会代表理事・副会長、不動産流通経営協会理事、不動産証券化協会理事。 東京都生まれ。1958年一橋大学商学部卒業。同年株式会社富士銀行(現株式会社みずほフィナンシャルグループ)入行、1986年同行取締役、1991年同行副頭取、1994年同行常任監査役。 1995年富士銀行監査役兼東京建物株式会社取締役特別顧問、1997年同社代表取締役社長就任。
上原 英治(うえはら ひではる、1936年2月9日 - )は… 上原 英治(うえはら ひではる、1936年2月9日 - )は、日本の実業家。東京ガス相談役・前会長・元社長・経団連理事、経済同友会幹事を歴任。
梅田 正己(うめだ まさき、1936年(昭和11年) - )… 梅田 正己(うめだ まさき、1936年(昭和11年) - )は、日本の著作家・書籍編集者・市民活動家。 高文研の代表、顧問を務める。 佐賀県唐津市生まれ。 1972年(昭和47年)、高文研を設立し、高文研の代表や顧問を務める。1985年(昭和60年)から1987年(昭和62年)にかけて、国家秘密法に反対する出版人の会事務局を勤める。1986年(昭和61年)以降、横浜事件・再審裁判を支援する会事務局を担当している。日本ジャーナリスト会議出版部会代表。マスコミ九条の会の呼びかけ人のひとり。 下記は、Amazonの著者紹介(1)、Amazonの著者紹介(2)に掲載されている情報を参照している。 一橋大学社会学部を卒業し、1959年(昭和34年):三省堂に入社する。
篠原 直(しのはら ただし、1936年(昭和11年) - 2… 篠原 直(しのはら ただし、1936年(昭和11年) - 2001年(平成13年)12月17日)は、日本の編集者、出版人。ごま書房共同創業者・元代表取締役社長。静岡市出身。 1936年(昭和11年)、静岡市に生まれる。1955年(昭和30年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1957年(昭和32年)、一橋大学社会学部入学。大学卒業後、光文社に入社。同社で編集者として実績を積み、1960年代のカッパ・ブックスを筆頭とする新書・実用書ブームの現場に携わる。 1971年(昭和46年)2月、光文社を退社。同僚の編集者であった福島茂喜と共に株式会社ごま書房を設立。設立に際して、ソニー創業者の井深大、心理学者の多湖輝、山種証券社長の山崎富治ら各界有力者からの出資および支援を取り付けた。
中村 政則(なかむら まさのり、1935年12月17日 - … 中村 政則(なかむら まさのり、1935年12月17日 - 2015年8月4日)は、日本の歴史学者。専門は、日本近現代史。学位は、経済学博士(一橋大学・1981年)(学位論文「近代日本地主制史研究 資本主義と地主制」)。一橋大学名誉教授。「最後の講座派」と呼ばれていた。オックスフォード大学客員教授等を歴任。 現在の東京都新宿区生まれ。祖父は埼玉県出身。1961年一橋大学商学部卒業、1963年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、1966年同博士課程単位修得退学。大学時代はホッケー部に所属。一橋大の日本経済史講座断絶後着任した古島敏雄を指導教官とし、永原慶二にも師事した。 1966年一橋大学経済学部専任講師、1970年同助教授、1977年同教授、1979年ハーヴァード大学東アジア研究センター客員研究員、1981年「近代日本地主制史研究 資本主義と地主制」で一橋大学より経済学博士の学位を取得。
佐藤 孝吉(さとう たかよし、1935年12月7日 - )は… 佐藤 孝吉(さとう たかよし、1935年12月7日 - )は、日本テレビ顧問、エグゼクティブディレクター、大正大学招聘教授、サイバー大学客員教授。東京府出身。 立教高等学校(現・立教新座高等学校)から一橋大学社会学部を経て、1959年に日本テレビに入社。当初はドラマ班に配属され「ダイヤル110番」などを演出。1965年の「ビートルズ日本公演」も担当。 その後バラエティ班に異動、娯楽ドキュメンタリーの分野で才能を開花させる。最大のヒット作は『アメリカ横断ウルトラクイズ』。彼によるとこの番組は単なるクイズ番組の枠を超えて人間ドキュメンタリー番組までに発展していったと言う。また、徳光和夫を目標、そして鑑として見習って来た福留功男を鍛え直した逸話がある。
大和屋 隆喜(やまとや たかき、1935年(昭和10年)11… 大和屋 隆喜(やまとや たかき、1935年(昭和10年)11月 - )は、日本の実業家。元新日鉄化学社長、新日本製鉄常務取締役。長崎県出身。 1935年(昭和10年)長崎県生まれ。1959年(昭和34年)一橋大学経済学部卒業後、八幡製鉄に入社。以後営業畑を歩み、八幡製鉄所生産業務部長・本社自動車鋼板販売部長などを経て、1989年(平成元年)6月、八幡製鉄所副所長。当時の好況に浮かれる所内の引き締めを図った。1991年(平成3年)堺製鉄所所長、1993年(平成5年)新日本製鉄常務取締役、1995年(平成7年)新日鉄化学副社長を経て、1997年(平成9年)同社社長に就任。新日鉄化学は当時、1994年(平成6年)の為替差損問題で経営危機に陥っており、副社長時代から一貫して経営再建に取り組んだ。
堀江 行而(ほりえ ゆきじ、1935年9月17日 - )は、… 堀江 行而(ほりえ ゆきじ、1935年9月17日 - )は、日本の経営者。井関農機社長を務めた。 静岡県出身。1958年に一橋大学経済学部を卒業し、同年4月に日本勧業銀行に入行。1988年6月に取締役に就任し、1990年3月に常務を経て、1992年3月に井関農機副社長に就任し、同年12月には社長に昇格。2001年4月には相談役に退いた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
北中 誠(きたなか まこと、1935年9月1日 - )は、日… 北中 誠(きたなか まこと、1935年9月1日 - )は、日本の実業家。公益財団法人小田急財団顧問。小田急電鉄では代表取締役社長として、バブル崩壊の影響を受け業績が悪化していた小田急グループの建て直しを図った。また日本民営鉄道協会副会長も務めた。 茨城県出身。1959年に一橋大学商学部を卒業し、小田急電鉄に入社。同社では、入社以来社長就任まで5年間を除き、33年間経理を担当した。1968年には知識の整理と確認のために公認会計士試験を受験し、合格した。 1975年に突如腹痛が生じたため、救急車で病院に搬送されたものの、盲腸との診断は出ず、いったん帰宅した。その夜、再び腹痛が生じたため、再度病院に行ったところ盲腸であると診断され、緊急手術を受けた。
河村 幹夫(かわむら みきお、1935年8月3日 - 201… 河村 幹夫(かわむら みきお、1935年8月3日 - 2019年11月27日)は、日本の実業家、経営学者、博士(経営学)、シャーロキアン。アーサー・コナン・ドイル研究の第一人者。日本推理作家協会名誉会員。長崎市生まれの愛知県育ち。
丸 磐根(まる いわね、1935年〈昭和10年〉7月17日 … 丸 磐根(まる いわね、1935年〈昭和10年〉7月17日 - )は、日本の実業家。日本銀行発券局長を経て、山陰合同銀行代表取締役頭取、同会長、島根経済同友会代表幹事、島根県商工会議所連合会会頭などを務めた。 島根県邑智郡川本町出身。1958年一橋大学法学部を卒業し日本銀行に入行。1984年6月日本銀行外国局次長、1985年1月日本銀行政策委員会室秘書役、1986年11月日本銀行発券局長。 1988年6月株式会社山陰合同銀行代表取締役副頭取、1992年6月同行代表取締役頭取、2002年6月同行代表取締役会長、2007年6月同行特別顧問。2013年6月退任。 1990年から2010年まで松江商工会議所会頭、島根県商工会議所連合会会頭、中国経済連合会副会長、1995年から2002年まで島根経済同友会代表幹事。
永瀬 正治(ながせ まさはる、1935年(昭和10年)6月1… 永瀬 正治(ながせ まさはる、1935年(昭和10年)6月10日 - )は日本の実業家。元永瀬石油取締役社長。元米子商工会議所会頭。米子空港利用促進懇話会会長を務め、同空港を核とした地域振興に尽力する。 父は永瀬石油元会長永瀬義春。 1958年(昭和33年)一橋大学商学部卒。同年永瀬石油勤務。 常務、専務を経て同社取締役社長。 1977年(昭和52年)ウベハウス中海工業取締役社長、山陰酸素工業監査役に就任。 (島根県簸川郡斐川村、鳥取県米子市尾高町・米子市宗像) この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
白岩 保(しらいわ たもつ、1935年4月8日- )は、日… 白岩 保(しらいわ たもつ、1935年4月8日- )は、日本の経営者。関西ペイント社長、会長を務めた。福島県出身。 1960年に一橋大学商学部を卒業し、同年に関西ペイントに入社した。1991年6月に取締役に就任し、1997年6月に専務を経て、1999年6月には社長に就任した。2002年6月に会長に就任し、2003年6月から相談役を務めた。 2004年4月には藍綬褒章を受章。
安原 和雄 (やすはら かずお、1935年3月15日 - 2… 安原 和雄 (やすはら かずお、1935年3月15日 - 2020年3月28日)は、広島県生まれの日本の経済学者、足利工業大学名誉教授。元毎日新聞論説委員。専門は仏教経済学。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
宮本 三喜彦(みやもと みきひこ、1935年3月5日 - 2… 宮本 三喜彦(みやもと みきひこ、1935年3月5日 - 2019年10月25日)は、日本の実業家。明治生命保険と安田生命保険の合併を実現させ、初代明治安田生命保険代表取締役会長を務めた。 熊本県出身。熊本県立八代高等学校を経て、1959年一橋大学社会学部卒業。安田生命保険入社。大学では一橋大学硬式野球部所属。 安田生命保険では営業畑を歩み、1971年新橋支店長、1983年取締役、1993年副社長。 1999年安田生命保険代表取締役社長。拡大路線を進めた。 2000年富国生命保険と業務提携開始。富国生命との統合も考えたものの、頓挫。 2001年東京建物、大成建設、朝日生命保険とともに、J-REITを組成。
阿部 謹也(あべ きんや、1935年2月19日 - 2006… 阿部 謹也(あべ きんや、1935年2月19日 - 2006年9月4日)は、日本の西洋史学者。専門はドイツ中世史。中世ドイツ・ヨーロッパの民衆史を専門とし、伝説や生活史を検証する分野を開拓した。一橋大学名誉教授。上原専禄門下生で、一橋大学学長、国立大学協会会長をつとめた。 1935年、東京都千代田区で生まれた。1941年に鎌倉第一国民学校(現・鎌倉市立第一小学校)に入学。1947年に中野区立第五中学校に入学。在学中の1949年に練馬区立石神井西中学校に転校。早くに父を亡くし、中学時代にカトリック修道生活を送った。1950年、東京都立石神井高等学校に入学。 卒業後は、一橋大学経済学部に進学。修道生活の経験から西洋中世史の研究を志し、一橋大学では上原専禄に師事した。
鈴木 喬(すずき たかし、1935年1月18日 - )は、日… 鈴木 喬(すずき たかし、1935年1月18日 - )は、日本の実業家。エステー会長(元社長)。東京都渋谷区出身、一橋大学商学部卒業。 1935年(昭和10年)今でいう日用品のディスカウンターをしていた鈴木千蔵(エステー化学初代社長)の四男として東京都で生まれる。戦争にかり出された兄たちにかわり、小学生のころから家業を手伝う。東京大空襲で店を焼かれ、焼け野原のなか父のゼロからの再出発を支えた。 東京都立新宿高等学校を経て、商人になりたいという想いから叔父に勧められ一橋大学商学部に進学。すでに父と兄がエステー化学工業㈱(現エステー)を設立していたが「もっと広い世界で活躍したい」と考え、サラリーマンの道を選択する。
石井 祥(いしい しょう、1935年(昭和10年)1月8日-… 石井 祥(いしい しょう、1935年(昭和10年)1月8日-)は日本の実業家、銀行家。南日本銀行代表取締役頭取や会長を務めた。 鹿児島県出身で一橋大学経済学部卒。1957年に富士銀行に入行し、支店業務第三部長などを務める。 1985年に富士銀行を退職して旭相互銀行(後の南日本銀行)に入行し、専務取締役に就任する。相互銀行から普通銀行後の1992年に副頭取となり、1993年に頭取に就任する。2006年に頭取を森俊英に譲って代表取締役会長に就任した。 2009年に代表を降りて取締役相談役となり、2010年に取締役を退任する。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
郡山 史郎(こおりやま しろう、1935年 - )は、日本の… 郡山 史郎(こおりやま しろう、1935年 - )は、日本の実業家。シンガー日本代表や、ソニーPCL代表取締役社長、同社代表取締役会長、ソニー顧問、CEAFOM代表取締役、小僧com代表取締役社長などを歴任した。 鹿児島県指宿市生まれ。1954年ラ・サール高等学校卒業。1958年一橋大学経済学部卒業、伊藤忠商事入社。1959年ソニー入社。1973年シンガー入社。シンガー日本代表を経て、1981年ソニー映像事業部長 。1984年ソニー情報機器事業本部長。1985年ソニー取締役。1988年ソニー経営戦略本部長。1990年ソニー常務取締役。1991年ソニー一般地域統括本部長、資材本部長、サービス本部長、物流本部長。
石原 保徳(いしはら やすのり、1935年 - 2011年)… 石原 保徳(いしはら やすのり、1935年 - 2011年)は、日本の歴史学者。 岡山県岡山市生まれ。1961年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。高島善哉の指導を受けた。大学院修了後、出版社岩波書店に編集者として勤務。95年定年退職。和光大学非常勤講師を務めた。コンキスタドールによるアメリカ大陸の征服をもっぱら研究した。1992年に前立腺がんの摘出手術を受けて以降も、闘病生活が続き、2011年死去。 岩波書店の編集者として『大航海時代叢書』第2期(1979年 - 1992年)の企画・編集に携わり、さらに、編集者生活の総決算として『アンソロジー新世界の挑戦』(1992年 - 1995年)を企画した。