渡辺 滉(わたなべ ひろし、1930年1月20日 - 202… 渡辺 滉(わたなべ ひろし、1930年1月20日 - 2021年6月8日)は、日本の実業家。三和銀行頭取や三菱東京UFJ銀行名誉顧問のほか、全国銀行協会連合会副会長、経済同友会副代表幹事等の公職も務めた。1993年藍綬褒章受章。 東京・赤羽出身。渡辺幸吉(中央大学名誉教授)は父。旧制第二東京市立中学校(東京都立上野高等学校の前身)を経て、旧制東京商科大学(一橋大学の前身)に入学。渡辺文雄(俳優)は旧制中学の同級生。大学時代は弓道部に所属。またキリスト教青年会にも参加。大学同期の伊藤助成(元日本生命社長)と親しい関係であった。 1953年に大学を卒業し、三和銀行入行。入行後は、丸善石油(現コスモ石油)や岩井産業(現双日)への出向を経て、営業本部第二部長、融資部長、営業本部長等、国内営業部門を歩み、1988年に川勝堅二の後任として、頭取に就任した。
良知 力(らち ちから、男性、1930年1月12日 - 19… 良知 力(らち ちから、男性、1930年1月12日 - 1985年10月20日)は、日本の哲学者。社会思想史家。元一橋大学社会学部長・教授。 1848年に相次いで起きたヨーロッパの市民革命やヘーゲル左派・カール・マルクスの研究に関して多くの業績を残した。特に初期マルクス研究は、廣松渉とともに国内においては代表的な存在であり、また日本に社会史研究を定着させるにあたっても、一橋大学社会学部で同僚であった阿部謹也らと共に主導的役割を果たした。 大学院での指導学生に野村真理(金沢大教授、日本学士院賞)、川越修(同志社大教授)、植村邦彦(関西大教授)、渡辺憲正(関東学院大教授)、杉浦秀一(北海道大学教授)、上野卓郎(一橋大学教授)、前田庸介(首都大学東京名誉教授)など。
森田 哲弥(森田 哲彌、もりた てつや、1930年 <昭和5… 森田 哲弥(森田 哲彌、もりた てつや、1930年 <昭和5年> 1月2日- 2014年 <平成26年> 6月8日)は、日本の会計学者。一橋大学名誉教授。1990年日本会計研究学会会長。1972年日本会計研究学会学会賞受賞、1980年日本会計研究学会太田賞受賞、1979年日経・経済図書文化賞受賞。位階は正四位。 神奈川県横浜市生まれ。1945年神奈川県立横浜第二中学校(現神奈川県立横浜翠嵐高等学校)第3年学年修了、海軍兵学校予科入学。1946年東京商科大学(現一橋大学)予科入学、1953年東京商科大学卒業。1954年東京商科大研究科退学。1956年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、1959年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位修得退学。
辰濃 和男(たつの かずお、1930年1月1日 - 2017… 辰濃 和男(たつの かずお、1930年1月1日 - 2017年12月6日)は、元朝日新聞記者のジャーナリスト、エッセイスト。元日本エッセイスト・クラブ理事長。 東京生まれ。1953年東京商科大学(一橋大学)卒業。大学では、加藤秀俊(社会学者)と語学のクラス及び南博ゼミの同級生で、ともに一橋新聞部に所属した。 大学卒業後朝日新聞社入社。浦和支局、社会部、ニューヨーク支局長、社会部次長、編集委員、論説委員、編集局顧問を歴任。この間、1975年から1988年まで「天声人語」を担当し、1993年に退社。1994年朝日カルチャーセンター社長。また、日本エッセイスト・クラブ理事長も務めた。 ジャーナリストとして多数の著書を刊行している。
山田 欣吾(やまだ きんご、1930年 - )は、日本の歴史… 山田 欣吾(やまだ きんご、1930年 - )は、日本の歴史学者、経済学者。主専攻はドイツ中世史。一橋大学名誉教授。 1930年、長野県長野市生まれ。長野県長野高等学校を経て、1954年一橋大学経済学部卒業、1959年同大学大学院経済学研究科博士課程修了。大学では一橋新聞部に所属。 1960年一橋大学経済学部専任講師、1972年より同教授。1995年に定年退官し、その後共立女子大学国際文化学部教授として教鞭をとった。
中村 貞二(なかむら ていじ、1930年 - )は、日本の社… 中村 貞二(なかむら ていじ、1930年 - )は、日本の社会学者。東京経済大学名誉教授。経済学博士(1960年、一橋大学にて取得)。 兵庫県武庫郡御影町(現・神戸市)生まれ。1953年山口大学経済学部卒業。1958年に一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。1960年「フリードリッヒ・マイネッケ研究」で一橋大学経済学博士。高島善哉門下である。山口大学助教授、東京経済大学教授を歴任。2002年、同大学を定年退官。同大学名誉教授である。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
秋山 富一(あきやま とみいち、1929年12月17日 - … 秋山 富一(あきやま とみいち、1929年12月17日 - )は、日本の実業家。第六代住友商事社長。 群馬県藤岡市生まれ。1953年一橋大学卒業。大学では体育会ラグビー部に、藤居寛(帝国ホテル社長)らとともに所属しており後年、第6代一橋大学ラグビー部OB会長を務めた。 1953年住友商事株式会社入社、鉄鋼部に配属される。1956年ニューヨーク支店(四年半)、鉄鋼貿易部を経て、1965年ロスアンジェルス事務所長(二年半)、1973年ジャカルタ支店長(三年半)を歴任。 1979年同社取締役、1983年同社常務、1986年同社専務電子航空本部長、1987年同社副社長、1988年同社副社長メディア事業本部長、1990年同社社長、1996年同社会長、1997年退任。
村角 泰(むらずみ やすし、1929年12月2日 - )は、… 村角 泰(むらずみ やすし、1929年12月2日 - )は、日本の外交官。外務省儀典長、駐スウェーデン特命全権大使、駐ブラジル特命全権大使などを務めた。 関東州大連市出身。郷里和歌山県で中学校教諭を務めたのち、1953年一橋大学を卒業して外務省入省。同期入省には栗山尚一、平岡千之、三宅和助などがいる。 外務省海外広報課長、外務大臣官房文書課長を経て、外務省情報文化局参事官として、広報を担当。東京サミットでは、国内外のジャーナリストの対応を行った。1979年に設置された内閣官房インドシナ難民対策連絡調整会議事務局の初代事務局長に就任し、難民定住者受け入れのための法人作りなどにあたった。 経済協力開発機構日本政府代表部特命全権公使を経て、1983年7月から在アメリカ合衆国日本国大使館特命全権公使、1985年8月からイラク駐箚特命全権大使を務めたのち、1987年10月に外務省儀典長に就任。
好美 清光(よしみ せいこう、1929年 <昭和4年> 10… 好美 清光(よしみ せいこう、1929年 <昭和4年> 10月20日 - 2019年 <令和元年> 11月5日)は、日本の法学者。専門は民法・土地法で、特に日照権を研究。学位は、法学博士(一橋大学・1992年)。一橋大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 鹿児島県大島郡宇検村生まれ。1942年、大島郡名瀬町名瀬国民学校(現・奄美市立名瀬小学校)卒業。1948年、旧制大島中学校(現・鹿児島県立大島高等学校)卒業。1950年、鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。1954年、一橋大学法学部卒業。商法の田中誠二ゼミ出身。一橋大学では、戦後、常盤敏太が教職追放され、吾妻光俊も労働法に関心を移すなどし、民法を専門とする教員が不在となり民法研究が低調となっていた。
南 博方(みなみ ひろまさ、1929年10月11日 - 20… 南 博方(みなみ ひろまさ、1929年10月11日 - 2010年6月18日)は、日本の法学者。専門は、行政法・環境法・租税法。学位は、法学博士(東京大学・課程博士・1959年)。一橋大学名誉教授、筑波大学名誉教授。中国人民大学名誉客員教授。 兵庫県城崎郡豊岡町(現・豊岡市)出身。父は大阪の弁護士。田中二郎の勧めて研究の道に入り、行政訴訟や行政不服審査、行政争訟理論、行政手続、公害紛争調停等の研究を行った。途中、病床の父の希望で法律事務所を継ぐため大阪市立大学教授を辞職したが、大蔵省の要請を受け、国税不服審判所審判官に就任。 その後筑波大学で社会科学系長等を務めたのち、定年退官した市原昌三郎の後任として一橋大学教授に移り多くの学生を指導した。
久保 欣哉(くぼ きんや、1929年(昭和4年)10月5日 … 久保 欣哉(くぼ きんや、1929年(昭和4年)10月5日 - 2008年(平成20年)8月5日)は、日本の法学者。専門は、商法・経済法・企業会計法。学位は、法学博士(一橋大学・1959年)(学位論文「株式配当と無償交付の研究」)。元一橋大学法学部長、元青山学院大学法学部長。一橋大学名誉教授。吉永榮助門下。指導学生に山部俊文一橋大学名誉教授、長塚真琴一橋大学教授、平川幸彦元明治学院大学教授、シュテファン・ヘルツベルク元駐日ドイツ大使館首席公使など。
伊東 壮(伊東 壯、いとう たけし、1929年10月5日 -… 伊東 壮(伊東 壯、いとう たけし、1929年10月5日 - 2000年3月3日)は、日本の経済学者、平和運動家。山梨大学学長、日本原水爆被害者団体協議会代表委員、東京都原爆被害者団体協議会会長等を歴任した。 広島市に生まれる。旧制県立広島一中3年の時に被爆。1959年、一橋大学大学院経済学研究科修了。大川一司ゼミ出身。 都立高校教諭を経て1965年より山梨大学の教員をつとめた。山梨大学教育学部長、山梨大学学長(1992-98年)のほか、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員(1981-2000年)、東京都原爆被害者団体協議会(東友会)会長、大規模小売店舗審議会特別委員(通商産業省)などを歴任した。
近藤 鉄雄(近藤 鐵雄、こんどう てつお、1929年8月11… 近藤 鉄雄(近藤 鐵雄、こんどう てつお、1929年8月11日 ‐ 2010年3月4日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党衆議院議員。三木派・河本派に所属した。愛称は「コンテツ」。 母の実家のあった現在の山形県南陽市で生まれ、米沢市で育った。父の道雄は海軍軍人で、近藤が小学校3年時に37歳で戦死した。以後、織物工場の寮母となった母の手ひとつで育てられた。 海軍兵学校(77期)、高等商船学校を経て1953年3月に一橋大学経済学部を卒業。マルクス経済学の杉本栄一ゼミ出身。在学中は、ゼミの同期の宮川公男(一橋大学名誉教授)、玉井龍象(金沢大学名誉教授)とともに、日曜日朝から杉本の家で開かれるゼミで、杉本の指導の他、ゼミの特別研究生であった伊東光晴(京都大学名誉教授)や浅野栄一(中央大学名誉教授)、ゼミOBの宮崎義一(京都大学名誉教授)、宮崎犀一(元東京女子大学教授)からも指導を受けた。
清水 嘉治(しみず よしはる、1929年8月2日- 2012… 清水 嘉治(しみず よしはる、1929年8月2日- 2012年9月9日)は、日本の経済学者。専攻、世界経済論、ヨーロッパ経済論。 茨城県生まれ。1953年横浜市立大学商学部卒、55年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了、関東学院大学経済学部助手、講師、助教授、教授、74年「帝国主義論研究序説」で京都大学経済学博士。83年神奈川大学経済学部教授、2000年定年退任、名誉教授。
大崎 磐夫(おおさき いわお、1929年8月 - 2025年… 大崎 磐夫(おおさき いわお、1929年8月 - 2025年1月19日)は日本の実業家。元ホテルオークラ社長。 東京四番町で生まれ育つ。父は常磐炭鉱会長を務めた大崎新吉。 旧制東京都立第四中学校(のちの東京都立戸山高等学校)を経て、1953年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。常磐炭鉱入社。秋山富一(元住友商事社長)は大学予科の同級生。 1960年ホテルオークラ開業にともない、大成観光入社、1973年取締役、1981年常務業務管理室長施設担当、1989年専務、1992年副社長。新規プロジェクトを多く手掛け、切れ者と評された。 1995年、佐藤晃一の後任として、ホテルオークラ社長に就任。初の生え抜き社長となった。
伊藤 助成(いとう じょせい、1929年(昭和4年)5月25… 伊藤 助成(いとう じょせい、1929年(昭和4年)5月25日 - 2005年(平成17年)4月21日)は、日本の実業家。 日本生命保険の社長や会長、経済同友会副代表幹事、生命保険協会会長を務めた。また生命保険業界出身者としては初めて経団連副会長を務めた。日本人として8人目の「保険の殿堂」入り。 秋田県羽後町出身。羽後町立羽後中学校、秋田県立湯沢高等学校を経て、1953年(昭和28年)に一橋大学経済学部を卒業し、日本生命入社。大阪本社人事課配属。大学では中山伊知郎ゼミナールに所属。大学同期の渡辺滉(元三和銀行頭取)と親しい仲であった。のちに日本生命副会長や東京オペラシティ文化財団初代理事長を務めた小林玉夫は大学同期で同期入社。
湯本 大蔵(ゆもと たいぞう、1929年 <昭和4年> 5月… 湯本 大蔵(ゆもと たいぞう、1929年 <昭和4年> 5月8日 - 2000年 <平成12年> 7月23日)は、日本の経営者。ウシオ電機社長を務めた。 東京都出身。1953年に東京商科大学を卒業し、同年に協和銀行に入行。1974年にウシオ電機取締役に就任し、1975年に常務、1980年3月に専務を経て、同年12月には社長に就任。1995年3月に取締役相談役を経て、1997年6月には相談役に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 2000年7月23日肺癌のために死去。71歳没。
藤井 隆(ふじい たかし、1929年5月2日 - 2017年… 藤井 隆(ふじい たかし、1929年5月2日 - 2017年11月23日)は、日本の経済学者。専門分野は、経済政策論。名古屋大学名誉教授。慶應義塾大学総合政策学部教授、日本計画行政学会会長、日本学術会議会員等を務めた。 1929年、岡山県で生また。海軍経理学校を経て、第六高等学校 (旧制)で学んだ。卒業後は、一橋大学に進学し、中山伊知郎の指導を受けた。1962年、学位論文『経済進歩の理論』を一橋大学に提出して経済学博士号を取得。 卒業後は、中山の友人であった酒井正三郎名古屋大学経済学部教授の誘いを受けて、1963年に名古屋大学経済学部講師に就任。後に助教授、教授に昇格した。1992年、名古屋大学を定年退職し、名誉教授となった。
岡村 勲(おかむら いさお、1929年4月27日 - 202… 岡村 勲(おかむら いさお、1929年4月27日 - 2025年2月24日)は、日本の弁護士。日本弁護士連合会副会長や全国犯罪被害者の会(あすの会)代表幹事を歴任。 高知県出身。一橋大学経済学部卒業後、一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。田中誠二ゼミ出身。1956年に旧司法試験に合格。1959年以降弁護士として活動し、第一東京弁護士会会長や日本弁護士連合会副会長、法務省法制審議会委員を歴任。1988年に発生した上海列車事故では日本弁護団団長を務めた。 1997年10月、自身の妻が、山一證券問題に際して逆恨みした男性によって殺害された(岡村勲弁護士夫人殺害事件)。これによって、岡村は犯罪被害者の遺族となり、犯罪被害者の権利向上活動に携わるようになる。
廣瀬嘉夫(ひろせ よしお、1929年〈昭和4年〉 - )は、… 廣瀬嘉夫(ひろせ よしお、1929年〈昭和4年〉 - )は、NHKの元アナウンサー。 旧姓は鶴間。埼玉県鴻巣市出身。1945年に、旧制埼玉県立熊谷中学校を卒業。1948年、一橋大学卒業。 1951年、NHK入社。経済担当記者、経済部長、解説委員、解説主幹を歴任した。特に経済担当のニュース解説委員として広く世間に知られた。 1982年、NHKを退社。経済評論家として独立。その後、公共経済調査会理事長、経済審議会総合部会委員、税制調査会特別委員、資金運用審議会専門委員、競馬懇談会委員、金融制度調査会委員などの公職を歴任し、政府の政策決定に関与した。
津田 内匠(つだ たくみ、1929年 - 2021年2月25… 津田 内匠(つだ たくみ、1929年 - 2021年2月25日)は、日本の経済思想史家、経済学者。専門はフランス古典経済学。一橋大学名誉教授。元経済学史学会代表幹事。 東京商科大学(現一橋大学)卒業。大塚金之助ゼミ出身。良知力はゼミの1期先輩。1993年に一橋大学経済研究所教授を定年退官し、一橋大学名誉教授の称号を受け、同年から1995年まで経済学史学会代表幹事を務めた。指導学生に山崎耕一、森村敏巳、岩本吉弘、御崎加代子など。2003年、フランスの国民産業奨励協会(Société d'Encouragement pour l'industrie nationale)よりその研究が認められ、シャプタル賞(Prix Chaptal)を受賞。
稲垣 精一(いながき せいいち、1928年(昭和3年)11月… 稲垣 精一(いながき せいいち、1928年(昭和3年)11月25日 - 2017年(平成29年)10月29日)は、日本の銀行家。富士銀行常務を経て肥後銀行頭取、熊本経済同友会代表幹事等を歴任した。 東京商大卒業後、富士銀行入行。35年間の同行時代の内、20年間は資金証券部門に従事した。そして、肥後銀からの招聘の申し入れを受諾。同行に入行した。 8年6ヶ月の頭取在任時は、国内外の格付機関よりすべてAレベルの評価を得て、健全経営の伝統を堅持したほか、基幹システムの共同化や新人事制度の導入を果たした。また、経営基盤の強化や体制の整備に取り組んだほか株主や投資家に対するIR活動も開始した。 2001年(平成13年)には頭取を勇退し、顧問に退いた。
市村昭三(いちむら しょうぞう、1928年10月9日- )は… 市村昭三(いちむら しょうぞう、1928年10月9日- )は、日本の経営学者、九州大学名誉教授。 福岡県出身。一橋大学大学院商学研究科修了、1966年商学博士。西南学院大学助教授、九州大学経済学部教授、92年定年退官、名誉教授、福岡大学教授、九州情報大学経営情報学部教授、学部長、副学長。
古賀 英三郎(こが えいざぶろう、1928年(昭和3年)9月… 古賀 英三郎(こが えいざぶろう、1928年(昭和3年)9月16日 - 1990年(平成2年)12月1日)は、日本の社会学者。
山口 敏明(やまぐち としあき、1928年9月16日 - 2… 山口 敏明(やまぐち としあき、1928年9月16日 - 2000年1月3日)は、日本の実業家。東ソー代表取締役社長、新大協和石油化学代表取締役社長、経済同友会副代表幹事、塩化ビニル工業協会会長、プラスチック処理促進協会会長などを歴任した。 中華民国奉天市出身。1942年陸軍幼年学校進学。陸軍予科士官学校在学中、ソ連対日参戦を前に満州国で母を自決により亡くす。日本の降伏後、1945年旧制東京商科大学(現一橋大学)入学。大学では同期の伊東光晴(京都大学名誉教授)らとともに一橋新聞の活動に熱中した。1951年大学を卒業し、東洋曹達工業(現東ソー)に入社。企画部門や、ファイン・スペシャリティー事業、海外事業等を担当した。
友國 八郎(ともくに はちろう、1928年8月7日 - 20… 友國 八郎(ともくに はちろう、1928年8月7日 - 2022年10月27日)は、日本の実業家。大阪商船三井船舶(現商船三井)元代表取締役会長、同社代表取締役相談役、商船三井最高顧問、社団法人日本海難防止協会会長、一般財団法人海技振興センター会長、一般社団法人日本アルゼンチン協会会長等を歴任した。アルゼンチンコメンダドール勲章受章。 1953年一橋大学商学部卒業、三井船舶(現商船三井)入社。1981年大阪商船三井船舶(現商船三井)取締役。1985年常務取締役。1988年代表取締役専務取締役。1989年代表取締役副社長。1991年代表取締役会長。1994年代表取締役相談役。1996年相談役。1997年小池酸素工業監査役。
川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 20… 川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 2021年1月9日) は日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長、同会長、関西経済連合会会長、日本電線工業会会長等を歴任。位階は従三位。勲一等瑞宝章受章。 東京都吉祥寺出身。父は厚生省官僚。東京府立二中、海軍兵学校第77期を経て、1952年東京商科大学(現・一橋大学)卒業。古川栄一ゼミ出身。 商社志望だったが、大学卒業後は、健康診断で落ちた内定者の代わりとして、ゼミの教授の勧めで住友電気工業に入社。1975年同社取締役、1978年常務取締役、1980年代表取締役専務、1982年代表取締役社長、1991年代表取締役会長、1999年相談役。2008年8月名誉顧問 財団法人関西情報センター会長などを経て、1994年から1997年まで関西経済連合会会長を務め、関西国際空港第二期事業の取りまとめ等や、阪神・淡路大震災への対応にあたり、総理府阪神・淡路復興委員会委員も務めた。
坂本 二郎(さかもと じろう、1928年2月11日 - 19… 坂本 二郎(さかもと じろう、1928年2月11日 - 1985年4月17日)は、日本の経済学者。 大阪市生まれ。一橋大学卒業、1962年同助教授、1969年教授、中央教育審議会臨時委員となったが、批判を集め、1970年大学を退官しNHK解説委員に転じた。1984年国際商科大学教授。高度経済成長期に未来学者として活躍し、「二十一世紀論」を提言した。日本未来学会理事。ゼミナールの指導学生に寺西重郎など。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日… 青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日 - 2019年(令和元年)5月4日)は、日本の政治家、実業家。石巻ガス創業者で、同社代表取締役社長を経て、石巻市長を務めた。位階は従五位。 宮城県雄勝町(現石巻市)生まれ。石巻町立石巻商業学校(現宮城県石巻商業高等学校)、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を経て、1952年(昭和27年)一橋大学を卒業後、同年三井船舶入社。三井船舶の出入り業者に東京ガスがいたことなどで都市ガスの時代が来ることを予感し、1959年(昭和34年)に石巻ガスを創業して同社代表取締役社長に就任。1967年(昭和42年)石巻青年会議所理事長。 1972年(昭和47年)石巻市長に初当選。
長島 一成 (ながしま かずしげ、 1928年1月15日 -… 長島 一成 (ながしま かずしげ、 1928年1月15日 - 2021年9月17日)は日本の実業家。共同石油と日本鉱業の合併を実現し、合併により誕生したジャパンエナジー(現:ENEOS/JX金属)の初代社長や会長を務めた。また1989年に米アモコ社からライセンスを取得し、日本でのam/pmのコンビニエンスストア事業の展開を開始させた。勲二等瑞宝章受章。 東京都出身。1952年、旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本鉱業入社。1965年共同石油入社、1978年取締役、1980年常務取締役、1984年専務取締役、1986年副社長就任。 1990年、副会長に退く、通商産業省出身の左近友三郎社長の後任として、共同石油代表取締役社長に就任。
荒川 和夫(あらかわ かずお、1927年10月25日 - 2… 荒川 和夫(あらかわ かずお、1927年10月25日 - 2020年1月5日)は、日本の実業家、元サッポロビール社長。 1927年10月25日、愛知県名古屋市に生まれる。1951年、東京商科大学卒業、同年日本麦酒入社。1971年営業企画部長。1973年営業部長。1975年取締役。1979年常務。1981年専務。1983年副社長。1989年3月、サッポロビール社長に就任、サッポロファクトリーや恵比寿ガーデンプレイスの開業に尽力。 2020年1月5日、老衰のため死去。92歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
志村 文一郎(しむら ぶんいちろう、1927年10月20日 … 志村 文一郎(しむら ぶんいちろう、1927年10月20日 - 2003年11月14日)は、日本の経営者。電気化学工業社長を務めた。東京都出身。 1950年に東京商科大学を卒業し、同年に電気化学工業に入社。1972年6月に取締役に就任し、1980年6月に常務、1986年6月に専務を経て、1988年6月には社長に就任。1994年6月に会長に就任。1960年のローマ・オリンピックでは、水泳選手団のマネージャーを務め、日本水泳連盟監事なども歴任。 2003年11月14日に呼吸不全のために死去。76歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
香取 健一(かとり けんいち、1927年10月3日 - 20… 香取 健一(かとり けんいち、1927年10月3日 - 2011年8月25日)は、日本の経営者。東洋ゴム工業(現在のTOYO TIRE)社長・会長を務めた。 岡山県出身。1953年に東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業し、同年に東洋ゴム工業に入社した。1981年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1986年3月に専務を経て、1988年6月に副社長に就任し、1989年6月には社長に昇格した。1993年6月に会長に就任し、1994年6月から相談役を務めた。 1992年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2011年8月25日、脳幹梗塞のために死去した。83歳没。
伊東 光晴(いとう みつはる、1927年9月11日 - )は… 伊東 光晴(いとう みつはる、1927年9月11日 - )は、日本の経済学者。専門は理論経済学。京都大学名誉教授、復旦大学(中国)名誉教授、福井県立大学名誉教授。吉野作造賞等受賞。紫綬褒章受章。東京都出身。 一橋の杉本栄一ゼミや都留重人ゼミで学び、杉本の影響の下、近代経済学、マルクス主義を介した理論経済学の研究に従事する。また同期の山口敏明(東ソー社長や経済同友会副代表幹事を歴任)らとともに一橋新聞部にも参加。予科同期の佐藤金三郎(元横浜国立大学教授)とは生涯親しく交友した。 敗戦により、社会のロマンを解こうと経済学の道に入る。特別研究生時代は、日曜日朝から杉本の家で開かれるゼミに、同じく特別研究生の浅野栄一(中央大学名誉教授)や、ゼミOBの宮崎義一(京都大学名誉教授)、宮崎犀一(元東京女子大学教授)とともに出席し、杉本とともに宮川公男(一橋大学名誉教授)、玉井龍象(金沢大学名誉教授)、近藤鉄雄(大蔵官僚、元労働大臣)らの指導を行った。
川井 健(かわい たけし、1927年8月23日 - 2013… 川井 健(かわい たけし、1927年8月23日 - 2013年5月15日)は、日本の法学者。学位は法学博士。専門は民法。第11代一橋大学学長、一橋大学名誉教授。広島市生まれ。位階は従三位。父の川井清一郎は川井訓導事件で知られる教育者。 我妻栄の最後の弟子であるとされている[要出典]。北海道大学法学部教授を経て、1971年4月、長らく民法の専任教員が好美清光1名しかいなかった一橋大学法学部の教授に島津一郎とともに就任する。1986年には今井賢一商学部長が学長選の学生投票で除斥され、種瀬茂学長が心労で急逝するなど混乱が生じる中、学園紛争期の都留重人第6代学長以来となる史上2人目の一橋出身者以外の学長として、第11代一橋大学学長に選出された。
武田 八洲満(たけだ やすみ、1927年5月8日 - 198… 武田 八洲満(たけだ やすみ、1927年5月8日 - 1986年9月13日)は、日本の作家。 宮城県遠田郡南郷町(現・美里町)生まれ。東京商科大学専門部(現一橋大学)中退。日本図書館協会、出版業を経て、長谷川伸に師事、1963年「大事」でオール読物新人賞受賞。1970年「紀伊国屋文左衛門」、1972年「信虎」、1973年「炎の旅路」、1975年「生麦一条」で計4回直木賞候補となった。 歴史小説を主とし、マリア・ルス号事件を描いたノンフィクションもある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
宮鍋 幟(みやなべ のぼる、1927年3月26日 - 201… 宮鍋 幟(みやなべ のぼる、1927年3月26日 - 2014年8月20日)は、日本の経済学者。専門は、ソ連経済論・社会主義経済論。一橋大学名誉教授。比較経済体制学会代表幹事、日本学術会議会員等を歴任。 東京生まれ。1947年旧制東京商科大学(現一橋大学)予科入学。1953年に同大学部卒業後、旧制の大学院に進学。1956年野々村一雄や岡稔の下で一橋大学経済研究所ソ連経済部門の助手に就任。 一橋大学経済研究所助教授を経て、1967年度には外務省在ソ連邦日本国大使館とソ連邦対外文化連絡国家委員会の合意に基づき、松井啓及び茂田宏らとモスクワ大学派遣研究員を務めた。1973年から一橋大学経済研究所教授を務め、久保庭眞彰とともに米欧ソ経済部門でソ連経済を担当。
佐藤 金三郎(さとう きんさぶろう、1927年3月4日 - … 佐藤 金三郎(さとう きんさぶろう、1927年3月4日 - 1989年1月19日)は、日本のマルクス経済学者。元横浜国立大学教授。高島善哉ゼミ出身で、専門は『資本論』形成史。 エッセー・事典項目執筆 他 大島真理夫「アムステルダム・ノート」『大阪市立大学史紀要』第2巻、大阪市立大学大学史資料室、2009年10月、85-89頁、doi:10.24544/ocu.20171208-083、ISSN 1884-3522、NAID 120006000588。
松坂 和夫(まつさか かずお、1927年(昭和2年)2月15… 松坂 和夫(まつさか かずお、1927年(昭和2年)2月15日 - 2012年(平成24年)1月4日)は、日本の大学人、数学者。一橋大学名誉教授。
石渡 幸二(いしわた こうじ、1927年2月7日 - 201… 石渡 幸二(いしわた こうじ、1927年2月7日 - 2014年9月29日)は、日本の編集者、船舶評論家。 千葉県の現木更津市で網元の家に生まれる。 1951年東京商科大学(現一橋大学)を卒業し、三井銀行(現在三井住友銀行)に入行。1年で退社し、河出書房勤務。 軍艦や商船に強い興味を持っていたが、自身が満足するような趣味雑誌が存在していなかったため、1957年株式会社海人社を創立し、月刊誌『世界の艦船』を創刊。1989年まで同誌編集長。海人社代表取締役、出版協同社代表取締役などを務めた。
小原 敏人(こはら としひと、1927年1月15日 - )は… 小原 敏人(こはら としひと、1927年1月15日 - )は日本の実業家。日本ガイシ社長・会長、日本ファインセラミックス協会会長等を務めた。勲二等瑞宝章、フランス共和国レジオンドヌール勲章シュヴァリエ章、ベルギー王冠章コマンドール勲章、藍綬褒章受章、日本セラミックス協会賞功労賞受賞、在名古屋フランス名誉領事。
岡崎 寛(おかざき ひろし、1927年1月15日 - )は、… 岡崎 寛(おかざき ひろし、1927年1月15日 - )は、日本の経営者。横浜ベイスターズ球団社長を務めた。 高知県出身。1952年に東京商科大学を卒業し、同年に大洋漁業に入社。1990年3月には横浜大洋ホエールズ球団社長に就任。横浜ベイスターズでも引き続き球団社長を務め、1994年3月には社長の座を大堀隆に譲り、自身は相談役に退いた。
斎藤 謹造(さいとう きんぞう、1927年1月7日 - 20… 斎藤 謹造(さいとう きんぞう、1927年1月7日 - 2003年10月18日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。 福島県出身。1952年東京商科大学卒、1952年大同毛織入社、1953年福島大学経済学部助手、1959年助教授、1962年大阪大学教養部助教授、1970年教授となる。1989年定年退官し、名誉教授になる。1983年『比較経済発展論 歴史的動学理論の形成』で大阪大学経済学博士。
佐藤 和男(さとう かずお、1927年 - )は日本の法学者… 佐藤 和男(さとう かずお、1927年 - )は日本の法学者。国際法専攻。青山学院大学名誉教授。大平善梧らとともに国際経済法学を提唱し、植草学園短期大学学長、国際経済法学会理事、日本会議代表委員、世界平和教授アカデミー常任理事等を歴任。第1回安達峰一郎記念賞受賞。 東京に生まれる。府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を経て、[要出典]1945年海軍兵学校(75期)卒業、1952年東京商科大学(現一橋大学)卒業後、一橋大学特別研究生となる。大平善梧の指導を受けた。1970年、いずれも大平門下である皆川洸、細谷千博、秌場準一が審査員となり、一橋大学法学博士の学位を取得。 拓殖大学助教授を経て、1959年国際連合本部特別研究員。
倉林 義正(くらばやし よしまさ、1926年12月5日 - … 倉林 義正(くらばやし よしまさ、1926年12月5日 - 2021年10月14日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。一橋大学経済研究所所長、国連本部統計局局長、国連統計委員会議長、文化経済学会初代会長等を歴任。 埼玉県生まれ。1947年東京商科大学(現一橋大学)専門部卒業。1951年同本科卒業、前期特別研究生。1954年後期特別研究生。中山伊知郎ゼミ出身。1956年に高橋長太郎主任教授の下で一橋大学経済研究所国民所得・再生産研究部門助手となり、国民経済計算研究を始める。その後大川一司所長の誘いで経済企画庁経済研究所の国民経済計算調査委員会専門委員となり、国民経済調査委員会報告作成に関わり、のちに国民経済計算調査会議議長代理等も務めた。
上野 裕也(うえの ひろや、1926年11月25日 - 20… 上野 裕也(うえの ひろや、1926年11月25日 - 2016年2月26日)は、日本の経済学者。成蹊大学学長・ペンシルベニア大学客員教授等を歴任。日経・経済図書文化賞受賞。 1926年、東京生まれ。筆名・あれふぜろ。1948年に東京商科大学を卒業し、同大学大学院に進む。1949年同研究科を中退。 1952年より名古屋大学経済学部助教授、1964年より教授。1961年には学位論文『日本経済の計量経済学的分析』を大阪大学に提出して経済学博士号を取得。1965年よりペンシルバニア大学客員教授、1966年より国際連合本部経済担当本部国際上級公務員。1967年より成蹊大学政治経済学部教授、1979年経済学部長、のち学長を務めた。
田中 浩(たなか ひろし、1926年10月23日- )は、日… 田中 浩(たなか ひろし、1926年10月23日- )は、日本の政治学者。一橋大学名誉教授。学位は、法学博士(名古屋大学)。専攻はヨーロッパ政治思想史。トマス・ホッブズ、カール・シュミット、長谷川如是閑の思想史的研究を柱として、現代政治史や福祉国家論などにも業績を持つ。 佐賀県生まれ。旧制佐賀中学校、陸軍経理学校予科、旧制佐賀高等学校文科乙類を経て、東京文理科大学哲学科卒業。 東京教育大学文学部助手、助教授を経て教授となる。同大学の閉学以降、静岡大学人文学部教授を経て、1983年から90年まで一橋大学社会学部教授。定年退官後、大東文化大学法学部教授、立命館大学客員教授、聖学院大学大学院客員教授を歴任し、聖学院大学大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科教授に着任する。
沖 正一郎(おき しょういちろう、1926年〈大正15年〉1… 沖 正一郎(おき しょういちろう、1926年〈大正15年〉10月22日 - 2016年〈平成28年〉2月20日)は、日本の実業家、鼻煙壺収集家。ファミリーマート初代社長、良品計画会長、日本フランチャイズチェーン協会会長等も歴任した。東京生まれ。 馬込小学校、旧制東京中学校を経て、1951年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業後、伊藤忠商事に入社。大学時代は水泳部に所属。香港駐在、西友ストアー常務等を務めた。 1981年ファミリーマート社長に就任。発注の翌日納品、東海地方でのフランチャイズチェーン展開、プライベートブランド商品の導入、台湾進出などを行った。 1987年日本フランチャイズチェーン協会副会長、1991年同会長に就任。
田中 融二(たなか ゆうじ、1926年10月18日 - 19… 田中 融二(たなか ゆうじ、1926年10月18日 - 1998年5月12日)は、日本の翻訳家。東京・千駄ケ谷生まれ。 大学予科から海軍予備学校生徒となり、東京大空襲で父を、広島の原爆で母を失い、敗戦後に一橋大学卒業。 1952年日本新聞協会、1963年ダイヤモンド・タイムに勤務。さまざまな職業に就きつつ翻訳をし1953年「ソビエト無銭旅行」で翻訳家としてデビュー。1957年沼田茂の名で「或る遺書」により文学界新人賞受賞。小説は翌年「鶏」を『文學界』に発表したのみで、以後翻訳家として生計を立てる。推理もの、SF、ビジネスものなど多数を翻訳、E・S・ガードナー、レン・デイトンなどが多かった。 最後はがんを宣告され、北海道の小樽で自動車に排気ガスを引き込んで自殺した。
田中 義巳(たなか よしみ、1926年9月26日 - 201… 田中 義巳(たなか よしみ、1926年9月26日 - 2013年7月11日)は、日本の経営者。和歌山県日高郡美浜町出身。 1950年に東京商科大学経済学部を卒業し、同年に日綿実業に入社。 1975年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1989年6月に社長に就任した。1994年6月に会長に就任した。 1992年に藍綬褒章を受章し、1999年に勲二等瑞宝章を受章した。 2013年7月11日心不全のために死去。86歳没。