片山 伍一(かたやま ごいち、1921年5月27日 - 20… 片山 伍一(かたやま ごいち、1921年5月27日 - 2001年1月28日)は、日本の経営学者。九州大学名誉教授。日本経営財務研究学会会長や、日本学術会議会員を務めた。勲二等瑞宝章受章。 熊本県生まれ。1953年九州大学経済学部卒業。馬場克三門下。同年九州大学経済学部助手。1958年九州大学経済学部助教授(経営学講座)。1960年九州大学経済学部助教授(経営財務論講座(新設))。1968年九州大学経済学部教授(経営財務論講座)。1977年日本学術会議会員(第3部)。1986年日本経営財務研究学会会長。退官後、福岡大学教授、九州大学名誉教授。1995年勲二等瑞宝章受章。指導学生に丑山優九州大学名誉教授など。
梅村又次(うめむら またじ、1921年4月18日 - 200… 梅村又次(うめむら またじ、1921年4月18日 - 2006年12月29日)は、日本の経済学者。学位は、農学博士(九州大学・論文博士・1961年)(学位論文「賃金・雇用・農業」)。一橋大学名誉教授。 栃木県出身。1945年九州帝国大学農学部卒、1961年「賃金・雇用・農業」で九州大学より農学博士の学位を取得。1948年経済安定本部物価局勤務、1949年労働省労働統計調査部、1951年一橋大学経済研究所助教授となり、教授。1974年所長。1985年定年退官し、名誉教授、創価大学経済学部教授。1998年退職。1964年『戦後日本の労働力』で第5回エコノミスト賞受賞。1971年『労働力の構造と雇用問題』で日経・経済図書文化賞受賞。
高良 和武(こうら かずたけ、1921年2月9日 - 201… 高良 和武(こうら かずたけ、1921年2月9日 - 2019年1月30日)は、放射光科学を専門とする日本の物理学者。鹿児島市出身。東京大学及び高エネルギー加速器研究機構名誉教授。動力学X線回折理論の研究により、放射光科学と結晶学の発展に貢献した。また後年は、産学連携や高等教育におけるインターンシップ制度の推進にも尽力した。 フォトン・ファクトリー施設長、日本結晶学会会長、日本放射光学会会長、学校法人筑波研究学園理事長、総合科学研究機構理事長、日本インターンシップ学会会長を歴任した。 高良大社の宮司の家に生まれる。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校、旧制第七高等学校造士館、九州帝国大学理学部物理学科卒業。
牧角 三郎(まきずみ さぶろう、1921年(大正10年)1月… 牧角 三郎(まきずみ さぶろう、1921年(大正10年)1月1日 - 2002年(平成14年)3月10日)は、日本の法医学者。医学博士、九州大学名誉教授、元日本法医学会会長。 九州大学医学部法医学教室に長く在籍し、薬毒物の分析法や血痕の簡易検査法の研究で成果を上げた。また、免田事件、島田事件、別府3億円保険金殺人事件などで法医学鑑定を手掛け、鳥取県科学捜査研究会顧問、福岡県科学捜査研究会常任理事、日本法医学会会長などを歴任した。 1921年(大正10年)1月1日、鹿児島県川辺郡知覧町に生まれた。 旧制鹿児島県立川辺中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、1945年(昭和20年)9月に九州帝国大学医学部を卒業し、第2外科・温泉治療学研究所を経て、1948年(昭和23年)6月に法医学教室に入局した。
前田 淑(まえだ よし、1921年 - 2020年)は、日本… 前田 淑(まえだ よし、1921年 - 2020年)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学。近世の女性旅日記などの近世女性文学を研究した。福岡女学院短期大学名誉教授。 福岡市生まれ。福岡県女子専門学校文科研究科卒業、法政大学文学部日本文学科卒業。福岡女学院短期大学助教授、教授を務める。1999年「江戸時代女流文芸史 地方を中心に」で九州大学文学博士。
慶伊 富長(けいい とみなが、1920年12月10日 - 2… 慶伊 富長(けいい とみなが、1920年12月10日 - 2007年9月20日)は、日本の化学者。東京工業大学(のちの東京科学大学)名誉教授。第4代沼津工業高等専門学校校長等を経て、東京工業大学先端科学技術大学院準備調査室長として北陸先端科学技術大学院大学設立にあたり、初代学長を務めた。元触媒学会会長。 北海道滝川市生まれ。1945年九州帝国大学理学部化学科卒業。1956年北海道大学理学博士。北海道大学助教授、東京工業大学(のちの東京科学大学)教授、東京理科大学教授を経て、1982年沼津工業高等専門学校校長。1985年豊橋技術科学大学参与。1988年東京工業大学先端科学技術大学院準備調査室長。1990年初代北陸先端科学技術大学院大学学長。
宮城 信勇(みやぎ しんゆう、1920年11月28日 - 2… 宮城 信勇(みやぎ しんゆう、1920年11月28日 - 2019年9月16日)は、沖縄県出身の八重山方言研究家、郷土史家。石垣市名誉市民。 1920年11月28日、沖縄県八重山郡石垣町(現在の石垣市)新川で生まれる。母は『八重山生活誌』で第1回伊波普猷賞を受賞した宮城文。 九州帝国大学法文学部を卒業。教員を経て、八重山群島政府文教部長、八重山地区教育長、琉球政府企画局長、沖縄電力取締役等を歴任。 定年後の1976年、母とともに石垣方言の研究をはじめ、翌1977年に『八重山ことわざ事典』を出版。2003年には、1万7千語余りを収録する『石垣方言辞典』を完成させた。1993年に東恩納寛惇賞、2016年に伊波普猷賞、2020年に吉川英治文化賞を受賞。
川崎 敏男(かわさき としお、1920年10月31日 - 2… 川崎 敏男(かわさき としお、1920年10月31日 - 2004年2月23日 )は日本の薬学者、九州大学名誉教授。専門は天然物化学。薬学博士(1952年)。兵庫県出身。
竹内 潔(たけうち きよし、1920年10月4日 - 198… 竹内 潔(たけうち きよし、1920年10月4日 - 1984年8月21日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(2期)。三木派。従四位勲二等
岡 茂男(おか しげお、1920年9月30日 - 1992年… 岡 茂男(おか しげお、1920年9月30日 - 1992年12月14日)は、日本の経済学者。経済学博士(九州大学)。大分県大分郡庄内町(現由布市)出身。 1939年に大分県立大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)、1941年に大分高等商業学校を卒業。 1943年、学徒として出陣。翌年、大日本帝国海軍海軍対潜学校卒業。1945年には海軍中尉となるが、終戦で復員。 1946年、九州帝国大学法文学部経済学科を卒業。翌年、九州大学経済学部助手となる。1952年、武蔵大学経済学部専任講師。1953年に同助教授、1958年に教授。1961年、同学生部長。 1966年11月、九州大学にて「戦後日本の関税政策」で経済学博士号を取得。
荘子 邦雄(しょうじ くにお、1920年9月16日 - 20… 荘子 邦雄(しょうじ くにお、1920年9月16日 - 2021年3月25日)は、日本の法学者。専門は刑法。東北大学名誉教授。札幌学院大学名誉教授。法学博士(北海道大学、1962年)。兵庫県出身。叙従三位。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
中瀬 秀夫(なかせ ひでお、1920年8月1日 - 1991… 中瀬 秀夫(なかせ ひでお、1920年8月1日 - 1991年1月7日 )は、日本の経営者。日清紡績社長、会長を務めた。 長崎県出身。1947年に九州大学法文学部経済学科を卒業し、同年に日清紡績に入社した。1967年6月に取締役に就任し、1970年6月に常務、1976年7月に専務を経て、1979年7月に社長に就任。1986年6月に会長に就任。 1991年1月7日、急性心不全のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
楢崎 弥之助(ならざき やのすけ、1920年〈大正9年〉4月… 楢崎 弥之助(ならざき やのすけ、1920年〈大正9年〉4月11日 - 2012年〈平成24年〉2月28日)は、日本の政治家。本名は、楢崎 弥之祐(読みは同じ)。衆議院議員(11期)、社会民主連合書記長、同党副代表を歴任した。衆議院議員を務めた楢崎欣弥は長男。
深海 正治(ふかうみ まさはる、1920年(大正9年)2月2… 深海 正治(ふかうみ まさはる、1920年(大正9年)2月21日 - 2021年(令和3年)5月28日)は、日本の技術者。 オリンパス光学工業専務、オリンパス精機社長。 佐賀県出身。久留米高等工業学校(現 : 九州大学工学部)精密機械科を卒業後、旧海軍の技術士官に採用され、大尉に任官。終戦まで機銃や零式艦上戦闘機の同調発射装置の設計を担当。 終戦後の1948年(昭和23年)にオリンパス光学工業に入社。1949年(昭和24年)、諏訪工場から杉浦睦夫が主任技師を務める研究所に異動。東京大学医学部附属病院副手の宇治達郎から胃の内部を撮影するカメラの製作を杉浦とともに依頼され、海軍時代に銃身内部の検査を行う装置を研究していたことを活かし、食道よりも細い管の中にカメラの全ての機能を詰め込む設計を考案。
井上 正治(いのうえ まさはる、1920年2月11日 - 1… 井上 正治(いのうえ まさはる、1920年2月11日 - 1997年12月18日)は、日本の海軍軍人、法学者。専門は刑事法学。過失犯理論等を研究。法学博士(九州大学・1950年)。九州大学名誉教授。福岡県出身。 福岡県宗像市生まれ、山口県下関市育ち。旧制山口県立下関中学校、旧制福岡高等学校を経て、九州帝国大学進学。1942年、九州帝国大学法文学部卒業、高等文官試験司法科合格。1950年、法学博士(九州大学)。 海軍入営。最終階級は海軍法務大尉。1946年、九州帝国大学法文学部講師。1948年、九州大学法文学部助教授、1951年、同法教授。1953年、広島大学政経学部教授兼務、1967年第30代九州大学法学部長。
阿部 新(あべ あらた、1919年(大正8年)8月17日 -… 阿部 新(あべ あらた、1919年(大正8年)8月17日 - 2009年(平成21年)1月8日)は、昭和時代の政治家。秋田県鹿角市長。 鹿角市出身。1943年(昭和18年)九州帝国大学農学部卒業。 花輪町農業会長を経て、1948年(昭和23年)秋田県庁に奉職。鹿角地方事務所経済課長を経て、1956年(昭和31年)鹿角郡花輪町長に当選。1972年(昭和47年)合併により初代鹿角市長となった。3期務め、1988年(昭和63年)4月、落選した。ほか、尾去鉱山観光代表を歴任した。2009年(平成21年)1月8日死去、89歳。死没日をもって従四位に叙される。
岩崎 松之助(いわさき まつのすけ、1919年 <大正8年>… 岩崎 松之助(いわさき まつのすけ、1919年 <大正8年> 7月1日 - 2006年 <平成18年> 6月17日)は、日本の工学者。工学博士。専門は航空力学。九州大学名誉教授、熊本工業大学(崇城大学)名誉教授。位階は正四位。プロペラの研究や、ショックチューブとショックネンタルを用いた流体力学研究が特に知られており、日本の航空力学の基礎を築いたと評価されている。 朝鮮総督府の養蚕試験場で生まれ、間もなく父・岩崎行高が鹿児島高等農林学校教授に就任したため鹿児島県鹿児島市で育つ。なお、祖父の岩崎行親は鹿児島県における中高等教育草創期の中心的人物。 鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)に進学し、模型飛行機づくりに熱中する。
福田 正臣(ふくだ まさおみ、1919年3月25日 - 20… 福田 正臣(ふくだ まさおみ、1919年3月25日 - 2012年3月28日 )は、日本の医師、医学者。内科医。医学博士。心筋梗塞研究の権威だった。 鹿児島県の奄美大島名瀬の生まれで、大島郡龍郷町出身。1942年第七高等学校造士館 (旧制)理科卒業。1945年九州帝国大学医学部を卒業して、操坦道教授の第一内科に副手として入局し、1951年九州大学第一医学部内科助手。1952年鹿児島市立病院内科医長に就く。1953年九州大学より医学博士授与。論文の題は「抗痙攣剤の人体脳波に及ぼす影響について」。1955年1月鹿児島大学医学部第一内科助教授に就任。鹿児島大学助教授を長く務めた後、再び鹿児島市立病院に転じて循環器内科部長。
小山 俊一(おやま しゅんいち、1919年3月13日 - 1… 小山 俊一(おやま しゅんいち、1919年3月13日 - 1991年9月18日) 日本の哲学者。 福岡県門司市(現北九州市)生まれ、直方に育つ。 1935年4月、中学4年終了で旧制福岡高校理科乙類(ドイツ語)に入学。一年留年して、福高卒業。1939年4九州帝国大学農学部に入学。10月、矢山哲治を中心に福岡から創刊された同人誌「こをろ」に参加。同人に阿川弘之、島尾敏雄、那珂太郎、眞鍋呉夫らがいた。 1941年12月、九大を繰り上げ卒業、1943年5月、陸軍雇員募集に応募、軍属として6月、ボルネオに赴任。ボルネオ山中でマラリアにかかり、敗戦後、捕虜収容所に収容される。1946年春、復員。同年秋、福岡県庁農地部に就職するも、半年で退職。
知野 虎雄(ちの とらお、1919年3月1日 - 2009年… 知野 虎雄(ちの とらお、1919年3月1日 - 2009年6月2日)は、日本の官僚、国会職員。衆議院事務総長や会計検査院長、地方財政審議会委員を務めた。 1919年に和歌山県串本町で生まれる。1942年に九州大学法学部卒業後、内務省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進む。海軍省大臣官房勤務時に終戦を迎える。 熊本県庁へ出向後、1946年に衆議院書記官となる。衆議院委員部第一課長、庶務部長兼人事課長事務取扱、委員部長、事務次長を経て1967年に衆議院事務総長に就任した。
森 澄雄(もり すみお、1919年(大正8年)2月28日 -… 森 澄雄(もり すみお、1919年(大正8年)2月28日 - 2010年(平成22年)8月18日)は、日本の俳人。長崎県出身。本名、森澄夫。加藤楸邨に師事、「杉」を創刊・主宰。 「寒雷」に投句、のちに編集長を務める。日常の哀歓を材とし、古典回帰を重んじた格調高い句を詠んだ。句集に『雪櫟』(1954年)、『花眼』(1969年)、『四遠』(1986年)、『深泉』(2008年)などがある。 兵庫県旭陽村(現・姫路市網干区)に生まれ、5歳より長崎県長崎市で育つ。父・貞雄、母・まゑの長男。父は歯科医で冬比古の俳号を持つ俳人であった。長崎市立朝日尋常小学校、長崎県立瓊浦中学校、長崎高等商業学校(現長崎大経済学部)卒業。
尾上 康治(おのえ やすはる、1919年2月15日- 200… 尾上 康治(おのえ やすはる、1919年2月15日- 2003年12月24日 )は、日本の経営者、理学博士。徳山曹達(現在のトクヤマ)社長、会長を務めた。 山口県出身。1947年に九州大学理学部化学科を卒業し、1948年に徳山曹達(のちのトクヤマ)に入社した。1969年に取締役に就任し、1974年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1982年6月には社長に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に就任。 山口朝日放送社長も務めた。 1974年に紫綬褒章を受章し、1994年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2003年12月24日、肺炎のために死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
前田 和雄(まえだ かずお、1919年2月13日 - 200… 前田 和雄(まえだ かずお、1919年2月13日 - 2009年10月7日)は、日本の経営者、工学博士。三井造船社長を務めた。山口県出身。 1943年に九州帝国大学工学部造船学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1968年に取締役に就任し、1974年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1979年6月に社長に就任。1986年6月には会長に就任し、1993年に相談役を経て、1998年7月に特別顧問に就任。 1983年4月に藍綬褒章を受章し、1996年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2009年10月7日、骨髄異形成症候群のために死去。90歳没。
吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 19… 吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 1995年6月14日)は、日本の工学者。土木工学者。福岡県出身。工学博士。九州大学元教授。有明工業高等専門学校元校長。教育者。 1919年、福岡県福岡市生まれ。1941年九州帝国大学工学部土木工学科卒業。構造力学及び橋梁工学の理論的研究を専門とする。 1945年、内務省九州土木出張所に就く。民間を経て、1947年、福岡高等工業学校、1950年熊本工業専門学校、1951年熊本大学工学部、1952年同大学助教授に就き、1954年、工学博士となる。 1955年同大学工学部教授に就任。1973年九州大学工学部教授となる。1980年有明工業高等専門学校校長。
合屋 長英(ごうや ながひで、1919年 - 2001年9月… 合屋 長英(ごうや ながひで、1919年 - 2001年9月13日)は、日本の小児科学者。九州大学名誉教授。
山本 政弘(やまもと まさひろ、1918年9月16日 - 2… 山本 政弘(やまもと まさひろ、1918年9月16日 - 2005年8月11日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(7期)。衆議院功労議員表彰。 富山県生まれ。九州帝国大学法文学部法科卒業後、南満州鉄道社員。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。横須賀鎮守府付長官承命服務・山城乗組となる。第一海軍火薬廠廠長付、千歳丸主計長を経て、1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進む。同年10月、第36警備隊付に発令されフィリピン戦線に従軍。ネグロス島で終戦を迎え捕虜となるが、島内の投降拒否者の発見と説得に従事し、1946年(昭和21年)12月、名古屋に上陸し解員(復員)した。
小野 周(おの しゅう、1918年(大正7年)9月5日 - … 小野 周(おの しゅう、1918年(大正7年)9月5日 - 1995年(平成7年)4月24日)は、日本の物理学者。学位は、理学博士(九州大学、1951年)(学位論文「臨界現象及び表面現象の統計熱力学」)。東京大学名誉教授。元群馬大学学長。日本物理学会会長を3期3年間務めた。勲二等旭日重光章受章。福岡県福岡市生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
大木 幸介(おおき こうすけ、1918年8月23日 - )は… 大木 幸介(おおき こうすけ、1918年8月23日 - )は、日本の化学・生理学者。 東京府(現東京都世田谷区[要出典])生まれ。1941年東京薬学専門学校卒、1944年九州帝国大学農学部農芸化学科卒業。1955年九州大学医学博士。九州大学木材研究所、生産科学研究所助手、九州大学医学部講師、信州大学繊維学部教授、江南女子短期大学教授を務めた。専門の分子生理学、生化学の立場から、幅広く研究、執筆活動を行った。
山縣 有信(やまがた ありのぶ、1918年〈大正7年〉8月1… 山縣 有信(やまがた ありのぶ、1918年〈大正7年〉8月15日 - 1974年〈昭和49年〉7月22日)は、日本の政治家。栃木県矢板市長を務めた。 明治の元勲山縣有朋の曾孫(山縣有道の長男)として東京府で生まれる。学習院高等科を経て、九州帝国大学法文科を卒業。卒業後の1942年(昭和17年)、日本興業銀行に入るが、同年、第1期海軍兵科予備学生として海軍に入った。終戦直後の1945年(昭和20年)11月1日、父の死去に伴い、公爵を襲爵する。1946年(昭和21年)復員し、日本興業銀行に復職する。翌1947年(昭和22年)、同行を退職し、栃木県矢板町の山縣農場の経営に取り組む。 1963年(昭和38年)、矢板市長選挙に立候補し、初当選、以来連続3期務める。
金 東祚(김동조、キム・ドンジョ、1918年8月14日 - … 金 東祚(김동조、キム・ドンジョ、1918年8月14日 - 2004年12月9日)は、韓国の政治家。1965年から1967年にかけて初代駐日大使を務め、1973年から1975年にかけては大韓民国外務部の長官(外相)を務めた。 日本名は宗山 秀隆(むねやま ひでたか)。実業家で元国会議員の鄭夢準は末娘の夫。また、次女は元国防部長官の孫元一の息子、三女は実業家の許鼎九の息子とそれぞれ結婚した。元ヘラルドメディア会長の洪政旭(朝鮮語版)は孫娘婿。 1918年に釜山府で生まれる。釜山中学校を経て、1940年京城高等商業学校を卒業。1943年九州帝国大学法文学部法科を卒業。李東煥元内務次官は高等商業学校の同期。
神田 慶也(かんだ よしや、1918年6月18日 - 201… 神田 慶也(かんだ よしや、1918年6月18日 - 2011年3月3日)は、日本の化学者。専門は分子分光学。九州大学総長や九州産業大学学長を務めた。 第五高等学校理科甲類を経て(1939年(昭和14年)卒業)、九州帝国大学理学部を卒業する。 1942年(昭和17年)より、母校の九州帝国大学理学部助手となり、助教授を経て教授に昇進、理学部長などを歴任後、1978年11月から3年間九州大学総長を務めた。その後、九州産業大学で学長を務めていた。 1994年、勲二等旭日重光章を受章。2011年3月3日、肺炎のため死去。 門下生に島田良一がいる。
大森 創造(おおもり そうぞう、1918年(大正7年)5月2… 大森 創造(おおもり そうぞう、1918年(大正7年)5月25日 - 1999年(平成11年)11月14日)は、昭和期の政治家。参議院議員、茨城県東茨城郡圷村長。 茨城県東茨城郡、のちの桂村(現城里町)で生まれる。九州大学中国文学科を卒業。又一貿易上海支店に勤めた。 1956年(昭和31年)日本社会党に入党。圷村民主同盟を結成した。圷村長に就任し2期在任。茨城県議会議員に選出され3期在任した。また、社会党茨城県連書記長、同党基地対策委員長などを務めた。 1959年(昭和34年)6月の第5回参議院議員通常選挙に茨城県地方区から社会党公認で出馬して初当選。1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙でも再選され、参議院議員に連続2期在任した。
矢山 哲治(ややま てつじ、1918年4月28日 - 194… 矢山 哲治(ややま てつじ、1918年4月28日 - 1943年1月29日)は日本の詩人。九州帝国大学在学中、同人雑誌「こをろ」を主宰。福岡県福岡市出身。 1936年福岡県中学修猷館、1939年旧制福岡高等学校理科甲類を経て、九州帝国大学農学部繰り上げ卒業。福岡高校在学中から当時火野葦平の率いていた『九州文学』同人となり『九州文学』、『文藝首都』などに詩やエッセイを掲載。この時期1938年7月、福岡高校生であった矢山は『九州文学』を詩人の立原道造に贈り、文通を始め、当時立原が企図していた詩誌『午前』への参加を誘われた。 1939年、第一詩集『くんしやう』を上梓。この頃、保田與重郎、太宰治、檀一雄ら『日本浪曼派』の作家、評論家を愛読する。
川口 武彦(かわぐち たけひこ、1918年3月29日 - 1… 川口 武彦(かわぐち たけひこ、1918年3月29日 - 1998年12月29日)は、日本の経済学者、社会運動家。元九州大学教授。元社会主義協会代表。経済学のほか、堺利彦、山川均など労農派を中心とした初期社会主義研究でも功績を残した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
石橋 周一(いしばし しゅういち、1918年1月10日 - … 石橋 周一(いしばし しゅういち、1918年1月10日 - 2007年8月9日)は、日本の経営者。九州電力副社長、福岡放送社長を務めた。東京都出身。 1941年に九州帝国大学工学部機械学科を卒業し、1942年に日本製鉄八幡製鉄所に入社。 1946年4月に日本発送電を経て、1951年5月に九州電力に転じ、1971年5月に取締役に就任し、1975年5月に常務を経て、1979年12月に副社長に就任。1987年6月から1991年4月までに福岡放送社長を務めた。 1982年11月に藍綬褒章を受章し、1988年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2007年8月9日肺炎のために死去。89歳没。 妻の喜和子(1925年生)は岩田屋百貨店社長中牟田喜兵衛(2代)の娘。
原口 幸隆(はらぐち ゆきたか、1917年12月7日 - 1… 原口 幸隆(はらぐち ゆきたか、1917年12月7日 - 1979年3月15日)は、昭和時代の労働運動家。日本労働組合総評議会(総評)議長。 福岡県生まれ。戸籍上は1918年1月7日生まれ。1941年九州帝国大学法文学部卒業、住友鉱業別子鉱業所に入社。エリートコースから労働運動に入り、1947年別子鉱業所職員組合委員長、全日本金属鉱山労働組合連合会(全鉱)副委員長。1948年から1979年2月(1953年を除く)まで全鉱委員長。1949年国際自由労連(ICFTU)結成大会に出席、1953年同東京事務所所長、1962年同加盟組合連絡会議議長。1956~1958年日本労働組合総評議会(総評)議長。1966~1971年総評民間単産会議議長。
田原 虎次(たはら とらじ、1917年11月11日 - 19… 田原 虎次(たはら とらじ、1917年11月11日 - 1995年7月7日)は、日本の農業機械学者。東京農工大学名誉教授。 福岡県出身。1935年福岡県中学修猷館を経て、1943年九州帝国大学農学部農業工学科を卒業。 東京農林専門学校教授を経て、1949年同校が東京農工大学に統合されると、1950年助教授となり、1962年教授に就任。1969年には付属図書館館長を務めた。 1981年日本大学農獣医学部農業工学科教授に就任。1987年定年退職。 1990年勲三等旭日中綬章。
李 坰鎬(イ・ギョンホ、朝鮮語: 이경호、1917年11月1… 李 坰鎬(イ・ギョンホ、朝鮮語: 이경호、1917年11月1日 - 1987年2月28日)は、大韓民国の官僚、検察官、憲法学者、政治家。第10代韓国国会議員、第14代保健社会部長官。本貫は全州李氏。号は仁山(인산、インサン)。日本名は李家 坰鎬。 岳父は制憲国会議員の晋直鉉、娘の李玲愛(朝鮮語版)とその夫の金賛鎮(朝鮮語版)も国会議員を務めたことがある。 全羅南道光陽に生まれた。1940年に京城法学専門学校を卒業。1942年に九州帝国大学法文学部法科(現・九州大学法学部)を卒業し、1943年に高等文官試験司法科に合格した。朝鮮光復後の1947年に憲法学者としてソウル大学校法科大学助教授、1950年に東国大学校教授を務めた。
白水 隆(しろうず たかし、1917年9月14日 - 200… 白水 隆(しろうず たかし、1917年9月14日 - 2004年4月2日)は、日本の昆虫学者。九州大学名誉教授。専門はチョウ類の分類学、生物地理学。日本および東アジアのチョウ類研究を牽引した基礎生物学者の一人である。 1917年9月14日、福岡県福岡市生まれ。1938年旧制宮崎高等農林学校(宮崎大学農学部の前身)卒業、1941年九州帝国大学農学部卒業。1942年2月九州帝国大学農学部副手、同年6月助手。1944年召集令状を受け鹿児島県の志布志に配属されるも1年で除隊となり、研究室に戻った。九州大学教養部助教授を経て、1963年九州大学教授。1981年定年退官、同大学名誉教授。 日本および東アジアのチョウ類の研究で著名。
山之口 安秀(やまのくち やすひで、1917年 <大正6年>… 山之口 安秀(やまのくち やすひで、1917年 <大正6年> 8月25日 - 2001年 <平成13年> 10月18日)は、日本の政治家。第18代鹿児島市長。位階は正五位。勲三等旭日中綬章受章。 鹿児島県日置郡東市来村(後に東市来町、日置市)出身。鹿児島県伊佐農林学校(現鹿児島県立伊佐農林高等学校)、宮崎高等農林学校(現宮崎大学農学部)を経て、1942年九州帝国大学農学部(現九州大学農学部)卒業。南満洲鉄道勤務、福岡県職員を経て、1949年鹿児島県庁に入職。鹿児島県の農業経済、農政などの各課長、農政部次長(1966年)、企画部長(1967年)などを歴任し、1971年県出納長に就任した。1975年の鹿児島市長選で保守系の候補として出馬、現職の末吉利雄を破り、初当選した。
荒木 見悟(あらき けんご、1917年(大正6年)5月21日… 荒木 見悟(あらき けんご、1917年(大正6年)5月21日 - 2017年〈平成29年〉3月22日)は、日本の中国哲学者。九州大学名誉教授。 広島県佐伯郡廿日市町生まれ。1942年九州帝国大学法文学部支那哲学科卒、1944年長崎師範学校助教授、1949年福岡学芸大学助教授、1959年「朱子の哲学」で九州大学文学博士。1962年九州大学文学部助教授、1968年教授、1983年定年退官、名誉教授、皇學館大學教授、北九州大学教授、1987年久留米大学教授。1990年勲二等瑞宝章受勲。 2017年〈平成29年〉3月22日に死去。99歳没。没後に正四位に叙された。
宮崎 善吾(みやざき ぜんご、1917年(大正6年)4月17… 宮崎 善吾(みやざき ぜんご、1917年(大正6年)4月17日 - 2006年(平成18年)12月13日)は、日本の政治家、会社役員。元・佐賀県副知事。 宮崎林三郎(2代目)の長男として佐賀県に生まれる。 九州大学卒業後、佐賀県職員となる。同県副知事まで登りつめ、1978年(昭和53年)6月から1979年(昭和54年)5月までその地位にあった。ほかに佐賀清和学園理事長、エフエム佐賀社長、財団法人佐賀経済調査協会理事長などを歴任。佐賀の顔役の1人であった。1987年、勲三等瑞宝章を受章。 第一勧業銀行頭取を務めた宮崎邦次は実弟。邦次は『第一勧業銀行総会屋利益供与事件』の発覚によって非業の死を遂げるが、善吾はその死について多くを語らず、香典やおくやみの言葉を贈ろうとする者はかなりの数にのぼったが、一切、断った。
豊瀬 禎一(とよせ ていいち、1917年(大正6年)4月13… 豊瀬 禎一(とよせ ていいち、1917年(大正6年)4月13日 - 2007年(平成19年)2月9日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。筆名は冬欅。 福岡県筑紫郡席田村下月隈(現福岡市博多区下月隈)で生まれる。1937年(昭和12年)福岡師範学校本科第二部を卒業。その後、九州大学教育学部を修了した。 1937年、福岡市吉塚小学校教諭に就任。以後、東住吉国民学校、東光国民学校、馬出国民学校で勤務。戦後、福岡市立東光中学校教諭に就任した。また労働運動に加わり、福岡県教職員組合連合会長(1948-1949)、福岡県中学校教職員組合委員長(1949-1951)、第2代福岡県教職員組合委員長(1951-1953)を歴任した。
國枝 忠雄(くにえだ ただお、1917年3月25日 - 20… 國枝 忠雄(くにえだ ただお、1917年3月25日 - 2015年1月10日)は、日本の実業家。中部日本放送社長を務めた。富山県富山市出身。 高岡高等商業学校を経て、1944年に九州帝国大学社会学科卒業。同年に日本放送協会に入社した。しかし、1950年に公職追放を受けたことにより解雇され、1952年に小嶋源作の紹介により、中部日本放送に入社した。 東京支社長、取締役、常務、専務を経て、1975年12月に社長に就任した。1987年6月から副会長に就任し、1989年6月から相談役に就任した。 1980年に藍綬褒章を受章し、1987年に勲二等瑞宝章を受章した。また、1979年にイタリア政府から「共和国有功勲章コンメダトーレ章」を受章し、1982年にオーストリア大使館からオーストリア大栄誉金章を受章し、1985年にフランス政府から国家功労章を受章した。
重枝 琢巳(しげえだ たくみ、1917年2月21日 - 20… 重枝 琢巳(しげえだ たくみ、1917年2月21日 - 2009年2月18日)は、昭和から平成時代の労働運動家。全日本労働総同盟(同盟)書記長。 山口県生まれ。1943年九州帝国大学法文学部経済学科卒業。九大では波多野鼎に師事。1946年三井化学工業に入社。同年日本労働組合総同盟(総同盟)九州連合会執行委員。1948年日本炭鉱労働組合連合会(炭労)事務局長。1951年9月加藤閲男、星加要、古賀専らと民主労働運動研究会(民労研)を結成、同会幹事。同年12月民主社会主義連盟(民社連)評議員。1953年2月全国民主主義労働運動連絡協議会(民労連)幹事。1954年全国石炭鉱業労働組合(全炭鉱)書記長兼総同盟副会長。
目加田 さくを(めかだ さくお、女性、1917年(大正6年)… 目加田 さくを(めかだ さくお、女性、1917年(大正6年)2月1日 - 2010年(平成22年)12月20日)は、国文学者。平安時代文学が専門。学位は、文学博士(大阪大学・論文博士・1962年)(学位論文「物語作家圏の位相及び教養よりみたる物語の形成」)。福岡女子大学名誉教授。勲三等宝冠章受章。 1917年、福岡県大野城市生まれ。旧姓・瀬利。本名・サクヲ。1941年九州帝国大学法文学部国文科を卒業する。 卒業後は九州帝国大学副手、1945年山口女子専門学校教授、福岡県女子専門学校教授、1950年福岡女子大学助教授、教授を務める。1962年「物語作家圏の位相及び教養よりみたる物語の形成」で大阪大学より文学博士の学位を取得。
藤野 英一(ふじの えいいち、1917年1月30日 - 19… 藤野 英一(ふじの えいいち、1917年1月30日 - 1994年11月10日)は、日本の裁判官。最高裁判所調査官や福岡家庭裁判所長、東京高等裁判所部総括判事などを歴任した。福岡県出身。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
楠田 久男(くすだ ひさお、1916年9月25日 - 202… 楠田 久男(くすだ ひさお、1916年9月25日 - 2020年2月26日)は、日本の機械工学者、佐賀大学元学長。専門は伝熱工学。 鳥栖市出身。旧制佐賀高等学校を経て、1939年9月に九州帝国大学工学部機械工学科卒業。熊本大学工学部教授、佐賀大学理工学部教授、同学部長などを経て、1986年から1990年まで佐賀大学学長を務めた。サガン鳥栖の前身である鳥栖フューチャーズの設立に尽力した。 2020年2月26日、老衰のため鳥栖市の特別養護老人ホームで死去。103歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
片山 仁八郎(かたやま にはちろう、1916年3月31日 -… 片山 仁八郎(かたやま にはちろう、1916年3月31日 - 1997年3月14日)は、日本の経営者。三菱電機社長、会長を務めた。佐賀県鳥栖市出身。 1935年に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に三菱電機に入社した。1974年に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1980年から社長に就任し、1985年から会長に就任し、1991年から相談役に就任した。 日本電子工業振興会会長、新世代コンピュータ技術開発機構理事長なども歴任した。 1983年にマイクロ波放電光源装置の開発により、毎日工業技術賞に授賞し、1989年に勲一等瑞宝章を受章し、1993年にドイツ一等功労十字章を受章した。 1997年3月14日膀胱癌のために死去。
森 三十郎(もり さんじゅうろう、1916年3月19日 - … 森 三十郎(もり さんじゅうろう、1916年3月19日 - 2012年7月2日)は、日本の法学者、福岡大学名誉教授。元法学部長、理事。 福岡県鞍手郡鞍手町出身。第五高等学校を経て、九州帝国大学法学部卒。(宇賀田順三門下、在学中に高等文官試験に合格)。 九大助手、拓務省、大東亜省、外務省勤務、応召して陸軍主計中尉で敗戦を迎え、1948年戸畑専門学校教授(憲法、行政法)に就任。1950年新制八幡大学助教授、教授を歴任後1954年に退任。後鹿児島県立大学、久留米大学助教授。1956年福岡大学教授に就任。1987年、定年退任、名誉教授。 総合国家学研究所のち森国家学研究所を主宰し、天皇制擁護の論陣を張った。