原田 正文(はらだ まさふみ、1986年8月7日 - )は、… 原田 正文(はらだ まさふみ、1986年8月7日 - )は、日本の実業家。株式会社エム・マーケティング代表取締役。エム・マーケティンググループ[要出典]の創業者。 「良い人が勝つ社会を創る」という経営理念を掲げ[要出典]、教育事業・通信販売事業・社会福祉事業などの分野で事業展開している。 2010年熊本大学教育学部を卒業後、就職と同時に上京。ITベンチャー企業で新規事業のリーダーを任される[要出典]が、結果が出ずに退社[要出典]。その後1年弱フリーターとして生活を送る。 2012年4月からグリー株式会社に入社。グリーではプロダクトマネージャー[要出典]としてソーシャルゲームの制作に携わった[要出典]。
馬場 昭治(ばば しょうじ、1968年(昭和43年)11月2… 馬場 昭治(ばば しょうじ、1968年(昭和43年)11月2日 - )は、日本の政治家、実業家。熊本県天草市長(2期)。 熊本県本渡市(現・天草市)出身。本渡市立本渡南小学校に入学。本渡市立志柿小学校を卒業。本渡市立亀川中学校、熊本県立済々黌高等学校卒業。1992年(平成4年)3月、熊本大学教育学部卒業。同年、家庭教師派遣会社「トライグループ」に入社。 1995年(平成7年)、新進党(秘書を務めている間に自民党に入党)所属の矢上雅義衆議院議員の公設第一秘書となる。1999年(平成11年)、合資会社馬場商店に入社。2003年(平成15年)、同社代表社員に就任。 2020年(令和2年)6月、天草まちづくり株式会社を設立し、代表取締役に就任。
平野 洋一郎(ひらの よういちろう、1963年8月25日 -… 平野 洋一郎(ひらの よういちろう、1963年8月25日 - )は、アステリア株式会社(東証プライム上場、旧:インフォテリア株式会社)代表取締役社長。XMLの将来性に着目し1998年に日本で最初のXML専業ソフトウェア開発会社を設立した。公職として、一般社団法人ブロックチェーン推進協会代表理事。MIJSコンソーシアム理事。京都大学経営管理大学院特命教授。元青山学院大学大学院客員教授。XML技術者育成推進委員会副会長など。
岐部 一誠(きべ かずなり、1961年4月25日 - )は、… 岐部 一誠(きべ かずなり、1961年4月25日 - )は、日本の実業家、土木技術者。インフロニア・ホールディングス取締役・代表執行役社長兼CEO。前田建設工業代表取締役・執行役員副社長。長崎県出身。 1986年、熊本大学工学部土木工学科を卒業。同年4月に準大手ゼネコンの前田建設工業に入社。下水ポンプ処理場建設など現場での施工管理業務を10年、営業部門を2年経験したのち、1998年から経営企画部門に移る。全国建設業協会会長を務めた前田靖治社長の懐刀として活躍した。 2010年1月、執行役員(経営企画担当)兼土木事業本部副本部長に就任。その後、常務執行役員、事業戦略本部長などを経て、2016年6月に取締役に就く。
五嶋 祐治朗(ごとう ゆうじろう、1957年 - )は、日本… 五嶋 祐治朗(ごとう ゆうじろう、1957年 - )は、日本の実業家。日本触媒社長。山口県出身。 1980年熊本大学工学部を卒業後、日本触媒化学工業(現日本触媒)入社。2012年4月川崎製造所長、6月執行役員川崎製造所長、2015年取締役常務執行役員等を経て、2017年から代表取締役社長。
神出 元一(じんで げんいち、1951年12月26日 - )… 神出 元一(じんで げんいち、1951年12月26日 - )は、日本の実業家。全国農業協同組合連合会代表理事理事長を務めた。 大分県宇佐市院内町生まれ。大分県立四日市高等学校(現大分県立宇佐高等学校)を経て、1975年熊本大学法文学部法学科卒業、全国農業協同組合連合会入会。2001年本所事業改革推進部次長。2002年本所事業改革推進部長。2003年本所事業改革・システム推進部長。2005年常務理事に昇格。2011年から代表理事専務を務め、小泉進次郎自由民主党政務調査会農林部会長との間で農業改革の交渉にあたるなどした。2017年からは代表理事理事長を務め、自由民主党が推し進めた農協改革への対応として、肥料価格引き下げなどを行った。
柏原 孝(かしはら たかし、1950年5月10日 - )は、… 柏原 孝(かしはら たかし、1950年5月10日 - )は、日本の経営者。福岡県北九州市出身。 1973年に熊本大学法学部を卒業し、同年に内田洋行に入社した。2003年に取締役に就任し、2007年に副社長を経て、2008年7月には社長に就任。2014年7月には会長に就任 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
芳賀 義雄(はが よしお、1949年8月1日 - )は、日本… 芳賀 義雄(はが よしお、1949年8月1日 - )は、日本の実業家。日本製紙グループ本社代表取締役社長、日本製紙代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。元日本製紙連合会会長。 熊本県熊本市寺原(現中央区壺川)生まれ。父はNTTの職員。1968年熊本県立熊本高等学校卒業。1972年熊本大学工学部工業化学科卒業。1974年熊本大学大学院工学研究科修士課程修了、十條製紙(現日本製紙)入社、八代工場配属。研究・技術部門を担当し、デュッセルドルフ駐在を経て、1995年日本製紙石巻工場原質部長。1997年小松島工場工務部長。2000年勿来工場工務部長。2002年小松島工場長。2004年取締役企画本部長代理兼経営企画部長。
藤井 博行(ふじい ひろゆき、1946年9月11日 - )は… 藤井 博行(ふじい ひろゆき、1946年9月11日 - )は、日本の実業家。日立金属株式会社代表取締役会長兼社長や、一般社団法人日本鉄鋼連盟理事を務めた。 熊本県菊池市出身。1969年熊本大学工学部機械工学科卒業。1972年熊本大学大学院工学研究科修士課程修了、日立金属入社。1994年日立金属熊谷工場生産技術部長。2001年日立金属鳥取工場長。2007年日立金属事業役員常務情報部品カンパニープレジデント。2008年日立金属執行役常務技術センター長。2009年日立金属執行役専務技術センター長。2010年から日立金属代表執行役執行役社長を務め、グローバル化のために日立電線との合併にあたった。日本鉄鋼連盟理事も務めた。
桑野 幸徳(くわの ゆきのり、1941年(昭和16年)2月1… 桑野 幸徳(くわの ゆきのり、1941年(昭和16年)2月14日 - )は、日本の太陽電池研究者、実業家。三洋電機代表取締役社長、太陽光発電技術研究組合理事長、大阪電気通信大学理事等を歴任した。集積型アモルファスシリコン太陽電池を世界で初めて工業化させた。 熊本大学理学部卒業。大阪大学にて工学博士号を取得。 1963年、三洋電機に入社。中央研究所に配属となり、アモルファス半導体の研究にとりくみ、1980年にアモルファスシリコン太陽電池の世界最初の工業化に成功した。 1993年に取締役研究開発本部長、1998年に常務となる。 2000年10月、太陽光発電パネルの不正表示が明るみに出て、近藤定男社長が辞任に追い込まれたことを受け、専務だった桑野が後任に就き、05年まで務めた。
水田 栄久(みずた しげひさ、1931年10月23日 - )… 水田 栄久(みずた しげひさ、1931年10月23日 - )は、日本の経営者。井関農機社長を務めた。熊本県出身。 1955年に熊本大学理学部を卒業し、同年4月に井関農機に入社。1976年2月に取締役に就任し、1978年2月に常務、1986年3月に専務を経て、1988年2月には社長に就任。1992年12月から相談役を務めた。 1994年4月に藍綬褒章を受章。
前田 勝之助(まえだ かつのすけ、1931年2月5日 - 2… 前田 勝之助(まえだ かつのすけ、1931年2月5日 - 2013年4月7日)は、日本の技術者・経営者。東レ名誉会長。 福岡県嘉穂郡穂波村大字忠隈(現:福岡県飯塚市)に生まれる。父・繁師(しげのり)は住友鉱山忠隈炭鉱の病院の薬局長、母・道枝は山鹿(熊本県)の御殿医の流れを汲む竹下病院の長女。住友鉱山の庭付きの社宅で育った。姉・上野栄子、兄・慶之助。 菰田小学校時代、約50人の学級の中に朝鮮人が5、6人おり、彼らは1、2歳年上だった。日本人と朝鮮人の生徒間の喧嘩が始まると、級長の前田は間に割って入った。 嘉穂中学校時代は勤労動員に遭遇し、炭鉱で採炭の仕事に明け暮れた。男たちは戦争に駆り出され人手不足だった。
桑原 潤(くわはら じゅん、1930年3月1日 - 2003… 桑原 潤(くわはら じゅん、1930年3月1日 - 2003年2月26日)は、日本の実業家。ヤクルト本社社長、ヤクルトスワローズのオーナーを務めた。 熊本県出身(出生地は福岡県大牟田市)。三池高校、熊本大学工学部を卒業後、ヤクルト本社に入社。副社長時代の1987年7月に社長の松園尚巳が病に倒れると本社の業務を任され、1988年4月にヤクルト本社社長に就任した。 ヤクルトはプロ野球球団(ヤクルトスワローズ)を保有しており、松園がオーナーを務めていたが、球団については球団社長の相馬和夫がオーナー代行を兼任する形で運営を任されており、当初は桑原は球団運営には関わっていなかった。ところが自身が他球団のオーナーであるにもかかわらず大の巨人ファンとして有名だった松園は、この年に長嶋茂雄の息子・一茂の獲得に成功していたこともあり、一刻も早く長嶋監督就任を実現しようと、まだリーグ優勝チームすら決まっていないシーズン途中の10月3日に、桑原に命令して記者会見を開かせ、現監督関根潤三の任期中にもかかわらず(1989年までの3年契約)、現場の相馬の頭越しに「長嶋氏に来年度からの監督就任をお願いする」と表明させ、翌日には相馬が慌ててこれを取消す事態に発展した。
中村 爲昭(なかむら ためあき、1930年2月5日 - )は… 中村 爲昭(なかむら ためあき、1930年2月5日 - )は、日本の経営者。住友金属工業社長を務めた。 福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)出身。1947年に旧制小倉中学校卒業。熊本大学工学部を経て、1955年に京都大学大学院工学部を修了し、同年に住友金属工業に入社。 小倉製鉄所所長、取締役、常務、鹿島製鉄所所長、専務を経て、1992年6月から1996年6月までに社長を務め、1996年6月から1998年6月までに副会長を務めた。社長在任時には、円高に対応して、人員削減を中心としたリストラを実施した。また、鹿島製鉄所所長在任時には新宮康男とともに住友金属工業蹴球団をJリーグに参加するために地域自治体への陳情活動を行っていた。
阿萬 英昭(あまん ひであき、1927年12月6日 - 19… 阿萬 英昭(あまん ひであき、1927年12月6日 - 1998年2月5日)は、日本の経営者。日本新薬社長、会長を務めた。大分県出身。 1948年に熊本薬学専門学校薬学科を卒業し、同年に日本新薬に入社。 1977年に取締役に就任し、1981年6月に常務を経て、1987年6月に社長に就任。1997年6月に会長に就任。 1998年2月5日骨腫瘍のために死去。70歳没。
川北 徹(かわきた とおる、1927年10月13日 - 20… 川北 徹(かわきた とおる、1927年10月13日 - 2009年6月29日)は、日本の経営者。三井金属鉱業社長、相談役などを歴任。 島根県出身または鹿児島県いちき串木野市旧串木野市地域出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校(鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1948年に熊本工業専門学校冶金学科(現熊本大学工学部)を卒業し、同年に三井鉱山に入社した。神岡鉱山(岐阜県)や竹原製錬所(広島県)で製錬技術者として業務に従事。竹原製錬所の労組委員長も務めた。三井鉱山から1950年に神岡鉱業が分離し1952年に三井鉱山から三井金属鉱業に社名変更した後は、三井金属鉱業勤務。1981年に取締役に就任し、1984年6月に常務、1987年6月に専務、1989年6月に副社長を経て、1990年6月には社長に就任した。
本田 茂(ほんだ しげる、1921年2月20日 - 2009… 本田 茂(ほんだ しげる、1921年2月20日 - 2009年2月21日)は、日本の経営者。間組社長、会長を務めた。熊本県出身。 1941年に熊本高等工業学校土木工学科を卒業し、1946年に間組に入社。1975年11月に取締役に就任し、1977年12月に専務、1979年に副社長を経て、1981年8月に社長に就任。1989年12月に会長に就任し、1990年12月から1992年9月までには社長も兼任した。 2009年2月21日心不全のために死去。88歳没。
大下 俊春(おおしも としはる、1918年3月27日 - 1… 大下 俊春(おおしも としはる、1918年3月27日 - 1959年10月21日)は、日本の経営者。大下回春堂(現在のフマキラー)社長を務めた。 広島県出身。熊本薬学専門学校を卒業。 1950年には大下回春堂(現在のフマキラー)社長に就任。 また、当時資金難に陥っていた広島カープに資金援助をした。 1960年7月5日急性肺炎のために社長在任時に死去。42歳没。
橘 義夫 (たちばな よしお、1915年 <大正4年> 4月… 橘 義夫 (たちばな よしお、1915年 <大正4年> 4月30日 - 没年不明)は、日本の経営者。西松建設社長を務めた。 熊本県出身。1936年に熊本高等工業学校土木科を卒業し、同年に西松組(のちの西松建設)に入社。1964年5月に取締役に就任し、1968年5月に常務、1971年11月に専務を経て、1974年5月に副社長に就任し、1977年6月には社長に昇格。1983年6月に会長、1987年6月に取締役相談役を経て、1991年6月から顧問を務めた。 1974年11月に藍綬褒章を受章し、1985年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。
小島 政夫(こじま まさお、1912年5月2日 - 2000… 小島 政夫(こじま まさお、1912年5月2日 - 2000年10月1日)は、日本の経営者。山之内製薬社長、会長を務めた。広島県出身。 1936年に熊本薬学専門学校を卒業し、同年に山之内製薬に入社した。1962年3月に取締役に就任し、1969年8月に常務、1974年8月に専務を経て、1977年3月に社長に就任。1980年3月に会長に就任し、1984年3月に相談役に就任した。 1984年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2000年10月1日肝不全のために死去。88歳没。
竹内 季雄(たけうち すえお、1910年7月3日 - 198… 竹内 季雄(たけうち すえお、1910年7月3日 - 1981年8月3日)は、日本の経営者。間組社長を務めた。 山口県出身。1931年に熊本高等工業学校土木工学科を卒業し、1933年に間組に入社。1969年11月に取締役に就任し、1971年11月に常務、1972年12月に専務、1974年11月に副社長を経て、1975年5月に社長に就任。 1981年8月3日、脳溢血のために在任時に死去。71歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
立石 一真(たていし かずま、明治33年(1900年)9月2… 立石 一真(たていし かずま、明治33年(1900年)9月20日 - 平成3年(1991年)1月12日)は、日本の実業家、技術者。オムロンの創業者。立石孝雄は長男、立石信雄は次男、立石義雄は三男。 熊本県熊本市(現・熊本市中央区)新町に伊万里焼盃を製造販売する立石熊助およびエイの長男として生まれた。立石家は祖父・孫一が佐賀県伊万里の地で焼き物を習得し熊本に移住、「盃屋」を店開きした。 一新尋常小学校(現・熊本市立一新小学校)、旧制熊本中学校(現・熊本県立熊本高等学校)を経て、1921年(大正10年)熊本高等工業学校電気科一部(現・熊本大学工学部)卒業。兵庫県庁での勤務を経て、1930年(昭和5年)に「彩光社」を京都市にて設立。
川越 庸一(かわごえ よういち、1893年〈明治26年〉12… 川越 庸一(かわごえ よういち、1893年〈明治26年〉12月27日 - 1983年〈昭和58年〉6月3日)は、日本の実業家。「中京デトロイト化構想」の創案者。大同メタル工業創業者・社長・会長、相談役、名古屋YMCA理事長、豊田式自動織機自動車部初代部長を務めた。 藍綬褒章、勲四等瑞宝章受章、従五位。温かく飾らない謙虚な人柄で慕われた。名古屋商工会議所会頭を務めた佐々部晩穂氏とは姻戚関係にある。 川越直夫の二男として、福岡市に生まれる。福岡県士族。1912年(明治45年)福岡県立中学修猷館を経て、1915年(大正4年)熊本高等工業学校機械工学科(現熊本大学工学部)を卒業する。在学中に自動車に大きな興味を覚え、卒業論文に自動車の設計図を提出している。
栗原 大島太郎(くりはら おおしまたろう、1885年(明治1… 栗原 大島太郎(くりはら おおしまたろう、1885年(明治18年)1月23月 - 1975年(昭和50年)5月10日)は、大正から昭和期の医師、実業家、政治家。衆議院議員、長崎県南高来郡加津佐町長。 長崎県南高来郡加津佐村(加津佐町を経て現南島原市)で、栗原一角の五男として生まれ、1916年(大正5年)10月に家督を相続した。1913年(大正2年)熊本医学専門学校(現熊本大学医学部)を卒業した。 医師を開業(回生医院)した。長崎県医師会代議員、美加登製糸所長、加津佐繭市場 (株) 取締役、信用組合顧問理事、加津佐町漁業組合長などを務めた。 政界では、加津佐町会議員、同町長、南高来郡会議員、長崎県会議員、同副議長、消防組頭、方面委員などを務めた。
辛島 浅彦(からしま あさひこ、1882年(明治15年)7月… 辛島 浅彦(からしま あさひこ、1882年(明治15年)7月17日 - 1965年(昭和40年)10月15日)は、日本の実業家。東洋レーヨン会長や、人絹絹統制会会長を務めた。藍綬褒章受章。 大分県生まれ。1905年第五高等学校工学部(現熊本大学工学部)卒業、芝浦製作所入社。1910年三井物産ロンドン支店詰。三井物産名古屋支店長代理等を経て、1927年東洋レーヨン常務取締役滋賀工場長に就任。 1933年からは東洋レーヨン専務取締役として経営にあたり業績の急成長を実現した。1937年東洋レーヨン会長。1942年人絹絹統制会会長。 1944年国策パルプ工業社長。1946年山陽パルプ取締役。1949年日本貿易会長、山陽パルプ監査役、大日本印刷監査役。