多田 鉄之助(ただ てつのすけ、1896年8月15日 - 1… 多田 鉄之助(ただ てつのすけ、1896年8月15日 - 1984年1月22日)は、日本の食味評論家。 東京市根岸出身。1922年、慶應義塾大学部理財科を卒業。「時事新報」記者、牧場観光会社長などを経て、1933年に多田食味研究所を設立、月刊誌『食味評論』を主宰した。テレビの料理教室の草分けで、多くの料理学校の運営にも参加した。百歳までは現役と「百現会」を旗揚げした。1984年1月22日死去。87歳。
野村 光一(のむら こういち、1895年9月23日 - 19… 野村 光一(のむら こういち、1895年9月23日 - 1988年5月22日)は、日本の音楽評論家。 娘の輝子は東京藝術大学ピアノ科を卒業し、谷崎潤一郎の娘にピアノを教えていたが、安田善次郎の曾孫で建築設計士の安田紫気郎と結婚した。遠縁に佐々木勇之助(佐々木の妻の兄の養子が光一の父)
杉山 平助(すぎやま へいすけ、1895年6月1日 - 19… 杉山 平助(すぎやま へいすけ、1895年6月1日 - 1946年12月21日)は、昭和初期の文芸評論家。 父杉山岩三郎(1841年 - 1913年)の庶子として生まれる。岩三郎は岡山藩士の家の生まれで、第二十二国立銀行や岡山紡績所の設立に関与した後に中国鉄道社長などを歴任し、「備前西郷」と呼ばれた実業家だった。芸妓だった母の宇野を1歳で失い、大阪市の八百屋の子として養育されたのち、7歳で東京の料理屋旅館「鯛屋」に引き取られ、岩三郎が宇野没後に落籍した若い芸妓に育てられる。 明治35年、尋常小学校3年のときに伯父稲垣洋一郎の子・稲垣平助として慶應幼稚舎に転入、寄宿舎で暮らす。明治44年に父を訪ねて認知を乞い、杉山平助となる。
宮井 一郎(みやい いちろう、1895年3月21日-1991… 宮井 一郎(みやい いちろう、1895年3月21日-1991年)は、日本の文芸評論家。 島根県邑智郡川本町出身。1913年慶應義塾卒、慶應義塾大学理財科中退[要校閲]。満洲で新進コンクリート常務取締役。大連で刊行されていた文芸同人誌『作文』に参加、戦後郷里で工場を経営し、東京で再刊された『作文』同人となる。1962年「『明暗』の主題」を発表して注目され、以後漱石論を書く。江藤淳の漱石と嫂の恋に関する説を激しく批判した。子に映像作家・宮井陸郎がいる。
水木 京太(みずき きょうた、1894年(明治27年)6月1… 水木 京太(みずき きょうた、1894年(明治27年)6月16日 - 1948年(昭和23年)7月1日)は、日本の劇作家、演劇評論家である。水木京太は筆名で、本名は七尾 嘉太郎(ななお かたろう)。声優の草分けである女優の七尾伶子は実娘である。 秋田県平鹿郡横手町(現・横手市)大町中丁の旧家に、町会議員を何度も務めた七尾重兵衛の長男として生まれる。慶応義塾大学に入学後文学を専攻し、在学中に小山内薫に師事した。盲腸による腹膜炎で一年休学。大正8年(1919年)卒業。 資生堂の嘱託となり、大正9年(1920年)から同14年(1925年)まで『三田文学』の編集に携わりつつ、慶応義塾大学講師として劇文学を担当。
三宅 周太郎(みやけ しゅうたろう、1892年(明治25年)… 三宅 周太郎(みやけ しゅうたろう、1892年(明治25年)7月22日 - 1967年(昭和42年)2月14日)は、演劇評論家。媚びぬ劇評に徹し、また、文楽の興隆に尽くした。 兵庫県加古川市寺家町の造酒屋に生まれた。6歳のとき父が建てた芝居小屋に、入りびたって育った。同志社中学校、慶應義塾大学予科、本科文学部と進んだ学生時代にも、歌舞伎や文楽を見続けた。 1917年(大正6年)(25歳)、三田文学に『新聞劇評家に質す』を寄せ、三木竹二、杉贋阿弥、岡鬼太郎らを称揚し、饗庭篁村、伊原青々園、七代目松本幸四郎らを批判して、劇壇・文壇に反響を呼び、小山内薫らに認められた。『演藝画報』誌にも書くようになった。
水上 瀧太郎(みなかみ たきたろう、1887年12月6日 -… 水上 瀧太郎(みなかみ たきたろう、1887年12月6日 - 1940年3月23日)は、日本の小説家、評論家、劇作家、実業家。本名阿部 章蔵。「三田文学」発表の「山の手の子」で出発。明治生命保険会社専務、大阪毎日新聞社取締役で長く実業と文学を両立した。強い道義性と文明批評性に特色がある。第2次「三田文学」復刊後は同誌の精神的主幹と呼ばれた。 東京市麻布区飯倉町三丁目(現・港区麻布台二丁目)に、明治生命の創業者阿部泰蔵の四男として生まれる。 小泉信三の同期生として共に御田小学校を経て慶應義塾普通部に入学。この頃から、泉鏡花の小説や与謝野寛・晶子の短歌に傾倒する。慶應義塾大学部理財科に進むが、文科の永井荷風や小山内薫の講義を熱心に聴く。
萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)… 萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人、評論家。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。 群馬県東群馬郡北曲輪町(のちの前橋市北曲輪町(現・千代田町一丁目))に、開業医の父・密蔵と母・ケイの長子として生まれた。名前の朔太郎は、長男で朔日(ついたち)生まれであることから、命名された。1893年(明治26年)に群馬県師範学校附属小学校に入学。この頃から神経質かつ病弱であり、「学校では一人だけ除け者にされて、いつも周囲から冷たい敵意で憎まれている。」 と孤独を好み、一人でハーモニカや手風琴などを楽しんだ。
野依 秀市(のより ひでいち、1885年(明治18年)7月1… 野依 秀市(のより ひでいち、1885年(明治18年)7月19日 - 1968年(昭和43年)3月31日)は、日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家、政治家。本名同じ。旧名義は野依 秀一(のより しゅういち)。筆名は不屈生。 明治・大正・昭和の3つの時代にわたって活動し、雑誌『実業之世界』、日刊紙『帝都日日新聞』、仏教雑誌『真宗の世界』等を創刊・運営した。また、「右翼ジャーナリスト」、「言論ギャング」、「ブラック・ジャーナリズムの祖」等の異名を持った。敗戦後のGHQ検閲(プレスコード)による没収図書は個人では断トツであり、表の言論史では抹殺された存在である。慶應義塾で机を並べた石山賢吉とは表と裏の関係になった。
野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年〈明治8年〉12… 野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年〈明治8年〉12月8日 - 1947年〈昭和22年〉7月13日)は、明治・大正・昭和前期の英詩人、小説家、評論家、俳句研究者。海外の文芸思潮の紹介に携わり、また海外に日本文化を紹介した。イサム・ノグチの父親。内田魯庵からノーベル文学賞の受賞を待望された。 愛知県海部郡津島町(現・津島市)生まれ。雑貨店を営む父・傳兵衛、母・久己(くわ)の四男として生まれた。10歳で英語を学び始める。 1888年(明治21年)生家を離れ名古屋で英学を学び、ユニオン第四読本、スマイルズ著『自助論』を学ぶ。1889年(明治22年)愛知県尋常中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)に入学し、ザ・セカンド・ナショナル読本を学ぶも、1890年(明治23年)2月退学し、四日市から海路で上京、伯父である鵜飼大俊和尚旧居である芝・増上寺の通元院に寄寓し、のち現在の銀座に当たる京橋にあった長兄野口秀之助の知人である磯長宅に寄寓。
坂本 紅蓮洞(さかもと ぐれんどう、1866年(慶応2年)9… 坂本 紅蓮洞(さかもと ぐれんどう、1866年(慶応2年)9月?日 - 1925年(大正14年)12月16日)は、明治・大正期の文芸評論家、新聞記者、放浪生活者。本名は易徳。肩書きは「奇人」。のらりくらりと放浪生活に身をやつし、酒に酔っては毒舌を弄し、窮乏のうちに死んだ「文壇名物男」であった。 武蔵国江戸生まれ。旧小田原藩士の家系に生まれる。 慶應義塾に学ぶ。同期に福澤桃介がいた。明治21年(1888年)、部理財科[要校閲]を優秀な成績で卒業、その後、明治23年(1890年)に大学部の創設を期に文学科に入るが、女義太夫の竹本綾之助に夢中になり、勉学を疎かにしたために落第。立教中学の代用教員を務めるなど、「数学の天才」ぶりを発揮し色々な学校で教えるが、その授業が苛烈だったため数々の学校を追われ、新聞記者に転向。
梶原 英之(かじわら ひでゆき)は日本のジャーナリスト、 経… 梶原 英之(かじわら ひでゆき)は日本のジャーナリスト、 経済評論家。元毎日新聞記者。 経済記者として大蔵・金融・通商産業・経団連などの第一線を長年取材し、経済・政治に歴史的な視点も交えた研究、分析を行っている。
加藤 浩子(かとう ひろこ)は、日本の古典音楽評論家。 東京… 加藤 浩子(かとう ひろこ)は、日本の古典音楽評論家。 東京都生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾中等部、慶應義塾女子高等学校、慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。同大学院文学研究科博士課程満期退学(音楽学を専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてオーストリアのインスブルック大学に留学。オペラを中心にクラシック音楽についての評論、啓蒙書を著す。
杉江 弘(すぎえ ひろし)は、航空評論家、ノンフィクション作… 杉江 弘(すぎえ ひろし)は、航空評論家、ノンフィクション作家、鉄道・航空・山岳写真家、航空映画評論家。元日本航空パイロット。 長年日本航空で機長を務め、現役当時ジャンボジェット(ボーイング747)の乗務時間において世界最長の記録を保持していた。 愛知県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、日本航空に入社し操縦士となる。DC-8、ボーイング747、エンブラエルE170などに乗務し、首相フライトなど政府要請による特別便の操縦も経験した。 ボーイング747の飛行時間では14,051時間(機長としては12,007時間)を記録し、2011年(平成23年)にボーイング社よりそれを記念してジャンボ機の設計者であるジョー・サッターのサイン入りのモデルプレーンを贈られ表彰を受ける。
田嶋 智太郎(たじま ともたろう)(1964年 - )は経済… 田嶋 智太郎(たじま ともたろう)(1964年 - )は経済評論家、金融ジャーナリスト。 1988年慶應義塾大学卒業後、国際証券(現・三菱UFJ証券ホールディングス)勤務を経て転身。主に金融・経済全般から戦略的な企業経営、ひいては個人の資産形成、資金運用まで幅広い範囲を分析・研究する。株式会社アルフィナンツ代表。民間企業や金融機関、新聞社、自治体、各種商工団体等の主催する講演会、セミナー、研修等の講師を務める。 2011年1月、有料メルマガ配信サービス「foomii」より、有料メルマガ「FX&CFDで勝つ! 田嶋智太郎の投資レポート」を配信すると発表した。
松本 晴子(まつもと はるこ)は日本の小説家、美術評論家。 … 松本 晴子(まつもと はるこ)は日本の小説家、美術評論家。 美術、映像、建築をテーマに評論活動を行う。1998年3月慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。1997年、文学部3年次に初投稿した小説『BONES』で第4回三田文学新人賞を受賞。その後、創作・評論活動を続ける。2008年~2009年文化庁派遣芸術家在外研修員としてフランスで研修。パリ第12大学パリ都市計画研究所修士課程修了。フランス国立社会科学高等研究院博士課程在籍。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
吉岡 正晴(よしおか まさはる、1955年 - )は、日本の… 吉岡 正晴(よしおか まさはる、1955年 - )は、日本の音楽評論家、翻訳家、DJ。ブラックミュージックに詳しい。 1955年に東京で生まれ、1978年に慶應義塾大学商学部を卒業する。高校在学時から特にブラック・ミュージックに興味を持ち、大学生で桜井ユタカが主宰する 『ソウル・オン』誌に執筆を始め、以後各音楽誌・紙、ライナーノーツ、一般雑誌で寄稿を始める。 1973年にアーリーバード・レコーズを設立して1980年までソウル・レコードをアメリカから輸入して販売し、音楽と音楽ビジネスを経験する。1973年から六本木のソウル・ディスコ「エンバシー」、赤坂「マンハッタン」、西麻布「トミーズ・ハウス」、自由が丘「エスピガ」などでDJとして活動する。