近 裕崇(こん ひろたか、1988年3月9日 - )は、日本… 近 裕崇(こん ひろたか、1988年3月9日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 新潟県岩船郡関川村出身。新潟県立村上高等学校に入学してバレーボールを始めた。東海大学へ進学。2009年全日本インカレでブロック賞を獲得し、東海大学バレーボール部3年ぶりの全日本インカレ優勝とシーズン5冠達成を経験した。 大学在学中の2009年に豊田合成トレフェルサの内定選手になり、2010年に入団した。 2012/13シーズンではアタック決定率58.2%を記録し、スパイク賞及びベスト6に輝いた。 2025年3月、2024-25シーズン限りでの現役引退が発表された。6月24日に引退選手として公示。
深津 旭弘(ふかつ あきひろ、1987年7月23日 - )は… 深津 旭弘(ふかつ あきひろ、1987年7月23日 - )は、日本の男子バレーボール選手。 先生の勧誘で小学5年次よりバレーボールを始めた。バレーボール一家に育ち、弟の貴之、英臣もバレーボール選手。愛知・星城高校時代に春高バレー、国体に出場しいずれも3位入賞。 高校卒業後に進学した東海大学では司令塔を務めるとともにキャプテンとしてチームを牽引し、2009年に東海大学バレーボール部創部初のシーズン5冠達成を経験。全日本インカレで最優秀選手賞とセッター賞を受賞した。同年12月にJTサンダーズ(現・広島サンダーズ)の内定選手となった。 大学卒業後の2010年4月、JTに入団。2010年度全日本代表登録メンバーに選出され、第22回アジア太平洋カップ福岡国際男子バレーボール大会に出場し優勝した。
加藤 伊織(かとう いおり、1987年4月28日 - )は、… 加藤 伊織(かとう いおり、1987年4月28日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 北海道札幌市出身。北海道札幌北陵高等学校を卒業後、東海大学へ進学。大学在学中の2009年に豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)の内定選手になった。2010年に入団。 2017/18シーズンから地元北海道に新設されたヴォレアス北海道に移籍した。 2022年、2021-22シーズン終了をもって現役引退した。引退後はヴォレアスのスタッフとして活動する。 2024年、前任の降旗雄平から引き継ぎチームのゼネラルマネージャーに就任した。
清水 邦広(しみず くにひろ、1986年8月11日 - )は… 清水 邦広(しみず くにひろ、1986年8月11日 - )は、日本の男子バレーボール選手。元日本代表。 福井県足羽郡美山町(現在の福井市)出身。ママさんバレーをしていた母親の影響で、上宇坂小学校4年(上宇坂スポーツ少年団)よりバレーボールを始める。福井工業大学附属福井高等学校を経て、東海大学に進学。 2007年、大学在学中の20歳で、全日本代表オポジットに選出。2007年ワールドリーグ東京大会に緊急招集され、翌日の試合でいきなり代表デビューを飾った。2007年ワールドカップでは、初戦の勝利に貢献するなど活躍した。12月16日に青山記念体育館で行われた全日本インカレ大会では、全日本監督の植田辰哉が駆けつけて激励の演説をした。
塚崎 祐平(つかざき ゆうへい、1986年7月11日 - )… 塚崎 祐平(つかざき ゆうへい、1986年7月11日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 北海道恵庭市出身。東海大学付属第四高等学校時代、2004年高校3年時に春高バレーでベスト4入り。同年に全日本ジュニアに選ばれている。 高校を卒業後、2005年に東海大学へ進学する。同期生に清水邦広。1年時から試合に出て、全日本インカレでは2005年から3年連続で決勝進出し2006年には優勝に輝く。2008年4年時には清水が全日本選出のため不在の中、チームリーダーとして活躍した。 2009年2月からJTサンダーズに加入した。同期入団に國近公太。2010年には全日本登録メンバーに選ばれた。 2018/19シーズンをもってJTを退団。
林 弘美(はやし ひろみ、1985年3月23日 - )は、日… 林 弘美(はやし ひろみ、1985年3月23日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
金子 隆行(かねこ たかゆき、1984年8月27日 - )は… 金子 隆行(かねこ たかゆき、1984年8月27日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、ポジションはアウトサイドヒッター。現指導者。 埼玉県さいたま市出身。実姉の影響で、和土小学2年(岩槻ジュニアクラブ)よりバレーボールを始める。深谷高校から東海大学へ進学し、2005年ユニバーシアード準優勝などを経験。2005年ワールドリーグの出場登録者候補になったが代表入りできなかった。 大学卒業後の2007年4月にNECブルーロケッツに入団。5月の第56回黒鷲旗大会優勝に貢献し、若鷲賞(最優秀新人賞)受賞とベスト6に選出された。 2009年5月のNECの無期限休部に伴い、8月にサントリーサンバーズに移籍。
後藤 幸樹(ごとう こうき、1984年7月31日 - )は、… 後藤 幸樹(ごとう こうき、1984年7月31日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 宮城県大崎市出身。東北高校時代から全国規模の大会で活躍、2001年2年次にはインターハイ3位・国体準優勝、2002年3年次には春高バレー優勝・インターハイ優勝・国体準優勝、春高バレーではベストリベロ賞も受賞した。進学した東海大でも数々の栄光に輝き、2006年の東西インカレ王座決定戦ではベストリベロ賞を受賞した。 2007年、日本たばこ産業(JT)に入社し、JTサンダーズに入部した。当初は酒井大祐の控えだった。2008年11月、酒井が右膝外側半月板を損傷し離脱したため、2008/09年シーズンのレギュラーを獲得した。
富松 崇彰(とみまつ たかあき、1984年7月20日 - )… 富松 崇彰(とみまつ たかあき、1984年7月20日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 宮城県大崎市出身。実兄の影響で小学3年次から三本木スポーツ少年団でバレーボールを始める。 東海大学時代に、サイドアタッカーからセンターへポジションを転向。大学在学中の2006/07 V・プレミアリーグでは、東レアローズの内定選手として出場し、新人賞、ブロック賞、ベスト6を受賞した。大学卒業後の2007年に東レへ入団した。 2007年、全日本代表入りし、同年のワールドカップに出場。2009年ワールドグランドチャンピオンズカップではレギュラーで出場し、銅メダルを獲得した。 2010年、Vプレミアリーグで3年ぶり2回目のブロック賞を獲得。
高橋 和人(たかはし かずと、1984年6月12日 - )は… 高橋 和人(たかはし かずと、1984年6月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 山形県山形市出身。家族の影響で、山形東小学3年(山形市東小スポーツ少年団)よりバレーボールを始める。 山形中央高校を卒業後、東海大学へ進学。大学卒業後の2007年に豊田合成トレフェルサへ入団した。 2010年、全日本代表メンバーに初選出された。 2011年、豊田合成トレフェルサを退団し、同年9月に大分三好ヴァイセアドラーに移籍。 2013年5月、大分三好を退団し、ジェイテクトSTINGSに移籍した。2017年5月に現役引退。 2017年8月、日立リヴァーレのコーチに就任。2019年に退団。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。
王 金剛(おう こんごう、1984年5月12日 - )は、中… 王 金剛(おう こんごう、1984年5月12日 - )は、中国遼寧省大連市出身の元男子バレーボール選手。 ポジションはセッター。Vプレミアリーグの東レ・アローズに所属していた。 中学2年の時にサッカーを始めたが、ゴールキーパーをやるのが嫌で走るのも苦手だったためバレーボールに転向。中国では中学2年生で身長192cmは小柄だったことから、ポジションがセッターになった。 高校入学で中国から来日し、高岡第一高校を経て東海大学へ進学。大学ではインカレ優勝に貢献しセッター賞を受賞した。大学在学中の2007年に東レ・アローズの内定選手となるも、外国人選手登録は1名というVリーグ機構の規定により登録外入部となった。
佐藤 和哉(さとう かずや、1984年4月22日 - )は、… 佐藤 和哉(さとう かずや、1984年4月22日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 宮城県栗原市出身。ジュニア代表として2002年のアジアジュニアに出場。東北高校から東海大学へ進学し、大学卒業後の2007年にVプレミアリーグの豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)に入団した。チームではミドルブロッカーを務め、2011-12シーズンをもって現役引退し、コーチに就任した。現在はスタッフを担当している。
山内 隆宏(やまうち たかひろ、1984年2月1日 - )は… 山内 隆宏(やまうち たかひろ、1984年2月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 東海大四高校を経て、東海大学へ進学。大学では主将を務め、インカレで敢闘選手賞を獲得。2005年のユニバーシアード、アジアチャレンジカップに出場した。 大学卒業後の2006年にFC東京へ入団し、第8回V1リーグで新人賞を獲得した。 2012年現役を引退し、アシスタントコーチに就任。アシスタントコーチを1シーズン務めて退団した。 現在は北海高等学校で男子バレーボール部の顧問として指導している。
枩田 優介(まつた ゆうすけ、1982年10月31日 - )… 枩田 優介(まつた ゆうすけ、1982年10月31日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 福井県福井市出身。越廼中学1年のときにバレーボールをはじめる。 全日本ジュニア代表、ユニバーシアード代表などを経験し、東海大在学中の2001年にワールドグランドチャンピオンズカップで全日本入り。2004年にパナソニックパンサーズの内定選手になり、2005年入団。10シーズンプレーした。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Pバレーボール/PJバレーボール)。
鈴木 健太(すずき けんた、男性、1982年9月13日 - … 鈴木 健太(すずき けんた、男性、1982年9月13日 - )は、日本の元バレーボール選手。宮城県亘理郡亘理町出身。ポジションはミドルブロッカー。 東北高校を卒業後、東海大学へ進学。2003年東西インカレでブロック賞、2004年東日本インカレで最優秀選手賞を受賞した。ユース代表としてアジアユースに出場し、2005年のユニバーシアードで準優勝を経験した。 大学卒業後の2005年4月、NECブルーロケッツに入団。2005年の全日本代表登録メンバーにも選出された。 2009年5月、NECの無期限活動停止による廃部に伴い、現役を引退した。
及川 英香(おいかわ えいか、1981年12月20日 - )… 及川 英香(おいかわ えいか、1981年12月20日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 岩手県一関市出身。母親がバレーボールをしていたのがきっかけで中学1年生からバレーボールを始める。岩手県立花巻南高等学校、東海大学を経て、2004年、当時V1リーグだったトヨタ車体に入団。2006年のVリーグ (現・プレミアリーグ)昇格に貢献した。 プレミアリーグ昇格後も闘志あふれるプレーでチームを鼓舞した。2008年夏、故障を理由にチームを一度退部しながら、葛和伸元監督の要望も有って復帰。1シーズンプレーした後の2009年6月、トヨタ車体クインシーズを退部し、現役引退。
酒井 大祐(さかい だいすけ、1981年10月22日 - )… 酒井 大祐(さかい だいすけ、1981年10月22日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者である。 福島県原町市(現南相馬市)出身。実姉の影響で石神二小学2年よりバレーボールを始めた。その後石神中、相馬高と進学し、エースとして活躍する。2000年東海大へ進学し、リベロに転向する。大学の同期に阿部裕太。全日本インカレでは2003年に優勝、2001年、2002年に準優勝、2000年3位に貢献した。 2004年、日本たばこ産業(JT)に入社、JTサンダーズに入団。同期に町野仁志、飯塚俊彦。全日本代表に選出され、2004年ワールドリーグに出場したものの、アテネ五輪代表からは落選した。同年、第53回黒鷲旗選抜大会でベストリベロ賞を受賞した。
阿部 裕太(あべ ゆうた、1981年8月8日 - )は、日本… 阿部 裕太(あべ ゆうた、1981年8月8日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 家族の影響で、大島中学1年よりバレーボールを始める。 2001年、東海大学在学中の19歳の時に日本代表入りを果たし、同年のワールドグランドチャンピオンズカップ(グラチャン)で代表デビュー。 全日本史上最高身長のセッターとして期待されたが、同じセッターの宇佐美大輔・朝長孝介の存在により、日本代表から漏れることもあった。 2004年、東レアローズに入団。2012年6月、東レを退団しサントリーサンバーズに移籍した。 2017年4月24日、黒鷲旗大会をもってサントリーを退団し、コーチ兼任として東レに復帰した。
飯塚 俊彦(いいづか としひこ、1981年5月19日 - )… 飯塚 俊彦(いいづか としひこ、1981年5月19日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 新潟県新潟市出身。新潟市立上山中学校入学後、バレーボールを始める。親の転勤に伴い埼玉県に引越し、名門埼玉県立深谷高等学校へ入学する。同級生に、柴田恭平ら。 2000年、東海大学へ進学。同期に酒井大祐ら。同年1年次から大学選抜に選ばれ、同年アジアジュニア選手権4位入賞、翌2001年ジュニア世界選手権にも出場した。2003年4年次にはユニバーシアードに出場し、準優勝。同年の黒鷲旗ではベスト6に選出される。 2004年、JTサンダーズへ入団。同期に酒井、町野仁志。外国人や直弘龍治、内冨寛法の前になかなか出場できなかった。
北原 勉(きたはら つとむ、1980年6月11日 - )は、… 北原 勉(きたはら つとむ、1980年6月11日 - )は、日本のバレーボール指導者。 東京都あきる野市出身。 東海大学菅生高等学校から東海大学体育学部に進学。大学3年生まで選手として活動し、4年生で学生コーチとなった。 大学卒業後、青年海外協力隊に参加。エチオピアに派遣され、ジュニア代表コーチを経て代表チームの監督を務めた。 帰国後は日本オリンピック委員会に所属し、ナショナルトレーニングセンターの立ち上げに携わる。 2010年、JTマーヴェラスのコーチに就任。 2015年、新設実業団チームのプレステージ・インターナショナルアランマーレ(アランマーレ山形)の監督に就任した。同年Vリーグに準加盟し、V・チャレンジリーグIIに参入。
三枝 大地(さえぐさ だいち、1980年3月7日 - )は、… 三枝 大地(さえぐさ だいち、1980年3月7日 - )は、日本のバレーボール指導者である。 兵庫県加西市出身。加西市立北条中学校でバレーボールを始める。 兵庫県立北条高等学校卒業後、一浪を経て一般入試で東海大学体育学部体育学科に進学。バレーボール部は推薦入学者のみ入部可能であったが、監督に頼み込んで入部を認められた。大学3年生でマネージャーに転向。 2003年に大学を卒業。運送会社に就職したが、入社年の夏に青年海外協力隊のバックアップとして2週間ニジェールでバレーボールの指導を行う。 2005年に退職し、青年海外協力隊隊員としてチリのバルディビアに赴任。アウストラル大学(スペイン語版)の監督として指導しながら、クラブチームを結成し選手として全国大会で優勝を経験。
宇佐美 大輔(うさみ だいすけ、1979年3月29日 - )… 宇佐美 大輔(うさみ だいすけ、1979年3月29日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 秋田県横手市出身。沼館小学校時代はミニバスケットボールをしていた。当時から身体能力が高く、5年生ながらレギュラーに定着していた。同じチームの1つ上の学年には元トヨタアルバルクの半田圭史がいた。父(秋田県立雄物川高等学校元校長)の勧めでバレーボール(十文字クラブ)を始める。 高校時代まではアタッカーをしていたが、東海大学時代から本格的にセッターを始める。2001年に全日本代表に初選出され、大学卒業後の2002年にNECブルーロケッツへ入団した。 現役時代は抜群の身体能力を生かしたトスワークが特徴であった。
浅倉 勇(あさくら いさむ、1977年12月10日 - )は… 浅倉 勇(あさくら いさむ、1977年12月10日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 大阪府東大阪市出身。学生時代にユニバーシアード、アジアジュニアに出場し、全日本代表に初選出。東海大学卒業後に松下電器・パナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)に入団した。 2002年に全日本代表に再選出され、2002年ワールドリーグに出場。 2004年にNECブルーロケッツに移籍し、2008年に現役を引退した。 2023年にゼネラルマネージャー補佐としてパンサーズに復帰。 2025年1月、大阪ブルテオンのゼネラルマネージャーに就任した。
大村 悟(おおむら さとる、1977年7月28日 - )は、… 大村 悟(おおむら さとる、1977年7月28日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 小学校1年生よりバレーボールを始める。東北高校を経て、東海大学時代に秋季リーグで優勝を経験。大学卒業後の2000年4月にNECブルーロケッツに入部した。NECでは長年チームの主将を務めた。 2007年の第56回黒鷲旗大会ではチームを優勝へと導き、黒鷲賞(最高殊勲選手賞)受賞とベスト6に選出された。 2008年5月、現役引退。同年6月、NECレッドロケッツのコーチに就任した。 2017年、2016/17シーズン終了をもってNECのコーチを退任。退任後は社業に専念。 2024年、2023-24 V1女子のリーグ戦途中でデンソーエアリービーズのコーチに就任した。
白鳥 勝浩(しらとり かつひろ、1976年10月29日 - … 白鳥 勝浩(しらとり かつひろ、1976年10月29日 - )は、日本の元ビーチバレーボール選手、元インドアバレーボール選手。現在は、ビーチバレー日本代表の女子監督を経て、2013年夏からビーチバレーボール評議会評議会委員 強化委員長。 日本ビーチバレーボール選手会初代会長。 東京都大田区出身。中学時代からバレーボールを始め、バレーボールの名門、東亜学園高等学校で春の高校バレーで準優勝とインターハイで全国3位を経験した。また東海大学では全日本インカレで準優勝するなど活躍した。卒業後はビーチバレー選手として活躍、オリンピック3大会(北京、ロンドン、東京)でビーチバレー日本代表。 日本バレーボール協会ビーチバレーの強化委員長兼女子代表監督を務めたが、2014年12月に職を辞し現役復帰が発表された。
山田 晃豊(やまだ あきのり、1976年2月20日 - )は… 山田 晃豊(やまだ あきのり、1976年2月20日 - )は、バレーボール指導者。北海道江別市出身。2018年までV・プレミアリーグのNECレッドロケッツ監督を務めた。 東海大四高校、東海大学を経る。全日本インカレにて優勝1回経験している。 1998年にNECレッドロケッツのコーチに就任。2001年に全日本女子のコーチに就任。2003年にNECのコーチに復帰する。2004年に、日本オリンピック委員会のスポーツ指導者海外研修員として、イタリアのナショナルチームやセリエAを中心に視察、コーチングの研修。1年後もNECのコーチを継続し、2008年5月に吉川正博の退任を受け、監督に昇格。 2018年6月、NECは山田の監督勇退を発表した。
藤井 壮浩(ふじい まさひろ、1973年3月6日-)は日本の… 藤井 壮浩(ふじい まさひろ、1973年3月6日-)は日本の元男子バレーボール選手、指導者。現在、東海大学体育学部教授、同大学女子バレーボール部監督。 宮城県桃生郡雄勝町(現石巻市)出身。中学1年生よりバレーボールを始める。 1990年、第21回春高バレーにおいて、東北高校のエースとして準優勝に大きく貢献。 東海大学進学後、1993年・1994年の全日本インカレ連覇に貢献し、1995年Vリーグ(当時)のNECブルーロケッツに入団。 NEC時代のVリーグでは、1996年第2回Vリーグ優勝、1999年第5回Vリーグ優勝などに貢献し、2002年現役引退。 現役引退後は指導者として、2008年より東海大学女子バレーボール部監督となり同年全日本インカレ準優勝、2010年の同大会準優勝。
平野 信孝(ひらの のぶたか、1972年12月5日 - )は… 平野 信孝(ひらの のぶたか、1972年12月5日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 愛知県海部郡七宝町(現在のあま市)出身。七宝中学1年次から家族の影響でバレーを始める。美和高校から東海大学へと進学する。学生時代に世界ユース、世界ジュニア、アジアジュニアを経験した。 1995年4月、日本たばこ産業(JT)入社、JTサンダーズへ入団した。同年度の第1回Vリーグで新人賞、同年度の黒鷲旗では若鷲賞を獲得した。以降JTのエースとして活躍していく。 一方全日本代表では1996年から選抜され、1998年世界選手権、1999年ワールドカップに出場した。 2006-07シーズンに10シーズン230試合以上出場達成し、JTでは初となるVリーグ栄誉賞を受賞した。
本多 洋(ほんだ ひろし、1971年6月26日 - )は、日… 本多 洋(ほんだ ひろし、1971年6月26日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 現崇徳高等学校バレーボール部監督。 広島県広島市出身。崇徳高校、東海大学出身。1993年大学4年次にはキャプテンを務め、大学四冠を達成した。 1994年4月、日本たばこ産業(JT)入社、JTサンダーズへ入団した。オールラウンダーなエースとして活躍するも、肩の故障の影響から1999年に引退、その後は社業に専念していた。 その後退社し、崇徳高校教諭へ転身し、同校バレー部を指導している。2012年には全日本男子ユース代表監督に就任しアジアユース3位、翌2013年ユース世界選手権出場を獲得した。
成田 貴志(なりた たかし、1969年10月6日 - )は、… 成田 貴志(なりた たかし、1969年10月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手(全日本代表)。身長185cm、体重75kg。北海道登別市出身。ポジションはセッター。 現在、熊本県・鎮西高校女子バレー部の監督を務めている。また、2020年よりアルテミス北海道のGMを務める。
南 由紀夫(みなみ ゆきお、1969年4月3日 - )は、日… 南 由紀夫(みなみ ゆきお、1969年4月3日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。 北海道出身。東海大四高校時代、成田貴志・清水克彦らと共に春の高校バレーで2年連続決勝進出、1987年の第18回大会では同校史上初めての優勝を果たす。 1992年、富士フイルムに入社。身長は190センチに満たずセンタープレーヤーとしては小柄であったが、サウスポーから繰り出される速攻を武器に活躍。高校時代から一緒にプレーしてきたセッター・成田貴志との多彩なコンビネーションも、外国人選手を採用せずに戦う富士フイルムにとって大きな武器となった。2001年、現役を引退し、社業に専念。引退後は社業の傍らでバレーボール教室等の普及活動にも努めている。
泉水 智(せんすい さとし、1967年2月8日 - )は、日… 泉水 智(せんすい さとし、1967年2月8日 - )は、日本の元バレーボール選手(全日本代表)。 県立君津高校から東海大学工学部通信工学科を経て1989年に日本電気に入社、NECブルーロケッツでの背番号は11。入社年度の日本リーグでは新人賞とベスト6を受賞。その後、日本リーグ、Vリーグ通算して4回、黒鷲旗では5回の日本一に輝いた。1993年からは主将を務め、1999年現役を引退するまでの10年間、チームを支え続けた。 引退後は社業の傍ら、春高バレーコーチングキャラバンや小学生と大学生チームのコーチを務めた。 2019年、創部3年目で高校総体(インターハイ)に出場する都城東高等学校の監督を務め、留学生であるアライン・デ・アルマスを指導した。
石原 昭久(いしはら あきひさ、1966年2月10日 - )… 石原 昭久(いしはら あきひさ、1966年2月10日 - )は、日本のバレーボール指導者。 埼玉県新座市出身。練馬区立大泉学園中学校、関東高(現・聖徳学園高)、東海大学を経る。 1990年にイトーヨーカドープリオールのコーチに就任。1995年にはペルー共和国のユース代表監督に就任。 2000年にイトーヨーカドーの監督に就任し、第49回黒鷲旗大会準優勝に導く。2001年の武富士バンブーへの全体移籍後も監督を続投し、Vリーグで上位争い・優勝争いに導く。2009年5月に廃部となるまで監督を務める。 2009年7月1日にJTマーヴェラスの監督に就任し、2010/11Vプレミアリーグ初優勝に導く。2013年5月退任。
杉山 明美(すぎやま あけみ、1965年3月1日 - )は、… 杉山 明美(すぎやま あけみ、1965年3月1日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、スポーツコメンテーター、ヘルスコーディネーター。 神奈川県平塚市出身。中学時代にバレーボールを始め、神奈川県立五領ヶ台高等学校で頭角を現した。 東海大学時代の1985年、神戸ユニバーシアード優勝、関東大学1部春季リーグ優勝に貢献。 1987年日本電気に入社し、1年目からレギュラー獲得。第21回日本リーグではスパイク賞を獲得した。1988年全日本に初選出。同年開催のソウル五輪に出場。 1997年第3回Vリーグ優勝を最後に現役引退。1998年まで後進の指導などに当たり、その後社業専念。2001年退社。 現在は日本放送協会のプレミアリーグ中継解説者、分子整合栄養医学管理士として栄養療法のヘルスコーディネーターとして活動。
楊 成太(よう せいた、양 성태、ヤン・ソンテ、1965年2… 楊 成太(よう せいた、양 성태、ヤン・ソンテ、1965年2月24日 - )は、兵庫県出身の元バレーボール選手、バレーボール指導者である。 兵庫県尼崎市出身。神戸朝鮮高級学校を経て東海大学に進学。昭和61年度秋季リーグ戦やインカレで優勝。 卒業後の1987年に日本電気に入社。1989年からは主将を務め、チームを支えた。1991年度の第25回日本リーグではチームの初優勝に大きく貢献し、最高殊勲選手賞に輝いた。また、1996年度の第3回Vリーグではベスト6に選ばれた。 ビーチバレージャパンでは日本電気(同期入社)の金子敏和と組み、第5回準優勝、第7, 9回優勝。 2000年現役引退。コーチに転じる。
吉川 正博(よしかわ まさひろ、1963年1月21日 - )… 吉川 正博(よしかわ まさひろ、1963年1月21日 - )は、日本のバレーボール元選手・指導者。神奈川県出身。元バレーボール全日本女子監督。 中学校からバレーボールを始める。藤沢商業高等学校(現:藤沢翔陵高等学校)から東海大学を経て、1985年にNEC入社。全日本ジュニア、アトランタ五輪のバレーコーチを経て、1997年にはNECレッドロケッツの監督に就任。同年開催の全日本選手権ではチームを初優勝へと導いた。 2001年、葛和伸元の後任として全日本女子バレーボールチーム監督に就任する。同年開催のグラチャンバレーで銅メダルを獲得した。しかし、続くアジア選手権では中国、韓国に及ばず3位決定戦で地元のタイに敗れ、日本女子バレー史上初のアジア選手権メダル無しという結果に終わった。
奥野 浩昭(おくの ひろあき、1960年9月23日 - 20… 奥野 浩昭(おくの ひろあき、1960年9月23日 - 2018年12月11日)は、元男子バレーボール選手である。
宮下 直樹(みやした なおき、1956年11月22日 - )… 宮下 直樹(みやした なおき、1956年11月22日 - )は、日本のバレーボール指導者である。神奈川県川崎市出身。 1975年、東海大学男子バレーボール部に入部し、セッター・レシーバーでプレーし、副将も経験する。 1979年に朝日生命男子バレーボール部に入団し、同社バレーボール教室専任講師にも就任。選手としては1986年までセッターでプレーする。女子バレーボール部のコーチ及び監督に就任し、2000年まで務めた。1996年に同社バレーボール教室の校長に就任し、2001年まで務めた。 2001年には、カナダ女子代表コーチに就任。2006年に監督に昇格し、2008年まで務めた。(コーチ時代は、カナダウィニペグ大学女子バレーボールチーム及び、ウィニペグ大学ジュニアクラブチームメントールコーチも務める) 2008年に武富士バンブーのコーチに就任。
横田 紗椰香 は、日本の女子バレーボール選手である。
小口 樹葉 は、日本の女子バレーボール選手である。
近江 あかり は、日本の元女子バレーボール選手。