伊志嶺 翔大(いしみね しょうた、1988年5月12日 - … 伊志嶺 翔大(いしみね しょうた、1988年5月12日 - )は、沖縄県平良市(現・宮古島市)出身出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は千葉ロッテマリーンズに所属。
東海大学:119人
伊志嶺 翔大(いしみね しょうた、1988年5月12日 - … 伊志嶺 翔大(いしみね しょうた、1988年5月12日 - )は、沖縄県平良市(現・宮古島市)出身出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は千葉ロッテマリーンズに所属。
佐藤 達也(さとう たつや、1986年7月26日 - )は、… 佐藤 達也(さとう たつや、1986年7月26日 - )は、埼玉県大宮市(現:さいたま市西区)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。愛称は「サトタツ」、「ピン」。 さいたま市(入学当時は大宮市)立指扇中学校で、外野手として野球を始める。野球を始めた理由は「中学校にバスケ部がなかったから」だという。埼玉県立大宮武蔵野高等学校に進学後に投手に転向した。3年時の夏は埼玉県予選2回戦で敗退。 高校卒業後は、北海道学生野球連盟に加盟する北海道東海大学(現・東海大学北海道キャンパス)に進学。3年時の秋にはエースとなり、10試合で6勝を挙げ、同校5年ぶりの優勝に貢献。最優秀投手賞とベストナインを獲得した。4年時は春に腰痛と股関節痛を発症し、春と秋合わせて4勝に留まった。
岩﨑 恭平(いわさき きょうへい、1986年4月4日 - )… 岩﨑 恭平(いわさき きょうへい、1986年4月4日 - )は、神奈川県厚木市出身のオリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(内野手)。愛称はプリンス(東海大時代に同級生から付けられたあだ名)。
岩﨑 恭平(いわさき きょうへい、1986年4月4日 - )… 岩﨑 恭平(いわさき きょうへい、1986年4月4日 - )は、神奈川県厚木市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。愛称は東海大学の同級生から付けられたという「プリンス」。 東海大学付属相模高校から東海大学へ進学。大学時代には、首都大学野球のリーグ戦通算で69試合に出場すると、打率.333(234打数78安打)、4本塁打、31打点という成績を残した。また、三塁手としてリーグのベストナインに2回選出。3・4年時には、春季リーグ戦の優勝を経て、全日本大学野球選手権で準優勝を経験した。 2008年のNPBドラフト会議で、中日ドラゴンズから3巡目で指名。契約金6,500万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で入団した。
小林 敦(こばやし あつし、1986年2月24日 - )は、… 小林 敦(こばやし あつし、1986年2月24日 - )は、静岡県島田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 東海大翔洋中学校時代は2年次に三塁手として第16回全日本少年軟式野球大会でベスト8。3年次からエース投手となる。その後東海大相模高に進学。2年秋からエースとして活躍し、3年夏は県大会ベスト4で敗退。甲子園の出場は叶わなかった。東海大学進学後は3年秋の4勝を挙げるも、4年時は不振だったこともありプロからの指名はなかった。 大学卒業後は七十七銀行に入行。1年目から日本選手権、東京スポニチ大会などで全国経験を果たす。第81回都市対抗野球東北2次予選では、第2代表決定戦の対TDK戦で3安打7奪三振無四球完封で敢闘賞を受賞した。
山中 浩史(やまなか ひろふみ、1985年9月9日 - )は… 山中 浩史(やまなか ひろふみ、1985年9月9日 - )は、熊本県天草市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 6歳年上の兄の影響で小学校3年生からソフトボールを始めると、新和中学校では軟式野球部に所属。当時はサイドスローだった。実家が和式便所でそれが足首の柔軟さに繋がっていると話している。 熊本市立必由館高等学校へ進学後、アンダースローへ転向した。エースナンバーを背負った3年の時には、第85回全国選手権に出場したが、故障の影響で熊本大会から登板の機会が少なかった。全国大会では、光星学院高校との初戦に救援で2イニングを無失点に抑えたが、チームは3対6というスコアで敗れた。 九州東海大学(現・東海大学九州キャンパス)へ進学後、3年の時にエースとして、九州地区大学野球トーナメントでのチームの春秋制覇に貢献。
金森 敬之(かなもり たかゆき、1985年7月24日 - )… 金森 敬之(かなもり たかゆき、1985年7月24日 - )は、大阪府藤井寺市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 中学生時代に所属していた、隣接する羽曳野市の「全羽曳野ボーイズ」ではダルビッシュ有の先輩だった。その後は東京都の東海大学菅生高校に進学。3年夏の全国高等学校野球選手権西東京大会では決勝で敗退し、甲子園出場は叶わなかったが145km/hの速球を投げ注目された。 2003年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから6巡目で指名された。入団交渉では当初難色を示していたが、交渉を重ねるにつれ態度が軟化していき、同年12月14日に仮契約を結んだ。 2004年、2005年のシーズンは一軍での登板はなかったが、2005年の秋季キャンプでは「ヒルマンチルドレン」として注目を浴び、2006年には二軍で防御率3.02で4セーブを挙げ、フレッシュオールスターゲームに出場した。
加治前 竜一(かじまえ りゅういち、1985年4月6日 - … 加治前 竜一(かじまえ りゅういち、1985年4月6日 - )は、奈良県橿原市出身の元プロ野球選手(外野手)。ニックネームは「カジ」。現在は社会人野球の三菱日立パワーシステムズに所属。
松井 宏次(まつい こうじ、1984年12月2日 - )は、… 松井 宏次(まつい こうじ、1984年12月2日 - )は、静岡県掛川市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・コーチ。NPBでは育成選手であった。 磐田農業高から東海大学へ進むが、控えに留まる。きらやか銀行に入るが、活動縮小により4ヶ月で退社。地元に戻り運転代行等の仕事に就いた。 2008年は、愛知県名古屋市に本拠地を置く社会人野球のクラブチームであるNAGOYA23でプレーした。 2009年に四国・九州アイランドリーグの長崎セインツに入団。初年度より俊足巧打の機動力を持つ内野手として定着し、長崎の前期優勝に貢献した。打率.308を記録してリーグのベストナイン(二塁手)にも選ばれている。 2009年プロ野球ドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスから育成ドラフト1位で指名され入団。
大松 尚逸(おおまつ しょういつ、1982年6月16日 - … 大松 尚逸(おおまつ しょういつ、1982年6月16日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属する石川県金沢市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。左投左打。
川﨑 雄介(かわさき ゆうすけ、1982年2月17日 - )… 川﨑 雄介(かわさき ゆうすけ、1982年2月17日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は千葉ロッテマリーンズの打撃投手。 宮崎県宮崎市出身。宮崎県立宮崎南高等学校時代は内野手兼投手。投手として目立った成績はなかったものの、3年時にはエースとして君臨し、登板しない時もパンチ力のある打撃で中軸打線に名を連ねるなど、攻守ともに主力選手であった。人柄は非常に明るく、後輩の面倒見も良かったという。九州東海大学(現東海大学九州キャンパス)時代も一時期内野手をしていたが、上級生になって投手に専念するものの、全国大会とは縁がなく目立った実績はなかった。 2004年に社会人野球のホンダ熊本に入社。
川﨑 雄介(かわさき ゆうすけ、1982年2月17日 - )… 川﨑 雄介(かわさき ゆうすけ、1982年2月17日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。
市川 貴之(いちかわ たかゆき、1981年1月19日 - )… 市川 貴之(いちかわ たかゆき、1981年1月19日 - )は、神奈川県出身のプロ野球審判員。袖番号は35。独立リーグの審判員経験者としては、初めてNPB一軍戦で球審を務めた人物である。 BCリーグ・信濃グランセローズに所属していた同名の元野球選手とは別人。 荏田高校、東海大学を卒業後、ジム・エバンス審判学校に所属。独立リーグ・四国アイランドリーグで審判員を担当し、2007年からプロ野球のセントラル・リーグ審判員となった。 近年の審判員が球審を務める際、大半の審判員はスロートガード一体型のマスクを使用しているが、市川はスロートガード装着型のマスクを使用している。なお、2016年シーズン以降は、黄色パッドのスロートガード一体型マスクを使用している。
市川 貴之(いちかわ たかゆき、1981年1月19日 - )… 市川 貴之(いちかわ たかゆき、1981年1月19日 - )は、神奈川県出身のプロ野球審判員。袖番号は35。
小林 正人(こばやし まさと、1980年8月21日 - )は… 小林 正人(こばやし まさと、1980年8月21日 - )は、群馬県吾妻郡嬬恋村出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。左投左打。 小学3年の時に野球を始める。桐生第一高等学校では、3年時に第80回全国高等学校野球選手権大会に群馬代表で出場。一回戦で高知の明徳義塾に5―6でサヨナラ負けした。1年下に翌夏全国制覇を遂げる同じ左腕の正田樹がいた。その後、東海大学に進学する。首都大学リーグ通算11試合登板し4勝1敗。久保裕也(読売ジャイアンツ)の控えで4年春までは1試合しか登板できなかったが、大学4年の秋季リーグで4勝を挙げた。社会人野球入りを目指していたが入社が決まらず2002年のドラフト会議で中日ドラゴンズから6巡目指名を受けて入団した。
鞘師 智也(さやし ともや、1980年5月6日 - )は、大… 鞘師 智也(さやし ともや、1980年5月6日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は広島東洋カープのスカウト。
小田嶋 正邦(おだじま まさくに、1979年4月12日 - … 小田嶋 正邦(おだじま まさくに、1979年4月12日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手、指導者。 旧姓は郡田(こおりだ)。 相模原シニアから進学した東海大山形高校1年生の1995年、第77回全国選手権出場を果たす。1年秋は東北大会初戦敗退、2年秋は同大会ベスト8。3年夏は県大会決勝で延長11回サヨナラ負け。卒業後は東海大学へ進学。上級生になるまでは打撃を生かして一塁手、指名打者で出場した。3年秋に久保裕也とのバッテリーで明治神宮大会準優勝。4年時にも久保とのコンビで全日本大学野球選手権で優勝。首都大学リーグ通算71試合出場、272打数83安打、打率.305、5本塁打、61打点。1999年春季リーグ首位打者。
平野 恵一(ひらの けいいち、1979年4月7日 - )は、… 平野 恵一(ひらの けいいち、1979年4月7日 - )は、神奈川県川崎市多摩区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。現役引退後の2016年から、阪神タイガースでコーチを務める。
岡上 和典(おかがみ かずのり、1979年1月4日 - )は… 岡上 和典(おかがみ かずのり、1979年1月4日 - )は、福岡県古賀市出身の元プロ野球選手(内野手)。 九産大九州高では3年夏の県大会で4回戦敗退。 東海大では2年夏に右肩を痛めたが復帰までの間はノッカー、球拾いなど裏方役をこなした。1つ下の学年に同じくショートの平野恵一がいたため、外野手に転向し4年秋にレギュラーに定着して盗塁王を獲得、明治神宮大会で準優勝。 2000年ドラフト7位で広島東洋カープに入団した。 堅守と俊足は早い段階でプロでも通用し、2001年の後半には早くも代走要員として一軍出場を果たす。守備が不安定だった東出輝裕とショートのレギュラー獲得を争うが、打撃力が弱かったためスタメンの機会自体が多くなかった。
稲嶺 茂夫(いなみね しげお、1978年8月13日 - )は… 稲嶺 茂夫(いなみね しげお、1978年8月13日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、横浜DeNAベイスターズのスカウト。
長坂 秀樹(ながさか ひでき、1978年8月1日 - )は、… 長坂 秀樹(ながさか ひでき、1978年8月1日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)。愛称は「ヒデキ」、「小さな巨人」。引退後は少年野球の指導者を務める。 小学校2年の頃から野球を始める。小学生時代は内野手、中学生時代は捕手のポジションだった。東海大三高へ進学後に投手を始め、1996年の第78回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦で敗退するも同校の初出場に大きく貢献した。1997年、東海大学に進学し同大学野球部に所属。1年時から頭角を現し、2年時の全日本大学野球選手権大会決勝で4年二岡智宏擁する近畿大に3-4で惜敗したものの準優勝。しかし、監督の伊藤栄治と衝突し2年で野球部を退部する。
梶原 康司(かじわら こうじ、1978年4月20日 - )は… 梶原 康司(かじわら こうじ、1978年4月20日 - )は、宮崎県東臼杵郡門川町出身の元プロ野球選手(内野手)。
相川 良太(あいかわ りょうた、1977年1月18日 - )… 相川 良太(あいかわ りょうた、1977年1月18日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学3年生の時に野球を始め、中学時代は福岡中央シニアで遊撃手兼投手としてプレー。 暁星国際高等学校では1年から三塁手のレギュラーとなり、秋は県大会決勝で市立船橋高の小笠原孝を倒して優勝。3年の時は内野手兼投手としてプレーするが3年夏は5回戦で敗退し、甲子園出場はならなかった。 高校卒業後、首都大学野球連盟所属の東海大学へ進学。2年春には遊撃手のレギュラーとなり、秋には首位打者。4年春は大学選手権で準優勝。リーグ戦通算63試合出場、220打数69安打、打率.314、33打点。ベストナイン3回。
佐竹 学(さたけ まなぶ、1974年10月27日 - )は、… 佐竹 学(さたけ まなぶ、1974年10月27日 - )は、北海道札幌市手稲区出身の元プロ野球選手(外野手・内野手)、コーチ。右投右打。 小学生時代、札幌市手稲区にある富丘ベアーズで頭角を現す。札幌市立富丘小学校、東海大学第四高校中等部、東海大学付属第四高校と進む。東海大四高校では遊撃手としてプレーしたが3年夏は南北海道大会準決勝で敗退し甲子園には届かなかった。 東海大学へ進学し3季連続ベストナインに選ばれるなど活躍し、1996年の日米大学野球のメンバーにも選ばれた。首都大学リーグ通算61試合出場、233打数86安打、打率.369、40打点。ベストナイン3回(二塁手2、三塁手1)。 1997年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブに4位指名され入団。
森中 聖雄(もりなか まさお、1974年4月9日 - )は、… 森中 聖雄(もりなか まさお、1974年4月9日 - )は、静岡県三島市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
太田 充(おおた みつる、1973年 - )は、静岡県出身の… 太田 充(おおた みつる、1973年 - )は、静岡県出身の元野球選手(投手)で高校野球指導者。 東海大第一(現・東海大静岡翔洋)高校時代は主に投手と一塁手。東海大学へ進学し、準硬式野球部でプレーした。 現役引退後は教師になって高校野球の指導者を目指すため、採用があった島根に移り住んだ。 1996年、淞南学園(現・立正大淞南)のコーチとなり、部長を経て2007年に監督に就いた。 2009年夏、同校を初めて甲子園に導き、8強入り。2012年夏と合わせ、甲子園出場を2度果たした。 2022年、高校野球の発展や選手の育成に貢献した指導者を、日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する「育成功労賞」に、島根県から選ばれた。
大塚 晶文(おおつか あきのり、1972年1月13日 - )… 大塚 晶文(おおつか あきのり、1972年1月13日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。
後藤 隆之(ごとう たかゆき、1970年6月4日 - )は、… 後藤 隆之(ごとう たかゆき、1970年6月4日 - )は、元社会人野球選手(投手)。宮崎県延岡市出身。 小学校、中学校では、元福岡ダイエーホークスの柳田聖人とチームメイト(柳田が1つ先輩にあたる)。宮崎県立延岡高等学校から九州東海大学を経て、1993年に社会人野球の三菱重工長崎に入社。 2001年、第28回社会人野球日本選手権大会の優勝に貢献した。年齢に劣らず、10年連続で都市対抗野球に出場(補強選手として他チームからも参加)する実力を持つ。 2008年に現役を引退し、翌2009年からコーチとなった。2010年末に退団したが、監督として復帰し、2017年から統合された三菱日立パワーシステムズ(横浜市)へ選手と共に移籍し、第88回都市対抗野球大会でチームをベスト4に導いた。
土井 善和(どい よしかず、1969年11月26日 - )は… 土井 善和(どい よしかず、1969年11月26日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(投手)、元コーチ。 寝屋川市立第二中学校時代はバレーボール部に所属。 大阪市立桜宮高等学校では2年秋からベンチ入りし、後に中日ドラゴンズに入団する1年先輩の矢野輝弘とバッテリーを組む。3年夏は大阪府大会ベスト4。野球部の1年先輩に矢野の他、後に漫才コンビ・ベイブルースを結成する河本栄得・高山知浩がいた。 進学した東海大学では、4年秋に首都大学野球リーグで最優秀投手賞を受賞したほか、全日本大学野球選手権大会にも出場している。 大学卒業後の1992年に日本生命に入社。杉浦正則らと共に長年にわたって主戦としてチームを支えた。
加藤 高康(かとう たかやす、1969年6月7日 - )は、… 加藤 高康(かとう たかやす、1969年6月7日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。 東海大学では首都大学リーグで12試合登板し2勝2敗。NTT東北では2年目に補強選手として都市対抗野球に出場、秋の日本選手権では完投勝利でベスト4進出に貢献した。1993年のNPBドラフト会議前に、この年導入された逆指名制度を利用して千葉ロッテマリーンズを逆指名し、会議当日にロッテから1位で指名され交渉権を獲得。契約金1億6000万円、年俸1200万円(金額は推定)で入団した。この契約条件は同年時点で球界史上最強の契約条件であり、「大型左腕」「金田二世」「開幕即戦力」と高い期待をかけられた。 1994年に一軍デビューし、1完封を含む2勝を記録。
小島 圭市(こじま けいいち、1968年7月1日 - )は、… 小島 圭市(こじま けいいち、1968年7月1日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学4年の時に野球を始める。 東海大学高輪台高では3年夏の東東京大会ベスト8まで進出。 東海大学へ進学予定だったが、読売ジャイアンツの入団テストに合格し1986年オフにドラフト外で入団。 入団6年目の1992年。7月3日のヤクルト戦で1点ビハインドの3回から登板。その後に味方が逆転、9回までの7イニングを3失点(自責点1)に抑えてプロ初勝利をあげる。その後、7月8日の中日戦では、同点の6回表から2番手で登板。2イニングを2失点ながら味方の援護で2勝目。7月12日の広島戦ではプロ初先発。7回5失点だったが、味方打線が12得点と大量援護に守られ3勝目。
佐久間 浩一(さくま ひろかず、1967年10月11日 - … 佐久間 浩一(さくま ひろかず、1967年10月11日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 1996年から1997年までの登録名は佐久間 博千(読み同じ)。 東海大浦安高では4番を打った2年夏の県大会準優勝。3年春の1985年に選抜甲子園に出場。この大会では、3年KKコンビ擁するPL学園を筆頭に東海大浦安も優勝候補の一角に挙げられていたが、1回戦で優勝した3年渡辺智男投手擁する伊野商に1-5で敗退。佐久間は4打数1安打1三振に終わり、チームは散発6安打、佐久間のレフトへのタイムリーによる1点に抑えられた。高校卒業後の1986年、東海大学に進学し野球部に所属。首都大学リーグ戦では3年秋にベストナイン。
安藤 学(あんどう まなぶ、1967年5月29日 - )は、… 安藤 学(あんどう まなぶ、1967年5月29日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身の元プロ野球選手(外野手)。
関根 毅(せきね たけし、1966年10月6日 -)は、大阪… 関根 毅(せきね たけし、1966年10月6日 -)は、大阪府出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 修徳高から東海大学に進学。大学時代は1年秋からベストナイン(3回)、2年春に首位打者、MVPを獲得するなど活躍。1年次の明治神宮大会では初戦の東北福祉大学戦で1学年上の荻原満が好投するなかで逆転サヨナラ本塁打を放つ。大学では同期に若林弘泰、1学年下に佐久間浩一がいた。 1988年のプロ野球ドラフト会議にてヤクルトスワローズから5位で指名され入団。 一軍出場のないまま、1990年限りで現役を引退。 引退後はプロゴルファーに転身し、現在は東京都で関根毅ゴルフスクールを主催している。
若林 弘泰(わかばやし ひろやす 、1966年4月22日 -… 若林 弘泰(わかばやし ひろやす 、1966年4月22日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
伊藤 栄治(いとう えいじ、1966年 - )は、福島県郡山… 伊藤 栄治(いとう えいじ、1966年 - )は、福島県郡山市出身の野球指導者、体育学者。東海大学体育学部教授。 郡山高校時代には、夏の県大会ベスト4などの成績を残す。 東海大学に進学後、学生コーチとして野球部を支える。大学卒業後も大学職員として勤務しながら、監督の原貢の下で8年間コーチを務める。原が勇退した1997年から監督に就任し、14回のリーグ優勝に導く。2007年に監督を退任後も同校の体育学部准教授、教授を務めている。 学外では2014年12月に中学硬式野球チームの「湘南平塚北リトルシニア」を設立し、監督を務めている。
荻原 満(おぎわら みつる、1965年12月19日 - )は… 荻原 満(おぎわら みつる、1965年12月19日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 仙台商業高時代はエースで6番を打ち、1983年の3年次、夏の甲子園に出場した。3回戦に進むが宇部商業高の3年秋村謙宏(のち法大)に完封負けを喫する。 1984年に高校卒業後、東海大学へ進学し硬式野球部に入部。佐藤真一と同期であった。首都大学野球リーグでは在学中4回優勝(85春秋・86春・87春)。1985年秋季リーグでは最高殊勲選手、最優秀投手となる。リーグ通算48試合登板、28勝5敗、防御率1.61、ベストナイン2回受賞。 1987年春に左肘を手術したこともあり、同年オフにドラフト外で読売ジャイアンツに入団。
佐藤 真一(さとう しんいち、1965年8月7日 - )は北… 佐藤 真一(さとう しんいち、1965年8月7日 - )は北海道札幌市南区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 東海大学、たくぎんを経て27歳でプロ入りし、40歳まで現役選手としてプレーした。バルセロナオリンピック野球の銅メダリスト。現役引退後は東京ヤクルトスワローズ、オリックス・バファローズでコーチを務めた。 長男の佐藤竜彦はHonda硬式野球部に所属していた社会人野球選手。 小学2年の時に野球を始める。学生時代、勉学は常にトップクラスの成績だった。甲子園などの大舞台への出場はなかったが、野球部の中心選手として「文武両道」を地でいく活躍を見せ、東海大学付属第四高等学校時代には「松前賞」を受賞している。
松永 幸男(まつなが ゆきお、1965年7月15日 - )は… 松永 幸男(まつなが ゆきお、1965年7月15日 - )は、熊本県葦北郡芦北町出身の元プロ野球選手(投手)。 芦北高から九州東海大学(現・東海大学九州キャンパス)へ進学。在学中、4年連続で大学選手権に出場。同大学選手権では、1年時の1984年、第33回大会1回戦で準優勝した2年阿波野秀幸投手らの亜大に5-9で敗退。2年時の1985年、第34回大会準決勝で準優勝した森浩之捕手らの東洋大に0-1(延長10回)で惜敗したがベスト4進出に貢献した。4年時の1987年、第36回大会1回戦では4年新井富夫投手や3年野村謙二郎らの駒澤大に2-9で敗退した。 1988年に大学卒業後、社会人野球の三菱重工長崎に進む。
丹波 健二(たんば けんじ、1965年5月20日 - )は、… 丹波 健二(たんば けんじ、1965年5月20日 - )は、神奈川県川崎市高津区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 調布リトルに在籍し、同期には武田一浩らがいた。 1981年に日体荏原高に入学。2年次の1982年は、1学年先輩の今野隆裕投手(後にプロでも同僚)を擁しながらも夏の東東京大会の準々決勝で城西高に7-1のコールド勝ち寸前から7-10へのまさかの逆転負けを喫しベスト8止まり。3年次の1983年は、夏の東東京大会準々決勝で1学年下の山口重幸や森範行を擁する岩倉高に逆転負けを喫し、在学中に甲子園出場は果たせなかった。 高校卒業後は東海大学に進学して野球部でプレーすることも決まっていたが、社会人野球に方向転換。
難波 貴司(なんば たかし、1965年4月19日 - )は、… 難波 貴司(なんば たかし、1965年4月19日 - )は、大阪府高槻市出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。 父は読売ジャイアンツ、西鉄ライオンズに所属したプロ野球選手の難波昭二郎。 大阪府高槻市出身。堀越高等学校卒業後には東海大学に入学する。同期に荻原満、佐藤真一がいた。 大学卒業後は社会人野球の日本通運に入社。都市対抗と日本選手権に計7回出場した。また、1993年に社会人ベストナインに選出された。1995年に現役引退。 その後は1999年まで日本通運のヘッドコーチを務めた後美容業界(化粧品ヘアケアメーカー)に転職、そこで営業職・マーケティング職・執行役員・系列会社社長などを務め、組織マネジメントを学ぶ。
安藤 強(あんどう つよし、1963年12月27日 - )は… 安藤 強(あんどう つよし、1963年12月27日 - )は、神奈川県横浜市出身の野球指導者、元社会人野球選手(内野手)。 NPBの現役選手を経ずに、NPB球団のコーチとなった。 柳川高等学校時の1980年の選抜大会に三塁手として出場。エースは中島輝士であった。 その後、東海大学へ進み4年春にベストナイン受賞。同期に酒井勉、渡辺伸治。卒業後は本田技研でプレー。 2007年からはHondaの監督に就任し、2009年に長野久義らを擁して、都市対抗野球大会で優勝。2015年からは社会人野球の日本代表監督も務めた。 2017年2月1日からは母校の東海大学の監督に就任。しかし、2020年12月に部内での不祥事により、同校のコーチでHondaでの後輩でもあった西郷泰之とともに監督を引責辞任した。
渡辺 伸治(わたなべ しんじ、1963年9月8日 - )は、… 渡辺 伸治(わたなべ しんじ、1963年9月8日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
正村 公弘(まさむら やすひろ、1963年9月7日 - )は… 正村 公弘(まさむら やすひろ、1963年9月7日 - )は、東京都出身の日本の元社会人野球選手(投手)、野球指導者。 現役時代は投手として、東海大浦安高校、東海大学、NTT東京でプレー。大学の同期に渡辺伸治(捕手)がいる。 社会人時代のNTT東京では、技巧派左腕として活躍し、コーチ兼任を含めて34歳まで現役生活を送る。 現役引退後の2003年からは、北東北大学野球連盟所属の八戸大学硬式野球部(後に八戸学院大学に改称)のコーチに就任。2012年からは監督に就任。監督在任中には、同大学を全日本大学野球選手権(2012年、2019年)、明治神宮野球大会(2013年)に導き、またコーチ時代から秋山翔吾や髙橋優貴、大道温貴、松山晋也ら多くのプロ野球選手を育成した事に携わり、同大学を全国レベルの強豪校に引き上げた。
酒井 勉(さかい つとむ、1963年6月27日 - )は、千… 酒井 勉(さかい つとむ、1963年6月27日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。 中学2年まで捕手を務めていたが、この年に投手へ転向する。 東海大浦安高校では、1981年夏の千葉大会準々決勝に進むが、銚子商に完封負け。東海大学へ進学。同期に関根勝美(朝日生命)、2年下に荻原満など好投手がおり、あまり出番はなかった。首都大学リーグでは在学中6回の優勝を経験。リーグ通算11試合登板し1勝1敗。他の大学同期に渡辺伸治がいる。 大学からの卒業後に日立製作所へ入社すると、1988年の都市対抗野球に出場した。日立では通算33勝を挙げた。同年のNPBドラフト会議で、阪急ブレーブスの買収によって創設されたばかりのオリックス・ブレーブスから1位で指名。
長谷川 国利(はせがわ くにとし、1962年5月26日 - … 長谷川 国利(はせがわ くにとし、1962年5月26日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。
宮下 正彦(みやした ただひこ、1962年5月19日 - 2… 宮下 正彦(みやした ただひこ、1962年5月19日 - 2008年)は、東京都江戸川区出身のプロ野球選手(外野手)。1990年から1991年までの登録名は「宮下 嗣朗」(みやした しろう)。
内田 強(うちだ つよし、1961年5月27日 - )は、鹿… 内田 強(うちだ つよし、1961年5月27日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身の元プロ野球選手(捕手)。
髙野 光(たかの ひかる、1961年5月20日 - 2000… 髙野 光(たかの ひかる、1961年5月20日 - 2000年11月5日)は、東京都江東区出身のプロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。現役時代は主にヤクルトスワローズでプレー。引退後は日本・韓国・台湾の球団でコーチを務めた。 東海大浦安高2年生の1978年には第60回全国高等学校野球選手権千葉大会で準決勝に進むが銚子商業に敗れ、ベスト4。 1980年に東海大学に進学。首都大学野球リーグでは在学中に5回優勝。同期の内田強とバッテリーを組み、3年秋の1982年明治神宮大会では準決勝で木暮洋投手擁する早大を完封。決勝でも7回から救援に立ち、大商大の川原新治と投げ合い勝利投手となり優勝を飾る。翌1983年の同大会でも初戦完封の後、準決勝で小早川毅彦、2年西川佳明投手らを擁する法大に完投勝利。
高野 光(たかの ひかる、1961年5月20日 - 2000… 高野 光(たかの ひかる、1961年5月20日 - 2000年11月5日)は、東京都江東区出身のプロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。