本領 信治郎(ほんりょう しんじろう、1903年(明治36年… 本領 信治郎(ほんりょう しんじろう、1903年(明治36年)10月8日 - 1971年(昭和46年)7月24日)は、京都府出身の東京府東京市選出の政治家、教育者。衆議院議員、早稲田大学(以下、早大)教授、早大ラグビー部監督 & 選手。 京都市下京区寺町通五条上るの裂地袋物製造卸の本領順三郎の次男として生まれる。弟は正三郎(家業を継ぐ)、千吉郎(早稲田の工業出身)。叔父の善次郎は神戸市古湊通の貴金属時計商。京都市立第一商業学校(現、京都市立西京高等学校)を経て早大に進学。同校のラグビー部で活動し、ポジションはスクラムハーフ(SH)。1927年(昭和2年)のオーストラリア遠征では主将を務めた。卒業後の1928年(昭和3年)に早大監督に就任し、2シーズン同職を歴任。
大河原 一次(おおかわら いちじ、1903年(明治36年)9… 大河原 一次(おおかわら いちじ、1903年(明治36年)9月20日 - 1988年(昭和63年)3月7日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。 福島県岩瀬郡長沼町(現須賀川市)で生まれる。1921年(大正10年)錦城中学校(現錦城学園高等学校)卒を経て、早稲田大学高等師範英文科を修了した。 1927年(昭和2年)古河鉱業(現古河機械金属)に入社し好間鉱業所に配属された。1930年(昭和5年)に退社し労働運動、農民運動に加わる。1945年(昭和20年)の終戦を迎えて常磐地方で日本社会党の支部と労働組合の結成に尽力し、日本炭鉱労働組合常磐地方本部執行委員長に就任し8期在任した。その他、福島県労働対策審議会委員などを務めた。
松崎 朝治(まつざき あさじ、1903年〈明治36年〉9月1… 松崎 朝治(まつざき あさじ、1903年〈明治36年〉9月10日 - 1964年〈昭和39年〉3月31日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 埼玉県大里郡熊谷町(現:熊谷市)で生まれる。旧制熊谷中学を経て、1925年(大正14年)、早稲田大学政治経済科を卒業した。 その後、松崎製糸社長、埼玉繊維工業社長、丸佐生糸取締役、日本輸出生糸保管監査役、日本製糸協会常任幹事、ジャパン・シルク・アソシエーション理事などを務めた。 1933年(昭和8年)5月、1937年(昭和12年)5月、1942年(昭和17年)7月の3回、熊谷市会議員に選出されている。またこの間、1939年(昭和14年)5月15日から1942年(昭和17年)7月20日まで第3代同副議長を、1944年(昭和19年)6月1日から1945年(昭和20年)4月25日まで第5代同議長を務めた。
南 松鶴(ナム・ソンハク、朝鮮語: 남송학、1903年7月2… 南 松鶴(ナム・ソンハク、朝鮮語: 남송학、1903年7月23日 - 1974年6月22日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の実業家、政治家。第2・3代韓国国会議員。 本貫は宜寧南氏(忠簡公副正公派)、別名は南 禹鉉(ナム・ウヒョン、남우현)。キリスト教徒。 ソウル麻浦または忠北槐山出身。1922年に京城鉄道学校を卒業し、その後早稲田大学政経科を校外生として卒業し、陸軍歩兵学校幹部班卒業。1935年にイエス教長老会龍山教会長老・長老会長を歴任し、1936年に南洋印刷所を経営した。解放後は大韓独立促成国民会龍山区支部長・中央常務委員・中央総本部財政部長・ソウル市支部財政部長、総選挙対等委員会中央本部財政部長、民族代表者大会龍山区選出代議員、朝鮮印刷文化建設協会(現・大韓印刷文化協会)理事長、南洋印刷所・南洋印刷社経営者、大韓青年団龍山区団長、自由党中央本部訓練部長・最高委員・無任所常務委員、国会交通逓信分科委員長・海運造船各社に対する国政監査処理委員会委員長を務めた。
徐 珉濠(ソ・ミノ、朝鮮語: 서민호、1903年4月27日 … 徐 珉濠(ソ・ミノ、朝鮮語: 서민호、1903年4月27日 - 1974年1月24日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、実業家、政治家。初代光州府尹、米軍政下の全羅南道知事・江原道知事、第2・5・6・7代韓国国会議員、第5代国会民議院副議長を歴任した。 本貫は利川徐氏、号は月坡(ウォルパ、월파)。父は実業家で元南鮮貿易代表の徐和日。 全羅南道高興郡(本籍は東江面魯東里)または宝城郡筏橋邑出身。16歳のときに三・一運動に参加し、半島木鐸紙事件により逮捕され、ソウル刑務所で6ヶ月間服役した。1923年早稲田大学政経学科卒、1925年ウェズリアン大学卒、1927年コロンビア大学大学院政治社会学部修了。
長谷川 晃一(はせがわ こういち、1903年(明治36年)4… 長谷川 晃一(はせがわ こういち、1903年(明治36年)4月1日 - 1967年(昭和42年)4月25日)は、早稲田大学政治経済学部教授、同学部教養諸学研究会評議員、早稲田大学世界連邦研究会会長、世界連邦建設同盟常任理事・国際部長。 1903年4月1日、長野県上田市に生まれる。 1920年5月、渡米しカリフォルニア州の商業高校に入学し、1923年6月に卒業する。同年9月、オハイオ州のマイアミ大学に入学する。1927年6月に卒業し、政治経済学でB.A.の学位を受ける。同年9月、シンシナティ大学大学院都市行政学科に入学する。1928年6月、修了しM.A.(修士)の学位を受ける。同年9月、コロンビア大学大学院の市政学科に入学する。
森谷 新一(もりたに しんいち、1903年(明治36年)3月… 森谷 新一(もりたに しんいち、1903年(明治36年)3月31日 - 1978年(昭和53年)12月19日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、岡山県和気郡日生町長。旧姓・森下。 岡山県和気郡日生村(日生町を経て現備前市)で、森下元治の長男として生まれ、5歳で母方の森谷虎吉の養子となる。閑谷中学校(現岡山県立和気閑谷高等学校)を経て、1927年(昭和2年)早稲田大学電気科を卒業した。 朝鮮に渡り全羅南道宝城郡筏橋面で、筏橋電気常務取締役兼主任技師として電灯開発を担当した。1930年(昭和5年)ころに帰郷して製綿業、耐火煉瓦工場を営み、児島窯業社長、日生造船造機社長、日生土地取締役、中日生土地取締役、日生町商工会長などを務めた。
稲富 稜人(稻富 稜人、いなとみ たかと、1902年10月1… 稲富 稜人(稻富 稜人、いなとみ たかと、1902年10月19日 - 1989年11月6日)は、日本の政治家、農民運動家。位階は従三位、勲等は勲一等。衆議院議員(13期)。 福岡県八女郡岡山村(現八女市)出身。代用教員を経て1925年に早稲田大学政経学部を卒業。卒業後は農民運動に身を投じた。平野力三率いる全日本農民組合同盟に加わり、日本農民党を経て社会民衆党に参加。その後赤松克麿・小池四郎らと日本国家社会党に参加するがこれも脱退して皇道会から東方会に移籍、1935年に浮羽郡から福岡県議に当選し2期。 1946年日本社会党から衆議院議員になったが、公職追放を受け同年6月22日に辞職。追放解除後の1953年に右派社会党から返り咲き(福岡3区)、再統一を経て1960年の民主社会党に参加。
西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、1902年10月6日 -… 西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、1902年10月6日 - 1967年5月16日)は、日本の実業家、政治家。西川産業会長、参議院議員(4期)、北海道開発庁長官(第18代)。東京日本橋・西川ふとん店13代。貴族院議員や八幡銀行頭取を務めた十二代西川甚五郎の子。 現在の滋賀県近江八幡市出身。滋賀県立八幡商業学校を経て、1924年、早稲田大学専門部商科を卒業。アメリカに留学し、コーネル大学、ニューヨーク大学で学ぶ。 家業を継ぎ、日本蚊帳統制組合理事長、西川産業社長、近江蚊帳製造社長、滋賀ビル・日本橋西川ビル社長、滋賀銀行取締役などを歴任。 戦時中は日中戦争、太平洋戦争に召集され陸軍主計大尉。 1947年8月、猪飼清六の辞職に伴う滋賀地方区の第1回参議院議員補欠選挙に日本自由党から出馬し当選(任期3年)。
金 洪鏞(キム・ホンヨン、朝鮮語: 김홍용、1902年10月… 金 洪鏞(キム・ホンヨン、朝鮮語: 김홍용、1902年10月3日または1903年 - 1950年8月15日)は、大韓民国の政治家。面長、第2代韓国国会議員を歴任した。 本貫は金海金氏。号は声在(ソンジェ、성재/聲在)。カトリック教徒。元国会議員の金汶鏞と金星鏞(朝鮮語版)は弟、菌類学者の金三純は妹、元国会議員の姜世馨と法曹の李弘圭(朝鮮語版)は妹婿、元国務総理の李会昌は甥。 全羅南道潭陽郡出身。京城第一高等普通学校(現・京畿高等学校)、早稲田大学政経学部卒。面長、国会議員を務めた。朝鮮戦争時、北朝鮮軍に殺害された。 のちに補欠選挙が行われ、弟の金汶鏞が当選した。
臼井 荘一(臼井 莊一、うすい そういち、1902年〈明治3… 臼井 荘一(臼井 莊一、うすい そういち、1902年〈明治35年〉7月26日 - 1987年〈昭和62年〉10月18日)は、大正から昭和期の政治家、実業家。位階は正三位、勲等は勲一等。千葉興行2代目社長。総理府総務長官。衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)。千葉市名誉市民。学位は商学士(早稲田大学)。剣道六段。 東京市深川区越中島(現在の東京都江東区越中島)で建築材料商の家に生まれた。1920年(大正9年)3月、旧制・東京府立第三中学校(現在の東京都立両国高等学校)を卒業し、1925年(大正14年)3月、早稲田大学商学部商学科を卒業。大日本麦酒に入社した。 父の病のため1925年11月、大日本麦酒を退職して千葉市に転居。
阿子島 俊治(あこしま しゅんじ、1902年〈明治35年〉6… 阿子島 俊治(あこしま しゅんじ、1902年〈明治35年〉6月29日 - 1954年〈昭和29年〉4月30日)は、日本のジャーナリスト、政治家。 宮城県刈田郡白石町(現・白石市)生まれ。1927年早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業し、国民新聞社に入社。政治部記者、政治部次長、論説委員を歴任した。 政治ジャーナリストとして活動する一方早くから政界入りを志し、1936年に立憲民政党公認で第19回衆議院議員総選挙に立候補したが落選。その後1942年に行われた翼賛選挙で翼賛政治体制協議会の推薦候補として立候補し初当選、翼賛政治会・大日本政治会に所属した。 阿子島が総選挙に初当選したのは翼賛選挙だったが、落選したとはいえ政党解消前に民政党公認で総選挙に立候補したことがあったことや、ジャーナリスト時代に衆議院議長を務めたこともある民政党の大物政治家・藤沢幾之輔の伝記を上梓したこともあったため、阿子島は翼賛議会においては戦前の民政党の系譜を受け継ぐ政治家とみなされた。
村上 勇(むらかみ いさむ、1902年4月7日 - 1991… 村上 勇(むらかみ いさむ、1902年4月7日 - 1991年1月28日)は、日本の政治家。位階は正三位。 自由民主党衆議院議員(14期)。郵政大臣(第8・35代)、建設大臣(第18代)などを歴任した。 元参議院議員の村上春蔵は実弟。長男の禎は豊和工業の会長、二男の宏はフジテレビスポーツ部長を務めた。 大分県南海部郡大入島村(現・佐伯市 大入島)に、土建業「村上組」を経営していた村上袈裟松の長男として生まれる。1918年早稲田工手学校(現・早稲田大学芸術学校)を卒業後、飛島組(現・飛島建設)を経て、1944年、村上組の後身「大和土建」社長となる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で日本自由党公認候補として旧大分1区から立候補し当選、以後当選14回(当選同期に小坂善太郎・二階堂進・江﨑真澄・小沢佐重喜・石井光次郎・坂田道太・川崎秀二・井出一太郎・早川崇など)。
武内 五郎(たけうち ごろう、1902年(明治35年)3月2… 武内 五郎(たけうち ごろう、1902年(明治35年)3月25日 - 1981年(昭和56年)2月10日)は、日本の農民運動家、政治家。参議院議員(2期)、青森県上北郡浦野舘村長。 青森県出身。1926年(大正15年)早稲田大学専門部商科を卒業した。 早大建設者同盟設立に参加し社会主義運動に加わる。日本社会主義同盟、日農関東同盟に加わり農民運動に参画し、新潟県木崎村小作争議、同県王番田、同乙村などの小作争議を指導した。労働農民党、日本労農党、日本大衆党などの無産政党の結成に参画した。 戦後、青森県上北郡浦野舘村長に就任。以後、八戸労働組合学校主事、日本農民組合中央執行委員、社会党左派中央委員、日本社会党新潟県書記長、同執行委員長、新潟県農業会議議員、同県土地収用委員などを務めた。
深津 玉一郎(ふかつ たまいちろう、1902年(明治35年)… 深津 玉一郎(ふかつ たまいちろう、1902年(明治35年)1月18日 - 1976年(昭和51年)2月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、愛知県半田市長(5期)などを歴任。 愛知県出身。1925年、早稲田大学専門部法律科を卒業し、その後、コロンビア大学、ソルボンヌ大学大学院で学んた。 愛知県半田農業学校講師、文部省嘱託、満州国外交部嘱託、満州炭鉱社員、富士産業農場長を務めた。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙おいて大選挙区の愛知県第一区で日本自由党から出馬して当選。第23回総選挙(旧愛知2区)でも当選し、衆議院議員を連続二期務めた。この間、日本自由党総務、同渉外部副部長、同政調会鉱工業委員長、民主自由党常任総務などを務めた。
武藤 運十郎(むとう うんじゅうろう、1902年(明治35年… 武藤 運十郎(むとう うんじゅうろう、1902年(明治35年)1月6日 - 1993年(平成5年)4月8日)は、昭和時代の日本の弁護士(法学博士)、政治家。元衆議院議員(旧群馬3区選出、日本社会党所属)。社会党左派の論客として名をはせた。衆議院不当財産取引調査特別委員会委員長などの要職を歴任。 1902年1月、群馬県碓氷郡八幡村(現高崎市)に生まれる。1927年、早稲田大学専門部法科を卒業。弁護士開業後、日本借家人組合を組織し委員長になる。1947年、第23回衆議院議員総選挙に社会党公認で旧群馬3区より出馬し衆議院議員に当選。1948年、国会でハンセン氏病の問題を取り上げる。1954年、社会党代議士会長に抜擢される。
銭 鎮漢(チョン・ジンハン、1901年11月5日 - 197… 銭 鎮漢(チョン・ジンハン、1901年11月5日 - 1972年4月22日)は、韓国の労働運動家、政治家である。制憲および第2・3・5・6代国会議員、初代社会部長官。本貫は聞慶銭氏、号は牛村。 韓国の近代協同組合の先駆者である銭俊漢は兄。娘婿の鄭在哲と外孫の鄭文憲(朝鮮語版)も元国会議員。 己未育英会の選抜で日本内地へ留学中の1926年6月、留学生を中心に「協同組合運動社」を組織した。そして協同組合運動の理論研究に取り組む傍らで、朝鮮に宣伝隊を派遣して組織作りに取り組んだ。1927年1月、彼の実兄である銭俊漢によって慶尚北道尚州咸昌面に「咸昌協同組合」が設立され、全国各地に同様の組織が相次いで設立された。
西田 隆男(にしだ たかお、1901年〈明治34年〉10月1… 西田 隆男(にしだ たかお、1901年〈明治34年〉10月13日 - 1967年〈昭和42年〉9月21日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、労働大臣(第10代)。 福岡県嘉穂郡稲築町(現嘉麻市)に生まれる。1924年早稲田大学専門部法科を卒業。炭鉱夫から身を起こし、やがて筑前炭鉱・第二筑前炭鉱の経営者となる。1947年、第23回衆議院議員総選挙に旧福岡2区より立候補し当選。民主党に所属する。炭鉱国管疑獄では、1948年衆議院不当財産取引調査委員会に証人喚問されている。その後、参議院福岡県選挙区に転じ2回当選。国民民主党解党後の改進党結党には参加せず、院内会派民主クラブに参加した。
佐藤 観次郎(さとう かんじろう、1901年8月19日 - … 佐藤 観次郎(さとう かんじろう、1901年8月19日 - 1970年3月3日 )は、愛知県出身の日本の政治家、ジャーナリストである。衆議院議員8期(日本社会党所属)、中央公論編集長を務めた。愛称はサトカン。
笠原 貞造(かさはら ていぞう、1901年(明治34年)8月… 笠原 貞造(かさはら ていぞう、1901年(明治34年)8月8日 - 1985年(昭和60年)3月19日)は、昭和期の弁護士、農民運動家、政治家。衆議院議員(1期)。 群馬県出身。1928年(昭和3年)早稲田大学専門部政経科を卒業した。 卒業後は東京市牛込区役所に勤務し、書記、社会課、福利課各主任となり、1935年(昭和10年)に退職し、弁護士の業務に従事。社会大衆党新潟県連合会執行委員、全国農民組合新潟県連合会執行委員、日本農民組合新潟県支部連合会書記長などを務めた。その他、新潟県地方通貨安定推進委員会長、新潟県地方労働委員会長、新潟市教育委員、新潟県弁護士会長、日本弁護士連合会理事、同副会長、新潟県市町村教育委員連合会長などを務めた。
慎 重穆(シン・ジュンモク、朝鮮語: 신중목/愼重穆、190… 慎 重穆(シン・ジュンモク、朝鮮語: 신중목/愼重穆、1901年7月1日または1902年7月1日 - 1982年12月31日〈陰暦11月17日〉)は、大韓民国の政治家。昌原郡守、居昌郡守、第2代韓国国会議員、第7代農林部長官、初代農協中央会長を歴任した。 号は素岡(ソガン、소강)。本貫は居昌慎氏。 慶尚南道居昌郡南上面出身。1918年に早稲田大学政経科を修了した後は居昌郡庁で勤務していた。1932年に居昌郡書記として勤務する時には賄賂事件により懲役10か月の刑を宣告された。その後は1936年に創立された居昌薬酒合名会社の支配人を務め、1937年と1938年の朝鮮酒類品評会で優等賞を獲得した。1938年には居昌邑で郡内初の養魚場を開設し、養魚を行った。
比嘉 秀平(ひが しゅうへい、1901年(明治34年)6月7… 比嘉 秀平(ひが しゅうへい、1901年(明治34年)6月7日 - 1956年(昭和31年)10月25日)は、沖縄県の官僚、教育者、琉球政府の政治家。1952年4月から1956年10月まで琉球政府行政主席を務めた。琉球民主党初代総裁。 沖縄県中頭郡読谷村に生まれる。小学校時代に事故で右腕を失うも、勉学に励み、1925年(大正14年)早稲田大学文学部英文学科を卒業する。 和歌山県の高野山中学に勤務後、約20年間の教員生活を送り、母校である沖縄県立第二中学校の教諭および沖縄県立第三中学校の教頭を務める。 沖縄戦では県立第三中学校の学徒隊を率いたが生還し、終戦後、沖縄民政府に採用されて、翻訳課長や官房長などを歴任した。
河野 謙三(こうの けんぞう、1901年(明治34年)5月1… 河野 謙三(こうの けんぞう、1901年(明治34年)5月14日 - 1983年(昭和58年)10月16日)は、日本の政治家。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 参議院議員(5期)、衆議院議員(1期)、参議院議長(第11・12代)を歴任した。 神奈川県足柄下郡豊川村(現在の小田原市成田)に河野治平、タミ夫妻の三男として生まれる。河野一郎は兄、河野洋平は甥に当たる。 神奈川県立小田原中学校(現在の神奈川県立小田原高等学校)時代から長距離選手として活躍し、早稲田大学在学中は競走部(陸上競技部)に入り、兄一郎と共に箱根駅伝の選手として活躍、2度の総合優勝を経験した。第3回大会では区間2位の選手に10分37秒差をつけた。
中野 武雄(なかの たけお、1901年(明治34年)4月3日… 中野 武雄(なかの たけお、1901年(明治34年)4月3日 - 1969年(昭和44年)6月28日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 京都府出身。1929年(昭和4年)早稲田大学英法科を卒業し、さらに同大学院で学んだ。その後、醤油醸造、食料品製造業を営む。 京都市会議員、同参事会員となる。京阪伏見桃山農業会連合会長、京都市開拓協会長、鳳凰醸造監査役、日本食料専務取締役、伏見小運搬取締役社長、近畿砂利社長、京都伏見農業協同組合連合会顧問などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に京都府選挙区から日本自由党公認で出馬して初当選。以後、京都府第2区から出馬して第25回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続4期在任した。
橋本 登美三郎(はしもと とみさぶろう、1901年3月5日 … 橋本 登美三郎(はしもと とみさぶろう、1901年3月5日 - 1990年1月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(12期)、運輸大臣(第40代)、建設大臣(第19代、第26代)、内閣官房長官(第27代、第28代)、自由民主党幹事長(田中内閣)、自由民主党総務会長(佐藤内閣)などを歴任した。 茨城県行方郡潮来町(現:潮来市)の回送問屋の家に生まれた。当初父は「三郎」という名を考えていたが、親戚が生まれた子供に三郎と名づけたので、母親の名前をつけて「登美三郎」と命名したという。旧制佐原中学(現:千葉県立佐原高等学校)から、早稲田大学政治経済学部に入学。在学中は雄弁会に所属し、「闘将」と称された。 1927年(昭和2年)に大学卒業後、朝日新聞社に入社する。
植竹 圓次(うえたけ えんじ、1901年(明治34年)2月2… 植竹 圓次(うえたけ えんじ、1901年(明治34年)2月28日 - 1977年(昭和52年)11月16日)は、ジャーナリスト・政治家。第16 - 18代八王子市長を務めた。 1901年(明治34年)2月28日東京府八王子町元子安(現八王子市子安町)で三男として生まれる。町立第三尋常小学校(現八王子市立第三小学校)、攻玉社中学校、早稲田高等学院を経て1927年(昭和2年)早稲田大学政治経済学部を卒業。在学中に高等文官試験行政科に合格するも東京日日新聞社(現毎日新聞社)に入社。1936年(昭和11年)には整理部長、1948年(昭和23年)には毎日小学生新聞部長、1954年(昭和29年)には地方部長兼地方版編集長となり1956年(昭和31年)定年退職。
三宅 正一(みやけ しょういち、1900年(明治33年)11… 三宅 正一(みやけ しょういち、1900年(明治33年)11月28日 - 1982年(昭和57年)5月23日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院副議長。 岐阜県恵那郡明智町(現・恵那市)出身。父親は村長を務める名望家だった。弟は名古屋市で眼科医院を開業した三宅寅三(歌人・三宅千代の夫)。旧制岐阜中学校(現・岐阜県立岐阜高等学校)から早稲田大学政治経済学部に進学。早大では学生無産運動団体の「建設者同盟」に参加した。同学年に平野力三(元農林大臣)。 1923年早大を卒業。翌1924年に日本農民組合関東同盟の新潟県出張所を新発田に開設、以後新潟県に定住する。1926年、小作料の減免を求める農民に対し、地主が土地への立入禁止処分で対抗したことから始まった木崎村小作争議(木崎村は現在の新潟市北区)を先頭にたって指導し、小作料不納同盟の結成、小作人子弟の同盟休校、村政改革、無産農民学校設立などを行い対抗した。
境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日… 境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日 - 1983年(昭和58年)9月17日)は、大正・昭和期の労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 北海道小樽区(現小樽市)で生まれる。1920年(大正9年)小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)を卒業。その後、早稲田大学政経科で学んだが中退した。割箸製造販売業を営む。その後、岸鉄工所庶務課長、小樽物産取締役、北海道配電小樽支店経営協議会委員などを務めた。 1926年(大正15年)日本労働組合評議会北海道地方評議会議長に就任。同年5月1日、北海道初のメーデー実行委員長を務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
9代 岡村 利右衛門(利右衞門、おかむら りえもん、1900… 9代 岡村 利右衛門(利右衞門、おかむら りえもん、1900年(明治33年)10月29日 - 1965年(昭和40年)12月28日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(3期)。幼名は良守。 岐阜県吉城郡国府村広瀬町(国府町広瀬町を経て現高山市国府町広瀬町)で、8代利右衛門の息子として生まれる。斐太中学校(現岐阜県立斐太高等学校)を経て、1928年(大正14年)早稲田大学政治経済科を卒業。その後、アメリカ合衆国に留学し、ベイツ大学、コロンビア大学を経て、ニューヨーク大学大学院を修了しマスター・オブ・ビジネス・アドミニストレーションの学位を受けた。 逓信省嘱託、牧野良三逓信政務次官秘書官、電気協会(現日本電気協会)弁理課長を経て、1938年(昭和13年)北支那開発に転じたが、終戦により解散となり帰国。
椎名 隆(しいな たかし、1900年(明治33年)9月12日… 椎名 隆(しいな たかし、1900年(明治33年)9月12日 - 1983年(昭和58年)1月17日)は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 千葉県海上郡西銚子町(現銚子市)で、椎名八十二郎の長男として生まれる。千葉県立銚子商業学校(現千葉県立銚子商業高等学校)を経て、1920年(大正9年)早稲田大学専門部法律科を卒業した。 1923年(大正12年)弁護士を開業した。銚子市会議員に選出され4期在任。1940年(昭和15年)1月、千葉県会議員に当選し7年間在任し、参事会員(3期)、同補充員(2期)も務めた。その他、銚子市消防団長、銚子市西漁業協同組合長に在任した。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で千葉県第2区から民主党公認で出馬して次点で落選。
田原 春次(たはら はるじ、1900年(明治33年)7月28… 田原 春次(たはら はるじ、1900年(明治33年)7月28日 - 1973年(昭和48年)7月14日)は、日本の政治家、部落解放運動家。衆議院議員(7期)。 福岡県京都郡行橋町(現行橋市)の被差別部落の出身。田原寅次郎の長男。豊津中学校(現・育徳館高校)卒業後、早稲田大学に入学し学生団体 黎民創生会の一員として活動した。1922年、早稲田大学専門部法律学科を卒業。翌年渡米しミズーリ州立大学に留学。1924年、福岡日日新聞社に入り同社海外特派員として北米中米南米に滞在。 1928年、帰朝。同年4月東京朝日新聞社に転じ1930年8月まで在社。その後、全国大衆党に入党。機関誌主任になる。農民運動にも参加した。
竹下 勇造(たけした ゆうぞう、1900年〈明治33年〉6月… 竹下 勇造(たけした ゆうぞう、1900年〈明治33年〉6月25日 - 1984年〈昭和59年〉3月21日)は、日本の実業家、政治家。掛合町名誉町民。島根県議会議員、掛合村長、竹下酒造代表取締役などを務めた。旧姓は武永(たけなが)。 第74代内閣総理大臣・竹下登の実父。漫画家・影木栄貴、ミュージシャン・DAIGOの曾祖父。 島根県簸川郡今市町(現:出雲市)出身。武永貞一の弟。掛合町(現:雲南市)竹下儀造の養子となった。旧制島根県立松江中学校(現・島根県立松江北高等学校)を経て、1923年(大正12年)早稲田大学専政科(現、政治経済学部)卒業。 竹下家は日本三大山林王の一家として出雲一円に権勢を誇っていた田部家の傘下で庄屋を務めており、掛合一の旧家であった。
重富 卓(重冨、しげとみ たく、1900年(明治33年)6月… 重富 卓(重冨、しげとみ たく、1900年(明治33年)6月16日 - 1979年(昭和54年)2月17日)は、昭和期の農業指導者、実業家、政治家。衆議院議員。 山口県出身。1910年(明治43年)に出家したが1918年(大正7年)に還俗。1920年(大正9年)山口中学校(現山口県立山口高等学校)を卒業。1925年(大正14年)早稲田大学政治経済学部を卒業。同年農林省に入省し農務局雇となる。同年、一年志願兵として入隊し、1926年に除隊した。1927年(昭和2年)農林省に復帰し、同年12月、高等試験行政科試験に合格。1930年(昭和5年)東京府に出向し農林主事補、同属となり、1932年(昭和7年)に退官した。
稲本 早苗(いなもと さなえ、1900年(明治33年)5月2… 稲本 早苗(いなもと さなえ、1900年(明治33年)5月28日 ‐ 1977年(昭和52年)1月21日) は、昭和期の醸造家、実業家、政治家。衆議院議員、愛媛県越智郡岩城村長。 愛媛県越智郡岩城村(現上島町)で、酒造業・稲本幸次郎の長男として生まれた。1922年(大正11年)早稲田大学専門部商科を卒業した。 1929年(昭和4年)岩城村長に就任し1946年(昭和21年)3月まで在任。この間、産業組合の改組、産業振興、道路整備、河川改修、診療所設置などに尽力した。1937年(昭和12年)9月、愛媛県会議員補欠選挙に当選し、1939年(昭和14年)9月に再選され1946年4月まで在任し、同参事会員も務めた。
高塩 三郎(たかしお さぶろう、1900年〈明治33年〉5月… 高塩 三郎(たかしお さぶろう、1900年〈明治33年〉5月10日 - 1977年〈昭和52年〉1月14日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、栃木県塩谷郡喜連川町長、剣道六段教士。 栃木県塩谷郡喜連川町(現さくら市)で、高塩武の三男として生まれる。1924年(大正13年)早稲田大学政治経済学部を卒業した。在学中は弁論部に所属し、のち「高塩しゃべ郎」と称された。 1929年(昭和4年)喜連川町会議員に当選。3期12年町会議員を務めた。1947年(昭和22年)栃木県議会議員に就任。1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に栃木県第1区から民主自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
下条 恭兵(下條、しもじょう きょうへい、1900年(明治3… 下条 恭兵(下條、しもじょう きょうへい、1900年(明治33年)4月12日 - 1986年(昭和61年)1月12日)は、昭和期の実業家、政治家、学校法人理事長。参議院議員(1期)。 新潟県刈羽郡吉井村(中通村を経て現柏崎市吉井)出身。小学校卒業後、農業、石油坑夫などを務め苦学して、1922年(大正11年)早稲田工手学校(現早稲田大学芸術学校)を卒業した。 1922年、日本石油(現新日本石油)に入社。配管工事下請会社を設立して独立。分解揮発油精製器などの特許権を得て日本油機製造を設立して社長に就任。その他、昭和精密機械社長、太田鉄工所社長、米華貿易取締役会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で新潟県地方区に日本社会党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
日下田 武(ひげた たけし、1900年(明治33年)2月17… 日下田 武(ひげた たけし、1900年(明治33年)2月17日 - 1966年(昭和41年)1月3日)は、昭和時代の政治家。実業家。大日本帝国陸軍軍人。衆議院議員。栃木県芳賀郡益子町長。 日下田実の長男として、栃木県芳賀郡益子町に生まれる。1924年(大正13年)早稲田大学政治経済学部経済科卒業。陸軍に入り、満州事変、支那事変に従軍し主計中尉に進んだ。 益子町長、栃木県森林組合連合会長、栃木県地方木材社長を歴任した。 1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では栃木県第2区から翼賛政治体制協議会推薦で出馬し当選。臨時召集を受け一時議員を退職し、1945年(昭和20年)8月25日に召集が解除され議員に復職した。
栗原 浩(くりはら ひろし、1900年〈明治33年〉1月16… 栗原 浩(くりはら ひろし、1900年〈明治33年〉1月16日 - 1978年〈昭和53年〉8月24日)は、日本の政治家。埼玉県知事などを歴任した。 埼玉県北埼玉郡原道村(現・加須市)出身。私立埼玉中学校(現・埼玉県立不動岡高等学校)を卒業。早稲田大学高等師範部(現・早稲田大学教育学部)を中途退学。 知事引退後、埼玉医科大学理事長、校外教育協会会長、社会福祉協議会会長、共同募金会会長を歴任。県知事の職に4期16年間あり、長期政権であった。県知事であった時期と高度経済成長期が重なったこともあり、任期中には住宅・工業団地や鉄道・道路の整備に努めたほか、1963年には「総合開発計画」を決定した。また、1972年に勲一等瑞宝章を授与された。
境野 清雄(さかいの きよお、1900年〈明治33年〉1月9… 境野 清雄(さかいの きよお、1900年〈明治33年〉1月9日 - 1968年〈昭和43年〉7月2日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 群馬県山田郡桐生町(現・桐生市)で、境野源八郎の二男として生まれる。群馬県立太田中学校(現群馬県立太田高等学校)を経て、早稲田大学商学部を卒業した。 家業の輸出織物商を営む。桐生絹人絹織物配給常務取締役、群馬織物代表取締役、桐生布帛製品代表取締役、群馬県輸出織物社長、三山物産社長、桐生商工会議所会頭、群馬県地方労働委員会委員などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で群馬県地方区から民主党公認で出馬して落選。竹腰徳蔵の公職追放に伴い同年8月に実施された第1回通常選挙・群馬県地方区補欠選挙に出馬して当選し、その後、民主クラブに所属し参議院議員に1期在任した。
佐藤 久雄(さとう ひさお、1900年(明治33年)1月9日… 佐藤 久雄(さとう ひさお、1900年(明治33年)1月9日 - 1982年(昭和57年)2月14日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・杉野。 富山県東礪波郡出町(砺波町を経て現砺波市)で、杉野久松の二男として生まれる。1918年(大正7年)砺波中学校(現富山県立砺波高等学校)を卒業。1924年(大正13年)早稲田大学商学部を卒業し佐藤組(現佐藤工業)に入社した。1925年(大正14年)佐藤與左衛門の養子となる。佐藤工業営業部長を経て、1940年(昭和15年)代表取締役、1945年(昭和20年)取締役社長を歴任。 また、柳瀬村会議員、大阪財務局(現近畿財務局)管内所得審査委員、富山県東礪波郡地方事務所参与などを務めた。
趙 憲泳(チョ・ホニョン、朝鮮語: 조헌영、1900年または… 趙 憲泳(チョ・ホニョン、朝鮮語: 조헌영、1900年または1901年1月8日 - 1988年5月23日)は、日本統治時代の朝鮮、大韓民国および朝鮮民主主義人民共和国の韓医学者、韓医師、政治家、独立運動家。制憲・第2代韓国国会議員、元在北平和統一促進協議会書記長。 本貫は漢陽趙氏(朝鮮語版)。字は応文、号は海山。趙光祖の子孫で、元義兵隊長の趙承基は祖父、教育者の趙寅錫は父。元国立図書館長の趙銀泳は兄、元大邱市長・慶尚北道知事の趙俊泳は弟、時調詩人の趙愛泳は妹。詩人の趙芝薫(趙東卓)と趙東振(朝鮮語版)は息子、外交官・外交部長官の趙兌烈は孫。 慶尚北道英陽郡日月面出身。祖父と父から四書三経や漢文を学んだ後、大邱公立高等普通学校卒。
浅岡 信夫(あさおか のぶお、明治32年(1899年)12月… 浅岡 信夫(あさおか のぶお、明治32年(1899年)12月15日 - (昭和43年)1968年11月12日)は、日本の俳優、政治家である。第二次世界大戦前、サイレント映画時代の日活スター俳優であり、映画監督、プロデュースも務めた。戦後、参議院議員も務めた。身長177.3cm、体重93Kg。身長180cm、体重90Kg。
池見 茂隆(いけみ しげたか、1899年(明治32年)9月1… 池見 茂隆(いけみ しげたか、1899年(明治32年)9月18日 - 1973年(昭和48年)12月19日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 福岡県糟屋郡仲原村(現粕屋町)で、実業家・池見辰治郎の長男として生まれる。幼少期に福岡市博多柳町に転居した。福岡市立福岡商業学校(現福岡市立福翔高等学校)を経て、早稲田大学商科で学んだ。 その後、家業の池見合資会社社員、酒精会社重役となる。その他、大日本酒精監査役、大日本酒類醸造取締役、文化味噌社長、池見(合)代表社員、九州製作所社長なども務めた。 政界では福岡市会議員に在任した。1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で福岡県第1区から民主自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
鈴木 正文(すずき まさふみ / まさぶみ、1899年〈明治… 鈴木 正文(すずき まさふみ / まさぶみ、1899年〈明治32年〉8月30日 - 1978年〈昭和53年〉5月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家。位階は従三位、勲等は勲二等。 衆議院議員(3期)、労働大臣。 山梨県北巨摩郡出身。1925年(大正14年)、早稲田大学政治経済学部を卒業。 朝日新聞社に入社し海外特派員となる。京城支局長を経て、1940年(昭和15年)、論説委員に就任し1941年(昭和16年)に退社。その後、日本印刷文化協会理事、山梨日日新聞論説委員を務める。 戦後、1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に日本自由党から山梨県全県区(当時)で立候補するが落選した。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙に山梨県全県区で立候補し当選。
篠田 弘作(しのだ こうさく、1899年7月27日 - 19… 篠田 弘作(しのだ こうさく、1899年7月27日 - 1981年11月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)、自治大臣、国家公安委員会委員長を務めた。1974年、勲一等旭日大綬章受章。北海道苫小牧市名誉市民(1981年)。 富山県富山市に、篠田信宣の二男として生まれる。1900年の富山大火による自宅の焼失、信宣の死亡など不幸が相次ぎ、1908年に一家は樺太へ移住、貧困の中で少年時代を過ごした。その後商店の小僧、小学校教諭などを経て、1927年早稲田大学専門部政治経済科を卒業、東京朝日新聞記者となる。山形支局長、千葉支局長を歴任し、1940年経済部長丹波秀伯の強引な勧めにより、水野成夫・南喜一が経営していた「大日本再生製紙」(日本製紙の前身の一つ)に入社する。
髙野 孫左衛門(たかの まござえもん、明治32年(1899年… 髙野 孫左衛門(たかの まござえもん、明治32年(1899年)5月2日 - 昭和43年(1968年)2月25日)は、山梨県出身の実業家、政治家。山梨県会議員、衆議院議員を歴任した。幼名は髙野 毅(たかの つよし)。 山梨県甲府市柳町(現在の甲府市中央4丁目)に、父「孫左衛門(第15代目)」、母「とも」の三男として生まれる。山梨師範学校付属小学校を経て大正5年(1916年)3月に市立甲府商業学校(現在の甲府市立甲府商業高等学校)を卒業。 早逝した兄「孫親」の妻、義姉の「喜代」と大正11年(1922年)5月に結婚し、油と塩を商いする甲府有数の老舗である家業の吉字屋を継ぐ。大正12年(1923年)4月に単身上京して早稲田大学政治経済学科に入学したが、同年9月1日に発生した関東大震災のため帰郷し、大正14年(1925年)1月に第16代目高野孫左衛門を襲名した。
川俣 清音(川俣 淸音、かわまた せいおん、1899年(明治… 川俣 清音(川俣 淸音、かわまた せいおん、1899年(明治32年)4月15日 - 1972年(昭和47年)12月7日)は、大正、昭和期の社会運動家、農民運動家、政治家。衆議院議員(8期) 1899年4月15日、北海道余市郡余市町に生まれる。1923年(大正12年)早稲田大学を卒業する。大学在学中から農民運動に参加し、1924年(大正13年)秋田県で日本農民組合(日農)支部を組織する。日農では中央委員を務め、小坂銅山争議では、加藤勘十、浅沼稲次郎、三輪寿壮らとともに現地に赴き争議を指導する。 1930年(昭和5年)地方無産党から衆議院選挙に立候補するものの落選。1936年(昭和11年)社会大衆党から衆議院議員に初当選する。
岡 延右衛門(延右エ門、おか のぶえもん、1899年(明治3… 岡 延右衛門(延右エ門、おか のぶえもん、1899年(明治32年)3月15日 - 1970年(昭和45年)12月1日)は、大正末から昭和期のジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)。カトリック教徒。 長崎県北松浦郡黒島村(現佐世保市黒島町)でカトリックの家に生まれる。1924年(大正13年)早稲田大学専門部政治経済科を卒業した。同年、母校にカトリック研究会を設立し、公教青年会のメンバーとしても活躍した。 大学卒業後、『萬朝報』の記者となり、社会部長、政治部長、整理部長、編集局長を歴任。戦時下に内閣情報部嘱託、情報局嘱託、内閣嘱託となり、情報局から日・満・支のカトリック統合の使命を帯びて北京に派遣された。
佐久間 徹(さくま とおる、1899年(明治32年)1月24… 佐久間 徹(さくま とおる、1899年(明治32年)1月24日 - 1977年(昭和52年)1月27日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 千葉県市原市出身。佐久間信太郎の長男として生まれる。1923年(大正12年)早稲田大学商学部を卒業した。 帝国火災保険に入社し、直営課長、福岡支店長、横浜支店長などを歴任。帝国火災保険が合併して日本火災海上保険(のち日本興亜損害保険)になると文書部長、取締役兼地方営業部長を務めた。その他、房総漁業監査役、千葉県漁網取締役、川崎定徳取締役、関東天然瓦斯開発取締役、高砂交通会長、千葉工業大学理事、同理事長などを務めた。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で千葉県第1区から民主自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
三浦 義武(みうら よしたけ、1899年 - 1980年2月… 三浦 義武(みうら よしたけ、1899年 - 1980年2月8日)は、日本の喫茶店店主、政治家である。缶コーヒーの発明者。息子は小説家の三浦浩。 1899年(明治32年)、島根県那賀郡井野村(現・浜田市)で豪農の家に生まれる。浜田中学校卒業後、上京して早稲田大学法科に進学。在学中は茶に親しみ、卒業後は東京郊外で茶の販売店を営む。昭和に入り、日本橋の白木屋でコーヒー豆を挽き売りするようになる。三浦のコーヒー狂ぶりは相当なもので、研究のために銀座や丸の内の有名コーヒー店を飲み歩き、中毒のようになって倒れたこともままあったという。研鑽を積み、ネルを使った独自の手法で濃厚で香り高いコーヒーを作り出した。