臼田 甚五郎(うすだ じんごろう、1915年〈大正4年〉1月… 臼田 甚五郎(うすだ じんごろう、1915年〈大正4年〉1月25日 - 2006年〈平成18年〉10月26日)は、日本の国文学者・民俗学者・歌人(雅号:碧洋)。文学博士(國學院大学・論文博士・1961年)(学位論文「日本歌謡の文学史的民俗学的考察」)。國學院大學名誉教授。 東京都大田区生まれ。東京府立第一中学校を経て、1937年國學院大學文学部卒。柳田國男、折口信夫、河野省三らに師事[要出典]。1953年國學院大學文学部助教授、1957年同教授。1961年「日本歌謡の文学史的民俗学的考察」で國學院大学より文学博士の学位を取得。1985年定年退職、同大学名誉教授。1990年、勲三等瑞宝章受章。学外では日本学術会議会員や歌謡学会会長などを歴任した。
林 翔(はやし しょう、1914年1月24日 - 2009年… 林 翔(はやし しょう、1914年1月24日 - 2009年11月9日)は、日本の俳人。本名は林 昭(はやし しょう)。 長野県長野市生まれ。生後10ヶ月で母と死別し、5歳まで祖母に養われる。國學院大學を卒業。大学在学中に能村登四郎と知り合い、登四郎とともに短歌雑誌「装填」の同人となるが、同誌の廃刊後ともに俳句に転じた。1939年から1982年まで旧制私立市川中学(現・市川高等学校)に勤務。1940年、水原秋櫻子の「馬酔木」に初入選。この頃から「翔」を俳号に用いた。1950年「馬酔木」同人となる。1962年、現代俳句協会を脱会し、俳人協会に加入する。1970年、登四郎が「沖」を創刊すると編集主幹に就く。
内野 吾郎(うちの ごろう、1914年1月1日 - 1985… 内野 吾郎(うちの ごろう、1914年1月1日 - 1985年12月15日)は、日本の国文学者、國學院大學名誉教授。 神奈川県高座郡御所見村(現・藤沢市)に生まれる。 昭和7年(1932年)に芝中学校を卒業、昭和12年(1937年)に國學院大學国文学科を卒業。 昭和22年(1947年)に北海道第二師範学校教授、昭和25年(1950年)に北海道学芸大学(現・北海道教育大学)教授。昭和36年(1961年)に「日本文芸史の方法序説:その学史的展望と諸学派の批判」で國學院大學より文学博士の学位を取得。昭和38年(1963年)に國學院大學教授。 昭和43年(1968年)に西ドイツのボン大学客員教授として招聘される。
高階 成章(たかしな なりあき、大正3年〈1914年〉 - … 高階 成章(たかしな なりあき、大正3年〈1914年〉 - 昭和54年〈1979年〉9月24日)は、日本の神職、神道学者。橿原神宮権宮司。奈良芸術短期大学教授。 大正3年(1914年)、高階研一を父として、兵庫県に生まれた。昭和2年(1927年)、父が諏訪神社の宮司を拝命すると、共に長野県に移ったようであり、このころには#論文に見えるように諏訪信仰に関する論考を著している。昭和12年(1937年)3月、國學院大學史学科卒業。このときの卒業論文題目は「足利氏の郷土に於ける信仰」であった。内務省考証官補、神祇院考証官補、文部省国宝調査嘱託となった。 昭和24年(1949年)6月30日、父が宮司を務める橿原神宮の権宮司に就任した。
鈴木 敬三(すずき けいぞう、1913年(大正2年)11月1… 鈴木 敬三(すずき けいぞう、1913年(大正2年)11月19日 -1992年(平成4年)7月28日)は、日本の歴史学者。國學院大學名誉教授。専門は風俗史・有職故実学。 東京市浅草区神吉町(現在の台東区東上野)出身。本姓は加賀で、誕生とともに父の生家の養子となる。1938年に國學院大學国史学科を卒業し、1942年から宮内庁図書寮勤務。1946年に退官。國學院高等学校教諭を経て、1951年から國學院大學文学部講師、1960年同助教授、1965年同教授。1984年に定年退職して名誉教授となるまでに、國學院高等学校副校長などを務める。78歳で没し、墓は谷中霊園にある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
河辺 三郎(かわべ さぶろう、旧字体: 河邊 三郞、1913… 河辺 三郎(かわべ さぶろう、旧字体: 河邊 三郞、1913年〈大正2年〉7月24日 - 没年不詳)は、日本の華族(男爵)、神職。 大正2年(1913年)7月24日、河辺博長の三男として、東京都に生まれる。 昭和5年(1930年)4月4日に父博長が帰幽すると、同年7月1日に17歳で家督を継承、男爵となった。昭和11年(1936年)國學院大學付属神道部を卒業すると、同年大洗磯前神社・酒列磯前神社主典に就任、昭和15年(1940年)には伊豆山神社主典に転じた。昭和18年(1943年)からは実業界にて活躍した。昭和23年(1948年)3月28日には長男慶三郎が誕生した。 昭和37年(1962年)、下鴨神社禰宜に就任した。
副島 廣之(そえじま ひろゆき、1913年 - 2007年)… 副島 廣之(そえじま ひろゆき、1913年 - 2007年)は、昭和・平成時代の神職、政治活動家。明治神宮権宮司。「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」の両団体の初代事務総長を務め、日本会議に連なる保守運動に挺身した。 広島県広島市生まれ。佐賀藩の須古鍋島家の家臣の副島家に生まれる。父親の副島知一は副島家第13代に当たる。1934年、國學院大學神道部を卒業した。 熊野那智大社、坐摩神社に勤めたのち、1940年に明治神宮に入った。1945年4月の空襲で本殿が焼失すると、戦後、御社殿の戦災復興募金活動や御社殿の復興に尽力したとされる。明治神宮の権宮司をつとめるとともに明治神宮崇敬会の事務局長、理事長、副会長として組織の発展に貢献した。
永島 福太郎(ながしま ふくたろう、1912年12月22日 … 永島 福太郎(ながしま ふくたろう、1912年12月22日 - 2008年8月19日)は、日本の歴史学者。関西学院大学名誉教授。
堀内 民一(ほりうち たみかず、1912年8月30日 - 1… 堀内 民一(ほりうち たみかず、1912年8月30日 - 1971年8月15日)は、日本の文学博士、元名城大学教授。専攻は国文学古代と近代詩歌。 奈良県北葛城郡河合町出身。國學院大學文学部国文学科卒。折口信夫に師事。万葉に関する著書を出版し、それらの業績を讃えられ奈良県文化賞を受賞した。他にも國學院大學の卒業者から優秀な研究業績をあげた者に授与される三矢博士記念賞も受賞した。また地元の学校河合町立河合第一小学校や河合町立河合第一中学校の校歌も作詞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
安津 素彦(あんづ もとひこ、1912年5月31日 - 19… 安津 素彦(あんづ もとひこ、1912年5月31日 - 1985年11月28日)は、神道学者。國學院大學名誉教授、信州豊南短期大学学長。専攻は神道思想史。 東京市下谷区(現・台東区東上野)生まれ。1930年開成中学校卒業。1935年國學院大學道義学科倫理科卒業。國學院大學道義研究室助手。1938年財団法人日本文化中央聯盟研究員。1940年國學院大學講師。1944年同大学に国学研究所が設置され、研究員に委嘱。1946年同大学に神道研究部が設置され、研究員に委嘱。1948年國學院大學文学部が発足し、宗教学科教授に就任。宗教学概論・教派神道概論を担当。1953年「神道研究序論」で文学博士(國學院大學)。
澤田 瑞穂(さわだ みずほ、1912年5月23日 - 200… 澤田 瑞穂(さわだ みずほ、1912年5月23日 - 2002年1月28日)は、日本の中国文学者。中国の怪異研究の第一人者。跡見学園女子大学助教授、天理大学教授、早稲田大学文学部教授を歴任した。娘婿は清末小説研究家の樽本照雄(大阪経済大学名誉教授)。 高知県幡多郡大方町(現・黒潮町)生まれ。小学校3年生の時に大阪へ転居。1934年國學院大學高等師範部卒。1940年、北京日本大使館嘱託として中国に渡り、1942年に帰国する。1944年5月東亜交通公社華北支社附属伝習所講師として再び中国に渡る。1946年3月に帰国。中学校や高校で教鞭を執った後、1957年天理大学に着任。1973年同大学を定年退職。
鈴木 棠三(すずき とうぞう、1911年12月13日 - 1… 鈴木 棠三(すずき とうぞう、1911年12月13日 - 1992年7月13日)は、日本の国文学者・国語学者。本名、鈴木 脩一(しゅういち)。 1911年、静岡県庵原郡飯田村(現清水市)に生まれる。1929年、静岡県立静岡中学校を経て、國學院大學予科に入学、在学中から柳田國男、折口信夫に師事(郷土研究会で折口信夫の講義を聴き、1929年6月ごろより柳田國男の書斎に出入りする)。1931年、國學院大學国文科入学、1934年、同大卒業。1934年4月〜1935年3月、中学校国語教科書の編集に従事。以降、柳田國男の指導により農村・漁村の民俗および口承文芸の調査に従事。1935年、國學院大學学部研究科に在籍。
三谷 栄一(みたに えいいち、1911年7月8日 - 200… 三谷 栄一(みたに えいいち、1911年7月8日 - 2007年8月29日)は、日本の国文学者(中古文学)。学位は、文学博士(國學院大學・論文博士・1961年)。子息は日本文学者の三谷邦明。 1935年、國學院大學国文科卒業、1944年、青森師範学校教授、1949年、弘前大学教授、1950年、山梨県立図書館長、1953年、実践女子大学教授。1961年、「民族文学の成立に関する基盤的研究」で國學院大學より文学博士号取得、1987年、実践女子大を定年退職、名誉教授。2003年、勲三等瑞宝章受章。 平安朝の物語文学を中心として研究。特に狭衣物語についての業績がある。
冷泉 為臣(れいぜい ためおみ、1911年〈明治44年〉5月… 冷泉 為臣(れいぜい ためおみ、1911年〈明治44年〉5月7日 ‐ 1944年〈昭和19年〉8月31日)は、日本の華族、歌人。また、上冷泉家23代当主。父は冷泉為紀伯爵、母は水無瀬忠輔子爵の娘恭子。 祖父、父が宮中で御歌所参候を務めた影響からか、歌学を学ぶため國學院大學文学部に進学。卒業論文では藤原俊成をテーマとした。大学卒業後は陸軍に応召。1936年(昭和11年)4月21日、京都在住華族総代として昭和天皇に拝謁する。 太平洋戦争により中国湖南省邵陽県磨石舗にて戦死したため、妹の冷泉布美子の夫冷泉為任が婿養子として跡を継ぐ。
野津 康雄(のづ やすお、1911年〈明治44年〉5月1日 … 野津 康雄(のづ やすお、1911年〈明治44年〉5月1日 - 1987年〈昭和62年〉)は、日本の実業家。株式会社岡山日日新聞社代表取締役社長、岡山放送株式会社取締役相談役などを歴任した。弟である野津克巳の孫は池田基煕(旧名・野津基弘、旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻で昭和天皇第4皇女池田厚子の養子)である。 岡山県総社市真壁出身。國學院大學卒業。新聞聯合社に入社する。1936年、同盟通信社に入社する。1946年、時事通信社に転じ、岡山、高松、広島各支社長、本社事業本部長を経て1957年に夕刊新聞社(のちに岡山日日新聞社)代表取締役に就任する。 岡山日日新聞社代表取締役社長、会長、岡山放送取締役相談役のほか、岡山通信土木代表取締役、フジボーリング代表取締役、日本シール販売代表取締役、フジビル取締役、岡山県政経懇話会会長、瀬戸内海経済研究センター理事長、岡山商工会議所常議員、岡山県経団連常任理事、岡山経済同友会常任幹事などを歴任した。
神林 淳雄(かんばやし あつお、1911年(明治44年)3月… 神林 淳雄(かんばやし あつお、1911年(明治44年)3月1日 - 1945年(昭和20年)4月または7月)は、日本の考古学者。山形県出身。東京国立博物館の前身である東京帝室博物館の職員(鑑査官補)として古墳時代の武器に関する先駆的な研究成果を遺したが、太平洋戦争末期に召集され沖縄本島にて戦死した。 1911年(明治44年)、現在の山形県鶴岡市にあたる旧東田川郡羽黒町に生まれる。 上京して國學院大學に入学し、在学中は人類学者の鳥居龍蔵に師事。國學院大學内の学会「上代文化研究会」に参加する。 1934年(昭和9年)に國學院大學を卒業し、東京帝室博物館に就職する。同博物館では鑑査官補となり、鑑査官の後藤守一の下に所属。
賀古 明(かこ あきら、1911年1月8日 - 1995年5… 賀古 明(かこ あきら、1911年1月8日 - 1995年5月9日)は、国文学者。 愛知県生まれ。國學院大学文学部国文科卒。1962年「万葉集歌語の研究」で文学博士。和洋女子短期大学教授、東邦大学教授。
能村 登四郎(のむら としろう、1911年1月5日 - 20… 能村 登四郎(のむら としろう、1911年1月5日 - 2001年5月24日)は、日本の俳人。水原秋桜子に師事、「沖」を創刊・主宰。東京都出身。 東京都台東区谷中に、7人兄弟の四男として生まれる。1918年、東京都北区田端に引っ越し、錦城中学に入学する。中学時代、伯父から手ほどきを受けて俳句をはじめる。1931年、國學院大學高等師範部に入学、国文学を学ぶ。在学中、短歌同人誌『装填』に参加し、林翔と出会う。1938年、俳誌『馬酔木』に入会、水原秋桜子に師事。同年、私立市川学園の教諭となる。同校は林翔も教員として勤めた。 1945年、応召。除隊後、教員に復職し、1946年に復刊した『馬酔木』に投句を再開。
近藤 喜博(こんどう よしひろ、1911年 - 1997年)… 近藤 喜博(こんどう よしひろ、1911年 - 1997年)は、日本の民俗学者。文学博士(國學院大学・論文博士・1960年)(学位論文(「稲荷信仰研究序説」)。文化庁主任文化財調査官、文化財保護審議会専門委員等を歴任。 鳥取県生まれ。國學院大學神道科卒業。1960年「稲荷信仰研究序説」で國學院大學より文学博士の学位を取得。國學院大學講師、文化庁主任文化財調査官、文化財保護審議会専門委員。
栗原 健(くりはら けん、1911年 - 2005年12月2… 栗原 健(くりはら けん、1911年 - 2005年12月2日)は、日本のアーキビスト・歴史学者。文学博士。専門は、外交史・日本近代史。 1934年、國學院大學国史科を卒業。1935年、外務事務官として外務省に入省する。 文書課に配属され、外交文書や電報類の整理に従事して以来、『日本外交文書』・『終戦史録』(1952年)・『日本外交年表並主要文書 1840-1945』(1955年)・『外務省の百年』上・下(1969年)の編纂や外交史料館の立ち上げ(1971年開館)に尽力した。 外務省退官後も『日本外交文書』編纂委員・顧問、また日本国際政治学会名誉理事として後進の指導に当たった。また、外交文書の閲覧のために来訪する海外の研究者に対しても、懇切丁寧に対応してその研究を支援し続けた。
高祖 保(こうそ たもつ、1910年〈明治43年〉5月4日 … 高祖 保(こうそ たもつ、1910年〈明治43年〉5月4日 - 1945年〈昭和20年〉1月8日)は、日本の詩人。 1910年(明治43年)5月4日、岡山県邑久郡牛窓町(現:瀬戸内市)の素封家に生まれる。 1919年(大正8年)、前年の父の死去を機に分家し、母の実家がある滋賀県犬上郡彦根町(現:彦根市)の外馬場に移り住む。 彦根尋常高等小学校(現:彦根市立城東小学校)を卒業。 1928年(昭和3年)、滋賀県立彦根中学校(現:滋賀県立彦根東高等学校)を卒業。 1930年(昭和5年)12月、金沢の第九連隊第一中隊に、幹部候補生として入隊。 1932年(昭和7年)、母と別居し、國學院大学附属高等師範部に入学。
吉田 常吉(よしだ つねきち、1910年〈明治43年〉3月1… 吉田 常吉(よしだ つねきち、1910年〈明治43年〉3月11日 - 1993年〈平成5年〉3月19日)は、幕末維新史専攻の日本史学者。元東京大学・駒澤大学教授、日本歴史学会理事。 1910年3月11日、東京府東京市(現在の東京都区部)で生まれた。東京市立四谷第二尋常小学校、四谷尋常高等小学校を経て、府立第六中学校(現・新宿高等学校)に入学。三年時から義兄の宮良當壯の下に寄宿。1928年に國學院大學予科に入学し、1930年に國學院大學文学部史学科に進んだ。大学では、植木直一郎、松本愛重に師事した。1933年3月、國學院大學の大学学部国史学科を卒業。卒業論文は、「平安朝時代における出産風俗の研究」であった。
田辺 正男(たなべ まさお、1909年8月28日 - 200… 田辺 正男(たなべ まさお、1909年8月28日 - 2002年4月17日)は、日本の国文学者・国語学者・教育者。学位は、文学博士(國學院大学・1961年)。國學院大学名誉教授、元国学院女子短期大学初代学長。三重県亀山市生まれ。東京都育ち。田邊正男とも表記される。 国語学者として中学校・高等学校の多くの国語教科書・古文教科書・指導要領の策定に関わった この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
岩崎 敏夫(いわさき としお、1909年8月21日 - 20… 岩崎 敏夫(いわさき としお、1909年8月21日 - 2004年10月28日)は、日本の民俗学者、歌人。 福島県相馬生まれ。國學院大學高等師範部卒。1962年「本邦小祠の研究」で國學院大學文学博士。相馬女子高等学校教頭。東北学院大学教授。1963年「本邦小祠の研究」で柳田賞受賞。歌人。
平山 輝男(ひらやま てるお、1909年8月16日 - 20… 平山 輝男(ひらやま てるお、1909年8月16日 - 2005年8月17日)は、日本の国語学者。東京都立大学名誉教授。日本音声学会第5代会長。 宮崎県北諸県郡中郷村(現:都城市)生まれ。1922年3月に中郷村尋常高等小学校を卒業。1928年3月に麻布中学校を卒業。1935年3月に國學院大學文学部国文学科卒業。1937年3月に國學院大學大学院修了。金田一京助、折口信夫に師事。 1937年4月に法政大学講師。1940年6月に東京府立高等学校教授。1949年4月に東京都立大学人文学部助教授。1957年に文学博士となった(学位論文「日本語音調の研究」)。 1962年2月に東京都立大学人文学部教授。1969年4月に東京都立大学附属図書館長。
李家 正文(りのいえ まさふみ、1909年7月17日- 19… 李家 正文(りのいえ まさふみ、1909年7月17日- 1998年7月4日)は、日本の歴史学者。朝日新聞社東京本社日本古典全書編集長。 1909年、山口県で少輔五郎の長男として生まれた。國學院大學国文科で学び、1933年に卒業。 卒業後は、広島女学院専門学校の講師を務めた後、朝日新聞社に入社して映画局長、出版局長、朝日学生新聞社社長などを歴任した。便所の歴史の研究で知られたがほかに広く日本・東アジア史に関する著書多数がある。宗教は曹洞宗。
村山 古郷(むらやま こきょう、1909年6月19日 - 1… 村山 古郷(むらやま こきょう、1909年6月19日 - 1986年8月1日)は、昭和期の俳人。京都府京都市下京区仏具屋町出身。本名・正三。兄の村山葵郷、姉のたかも俳人。 1939年、國學院大學国文科卒。 保善商業教諭を経て、1941年、日本郵船に入社。内田百閒に師事。 俳句は少年時代、兄・葵郷の手ほどきを受ける。「草上」同人を経て、1932年「東炎」同人となる。戦後、1946年「べんがら」を、1952年「たちばな」を創刊したが、1955年石田波郷の知遇をえて「鶴」同人となる。1978年山路閑古のあとを継いで鴫立庵第二十世庵主。 俳誌『嵯峨野』を主宰、俳人協会理事を務めた。1978年、『明治俳壇史』で芸術選奨文部大臣賞受賞。
西田 長男(にしだ ながお、1909年3月31日 - 198… 西田 長男(にしだ ながお、1909年3月31日 - 1981年3月28日)は、日本の神道学者、國學院大學名誉教授。 三重県出身。國學院大學卒。宮地直一に師事。戦前は大倉精神文化研究所研究員、東京帝国大学講師、戦後は國學院大學教授。1955年「日本宗教の発生に関する一試論」で國學院大文学博士。
竹内 利美(たけうち としみ、1909年2月2日 - 200… 竹内 利美(たけうち としみ、1909年2月2日 - 2001年)は、日本の民俗学者、歴史学者。東北大学名誉教授。 長野県長野市生まれ。1944年國學院大學文学部国史学科卒業。日本の村落の実地調査研究を続け、社会学的見地に立って理論化を目指した。 1929年長野県上伊那郡川島村小学校、同本郷小学校で教諭となり、1940年日本常民文化研究所に勤務、1944年中央水産業会職員、1948年連合軍総司令部民間情報教育局世論及社会調査部顧問などを経て、1951年東北大学教育学部講師、1952年助教授、1954年教授。1972年定年退官、名誉教授、同年東北福祉大学教授、1983年退官。 1962年「日本村落構造の研究」により東洋大学から文学博士の学位を授与される。
樋口 清之(ひぐち きよゆき、1909年1月1日 - 199… 樋口 清之(ひぐち きよゆき、1909年1月1日 - 1997年2月21日)は、日本の考古学者・歴史作家。國學院大學名誉教授、國學院大學考古学資料館名誉館長、國學院大學栃木短期大学名誉学長、全日本博物館学会名誉会長。文学博士。専門は考古学・民俗学。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受章。 奈良県桜井市生まれ。先祖は、織田長益(有楽斎)に発する旧家である。旧制奈良県立畝傍中学校在学中に、学術誌に十数篇の論考を投稿していた。1927年、鳥居龍蔵を慕って國學院大學に入学。1932年(昭和7年)國學院大學文学部国史学科卒業。在学中の1928年(昭和3年)4月には、自身の収集品をもとに博物館の必要性を訴えたことで、國學院大學内に考古学標本室が創設された。
出雲路 敬和(いずもじ よしかず、1908年12月13日 -… 出雲路 敬和(いずもじ よしかず、1908年12月13日 - 1978年4月19日)は、神職、京都評論家。 京都市出身。出雲路信直の子孫。國學院大學文学部卒、立命館大学教授、成安女子短期大学学長。
石上 堅(いしがみ かたし、1908年〈明治41年〉6月26… 石上 堅(いしがみ かたし、1908年〈明治41年〉6月26日 - 1994年〈平成6年〉1月3日)は、国文学・民俗学者。東横学園女子短期大学名誉教授。 東京生まれ。1927年折口信夫に師事、1932年國學院大學文学部卒。1961年「神生誕発想胎生因子の研究」で國學院大學文学博士。東京都立大泉高等学校教諭、國學院大學講師、東横学園女子短期大学(現東京都市大学)教授を経て名誉教授。 1994年1月3日、胃潰瘍のため死去。
相磯 貞三(あいそ ていぞう、1908年3月28日 - 19… 相磯 貞三(あいそ ていぞう、1908年3月28日 - 1960年4月13日)は、日本の国文学者。 静岡県出身。國學院大學文学部国文科卒。1960年「記紀歌謡論」で國學院大学文学博士。慶應義塾大学文学部教授。52歳で死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
黒神 直久(くろかみ なおひさ、1907年〈明治40年〉12… 黒神 直久(くろかみ なおひさ、1907年〈明治40年〉12月5日 - 1987年〈昭和62年〉5月11日)は、日本の政治家、神職。山口県徳山市長(3期)、神社本庁総長を歴任した。 山口県都濃郡徳山町(現・周南市)の遠石八幡宮宮司の家に生まれる。1930年(昭和5年)3月、國學院大學神道部卒業。1932年(昭和7年)3月、県社祐綏神社社司、1933年(昭和8年)5月、県社児玉神社社司、1938年(昭和13年)2月、県社遠石八幡宮社司などを歴任し、この間、徳山町立実業実践学校講師を務めた。1947年(昭和22年)3月、徳山市復興土地区画整理委員会副委員長、同委員長などを務めた。 1952年(昭和27年)8月24日付で徳山市長の池清が健康上の理由により辞職。
石本 統吉(いしもと とうきち、1907年10月15日 ‐ … 石本 統吉(いしもと とうきち、1907年10月15日 ‐ 1977年2月20日)は、日本の映画監督、映画プロデューサー、実業家。 東京出身。第一映画社で伊藤大輔、溝口健二の劇映画の編集を担当。鈴木伝明、中野英治が出演した劇映画『名物三人男』『ある駅の出来事』『与太者サーカス』を監督。芸術映画社で長期ロケを刊行した記録映画『雪國』を監督し、文部大臣賞を受賞。日本映画社ジャカルタ撮影所次長兼製作部長をへて、戦後、人員整理が始まっていた日本映画社でSF劇映画『空気の無くなる日』を製作。日映科学映画製作所を設立した後、記録映画『結核の生態』、『せんたく』、『火と炎』ほかの製作に対して、第3回ブルーリボン賞受賞。
牛尾 三千夫(うしお みちお、1907年4月5日 - 198… 牛尾 三千夫(うしお みちお、1907年4月5日 - 1986年9月17日)は、日本の民俗学者、神職、歌人。現代に神がかりを残す大元神楽の伝承者で主に神楽と田植歌の分野で功績を残している。 1907年4月5日、島根県邑智郡市山村(現江津市桜江町市山)に生まれる。実家は神職を家職としていた。 1921年、市山村尋常高等小学校を卒業し島根県立浜田中学校に入学するも、長期の病気療養を経て1925年に退学、広島市の私立山陽中学校に編入し1927年に卒業した。医科大学進学を希望していたが、兄の死により牛尾が家業を継ぐことになり國學院大學神道部に進学する。なお母の死によって上京は1年遅れる。 在学中、鈴木棠三、三谷栄一らとともに方言研究会を創設し会誌「方言」を発刊するも3号で廃刊する。
近藤 益雄(こんどう えきお、1907年3月19日 - 19… 近藤 益雄(こんどう えきお、1907年3月19日 - 1964年5月17日)は、障害児教育実践家。 長崎県佐世保市生まれ。1927年國學院大學高等師範部卒。長崎県で小学校教師となり、生活綴方運動などにとりくむ。長崎の原爆で長男耿(あきら)を亡くす。1948年田平小学校長。1950年校長を自ら辞め、佐々町立口石小学校に特殊学級「みどり組」を開設、その担任となる。1953年のぎく寮(のちのぎく学園)を開き、1962年口石小を辞めてのぎく寮での実践に専念する。 「のんき・こんき・げんき」をモットーとした。文部大臣表彰、1954年読売教育賞、西日本文化賞、1963年ヘレン・ケラー教育賞、日本精神衛生連盟表彰。
折口 春洋(おりくち はるみ、旧姓: 藤井、1907年2月2… 折口 春洋(おりくち はるみ、旧姓: 藤井、1907年2月28日 - 1945年3月19日)は、日本の国文学者、歌人。折口信夫の門弟、養嗣子。國學院大學教授。最終階級は陸軍中尉。 1907年(明治40年)2月28日、石川県羽咋郡一ノ宮村一ノ宮寺家千五十七番地(現・羽咋市)に藤井升義の四男として生まれる。 1913年(大正2年)4月、一ノ宮小学校に入学。1919年(大正8年)4月、金沢市少将町高等小学校に転じる。長兄・次兄と共に、同村の老婦をつけて、早くから遊学させられた。1920年(大正9年)4月、石川県立金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)入学。 1925年(大正14年)4月、國學院大學予科入学。
藤井 貞文(ふじい さだふみ、1906年7月4日 - 199… 藤井 貞文(ふじい さだふみ、1906年7月4日 - 1994年6月12日)は、日本の歴史学者。國學院大學名誉教授。専門は、近世から近代に至る日本思想史。 山口県下関市の神職の家に生れた。1924年に旧制唐津中学校を卒業。國學院大學に進学し、折口信夫の門下で学んだ。1929年に国史学科卒業。 卒業後は維新史料編纂事務局編纂事務嘱託に採用された。維新史料編纂官補として勤務し、1938年から維新史料編纂官。しかし、1942年の官制廃止にともない退職。1943年からジャカルタ医科大学教授となるが、敗戦により帰国。 復員後は、1946年から帝国図書館・国立国会図書館に勤務。1951年、学位論文『明治初世に於ける国学の展開』を國學院大學に提出して文学博士号を取得。
祝 宮静(ほうり みやしず、1905年12月24日 - 19… 祝 宮静(ほうり みやしず、1905年12月24日 - 1979年4月20日)は、日本の民俗学者。 大分県宇佐市出身。京都の下鴨神社の宮司の長男として誕生する。父は子爵園池家からの養子、母方の家は大分県杵築の社家であった。1928年國學院大學卒業。その後、國學院大學助手、講師などを勤め、1933年より渋沢敬三のアチック・ミューゼアムで水産史関係資料を研究する。東京農業大学教授を1947年に辞職し郷里に帰る。[要出典]文化財保護委員会事務局から民俗資料の保護の担当者の人選を求められた渋沢の推薦により、1952年に文化財保護委員会事務局記念物課民俗資料係長、のち主任文化財調査官となり、1967年まで勤める。
浅野 信(あさの しん、1905年〈明治38年〉12月11日… 浅野 信(あさの しん、1905年〈明治38年〉12月11日 - 1984年〈昭和59年〉11月16日)は、日本の国語学者・国文学者。文学博士。和洋女子大学教授、國學院大學講師。本名は浅野信(のぶ)。 1905年(明治38年)、栃木県に生まれる。1929年(昭和4年)、國學院大學卒。松下文法の松下大三郎に学んだ。浅野の文法論も浅野文法とも言われ、「国語学・国文学の泰斗」とされ、文法学のみならず、すぐれた俳諧文芸の研究者としても評価された。1958年(昭和33年)3月、「切字の研究」によって國學院大學より文学博士号を授与される。 著書として、『切字の研究』のほか、『音韻上より見たる俳諧文法論』『日本文法辞典』『日本文法文章論』『日本文法語法論』『日本文法文体論』『日本文法発想論』『文法と文学』『俳諧の語意と文法』など。
石岡 久夫(いしおか ひさお、1905年2月12日 - 20… 石岡 久夫(いしおか ひさお、1905年2月12日 - 2000年1月14日)は、日本の兵法研究者、文学博士、弓道家(弓道範士十段)、本多流師範。國學院大學教授、國學院大學弓道部元師範。号は榊舎弓人。 広島県生まれ。学生時代に今まで余り史学者が手掛けてこなかった分野を研究したいと模索していた時に、休職中だった海軍大佐の有馬成甫(のち海軍少将)と知り合い、兵法学について関心を持つ。1934年國學院大學国史学科を卒業すると、有馬の推挙で多くの兵法文献を所蔵する江田島の海軍兵学校教育参考館に嘱託研究員として就職する。海軍兵学校教育参考館には、伊予松山藩の野沢文庫、上泉流を主体とする鳥取池田藩の鷲見文庫など膨大な兵書文献を所蔵していた。
長尾 薫(ながお かおる、1904年〈明治37年〉10月28… 長尾 薫(ながお かおる、1904年〈明治37年〉10月28日 - 1982年〈昭和57年〉2月22日)は、日本の神職。橿原神宮宮司。劔神社宮司、御上神社宮司、橿原神宮権宮司を歴任し、また滋賀県神社庁参事、奈良県神社庁長、神社本庁常務理事などを務めた。 明治37年(1904年)10月28日、岡山県勝田郡豊並村(現奈義町)大字関本に生まれた。 大正10年(1921年)4月1日、皇典講究所神職養成部(現國學院大學)乙種に入学。大正12年(1923年)3月30日、皇典講究所國學院大學神職養成部乙種を卒業し、同時に雅楽部を修了した。 大正12年(1923年)7月12日、橿原神宮に奉職して出仕となり、八級俸を受けた。
奥野 高廣(おくの たかひろ、1904年8月21日 - 20… 奥野 高廣(おくの たかひろ、1904年8月21日 - 2000年5月5日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所助教授。学位は、文学博士。現在[いつ?]でも織田信長研究の権威と評されている。 兵庫県洲本市生まれ。1928年(昭和3年)に國學院大學を卒業後、東京帝国大学史料編纂掛に勤務、『大日本史料』第2・9・10編や『史料綜覧』の編修に携わる。1941年(昭和16年)に東京帝国大学史料編纂官補、1954年(昭和29年)に東京大学史料編纂所助教授に就任。引き続き『大日本史料』第10・11・12編の編修にあたった。この間、1945年(昭和20年)6月12日には、『皇室御経済史の研究』が評価されて帝国学士院より恩賜賞を受賞。
本間順治(ほんま じゅんじ、1904年(明治37年)4月16… 本間順治(ほんま じゅんじ、1904年(明治37年)4月16日 - 1991年(平成3年)8月29日)は、日本の刀剣学者。文学博士、号は薫山(くんざん)。古刀研究の権威であり、本間美術館初代館長、日本美術刀剣保存協会会長などを務めた。山形県飽海郡(後の酒田市)出身。 1904年(明治37年)4月16日生。酒田本間家出身(9代当主・本間光弥の甥)。本間家は俗謡にうたわれたほどの日本有数の豪商。曽祖父の本間家7代当主・本間光美が大の刀好きで、幼少の頃より光美の日本刀の手入れを間近に見て育つ。外祖父も刀の目利きとして知られ、父も順治を目利きにすべく激励し、本家当主である伯父や従兄弟も大いに援助した。 國學院大學在学中、国文学と日本美術史を学ぶかたわら刀剣の鑑識を本格的に学びたく、遠縁で愛刀家の三矢宮松に相談し、今村長賀の高弟である刀剣鑑定師の神津伯(本職は海軍省水路部技師)に弟子入り、5年間修業する。
守屋 光春(もりや みつはる、明治37年〈1904年〉2月1… 守屋 光春(もりや みつはる、明治37年〈1904年〉2月1日 - 昭和63年〈1988年〉1月26日)は、日本の政治家、神職。歌人としては花醉(かすい)と号した。 政治家として神奈川県三浦郡葉山町の町議会議員を2期、町長を3期務めたほか、神職としては四條畷神社宮司、森戸大明神宮司、伏見稲荷大社宮司を歴任し、伏見稲荷大社名誉宮司となった。息子は、のちに同じく葉山町長を務めた守屋大光。 明治37年(1904年)2月1日、守屋喜代太郎・ヒデ夫妻の長男として、神奈川県に生まれた。守屋家は森戸大明神の累代の社家である。 地元の旧制中学校を卒業後、大正12年(1923年)國學院大學高等師範部に入学。在学中は折口信夫・武田祐吉らに古典を学び、特に短歌に秀でていた。
小野 祖教(おの もとのり、1904年 - 1990年)は、… 小野 祖教(おの もとのり、1904年 - 1990年)は、神道学者。 静岡県出身。旧姓木村、幼名政次。前名木村祖教。1930年国学院大学卒。大倉精神文化研究所所員、国民精神文化研究所嘱託、神社本庁教学部長・同常任講師、母校教授歴任。
久我 通顕(こが みちあき、1903年〈明治36年〉10月2… 久我 通顕(こが みちあき、1903年〈明治36年〉10月23日 - 1982年〈昭和57年〉11月10日)は、日本の華族。旧公卿家。侯爵。貴族院議員。女優久我美子の父。 久我常通の長男として生まれる。1936年(昭和11年)父退隠の後を承け、家督を相続する。國學院大學国文学科卒業。 1943年(昭和18年)内務省委員となり後近代商業美術協会長に就任 戦前、国語の教師をしたこともあったが、ほとんど仕事はしなかった。 華族の娘と一緒になるのはいやで、粋筋に通じた下町娘を好んだという。じっさい遊びでも華族ではアカ抜けていたほうで、下情にも通じていた。父常通も通顕も戦前は決まった職業を持たなかった。妻与志江によれば「遊び人の血筋なんでしょうか。
桑田 忠親(くわた ただちか、1902年11月21日 - 1… 桑田 忠親(くわた ただちか、1902年11月21日 - 1987年5月5日)は、日本の歴史学者。國學院大學名誉教授。勲三等瑞宝章受章。 1902年、東京市麹町区で生まれた。國學院大學国文学科に学び、卒業論文『明治時代の小説に表われた自然主義の研究』をまとめ、1926年卒業。1927年より東京帝国大学史料編纂所に勤務し、1945年に退官。この間、1942年に國學院大學講師に就任した。 埼玉県立川越高等女学校教諭を経て、1946年に母校の國學院大學文学部教授に就いた。戦国時代史を研究テーマとし、千利休などの茶人を研究。1952年、学位論文『茶道の大成』で國學院大學より文学博士の学位を取得。1973年に國學院大學を定年退職し、以降は客員教授として教鞭を執った。
久保寺 逸彦(くぼでら いつひこ、1902年9月10日 - … 久保寺 逸彦(くぼでら いつひこ、1902年9月10日 - 1971年11月5日)は、アイヌ文化およびアイヌ語の研究者。金田一京助の薫陶を受け、知里真志保、山田秀三と交友関係を持ち、ユーカラなどの口承文芸や宗教儀礼(儀式参照)の記録に多大な貢献を残した。墓所は多磨霊園。