スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
今井 隆吉(いまい りゅうきち、1929年2月16日ー201… 今井 隆吉(いまい りゅうきち、1929年2月16日ー2012年10月10日)は、日本の原子力問題の専門家、外交官、新聞記者、原子力技術者、科学評論家。専門は核不拡散、保障措置など。 1929年(昭和4年)、父今井文平(元大倉鉱業、元大倉商事会長)、母信子(または信、小坂善之助五女)の五男として東京に生まれる。兄に今井兼一郎(元日本機械学会会長)がある。元外務大臣小坂善太郎、元運輸大臣小坂徳三郎兄弟らは従兄弟にあたる。 少年時代、エドウィン・O・ライシャワー夫人から英語を習った。 旧制東京府立高等学校から、1952年東京大学理学部数学科卒、ガリオア資金で米国留学し、フレッチャー法律外交大学院(M.A)および1956年ハーバード大学大学院国際関係学修士(A.M)。
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宮内 嘉久(みやうち よしひさ、1926年1月4日 - 20… 宮内 嘉久(みやうち よしひさ、1926年1月4日 - 2009年12月13日)は、日本の建築評論家、建築批評家、建築史家、編集者、建築ジャーナリスト。 東京生まれ。旧制府立高等学校を経て東京大学第二工学部建築学科卒業。 雑誌「新建築」(1957年のいわゆる「新建築問題」で退職)、雑誌「THE JAPAN ARCHITECT」(新建築社、1956年の創刊時の担当)、雑誌「国際建築」(美術出版社、1968年廃刊)、「建築年鑑」(美術出版社、1969年まで)などを編集する。 その他にも、1956年に大谷幸夫らと五期会を設立、1958年に宮内嘉久編集事務所を開設、1969年にAF(建築戦線)を結成する。
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長谷川 公之(はせがわ きみゆき、1925年6月25日 - … 長谷川 公之(はせがわ きみゆき、1925年6月25日 - 2003年6月15日)は、日本の脚本家、美術評論家。 東京都生まれ。旧制府立高等学校を経て、千葉医科大学医学部卒業。警視庁刑事部鑑識課法医学室に勤務した経験を活かして、科学捜査と論理的な推理を基本にした東映の『警視庁物語』シリーズ24作品やTBSテレビの『七人の刑事』など数々のテレビドラマの脚本を書いた。映画の原作となる小説や映画のノベライズ作品も書いている。一方、美術評論家としても知られる。 日本シナリオ作家協会、日本推理作家協会、東洋陶磁学会、各会員。 1950年、警視庁に入庁し、刑事部鑑識課法医学室で検死作業に従事する。一方、学生時代の著作が映画化されたことをきっかけに脚本家としての活動を並行し、警視庁総務部広報課をへて、1957年に筆業に専念するため警視庁を退職した。
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山下 龍二(やました りゅうじ、1924年9月14日 - 2… 山下 龍二(やました りゅうじ、1924年9月14日 - 2011年3月23日)は、中国哲学研究者、名古屋大学名誉教授。 東京生まれ。父は日本大学教授を務めた弁護士の山下博章(1898年 - 1943年)。1943年東京府立高等学校(七年制)文科乙類卒業。1947年東京帝国大学文学部支那哲学文学科卒業、52年同大学院中国哲学科特別研究生満期退学。1954年法政大学第二高等学校教諭、1957年名古屋大学文学部講師、61年助教授、68年教授、70年文学部長、1988年定年退官、名誉教授、名古屋学院大学教授、89-92年同外国語学部長。
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吉野 昌夫(よしの まさお、1922年12月19日 - 20… 吉野 昌夫(よしの まさお、1922年12月19日 - 2012年7月1日)は、昭和期から平成期にかけての歌人。 東京都生まれ。東京大学農学部農業経済学科卒業。府立高等学校(現・首都大学東京)在学中の1942年、北原白秋創刊の歌誌『多磨』に入会し、木俣修に師事。翌年、学徒出陣。1953年、歌誌『形成』創刊に参加、編集に当たり、1983年の木俣没後は責任編集者を務めた。1997年、歌集『これがわが』で第4回短歌新聞社賞受賞。 職業としては、大学を卒業後、農林省に入った。その後、農林漁業金融公庫設立と同時に農林省を退職し、30歳で入庫。名古屋に二回ほど転勤。60歳で定年退職。最後の役職は理事。
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朝長 康郎(ともなが やすろう、1921年(大正10年)1月… 朝長 康郎(ともなが やすろう、1921年(大正10年)1月22日 - 2014年(平成26年)4月17日)は日本の数学者。宇都宮大学名誉教授。東京帝国大学理学部卒業。また長女は財務大臣の片山さつきである。 長崎県長崎市出身。陸軍軍人で近衛騎兵隊長を務めた朝長三郎と埼玉県知事を歴任した銀林綱男の五女・銀林はたの長男として生まれる。旧制府立高等学校を経て東京帝国大学理学部を卒業し理学博士となる。文献上の職歴は初期の著書初版発行当時に宇都宮大学教授・理学博士であることが明記されている。また後年の書籍では教育学部教授とも記載している。後に宇都宮大学名誉教授の称号を授与された。また娘に参議院議員の片山さつきがいる。
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永田 丕(ながた はじめ、1921年 -2012年9月3日 … 永田 丕(ながた はじめ、1921年 -2012年9月3日 )は日本の医師、医学者、医学博士。北信総合病院第4代院長(昭和41年4月 - 昭和61年3月)。現在は同院の名誉院長。 府立高等学校を経て、東京大学医学部を卒業する。長野県厚生農業協同組合連合会北信総合病院に外科医として赴任し、農村医療に従事した。1966年から1986年まで院長を務めた。退職後にパリ・ソルボンヌ大学(フランス文明講座)へ留学し、併せて国際音楽療法センターで音楽療法の研修を受けた。帰国後に北信総合病院精神科等で音楽療法を実践し、独自の理念にもとづいた「声による能動的精神音楽技法」などによる音楽療法の普及に貢献した。 また、府立高等学校在学時に学生歌「青春という」の作曲をしている。
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日高 八郎(ひたか はちろう、1920年6月10日 - 19… 日高 八郎(ひたか はちろう、1920年6月10日 - 1997年1月10日)は、日本の英文学者。社会学者の日高六郎の弟。 中国・青島生まれ。父(1875-1951)は長崎県壱岐島出身、東京外国語専門学校支那語科を出て北京大使館に勤めたあと商店を開いていた。少年時代は『暁』という家庭内新聞を発行した。1945年東京帝国大学英文科卒。指導教授は中野好夫。旧制府立高校教授を皮切りに旧・東京都立大学講師を経て1952年東京大学教養学部助教授、のち教授。1981年定年退官後、東京大学名誉教授、東海大学教授。1996年春、勲三等旭日中綬章受勲。 専門はシェイクスピア及び現代英文学。現代英文学の研究対象はチャールズ・ディケンズ、ロバート・ルイス・スティーヴンソン、D・H・ロレンス、T・S・エリオット、サマセット・モーム、オルダス・ハクスリー、ジョゼフ・コンラッド、キャサリン・マンスフィールド等多岐に渡る。
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八十島 義之助(やそしま よしのすけ、1919年(大正8年)… 八十島 義之助(やそしま よしのすけ、1919年(大正8年)8月27日 - 1998年(平成10年)5月9日)は、日本の土木工学者。工学博士。東京大学名誉教授。専門は鉄道工学、交通計画学。 東京府出身。慶應義塾幼稚舎、旧制府立高等学校(7年制)を経て、1941年に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業。翌年、母校の講師となる。その後、東京大学工学部助教授を経て、1955年「敷設軌条の力学的特性に関する研究」で工学博士となり、同年教授に就任。東大紛争では大学改革準備調査会委員長を務める。1980年に定年退官、名誉教授となるとともに、埼玉大学教授に就任。 1986年、帝京技術科学大学(現・帝京平成大学)初代学長に迎えられ、1992年3月、鉄道総合技術研究所(鉄道総研)会長となる。
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堤 重久(つつみ しげひさ、1917年8月21日 - 199… 堤 重久(つつみ しげひさ、1917年8月21日 - 1999年1月31日)は、日本の文芸評論家、京都産業大学名誉教授。 太宰治の一番弟子で、著書に『太宰治との七年間』がある。 東京新宿の開業医の息子。旧制東京府立高等学校(後の東京都立大学)3年在学時、18歳のとき、『晩年』を読んで衝撃を受け、太宰治に心酔する。府立高の1級上で友人だった小田切秀雄の紹介で清水幾太郎の門人となる。 東京帝国大学(現・東京大学)文学部独文科で木村謹治や相良守峯、中島健蔵、辰野隆に師事。大学在学中、平田次三郎、山下肇、小島輝正たちと共に「新思潮」に参加。 1940年初冬に太宰の門人となる。1942年大学卒業後は東大図書館に勤務しつつ、作家を志して長篇小説を執筆。
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堀田 政孝(ほった まさたか、1917年(大正6年)2月15… 堀田 政孝(ほった まさたか、1917年(大正6年)2月15日 - 1971年(昭和46年)12月20日)は、昭和期の官僚、政治家。衆議院議員。 岡山県出身。府立高等学校を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科試験に合格した。1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部を卒業。同年、内務省に入省し警保局属に任じられた。 太平洋戦争に出征し陸軍主計少尉となるが、病のため1944年(昭和19年)ラバウルから帰還し除隊となる。1945年(昭和20年)山形県警察部特別高等警察課長に赴任。石原莞爾の監視を命ぜられていたが、その弟子となる。 戦後に公職追放となる。そのため各種の事業を経営したがいずれも失敗。
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彌永 貞三(いやなが ていぞう、1915年(大正4年)7月1… 彌永 貞三(いやなが ていぞう、1915年(大正4年)7月12日 - 1983年(昭和58年)12月30日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所所長。従四位勲三等瑞宝章。 1915年、父の任地の長野県松本市で生まれた。父の転任に伴い東京で育ち、府立第四中学、府立高等学校を卒業。東京帝国大学文学部国史学科に入学し、日本古代史を専攻し、坂本太郎に師事。1939年、卒業論文『上代の貨幣史に関する研究』を提出して同大学を卒業した。同大学大学院に進学したが、同年12月より兵役につき、千葉の鉄道連隊に入営した。 1940年、北支派遣の鉄道連隊に転属。以後3年あまり中国各地を転戦。1943年に除隊。帰国し、東京帝国大学大学院を退学し、東京帝国大学史料編纂所常勤嘱託に就いた。
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井上 正蔵(いのうえ しょうぞう、1913年3月27日 - … 井上 正蔵(いのうえ しょうぞう、1913年3月27日 - 1989年11月2日)は、日本のドイツ文学者。旧・東京都立大学名誉教授。東京出身。 東京市京橋区(現中央区)新富町生まれ[要出典]。東京府立高等学校卒、1935年東京帝国大学文学部独文科卒業。在学中、滝川事件が起こり、滝川シンパとして戦う[要出典]。第11次『新思潮』に参加して小説を書く[要出典]。卒業後は東京帝国大学大学院に残り、1938年専修大学講師、1942年興亜工業大学教授、1945年成蹊高等学校講師、1946年旧制東京高等学校専任講師、1947年教授、1949年東京工業大学助教授、1955年旧・東京都立大学助教授、1963年教授。
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奥田 眞啓(おくだ まさひろ、1912年12月26日 – 1… 奥田 眞啓(おくだ まさひろ、1912年12月26日 – 1949年4月8日)は日本の歴史学者。専門は日本中世史。 東京生まれ。関東大震災罹災のため一時、鹿児島県に転居。1933年3月、府立高等学校 (旧制)を卒業。同年4月に東京帝国大学文学部国史学科入学、同期に井上清、磯貝正義、新城常三らがいる。卒業論文「鎌倉時代の武士と神社−特に其民族的信仰形態に就て」をまとめて、1936年に卒業。その後、東京帝国大学史料編纂所勤務。日本中世における氏寺について、先駆的な研究を行った。
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平山 輝男(ひらやま てるお、1909年8月16日 - 20… 平山 輝男(ひらやま てるお、1909年8月16日 - 2005年8月17日)は、日本の国語学者。東京都立大学名誉教授。日本音声学会第5代会長。 宮崎県北諸県郡中郷村(現:都城市)生まれ。1922年3月に中郷村尋常高等小学校を卒業。1928年3月に麻布中学校を卒業。1935年3月に國學院大學文学部国文学科卒業。1937年3月に國學院大學大学院修了。金田一京助、折口信夫に師事。 1937年4月に法政大学講師。1940年6月に東京府立高等学校教授。1949年4月に東京都立大学人文学部助教授。1957年に文学博士となった(学位論文「日本語音調の研究」)。 1962年2月に東京都立大学人文学部教授。1969年4月に東京都立大学附属図書館長。
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森脇 大五郎(もりわき だいごろう、1906年10月12日 … 森脇 大五郎(もりわき だいごろう、1906年10月12日 - 2000年4月25日)は、日本の生物学者。理学博士(1938年)。旧・東京都立大学名誉教授。専門は集団遺伝学。 1906年に大阪府で生まれる。東京帝国大学を卒業後、府立高等学校教授となる。1938年 東京大学理学博士 「The genetics of some mutant character in Drosopila ananassae(アナナス猩々蠅に於ける突然変異形質の遺伝)」。 1946年-1950年に校長に就任し、戦後の改編の中で東京都立大学附属高等学校校長を務める。1949年に東京都立大学教授となった。後東京都立大学学長にも就任した。
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石川道雄(いしかわ みちお、1900年10月23日 - 19… 石川道雄(いしかわ みちお、1900年10月23日 - 1959年2月25日)は、日本のドイツ文学者、詩人。 大阪府生まれ。東京帝国大学独文科卒業。山宮允の主宰する文芸誌『鈴蘭』に詩を発表。上京して日夏耿之介に師事し、1924年詩誌『東邦芸術』(のち「奢灞都」)を編集。その他、日夏の個人誌『パンテオン』『游牧記』『半仙戯』『豊葦原』などの雑誌に関わる。1929年東京府立高等学校教授。戦後國學院大學教授、山梨大学教授、1957年北海道大学教授。 ホフマンを研究、翻訳した。中央大学の校歌の作詞も担当した。墓所は多磨霊園。
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