大舘 右喜(おおだち うき、1933年4月15日 - )は、… 大舘 右喜(おおだち うき、1933年4月15日 - )は、日本の日本史学者。 埼玉県生まれ。弟は大舘勝治。國學院大學文学部史学科卒。1996年「近世社会の支配と構造」で國學院大學から博士(歴史学)を授与される。帝京大学文学部教授。2004年定年。
國學院大學:567人
大舘 右喜(おおだち うき、1933年4月15日 - )は、… 大舘 右喜(おおだち うき、1933年4月15日 - )は、日本の日本史学者。 埼玉県生まれ。弟は大舘勝治。國學院大學文学部史学科卒。1996年「近世社会の支配と構造」で國學院大學から博士(歴史学)を授与される。帝京大学文学部教授。2004年定年。
山川 静夫(やまかわ しずお、1933年2月27日 - )は… 山川 静夫(やまかわ しずお、1933年2月27日 - )は、日本のフリーアナウンサー、芸能評論家(特に歌舞伎)、エッセイスト。元NHKアナウンサー。
櫻井 満(さくらい みつる、1933年(昭和8年)2月25日… 櫻井 満(さくらい みつる、1933年(昭和8年)2月25日 - 1995年(平成7年)2月3日)は、日本の国文学者、民俗学者。文学博士(國學院大学・論文博士・1973年)。元國學院大学教授。 東京生まれ。國學院大學文学部文学科卒、同助教授、教授。1973年「万葉集東歌研究」で、國學院大学より文学博士の学位を取得。折口信夫、高崎正秀に師事し、『万葉集』の民俗学的研究をおこなった。息子が3人いる。櫻井彦は二男。 1995年2月3日、神経膠芽腫のため逝去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年2月21日 - 2025… 吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年2月21日 - 2025年)は、日本の古文書研究家。主な分野は江戸から明治期の文芸、草双紙の収集・研究。 1933年、福島県郡山市出身。國學院大学文学部卒業。 林美一に師事し、平成期を通じ古文書解読の講師として活動。 生涯学習1級インストラクター(古文書)。
宮崎 莊平(宮崎荘平、みやざき そうへい、1933年2月18… 宮崎 莊平(宮崎荘平、みやざき そうへい、1933年2月18日 - 2024年3月26日)は、日本の国文学者。新潟大学名誉教授。 長野県生まれ。國學院大學文学部卒、東京都立大学大学院博士課程満期退学。95年「女房日記の研究」で東京都立大学より文学博士。藤女子大学助教授、教授、新潟大学教授、97年定年退官、名誉教授、國學院大學教授。2004年退職。 2024年3月26日午後1時18分、特発性血小板減少性紫斑病のため千葉県松戸市の高齢者施設で死去。91歳没。
中村 幸弘(なかむら ゆきひろ、1933年 - )は、日本の… 中村 幸弘(なかむら ゆきひろ、1933年 - )は、日本の国語学者。学位は、文学博士(國學院大学・論文博士・1996年)(学位論文「補助用言に関する研究」)。國學院大學名誉教授、國學院大學栃木短期大学学長。 千葉県生まれ。國學院大學文学部文学科卒業。千葉県立佐原第一高等学校教諭・千葉県立大原高等学校教諭・國學院高等学校教諭、1971年國學院大學文学部専任講師・同文学部助教授・同文学部教授を経て2004年定年、國學院大學名誉教授、2005年弘前学院大学文学部教授、2007年國學院大學栃木短期大学教授・学長、2021年退任。2022年7月から東京都立大江戸高等学校副校長マネジメント支援員。1996年「補助用言に関する研究」で國學院大学より文学博士の学位を取得。
小泉 宜右(こいずみ よしあき、1933年 - 2019年7… 小泉 宜右(こいずみ よしあき、1933年 - 2019年7月7日 )は、日本の歴史学者。 1955年に卒業論文「東寺領播磨国矢野庄とその悪党について」をまとめ、國學院大學を卒業。同大学大学院に進み、論文「悪党の研究〔東寺領を中心として〕」を提出し、修士課程を修了。その後、東京大学史料編纂所に勤め、卒業論文の指導を受けた奥野高廣のもと、大日本史料第8編の編さんに従事する。1975年に同所助教授、1982年に教授となる。1993年に定年退職し、名誉教授となる。 本務に加えて、史料纂集では三箇院家抄、経覚私要鈔、政覚大僧正記の校訂を行い、岐阜県史、海老名市史、厚木市史にも携わった。また、学生時代から悪党の研究を続け、1981年にはその成果を『悪党』(教育社歴史新書)にまとめた。
渡辺 晧彦(わたなべ あきひこ、1932年(昭和7年)11月… 渡辺 晧彦(わたなべ あきひこ、1932年(昭和7年)11月15日 - )は、日本の政治家。元山梨県富士吉田市長(2期)。 山梨県出身。國學院大學政経部卒。富士吉田市役所に入り、行政企画部長などを務め、1987年の富士吉田市長選挙に立候補し当選した。1991年に再選。1995年の市長選挙で元県議の栗原雅智に敗れた。
加藤 有次(かとう ゆうじ、1932年8月1日 - 2003… 加藤 有次(かとう ゆうじ、1932年8月1日 - 2003年11月11日)は、日本の博物館学者、うどん研究家。國學院大學名誉教授。 東京出身。國學院大學文学部卒。國學院大學助教授、教授、95年「博物館学及び博物館の歴史的研究」で國學院大博士 (歴史学)。2002年定年、名誉教授。川崎市市民ミュージアム館長。うどんに造詣が深くうどん博士として知られた。
山本 信吉(やまもと のぶよし、1932年7月18日-201… 山本 信吉(やまもと のぶよし、1932年7月18日-2014年2月27日)は、日本史学者、奈良国立博物館名誉館長。 1932年、神道学者・山本信哉の子として東京で生れた。國學院大學文学部史学科で学び、1956年に卒業。同大学大学院日本史学専攻に進み、1961年に博士課程を単位取得退学。 1960年より文化財保護委員会事務局美術工芸課書跡調査係に勤務。文化庁文化財保護部主任文化財調査官、美術工芸課長、文化財鑑査官、奈良国立博物館長を務めた。奈良国立博物館長退任後に同館名誉館長。2009年、学位論文『摂関政治史論考』を東京大学に提出して文学博士号を取得。2014年に死去。
室伏 信助(むろふし しんすけ、1932年7月3日 - 20… 室伏 信助(むろふし しんすけ、1932年7月3日 - 2021年9月30日)は、日本の国文学者。跡見学園女子大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。1955年國學院大學文学部文学科卒業。1960年國學院大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1965年跡見学園女子大学専任講師、1971年同助教授、1976年同教授。1993年、跡見学園女子大学名誉教授、東京女子大学文理学部教授。1996年『王朝物語史の研究』で、國學院大学より文学博士の学位を取得、角川源義賞を受賞。2001年、東京女子大学定年退任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小林 完吾(こばやし かんご、1932年4月27日 - )は… 小林 完吾(こばやし かんご、1932年4月27日 - )は、日本のアナウンサー、ニュースキャスター、司会者、ジャーナリスト、タレント。CMにも出演。愛称は「完吾さん」。 1960年2月6日、ラジオ南日本(現在の南日本放送)に入社し、放送業界に入った。1963年9月2日、日本テレビ放送網に移籍した。1992年4月、日本テレビ放送網を定年退職した。フリーアナウンサーとなり、オフィスこばやしを立ち上げた。 神奈川県鎌倉市出身。6人兄弟(兄2・姉2・弟)の5番目で三男である。両親はともに東京都出身である。祖父は洋画家の小林萬吾、母方の祖父は医学博士の中島譲吉である。親戚には元九州朝日放送アナウンサーで現在の福岡市長である高島宗一郎がいる。
菅野 雅雄(すがの まさお、1932年3月4日 - )は、日… 菅野 雅雄(すがの まさお、1932年3月4日 - )は、日本の国文学者。 1932年、岡山県岡山市で生まれた。國學院大學文学部国文科で学び、卒業。同大学大学院に進み、1963年に博士課程を満期退学。 名城大学法学部助教授に就き、後に東京理科大学教授、武蔵野女子大学教授に転じた。1973年、学位論文『古事記説話の研究』を國學院大學で文学博士の学位を取得。1989年に中京大学教授となり、2002年に定年退任。 学界では古事記学会理事を務めた。
吹野 安(ふきの やすし、1932年2月20日 - 2015… 吹野 安(ふきの やすし、1932年2月20日 - 2015年2月1日)は、日本の漢文学者。國學院大學名誉教授。中国古典学専攻。 茨城県西茨城郡大原村(現・笠間市)出身。1956年國學院大學文学部中国文学科卒、1957年大東文化大学文学部中国文学科専攻科修了。1958年錦城商業高等学校教諭、1966年錦城高等学校講師、1967年相模女子大学学芸学部専任講師、1969年助教授、1971年國學院大學文学部助教授、1978年教授、1985年「中国古代中世文学発想論」で國學院大學文学博士。1997年退職、名誉教授。 吹野安の中国学に関する学績を記念し、吹野の意志に基づき、学術奨励のために平成10(2008)年度から設置された。
福田 晃(ふくだ あきら、1932年1月26日 - 2022… 福田 晃(ふくだ あきら、1932年1月26日 - 2022年1月9日)は、日本の国文学者・民俗学者。専門は説話文学。学位は、文学博士(國學院大學・論文博士・1985年)(学位論文「神道集説話の成立」)。立命館大学名誉教授。 福島県会津若松市出身。1950年3月に福島県立会津工業高等学校を卒業後、5年間の社会人生活を経て、1955年4月に國學院大學文学部に入学する。入学当初は、国語の教員をしながら小説を書く生活を送りたい、と考えていたため近現代文学を志し、当時同大学英文科で教鞭を採っていた丸谷才一と親交を深める。ただし、丸谷は近現代文学を専攻することをよしとせず、同大学の中でも教学条件が整っている古典文学を専攻するように勧めたことで、その後の進路を決めた。
赤司 美知子(あかし みちこ、1932年〈昭和7年〉 - 没… 赤司 美知子(あかし みちこ、1932年〈昭和7年〉 - 没年不明)は、日本の女性神職。日本橋に鎮座する水天宮の第4代宮司。 1932年(昭和7年)、福岡県久留米市に社家ではなく一般家庭に長女として生まれる。家事を手伝いつつも29歳になっても嫁がないさまを見かねた父親が日本橋水天宮で勤めることを勧め、1960年(昭和35年)に上京し、翌年より水天宮に勤務。勤務当初の宮司であった甲斐田有美より神職となることを勧められたが、職員数が少ない中で一か月の休み取らなければならなかったためこれを固辞した。しかし、植田茂宮司時代になると神職数が3人に増え、支援を受けられることを承けて、1978年(昭和53年)に國學院大學に通い始め、神職資格を取得。
山口 博(やまぐち ひろし、1932年 - )は、日本の日本… 山口 博(やまぐち ひろし、1932年 - )は、日本の日本近代文学研究者。元・鎌倉女子大学教授。 静岡市生まれ。國學院大學文学部卒業。高校教諭となり、神奈川県立平塚江南高等学校校長、鎌倉女子大学講師、助教授、教授。
滝田 ゆう(たきた ゆう、1931年(昭和6年)12月26日… 滝田 ゆう(たきた ゆう、1931年(昭和6年)12月26日 - 1990年(平成2年)8月25日)は、日本の漫画家、エッセイスト。本名・瀧田祐作。 東京市下谷区坂本町(現東京都台東区下谷)の指物職人の家に生まれる。出生の翌日に実母が亡くなり、家庭の事情で叔父の家に養子に行き、東京市向島区寺島町(現東京都墨田区東向島)の旧私娼街玉の井で、義理の両親と義兄1人義姉2人の6人家族で育つ。物心付いたころから養子先はスタンドバーを営んでいた。落語家の3代目三遊亭圓歌は寺島第二國民学校の2歳年上だが同学年の幼馴染。東京都立墨田川高等学校卒業後、國學院大學文学部に進むがほとんど通わず中退する。 1949年(昭和24年)〜1950年(昭和25年)頃、漫画家・田河水泡の内弟子となる。
三本 和彦(みつもと かずひこ、1931年?12月22日 -… 三本 和彦(みつもと かずひこ、1931年?12月22日 - 2022年7月16日)は、日本のモータージャーナリスト。有限会社 三信工房 代表。日本自動車ジャーナリスト協会名誉会員。日本写真家協会会員、日本自動車研究者&ジャーナリスト会議(RJC)名誉会員。 東京都出身。埼玉工業大学の前身である東京商工学校機械工学科を経て、1954年、國學院大學政経学部経済学科を卒業した。1956年、東京写真大学(現在の東京工芸大学)写真技術科を卒業した。 1956年から1967年まで東京新聞の写真部記者として活動するかたわら、学生時代のアルバイトを通じて小林彰太郎と知り合った縁から、1962年に創刊された『カーグラフィック』の写真撮影を務めた。
渡辺 直彦(わたなべ なおひこ、1931年11月10日 - … 渡辺 直彦(わたなべ なおひこ、1931年11月10日 - 2002年5月14日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所教授。文学博士。専門は日本古代史。 広島県出身。1958年、國學院大學文学部史学科を卒業、1963年、國學院大學大学院文学研究科を単位取得し、國學院大學文学部助手に着任。同年、東京大学史料編纂所に転任し、1979年助教授、1982年教授、『大日本史料』第2編の編修に従事した。1985年に史料編纂所を退職後は、駒澤大学文学部教授を1996年に退職するまでつとめた。 主著である『日本古代官位制度の基礎的研究』によって、1973年に國學院大學より文学博士の学位を取得、また三矢博士記念賞を受賞した。
桜井 信夫(さくらい のぶお、1931年10月18日 - 2… 桜井 信夫(さくらい のぶお、1931年10月18日 - 2010年8月18日)は、日本の詩人、児童文学作家。日本民話の会会員。 東京出身。國學院大學文学部国文学科卒業。 1999年に長編叙事詩集『ハテルマシキナ よみがえりの島・波照間』で第29回赤い鳥文学賞、第39回日本児童文学者協会賞、第3回三越左千夫少年詩賞特別賞受賞。 妻は児童文学作家の中島信子。
小倉 基(おぐら もとい、1931年(昭和6年)9月28日 … 小倉 基(おぐら もとい、1931年(昭和6年)9月28日 - 2015年(平成27年)11月19日)は、日本の政治家。世界連邦東京都渋谷区連合会会長。 東京都選挙管理委員会委員長、東京都渋谷区長(2期)、東京都議会議員(5期)、渋谷区議会議員(2期)を務めた。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1948年に旧制高梁中学(現在の岡山県立高梁高等学校)を卒業、國學院大學予科を経て、國學院大學へ入学する。その後、同大学政経学部卒業し、岡崎英城衆議院議員の秘書を務める。 1959年、渋谷区議会議員選挙に出馬し、初当選。区議は2期務める。1973年、東京都議会議員選挙に渋谷区選挙区から出馬し、当選。東京都議会議員を5期20年の長きにわたり務め、1988年には藍綬褒章受章。
段木 一行(だんぎ かずゆき、1931年8月18日 - )は… 段木 一行(だんぎ かずゆき、1931年8月18日 - )は、日本史学・博物館学者。 千葉県出身。國學院大學文学部史学科卒業。卒業論文は、「荘園制の崩壊過程(序)」。1958年法政大学大学院修士課程修了。東京都教育庁学芸研究職、文化財調査担当課長補佐、1988年「中世村落構造の研究」で法政大学文学博士。法政大学文学部教授。2002年定年退任。秋山庄太郎写真芸術館館長。専門は博物館学・日本中世史研究。
塩瀬 盛道(しおせ もりみち、1931年5月23日 - 20… 塩瀬 盛道(しおせ もりみち、1931年5月23日 - 2001年3月25日)は、日本のプロ野球選手(投手・外野手。右投右打)、大学野球指導者(監督)、実業家。 初打席初本塁打を放つも、以後再び打席に立つことも試合に出ることもなかったため、通算打率10割・通算長打率40割・通算OPS5.000という、稀有の記録を有する選手である。この記録は、日本プロ野球の歴史の中で、塩瀬とドン・シュルジー(オリックス)の2例しか見受けられない。通算出場試合が1試合、しかも初球で仕留めた記録となると、塩瀬のみである。 東京府荏原郡馬込町(現在の東京都大田区馬込)で生まれる。戦火に遭い、母親の実家がある茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市)へ疎開する。
中川 晴之助(なかがわ はるのすけ、1931年1月2日 - … 中川 晴之助(なかがわ はるのすけ、1931年1月2日 - 2018年11月25日)は、東京放送(TBS、現・TBSホールディングス / TBSテレビ)演出部、映画部に所属した監督、テレビディレクター。 1931年(昭和6年)、洋画家の中川一政の次男として生まれる。1953年(昭和28年)、國學院大學文学部を卒業。1955年(昭和30年)、東京放送の前身であるラジオ東京(KRT)に入社する。1985年(昭和60年)、テレパックへ出向し晩年まで東京放送ホールディングス社友であった。 2018年11月25日に肺炎のため死去した。87歳没。墓所は雑司ヶ谷霊園。 1966年(昭和41年)、中川は1月より放映開始された円谷特技プロダクションが制作するTBSテレビの特撮テレビ番組『ウルトラQ』のコイン怪獣カネゴンが登場する話「カネゴンの繭(まゆ)」を監督した。
徳江元正(とくえ げんせい、1931年 - 2016年11月… 徳江元正(とくえ げんせい、1931年 - 2016年11月30日)は、日本の国文学者。中世芸能が専門。学位は、文学博士(國學院大学・論文博士・1985年)(学位論文「室町藝能史論攷」)。國學院大學名誉教授。 東京生まれ。1954年國學院大學文学部国文科卒、1963年同文学部専任講師、1967年助教授、1977年教授。1985年「室町藝能史論攷」で國學院大学より文学博士の学位を取得。2002年定年退職、名誉教授。
荻久保 泰幸(おぎくぼ やすゆき、1930年12月11日 -… 荻久保 泰幸(おぎくぼ やすゆき、1930年12月11日 - 2019年2月17日)は、日本近代文学研究者、國學院大學名誉教授。 東京生まれ。國學院大學文学部国文科卒。國學院大學助教授、教授、2001年定年退任、名誉教授。1966年、矢島道弘、島田昭男、伴悦らと無頼文学会を創設。
椎名 仙卓(しいな のりたか、1930年12月8日 - )は… 椎名 仙卓(しいな のりたか、1930年12月8日 - )は、日本の博物館学・博物館史学者。 千葉県山武郡大網白里町(現大網白里市)生まれ。國學院大學文学部卒。佐渡博物館勤務、国立科学博物館勤務、図書館長、教育普及事業を担当。千葉大学図書館情報サービス課長、聖徳大学川並記念図書館副館長。財団法人佐渡博物館参与。八千代市郷土博物館協議会委員。1965年棚橋賞受賞。
渡辺 昭五(渡邊昭五、わたなべ しょうご、1930年11月1… 渡辺 昭五(渡邊昭五、わたなべ しょうご、1930年11月12日 - 2014年2月3日)は、日本文学研究者。学位は、(國學院大學・論文博士・1977年)。大妻女子大学名誉教授。 東京生まれ。1934年父の関東軍転任とともに満州に渡った。1943年、新京第一中学校(旧制)に入学。敗戦直前にソビエト・満州国境に動員された。敗戦後、浮浪生活を経た後、1946年に日本へ引き揚げた。旧制埼玉県立熊谷中学校(現埼玉県立熊谷高等学校)に転入し、1949年に卒業。就職しながら大学進学を目指し、1955年國學院大學文学部国文学科に入学。1959年に卒業し、同大学院に進んだ。1961年に修士課程を修了、博士課程に進んだ。
平野 孝國(ひらの たかくに、1930年4月 - 2021年… 平野 孝國(ひらの たかくに、1930年4月 - 2021年3月25日)は、日本の神道学者。新潟大学名誉教授。主な専門は神道学。 神奈川県出身。学生時代、柳田國男・折口信夫等の講義を受け、民俗学を学ぶ。副手・助手として柳田の研究室に勤務。外国の文化・民俗にも関心を持ち、1959年からオランダ、1961年からドイツへ留学するなど、文化人類学にも精通。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、神道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 神道/ウィキプロジェクト 神道)。
畑島 喜久生(はたしま きくお、1930年3月1日 - )は… 畑島 喜久生(はたしま きくお、1930年3月1日 - )は、日本の児童文学研究者、教育評論家、詩人。 長崎県対馬生まれ。15歳で西浦上で原爆に遭う。1949年長崎師範学校卒、五年間教師をして1954年上京、1956年國學院大学文学部卒業。公立学校教師を経て、1982年東京都公立学校教頭、1986年調布市立国領小学校校長、1990年定年退職後、白百合女子大学・東京学芸大学・山梨大学講師、東京保育専門学校長を経て、同校理事・学監。20年余、小学校国語教科書(学校図書)の編集に携わる。現代少年詩の会代表(「少年詩の学校」主宰)。日本児童文学者協会会員。
伊藤 幹治(いとう みきはる、1930年1月4日 - 201… 伊藤 幹治(いとう みきはる、1930年1月4日 - 2016年3月29日)は、日本の人類学者・民俗学者。国立民族学博物館名誉教授。 東京都出身。1953年國學院大學文学部文学科卒、1955年同大学院文学研究科修士課程修了。1975年「稲作儀礼の研究」で國學院大學より文学博士の学位を取得。1954年東京都立明正高等学校教諭、1956年國學院大学日本文化研究所研究員、1959-1960年琉球国際短期大学助教授、1966-1968年ハーヴァード大学燕京研究所客員研究員、1969年國學院大學文学部助教授、1974年国文学研究資料館教授、同6月国立民族学博物館教授。1988年退職、名誉教授、成城大学教授に就任。
春田 宣(はるた あきら、1930年 - 1999年4月6日… 春田 宣(はるた あきら、1930年 - 1999年4月6日)は、国文学者。
伊吹 一(いぶき はじめ、1930年 - 1986年6月5日… 伊吹 一(いぶき はじめ、1930年 - 1986年6月5日)は、言語心理学者。 北海道生まれ。1959年國學院大學大学院博士課程満期退学。國學院大學・工学院大学講師、NHK「じょうずな話し方講座」講師等を経て、NHK学園「美しい日本語講座」担当。学際教育センター理事長・学長。電話応対コンクール東京大会審査員。1986年死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岡田 精司(おかだ せいし、1929年12月23日 - 20… 岡田 精司(おかだ せいし、1929年12月23日 - 2019年1月25日)は、日本史学者。 東京生まれ。1954年國學院大學文学部史学科卒、1973年「古代王権の祭祀と神話」で大阪市立大学文学博士、立命館大学助教授、三重大学教授、1993年定年。
内藤 茂(ないとう しげる、1929年8月5日 ‐ 2005… 内藤 茂(ないとう しげる、1929年8月5日 ‐ 2005年5月15日)は、日本の在野の日本語学者・日本文学者。八丈方言・和歌を専門とする。
坪井 洋文(つぼい ひろふみ、1929年(昭和4年)7月28… 坪井 洋文(つぼい ひろふみ、1929年(昭和4年)7月28日 - 1988年(昭和63年)6月25日)は、日本の民俗学者。音読みで「ようぶん」と呼ばれることもある。 広島県出身。國學院大學卒。國學院大學助教授、教授、1981年国立歴史民俗博物館教授。1984年「稲を選んだ日本人 民俗的思考の世界」で國學院大學文学博士。 農耕文化を研究。柳田國男の稲作単一文化論を批判し、『イモと日本人』で焼畑文化を主張した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年4月6日 - 20… 鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年4月6日 - 2005年10月9日)は、歌人、エッセイスト。 山形県鳥海山麓生まれ。1949年歌誌「アララギ」入会。その後「歌と観照」「短詩型文学」に所属する。家出同然で上京して、様々な仕事を経験しながら学費を稼ぎ、1955年國學院大學文学部日本文学科卒業。児童養護施設に洗濯婦として働き始め、身寄りのない子供たちの継母として26年間勤め上げた。1985年、歌集「花いちもんめ」で第29回現代歌人協会賞受賞。1992年東京都文化功労賞受賞。現代歌人協会会員。児童養護施設勤務経験をもとにした随筆も執筆している。2005年、NHKラジオの「ラジオ深夜便」にて誕生日の花にちなんだ短歌を一年間発表。
綾部 仁喜(あやべ じんき、1929年3月26日 - 201… 綾部 仁喜(あやべ じんき、1929年3月26日 - 2015年1月10日)は、東京出身の俳人。 八王子生まれ。國學院大學文学部卒業。1953年「鶴」に入会、石田波郷、石塚友二に師事。1974年、小林康治創刊の「泉」に入会。1977年より「泉」編集を担当、1980年から「泉」編集長。1990年、石田勝彦より「泉」主宰を継承。1994年『撲簡』により第34回俳人協会賞、2008年『山王林だより』により第23回俳人協会評論賞、2009年『沈黙』により第9回俳句四季大賞受賞。2014年「泉」主宰を藤本美和子に譲り同顧問となる。「かたくりの花の韋駄天走りかな」(『樸簡』所収)など、韻文性が強く余情の深い句風が特徴。
渡瀬 昌忠(わたせ まさただ、1929年3月24日 - 20… 渡瀬 昌忠(わたせ まさただ、1929年3月24日 - 2017年1月14日)は、日本の国文学者。文学博士(國學院大学・論文博士・1977年)。元大東文化大学教授。上代文学、『万葉集』が専門。 兵庫県生まれ。大東文化学院国語国漢科、國學院大學文学部国文科卒、1977年「柿本人麻呂研究 歌集非略体歌論」で國學院大学より文学博士の学位を取得。兵庫県立尼崎北高等学校、埼玉県立戸田高等学校などの教諭を経て、大東文化大学専任講師、助教授を経ずに教授。1987年実践女子大学教授。99年定年。講談社取締役・渡瀬昌彦とノンフィクション作家・渡瀬夏彦の父。旧制中学時代の同級生に河合隼雄がいる。
泉田 芳次(いずみだ よしつぐ、1928年〈昭和3年〉9月1… 泉田 芳次(いずみだ よしつぐ、1928年〈昭和3年〉9月17日 - 2007年〈平成19年〉8月17日)は、日本の政治家、官僚。元山口県下関市長。 奈良県出身。1957年(昭和32年)國學院大學文学部卒業。 1960年(昭和35年)総理府事務官となり、1966年(昭和41年)下関市財政課長、水道事業管理者を経て、1972年(昭和47年)助役。1979年(昭和54年)下関市長に当選し、3期務めた。1991年(平成3年)落選した。
富岡 興永(とみおか おきなが、1928年〈昭和3年〉6月2… 富岡 興永(とみおか おきなが、1928年〈昭和3年〉6月26日 - 2012年〈平成24年〉7月20日)は、日本の神職。富岡八幡宮宮司(第19代)。 富岡盛彦・好子の次男として東京都に生れる。別名宰一郎か。1950年、國學院大學の旧制哲学科を卒業。同年、電通に入社。 1959年、京都府宮津市にある籠神社の禰宜となる。時期は不明だが、同神社宮司の海部穀玄の長女と結婚した。 1960年、東京都に戻り富岡八幡宮の禰宜となる。 1974年9月9日、父の富岡盛彦が死去。同年、父の後継として富岡八幡宮第19代宮司に就任。 1994年10月に宮司退任。1995年3月、長男の富岡茂永が宮司となり、興永は名誉宮司となった。
5代目柳家 つばめ(やなぎや つばめ、1928年4月30日 … 5代目柳家 つばめ(やなぎや つばめ、1928年4月30日 - 1974年9月30日)は、落語家。本名∶木村 栄次郎。出囃子は『外記猿』。 宮城県石巻市の出身。大学卒の落語家第一号。國學院大學卒業後、神奈川県藤沢市の中学校の教師を経て1952年4月、5代目柳家小さんに入門して小伸を名乗る。 1954年3月に二ツ目昇進、5代目柳家小山三を襲名。1960年2月に夢月亭歌麿と改名する。 1963年3月、7代目立川談志とともに真打昇進、5代目 柳家つばめを襲名。 1974年に肝硬変により死去。享年46。 字心、絵心もあって楽屋の楽屋帳もビラ文字(寄席文字)で丁寧に書いていた。高座では似顔絵を描く演出も試み、漫画家清水崑にも入門し雑誌等に絵や文章が掲載されるほどの腕前であった。
上杉 千年(うえすぎ ちとし、1928年 - 2009年8月… 上杉 千年(うえすぎ ちとし、1928年 - 2009年8月4日)は、日本の歴史研究家、高等学校教諭。新しい歴史教科書をつくる会理事や職能団体「日本教師会」代表を務めていた[要出典]。 岐阜県生まれ。1950年、國學院大學文学部史学科を卒業。高等学校の社会科教師として岐阜県・静岡県で教鞭をとる傍ら、歴史教科書問題の研究家として多くの論文を発表する。 2007年7月13日、在日アメリカ大使館に提出されたアメリカ合衆国下院121号決議全面撤回を求める抗議書にも賛同者として名を連ねた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
南 和男(みなみ かずお、1927年12月19日 - 201… 南 和男(みなみ かずお、1927年12月19日 - 2017年9月24日)は、日本の日本史学者。 大阪府大阪市天王寺区上本町生まれ。1951年國學院大學文学部国史学科卒業。1981年「幕末江戸社会の研究」で立正大学より文学博士の学位を取得。東京都の公立中学校教諭、1958年東京都立航空工業高等専門学校講師となり、教授で定年退職、1988年駒澤大学文学部教授となり、1998年定年退職。江戸時代の風俗などを研究した。
上田 賢治(うえだ けんじ、1927年9月20日 - 200… 上田 賢治(うえだ けんじ、1927年9月20日 - 2003年3月27日)は、日本の神道学者。國學院大學名誉教授。宗教心理学・神道神学専攻。 1927年、大分県で生まれた。國學院大學文学部で二木謙一らの下で学び、1952年に卒業。同大学大学院神道学専攻に進学し、1954年に修士課程を修了した。 1956年、川村短期大学助教授に就いた。1958年、ハーバード大学大学院に留学。1967年、國學院大學文学部助教授となり、1973年に教授昇格。ボン大学日本学講座客員講師も務めた。1982年、学位論文『國學の研究:草創期の人と業績』を國學院大學に提出して文学博士号を取得。1984年より國學院大學日本文化研究所所長。
三隅 治雄(みすみ はるお、1927年8月6日 - 2026… 三隅 治雄(みすみ はるお、1927年8月6日 - 2026年2月2日)は、日本の民俗学者、芸能研究者。東京国立文化財研究所名誉研究員、文学博士。元実践女子大学教授 1927年、大阪府に生まれた。國學院大學国文学科で折口信夫、西角井正慶に師事し、日本芸能史研究を志す。1950年に國學院大學文学部国文学科を卒業。1952年、東京国立文化財研究所設立と同時に入所し、芸能部郷土芸能研究室長、芸能部部長を歴任。その間、「民俗芸能史研究」により、1976年3月16日に文学博士の学位を國學院大學から授与された。1990年、実践女子大学教授となる。1998年に実践女子大学を定年退任。 学界では、芸能学会会長。
高橋 在久(たかはし すみひさ、1927年4月13日 - 2… 高橋 在久(たかはし すみひさ、1927年4月13日 - 2005年7月29日)は、千葉県の文化行政、地域文化に携わった人物。 千葉県青堀町(現富津市)生まれ。1950年國學院大學文学部日本史学科卒業。千葉県教育庁で文化財保護の仕事に携わる。1970年千葉県立上総博物館館長。1973年富津市文化財審議会委員。1980年千葉県立美術館館長。1984年江戸川女子短期大学講師、助教授、90年教授、2000年退職、名誉教授。1997年NHK地域放送文化賞受賞。文化財保護功労者として文部大臣表彰を受ける。2001年富津市文化財審議会会長。2002年東京湾海堡ファンクラブ設立、会長に就任。
坂根 義久(さかね よしひさ、 1927年2月8日 - 19… 坂根 義久(さかね よしひさ、 1927年2月8日 - 1984年12月4日)は、日本の歴史学者。専門は日本近代史(外交史)。東京都出身。 1949年に東京第二師範学校を卒業後、東京教育大学附属駒場高等学校教諭。1956年、國學院大學文学部第二部史学科卒業、1960年同大学院修士課程修了、1965年同大学院博士後期課程満期退学。
辻 蟻郎(つじ ありろう、1927年 -)は日本の小説家、推… 辻 蟻郎(つじ ありろう、1927年 -)は日本の小説家、推理作家。東京市下谷区入谷町(現台東区入谷)生まれ。『宝石』(辻五郎名義)、『幻影城』に短編が掲載されている。 本名は鈴木正昭。國學院大學卒。1963年と1964年に、推理小説誌『宝石』で短編推理小説が入選し、掲載された(辻五郎名義)。1977年、探偵小説専門誌『幻影城』の第2回幻影城新人賞小説部門で「拒まれた死」が佳作となり、掲載された(入選作なし、辻以外の佳作は加藤公彦、霜月信二郎)。