春 彦一(はる ひこいち、1900年(明治33年)9月27日… 春 彦一(はる ひこいち、1900年(明治33年)9月27日 - 1965年(昭和40年)11月2日)は、日本の地方官僚。官選岩手県知事、東京都副知事。 福岡県出身。春米吉の二男として生まれる。福岡県立嘉穂中学校、第三高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年4月、東京市役所事務員となり電気局庶務課に配属された。 以後、東京市主事、電気局庶務課長、企画局庶務課長、同企画課長、同財務課長、総務局文書課長、電気局総務課長、東京市理事・電気局電車部長、市長室企画部長、東京都交通局総務課長、港湾局長、交通局長などを歴任。 1946年1月、岩手県知事に就任。
堀内 豊秋(ほりうち とよあき、1900年〈明治33年〉9月… 堀内 豊秋(ほりうち とよあき、1900年〈明治33年〉9月27日 - 1948年〈昭和23年〉9月25日)は、日本の海軍軍人、体操研究者。最終階級は海軍大佐。熊本県熊本市出身。海兵50期。 御馬下尋常小、濟々黌を経て、海軍兵学校第50期入校。席次は入校時298名中283番、卒業時272名中156番。堀内は第13期飛行学生(艦上機班)となったが飛行作業中に車輪止め位置を直そうと駆け寄りプロペラ接触、2日間意識不明の重症を負い2ヶ月間程治療後、飛行場に出るも教官から次期飛行学生に編入されると告げられ憤然とし「次期編入であれば飛行学生を辞めます」と立ち去ったという。このため砲術専攻へ転科し、のち駆逐艦や巡洋艦の砲術長を歴任した。
戸坂 潤(とさか じゅん、1900年9月27日 - 1945… 戸坂 潤(とさか じゅん、1900年9月27日 - 1945年8月9日)は、日本の哲学者。
佐伯 仁三郎(さえき じんざぶろう、明治33年(1900年)… 佐伯 仁三郎(さえき じんざぶろう、明治33年(1900年)9月27日 - 昭和49年(1974年)7月31日)は、日本の歌人、国文学者。文学博士。 祖父は儒学者正墻適処。兄は歌人佐伯新一郎。 鳥取県倉吉市仲ノ町に教育者佐伯元吉の三男として生まれた。 鳥取師範(現鳥取大学地域学部)、東京高等工業学校(現東京工業大学)を経て1937年早稲田大学文学部卒業。新聞記者や満州国官吏を歴任し、1960年「歴代和歌の詞に関する論文」で文学博士の学位を得る。 1926年歌誌『国民文学』に入社。「論の佐伯、作の新免(新免忠)」といわれ、『短歌雑誌』の歌壇批評で中央歌壇から注目された。 1935年歌誌『槻の木』に入社し窪田空穂に師事、戦後は歌誌『珊瑚礁』『樹木』同人、また『花冠』を主宰する傍ら多くの雑誌に短歌論を発表してその地位を不動のものとした。
大越 隆三(おおこし りゅうぞう、1900年(明治33年)9… 大越 隆三(おおこし りゅうぞう、1900年(明治33年)9月26日 - 1943年(昭和18年)2月8日)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。嘉義市尹 福島県出身。1925年(大正14年)3月、東北帝国大学理学部を経て、1928年(昭和3年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1929年(昭和4年)10月、高等試験行政科に合格後、1930年(昭和5年)4月に台湾総督府警務局保安課に出仕し、1933年(昭和8年)12月に地方警視に進み、屏東警察署長を経て、1934年(昭和9年)9月に台中州警務課長となり、1935年(昭和10年)9月、同州警務部高等警察課長に転じた。 ついで、台北州勧業課長を経て、1939年(昭和14年)7月に台南州嘉義市尹に就任した。
華山 親義(はなやま ちかよし、1900年(明治33年)9月… 華山 親義(はなやま ちかよし、1900年(明治33年)9月26日 - 1972年(昭和47年)8月10日)は、昭和期の官僚、外交官、政治家。衆議院議員。旧姓・江口。 山形県で江口親明の二男として生まれ華山儀一郎の養子となる。山形高等学校を経て、1926年(大正15年)東京帝国大学法学部を卒業。同年、内閣統計局に入局し統計局属に任じられ、同年12月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、統計局書記官・庶務課長、興亜院書記官・総裁官房勤務、大東亜書記官・大臣官房会計課長、北京大使館参事官兼総領事などを務めた。戦後、参議院常任委員会専門員、山形県副知事などを歴任した。 1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙に山形県地方区から日本社会党公認で出馬して次点で落選。
梅田 良忠(うめだ りょうちゅう、ポーランド語:Ryochu… 梅田 良忠(うめだ りょうちゅう、ポーランド語:Ryochu Umeda、1900年9月25日 - 1961年12月7日)は日本の僧、歴史学者。 1922年(大正11年)駒澤大学卒業後、ポーランドに留学し、ワルシャワ大学卒業。同大学講師。同国の「東洋学院」の教授にも任命され、日本語、日本文化を担当した。日本大使館の文化関係の委託業務を行った。戦時中は朝日新聞社ソフィア駐在嘱託。東欧諸国語の権威。1955年関西学院大学教授。1960年「ヴォルグ・ブルガール史の研究」で関西学院大学 文学博士。 梅田良忠は日本橋槙町で弁護士、梅田貞次の長男として生まれた。生まれた時の名前は梅田芳穂であったが、これは彼の長男と同じ名前である。
荒牧 鉄雄(あらまき てつお、1900年9月25日 - 19… 荒牧 鉄雄(あらまき てつお、1900年9月25日 - 1992年3月8日)は、日本の英文学者・英語教育者。青山学院女子短期大学名誉教授。 福岡県八幡市出身。1918年福岡県立東筑中学校卒業、親を失い母校で教える。1923年東京外国語学校卒業、西南学院高等学部教授兼中学部教諭。1925年武蔵高等学校教授。1943年東海大学の創立に参加し教授。1951年青山学院女子短期大学教授。1971年定年退任、名誉教授。武蔵高等学校在職中から多くの受験参考書を執筆した。 長男の荒牧重雄(1930年- )は火山学者(東大、北大、日大教授)。
吉田 吉太郎(よしだ よしたろう / きちたろう、1900年… 吉田 吉太郎(よしだ よしたろう / きちたろう、1900年(明治33年)9月25日 - 1968年(昭和43年)1月22日)は、大正末から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 大阪府出身。1924年(大正13年)関西大学専門部法律科を卒業した。 大阪市役所勤務を経て、映画興業、不動産業を経営し、摂津怛産取締役社長、新大阪土地開発取締役社長、阪神土地興業取締役社長を務めた。 政界では、尼崎市会議員(1940年-1947年)、兵庫県会議員(1947年-1948年)を務めた。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に兵庫県第1区から日本自由党所属で立候補して落選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙に兵庫県第2区から民主自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
矢後 嘉蔵(戸籍名は嘉藏、やご かぞう、1900年(明治33… 矢後 嘉蔵(戸籍名は嘉藏、やご かぞう、1900年(明治33年)9月25日 - 1984年(昭和59年)3月24日)は、大正から昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。富山市会議員。富山県の農民運動、無産運動の草分け。 富山県婦負郡倉垣村荒屋(和合町を経て現富山市四方荒屋)で、海産物商・矢後六蔵、とき の12姉弟妹の第四子、長男として生まれる。1913年(大正2年)3月、倉垣尋常小学校(現富山市立倉垣小学校)を卒業。北海道寿都郡寿都町で父が経営する海産物商兼船問屋で働く。 1919年(大正8年)9月に上京し東京主計学校夜間部で学んだ。1923年(大正12年)ニシンの不漁、肥料販売不振のため東京に移ったが、同年、単身で北海道に戻る。
伊藤 郷一(いとう ごういち、1900年(明治33年)9月2… 伊藤 郷一(いとう ごういち、1900年(明治33年)9月23日 - 1987年(昭和62年)9月8日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(7期)。 北海道白糠郡白糠村(現白糠町)で生まれる。1927年京都帝国大学文学部哲学科を卒業。横浜市総持寺高等女学校教師、釧路市文化協会理事長、中華民国新民会河南省総会次長などを務めた。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に北海道第二区から日本自由党所属で出馬し当選。その後、北海道第5区で第27回総選挙まで連続6回当選し、その後第29回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算7期務めた。この間、衆議院図書館運営委員長、同文部委員長、第2次吉田内閣農林政務次官、北海道開発審議会委員、裁判官訴追委員長、自由党両院議員総会副会長、同党政調会文教部長、同党総務、自由民主党文教制度調査会副会長などを歴任した。
上山 珊瑚(かみやま さんご、1900年9月23日 - 19… 上山 珊瑚(かみやま さんご、1900年9月23日 - 1927年9月8日)は、日本の女優。本名は三田小枝子。山川浦路の実妹にして上山草人の義妹。 1900年、東京市麹町区(現在の東京都千代田区)に、鉱物学者の守一の娘として生まれる。東京女学館へ通うが、父の事業不振のため、大阪のプール女学院に転校後、中退。姉・千枝子(山川浦路)が上山草人と結婚したつながりから、近代劇協会が上演した舞台『ヴェニスの商人』などに出演。草人の友人だった谷崎潤一郎の紹介で1920年大正活映に入社。葉山三千子主演の『アマチュア倶楽部』に出演。谷崎潤一郎脚本映画『月の囁き』に主演予定だったが企画が頓挫。代わりに、泉鏡花原作、谷崎脚色、トーマス栗原監督の『葛飾砂子』に主演。
中井川 浩(なかいがわ ひろし、1900年(明治33年)9月… 中井川 浩(なかいがわ ひろし、1900年(明治33年)9月23日 – 1949年(昭和24年)11月3日)は、衆議院議員(立憲民政党)。厚生政務次官、陸軍参与官。ジャーナリスト。 茨城県に警察官の息子として生まれる。父の配属の都合で東京・茨城を転々としながら、水戸中学校に入学するも教師を批判したことで放校処分となり、日本中学校を卒業。日本大学専門部を中退し、やまと新聞に入社し水戸支局に入り、1922年(大正11年)に報知新聞へ移って土浦支局長になった。のち茨城民報を創刊するが、茨城民報はいはらき新聞に吸収合併され、そのままいはらき新聞社の取締役を務めた。 土浦町会議員、茨城県会議員に当選する一方で、茨城県出身の民政党代議士原脩次郎が拓務大臣に就任すると拓務省嘱託となり、ついで原が鉄道大臣に就任すると鉄道省嘱託となった。
荒井 退造(あらい たいぞう、1900年9月22日 - 19… 荒井 退造(あらい たいぞう、1900年9月22日 - 1945年6月26日?)は、日本の内務官僚。沖縄戦時、沖縄県警察部長として県民の避難・保護に尽力したとされるが、近年は北部疎開・義勇隊の編成など研究者から沖縄戦において戦争責任の声もあがっている。長男は国土庁審議官などを歴任した自治官僚の荒井紀雄。 栃木県芳賀郡清原村(現在の宇都市上籠谷町)に農家の次男として出生。鐺山尋常小学校、清原尋常高等小学校、栃木県立宇都宮中学校と進み、その後上京し高千穂高等商業学校(現高千穂大学)に進学した後、巡査をしながら明治大学夜間部を卒業、1927年高等文官試験に合格、同年内務省に入省した。 1932年、麻布六本木警察署長に就任。
桐山 利三郎(きりやま りさぶろう、1900年9月21日 -… 桐山 利三郎(きりやま りさぶろう、1900年9月21日 - 1995年11月5日)は、日本の経営者。広島県出身。位階は正六位。 1912年に広陵中学校を卒業。 1932年に神戸屋専務を経て、1953年に社長に就任し、1971年には会長に退いた。 1969年10月に藍綬褒章を受章し、1976年に勲四等瑞宝章を受章。 1995年11月5日老衰のために死去。95歳没。死没日付をもって正六位に叙された。
濱田 成徳(はまだ しげのり、1900年(明治33年)9月2… 濱田 成徳(はまだ しげのり、1900年(明治33年)9月21日 - 1989年(平成元年)7月1日)は、日本の元官僚、元東海大学学長(第3代)を務める。東京府出身。 日本で最初に酸化物陰極を研究し多量生産方法を1928年に完成させた。電子技術審議会会長、NHK経営委員会長、日本科学技術情報センター長、エレクトロニクス協議会長などを歴任した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
立石 一真(たていし かずま、明治33年(1900年)9月2… 立石 一真(たていし かずま、明治33年(1900年)9月20日 - 平成3年(1991年)1月12日)は、日本の実業家、技術者。オムロンの創業者。立石孝雄は長男、立石信雄は次男、立石義雄は三男。 熊本県熊本市(現・熊本市中央区)新町に伊万里焼盃を製造販売する立石熊助およびエイの長男として生まれた。立石家は祖父・孫一が佐賀県伊万里の地で焼き物を習得し熊本に移住、「盃屋」を店開きした。 一新尋常小学校(現・熊本市立一新小学校)、旧制熊本中学校(現・熊本県立熊本高等学校)を経て、1921年(大正10年)熊本高等工業学校電気科一部(現・熊本大学工学部)卒業。兵庫県庁での勤務を経て、1930年(昭和5年)に「彩光社」を京都市にて設立。
古垣 鉄郎(ふるかき てつろう、1900年(明治33年)9月… 古垣 鉄郎(ふるかき てつろう、1900年(明治33年)9月20日 - 1987年(昭和62年)3月8日)は、日本のジャーナリスト、外交官。筆名は中馬 藤十郎。 1900年(明治33年)に鹿児島県日置郡日置村大字日置(現在の日置市日吉町日置)に生まれる。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校を経て、第一高等学校を卒業したのち、島津奨学資金の援助でフランス共和国のリヨン大学法学部へ留学し同校を卒業した。1923年(大正12年)からジュネーブに駐在し国際連盟事務局情報部に勤務した。同部ではロックフェラー3世(英語版)が連盟を学ぶために配属されており、古垣は彼と同室で過ごして面倒を見ている。1929年(昭和4年)に国際連盟事務局を退職し、同年に朝日新聞社に入社してロンドンとパリに在住し、論説委員としてロンドン支局長、欧米部長、ヨーロッパ支局長などを務めた。
草薙 正夫(くさなぎ まさお、1900年9月20日 - 19… 草薙 正夫(くさなぎ まさお、1900年9月20日 - 1997年8月1日)は、日本の哲学者。神奈川大学名誉教授。 1900年、香川県生まれ。1928年、京都帝国大学文学部哲学科を卒業。 卒業後は神奈川大学教授。1950年12月、武藤光朗・鈴木三郎・金子武蔵らとヤスパース協会創立のための準備会を開き、翌年2月23日(2月23日はヤスパースの誕生日)発足。1960年に学位論文「実存哲学の根本問題 ヤスパース研究」を國學院大學に提出して文学博士の学位を取得。1971年に神奈川大学を定年退任し、名誉教授の称号を得る。神奈川県立外語短期大学学長を務めた。
後藤 義隆(ごとう よしたか、 1900年9月20日 - 1… 後藤 義隆(ごとう よしたか、 1900年9月20日 - 1986年1月2日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。参議院議員(3期)。弁護士。大豊殖産無尽(現豊和銀行)社長。 大分県宇佐郡安心院村(現宇佐市)出身。1922年中央大学専門部卒。大分市で弁護士を開業する。その後大分弁護士会会長、大分市議、同副議長、大分県議を経て、戦後、公職追放となる。 1949年に看做無尽として設立された大豊殖産無尽(現:豊和銀行)を設立し、同社の初代社長を務めた。 追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙に大分1区から改進党公認で立候補して当選。翌1953年の第26回衆議院議員総選挙で落選した。
岡崎 清一郎(おかざき せいいちろう、1900年9月19日 … 岡崎 清一郎(おかざき せいいちろう、1900年9月19日 - 1986年1月28日)は、日本の詩人。 栃木県足利市出身。佐野中学校を中退後、太平洋画会研究所にて学ぶ。北原白秋の「近代風景」や村野四郎らの「旗魚」に参加、1929年第1詩集『四月遊行』を刊行。のち「歴程」同人。1960年「新世界交響楽」で高村光太郎賞、1971年『岡崎清一郎詩集』で第9回藤村記念歴程賞、1973年『春鶯囀』で第24回読売文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山室 民子(やまむろ たみこ、1900年(明治33年)9月1… 山室 民子(やまむろ たみこ、1900年(明治33年)9月18日 - 1981年(昭和56年)11月14日)は、日本の社会事業家。文部省の最初の女性視学官を務めた。日本救世軍大佐補。 東京府出身。山室軍平、山室機恵子の長女として生まれる。東京市の女子学院で学び、東京女子大学に入学するが、病気のため南湖院に入院し2年間休学する。 東京女子大学卒業後にアメリカのカリフォルニア大学に留学する。1937年(昭和12年)9月にロンドンの救世軍士官学校に入学する。1938年(昭和13年)に万国士官学校、万国本営編集部に勤める。1939年(昭和14年)に帰国する。 1945年(昭和20年)11月、山室、羽仁説子、加藤シヅエ、宮本百合子、佐多稲子、山本杉、赤松常子、松岡洋子の8人が呼びかけ人となり、婦人団体結成に向けた運動を開始。
安部 清美(あべ きよみ、1900年(明治33年)9月18日… 安部 清美(あべ きよみ、1900年(明治33年)9月18日 - 1981年(昭和56年)11月24日)は、大正から昭和期の教育者、政治家。参議院議員。位階は正五位。 福岡県宗像郡東郷村(東郷町、宗像町を経て現宗像市)で、安部茂実、フサの長男として生まれる。父は日露戦争で戦死し「清美は教員」との遺言を残していたため教師を目指し、1920年(大正9年)福岡師範学校を卒業した。 1920年、宗像郡神興(じんごう)小学校(現福津市立神興小学校)訓導に就任。翌年から神興小では全校挙げて郷土を愛し、土に親しむ教育に取り組み、特につづり方指導に力点が置かれ、児童は日常の体験や作業学習を作文した。その作文が『高等小学校読本:農村用』巻三(文部省編、1929年発行)で掲載されて全国に知られ、神興小には全国からの視察がしばらく絶えなかった。
粟田 賢三(あわた けんぞう、1900年9月15日 - 19… 粟田 賢三(あわた けんぞう、1900年9月15日 - 1987年2月8日)は、日本の哲学者、編集者。 1900年、長崎県で生まれた。8歳で東京に移り、幼少期を過ごした。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)、第一高等学校理科を卒業し、東京帝国大学文学部哲学科に進学。1925年に卒業した。 卒業後は教員となり、武蔵高等学校に勤務。1934年、日本共産党に数百円の資金提供を行ったとして治安維持法違反の疑いで夫人とともに逮捕された。1935年に出獄し、その後は岩波書店に勤務した。「K・P・A」の名で『思想』の「思想の言葉」を執筆していた。編集部副部長を務め、後に嘱託。古在由重などの哲学者と親しかった。
田中 松月(たなか しょうげつ、1900年9月15日 - 1… 田中 松月(たなか しょうげつ、1900年9月15日 - 1993年5月12日)は、日本の政治家、僧侶、部落解放運動家。日本社会党所属の衆議院議員(当選3回)。本名は久光(後述の叙位・叙勲での官報告示は「田中松月」で告示されている)。 福岡県嘉穂郡大隈村(現・嘉麻市)の被差別部落の出身。1925年、旧制平安中学校(現・龍谷大学付属平安中学校・高等学校)卒業。浄土真宗の僧侶となる。そのかたわら部落解放運動に身を投じ、1922年の全国水平社創立大会には福岡県からの唯一の参加者として出席。1935年には全国水平社中央委員に就任。1939年には福岡県会議員に当選、1946年まで務めたのち、1946年の第22回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選(日本社会党)。
池田 清志(いけだ きよし、1900年(明治33年)9月15… 池田 清志(いけだ きよし、1900年(明治33年)9月15日 - 1991年(平成3年)7月29日)は、日本の内務・警察官僚、政治家、弁護士。衆議院議員、最後の官選栃木県知事。
安藤 楢六(あんどう ならろく、1900年(明治33年)9月… 安藤 楢六(あんどう ならろく、1900年(明治33年)9月14日 - 1984年(昭和59年)1月11日)は、日本の実業家。小田急電鉄社長、同名誉会長。小田急百貨店社長。 東京帝国大学で学び、1925年小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)に入社。関連会社であった東京山手急行電鉄及び帝都電鉄、小田急電鉄(初代)、戦時統合により発足した東京急行電鉄(大東急)での勤務を経て、1946年6月に大東急の取締役となり、後に専務、副社長に就任する。1948年6月1日の大東急解体にも大東急副社長として携わり、現在の小田急電鉄発足に尽力。同年12月、東急の第二会社として分離独立した(新)小田急電鉄の初代社長となる。
高森 龍夫(たかもり たつお、1900年〈明治33年〉9月1… 高森 龍夫(たかもり たつお、1900年〈明治33年〉9月14日 - 1958年〈昭和33年〉5月12日)は、日本の編集者・挿絵画家。雅号は「猟夫(れお)」「夜江」。漫画原作者の梶原一騎(本名・高森朝樹)は長男、同じく漫画原作者の真樹日佐夫(本名・高森真土)は次男。 熊本県立中学済々黌(現・熊本県立済々黌高等学校)で英語の教鞭を執っていた父・高森貞太郎(1866年 - 1946年)と、熊本藩主細川家に仕えた林氏の長女・寿(? - 1963年)の間の7人兄弟(6男1女)の長男として兵庫県に生まれる。 青山学院卒業後、山梨県都留郡の都留中学校の教員を経て、平凡社や中央公論社で校正の仕事などに従事し、太宰治の担当編集者となる。
金子 秀三(かねこ ひでぞう、1900年9月14日 - 19… 金子 秀三(かねこ ひでぞう、1900年9月14日 - 1980年9月21日)は、日本の実業家である。RKB毎日放送の社長・会長を務めた。熊本県熊本市出身。 1924年、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。同年に毎日新聞社に入社し、大連支局長、天津支局長、北京支局長、西部本社論説委員などを歴任した。 1951年6月にラジオ九州設立と同時に代表取締役代表に就任した。専務、副社長を経て、1961年11月に社長に就任し、1969年11月に会長に就任し、1971年11月に相談役に就任した。日本民間放送連盟で理事、副会長、顧問を務めた。1965年に藍綬褒章を受章し、1970年に勲二等瑞宝章を受章した。著書に「音波から映像へ」、「私の飲み食い放談」などがある。
大宅 壮一(おおや そういち、1900年〈明治33年〉9月1… 大宅 壮一(おおや そういち、1900年〈明治33年〉9月13日 - 1970年〈昭和45年〉11月22日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。妻は大宅壮一文庫の理事長を務めた大宅昌、三女はジャーナリストの大宅映子。 大阪府三島郡富田村(現:高槻市富田)の醤油屋に父・八雄、母・トクの三男として生まれた。祖父の八右衛門は、嫁入りの日に差し押さえを受けるような貧しい所から富を作ったり、法廷へ出るのに衣類が無くて薦を被って行ったという者の金まで絞り取る程の残酷な人だったが、妻子には甘かった、と大宅壮一自身が書き残している。 父について大宅は『青春日記』で、「14歳より放蕩を始め、青年時代に法律を志して弁護士試験に失敗し、中年よりは選挙、警察界に足を入れて産を傾け、最後に生涯離さなかった酒の為に死んだ。
椎名 隆(しいな たかし、1900年(明治33年)9月12日… 椎名 隆(しいな たかし、1900年(明治33年)9月12日 - 1983年(昭和58年)1月17日)は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 千葉県海上郡西銚子町(現銚子市)で、椎名八十二郎の長男として生まれる。千葉県立銚子商業学校(現千葉県立銚子商業高等学校)を経て、1920年(大正9年)早稲田大学専門部法律科を卒業した。 1923年(大正12年)弁護士を開業した。銚子市会議員に選出され4期在任。1940年(昭和15年)1月、千葉県会議員に当選し7年間在任し、参事会員(3期)、同補充員(2期)も務めた。その他、銚子市消防団長、銚子市西漁業協同組合長に在任した。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で千葉県第2区から民主党公認で出馬して次点で落選。
有馬 大五郎(ありま だいごろう、1900年9月12日 - … 有馬 大五郎(ありま だいごろう、1900年9月12日 - 1980年10月3日)は、日本の音楽教育家、音楽学者、声楽家。NHK交響楽団副理事長、国立音楽大学学長などを歴任。 兵庫県神戸市で江戸時代から続く富裕な米穀肥料卸売商「有馬商店」の当主の家に生まれる。入江尋常小学校(現:神戸市立入江小学校)在学中、東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)出身の音楽教師の感化で音楽に熱中。1913年、兵庫県立第一中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)に入学。1915年、学区変更により兵庫県立第二中学校(現:兵庫県立兵庫高等学校)に編入。1919年、同校卒業。1920年、北海道帝国大学予科入学。同校を1年で中退し、1921年、慶應義塾大学文学部予科に転じる。
小玉 治行(こだま はるゆき、1900年(明治33年)9月1… 小玉 治行(こだま はるゆき、1900年(明治33年)9月12日 - 1972年(昭和47年)5月8日)は、大正末から昭和期の裁判官、弁護士、政治家。衆議院議員。 大分県大野郡犬飼村石井(犬飼町石井を経て現豊後大野市)で小玉土五郎の二男として生まれる。小学校卒業後、家業を手伝い講義録で独学し、1921年(大正10年)専検に合格。1922年(大正11年)中央大学法学科に入学して特待生となり、1924年(大正13年)首席で卒業して特別賞を受けた。 1924年、高等試験司法科試験に合格。裁判所書記兼司法属を経て、1925年(大正14年)司法官試補に任官し、1926年(大正15年)長崎地方裁判所判事に発令された。
山口 冨次郎(やまぐち とみじろう、1900年(明治33年)… 山口 冨次郎(やまぐち とみじろう、1900年(明治33年)9月10日 - 没年不明)は、日本の政治家。大阪府吹田市長。 関西大学法学部卒業。大審院部長を経て、1955年(昭和30年)吹田市長に就任した。
山口 一太郎(やまぐち いちたろう、1900年(明治33年)… 山口 一太郎(やまぐち いちたろう、1900年(明治33年)9月10日 - 1961年(昭和36年)2月22日)は、日本の陸軍軍人。理学士。最終階級は陸軍歩兵大尉。 皇道派:荒木貞夫 - 真崎甚三郎 - 柳川平助 - 小畑敏四郎※ - 秦彦三郎 - 山下奉文 - 山岡重厚 - 土橋勇逸 - 牟田口廉也統制派:永田鉄山※ - 東條英機※ - 小磯國昭 - 建川美次 - 梅津美治郎 - 池田純久満洲派:石原莞爾 - 板垣征四郎 - 花谷正 - 片倉衷清軍派:重藤千秋 - 橋本欣五郎 - 長勇 - 小原重孝(※は「バーデン=バーデンの密約」参加者) 野中四郎 - 香田清貞 - 安藤輝三 - 河野壽 - 栗原安秀 - 村中孝次 - 磯部浅一 - 北一輝 - 西田税 竹嶌継夫 - 対馬勝雄 - 中橋基明 - 丹生誠忠 - 坂井直 - 田中勝 - 安田優 - 中島莞爾 - 高橋太郎 - 林八郎 - 渋川善助 - 麦屋清済 - 常盤稔 - 鈴木金次郎 - 清原康平 - 池田俊彦 - 今泉義道 山口一太郎 - 柳下良二 - 新井勲 - 鈴木五郎 - 井上辰雄 - 塩田淑夫 - 満井佐吉 - 菅波三郎 - 大蔵栄一 - 末松太平 - 志村陸城 - 志岐孝人 - 斎藤瀏 - 越村捨次郎 - 福井幸 - 町田専蔵 - 宮本正之 - 加藤春海 - 佐藤正三 - 宮本誠三 - 杉田省吾 - 亀川哲也 - 中橋照夫 岡田啓介 - 松尾伝蔵(死亡) - 高橋是清(死亡) - 斎藤實(死亡) - 鈴木貫太郎 - 渡辺錠太郎(死亡) - 牧野伸顕 昭和天皇 - 秩父宮雍仁親王 - 伏見宮博恭王 - 西園寺公望 - 徳川義親 - 加藤寛治 - 川島義之 - 本庄繁 - 香椎浩平 - 鈴木貞一 - 馬奈木敬信 - 匂坂春平 - 小坂慶助 - 迫水久常 - 広田弘毅 - オイゲン・オット - リヒャルト・ゾルゲ
堀 清隆(ほり きよたか、1900年(明治33年)9月10日… 堀 清隆(ほり きよたか、1900年(明治33年)9月10日 - 1986年(昭和61年)3月6日)は、日本の作曲家、指揮者。 1900年に京都に生まれ、1913年(大正2年)頃よりヴァイオリンを習う。1918年(大正7年)に京都フィルハーモニー協会創立と同時に入会し、ヴァイオリン・コントラバス奏者を務める。 1920年(大正9年)に同志社大学経済学部[要検証 – ノート]に入学するとともに、同志社大学マンドリンクラブ(以下、「SMD」という。)に入部し、クラシックギター奏者を務める。この頃から上記協会を介して指揮者の瀬戸口藤吉から作曲と和声学を習い始め、1921年(大正10年)にはSMDの講師として招かれた菅原明朗に師事する。
池内 義資(いけうち よしすけ、1900年9月9日 - 19… 池内 義資(いけうち よしすけ、1900年9月9日 - 1979年10月18日)は、日本の法制史学者、教員。 愛媛県生まれ。広島高等師範学校で新見吉治に学び、1923年卒業。高知師範学校で教員を務めた後、1927年京都帝国大学文学部史学科に入学し、卒業論文「武士発生史の研究」をまとめ、1931年3月に卒業。京都府立第一高等女学校、兵庫県立第二神戸中学校、大分県立宇佐中学校等の教員を勤め、愛媛県立松山北高等学校校長等を歴任する。その傍ら、中世法制史研究を行い、佐藤進一と共に「中世法制史料集」(岩波書店)の編纂を行う。また、特に御成敗式目の研究を専門として、1971年に「式目傅寫本の系譜に関する研究」により京都大学から文学博士の学位を授与される。
三枝 源次郎(さえぐさ げんじろう、1900年9月8日 - … 三枝 源次郎(さえぐさ げんじろう、1900年9月8日 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家である。 1900年(明治33年)9月8日、東京府豊多摩郡渋谷村、のちの東京市渋谷区渋谷3丁目8番地に当たる地に生まれる。 1921年(大正10年)3月、東京物理学校(旧制専門学校、現在の東京理科大学)を卒業し、同年5月、日活向島撮影所監督部に入社する。細山喜代松、若山治、鈴木謙作に師事、同僚助監督の溝口健二とは連日酒杯を傾け、論じあう仲であった。1923年(大正12年)8月10日に公開された若山治監督の『男性の意気』には、脚本家としてクレジットされている。同年9月1日に起きた関東大震災によって同撮影所は壊滅し、現代劇部は日活京都撮影所に移転し、三枝は、そこでも脚本を書き、鈴木謙作の監督作に採用されている。
杉村 章三郎(すぎむら しょうざぶろう、1900年9月7日 … 杉村 章三郎(すぎむら しょうざぶろう、1900年9月7日 - 1991年12月2日)は、日本の法学者。法学博士。専門は、行政法・租税法。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。 法学博士の一木喜徳郎(枢密院議長)の三男として東京に生まれ、1924年に医学博士杉村七太郎(東北帝国大学名誉教授)の婿養子となる。1918年東京府立第四中学校卒業。1921年第二高等学校卒業。1923年東京帝国大学法学部卒業。 1924年東京帝国大学法学部助手(指導教官は筧克彦)。1926年同法学部助教授。1935年東京帝国大学法学部教授となる。1944年学術研究会議会長。終戦後は東京大学法学部教授。1949年旧司法試験第二次試験考査委員(~1960年)。
松沢 一鶴(まつざわ いっかく、1900年9月7日 - 19… 松沢 一鶴(まつざわ いっかく、1900年9月7日 - 1965年1月10日)は、日本の元競泳選手、元東京都教育委員会委員長。
中山 寧人(なかやま やすと、1900年(明治33年)9月6… 中山 寧人(なかやま やすと、1900年(明治33年)9月6日 - 1980年(昭和55年)9月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。熊本県下益城郡松橋町長。 熊本県出身。中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第79連隊付となる。陸軍歩兵学校付などを経て、1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を優等で卒業した。 1930年(昭和5年)8月、歩兵大尉に昇進し歩兵第79連隊中隊長に就任。参謀本部付勤務、参謀本部員、アメリカ駐在、中国駐在、アメリカ大使館付武官補佐官を務め、1936年(昭和11年)8月、歩兵少佐に昇進。
望月 百合子(もちづき ゆりこ、1900年(明治33年)9月… 望月 百合子(もちづき ゆりこ、1900年(明治33年)9月5日 - 2001年(平成13年)6月9日)は、日本の評論家。
加藤 閲男(かとう えつお、1900年 <明治33年> 9月… 加藤 閲男(かとう えつお、1900年 <明治33年> 9月5日 - 1975年 <昭和50年> 12月5日)は、昭和時代の労働運動家。国鉄労働組合(国労)初代執行委員長。位階は正五位。 熊本県熊本市生まれ。石川県金沢市出身(本籍)。釜山中学校卒業。1920年から国鉄に勤務。敗戦直後は両国駅助役をしていたが、当局の推挙で組合活動に参加。国鉄千葉従組委員長を経て、1946年国鉄東京地方労組委員長に就任。同年7月に運輸省が国鉄7万5000人の整理を発表に対し、9月に国鉄総連合はスト決行の方針で大会を開催し、大阪など5地連はスト延期を主張して退場したが、東京など4地連はストの指令を発した。スト決行前に当局が7万5000人の整理を全面的に撤回したため、争議に勝利した国鉄総連合はスト中止を決定。
田中 周友(たなか かねとも、1900年9月4日 - 199… 田中 周友(たなか かねとも、1900年9月4日 - 1996年11月14日)は、日本の法学者。専門はローマ法。京都大学博士。 1900年9月4日、京都市に生まれる。実家は700年続く下鴨神社の社家で、自宅は糺の森の一角・京都市左京区下鴨森本町24番地(旧・愛宕郡下鴨村24番地)にあった。夏目漱石は、当時この家を借りていた親友・狩野亨吉(京都帝国大学文科大学初代学長)を訪ね、1907年3月28日から15日間滞在し、短編「京に着ける夜」(『大阪朝日新聞』1907年4月9日~4月11日)を執筆し、『虞美人草』の構想を練った。 1924年3月、京都帝国大学法学部独逸法律学科を卒業。1926年1月から1929年3月にかけて、ローマ法研究のためドイツ、フランス、イタリアへ文部省在外研究員として出張。
中嶋 忠三郎(なかじま ちゅうざぶろう、1900年〈明治33… 中嶋 忠三郎(なかじま ちゅうざぶろう、1900年〈明治33年〉9月4日 - 1998年〈平成10年〉1月18日)は、日本の判事、外交官、西武鉄道重役。 群馬県碓氷郡岩野谷村岩井(現・安中市岩井)に、名望家・中嶋利平の四男として生まれる。父方の親戚には衆議院議員・須藤嘉吉がおり、母方の従兄にヤマタネ創業者・山崎種二がいる。陸軍幼年学校への進学を希望したが父に反対され、小学校高等科から東京の日本中学校に編入する。脚気により同校を休学後、目白中学校の編入試験を受け合格。目白中学校を卒業し、中央大学法科に学ぶ。1925年に中央大学法科を卒業し、同年高等文官試験司法科に合格。この年入営し、1927年司法官試補として採用された。
草野 貞之(くさの ていし、1900年9月4日 - 1986… 草野 貞之(くさの ていし、1900年9月4日 - 1986年1月11日)は、白水社社長、フランス文学者。福岡県生まれ。東京帝国大学文学部印度哲学科卒。中央大学教授、1931年教授のまま白水社に入り、33年取締役。ルナールの『にんじん』を岸田国士の訳で出版、映画化上映もありベストセラーとなる。1943年社長。51年文庫クセジュを創刊。墓所は多磨霊園。
坂井 米夫(さかい よねお、1900年9月1日 - 1978… 坂井 米夫(さかい よねお、1900年9月1日 - 1978年11月21日)は、日本の新聞記者。 佐賀市に生まれ、旧制佐賀中学校(現佐賀県立佐賀西高等学校)を卒業後、明治学院に学んだ。1926年に映画雑誌『写真と演芸』の特派員として渡米した。 アメリカでは邦字紙「日米」や「羅府新報」の記者を務め、1932年のロサンゼルスオリンピックをきっかけに東京朝日新聞の通信員を兼ねる。1937年にはスペイン内戦を取材し、爆撃直後のゲルニカにも足を向けている。またインドシナや中近東の取材もおこない、1938年に再び渡米。日米開戦により強制収容の対象となったが、アメリカ海軍日本語学校の教官に採用されて、収容所から解放された。
安田 理深(やすだ りじん、1900年〈明治33年〉9月1日… 安田 理深(やすだ りじん、1900年〈明治33年〉9月1日 - 1982年〈昭和57年〉2月19日)は、日本の仏教学者。真宗大谷派の僧籍を持つ。 インド | 中国 | 日本 天台宗(天台浄土教) | 融通念仏宗 | 浄土宗 | 浄土真宗 | 時宗 釈迦如来 | 阿弥陀如来 観世音菩薩 | 大勢至菩薩 | 薬王菩薩 | 薬上菩薩 | 普賢菩薩 | 法自在王菩薩 | 白象王菩薩 | 獅子吼菩薩 | 陀羅尼菩薩 | 虚空蔵菩薩 | 徳蔵菩薩 | 宝蔵菩薩 | 金蔵菩薩 | 金剛菩薩 | 山海恵菩薩 | 光明王菩薩 | 華厳菩薩 | 衆宝王菩薩 | 月光王菩薩 | 日照王菩薩 | 三昧王菩薩 | 定自在王菩薩 | 大自在王菩薩 | 大威徳王菩薩 | 無辺身菩薩 称名念仏 | 末法思想 「浄土三部経」(『仏説無量寿経』 曹魏康僧鎧訳 / 『仏説観無量寿経』 劉宋畺良耶舎訳 / 『仏説阿弥陀経』 姚秦鳩摩羅什訳)『般舟三昧経』 支婁迦讖訳 【インド】釈尊 | 十大弟子 | 龍樹 | 天親 【中国】廬山の慧遠 | 曇鸞 | 道綽 | 善導 | 懐感 | 少康 | 永明延寿 | 省常【日本】空也 | 良源 | 慶滋保胤 | 源信 | 永観 | 良忍 | 珍海 | 覚鑁 | 源空(法然) | 隆寛 | 弁長 | 親鸞 | 証空 | 一遍 | 覚如 | 蓮如 | 良寛 | 小林一茶 | 清沢満之 | 山崎辨榮 | 鈴木大拙 | 曽我量深 | 金子大栄 | (妙好人) 龍樹『十住毘婆沙論』「易行品」 | 天親『浄土論』(『往生論』) | 曇鸞『浄土論註』(『往生論註』) | 善導『観経疏』 | 源信『往生要集』 | 法然『選択集』 | 親鸞『教行信証』 心王 - 心所 - 煩悩 - 末那識 - 阿頼耶識 - 種子 - 薫習 - 三類境 - 一水四見 - 遍計所執性 - 依他起性 - 円成実性 - 転識得智
宮尾 五郎(みやお ごろう、1900年(明治33年)9月1日… 宮尾 五郎(みやお ごろう、1900年(明治33年)9月1日 - 1999年(平成11年)2月26日)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。台南州知事。 宮尾勝次郎の六男として、長野県更級郡栄村(現長野市)に生まれる。旧制松本高等学校を経て、1926年(大正15年)3月、東京帝国大学法学部を卒業し、在学中の1925年(大正14年)11月に高等試験行政科に合格する。大学卒業後直ちに台湾総督府警務局に奉職し高雄州高等警察課長、台南州教育課長、警察官及司獄官練習所教官兼府事務官警務課勤務巡査懲戒委員、高雄州警務部長を経て、1936年(昭和11年)10月、基隆税関監視部長に転じた。その後、警務局理蕃課長、同衛生課長、新竹州総務部長、警務局警務課長、同理蕃課長を経て、台南州知事に任じた。
亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1… 亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1979年3月25日)は、日本の内務及び厚生官僚、政治家。福島県知事(官選第40代)、衆議院議員(6期)。 岡山県出身。内務官僚亀山理平太、佐登夫妻の長男として生まれる。台北一中、岡山一中、第一高等学校を経て、1924年4月に東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年5月、内務省に入り内務属として衛生局に配属された。 1925年10月、地方警視・岐阜県警察部付となり、山口県警察部特高課長、防疫官兼内務事務官・衛生局付、内務書記官・衛生局医務課長、計画局防空課長、愛知県書記官・警察部長、兵庫県書記官・総務部長、企画院第三部長などを歴任。