吉田 実(吉田 實、よしだ みのる、1910年3月19日 -… 吉田 実(吉田 實、よしだ みのる、1910年3月19日 - 1982年11月16日)は、日本の政治家。公選3人目の富山県知事(4期)で、旧大島村長(現・射水市)。富山県販購農業協同連合会会長、全国販売農協連合会専務理事、富山県農業協同組合中央会長なども務めている。また、衆議院議員・参議院議員も歴任した。子の吉田力は大島町長となった。 1910年3月19日、富山県大島村(現・射水市)に生まれる。1947年4月5日、37歳にして大島村長になり、1956年8月30日に辞職するまで3期にわたり務めた。 1956年9月25日、公選3人目の富山県知事となり、以降4期務めた。その間、立山黒部アルペンルートの開通や、富山新港の開港、太閤山住宅団地の開発を行った。
内藤 利紀(ないとう としのり、1910年(明治43年)3月… 内藤 利紀(ないとう としのり、1910年(明治43年)3月18日 - 1983年(昭和58年)4月10日)は、日本の政治家。東京都保谷市(現・西東京市)長(2期)。 福島県出身。1934年日本大学法文学部法律科を卒業。卒業後は逓信省に入り、簡易保険局書記となる。1951年保谷町議会議員となり、のち市制施行で保谷市議会議員となる。1969年保谷市長に当選。市長就任後は小学校や保育園、児童館の建設、休日診療所の開設、市街化区域及び市街化調整区域の決定、市の木を「ケヤキ」、市の花を「サザンカ」に決定した。ほか、1977年に市長を退任するまで教育や福祉の各施設、都市計画や環境整備の拡充に力を尽くした。
戸崎 誠喜(とざき せいき、1910年(明治43年)3月18… 戸崎 誠喜(とざき せいき、1910年(明治43年)3月18日 - 2006年(平成18年)7月3日)は、日本の実業家、伊藤忠商事社長・会長を歴任。 1910年(明治43年)熊本市新町に末吉の長男として生まれる。1934年(昭和9年)東京商科大学(現 一橋大学)卒、伊藤忠商事へ入社。繊維製品担当として大阪船場で活動。1939年(昭和14年)オーストラリア駐在。1941年(昭和16年)8月帰国。1945年(昭和20年)ハノイ支店長代理。1947年(昭和22年)福岡支店。1948年(昭和23年)8月東京支店繊維課長、穀物部長代理、東京支店長代理。1952年(昭和27年)米国ポートランド駐在。 1954年(昭和29年)伊藤忠アメリカ社長兼ニューヨーク事務所長。
小野 巡(おの めぐる、1910年(明治43年)3月18日 … 小野 巡(おの めぐる、1910年(明治43年)3月18日 - 2009年(平成21年)6月22日 )は、山梨県甲府市出身の元・歌手。本名は章高。妻は元・歌手の大宮小夜子。 東京・新宿の淀橋署の巡査だったが、大久保の銭湯で藤原義江の「鉾をおさめて」を唄っていたところを作曲家細田義勝にスカウトされる。当時、警察官は5年の奉職という規定があったため神経衰弱という理由で退職した。他にも、巡査から歌手になった人物にキングレコードの筑波高がいる。 1935年(昭和10年)にビクターレコードから「祖国の護り」でデビュー。芸名の小野巡というのは、巡査の巡からとられた。1936年(昭和11年)に「守備兵ぶし」がヒット。
三春 重雄(みはる しげお、1910年3月17日 - 199… 三春 重雄(みはる しげお、1910年3月17日 - 1996年1月8日)は、宮城県志田郡古川町(現・大崎市古川)生まれ、旧制古川中学校(宮城県古川高等学校)、法政大学出身、日本の政治家。元・宮城県議会議員、日本社会党宮城県本部委員長、日ソ協会(現・日本ユーラシア協会)宮城連合会長、河北新報社厚生部部長などを歴任。第46代内閣総理大臣の片山哲は義理の叔父にあたる。 仙台市博物館にある「魯迅の碑」設置にも尽力をした。
高木 健太郎(たかぎ けんたろう、1910年3月17日 - … 高木 健太郎(たかぎ けんたろう、1910年3月17日 - 1990年9月24日)は、日本の医学者で参議院任期中に亡くなった。生理学の世界的権威。名古屋大学名誉教授、名古屋市立大学名誉教授。参議院議員 1980年-1990年 (2期)。
竹谷 長二郎(たけたに ちょうじろう、1910年3月16日 … 竹谷 長二郎(たけたに ちょうじろう、1910年3月16日 - 2012年2月28日)は、日本の漢文学者。 東京出身。1931年東洋大学専門部倫理学東洋文学専攻卒。書道を吉田苞竹に、漢詩を仁賀保香城に学ぶ。旧制中学勤務をへて、東京都立日比谷高等学校漢文・国語教師を務めた。1970年退職。江戸時代の文人画家を研究した。
北野 邦雄(きたの くにお、1910年3月15日 - 200… 北野 邦雄(きたの くにお、1910年3月15日 - 2000年9月4日)は、日本の教育者、ドイツ語教師、写真・カメラの評論家、出版人。 北海道生まれ。東京外国語大学卒業。東京外国語大学、岩手大学、東京写真大学(現在の東京工芸大学)、陸軍軍医学校、杏林大学、武蔵野音楽大学などでドイツ語の講師を務めた。彼のドイツ語のレベルは、始めてフォトキナを訪れた際、「ドイツ人よりドイツ語がうまい日本人がいる」と評されたほどだったという。 1909年(明治42年)から写真関係の雑誌記事、書籍などの執筆を始め、戦前、戦後を通して代表的筆者であった。また、光画荘(現在の写真工業出版社)の初代社長を務め、同社の代表的月刊誌であった「光画月刊」(後の「月刊カメラ」)の主幹も務めた。
村上 元三 (むらかみ げんぞう、1910年3月14日 - … 村上 元三 (むらかみ げんぞう、1910年3月14日 - 2006年4月3日) は、日本の小説家。
富和 宗一(とみわ むねかず、1910年(明治43年)3月1… 富和 宗一(とみわ むねかず、1910年(明治43年)3月14日 - 1991年(平成3年)2月5日 )は、日本の実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長(大阪電気軌道創立から9代目)。 奈良県大和郡山市出身。広島高等学校を経て1934年4月京都帝国大学法学部卒業とともに当時の大阪電気軌道に入社。同社が合併を経て近畿日本鉄道となったのち、1965年(昭和40年)5月25日に取締役となる。以後、1968年(昭和43年)11月25日常務取締役、1971年(昭和46年)5月25日専務取締役を経て、1973年(昭和48年)5月に取締役副社長に就任。1977年(昭和52年)6月22日、今里英三の後任として社長に就任する。
高橋 勇雄(たかはし いさお、1910年(明治43年)3月1… 高橋 勇雄(たかはし いさお、1910年(明治43年)3月14日 - 1973年(昭和43年)5月25日)は、日本の元政治家、実業家。元倉敷市長。 戦後復興期から高度経済成長期前にかけ旧倉敷市長を5期15年以上務めた。同市議会議員、会社社長役員。倉敷市文化章(地方自治)受賞者。 広島県比婆郡東城町出身。 1933年、慶應義塾大学を卒業後、倉敷奨農土地(現・三楽)に入社。1939年、倉敷絹織(現・クラレ)西条工場に入社。 1947年、倉敷市議会議員に初当選し、以後は倉敷市議会議長を務める。 1949年2月、倉敷市長に初当選し、以後5期連続当選ののち辞任。 1964年(昭和39年)、倉敷国際ホテル取締役を経てクラレグループ各社役員、監査役、社長を歴任。
大平 正芳(おおひら まさよし、1910年〈明治43年〉3月… 大平 正芳(おおひら まさよし、1910年〈明治43年〉3月12日 - 1980年〈昭和55年〉6月12日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正二位。勲等は大勲位。 池田勇人の秘書官を経て政界に進出。宏池会会長として三角大福中の一角を占め、田中角栄内閣の外相として日中国交正常化に貢献。首相就任までに椎名裁定、三木おろし、大福密約といった苦難があり、更に首相就任後も四十日抗争やハプニング解散で体力を消耗し、選挙中に首相在任のまま死去。田園都市構想や一般消費税構想は実現しなかった。「アーウー宰相」や「讃岐の鈍牛」の異名がある。 衆議院議員(11期)、内閣官房長官(第21・22代)、外務大臣(第85・86・95・96代)、通商産業大臣(第29代)、大蔵大臣(第79・80代)、内閣総理大臣(第68・69代)を歴任。
上田 英雄(うえだ ひでお、1910年3月12日 - 199… 上田 英雄(うえだ ひでお、1910年3月12日 - 1993年10月19日)は、日本の内科医、医学博士、東京大学病院長。5代目横綱審議委員会委員長。 1910年東京市浅草区に生まれる。旧制第一高等学校を経て、1934年東京帝国大学医学部卒。1950年東京慈恵医大教授。1958年東京大学教授。1967年同大学病院長。1970年東京女子医大教授。1972年から1984年まで中央鉄道病院院長を務めた。ほかに日本心臓財団名誉会長なども歴任した。1964年ベルツ賞佳作賞受賞。 また、横綱双葉山の主治医でもあり、それが縁で1966年に横綱審議委員となり、1990年から1993年まで委員長を務めた。1993年5月に体調不良を理由に同委員長辞任を申し出て、受理され、10月19日に腎不全のため死去した。
杉村 春三(すぎむら しゅんぞう、1910年3月11日 - … 杉村 春三(すぎむら しゅんぞう、1910年3月11日 - 1994年2月8日)は日本の社会福祉家。在学時代からハンセン病のフィールドワークを始め、九州大学で学び、国立療養所星塚敬愛園、満州国立らい療養所同康院、リデル・ライト記念養老院などで働き、『らいと社会福祉』の研究をまた、老人の福祉についても研究した。
吉田 常吉(よしだ つねきち、1910年〈明治43年〉3月1… 吉田 常吉(よしだ つねきち、1910年〈明治43年〉3月11日 - 1993年〈平成5年〉3月19日)は、幕末維新史専攻の日本史学者。元東京大学・駒澤大学教授、日本歴史学会理事。 1910年3月11日、東京府東京市(現在の東京都区部)で生まれた。東京市立四谷第二尋常小学校、四谷尋常高等小学校を経て、府立第六中学校(現・新宿高等学校)に入学。三年時から義兄の宮良當壯の下に寄宿。1928年に國學院大學予科に入学し、1930年に國學院大學文学部史学科に進んだ。大学では、植木直一郎、松本愛重に師事した。1933年3月、國學院大學の大学学部国史学科を卒業。卒業論文は、「平安朝時代における出産風俗の研究」であった。
大藤 ゆき(おおとう ゆき、1910年〈明治43年〉3月11… 大藤 ゆき(おおとう ゆき、1910年〈明治43年〉3月11日 - 2001年〈平成13年〉11月1日)は、日本の民俗学者、歌人。女性民俗学者の第一人者、または草分けの1人といわれる。夫は同じく民俗学者の大藤時彦。父は元福岡市長の小西春雄。福岡県出身(出生地は朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道咸興市)、旧姓は小西。 父が朝鮮銀行に務めていたため、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道咸興市で誕生した。父の転勤に伴い、中国の大連を経て福岡県に転居した。 大陸育ちのために、地方の狭さを感じて上京し、1931年(昭和6年)に東京女子大学高等学部を卒業した。就職口が無く、英文タイプや速記などの資格を得、日本国外から日本を訪れた人々に日本語を教えたりしていた。
橋本 芳契(はしもと ほうけい、1910年3月10日 - 2… 橋本 芳契(はしもと ほうけい、1910年3月10日 - 2001年4月18日)は、仏教学・宗教学者。 富山県生まれ。1934年東京帝国大学文学部印度哲学梵文学科卒、1962年「維摩経の研究」で東京大学文学博士。石川師範学校教授、金沢大学法文学部助教授、教授、1975年定年退官、名誉教授、福井県立短期大学教授。 2001年4月18日、心筋梗塞のため死去。
豊田 武(とよだ たけし、1910年(明治43年)3月9日 … 豊田 武(とよだ たけし、1910年(明治43年)3月9日 - 1980年(昭和55年)3月29日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。日本中世史専攻。
北川 丞(きたがわ すすむ、1910年(明治43年)3月8日… 北川 丞(きたがわ すすむ、1910年(明治43年)3月8日 - 1932年(昭和7年)2月22日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は工兵伍長。長崎県北松浦郡佐々村(現・佐々町)出身。 いわゆる爆弾三勇士の一人。 佐々村大字市瀬江里免(現・佐々町江里免)230番地の農家、北川権作の次男として生まれる。北川家の先祖は平戸藩に仕えた武士で、権作は日清戦争、日露戦争に従軍するも自身が戦果を上げられなかったことを悔やみ、丞を立派な軍人にしようと考えていたが、丞が8歳の時に肺炎で亡くなってしまった。 1924年に佐々尋常高等小学校を卒業後、補習学校後期に入学するも1年で中退し兄とともに母を助け農業に従事、1926年には実業補習学校に進むが、この時もやむなく退学している。
羽田 明(はねだ あきら、1910年3月6日 - 1989年… 羽田 明(はねだ あきら、1910年3月6日 - 1989年12月27日)は、日本の歴史学者。研究分野はアジア史。京都大学名誉教授。父は東洋史学者の羽田亨。東京大学名誉教授羽田正の伯父にあたる。 1910年、京都市生まれ。第三高等学校を経て東京帝国大学文学部東洋史学科で学び、1934年に卒業した。1936年9月より2か年にわたりフランス政府招聘留学生としてパリ大学に留学する。 帰国翌年1939年1月より東亜研究所嘱託員となり、中央アジア近世史に着手する。1940年3月より母校である第三高等学校の講師となり、翌年に同校教授、1949年京都大学教養部教授となり、東洋史学を講じた。1962年に学位論文『中央アジア史研究(近世篇)』を京都大学に提出し、文学博士号を取得。
矢野 亮(やの りょう、1910年(明治43年)3月6日 -… 矢野 亮(やの りょう、1910年(明治43年)3月6日 - 1986年(昭和61年)7月24日)は昭和期の作詞家。本名三上好雄。 茨城県下館市出身。明治大学商学部卒業。 キングレコードのディレクターから作詞家になった。小畑実「星影の小径」、津村謙・吉岡妙子「あなたと共に」、若原一郎「おーい中村君」、三橋美智也「リンゴ村から」、「夕焼けとんび」など多くの曲を作詞した。 他のペンネームには、哥川欣也、鈴木尭、三上好生、三上好雄がある。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
植草 圭之助(うえくさ けいのすけ、1910年3月5日 - … 植草 圭之助(うえくさ けいのすけ、1910年3月5日 - 1993年12月19日)は、日本の脚本家、小説家。本名は植草銈之助。
太田 静一(おおた せいいち、1910年3月5日 - 200… 太田 静一(おおた せいいち、1910年3月5日 - 2003年12月5日)は、日本近代文学研究者。 奈良市生まれ。1933年東京帝国大学文学部支那哲学文学科卒。在学中から創作活動を始め、第11次、12次『新思潮』に参加。平凡社勤務、松山中学校教諭、1946年山口県立女子専門学校教員、50年山口女子短期大学教授、75年定年退任、宇部短期大学教授。『文芸山口』同人。
布引 國太郎(ぬのびき くにたろう、1910年3月5日 - … 布引 國太郎(ぬのびき くにたろう、1910年3月5日 - 没年不明 )は、千葉県富津市出身で粂川部屋、双葉山道場に所属した元大相撲力士。本名は伊藤 國太郎(いとう くにたろう)。最高位は東十両3枚目。得意技は突っ張り、押し、左四つ、投げ。 粂川部屋に入門し、1929年3月場所に初土俵を踏む。入門当初は「富錦」の四股名であった。「錦岩」の四股名で1934年5月場所に十両に昇進。十両は連続で3場所務めたが、1936年1月場所に幕下に陥落。翌5月場所に十両に復帰したが1勝10敗と大きく負け越し、またしても幕下に陥落した。1939年5月場所に再度十両に復帰、四股名を「布引」に改めた。十両は連続して6場所務めたが、1942年1月場所は3勝12敗と大きく負け越し、この場所限りで廃業した。
進藤 貞和(しんどう さだかず、1910年3月4日 - 20… 進藤 貞和(しんどう さだかず、1910年3月4日 - 2002年2月22日)は、日本の実業家。三菱電機社長を歴任。広島県呉市生まれ、長崎県、高知県育ち。九州帝国大学工学部電気科卒。
北島 武雄(きたじま たけお、1910年3月3日 - 197… 北島 武雄(きたじま たけお、1910年3月3日 - 1974年7月27日)は、日本の官僚。国税庁長官、日本専売公社総裁を務めた。 東京都出身。1933年に東京帝国大学法科を卒業し、同年に大蔵省に入省。大臣官房経理課長、主計局総務課長、管財局長、国税庁長官などを歴任し、1960年5月を以って、退官。農林漁業金融公庫副総裁、北海道東北開発公庫総裁を経て、1965年9月から1967年7月までに公正取引委員会委員長を務め、1969年10月には日本専売公社総裁に就任。 1974年7月27日、胃癌のために死去。64歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
高津 忠夫(たかつ ただお、1910年〈明治43年〉3月3日… 高津 忠夫(たかつ ただお、1910年〈明治43年〉3月3日 - 1974年〈昭和49年〉12月6日)は、日本の医師、小児科学者。東京大学名誉教授。栄典は正五位・勲二等旭日重光章。学位は医学博士(東京大学・1939年)。 広島県生まれ。1933年〈昭和8年〉東京帝国大学医学部卒、同年、同大学小児科教室副手、1939年医学博士取得。1944年山梨県立医学専門学校教授、1947年山梨県立病院小児科部長、1949年松本医科大学講師、同年、信州大学教授。 1954年東京大学医学部教授、1961年日本小児科学会理事長(併任)、1966年東京大学医学部保健学科母子保健学初代主任教授(現東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻国際生物医科学講座発達医科学)、1970年東京大学定年退官、東京大学名誉教授。
一柳 寿一(ひとつやなぎ じゅいち、1910年3月1日 - … 一柳 寿一(ひとつやなぎ じゅいち、1910年3月1日 - 1998年7月14日)は日本の天文学者。 長野県出身。昭和6年(1931年)東京帝国大学理学部天文学科卒業。同10年(1935年)東北帝国大学理学部講師、同12年(1937年)助教授、同25年(1950年)東北大学教授、同48年(1973年)定年退官。日本天文学会理事長も務めた。 著書に「量子物理学と天文学」などがある。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
松下 清夫(まつした きよお、1910年3月 - 2003年… 松下 清夫(まつした きよお、1910年3月 - 2003年5月5日)は、日本の建築構造学者。東京大学名誉教授。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校[要出典]を経て、1935年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業。東京大学では木構造の講座などを担当。1970年からは東京理科大学教授併任。日本建築学会構造標準委員会主査など歴任。義父は師の内田祥三。専門は木造建築のほか免震構造など多数。主な構造設計に科学技術館、広島平和記念資料館、損保ジャパン日本興亜本社ビル、千葉県自治会館など。1989年、日本建築学会賞大賞受賞。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
大庭 秀雄(おおば ひでお、1910年2月28日 - 199… 大庭 秀雄(おおば ひでお、1910年2月28日 - 1997年3月10日)は、東京市赤坂区青山(現・東京都港区青山)出身の映画監督である。妻は女優の森川まさみ。 1934年に慶應義塾大学国文科を卒業後、松竹蒲田撮影所に入社。清水組で佐々木康監督の助監督を経て、1939年に『良人の価値』で監督デビュー。1936年に開所した松竹大船撮影所で「大船調」と呼ばれるメロドラマやホームドラマを製作した。 菊田一夫原作のラジオドラマを映画化した『君の名は』三部作(1953年 - 1954年、主演・岸恵子)は空前の大ヒットとなった。そのためもっぱら通俗メロドラマの名監督として語られるが、地味なホームドラマにむしろ佳作が多い。
久野 忠治(くの ちゅうじ、1910年2月27日 – 199… 久野 忠治(くの ちゅうじ、1910年2月27日 – 1998年10月25日)は、日本の政治家。郵政大臣。正三位勲一等旭日大綬章。衆議院議員を14期務めた。元衆議院議員の久野統一郎は長男。愛称はクノチュー。 愛知県知多郡知多町(現・知多市)に、石材商・久野金之助の二男として生まれる。1929年に東海中学校(現・東海高等学校)を卒業後、家業に従事する。後に父親が設立した土建業「久野組」を引き継ぎ社長に就任。 1947年の第23回衆議院議員総選挙に旧愛知2区から民主党公認で立候補するも、次点で落選。 1949年の第24回衆議院議員総選挙に再び民主党公認で立候補し初当選を果たす(当選同期に池田勇人・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
小口 偉一(おぐち いいち、1910年2月27日 - 198… 小口 偉一(おぐち いいち、1910年2月27日 - 1986年12月15日)は、日本の宗教学者。東京大学東洋文化研究所名誉教授。 1910年、東京で生まれた。東京帝国大学宗教学科で学び、1935年に卒業。同大学大学院に進学。文学部副手となり、1942年に東京大学東洋文化研究所嘱託となった。 戦後の1947年に助教授昇格。1962年、学位論文『宗教社会学序説』を國學院大學に提出して文学博士号を取得。1963年、東京大学東洋文化研究所教授に昇格。1965年から1966年、1968年から1970年の2期にわたって同東洋文化研究所所長を務めた。1970年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は愛知学院大学教授として教鞭をとった。
柴谷 要(しばや かなめ、1910年〈明治43年〉2月27日… 柴谷 要(しばや かなめ、1910年〈明治43年〉2月27日 - 1995年〈平成7年〉4月26日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 群馬県碓氷郡秋間村(現・安中市)で生まれた。秋間尋常小学校(現・安中市立秋間小学校)卒業。1925年(大正14年)鉄道省に入省。1932年(昭和7年)鉄道教習所専門部を卒業した。 鉄道現業員組合に加入し、1946年(昭和21年)国鉄労働組合の結成に加わり、同上野支部副委員長、同東京本部委員長、同中央執行委員長、全官公庁労働組合協議会議長、全日本交通運輸労働組合協議会議長などを務めた。 1956年(昭和31年)7月、第4回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党公認で出馬して当選(任期3年)。
入江 仁士(いりえ ひとし、1910年 <明治43年> 2月… 入江 仁士(いりえ ひとし、1910年 <明治43年> 2月26日 - 1973年 <昭和48年> 9月28日)は、日本の経営者。大阪建物(現在のダイビル)社長を務めた。 広島県広島市出身。1935年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に大阪商船に入社。 1963年5月に取締役、1964年4月に大阪商船三井船舶常務、1965年5月に大阪建物常務を経て、1972年9月に社長に就任。 1973年9月28日、肝癌のために死去。63歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
高山 義雄(たかやま よしお、1910年2月26日 - 19… 高山 義雄(たかやま よしお、1910年2月26日 - 1997年1月12日)は、日本の実業家。三和銀行(現:三菱UFJ銀行)元副頭取。兵庫県神戸市出身。 大阪市南区心斎橋筋1丁目にあった糸商・伏見屋の3男として生まれる。 大阪市立御津尋常小学校、市岡商業学校を経て1932年に神戸高等商業学校を卒業し、山口銀行に入行。翌年の合併により、三和銀行(現:三菱UFJ銀行)行員となる。 一貫して調査畑を歩み、取締役、専務を経て、1970年から1972年まで副頭取を務めた。 その一方で、1969年から1970年までに関西経済同友会代表幹事を務め、1970年の大阪万博の際には、「みどり館」の責任者を務めた。
馬場 勇(ばば いさむ、1910年〈明治43年〉2月26日 … 馬場 勇(ばば いさむ、1910年〈明治43年〉2月26日 - 1974年〈昭和49年〉1月11日)は実業家。近畿日本ツーリスト(初代・旧会社)の副社長を務め、同社の前身企業の一つである日本ツーリスト株式会社の創設者でもある。業界発展に貢献した人物の一人で旅行業界の野武士と称される。近鉄航空サービス、箱根高原ホテル、近鉄エクスプレスの社長も務めた。 資産家の父親が親戚に騙されたあと朝鮮に渡ったため、朝鮮で生まれる。朝鮮の中学校から数学の教師とともに指宿に渡る。東京帝国大学経済学部卒業後の1934年(昭和9年)に朝鮮銀行に入行し、中国に設立された中国連合準備銀行にも出向。その後朝鮮銀行の東京や京城に勤務し、京城在勤時、銀行総裁秘書をしていた女性と結婚する。
寒川 道夫(さがわ みちお、1910年2月25日 - 197… 寒川 道夫(さがわ みちお、1910年2月25日 - 1977年8月17日)は、日本の教育者、児童文学作家。 新潟県中蒲原郡新津町(現・新潟市秋葉区)に教育者の長男として生まれた。1921年三島郡大河津村(現・長岡市)五社小学校卒。1926年長岡中学校(現・新潟県立長岡高等学校)卒。1927年古志郡田井尋常高等小学校(現・見附市立田井小学校))の代用教員になる。1930年高田師範学校卒。同年古志郡一之貝小学校(栃尾市立一之貝小学校(廃校))、1932年同郡村立黒条尋常小学校(現・長岡市立黒条小学校)の教師となり、生活綴方運動に参加。詩集『山芋』の作者の大関松三郎を指導した。 1941年治安維持法違反(生活綴方事件)で2年間獄中生活を送り教職を追われた。
越智 文雄(おち ふみお、1910年2月25日 - 2003… 越智 文雄(おち ふみお、1910年2月25日 - 2003年1月26日)は、日本の英文学者。元同志社女子大学学長。17世紀イングランドの詩人ジョン・ミルトンを専門とし、日本ミルトン・センター(後に日本ミルトン協会)の設立者、初代代表者。愛媛県出身、広島生まれ。同志社大学英文科卒業(1934年)。1960年、文学博士。 平井正穂は、越智の1953年の著作『ミルトン研究』を日本におけるミルトン研究史の「一つ重要な指標」と評価した。 孫の越智敏裕は弁護士・上智大学教授・小説家。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松島 正幸(まつしま まさゆき、1910年2月25日 - 1… 松島 正幸(まつしま まさゆき、1910年2月25日 - 1999年10月29日)は、北海道雨竜郡一已村(現深川市)出身の洋画家。独立美術協会会員。また、全道美術協会創立に貢献。本名は正一、前半生の画号は正人を名乗る。日本各地、中国北部、ヨーロッパの風景を生涯描き続けた。 1910年、北海道雨竜郡一己村の屯田兵の家庭に生まれる。その後札幌市に移住。上京し、画家を志す。 1930年、『花を持てる少女』で二科展に最年少で入選。1935年、石見浜田藩主松平家9代当主松平武修の長女・松平鈴子(花を持てる少女のモデル)と大恋愛の末結婚。同年生まれた息子が昭和40年代頃に前衛画家であった交楽龍弾(まずらりゅうだん、本名松島正迪、のち松平武龍と改名)。
山村 聰(やまむら そう、1910年(明治43年)2月24日… 山村 聰(やまむら そう、1910年(明治43年)2月24日 - 2000年(平成12年)5月26日)は、日本の俳優・映画監督。映画やテレビドラマやDVDのクレジットによっては山村聡の表記もある。 奈良県天理市出身。
茅野 健(かやの たけし、1910年2月24日 - 1997… 茅野 健(かやの たけし、1910年2月24日 - 1997年12月29日)は、日本の技術者。 東京都生まれ。東京帝国大学工学部電気工学科卒業。日本放送協会技術研究所員、田辺製薬取締役を経て陸軍多摩研究所技師。1944年名古屋帝国大学教授になる。その後電電公社経営調査室次長を経て、松下通信工業専務取締役、松下電器産業技術本部東京事務所長。株式会社オーケンの社長になる。1958年にデミング賞を受賞。 (節出典:「平常心」三笠書房 知的生きかた文庫 著者プロフィール欄)
山村 聰(、1910年〈明治43年〉2月24日 - 2000… 山村 聰(、1910年〈明治43年〉2月24日 - 2000年〈平成12年〉5月26日)は、日本の俳優・映画監督。作品により、山村 聡のクレジット表記もある。本名は古賀 寛定(こが ひろさだ)。 第二次世界大戦後の日本映画を代表する俳優のひとりで、小津安二郎監督作品への出演で知られる。国際的にも知名度が高く、1950年代以降は日本国外の映画にも出演した。生涯で出演した映画本数は195本に上る。 奈良県山辺郡出身。神戸一中、旧制一高を経て東京帝国大学文学部卒業。 研究劇団「太陽座」に入団。戦前の劇団文化座等での舞台活動を経て、1946年(昭和21年)、『命ある限り』で映画初出演。1947年(昭和22年)、『女優須磨子の恋』で田中絹代演じる松井須磨子の愛人役・島村抱月役に抜擢され、1950年(昭和25年)には『宗方姉妹』で第1回ブルーリボン賞の主演男優賞を受賞。
秋山 皐二郎(あきやま こうじろう、1910年(明治43年)… 秋山 皐二郎(あきやま こうじろう、1910年(明治43年)2月22日 - 2007年(平成19年)9月28日)は、日本の政治家。第13〜17代八戸市長。 湊村(現八戸市)で網元を営む秋山家の四男として生まれた。2歳で父與吉を亡くし、叔父秀之助に漁業の手解きを受けた。 湊尋常高等小学校、八戸中学校(現八戸高等学校)を経て、1936年(昭和11年)中央大学法学部卒業。合同油脂株式会社に入社後、二度召集を受ける。21年8月帰還を果たす。 1952年(昭和27年)に八戸市議会議員に当選し2期、さらに青森県議会議員を3期務めた。1969年(昭和44年)に中村拓道を破って八戸市長に当選し、5期務めて史上最長任期となった。
小平 久雄(こだいら ひさお、1910年2月22日 - 19… 小平 久雄(こだいら ひさお、1910年2月22日 - 1998年8月12日)は、日本の政治家。位階は正三位。総理府総務長官・労働大臣・衆議院副議長。栃木県小山市名誉市民(1982年)。 栃木県下都賀郡石橋町(現下野市)に、初の公選栃木県知事を務めた小平重吉の長男として生まれる。1927年、旧制栃木県立栃木中学校を卒業。1934年、東京商科大学(のち一橋大学)を卒業後、三井鉱山勤務を経て、1939年に家業である「小平重工業」(のち小平産業)の常務取締役に就任。ほかグループ企業各社の役員を務める。 1947年、第23回衆議院議員総選挙に民主党から旧栃木2区にて立候補し当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘・増田甲子七・中山マサ・倉石忠雄・荒木万寿夫・松野頼三・石田博英・園田直・原田憲・櫻内義雄・根本龍太郎・佐々木秀世・中村寅太など)。
棚瀬 襄爾(たなせ じょうじ、1910年2月22日 - 19… 棚瀬 襄爾(たなせ じょうじ、1910年2月22日 - 1964年12月10日)は、日本の民族宗教学者・アジア地域研究者。 1910年、岐阜県本巣郡生まれ。旧制大垣中学校(現岐阜県立大垣北高等学校)を経て、第三高等学校文科甲類へ入学。卒業後は東京帝国大学文学部宗教学科に入学し、1934年に卒業、同大学大学院に進んだ。1936年、東京帝国大学大学院を修了。 卒業後は、1938年より千代田女子専門学校教授となった。一方で、1939年2月より東亜研究所所員を兼ね、研究を続けた。1941年2月に応召し、中国へ出征して漢口で終戦を迎えた。 1946年に復員。戦後は、1947年11月より帝国女子専門学校講師。
林 静(はやし しずか、1910年2月20日 - 1998年… 林 静(はやし しずか、1910年2月20日 - 1998年2月18日 )は、日本の経営者。キャタピラー三菱社長を務めた。 宮崎県出身。1932年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に三菱造船に入社した。1965年に三菱重工業取締役に就任し、1967年9月に常務、1973年5月に副社長を経て、1975年2月にキャタピラー三菱社長に就任し、1979年6月までに務めた。 1975年4月に藍綬褒章を受章し、1980年10月に勲二等瑞宝章を受章。 1998年2月18日、老衰のために死去。87歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
白木 茂(しらき しげる、1910年2月19日 - 1977… 白木 茂(しらき しげる、1910年2月19日 - 1977年8月5日)は、日本の児童文学者・翻訳家。 青森県三戸郡向村(現在の南部町)生まれ。日本大学英文科卒業。戦前は大久保康雄の翻訳工房に参加。田中西二郎、中村能三らと下訳を担当し翻訳工場と呼ばれた。 英米児童文学の紹介で数多くの翻訳、編著を刊行、日本児童文芸家協会常任理事、少年文芸作家クラブ初代会長として大衆的児童文学の育成に努めた。国際アンデルセン賞国内選考委員などを歴任。 『児童文学辞典』(共編、東京堂出版、1970)がある。欧米の少年向けSF「少年少女世界科学冒険全集」(講談社、1956)の企画者で、自らもイーラム『少年火星探検隊』を訳した。
向江 璋悦(むかえ てるよし、1910年2月19日 - 19… 向江 璋悦(むかえ てるよし、1910年2月19日 - 1980年3月25日)は、元検察官、弁護士、刑事法学者である。自他共に認める司法試験の神様としてまた死刑廃止論者として著名。 1910年石川県羽咋市に生まれる。粟ノ保村立尋常小学校卒業後、大阪の薬局でぼんさん生活(いわゆる丁稚生活)を送る。薬局を辞め、パイプ工場に勤務しながら私立成器商業学校夜間部で学ぶ。その後、上宮中学校(旧制)に転学し4年で修了する。上京し専修大学予科に入学するも中央大学に転学。1934年有志で中央大学真法会を創設。1935年の高等文官試験司法科試験を2番で合格する。1936年3月・中央大学法学部卒業。司法官試補を経て検察官となり、思想検事系列に名を連ねる。
岩田 弍夫(いわた かずお、1910年2月18日 - 199… 岩田 弍夫(いわた かずお、1910年2月18日 - 1992年10月22日)は、日本の経営者。東芝社長、会長を務めた。 愛知県知多郡西浦町(現在の常滑市)出身。1934年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に東京芝浦電気(現在の東芝)に入社した。1964年5月に取締役に就任し、1966年3月に専務、1968年5月に副社長を経て、1976年6月に社長に就任した。1980年6月から1984年6月までに会長を務め、1984年6月から相談役を務めた。1988年4月から1992年6月までに日本たばこ産業会長も務めた。 日本電子工業振興協会会長、政府税制調査会委員なども歴任した。 1980年11月に勲二等旭日重光章を受章し、1985年にハンガリーのオーダー・オブ・スター・ウイズ・ゴールデン・リーフを授賞し、1987年に常滑市名誉市民に選ばれ、1989年11月に勲一等瑞宝章を受章した。
大倉 弘(おおくら ひろむ、1910年(明治43年)2月17… 大倉 弘(おおくら ひろむ、1910年(明治43年)2月17日 - 2005年(平成17年)12月6日)は、日本の実業家。月桂冠株式会社元代表取締役会長・相談役。 1910年(明治43年)2月17日、大倉恒吉の五男として京都府京都市に生まれる。 1934年(昭和9年)3月、神戸商業大学(現・神戸大学)を卒業後、翌年の1935年(昭和10年)5月、第一銀行大阪支店に入行する。 1938年(昭和13年)4月、退行し、同年5月大倉常吉商店(現・月桂冠)株式会社に入社、同年6月取締役に就任。 1945年(昭和19年)2月、大倉酒造株式会社に社名変更、専務取締役、副社長を経て、1970年(昭和45年)6月社長に就任。