スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
長沼 真太郎(ながぬま しんたろう、1986年 - )は、日… 長沼 真太郎(ながぬま しんたろう、1986年 - )は、日本の実業家。北海道コンフェクトグループ代表取締役。父はきのとや創業者の長沼昭夫。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、慶應義塾大学商学部卒業。 就職活動時には父親同様に菓子店の経営を考えるも、成功までの段階を知るべく起業を前提とした就職先を考え、2010年に丸紅へ就職。製菓ビジネスのシェアが高いこともあり丸紅を選択し菓子食品課にて海外製の食品の輸入業務に携わる。その後、家業のきのとやの中国出店計画に注力するべく丸紅を退社するも、菓子作りの技術不足や方針の相違により半年ほどで計画中止となる。 2011年にきのとやへ入社、売上不振となっていた新千歳空港の支店「KINOTOYA 2」をチーズタルト専門店に転換し経営改善に成功し、その後デコレーションケーキのインターネット販売サービス「Click On Cake」の展開を目的に子会社「COC」を設立。
兼間 祐二(かねま ゆうじ、1964年(昭和39年)6月11… 兼間 祐二(かねま ゆうじ、1964年(昭和39年)6月11日 - )は、日本の実業家、銀行家。北海道銀行代表取締役頭取を務める。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、1987年北海道銀行入行。1994年に総合企画部に配属、翌1995年に頭取直轄経営企画室が新設されると同室に配属。その後、石狩市の花川支店長や、経営企画グループ調査役グループリーダーを経て、2011年札幌市の鳥居前エリア総括兼鳥居前支店長。2013年執行役員オホーツク地区営業担当兼北見支店長。執行役員札幌・石狩、空知地区営業担当を経て、2016年取締役常務執行役員企画管理部門長。2021年に笹原晶博の後任として常務取締役から代表取締役頭取に就任。
吉村 元久(よしむら もとひさ、1964年4月9日)は、日本… 吉村 元久(よしむら もとひさ、1964年4月9日)は、日本の実業家。ヨシムラ・フード・ホールディングス創業者。同社代表取締役CEOとして食品メーカーのM&Aなどを行い、楽陽食品取締役、とかち麺工房監査役等も務める。 北海道函館市出身。1983年北海道札幌南高等学校卒業。1988年一橋大学商学部卒業、大和証券入社。大学では金融論を専攻し卒業論文「期待と投機の経済分析」は電通総研に50万円で売却した。1994年ペンシルヴェニア大学ウォートン・スクール修了、経営学修士(MBA)。 大和証券資産証券部課長代理として債権流動化スキーム開発に従事するなどしたのち、1997年からモルガン・スタンレー証券事業法人部エグゼクティブ・ディレクターとしてコーポレート・ファイナンス業務に従事。
岩田 聡(いわた さとる、1959年〈昭和34年〉12月6日… 岩田 聡(いわた さとる、1959年〈昭和34年〉12月6日 - 2015年〈平成27年〉7月11日)は、日本のゲームクリエイター、プログラマー、実業家。 任天堂の元代表取締役社長で、ハル研究所代表取締役社長なども歴任した。 北海道札幌市真駒内出身。父の岩田弘志は当時、北海道庁観光課に勤務する公務員であったことから、道庁宿舎にて幼年期を過ごした。小学校は札幌市立真駒内曙小学校に入学。小学校6年生の時に札幌冬季オリンピックが開催され、真駒内近隣に建てられた選手村にサイン帳を持って遊びに行く日々を過ごしていたという。また、真駒内競技場で開催されたオリンピック開会式では近隣小学生による「風船スケーター」として、岩田も参加している。
大谷 清介(おおたに せいすけ、1958年5月25日 - )… 大谷 清介(おおたに せいすけ、1958年5月25日 - )は、日本の実業家。戸田建設代表取締役社長。 北海道出身。北海道札幌南高等学校から北海道大学工学部建築学科に進み、1982年3月卒業後、戸田建設に入社。一貫して東京支店建築工事部で経験を積み、建築施工の第一線に携わる。 作業所長として丸の内オアゾをはじめとした大丸有地区の大型プロジェクトを数多く手がけたのち、2016年千葉支店長、2018年関東支店長、2020年管理本部執務、常務執行役員などを歴任し、2021年4月より現職。
本間 欧彦(ほんま おうひこ、1957年(昭和32年)12月… 本間 欧彦(ほんま おうひこ、1957年(昭和32年)12月25日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。北海道文化放送常務取締役。 北海道札幌市出身。札幌市立啓明中学校、北海道札幌南高等学校、慶應義塾大学文学部を卒業。 1980年(昭和55年)フジテレビに入社。営業局、報道局を経て、1987年に第一制作部(現在のドラマ制作センター)に異動。以後、『東京ラブストーリー』や『白線流し』などのヒット作を手掛ける。 2011年(平成23年)6月、北海道文化放送の取締役編成局長に就任し、2013年6月より常務。 2003年(平成15年)7月11日、自身がプロデュース・演出を手がけた『スチュワーデス刑事』シリーズで主演を務めた女優の財前直見と再婚、2006年12月に長男が誕生したが、2012年8月に離婚したことが明らかになった。
村田 利文(むらた としふみ、1956年11月7日 - )は… 村田 利文(むらた としふみ、1956年11月7日 - )は、日本の実業家、エンジェル投資家。ビー・ユー・ジー及びソフトフロントホールディングスの創業者。 北海道江別市の酪農家に生まれる。1975年北海道札幌南高等学校卒業、北海道大学工学部進学。北海道大学大学院修士課程在学中の1980年に同級生の服部裕之、若生英雅、木村真とビー・ユー・ジーを設立。JR札幌駅前にIT企業が集積したサッポロバレーの企業群の先駆けとなった。 1981年北海道大学大学院電子工学専攻修了。1992年にビジョン・コーポレーションを創業し、代表取締役に就任。1997年合併によりソフトフロントに改組し、代表取締役社長に就任。2002年にはナスダック・ジャパンに上場を果たした。
白井 俊之(しらい としゆき、1955年12月21日 - )… 白井 俊之(しらい としゆき、1955年12月21日 - )は、日本の実業家。ニトリホールディングス代表取締役社長、ニトリ代表取締役社長、カチタス取締役。 北海道岩内郡岩内町出身。1974年北海道札幌南高等学校卒業。1979年宇都宮大学工学部環境化学科卒業後、創業者似鳥昭雄に共感しニトリ家具に入社。2001年取締役に昇格。2004年常務取締役。2008年専務取締役。 2014年ニトリホールディングス代表取締役副社長、ニトリ代表取締役社長、ホームロジスティクス代表取締役社長、ニトリファシリティ代表取締役社長。2015年ニトリパブリック代表取締役社長、ホームロジスティクス代表取締役会長。 2016年ニトリホールディングス代表取締役社長。
石垣 幸俊(いしがき ひさとし、1954年7月4日 - )は… 石垣 幸俊(いしがき ひさとし、1954年7月4日 - )は、日本の実業家。ブルドックソース代表取締役社長、イカリソース代表取締役社長、日本ソース工業会会長。 北海道出身。1973年北海道札幌南高等学校卒業。1977年小樽商科大学商学部経済学科卒業。1978年ブルドックソース入社。2000年取締役マーケティング室長に昇格。2001年取締役経営企画室長。 2005年イカリソース代表取締役社長。2008年ブルドックソース常務取締役。2011年ブルドックソース専務取締役。2017年からブルドックソース代表取締役社長を務め、新商品や新ブランドの展開などを進めた。2018年日本ソース工業会会長。
清水 建宇(しみず たてお、1947年 - )は元実業家(豆… 清水 建宇(しみず たてお、1947年 - )は元実業家(豆腐店経営)、元朝日新聞論説委員。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、神戸大学経営学部卒業後の1971年4月、朝日新聞入社。佐賀支局、西部本社社会部を経て1981年東京本社に異動、警視庁記者、宮内庁記者を担当の後、出版局に移り「週刊朝日」副編集長、「論座」編集長などを歴任。2003年論説委員に就任。また、テレビ朝日のニュース番組「ニュースステーション」にて、の間、コメンテーターも務めた。2007年定年退職。朝日新聞社が発行する『大学ランキング』の編集長を1994年の創刊以来、2008年版まで続けていた。現在は、スペインのバルセロナで2010年に開店した豆腐店を営んでいるが、体力の衰えを感じて、2021年1月に全国豆腐連合会を通じて後継者を募り店舗を譲った。
近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 20… 近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 2025年11月28日)は、日本の実業家。北海道電力の社長、会長を経て、現在名誉顧問。第7代北海道経済連合会会長。元公益社団法人北海道観光振興機構会長。 北海道札幌市生まれ。父親は鉱山技師。原子力発電環境整備機構理事長を務めた近藤駿介は実兄。北海道名寄高等学校を経て、北海道札幌南高等学校卒業後、北海道大学工学部で黎明期にあった原子力教育を受ける。北大工学部電気工学科卒業後、1969年北海道電力入社。若手時代にアメリカの原子力発電所での実務研修を受け原子力運営課長を経て、泊発電所長、理事苫小牧支店長、取締役事業推進部長などを歴任し、2004年から取締役社長、原子力発電を重視する経営路線を強め泊原発3号機の建設推進や原価の見直しによる「本格改定」で2度の電気料金値下げやオール電化住宅の普及を主導した。
津田 紘(つだ ひろし、1945年〈昭和20年〉2月5日 -… 津田 紘(つだ ひろし、1945年〈昭和20年〉2月5日 - 2022年〈令和4年〉2月28日)は、日本の自動車技術者、実業家。スズキ株式会社代表取締役社長を務めた。学位は室蘭工業大学工学博士。 北海道出身。北海道札幌南高等学校を経て、1967年(昭和42年)3月、室蘭工業大学工学部産業機械工学科卒業。 1969年(昭和44年)3月、北海道大学大学院工学研究科衛生工学専攻修了、鈴木自動車工業(のちのスズキ)入社。 2003年(平成15年)4月から代表取締役社長を務めた。 2006年(平成18年)室蘭工業大学博士(工学)の学位を取得。博士論文は「自動車用高強度鋼板の溶接継手における疲労強度および衝撃変形強度に関する研究」。
金井 昭雄(かない あきお 1942年〈昭和17年〉10月9… 金井 昭雄(かない あきお 1942年〈昭和17年〉10月9日 - )は、日本の実業家、眼鏡技術者。 富士メガネ会長・社長兼任、日本眼鏡技術者協会副会長、ワールドオプチカルフェア理事、アジア太平洋オプトメトリー会議理事。カリフォルニア州オプトメトリスト(O.D.)。父は富士メガネ創業者の金井武雄。樺太豊原市生まれ。 樺太豊原市生まれ。終戦時に北海道に引き上げる。北海道札幌南高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。 1966年、アメリカ留学。留学中に視力と視機能補正を学び、授業内容を全てテープに録音し帰宅後も書き写すなどし過酷な留学生活を送る。 1972年、サザン・カリフォルニア・カレッジ・オブ・オプトメトリー(Southern California College of Optometry)より博士号取得。
大久保 尚武(おおくぼ なおたけ、1940年3月16日 - … 大久保 尚武(おおくぼ なおたけ、1940年3月16日 - )は、積水化学工業相談役・元社長・会長。北海道出身。 北海道札幌南高等学校10期生。東京大学法学部卒業後、1962年同社に入社。1989年取締役、1993年常務取締役、1997年専務取締役、1999年1月に副社長、同年6月から代表取締役社長。2009年より代表取締役会長を経て、2017年現在・現職。 1960年ローマ五輪ボート競技、舵手付きフォア(4+)に出場した経歴を持ち(敗者復活戦敗退)、現在、公益社団法人日本ローイング協会(旧名:日本ボート協会)の会長を務める。 2021年4月の春の叙勲で旭日重光章受章。
下妻 博(しもづま ひろし、1937年1月13日 - 201… 下妻 博(しもづま ひろし、1937年1月13日 - 2015年11月15日)は、日本の実業家。鹿島アントラーズ・エフ・シー取締役。元住友金属工業代表取締役社長。 北海道旭川市出身。1960年東京大学文学部社会学科を卒業し、同年、住友金属工業(現・日本製鉄)に入社。主に営業畑を歴任し、1989年に取締役経営企画部長就任。その後常務・専務・副社長を経て、2000年、社長に就任した。鉄鋼不況で株価が額面割れするなど住金の経営危機を乗り切るべく、2002年に新日本製鐵(新日鉄)、神戸製鋼所と三社間資本提携を締結。海外戦略では同年にイギリス・オランダ系の鉄鋼メーカー、コーラスと技術提携を結んだ。 住金の業績悪化の要因となっていた和歌山製鉄所は上工程部門を住金鋼鉄和歌山とし分社。
我孫子 健一(あびこ けんいち、1931年6月13日 - )… 我孫子 健一(あびこ けんいち、1931年6月13日 - )は、日本の地方公務員、航空実業家。北海道副知事、北海道住宅供給公社理事長、北海道空港代表取締役社長、北海道国際航空会長、北海道経済連合会副会長などを歴任した。日本棋院普及功労賞受賞。瑞宝中綬章受章。 北海道札幌南高等学校を経て、1954年北海道大学経済学部卒業、北海道庁入庁。1972年開発調整部参事。1977年開発調整部次長。1980年上川支庁長。1983年開発調整部長。1987年北海道副知事。1991年北海道住宅供給公社理事長。1994年北海道空港代表取締役社長。2000年北海道国際航空会長、北海道経済連合会副会長、北海道観光連盟会長。
児島 仁(こじま まさし、1930年〈昭和5年〉12月5日 … 児島 仁(こじま まさし、1930年〈昭和5年〉12月5日 - 2023年(令和5年)5月31日)は日本の実業家。第3代日本電信電話株式会社(NTT)代表取締役社長。位階は従三位、旭日大綬章受章。 北海道深川市生まれ。北海道立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)を経て、1953年北海道大学法経学部卒業。なお、ベストセラー作家の増田俊也は大学の後輩にあたる。日本電信電話公社入社。1980年職員局長。1983年総務理事。「電電公社始まって以来の乱暴者」と評されるほどの武闘派で知られ、郵政省の公社分割案に反対し、大学の後輩にあたる郵政省の五十嵐三津雄との折衝にあたるなどした。 日本電信電話公社民営化に尽力し、1985年に日本電信電話が設立されると常務に就任し、翌年の1986年には副社長に昇格。
伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2… 伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2023年12月5日)は、日本の実業家。北海道札幌市出身。伊藤組土建代表取締役社長、テレビ北海道代表取締役社長、全日本スキー連盟会長、日本赤十字社北海道支部長等を歴任した。 旧制北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て、早稲田大学に進学。1944年からは学徒動員に伴い川崎の日本鍛造へ勤務、渋谷で東京大空襲に被災し、市ヶ谷の東部軍司令部での事務作業の最中に終戦を迎え、一旦札幌に戻った後1年後に早大へ復学。 1950年に早稲田大学政経学部を卒業した。同年5月に伊藤組土建に入社。一方で終戦直後から「日本を負かしたアメリカはどのような国なのか見てみたい」との思いでアメリカへの留学を考えGHQ総司令部に相談し進駐米軍将校の住宅でハウスボーイとして働いた後1951年に渡米し近代経営学を学び、1952年にカリフォルニア大学大学院を修了し、1953年にコロンビア大学大学院を修了。
安井 誠(やすい まこと、1926年5月19日 - 1997… 安井 誠(やすい まこと、1926年5月19日 - 1997年3月11日)は、北海道出身の大蔵官僚、実業家。
石田 達郎(いしだ たつろう、1918年(大正7年)7月18… 石田 達郎(いしだ たつろう、1918年(大正7年)7月18日 - 1990年(平成2年)7月19日)は、日本の実業家。ニッポン放送・フジテレビジョン社長を務めた。北海道札幌市出身。 札幌一中(現:北海道札幌南高等学校)、慶應義塾大学経済学部を卒業。 鐘淵紡績、映画プロデューサーを経て、1954年(昭和29年)ニッポン放送に入社。74年社長、85年相談役。この間、フジテレビ社長、産経新聞代表取締役を兼任したほか、パシフィック音楽出版(PMP、現:フジパシフィックミュージック)、ポニー、キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)、ディノス(現:DINOS CORPORATION)といった、フジサンケイグループで非放送・新聞事業の中核となる企業を設立した。
佐藤 貢(さとう みつぎ、1898年〈明治31年〉2月14日… 佐藤 貢(さとう みつぎ、1898年〈明治31年〉2月14日 - 1999年〈平成11年〉9月26日)は、大正時代から昭和時代の北海道の経営者・教育者。位階は正四位。 北海道興農公社の設立に関わり、後身の雪印乳業の初代社長を務めた。また、長らく学校法人酪農学園の理事長を務めた。 札幌市生まれ。北海道庁立札幌第一中学校・ 北海道帝國大學農学部卒業。アメリカのオハイオ州立大学農科大学で細菌学と乳業を学び、1922年(大正11年)に帰国。家業である農業を継ぐ。 1925年(大正14年)、父・善七が設立者の一人であった有限会社北海道製酪販売組合の技師となり、雪印の名で「北海道バター」を製造販売。1940年(昭和15年)から有限会社北海道興農公社の専務を務め、1946年(昭和21年)には経済安定本部勤務。
栗林 友二(くりばやし ともじ、1898年1月3日 - 19… 栗林 友二(くりばやし ともじ、1898年1月3日 - 1977年8月8日)は、日本の実業家・篤志家・馬主。 実業家・政治家の栗林五朔の息子として北海道に生まれる。札幌中学を経て東京帝国大学農学部獣医学科を卒業後、イギリス・ケンブリッジ大学に留学。帰国後は父が興した栗林商船に入社し、後に会長を務めた。本業の傍らで競走馬の馬主としても著名であり「ミスター・ケイバ」と呼ばれ、全日本馬主協会連合会(現・日本馬主協会連合会)会長などを歴任した(後述)。1977年8月8日、肺炎により79歳で死去。 兄は栗林商船や栗林商会社長、政治家などを務めた栗林徳一。弟には南方林業の社長を務めた栗林定四朗がいる。長男・定友は栗林商船、三男・英雄は栗林運輸の社長を務めた。
瀬尾 俊三(せお しゅんぞう、1897年4月11日 - 19… 瀬尾 俊三(せお しゅんぞう、1897年4月11日 - 1980年9月17日)は、日本の経営者。雪印乳業社長を務めた。 北海道札幌市出身。札幌第一中学校(現・北海道札幌南高等学校)を経て、1922年に早稲田大学商学部を卒業。東海林太郎とは大学時代に同じ下宿にいた親友。 名古屋銀行での勤務を経て、1926年に北海道酪農販売組合連合会主事に就任し、1938年に専務、1950年6月に雪印乳業専務、1957年5月に副社長を経て、1963年5月に社長に就任。1971年5月に会長を経て、1973年5月には相談役に就任した。 1963年に藍綬褒章を受章し、1967年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1980年9月17日、急性肺炎のために死去。
阿部 謙夫(あべ しずお、1894年〈明治27年〉4月13日… 阿部 謙夫(あべ しずお、1894年〈明治27年〉4月13日 - 1972年〈昭和47年〉1月2日)は、日本の技術官、実業家。 逓信省、東京市、鉄道省に勤務した後、北海道新聞社社長となり、北海道放送を設立して初代社長を務めた。 阿部宇之八の三男として札幌区に生まれる。札幌区創成尋常小学校、札幌区創成高等小学校、北海道庁立札幌中学校を経て、1911年(明治44年)第一高等学校第二部甲類に無試験検定で入学、1914年(大正3年)同校第二部工科卒業。1917年(大正6年)東京帝国大学工科大学土木工学科卒業。 同年逓信省に入省。翌1918年(大正7年)に九州逓信局水力課長となり、九州各地の河川水を発電に利用するための水量調査を行った。
伊藤 豊次(いとう とよじ、1893年(明治26年)6月27… 伊藤 豊次(いとう とよじ、1893年(明治26年)6月27日 - 1962年(昭和37年)11月2日)は、日本の実業家・政治家。北海道札幌市出身。伊藤組土建初代代表取締役社長。北海道庁立札幌中学校卒。 病弱だったため、進学を断念。伊藤組に入社し、同社・支配人田中銀次郎が教育。1920年に外遊し、近代的な土木建築経営を身近に見て翌年帰国。1923年父より家督を相続し、組報第一号刊行。設計部門を置き、鉄筋コンクリート造建築に脱皮を図る。組織も建築部・設計部・木材部・造材部と部制を敷き、さらに、伊藤組土建・伊藤組木材・伊藤組鉄工・伊藤組農林に発展させ設立させる。1946年、北海道多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され、同年10月2日に就任し、同和会に所属し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任。
阿部 良夫(あべ よしお、1888年〈明治21年〉1月6日 … 阿部 良夫(あべ よしお、1888年〈明治21年〉1月6日 - 1945年〈昭和20年〉4月15日)は日本の物理学者、新聞社社長。 阿部宇之八の長男として北海道札幌区に生まれる。北海道庁立札幌中学校から第一高等学校を経て、1912年(明治45年)7月東京帝国大学理科大学理論物理学科を卒業。1913年(大正2年)4月から8月までシーメンス・シュッケルト社(現・シーメンス)技師、1916年(大正5年)4月から早稲田大学高等師範部講師、1920年(大正9年)4月から早稲田大学高等学院教授となり、科学哲学と科学史の研究に精励する。1923年(大正11年)10月辞職。父の死去に伴い、1925年(大正14年)に北海タイムス社理事、1927年(昭和2年)に同社社長となる。
苫米地 義三(とまべち ぎぞう、1880年〈明治13年〉12… 苫米地 義三(とまべち ぎぞう、1880年〈明治13年〉12月25日 - 1959年〈昭和34年〉6月29日)は、日本の実業家、政治家。位階は正三位。運輸大臣(第8代)、内閣官房長官(第3代)、衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、サンフランシスコ講和会議全権委員。 1880年(明治13年)12月25日、青森県上北郡相坂村(藤坂村を経て現在の十和田市)に生まれる。父の金次郎は村の評議員で、明治22年の市町村制施行時は、藤坂村の第1期村会議員にも選ばれた地域の有力者だった。一方で北海道開拓に並々ならぬ関心を抱いており、翌1890年(明治23年)には全財産を担保にして土地を買い、後志国磯谷郡南尻別村大谷地(現在の北海道蘭越町大谷地)に移り住んだ。
荒川 勝利 は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長、会長を務… 荒川 勝利 は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長、会長を務めた。
河原崎 篤 は、日本の経営者。三井鉱山社長、会長を務めた。福… 河原崎 篤 は、日本の経営者。三井鉱山社長、会長を務めた。福岡県大牟田市出身。
倉井 敏麿 は、大正・昭和期の実業家、政治家。新潟鐵工所社長… 倉井 敏麿 は、大正・昭和期の実業家、政治家。新潟鐵工所社長、貴族院勅選議員。
山本 庸一 は、日本の経営者。雪印乳業社長を務めた。北海道札… 山本 庸一 は、日本の経営者。雪印乳業社長を務めた。北海道札幌市生まれ、上川郡清水町出身。
若林 彊 は、日本の経営者。山形県出身。