スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
佐藤 一進(さとう たかみち、1978年 - )は、日本の政… 佐藤 一進(さとう たかみち、1978年 - )は、日本の政治学者、神戸学院大学教授。 岩手県出身。岩手県立盛岡第一高等学校、京都大学経済学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。2009年より京都精華大学専任講師、2015年より同大学准教授。2018年より現職。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
橋田 元(はしだ げん、1963年 - )は、日本の地球科学… 橋田 元(はしだ げん、1963年 - )は、日本の地球科学者。国立極地研究所教授。専門は海洋学、生物地球化学。南極地域観測隊に複数回参加し、隊長も務めている。 南極地域観測隊員として、越冬3回、夏隊5回(うち隊長2回)の参加経験を持つ。 専門は極域海洋における生物地球化学的炭素循環。特に、二酸化炭素の吸収・放出プロセスや海洋酸性化が南極海の生態系に与える影響について、現場観測と化学分析を通じて研究している。
矢羽々 崇(やはば たかし、1962年 - )は、日本のドイ… 矢羽々 崇(やはば たかし、1962年 - )は、日本のドイツ文学者、獨協大学教授。 岩手県盛岡市生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1987年に上智大学文学部ドイツ文学科卒業。1989年、ミュンヘン大学哲学部で、主専攻:近現代ドイツ文学、副専攻:哲学、日本学にて修士号 (magister artium) 取得。1994年に上智大学大学院博士課程修了、「詩作の個人性と社会性 - ヘルダーリンの「追想」」で博士(文学)を取得。1994年、獨協大学外国語学部ドイツ語学科専任講師に就任し、2000年に助教授となり、のち教授に昇任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
菅野賢治(かんの けんじ、1962年- )は、フランス文学者… 菅野賢治(かんの けんじ、1962年- )は、フランス文学者、東京理科大学教授。 岩手県生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1986年東京大学教養学部教養学科フランス分科卒業、同大学院仏文科博士課程単位取得退学。1994年パリ第10大学(ナンテール)文学研究科博士課程修了、東大文学部助手、1995年一橋大学法学部助教授、1998年東京都立大学人文学部助教授、2008年東京理科大学理工学部教授。
長瀬 勝彦(ながせ かつひこ、1961年5月30日- )は、… 長瀬 勝彦(ながせ かつひこ、1961年5月30日- )は、日本の経営学者、東京都立大学経営経済学部教授。 岩手県遠野市生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1984年東京大学経済学部卒業。1991年同大学院経済学研究科経営学専攻博士課程単位取得。2000年「意思決定のストラテジー 実験経営学の構築に向けて」で東京大学から博士(経済学)。組織学会高宮賞受賞。 駒澤大学経営学部専任講師、95年助教授、教授、東京都立大学経済学部教授、2005年首都大学東京教授、2020年東京都立大学教授。専門は意思決定論、実験経営学。
室月 淳(むろつき じゅん、1960年 - )は、日本の医師… 室月 淳(むろつき じゅん、1960年 - )は、日本の医師、医学者。専門は産婦人科学、周産期医学、胎児診断・胎児治療学、臨床遺伝学。宮城県立こども病院産科部長、東北大学大学院医学系研究科教授(非常勤講師)を務める。胎児骨系統疾患や出生前診断の第一人者として知られる。 盛岡市に生まれる。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1986年に東北大学医学部医学科を卒業後、山形県立中央病院臨床研修医を経て、1989年に東北大学医学部産科婦人科学教室に入局した。1993年から1996年までカナダ・ウェスタンオンタリオ大学ローソン研究所に留学。 帰国後、古川市立病院産婦人科科長、東北大学医学部助手・講師、国立仙台病院(現・国立病院機構仙台医療センター)産婦人科医長、岩手医科大学医学部講師などを歴任。
瀬川 昌久(せがわ まさひさ、1957年9月 - )は、日本… 瀬川 昌久(せがわ まさひさ、1957年9月 - )は、日本の文化人類学者、東北大学教授。 1957年、岩手県花巻市で生まれた。岩手県立盛岡第一高等学校を卒業し、東京大学教養学部へ進み、文化人類学を専攻した。1981年に同大学を卒業し、同大学大学院に進学。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程を中退し、7月より国立民族学博物館助手となった。 1989年、東北大学教養部助教授に就いた。1989年、学位論文『東南中国の宗族と村落:香港新界の中小宗族を中心とした分析』を東京大学に提出して学術博士の学位を取得。1993年より文学部助教授。1996年、同大学東北アジア研究センター教授に昇格。2007年から2009年にはセンター長を務めた。
道又 爾(みちまた ちかし、1957年 - )は、日本の心理… 道又 爾(みちまた ちかし、1957年 - )は、日本の心理学者。専門は認知心理学、認知神経科学。上智大学名誉教授。 岩手県宮古市出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1982年茨城大学人文学部人文学科心理学専攻卒業。1988年南カリフォルニア大学大学院心理学研究科実験心理学専攻博士課程修了、Ph.D.。国際基督教大学教養学部教育学科心理学研究室副手を経て、1990年に明治学院大学文学部心理学科が設立されると同助教授に着任。1997年明治学院大学文学部心理学科教授。1998年上智大学総合人間科学部心理学科教授。2023年退任、上智大学名誉教授。元日本基礎心理学会理事・編集委員。専門は認知心理学、認知神経科学。
藤村 正之(ふじむら まさゆき、1957年 - )は、日本の… 藤村 正之(ふじむら まさゆき、1957年 - )は、日本の社会学者。武蔵大学教授・上智大学文学部教授・上智大学総合人間科学部教授などを経て、2023年より上智大学特別契約教授。上智大学副学長・教授、福祉社会学会会長、関東社会学会会長、日本社会学理論学会副会長等を歴任。 岩手県盛岡市生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1980年一橋大学社会学部卒業、1986年筑波大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得満期退学、1998年博士(社会学)。 1986年東京都立大学人文学部助手、1989年武蔵大学人文学部講師、1991年同助教授、1997年同教授、2002年上智大学文学部教授、2005年上智大学総合人間科学部社会学科教授、2014年上智大学副学長(学務担当)。
夏井 高人(なつい たかと、1956年3月21日 - )は、… 夏井 高人(なつい たかと、1956年3月21日 - )は、日本の法学者。明治大学法学部(法情報学)・明治大学法科大学院教授(サイバー法)・明治大学大学院法学研究科教授(法情報学)、弁護士(元裁判官)。専門は法情報学、コンピュータ法及びサイバー法。サイバー法の権威であり、サイバー法研究の第一人者である。 岩手県宮古市出身。1974年に岩手県立盛岡第一高等学校、1978年に山形大学人文学部経済学科を卒業。1980年に司法試験合格、翌1981年に第35期司法修習生、1983年名古屋地方裁判所判事補(民事部)に任官。その後、盛岡地方裁判所判事補(刑事部)・同裁判所判事補(民事部)、千葉地方裁判所判事補(執行・保全部)、千葉家庭裁判所判事補(家事事件担当)、仙台地方裁判所気仙沼支部長判事、最高裁判所裁判所書記官研修所教官(民事、情報処理)、東京地方裁判所判事(労働部)を経て、1997年退官。
村上 雅人(むらかみ まさと、1955年2月13日 - )は… 村上 雅人(むらかみ まさと、1955年2月13日 - )は、日本の超伝導工学者。専門は材料科学。2012年4月より芝浦工業大学学長を務める。Fe-Mn-Si系形状記憶合金の発明ならびにバルク超伝導体の開発者。 高校時代にAFS交換留学生として、アメリカのカリフォルニア州マーティネズ市に1年間滞在する 。 新日本製鐵の研究員時代に、東京工業大学の森勉・佐藤彰一らと共同で、Fe-Mn-Si系形状記憶合金を発明。Fe-Mn-Si合金は、制震ダンパーとして、竹中工務店の建設で、JPタワー名古屋へ導入された。 1990年仙台市で開催されたInternational Superconductivity Symposiumの基調講演と人間浮上デモを行う。
佐藤 比呂志(さとう ひろし、1955年 - )は、日本の地… 佐藤 比呂志(さとう ひろし、1955年 - )は、日本の地質学者。専門は構造地質学。東京大学名誉教授。元東京大学地震研究所地震予知研究センター長。 宮城県仙台市生まれ。1974年岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1979年東北大学理学部地学第一学科卒業。1981年東北大学大学院理学研究科博士課程前期修了。1984年東北大学大学院理学研究科博士課程後期単位取得退学、日本学術振興会奨励研究員。1985年茨城大学理学部助手。1986年理学博士。1991年東京大学地震研究所助手。1997年東京大学地震研究所助教授。2004年東京大学地震研究所教授。東京大学地震研究所地震研究所地震予知研究センター長を経て、2021年静岡大学防災総合センター客員教授、東京大学名誉教授。
松橋 公治(まつはし こうじ、1953年4月13日 - 20… 松橋 公治(まつはし こうじ、1953年4月13日 - 2024年6月20日)は、経済地理学、特に工業地理学を専門とした日本の地理学者、明治大学名誉教授。 1953年に、岩手県九戸郡軽米町に生まれ、中学校まで育った。実家は、街の中心にあった書店を兼ねた文房具商で、兄弟も多かったという。 盛岡市の岩手県立盛岡第一高等学校に進んで高校野球に打ち込み、遊撃手として3年間レギュラーで通し、3年次には主将であった。 1972年に盛岡第一高等学校を卒業した後、一浪を経験して、東京都立大学理学部地理学科に進み、1学年上級であった小金澤孝昭らと研究会を組織したり、教室の助手であった山川充夫の指導を受け、また、積極的に学外にも出向いて様々な先達の教えを受けたが、特に、山川と同じく教室の助手であった和田明子から多くを学んだ。
村野井 均(むらのい ひとし 1953年 - )は、日本の心… 村野井 均(むらのい ひとし 1953年 - )は、日本の心理学者。茨城大学名誉教授(特任教授)。専門は、発達心理学、メディア・リテラシー。子どものテレビ映像理解について研究し、映像メディアの果たす役割を考察した著作がある。 1953年(昭和28年)、岩手県盛岡市生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1978年(昭和53年)、東京教育大学教育学部心理学科を卒業。その後、筑波大学心理学研究科を経て、1984年(昭和59年)から弘前学院大学一般教育部講師。1988年(昭和63年)から福井大学教育地域科学部助教授となり、2005年(平成17年)に茨城大学教育学部教授に就任した。2019年(平成31年/令和1年)、いわき短期大学幼児教育学科長を経て、茨城大学名誉教授。
千葉 順成(ちば じゅんせい、1952年2月15日 - 20… 千葉 順成(ちば じゅんせい、1952年2月15日 - 2019年9月6日)は、日本の物理学者。専門は実験原子核物理学。東京理科大学名誉教授。理学博士(東京大学)。 核物質中における中間子の質量変化を世界で初めて実験的に捉えるなどの業績を残した。 岩手県胆沢郡金ケ崎町出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1974年に東京大学理学部物理学科を卒業。1979年、同大学大学院理学系研究科博士課程を修了し、理学博士の学位を取得した(論文題目:Pion Production in High-Energy Heavy-Ion Collisions)。その後、東京大学理学部助手、高エネルギー物理学研究所(現・高エネルギー加速器研究機構、KEK)助教授、教授を歴任。
高橋 幸司(たかはし こうじ、1952年 - )は、日本の化… 高橋 幸司(たかはし こうじ、1952年 - )は、日本の化学工学者。山形大学大学院理工学研究科教授。専門は液体混合工学、撹拌槽内の流動解析、バイオリアクターなど。 主な研究テーマは以下の通り。 著書に『液体混合の最適設計と操作』(2012年、テクノシステム)がある。
熊谷 重勝(くまがい しげかつ、1947年5月17日 - )… 熊谷 重勝(くまがい しげかつ、1947年5月17日 - )は、日本の会計学者。立教大学名誉教授。 この間、岩手県立盛岡短期大学、岩手県立宮古短期大学、岩手大学、埼玉大学、日本福祉大学において兼任講師(非常勤職員)を歴任
加藤 哲郎(かとう てつろう、1947年1月16日 - )は… 加藤 哲郎(かとう てつろう、1947年1月16日 - )は、日本の政治学者。一橋大学名誉教授。早稲田大学客員教授。「尾崎=ゾルゲ研究会」代表。
上野 善道(うわの ぜんどう、1946年12月 - )は、日… 上野 善道(うわの ぜんどう、1946年12月 - )は、日本の言語学者、東京大学名誉教授。専門は、言語学・方言学。 1946年、岩手県で生まれた。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、東京大学文学部言語学科で学び、1970年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科に進学し、1973年9月に博士後期課程を中途退学した。 同1973年10月、東京大学文学部助手に採用された。1975年、弘前大学人文学部専任講師となり、国語学を担当した。1976年からは金沢大学法文学部専任講師を兼任し、同じく言語学を担当。翌1977年、金沢大学に転じた。1979年に助教授昇格。1981年、東京大学文学部助教授となった。1994年に教授昇格。
嶋 陸奥彦(しま むつひこ、1946年6月22日 - )は、… 嶋 陸奥彦(しま むつひこ、1946年6月22日 - )は、日本の文化人類学者、東北大学名誉教授。韓国研究。 岩手県北上市生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1969年東京大学教養学部文化人類学専攻卒。1979年トロント大学大学院人類学部博士課程修了、Ph.D.。1977年岐阜大学教養部講師、1979年広島大学総合科学部講師、81年助教授、85年国立民族学博物館助教授兼任、1991年東北大学文学部助教授、96年文学研究科教授。2010年定年退官、名誉教授。
藤沢 孝雄(ふじさわ たかお、1946年 - 1993年)は… 藤沢 孝雄(ふじさわ たかお、1946年 - 1993年)は、日本の化学者。千葉工業大学工業化学科にて教鞭を執り、ガラス繊維や炭素繊維のグラフト重合に関する研究を行っていた。 岩手県出身。父は都南村の村長を務めた藤沢与三郎(1909年 - 1976年)。都南村立見前中学校(1962年卒)、岩手県立盛岡第一高等学校(1965年卒)を経て、千葉工業大学を卒業する。卒業後も千葉工業大学に残って教鞭を執り、1970 - 80年代にかけて、炭素繊維やガラス繊維へのグラフト重合に関する複数の論文を発表している。 主な研究テーマは、ガラス溶融紡糸過程の解析や、炭素繊維へのモノマーのグラフト重合などである。これらの研究は、材料科学分野での引用が90件以上であり、代表的な論文として以下のものが挙げられる。
三浦 信孝(みうら のぶたか、1945年3月28日 - )は… 三浦 信孝(みうら のぶたか、1945年3月28日 - )は、日本のフランス文学者、フランス文化学者。中央大学名誉教授・日仏会館常務理事。また日本語 - フランス語の通訳者。 1945年、岩手県盛岡市生まれ。1963年、岩手県立盛岡第一高等学校を卒業。東京大学教養学部教養学科フランス分科に進み、1970年に卒業。同大学大学院に進み、1978年東京大学大学院人文科学研究科仏語仏文学専攻博士課程を満期退学。 1980年、静岡大学教養部助教授に着任。1990年より、慶應義塾大学総合政策学部教授。1995年、中央大学文学部教授となった。2015年に中央大学を定年退職し、名誉教授となった。学界では、日本フランス語教育学会会長を務めた。
沼田 健哉(ぬまた けんや、1944年10月1日 - )は日… 沼田 健哉(ぬまた けんや、1944年10月1日 - )は日本の社会学者。専門は社会心理学、宗教社会学、文芸社会学。桃山学院大学教授。岩手県立盛岡第一高等学校、東京大学文学部社会学科卒業、同大学院社会学研究科博士課程修了。三重県出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
本間 博文(ほんま ひろぶみ、 1942年 -2019年)は… 本間 博文(ほんま ひろぶみ、 1942年 -2019年)は、日本の建築史家。放送大学名誉教授。専門は、建築計画学、住居学、内モンゴル自治区での砂漠化防止に関する研究。 岩手県盛岡市生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校、東北大学工学部建築学科卒業。 東京工業大学より工学博士の学位を取得(1977年(昭和52年))。博士論文は「大都市居住者の住要求の構造に関する研究」。 東京工業大学理工学部技官/助手、東京工業大学工学部助手、東京家政大学助教授、放送大学教養学部助教授、1989年に同教授に昇格。放送大学東京第二学習センター所長(1993年4月から1999年3月)、放送大学副学長(2009年4月から2011年4月)を歴任。
中村 慶久(なかむら よしひさ、1940年11月21日 - … 中村 慶久(なかむら よしひさ、1940年11月21日 - ) は、日本の工学者。専門は電子工学。東北大学名誉教授。東北大学電気通信研究所所長や、岩手県立大学学長、映像情報メディア学会会長、公立大学協会副会長、全国公立短期大学協会副会長等を歴任した。 東京府生まれ。父は岩手県滝沢村出身のエンジニア。中学校から岩手県盛岡市で過ごし、1959年岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1963年東北大学工学部通信工学科卒業。1968年東北大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士。指導教官は岩崎俊一だが、永井健三も君臨していた。 1968年東北大学電気通信研究所助手。1971年東北大学電気通信研究所助教授。1987年東北大学電気通信研究所教授。
坂本 宗仙(さかもと むねのり、1936年 - 2012年4… 坂本 宗仙(さかもと むねのり、1936年 - 2012年4月12日)は、日本の化学者。東京工業大学名誉教授。専門は高分子機能加工、繊維の化学改質、染色加工など。 同大学助手、助教授を経て教授に就任。 セルロース繊維や絹糸の機能向上を目的とした化学反応(ハロゲン化、架橋、イソシアネート系化合物による改質など)を中心に研究。羊毛のセット機構や染色加工に関する知見も深い。主な受賞・役職繊維学会功績賞(平成12年度)。 主な著書・訳書『反応射出成形入門』(F.メルヴィン・スウィーニイ著、坂本宗仙・本宮達也訳、1990年、工業調査会)。
小田中 聰樹(おだなか としき、1935年(昭和10年)7月… 小田中 聰樹(おだなか としき、1935年(昭和10年)7月20日 - 2023年(令和5年)6月9日)は、日本の法学者。専門は刑事訴訟法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1978年、学位論文「刑事訴訟法の歴史的分析」)。東北大学名誉教授。岩手県盛岡市生まれ。 日本刑法学会理事、民主主義科学者協会法律部会理事長、日本法社会学会理事等を歴任。「九条科学者の会」呼びかけ人を務めている。 息子に東北大学大学院経済学研究科教授の小田中直樹がいる。
長岡 洋介(ながおか ようすけ、1933年7月21日 - 2… 長岡 洋介(ながおか ようすけ、1933年7月21日 - 2024年5月7日)は、日本の物理学者。専門は物性理論。京都大学名誉教授。名古屋大学名誉教授。理学博士。第57期日本物理学会会長。 1933年7月21日、岩手県盛岡市に生まれた。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1956年に東京大学理学部を卒業し、1961年に同大学大学院数物系研究科の博士課程を修了した。指導教員は久保亮五であった。 京都大学基礎物理学研究所の助手、名古屋大学理学部の助教・教授、京都大学基礎物理学研究所の教授・所長を歴任した。1997年に定年退職後、同年に関西大学工学部教授に就任した。 2001年9月からの1年間、日本物理学会会長を務めた。
小山田 了三(おやまだ りょうぞう、1932年12月31日 … 小山田 了三(おやまだ りょうぞう、1932年12月31日 - 2009年10月2日)は、日本の物性工学者、技術史学者。富士大学元学長。 岩手県盛岡市出身。小山田信茂の子孫。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1955年岩手大学教育学部卒、59年まで中学校教師、1961年東京理科大学卒、東京教育大学理学部をへて、1964年東京工業大学大学院修士課程修了、科学技術庁金属材料技術研究所研究員、71年同主任研究官、73年「溶融塩の基礎研究 二・三の基礎的性質とイオン間の相互作用について」で大阪大学工学博士。1974年長崎大学教育学部助教授、1978年教授、ニューマテリアル開発研究所・シンクタンク代表。1984年東京電機大学講師、1987年山梨学院大学商学部教授。
本堂 寛(ほんどう ひろし、1932年8月2日 - 2021… 本堂 寛(ほんどう ひろし、1932年8月2日 - 2021年11月30日)は、日本の国語教育学者・日本語学者。青山学院大学名誉教授。 岩手県盛岡市大通生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校卒、1955年東北大学文学部国語学科卒業、1957年同大学院修士課程修了。岩手県立黒沢尻南高等学校教諭、1959年岩手県立盛岡第一高等学校教諭、1965年一関工業高等専門学校助教授、1968年国立国語研究所研究員、研究室長、1974年岩手大学教育学部教授、1977年教授、ブラジルサンパウロ大学文学部客員教授、1982年文部省初等中等教育局小学校教科調査官、東北大学教養部教授、青山学院大学文学部教授、2003年定年退職、名誉教授。
平井 俊榮(平井俊栄、ひらい しゅんえい、1930年〈昭和5… 平井 俊榮(平井俊栄、ひらい しゅんえい、1930年〈昭和5年〉11月20日 - )は、日本の曹洞宗の僧侶、仏教学者。駒澤大学名誉教授。中国仏教専攻。 岩手県岩手郡雫石町出身。盛岡中学、駒澤大学仏教学部卒。東京大学大学院印度哲学博士課程中退。1974年「吉蔵を中心とする三論学派の研究」で東大文学博士。1964年に駒澤大学仏教学部講師、1970年仏教学部助教授、1976年教授、1986年副学長を経て、1990年学長に就任。2001年名誉教授となる。以後山田町に住所を移し現在に至る。 1979年より岩手県山田町豊間根の鞍東山宝珠院(あんどうさん ほうじゅいん)の住職を務める。 1980年「阿毘達磨倶舎論索引」(平川彰ら全5名での共同研究、全3巻、大蔵出版)で日本学士院賞受賞。
兼平 慶一郎(かねひら けいいちろう、1930年 - 198… 兼平 慶一郎(かねひら けいいちろう、1930年 - 1985年10月6日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。岩手県盛岡市生まれ。 盛岡中学校から陸軍幼年学校へ入るが、終戦。盛岡中学校へ戻って、1948年、第二高等学校(仙台)へ進むが、1949年、学制改革となり、東京大学理学部地質学科へ進学。1953年、東京大学理学部地学科(地質学課程)卒業。鉱床学の渡辺武男教授の指導を受けて大学院へ進学し、1958年、博士課程を修了(理学博士)、理学部地質学教室助手となる。1962年、千葉大学文理学部地学科へ移り、1978年、教授となる。1985年、病に倒れ、死去。 研究のテーマは、卒業論文以来一貫して、日本の別子型と呼ばれる塊状硫化物鉱床の成因であった。
猪瀬 慎一郎(いのせ しんいちろう、1929年8月5日 - … 猪瀬 慎一郎(いのせ しんいちろう、1929年8月5日 - 2006年8月23日)は、日本の裁判官、法学者。専門は少年法・少年司法制度。東京家庭裁判所所長、福岡高等裁判所長官、元東洋大学法学部教授などを歴任した。 最高裁判所家庭局付、札幌家庭・地方裁判所判事、司研刑裁教官、最高裁判所家庭局第三課長・第一課長、東京家庭裁判所判事・家事第6部総括判事、最高裁判所家庭局長、千葉家庭裁判所所長、東京高等裁判所第2民事部総括判事などを歴任。 退官後は東洋大学で教鞭を執り、少年法改正論議が活発化した1990年代後半から2000年代初頭にかけて、少年審判制度の実務的視点からの研究・提言を行った。 共編著『少年法のあらたな展開 理論・手続・処遇』(有斐閣、2001年、ISBN 4-641-04192-X) - 森田明、佐伯仁志と共編。
樋渡 宏一(ひわたし こういち、1921年2月11日 - 2… 樋渡 宏一(ひわたし こういち、1921年2月11日 - 2009年3月7日) は、日本の細胞生物学者、遺伝学者。東北大学名誉教授。元日本学士院会員。日本における、ゾウリムシを用いた生物学研究の先駆者とされる。 宮城県仙台市生まれ。旧制盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を経て、東北帝国大学理学部を卒業後、東北帝国大学大学院特別研究生となる。 山形大学講師に赴任後、東北大学教育学部で教授に就任、宮城教育大学教授を経て、1968年に東北大学理学部教授となる。東北大学理学部教授時の1971年に日本動物学会賞を受賞した。 1984年に定年退職し、東北大学名誉教授となる。
熊谷 清一郎(くまがい せいいちろう、1914年6月16日 … 熊谷 清一郎(くまがい せいいちろう、1914年6月16日 - 没年不詳)は、日本の機械工学者、東京大学名誉教授。 岩手県盛岡市出身。1932年に盛岡中学を卒業。1940年に東京帝国大学工学部卒業、1943年東京帝国大学大学院満期退学。戦後東京大学教授となり、定年後名誉教授となる。その後は岩手大学で教授を務め、退職後はノーリツ基礎研究所所長もつとめた。 内燃機関研究を主に行い、国際燃焼学会で活躍した。 一般向け著作として、「火」(1979年)、「エンジンの話」(1981年)(いずれも岩波新書)がある。
森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日 - 1981… 森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日 - 1981年4月8日)は、日本の歴史学者、岩手大学名誉教授、経済学博士。主な研究テーマは南部藩を中心とする近世史だが、中尊寺金色堂の調査にも参加するなど、活動分野は多岐にわたった。 岩手県盛岡市の豪商の家に生まれる。盛岡中学から法政大学経済学部に進み、小野武夫の下で近世日本経済史を研究した。1929年卒業。岩手県教育会書記を務め、岩手師範学校教授。 1947年、昭和天皇が岩手県に戦後巡幸された際に拝謁し、岩手県の開拓史について奏上する。その後、1949年に岩手大学教授、1969年定年退官。学内では学芸学部長、教育学部長を歴任した。退官後は、盛岡短期大学講師や富士大学教授を務めた。
佐藤 得二 (さとう とくじ、1899年1月30日 - 19… 佐藤 得二 (さとう とくじ、1899年1月30日 - 1970年2月5日)は、日本の仏教学者、作家。哲学研究者として朝鮮の水原高等農林学校(現・ソウル大学校農業生命科学大学)、京城帝国大学予科教授、第一高等学校教授を歴任。『仏教の日本的展開』は名著として知られる。その後、文部省督学官、社会教育局長、国際文化会館参与などを務めた。 岩手県胆沢郡金ケ崎村(現金ケ崎町)出身。盛岡中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学文学部哲学科卒。 戦後は結核に罹患し、貧困にも苦しむが再起し、1963年には親戚の女性の話をもとにした初の小説『女のいくさ』を刊行、直木賞を受賞。当時64歳という最高齢での受賞であり、「老人の新人」出現として話題をよんだ(のち、記録は古川薫の65歳での受賞に破られる)。
阿部 孝(あべ たかし、1895年8月22日- 1984年)… 阿部 孝(あべ たかし、1895年8月22日- 1984年)は、英文学者、高知大学名誉教授。岩手県花巻川口町(現:花巻市)出身。 現在の花巻市鼬弊(いたちべい)にある稲荷神社神主の家に生まれる。花城尋常小学校(現・花巻市立花巻小学校)から旧制岩手県立盛岡中学校に進学。小学校では宮沢賢治より1学年上、中学校では同窓で、中学時代には親交を結んだ。賢治が詠んだ短歌には「這ひ松のなだらを行きて息吐ける 阿部のたかしは がま仙に肖る」という一首がある。 第一高等学校を経て、東京帝国大学英文科卒、旧制高知高等学校教授、戦後高知大学教授、学長を務めた。1966年『ばら色のばら』で日本エッセイストクラブ賞受賞。
山口 青邨(やまぐち せいそん、1892年〈明治25年〉5月… 山口 青邨(やまぐち せいそん、1892年〈明治25年〉5月10日 - 1988年〈昭和63年〉12月15日)は、日本の俳人・鉱山学者。岩手県出身。東京大学名誉教授。 本名は吉郎(きちろう)。初号は泥邨。高浜虚子に俳句を師事、工学博士として東京大学に勤めながら俳誌「夏草」を主宰した。 岩手県盛岡市出身。父は士族の家柄。5歳のときに母が死去し、母方の叔父笹間夫妻の元で育った。岩手県立盛岡中学校卒業、1910年、第二高等学校入学。野球部でキャプテンを務めた。1916年、東京帝国大学工科大学採鉱科卒業。古河鉱業に入社。1918年、退社し農商務省技師として鉱山省に勤務。19年にはシベリア炭鉱を調査した。
小野 清一郎(おの せいいちろう、1891年(明治24年)1… 小野 清一郎(おの せいいちろう、1891年(明治24年)1月10日 - 1986年(昭和61年)3月9日)は、日本の法学者・弁護士。専門は、刑法・刑事訴訟法・法哲学。学位は、法学博士。東京大学名誉教授。法務省特別顧問。日本学士院会員。勲一等瑞宝章・文化勲章受章者。岩手県盛岡市出身。盛岡小野組の一族である。 仏教の影響を受け、客観主義の法哲学・刑法理論を展開し、大場茂馬以来の後期旧派理論を継承する。戦後の刑法学会に多大な影響を与えた。東京裁判では海軍側被告人の弁護人をつとめた。親鸞に造詣の深い仏教研究者でもあった。 盛岡市で生まれる。盛岡中学校(盛岡一高の前身)卒業後、一高(東京大学教養学部の前身)独法科を首席で卒業。
野辺地 慶三(のべち けいぞう、1890年(明治23年)5月… 野辺地 慶三(のべち けいぞう、1890年(明治23年)5月11日 - 1978年(昭和53年)6月25日)は、昭和時代の細菌学者、公衆衛生学者。 岩手県盛岡市新築地(現・大通三丁目)にて野辺地慶治・せんの三男として生まれる。盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)、第一高等学校(現・東京大学教養学部)を経て、1919年(大正8年)東京帝国大学医学部を卒業した。卒業後、伝染病研究所に入り、血清学的にコレラ菌を3つに分類できることを提唱した。また、1923年(大正12年)から米国に留学し、ハーバード大学公衆衛生学部を首席で卒業し、公衆衛生学博士となり、1927年(昭和2年)に帰国した。帰国後は国立公衆衛生院の創設と運営に尽くし、日本の保健所制度の礎を築いた。
島 善鄰(しま よしちか、1889年8月27日 - 1964… 島 善鄰(しま よしちか、1889年8月27日 - 1964年8月7日)は、日本の農学者。北海道大学第6代学長。その一生をリンゴの研究と普及に努めリンゴの神様といわれる。正三位、勲一等瑞宝章を授与。 1889年、陸軍軍人の島時中、きち夫婦の5男として広島県広島市に生まれる。8歳の時に父が亡くなり岩手県稗貫郡矢沢村高木(現・花巻市)に移る。盛岡中学(現・岩手県立盛岡第一高等学校)を経て1914年、東北帝国大学農科大学(現・北海道大学)を卒業。1916年、星野勇三教授に推挙されて青森県農事試験場の技師となる。当時の青森は褐斑病の発生でリンゴ生産減退の時期であったが、早速減収原因の調査に着手。リンゴ栽培改善事業として の三大事業を実施し、従来の粗放な技術から労働集約技術への転換を指導した。
澤田 兼吉(さわだ かねよし、1883年12月26日-195… 澤田 兼吉(さわだ かねよし、1883年12月26日-1950年4月7日)は、日本の菌学者・植物病理学者。 1883年12月26日、岩手県盛岡市の生まれ。 1903年3月、岩手県立盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)を卒業。その後、1903年6月から1908年7月まで盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)の植物学教室と図書館に勤務、同教室の教授だった山田玄太郎の助手として植物標本製作などの業務に従事する。1908年8月より、同年6月に設置されたばかりの台湾総督府農事試験場(後に中央研究所農業部)に植物病理部技手として勤務、1910年より教育部技手、同年7月より図書館取扱主任を兼任、1920年より植物病理部主任心得を務める。
小野寺 直助(おのでら なおすけ、1883年5月31日 - … 小野寺 直助(おのでら なおすけ、1883年5月31日 - 1968年11月3日)は、日本の医学者、内科医。岩手県胆沢郡前沢町(現・奥州市)出身。小野寺式圧診法の考案者。 旧制盛岡中学校、第一高等学校を経て、京都帝国大学福岡医科大学(九州大学医学部の前身)卒業。30歳の若さで九州帝国大学教授に就任。消化器研究に尽力し、特に胃運動曲線照射法で恩賜金記念賞を授与される。「胃運動曲線に関する研究」「圧診法に関する研究」は医学会不滅の業績とされる。 1943年(昭和18年)に退官後は、満州国にわたり新京特別市立第一病院長に就任。1945年(昭和20年)8月19日、第二次世界大戦終結後の混乱の中、新たに発足した新京日本人会の会長に就任。
板垣 政参(いたがき まさみつ、1882年〈明治15年〉11… 板垣 政参(いたがき まさみつ、1882年〈明治15年〉11月8日 - 1967年〈昭和42年〉10月28日)は、日本の医学者、教育者。医学博士。九州大学名誉教授。内分泌や黄体ホルモンの生理学的研究や、久留米大学附設中学校・高等学校を設立したことで知られる。 岩手県盛岡市出身。板垣征四郎の兄。旧制盛岡中学、旧制二高、京都帝国大学医学部を経て、1910年より京都帝国大学福岡医科大学助教授に就任。1913年陸軍2等軍医になる。1914年3月より3年間ヨーロッパに留学し、1918年九州帝国大学教授となる。その後1932年九州帝国大学医学部長、1933年温泉治療学研究所長を歴任。太平洋戦争中にはジャカルタ医科大学学長を務めた。
煙山 専太郎(けむやま せんたろう、1877年(明治10年)… 煙山 専太郎(けむやま せんたろう、1877年(明治10年)6月3日 - 1954年(昭和29年)3月21日)は、明治から昭和にかけての西洋史学者、政治学者。日本のロシア史研究の「草分け」。早稲田大学名誉教授。岩手県出身。 煙山専太郎は、岩手県大川目村(現在の久慈市大川目町)に生まれた。盛岡尋常中学を経て東京帝大の史学科に進んだが、のちに哲学科に転科した。有賀長雄が主宰する『外交時報』に、在学中から寄稿しており、有賀の知遇を得ている。早稲田大学で研究者、教育者として過ごした。 『外交時報』は、1898年(明治31年)に有賀が創刊した国際・外交問題専門誌である。埴原正直が編集人をやめた後、編集事務の方面で田中唯一郎が、執筆面で煙山専太郎が有賀を補佐する存在となったとされる。
佐々木 豪(ささき ごう)は、日本の皮膚科医、医学者。岩手県… 佐々木 豪(ささき ごう)は、日本の皮膚科医、医学者。岩手県盛岡市の医療法人佐々木皮膚科の院長・理事長を務め、東京科学大学医学部皮膚科学講座の臨床准教授を兼任している。専門は皮膚免疫学、アトピー性皮膚炎、慢性蕁麻疹など。 岩手県出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、東京医科歯科大学医学部を卒業後、同大学大学院医歯学総合研究科皮膚科学講座にて皮膚免疫学を専攻し、医学博士号を取得した。 その後、東京医科歯科大学医学部附属病院皮膚科学講座助手、独立行政法人東京労災病院皮膚科科長などを経て、故郷である盛岡市に戻り、先代院長(佐々木博)の後を継いで医療法人佐々木皮膚科の第6代院長に就任した。現在は院長・理事長を務めている。
杉田 孝夫(すぎた たかお)は、日本の政治学者。専門は西洋政… 杉田 孝夫(すぎた たかお)は、日本の政治学者。専門は西洋政治思想史、特にドイツ観念論(カント・フィヒテ・ヘーゲル)と近代家族論・ジェンダー論。 主に18世紀末〜19世紀初頭のドイツ政治思想を対象とし、特に「自由と共同性」の問題を軸にカント、フィヒテ、ヘーゲルの再検討を行っている。また、近代家族の形成過程とジェンダー構造の思想史的分析でも知られる。
前田 秀将(まえだ ひでゆき、英語: Hideyuki Ma… 前田 秀将(まえだ ひでゆき、英語: Hideyuki Maeda)は、日本の法医学者、医師。専門は法医学、救急医学、低酸素環境下の病態生理学。 主な研究テーマは、低酸素曝露(特に間欠的低酸素)と関連する病態
小野寺 一浩(おのでら かずひろ)は、日本の法学者。専門は刑… 小野寺 一浩(おのでら かずひろ)は、日本の法学者。専門は刑法。福岡大学法学部教授。 刑法の犯罪総論と各論が交錯する問題を、具体的事例分析を通じて検討している。また共犯理論の発展過程を検証し、その実体解明に取り組んでいる。 主な研究キーワードは「共犯」。