スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
藤井 靖(ふじい やすし、1979年2月9日 - )は、日本… 藤井 靖(ふじい やすし、1979年2月9日 - )は、日本の心理学者。専門は臨床心理学。学位は、博士(人間科学)。明星大学教授。臨床心理士・公認心理師として、都道府県スクールカウンセラーや都内総合病院心療内科・精神科の心理カウンセラーも務める。秋田県秋田市生まれ。 学生時代は野村忍、助手時代は菅野純に師事し、臨床心理学を中核として心身医学、応用健康科学、臨床ストレス科学、学校カウンセリング学、脳科学、教育学など幅広い視点から研究・臨床を行う。認知行動療法を専門とし、高頻度な消化器心身症である過敏性腸症候群の治療プログラム開発のためのランダム化比較試験に取り組んでいる。また、摂食障害の研究や実践にも力を入れており、弁証法的行動療法の適用に関する効果検討を行なっている。
滝澤 博胤(たきざわ ひろつぐ、1962年12月 - ) は… 滝澤 博胤(たきざわ ひろつぐ、1962年12月 - ) は、日本の化学者。国立大学法人東北大学理事・副学長。元日本電磁波エネルギー応用学会理事長。 新潟県生まれ。1981年秋田県立秋田高等学校卒業。1985年東北大学工学部応用化学科卒業。1990年東北大学大学院工学研究科博士後期課程修了、工学博士、東北大学工学部分子化学工学科助手。1993年東北大学素材工学研究所助手。1994年テキサス大学オースティン校客員研究員(文部省在外研究員)。1995年東北大学工学部分子化学工学科助教授。1997年東北大学大学院工学研究科材料化学専攻助教授。2004年東北大学大学院工学研究科応用化学専攻教授。2010年東北大学総長特任補佐。
柳川重規(やながわ しげき、1962年 - )は、日本の法学… 柳川重規(やながわ しげき、1962年 - )は、日本の法学者(刑事訴訟法)。法学修士。中央大学法学部教授。中央大学日本比較法研究所長。警察政策学会会長。 渥美東洋(中央大学名誉教授)・椎橋隆幸(中央大学名誉教授)門下。英米法判例を軸とした刑事訴訟法の研究を行っている。米国の刑事裁判制度の研究経験から、裁判員制度などにも詳しい。
泉 宏之(いずみ ひろゆき、1960年 - )は日本の会計学… 泉 宏之(いずみ ひろゆき、1960年 - )は日本の会計学者。横浜国立大学大学院国際社会科学研究院教授。日本簿記学会会長。日本簿記学会学会賞受賞。 秋田県横手市生まれ。秋田県立秋田高等学校を経て、1984年横浜国立大学経営学部会計学科卒業。1987年横浜国立大学大学院経営学研究科修士課程修了。1990年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位取得満期退学。同年横浜国立大学経営学部専任講師。1991年横浜国立大学経営学部助教授。2004年横浜国立大学経営学部教授。 横浜国立大学大学院大学院国際社会科学研究院国際社会科学部門教授を経て、国際社会科学研究院長を務め、2018年には横浜国立大学法科大学院統括として、長谷部勇一学長や、大門正克副学長、荒木一郎教授とともに会見を開き、首都圏の国立大学では初めてとなる法科大学院の募集停止を発表した。
佐々木 文彦(ささき ふみひこ、1958年10月31日 - … 佐々木 文彦(ささき ふみひこ、1958年10月31日 - )は、日本の言語学者で、明海大学外国語学部日本語学科教授。 秋田県秋田市出身。専門学は日本語学。
佐藤 光史(さとう みつのぶ、1955年 - )は、日本の材… 佐藤 光史(さとう みつのぶ、1955年 - )は、日本の材料工学者。元工学院大学学長。 秋田出身。1973年秋田県立秋田高等学校卒、1977年東京理科大学理学部化学科卒、1982年東京大学大学院工学系研究科合成化学専攻単位取得満期退学、国立科学博物館工学研究部第3研究室研究員(文部技官)。1985年工学博士。1991年工学院大学工学部共通課程講師。1997年助教授。2002年教授。2013年先端錯体工学研究会副会長。2015年工学院大学学長、東京薬科大学評議員、奈良女子大学共生科学研究センター外部評価委員会委員、大学基準協会理事。2016年東京医科大学評議員、文部科学省大学設置・学校法人審議会特別委員。
豊島 近(とよしま ちかし、1954年7月17日 - )は、… 豊島 近(とよしま ちかし、1954年7月17日 - )は、日本の生物学者(構造生物学)。東京大学定量生命科学研究所教授。秋田県由利本荘市出身。 秋田県立秋田高等学校を経て、1978年東京大学理学部物理学科卒業、1983年同大大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了(理学博士)。1984年同助手となり、1986年にスタンフォード大学博士研究員、1988年にMRC分子生物学研究所研究員となる。1990年に帰国し、東京工業大学助教授に就任。 クライオ電子顕微鏡およびX線回折の手法による、筋小胞体カルシウムポンプなどのP型ATPアーゼのイオン能動輸送機構の解明で知られる。
嵯峨 隆(さが たかし、1952年2月 - )は、日本の政治… 嵯峨 隆(さが たかし、1952年2月 - )は、日本の政治学者(中国政治史・政治思想史)。学位は、博士(法学)(慶應義塾大学・1994年)。 八戸大学商学部助教授、静岡県立大学国際関係学部教授、財団法人アジア政経学会評議員などを歴任した。 1952年、秋田県男鹿市にて生まれた。男鹿市立船川第一小学校、男鹿市立船川中学校を経て、秋田県立秋田高等学校に入学した。秋田県立秋田高等学校を卒業すると上京し、慶應義塾大学に入学した。慶應義塾大学では法学部政治学科に在籍し、政治学を学んだ。1976年に慶應義塾大学を卒業すると、そのまま慶應義塾大学の大学院に進学した。法学研究科政治学専攻に在籍し、政治学の研究を続けた。
菊池 昇 (きくち のぼる、1951年 - ) は、日本出身… 菊池 昇 (きくち のぼる、1951年 - ) は、日本出身の工学者。ミシガン大学Roger L. McCarthy機械工学名誉教授、全米技術アカデミー外国人会員、トヨタコンポン研究所代表取締役所長、分子科学研究所運営顧問。トヨタ自動車技監、豊田中央研究所代表取締役所長を務めた。 専門は機械工学、航空工学、デジタルエンジニアリング。 秋田県仙北郡神岡町(のちの大仙市)生まれ。1969年秋田県立秋田高等学校卒業。1974年東京工業大学(のちの東京科学大学)工学部土木工学科卒業。1977年テキサス大学オースティン校工学部航空工学科博士課程修了、Ph.D.。 1979年テキサス大学工学部航空工学科助教授。
照井 日出喜(てるい ひでき、1950年 - )は、日本の社… 照井 日出喜(てるい ひでき、1950年 - )は、日本の社会学者、芸術社会学を専攻。2015年3月、北見工業大学教授を定年退職。ヘーゲルの美学、アドルノを中心とするフランクフルト学派、現代ドイツの演劇状況、さらには写真論を研究対象とする。 秋田県美郷町出身。秋田県立秋田高等学校を卒業後、ドイツに留学。1974年にベルリン・フンボルト大学哲学部を卒業し、1978年に一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。1984年、同大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。指導教官は岩崎允胤。北見工業大学工学部共通講座主任兼各専攻共通主任教授を務めた。
石山 宏一(いしやま こういち、1947年 - )は、日本の… 石山 宏一(いしやま こういち、1947年 - )は、日本のジャーナリスト、辞書編纂者、評論家、英語学者、桐蔭横浜大学客員教授。 秋田県秋田市生まれ。秋田県立秋田高等学校卒業。「グル-基金」(米国大学留学制度)奨学生選抜試験合格、渡米。1969年ミドルベリー大学教養学部政治学科卒業。 1970年タフツ大学フレッチャ-法律外交大学院修士課程修了。 1971年サイマル・インターナショナル会議通訳者、1972年東京大学研究生、1973年AP通信(米国)記者、1980年ザ・タイムズ(ロンドン)記者、1983年ストレーツタイムズ(シンガポール)記者、1988年ビジネスタイムズ(シンガポール)記者 (金融担当)、1992年駒沢女子短期大学英文科助教授、1999年桐蔭横浜大学法学部助教授、2004年同教授、2010年客員教授となり、時事英語、ビジネス英語、ジャーナリズム入門等を教えている。
柿崎 明人(かきざき あきと、1947年 - ) は、日本の… 柿崎 明人(かきざき あきと、1947年 - ) は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。学校法人筑波研究学園理事長、筑波研究学園専門学校校長。 秋田県大仙市生まれ。1966年秋田県立秋田高等学校卒業。1970年東北大学理学部物理学科卒業。1975年東北大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士。 1976年宮城教育大学理科教育研究施設助手。1979年筑波大学物質工学系講師。1985年東京大学物性研究所助教授。1997年高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所教授。2000年日本放射光学会評議員。2001年東京大学物性研究所教授。 2006年島津賞受賞。 東京大学物性研究所軌道放射物性研究施設長を経て、2012年から東京大学名誉教授、筑波研究学園専門学校校長。
五十嵐 武士(いがらし たけし、1946年(昭和21年)8月… 五十嵐 武士(いがらし たけし、1946年(昭和21年)8月6日 - 2013年(平成25年)5月6日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。専門はアメリカ政治史、日米関係史。秋田県生まれ。斎藤眞に師事した。 略歴は以下のとおり。
吉村 昇(よしむら のぼる、1943年(昭和18年)- )は… 吉村 昇(よしむら のぼる、1943年(昭和18年)- )は、日本の工学者。工学博士。専門は基礎電気工学。秋田大学および東北公益文科大学で学長を務めた。 新潟県で生まれ秋田県秋田市で育つ。 秋田県立秋田高等学校を卒業後、秋田大学に進学。1969年3月同大学院鉱山学研究科修士課程電気工学専攻修了。1974年名古屋大学より工学博士(電子・電気材料工学)の学位を受く。 1969年4月秋大鉱山学部助手、1974年4月同講師、1975年同助教授に就き、一度は外国の大学で研究したいと考えていた時、米国ニューヨーク州にあるクラークソン工科大学客員研究員として招かれ、家族とともに渡米。約2年間滞在した。 帰国後の1983年4月、39歳で秋大鉱山学部教授に昇進。
佐々木 毅(ささき たけし、1942年(昭和17年)7月15… 佐々木 毅(ささき たけし、1942年(昭和17年)7月15日 - )は、日本の政治学者(政治学・西洋政治思想史)。勲等は瑞宝大綬章。学位は法学博士(東京大学・1973年)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 東京大学法学部教授、東京大学大学院法学政治学研究科教授、同研究科長、東京大学総長(第27代)、国立大学協会会長(第20代)、学習院大学法学部教授、一般社団法人学士会理事長(第11代、2016 - 2022年)、日本学士院長(第28代)などを歴任した。 秋田県仙北郡千屋村(現:美郷町)出身の政治学者である。政治学、西洋政治思想史を専攻する。東京大学や学習院大学で教鞭を執った。
吉本 高志(よしもと たかし、1942年〈昭和17年〉 - … 吉本 高志(よしもと たかし、1942年〈昭和17年〉 - )は、日本の医学者。元東北大学総長。東北大学名誉教授。医学博士。専門は脳神経外科学。秋田県秋田市土崎港出身。 1961年3月秋田県立秋田高等学校卒業(東京大学総長を務めた政治学者の佐々木毅は同期)。1968年3月東北大学医学部医学科卒業。1977年東北大学より医学博士の学位を取得。 1975年4月東北大学助手。1982年5月同助教授。1988年4月同教授。2002年11月から2006年11月まで東北大学総長。日本学術会議会員も務めた。 2007年4月独立行政法人大学入試センター理事長に就任。2013年まで務める。同年医療法人社団親和会西島病院名誉院長。
吹浦 忠正(ふきうら ただまさ、1941年3月17日 - )… 吹浦 忠正(ふきうら ただまさ、1941年3月17日 - )は、日本の旗章学者。 バングラデシュなどのアジア諸国、また、世界各国の国旗事情に詳しい。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学第一政治経済学部卒業。早稲田大学大学院政治学研究科修了。 国際赤十字バングラデシュ・ベトナム各駐在代表、日本赤十字中央女子短期大学助教授、埼玉県立大学教授を経て、ユーラシア21研究所理事長、拓殖大学客員教授、難民を助ける会特別顧問、世界の国旗普及協会理事、日本国際フォーラム評議員などを歴任。 スポーツ関係の仕事も多く、第18回夏季オリンピック東京大会組織委員会国旗担当職員、第18回オリンピック冬季競技長野大会大会組織委員会式典担当顧問を務め、東京パラリンピック(1964年)では組織委員会のメンバーとして大会運営を担当している。
佐藤 周子(さとう ちかこ、1938年2月13日 – 198… 佐藤 周子(さとう ちかこ、1938年2月13日 – 1988年6月23日)は、日本の放射線医学者。 1938年、秋田県大館市に生まれる。1946年、教師だった父の転勤に伴い、岩手県花巻市に移住した後、秋田県秋田市に移住。秋田県立秋田高等学校卒業。1962年、東北大学医学部卒業と同時に結婚。1963年、東北大学放射線基礎医学教室助手、1970年、愛知県がんセンター研究所放射線部研究員に勤務。1972年、スタンフォード大学留学を経て、愛知県がんセンター研究所研究室長に就任。1985年、同研究所放射線部長(同センター初の女性管理職)。1988年、猿橋賞を受賞するが、その1ヶ月後に死去。 佐藤周子 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース
小林 宏晨(こばやし ひろあき、1937年7月11日 - 2… 小林 宏晨(こばやし ひろあき、1937年7月11日 - 2025年8月24日)は、日本の法学者。専門は、ドイツ基本法(憲法)・国際法・安全保障関係法・比較憲法・EU法。法学博士(ヴュルツブルク大学・論文博士)。日本大学名誉教授。防衛法学会顧問。比較憲法学会名誉理事。オーストリア一等学術栄誉賞受賞、瑞宝中綬章受章。元秋田県上小阿仁村村長。 秋田県上小阿仁村出身で、秋田県立秋田高等学校を歴て上智大学を中退し、ヴュルツブルク大学、ジュネーヴ大学、パリ大学法学部博士課程でドイツ語、政治学、法学を学び、ヴュルツブルク大学でアウグスト・フォン・デア・ハイテ教授に師事して法学博士を授かる。帰国して上智大学で法学部助手、外国語学部教授を経て、日本大学法学部教授、慶應義塾大学大学院法学研究科などで教鞭をとった。
日野 幹雄(ひの みきお、1932年 (昭和7年) 12月2… 日野 幹雄(ひの みきお、1932年 (昭和7年) 12月24日 - )は、日本の工学者。東京工業大学名誉教授。 専門は、流体力学・水理学・水工学・水文学・海岸工学・風工学・可視化情報学など。 水工学および流体力学の分野で広範な基礎研究を行い、水理工学・流体力学の新分野(Kalman filterの環境問題への応用、Ecohydraulics、植生水文学など)を拓いた。また、研究室からは多くの後継研究者・技術者が輩出した。流体力学・水理学(水工学基礎)に関する多くの著書および評論・解説を行った。また、環境(原子力安全、火力発電所環境審査)に関する政府委員会で長期に亘って貢献した。(注:本記事に記載された全ての事実は、当人が過去に作成された一次情報から抽出したものである。
井上 隆明(いのうえ たかあき、1930年12月6日 - 2… 井上 隆明(いのうえ たかあき、1930年12月6日 - 2021年1月9日)は、日本近世文学研究者、秋田経済法科大学元学長、同大名誉教授、ノースアジア大学名誉学長。秋田県鹿角市毛馬内生まれ。本籍は群馬県 父の転勤に従い、秋田や山形へ赴く。1950年(昭和25年)秋田中学校を卒業し、早稲田大学第一文学部卒業。傍ら金子光晴、八木義徳らに師事し、小説方法史を専攻した。卒業後は秋田魁新報記者となる。1987年「江戸戯作の研究: 黄表紙を主として」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。 秋田経済大学・秋田短期大学助教授、教授を経て、秋田経済法科大学教授。1995年から2001年まで同大学長(在任期間のうち、1997年までは秋田短期大学の学長、のち秋田経済法科大学短期大学部の学長を兼任)、同大名誉教授。
荒井 献(あらい ささぐ、1930年5月6日 - 2024年… 荒井 献(あらい ささぐ、1930年5月6日 - 2024年8月16日)は、日本の新約聖書学者・グノーシス主義研究者。学位は、神学博士(ドイツ・エアランゲン=ニュルンベルク大学)。東京大学名誉教授、恵泉女学園大学名誉教授。日本学士院会員。 1930年(昭和5年)、秋田県大曲市(現大仙市)で生まれた。秋田県立秋田高等学校より東京大学へ進み、1954年、東京大学教養学部を卒業。東京大学大学院人文科学研究科に進み、西洋古典学を専攻した。1959年に博士課程を単位取得満期退学。その後はドイツ・フリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン=ニュルンベルクに留学し、『ナグ・ハマディ写本』中の『真理の福音』のキリスト論に関する学位論文を提出して神学博士の学位を得た。
岩崎 俊一(いわさき しゅんいち、1926年〈大正15年〉8… 岩崎 俊一(いわさき しゅんいち、1926年〈大正15年〉8月3日 - 2025年〈令和7年〉7月25日)は、日本の工学者。工学博士(東北大学・1959年)(学位論文「磁気録音に関する研究」)。東北大学名誉教授。東北工業大学名誉理事長。元電子情報通信学会副会長。文化勲章受章者。福島県福島市生まれ、同県郡山市出身。 専門は電気工学・磁気記録。記録密度を飛躍的に上げる手法として垂直磁気記録方式を提唱した。 1977年頃に、磁気記録の記録密度を飛躍的に上げる手法として垂直磁気記録方式を提唱した。同方式は基礎研究は進められたものの、いくつかの困難があり、物性的にそれに適した磁気テープなどは割と早くに実現したが、広く市販される商品となったものは光磁気ディスク等といった別方式との併用を除けば、主力機器では東芝による2005年のハードディスク商品化が初であった。
佐藤 久(さとう ひさし、1920年4月1日 - 2020年… 佐藤 久(さとう ひさし、1920年4月1日 - 2020年3月23日)は、日本の地理学者、地形学者、東京大学名誉教授。 1938年に旧制・秋田県立秋田中学校(秋田県立秋田高等学校の前身)、1941年に旧制・水戸高等学校理科甲類を卒業し、東京帝国大学理学部地理学科に学ぶ。1943年9月に学部を卒業し、10月に大学院に進む。これは、第二次世界大戦戦時下での、繰り上げ卒業であり、また徴兵延期の扱いを受けた大学院特別研究生としての進学であった。戦時下では、田山利三郎が率いたニューギニア島調査に加わったり、陸地測量部嘱託となり、この頃から空中写真を利用して地形研究に取り組んだ。また、ニューギニアではマラリアに罹患し、その後の健康を損なったとされる。
山本 時男(やまもと ときお、1906年2月16日 - 19… 山本 時男(やまもと ときお、1906年2月16日 - 1977年8月5日)は、日本の生物学者。名古屋大学名誉教授。理学博士(東京帝国大学、1936年)(学位論文「目高早期胚の律動性運動に関する研究」)。秋田県出身。祖父は秋田における自由民権運動の中心人物であった山本庄司、叔父(父時宜の弟)は砂防・植林技師の山本徳三郎。 メダカを主要な研究材料として選び、受精生理学、発生学を中心に多くの業績をあげ、受精波説を提唱した。1945年5月14日、第二次世界大戦の名古屋大空襲によって教室は全焼し、ほとんどすべての研究資料を失った。しかし、敗戦後、屈することなくメダカを用いて性分化の研究に新たに取り組んだ。
武藤 鉄城(むとう てつじょう、1896年(明治29年)4月… 武藤 鉄城(むとう てつじょう、1896年(明治29年)4月20日 - 1956年(昭和31年)8月30日)は、秋田県出身の日本の考古学者、民俗学者、スポーツ指導者。 秋田県河辺郡豊岩村(現・秋田市豊岩)に武藤喜市郎、シケの四男として生まれた。本名のテツジョウにはテツシロという四番目の意味が込められている。 秋田県立秋田中学校(現・秋田県立秋田高等学校)に入学し、中学5年生の時に新潟県高田市(現・上越市)で開催された第1回全国スキー大会において急斜面競技と長距離競技で4位と6位に入賞している。中学校を卒業した後、慶應義塾大学部に進み、理財科(経済学部)に籍を置いたが、在籍5年で退学し、1920年(大正9年)に帰郷して兄の一郎の四ツ小屋付近の発掘の助手をした。
多田 等観(ただ とうかん、1890年(明治23年)7月1日… 多田 等観(ただ とうかん、1890年(明治23年)7月1日 - 1967年(昭和42年)2月18日)は、日本の僧侶、仏教学者。明治末から大正にかけてチベットに入り、チベット仏教を修行。日本への帰国に際して多数の仏典、文献を持ち帰り、斯界の学識経験者として活躍した。 南秋田郡土崎港町旭町(現在の秋田市土崎港)の西船寺の住職の3男として生まれる。家庭が6男2女の子だくさんであまり豊かではなかったため、小学校卒業時から檀家回りをして家計を助ける。秋田県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)卒業後、勉学のため京都にのぼり西本願寺に入籍、法要を手伝うようになる。第二十二世法主の大谷光瑞にその才覚を認められ、ダライ・ラマ13世が派遣したチベットの高僧ら留学生3人の世話役と日本語教師を任される。
木村 謹治(きむら きんじ、1889年1月2日 - 1948… 木村 謹治(きむら きんじ、1889年1月2日 - 1948年1月13日)は、日本のドイツ文学・ドイツ語学者、東京帝国大学教授。文学博士。 秋田県南秋田郡大川村(現・五城目町)出身。県立秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)、慶應義塾普通部、第二高等学校を経て東京帝国大学独文科でカール・フローレンツに学ぶ。第四高等学校教授から、1924年東京帝国大学独文科助教授となり、1932年教授。同僚の相良守峯とともに編纂した独和辞典は「キムラ・サガラ」と呼ばれて長く使われた。またゲーテ研究に力を注いだ。生化学者の木村雄吉は実弟、ロシア文学者木村彰一及び外交官木村敬三は息子。画家の木村哲雄は孫。 秋田県南秋田郡大川村(後の五城目町大川)で父松助、母ナヲの7男3女の第3子として生まれる。
物部 長穂(もののべ ながほ、1888年6月19日 - 19… 物部 長穂(もののべ ながほ、1888年6月19日 - 1941年9月9日)は日本の土木学者。工学博士。日本の水理学、土木耐震学の第一人者。 秋田県仙北郡(現在の大仙市域)出身。出羽物部氏の家系である唐松神社の生まれで、弟に帝国陸軍中将の物部長鉾がいる。 大正時代から昭和初期に掛けて土木工学の第一人者として当時の日本に多大な影響を与えたが、特に影響を与えたのは河川工学・ダム工学である。ダムの耐震構造に関する基礎を形成し(これを初めて採用したのが庄川水系の小牧ダム)、バットレスダムや重力式コンクリートダムの工法理論を構築した。そして最も影響を与えたのは河川開発であり、彼の発案した「河水統制計画」論は以後の河川開発に革命をもたらし、河川総合開発事業とその根幹である多目的ダムは彼の案より実現された。
田所 哲太郎(たどころ てつたろう、1885年9月27日 -… 田所 哲太郎(たどころ てつたろう、1885年9月27日 - 1980年3月20日)は、日本の農学者・化学者。学位は、農学博士・理学博士(東北帝国大学)。 北海道学芸大学・帯広畜産大学・北海道女子短期大学の学長を歴任。 秋田県能代市生まれ。1910年、東北帝国大学農科大学(現・北海道大学農学部)卒業、同大学助手。1911年、同助教授。1919年農学博士の学位を取得。1921年、北海道帝国大学教授。1928年、東北帝国大学より理学博士の学位を取得、学位論文の題は「Sex differences, from the stand-point of biochemistry(生物化學上に於ける性的差異)」。
田口 謙蔵(たぐち けんぞう、1883年2月6日 - 195… 田口 謙蔵(たぐち けんぞう、1883年2月6日 - 1956年1月16日)は、日本の新聞人、秋田県会議員、郷土史家。松圃(しょうほ)と号した。 田口家は秋田県の花館村の人であり、先祖は千助とされる。大曲町の素封家であった田口米吉の二男として産まれる。祖父・岩蔵が、謙蔵には幼くして非凡な才能のあることを見抜き、満三歳から大道政治郎という人をつけて勉強させた。大道の熱心な教育もあり、通常より2年早い5歳で大曲小学校に入学し神童と呼ばれる。 1891年に秋田市伝紳画会が平福穂庵の追悼画会として全国から作品を募集した際に、当時9歳の謙蔵も絵画を応募したが、審査にあたった鈴木百年、菅原白竜は筆致に感じて奉書紙に漢文の奨励詞を書いて、手づから与えた。
小場恒吉(おば つねきち、1878年〈明治11年〉1月25日… 小場恒吉(おば つねきち、1878年〈明治11年〉1月25日 - 1958年〈昭和33年〉5月29日)は、日本の紋様学者、美術史家、画家。東京美術学校および東京芸術大学で工芸史・紋様史を講じ、日本・中国・朝鮮の古美術に見られる紋様の比較研究と、高句麗古墳壁画や朝鮮古蹟の調査・模写に従事した。研究の一部をなす「日本紋様の研究」により、1950年(昭和25年)に恩賜賞を受賞した。 秋田藩主佐竹家の一族である小場家の分家にあたる小場新吾の長男として、秋田県秋田町亀ノ丁堀反町に生まれた。 13歳のとき、親戚の画人小室怡々斎(こむろ いいさい)に師事して狩野派の日本画を学んだ。上京後は、荒木寛畝に日本画を、岡本椿所に篆刻を学んだ。