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皆川 治(みなかわ おさむ、1974年(昭和49年)10月3… 皆川 治(みなかわ おさむ、1974年(昭和49年)10月3日 - )は、日本の政治家、農林水産官僚。元山形県鶴岡市長(2期)。 山形県鶴岡市生まれ。鶴岡市立大泉小学校、鶴岡市立鶴岡第一中学校、山形県立鶴岡南高等学校卒業。1997年(平成9年)3月、宇都宮大学農学部卒業。同年4月、農林水産省に入省。内閣官房IT担当室、在シカゴ日本国総領事館などに配属された経験を持つ。 農林水産副大臣秘書官であった2011年(平成23年)3月11日、義父の葬儀のために滞在していた宮城県石巻市で被災。この時の体験を本にまとめ、同年12月に出版した。 2014年(平成26年)、農林水産省を退職。同年5月から2017年(平成29年)3月まで東北公益文科大学の特任講師を務めた。
佐藤 聡(さとう さとし、1968年5月18日- )は、日本… 佐藤 聡(さとう さとし、1968年5月18日- )は、日本の政治家。山形県鶴岡市長(1期)。山形県議会議員(2期)、鶴岡市議会議員(3期)を務めた。 山形県鶴岡市出身。西郷小学校、西郷中学校、山形県立鶴岡南高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。 1991年、日本航空に入社、東京空港支店(羽田空港)旅客部旅客業務部、関西国際空港、北京支店、本社空港本部空港業務部で勤務。2005年4月、日本航空インターナショナルを退職し、同年5月、鶴岡にUターンし父が創業した山形総販(金属建具工事会社)に入社。 2005年10月の鶴岡市議会議員選挙で初当選し、2009年10月に再選、2013年10月に3選。
榎本 政規(えのもと まさき、1949年(昭和24年)9月2… 榎本 政規(えのもと まさき、1949年(昭和24年)9月20日 - )は、日本の政治家。元鶴岡市長(2期)。 鶴岡市少連寺生まれ。鶴岡市議を経て、2009年、勇退した富塚陽一の後継者として鶴岡市長選に出馬。市議5期の経験と知名度を生かした組織選挙を展開したほか、加藤紘一らの支援を得て初当選する。2013年に無投票で再選される。2017年、元農林水産官僚の皆川治に敗れ落選。 2023年(令和5年)春の叙勲で旭日小綬章を受章した。 市民・地域・行政の協調を市政の柱とした「鶴岡ルネサンス宣言」を主な政策として掲げている。 市長就任後、それまで2人制だった副市長職を1人制にし、行政改革推進のために鶴岡財政諮問会議を創設する。
須藤 美也子(すとう みやこ、1935年1月28日 - 20… 須藤 美也子(すとう みやこ、1935年1月28日 - 2018年8月11日)は、日本の政治家。日本共産党参議院議員(1期)。同党山形県委員会委員長。 山形県鶴岡市出身。山形県立鶴岡南高等学校卒業後、電電公社職員となる。 1975年の第11回統一地方選挙で山形県議会議員となり、1980年第36回衆議院議員総選挙および1983年第37回衆議院議員総選挙で旧山形2区から立候補したが落選。1989年第15回参議院議員通常選挙からは参議院比例区へ鞍替えするも落選。1995年第17回参議院議員通常選挙では比例区で初当選し、1期務めた。この間、党では中央委員、農・漁民局長を歴任している。2000年から2004年まで党山形県委員会委員長。
富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月1… 富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月16日 - 2018年(平成30年)6月18日)は、日本の政治家。初代鶴岡市長、旧鶴岡市12代市長。2011年旭日中綬章受章。 鶴岡市出身。東北大学経済学部を卒業後、山形県庁に入庁。企画調整部長等を歴任。 1991年、旧鶴岡市の市長選で初当選。以後5期18年にわたって市長を務めた。市長在任中には、学術研究機関の整備による地域振興を政策理念の柱にとし、慶應義塾大学先端生命科学研究所の招致などに尽力した。「官僚的な人物だった」と一部では評価されている。 2011年、旭日中綬章受章。 2018年6月18日、肺炎のため鶴岡市内の病院で死去。87歳没。
足達 兼一郎(あだち けんいちろう、1914年(大正3年)3… 足達 兼一郎(あだち けんいちろう、1914年(大正3年)3月24日 - 1980年(昭和55年)2月11日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第9代市長。栄典は、従六位・勲八等。
白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12… 白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12日 - 1984年(昭和59年)11月25日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第10代市長、満州国官吏。栄典は正六位・勲四等・旭日小綬章。
尾形 六郎兵衛(おがた ろくろうべえ、1901年(明治34年… 尾形 六郎兵衛(おがた ろくろうべえ、1901年(明治34年)3月29日 - 1973年(昭和48年)7月24日)は、日本の漁業家、政治家、参議院議員、自由党所属、栄典は正五位・勲三等・瑞宝章・藍綬褒章、幼名は昌作。
加藤 精三(かとう せいぞう、1900年(明治33年)11月… 加藤 精三(かとう せいぞう、1900年(明治33年)11月20日 - 1965年(昭和40年)5月3日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第6代市長、衆議院議員(5期)、致道博物館顧問。山形県西田川郡鶴岡町(現・鶴岡市)出身。防衛庁長官・内閣官房長官・自民党幹事長を歴任した加藤紘一の父。
白井 勇(しらい いさみ、1898年(明治31年)6月19日… 白井 勇(しらい いさみ、1898年(明治31年)6月19日 - 1984年(昭和59年)4月12日)は、日本の政治家、参議院議員。 全国食糧検査協会理事長を務めるなど食糧行政の権威として重きを成した。 庄内藩新徴組取扱役・西郷村長だった白井重遠の6男として山形県西田川郡鶴岡町(現・鶴岡市)に生まれる。1917年(大正6年)に山形県立荘内中学校)を卒業し、北海道帝国大学予科を経て東京帝国大学農学部農政経済科に進学。1925年(大正14年)に大学を卒業すると農林省に入省し、仙台米穀事務所長(1933年(昭和8年))・食糧庁検査課長(1945年(昭和20年))で退官する。 1953年(昭和28年)4月24日の第3回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬、362,293票を得て初当選し左派社会党に入党するが翌年社会党から除名、自由党に入る。
松木 侠(まつき たもつ、1898年〈明治31年〉3月9日 … 松木 侠(まつき たもつ、1898年〈明治31年〉3月9日 - 1962年〈昭和37年〉7月10日)は、日本の政治家、弁護士、旧鶴岡市第8代市長。栄典は正五位・勲三等・旭日中綬章。哲学者・木田元の伯父。
氏家 彦太郎(うじいえ ひこたろう、明治30年(1897年)… 氏家 彦太郎(うじいえ ひこたろう、明治30年(1897年)2月14日- 昭和57年(1982年)11月30日)は、日本の刀剣鑑定家、(株)松ヶ岡製作所社長、致道博物館理事、日本美術刀剣保存協会評議員、山形県銃砲刀剣登録審査員。栄典は勲五等・瑞宝章。
金野 岩治(こんの いわじ、1887年(明治20年)1月10… 金野 岩治(こんの いわじ、1887年(明治20年)1月10日 - 1969年(昭和44年)5月29日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第2代市長。 1888年(明治21年)3月1日山形県西田川郡加茂村(現・鶴岡市加茂)に飛塚元次郎の次男として生れる。その後、東田川郡広瀬村(現・鶴岡市羽黒町)の酒造業経営・今野岩治の婿養子となり、「岩治」を襲名する。 1905年(明治38年)、荘内中学校(山形県立鶴岡南高等学校)を卒業し(同窓生に小林鉄太郎がいた。)、 大阪工業高等学校で学ぶ。その後は、 会社員を経て、鶴岡市会議員となる。 1927年(昭和2年)5月 鶴岡市長選挙に立候補して初当選。同年10月、 同職を辞任し山形県会議員選挙に立候補するが落選。
小林 鐡太郎(こばやし てつたろう、1886年(明治19年)… 小林 鐡太郎(こばやし てつたろう、1886年(明治19年)11月18日 - 1962年(昭和37年)4月13日)は、日本の政治家、衆議院議員、翼賛政治体制協議会所属、旧鶴岡市第5代市長。栄典は正五位・勲四等・瑞宝章。
青塚 恒治(あおづか こうじ、1885年(明治18年)12月… 青塚 恒治(あおづか こうじ、1885年(明治18年)12月21日 - 1958年(昭和33年)7月15日)は、大正から昭和時代前期の政治家。山形県酒田市長。 地主青塚岩治の二男として山形県飽海郡酒田本町に生まれる。生家は代々金物屋を営んだ。荘内中学校を経て第一高等学校に進み、俳句や漢詩を嗜んだ。1917年(大正6年)酒田町会議員に当選し、1920年(大正9年)消防組頭を経て、1926年(大正15年)酒田町助役に就任した。1931年(昭和6年)山形県会議員に当選し、酒田市会議員、同議長を経て、1945年(昭和20年)10月、酒田市長に就任したが、間もなく公職追放となった。 のち初代監査委員に就任した。
岡本 幹輔(おかもと かんすけ、1885年〈明治18年〉2月… 岡本 幹輔(おかもと かんすけ、1885年〈明治18年〉2月1日 - 1939年〈昭和14年〉2月25日)は、日本の政治家。衆議院議員。 山形県飽海郡漆曽根村(現酒田市)で岡本敏貞の二男として生まれる。1902年(明治35年)、山形県立荘内中学校を卒業し、さらに1906年(明治39年)、東京高等商業学校を卒業した。同年7月、三井物産会社に入社し、札幌出張所、本店営業部などで勤務。1914年(大正3年)8月、日本製鋼所に移り、横須賀出張所長、室蘭支店会計主任、同支店商務主任、同事務部次長、同労務係長を歴任。その他、室蘭商業会議所特別議員、(株) 瑞穂商会顧問を務めた。 1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙において北海道第5区から憲政会所属で出馬し当選。
奥山 亀蔵(旧字体: 奧山 龜藏、おくやま かめぞう、187… 奥山 亀蔵(旧字体: 奧山 龜藏、おくやま かめぞう、1876年(明治9年)9月10日 - 1941年(昭和16年)5月17日)は、日本の土木技術者、内務技官、実業家、政治家。衆議院議員。 1876年(明治9年)9月10日、山形県田川郡古関村(東田川郡大和村、余目町を経て現庄内町)において、豪農・奥山重右衛門の三男として生まれた。 22歳の時に荘内中学校(現山形県立鶴岡南高等学校)を卒業し、翌年に石川県金沢市の第四高等学校大学予科二部に入学した。1年間の旧額なども経て、1902年(明治35年)7月に第四高等学校を卒業した。その後は東京府土木課の雇員として、多摩川工区や墨田川工区の現場監督を務めた。
鶴見 孝太郎(つるみ こうたろう、1872年4月12日(明治… 鶴見 孝太郎(つるみ こうたろう、1872年4月12日(明治5年3月5日) - 1930年(昭和5年)1月22日)は、明治から大正時代の政治家。衆議院議員(1期)。 父は出羽鶴岡藩領田川郡落野目村(山形県東田川郡豊栄村、八栄島村、藤島町を経て現在の鶴岡市)の豪農日向三右衛門と伝わる。生後間もなく同郡白山林村(西田川郡大泉村を経て現在の鶴岡市)の白山神社の社掌鶴見家の養子となった。1889年(明治22年)荘内中学校に入るが中退し、鶴岡の野沢鎌治について漢籍などを学ぶ。小学校の代用教員を経て大泉村役場に奉職し1894年(明治27年)大泉村消防組初代組頭を経て、1896年(明治29年)25歳にして村長に選ばれた。
林 茂政(はやし もせい、本名:しげまさ、1870年1月26… 林 茂政(はやし もせい、本名:しげまさ、1870年1月26日(明治2年12月25日)- 1940年(昭和15年)1月15日)は、日本の政治家。最後の鶴岡町長、初代鶴岡市長、山形県会議員、羽前輸出織物同業組合組合長、勲六等。別名・半次郎。 庄内藩士・林茂明の長男として鶴岡鷹匠町(現・山形県鶴岡市)に生れる。西田川郡中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業。鶴岡英学会に入会し英語などを学び、角田俊次に文章及び漢学の指導を受ける。 1887年(明治20年)福島県会津郡の小学校に勤務。1892年(明治25年)朝暘学校訓導に転じた。 1901年(明治34年)鶴岡町長に就任し、1924年(大正13年)10月、市制施行に伴い初代鶴岡市長に就任し、1927年(昭和2年)まで在任した。
熊谷 直太(くまがい なおた、1866年8月30日(慶応2年… 熊谷 直太(くまがい なおた、1866年8月30日(慶応2年7月21日) - 1945年(昭和20年)2月19日)は、明治から昭和時代初期の政治家。衆議院議員(立憲政友会)。弁護士。弁理士。 熊谷直能の長子として出羽国田川郡番田村(山形県西田川郡稲生村を経て現鶴岡市)で生まれ、酒田で育った。西田川郡中学校(現山形県立鶴岡南高等学校)を卒業し小学校の代用教員となるが、1883年(明治16年)ごろ、庄内地方を訪れた馬場辰猪の自由民権を訴える演説を聞き、上京を志した。当時、郡の費用で5人を東京で学ばせることが決まり、その一人に選ばれた。第一高等中学校を経て、1897年(明治30年)に東京帝国大学法科大学を卒業。
中野 悌治(なかの ていじ、1864年12月29日(元治元年… 中野 悌治(なかの ていじ、1864年12月29日(元治元年12月1日) - 1938年(昭和13年)5月5日)は、日本の衆議院議員(立憲同志会→憲政会)。弁護士。 中野正義の二男として、出羽国鶴岡城下二百人町(現在の山形県鶴岡市)に生まれる。鶴岡変則中学(現在の山形県立鶴岡南高等学校)を卒業後、1884年(明治17年)から3年間小学校の訓導を務めた後、上京して、1890年(明治23年)に東京法学院(現在の中央大学)を卒業した。同年、代言人試験を受けて合格。1891年(明治24年)7月、鶴岡町に事務所を開いた。その後、鶴岡町会議員、同市会議員、山形県会議員、同参事会員に選出された。ほか、水利組合会議員、所得税調査委員などを務めた。