小林 温(こばやし ゆたか、1964年4月21日 - )は、… 小林 温(こばやし ゆたか、1964年4月21日 - )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、経済産業大臣政務官を務めた。福島県猪苗代町出身。野口英世の恩師・小林栄の親類筋にあたる。
福島県立会津高等学校:20人
小林 温(こばやし ゆたか、1964年4月21日 - )は、… 小林 温(こばやし ゆたか、1964年4月21日 - )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、経済産業大臣政務官を務めた。福島県猪苗代町出身。野口英世の恩師・小林栄の親類筋にあたる。
室井 照平(むろい しょうへい、1955年(昭和30年)9月… 室井 照平(むろい しょうへい、1955年(昭和30年)9月28日 - )は、日本の政治家。福島県会津若松市長(4期)。元福島県議会議員(1期)、元会津若松市議会議員(2期)。 福島県会津若松市出身。会津若松市立謹教小学校、会津若松市立第三中学校、福島県立会津高等学校卒業。1978年(昭和53年)3月、東北大学経済学部経営学科卒業。同年4月、北海道拓殖銀行に入行。1980年(昭和55年)、帰郷し家業の室井商店を継ぐ。 1999年(平成11年)4月、会津若松市議会議員選挙に無所属で出馬し、初当選。2003年(平成15年)4月、同市議選に2期目の当選。2006年(平成18年)10月5日、市議を辞職。
菅家 一郎(かんけ いちろう、1955年〈昭和30年〉5月2… 菅家 一郎(かんけ いちろう、1955年〈昭和30年〉5月20日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)。 復興副大臣、内閣府大臣政務官兼環境大臣政務官、会津若松市長(3期)、福島県議会議員(1期)、会津若松市議会議員(1期)などを歴任した。 福島県会津若松市生まれ。 会津若松市立謹教小学校、会津若松市立第二中学校、福島県立会津高等学校を経て、早稲田大学社会科学部を卒業。立正佼成会の信者であり、会津教会青年部長を務めていた時期がある。また、世界宗教者平和会議の準会員である。 1991年、会津若松市議会議員に初当選。1995年、福島県議会議員に初当選。1999年、会津若松市長に就任。
二瓶 盛一(にへい せいいち、1953年10月1日 - )は… 二瓶 盛一(にへい せいいち、1953年10月1日 - )は、日本の政治家。福島県耶麻郡猪苗代町長(1期)。元道の駅猪苗代駅長。 2023年6月18日、投開票の猪苗代町長選挙で、初当選を果たした。 福島県耶麻郡猪苗代町生まれ。福島県立会津高等学校を経て、中央大学経済学部を卒業。 1977年、 福島民報に入社後、編集局、総務局、事業局長、広告局長などを歴任。2013年、専務取締役を務め退任。退任後、ラジオ福島、民報印刷に勤務し退任。民報印刷では役員を務める。 2019年、道の駅猪苗代に入社し、翌2020年に同施設の駅長に就任。 医療従事者への感謝の意活動として、猪苗代スキー場と共同で青いハンカチ掲揚。
山内 日出夫(やまうち ひでお、1952年(昭和27年)1月… 山内 日出夫(やまうち ひでお、1952年(昭和27年)1月1日 - 2020年(令和2年)10月22日)は、日本の政治家。位階は従五位。福島県会津若松市長(2期)、会津若松市議会議員(2期)を務めた。 福島県会津若松市生まれ。福島県立会津高等学校、日本大学藝術学部卒業。大学卒業後、伊東正義衆議院議員の秘書、内閣官房長官秘書(1979年11月9日 - 1980年7月17日)、外務大臣秘書(1980年7月17日 - 1981年5月18日)を経て、会津若松市議を2期務める。 1991年に会津若松市長に就任。会津若松市長時代の功績のひとつに、1993年のコンピュータ理工学部の会津大学の設立がある。会津地方に4年制大学を作るのは、会津の人々の悲願となっていた。
渡部 英敏(わたなべ ひでとし、1941年2月22日 - )… 渡部 英敏(わたなべ ひでとし、1941年2月22日 - )は、日本の政治家。元福島県会津美里町長(4期)、元会津高田町長(2期)。 福島県会津美里町出身。福島県立会津高等学校卒業。1964年(昭和39年)3月、東京経済大学経済学部卒業。同年4月、自営業に従事。1996年(平成8年)4月、会津高田町立高田公民館長に就任。 1999年(平成11年)、会津高田町長選挙に立候補し初当選した。2003年(平成15年)、無投票で再選。 2005年(平成17年)10月1日、大沼郡会津高田町・会津本郷町・新鶴村が合併して、会津美里町が発足。同年11月8日公示、11月13日執行の会津美里町長選挙に立候補し、無投票で初当選した。
早川 廣中(はやかわ ひろなか、1935年(昭和10年)9月… 早川 廣中(はやかわ ひろなか、1935年(昭和10年)9月10日 - )は、日本の政治家。元会津若松市長。 福島県立会津高等学校、中央大学法学部を卒業。八田貞義衆議院議員の秘書や中央大学経済学部教授を歴任し、1987年(昭和62年)の会津若松市長選挙で初当選を果たす。1991年(平成3年)の市長選で、山内日出夫に敗北。 現在は、財団法人白虎隊記念館の理事長を務める。
長沼 憲彦(ながぬま のりひこ、1934年12月8日 - 2… 長沼 憲彦(ながぬま のりひこ、1934年12月8日 - 2008年6月4日)は、日本の政治家。北海道留萌市長(3期)。旭日小綬章。 福島県河沼郡河東町出身。福島県立会津高等学校卒。北海道立農業技術講習所(現・北海道立農業大学校)卒。北海道庁に入り、留萌支庁経済部長、同支庁長を経て、1994年、留萌市長選挙に立候補し無投票で初当選した。1998年に再選。2002年に無投票で三選した。留萌市長は2006年まで務めた。2007年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。 2008年6月4日午後1時半頃、空知支庁長沼町西4線南6の国道を乗用車で走行中にトラックと正面衝突、長沼は胸などを強く打って間もなく死亡、73歳。
渡部 恒三(わたなべ こうぞう、1932年〈昭和7年〉5月2… 渡部 恒三(わたなべ こうぞう、1932年〈昭和7年〉5月24日 - 2020年〈令和2年〉8月23日)は、日本の政治家。元の姓名は、渡部 恒蔵(読み同じ)。正三位、勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(14期)、衆議院副議長(第60・61代)、厚生大臣(第63代)、自治大臣(第39代)、国家公安委員会委員長(第49代)、通商産業大臣(第53代)、自由民主党国会対策委員長(第32代)、新進党政務会長(第2代)兼国会運営委員長(第2代)、同総務会長(初代)、無所属の会代表(第3代)、民主党国会対策委員長(第11代)、同最高顧問、復旦大学経済管理学院名誉教授などを歴任。自由民主党所属時は竹下派七奉行の1人だった。
渡部 行雄(わたなべ ゆきお、1925年(大正14年)1月2… 渡部 行雄(わたなべ ゆきお、1925年(大正14年)1月27日 - 1997年(平成9年)9月16日)は、昭和から平成初期の司法書士、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。 福島県若松市(現会津若松市)出身。福島県立会津中学校(旧制)を卒業後、942年(昭和17年)東京物理学校を中退。司法書士、福島県議会議員(4期)、全日本農民組合連合会中央常任委員、同福島県連合会会長、福島県日中友好協会顧問、同県労農会議顧問、日本司法書士会連合会顧問などを務めた。 1972年(昭和47年)第33回衆議院議員総選挙で旧福島2区から日本社会党公認で立候補したが落選。1976年(昭和51年)第34回総選挙で初当選。
伊東 正義(いとう まさよし、1913年〈大正2年〉12月1… 伊東 正義(いとう まさよし、1913年〈大正2年〉12月15日 - 1994年〈平成6年〉5月20日)は、日本の政治家、農林官僚。 衆議院議員(9期)、外務大臣(第109代)、内閣総理大臣臨時代理、副総理、内閣官房長官(第43代)、自由民主党政務調査会長(第32代)、自由民主党総務会長(第30代)を歴任した。 1913年、福島県若松市(現・会津若松市)に生まれる。祖父の伊東健輔は会津藩士、父の伊東秀三郎は旧制会津中学校(現・福島県立会津高等学校)の一回生で同校教諭となった。 旧制会津中学校、旧制浦和高等学校(現・埼玉大学)を経て、東京帝国大学法学部を卒業。農林省に入省する。農務局嘱託。その後、間もなく興亜院に出向する。
八田 貞義(はった さだよし、1909年9月8日 - 198… 八田 貞義(はった さだよし、1909年9月8日 - 1986年12月20日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党衆議院議員(9期)。 現在の福島県会津若松市出身。父は陸軍省参与官などを務めた八田宗吉。会津中学を経て1933年に日本医科大学を卒業後、東京市衛生試験所医学部長、厚生省国立衛生試験所細菌部長、日本医科大学教授を経て、1955年の第27回衆議院議員総選挙に自由党公認で福島2区から立候補し初当選。以後通算当選9回。恩給問題に詳しく、予算編成では党の実力者として恩給予算の適正化に尽力した。 自由民主党では池田→前尾→大平派に所属し、1962年には第2次池田内閣第2次改造内閣において内閣官房副長官を務めるなどしたが、1963年に同一選挙区から初当選した伊東正義が大平正芳の古くからの親友であったため、以降伊東に地盤を切り崩されるようになる。
牧原 源一郎(まきはら げんいちろう、1897年(明治30年… 牧原 源一郎(まきはら げんいちろう、1897年(明治30年)4月14日 - 1986年(昭和61年)8月3日)は、大正から昭和期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、福島県北会津郡荒舘村長、同郡北会津村長。 福島県出身。旧会津藩士の家系、牧原長英の長男として生まれる。1917年(大正6年)福島県立会津中学校(現福島県立会津高等学校)を卒業した。 農業を営む。会津銀行監査役、東邦銀行監査役、保証責任福島県信用販売購買利用組合連合会監事、福島県信用組合連合会幹事、農村協同体建設同盟福島県支部本部長、大政翼賛会福島県支部事務局長、福島県翼賛壮年団副団長などを務めた。 1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け福島県第2区から出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
荒木 武行(あらき ぶこう、1896年(明治29年)8月5日… 荒木 武行(あらき ぶこう、1896年(明治29年)8月5日 - 1972年(昭和47年)6月12日)は、大正から昭和期のジャーナリスト、実業家、政治家。衆議院議員、福島県耶麻郡駒形村長。 福島県耶麻郡駒形村(塩川町を経て現喜多方市)で、荒木與三郎の息子として生まれる。会津中学校(現福島県立会津高等学校)を中退し、その後は独学した。 18歳で福島民報記者となり、福島民友などを経て、1920年(大正9年)1月に上京し東京日日新聞の地方部記者となる。その後、やまと新聞、時事新報を経て、1925年(大正14年)4月、中外商業新報の編輯局長付となり、同論説委員を務めた。1929年(昭和4年)9月、夕刊会津タイムス社を設立し社長に就任。
村井 八郎(むらい はちろう、1886年(明治19年)12月… 村井 八郎(むらい はちろう、1886年(明治19年)12月24日 - 1970年(昭和45年)10月11日)は、日本の内務官僚、政治家、実業家。衆議院議員、福島県知事、郡山市長、川崎市長、会津若松市長を歴任した。旧姓・阿部。位階は従四位。 福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市)出身。阿部又吉の五男として生まれ、村井半之助の養子となる。会津中学、第一高等学校を経て、1912年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入省し福島県属兼警部となる。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、新潟県東蒲原郡長、同三島郡長、同理事官、長野県警察部長、大分県警察部長、熊本県書記官・警察部長、山形県書記官・内務部長、大阪府書記官・警察部長、北海道庁部長・土木部長などを歴任。
小日山 直登(こびやま なおと、1886年(明治19年)4月… 小日山 直登(こびやま なおと、1886年(明治19年)4月26日 - 1949年(昭和24年)8月28日)は、昭和期日本の実業家、政治家。南満洲鉄道総裁を務め、第二次世界大戦末期の鈴木貫太郎内閣に入閣。ポツダム宣言受諾の意思を示した。 福島県出身。生家は士族出身であったが、生活は貧しく小さな水車小屋で生まれ育つ。会津中学、第二高等学校を経て、1912年(明治45年)に東京帝国大学英法科を卒業すると共に文官高等試験に合格して南満洲鉄道株式会社(満鉄)に入社する。塔連炭鉱事件(満鉄疑獄事件)に連座して一時偽証罪で起訴されるが控訴審で無罪となり、満鉄に復帰。理事を経て、1943年(昭和18年)7月、満鉄生え抜きの人材として初めて満鉄総裁となる。
高山 輝義(たかやま てるよし、1879年(明治12年)10… 高山 輝義(たかやま てるよし、1879年(明治12年)10月4日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。第16代若松市長。 福島県出身。会津中学(4回生)を経て陸軍士官学校を卒業(12期)。同期生に畑俊六、杉山元両元帥、小磯国昭らがいる。1901年(明治34年)6月、歩兵少尉任官。歩兵第65連隊中隊長、同連隊副官、近衛歩兵第2連隊大隊長などを経て、1928年(昭和3年)には歩兵第79連隊連隊長に就任し同職を3年勤めた。1931年(昭和6年)8月1日少将に進み、同月に予備役編入となる。1942年(昭和17年)には若松市長に就任し、戦前最後の市長となった。 1944年(昭和19年)、会津松平家当主・松平保男の急逝に際し、旧領代表として葬儀に参列したが、会津地方からは多数の参列者が物品を持参して上京した。
白井 新太郎(しらい しんたろう、1862年12月13日(文… 白井 新太郎(しらい しんたろう、1862年12月13日(文久2年10月22日) - 1932年(昭和7年)12月10日)は、日本の実業家、政治家。号は如海。 会津若松城下で家禄500石の上級藩士である白井家の長男として生まれる。父の五郎太夫は林安定とともに藩大砲隊頭を務め、鳥羽・伏見の戦いで討死した。戊辰戦争後に再建された日新館(現会津高校)に学び、上京後は秋月悌次郎門下として勉学を続けた。1884年(明治17年)には東政図(東次郎)の中国赴任に随行。清国改造運動に加わった。一年後には日本へ戻り、井深彦三郎、中野二郎らと同居生活を送った。 中国との貿易に従事し、1891年(明治24年)には東邦協会の設立に関わり、幹事を務める。
佐治 幸平(さじ こうへい、文久元年11月12日(1861年… 佐治 幸平(さじ こうへい、文久元年11月12日(1861年12月13日) - 大正6年(1917年)8月13日)は、日本の政治家、会津地域を代表する自由民権運動家の一人である。第3代若松市長、衆議院議員、実業家。 陸奥国大沼郡高田村(現福島県大沼郡会津美里町)出身。佐治一族は高田の旧家で、蒲生氏の分家、儀俄氏(甲賀五十三家)の子孫で、蒲生秀行の家臣として仕えていたが、蒲生家のお家断絶により仕官に失敗し、後に若松城下より高田村に移り住んだと伝わる。醸造業を営むほか、会津銀行高田派出所や会津高田郵便局が設置され、大地主として高田地域を代表する家の一つとして知られた。父は西佐治家(屋号は油屋)の五代目幸左衛門金麗。
小熊 慎司 は、日本の政治家。