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鈴木 邦和(すずき くにかず、1989年2月17日 - )は… 鈴木 邦和(すずき くにかず、1989年2月17日 - )は、日本の元政治家。元東京都議会議員。「選挙ドットコム」編集長。 神奈川県横浜市生まれ。群馬県立前橋高等学校、東京大学工学部精密工学科卒業。2011年、大学在学中に東日本大震災の復興支援団体「UT-Aid」を設立、2000名のボランティアを被災地に派遣。同団体は東京大学の学生表彰の最高賞である総長大賞を受賞した。2012年、政治・選挙ポータルサイト「日本政治.com」を設立。投票マッチング(ボートマッチ)を開発。4度の国政選挙で約150万人の有権者に利用された。 2016年、米フォーブス誌によるアジアを代表する30歳以下の若者「30 under 30 in Asia」に田中将大や錦織圭らと共に選出された。
中島 資浩(なかじま もとひろ、1971年5月16日 - )… 中島 資浩(なかじま もとひろ、1971年5月16日 - )は、日本の政治家。群馬県前橋市議会議員(通算5期)、群馬県議会議員(1期)などを務めた。 群馬県前橋市江田町生まれ。群馬県立前橋高等学校、中央大学法学部卒業。大学卒業後、参議院議員久世公堯の議員秘書を務める。2000年、高崎経済大学大学院地域政策研究科修士課程に入学。 2001年、前橋市議会議員選挙に出馬し初当選。2003年、高崎経済大学大学院地域政策研究科修士課程を修了。2005年、前橋市議会議員に再選。 2005年、群馬県議会前橋市・勢多郡選挙区補欠選挙に出馬し初当選したが、2007年、落選。 2009年、前橋市議会議員に出馬し3選。
宮﨑 岳志(みやざき たけし、1970年〈昭和45年〉2月1… 宮﨑 岳志(みやざき たけし、1970年〈昭和45年〉2月14日 - )は、日本の政治家。群馬県議会議員(1期)、群馬維新の会幹事長。 元衆議院議員(2期)、元上毛新聞社記者。政治活動では宮崎タケシ表記を用いる。鷲田 旌刀(わしだ せいとう)のペンネームでライトノベルの執筆も行った。後援会名称は「岳遊会(がくゆうかい)」。 群馬県前橋市紅雲町出身。父親は、前橋赤十字病院院長を務めた脳外科医の宮﨑瑞穂。前橋市立桃井小学校、前橋市立第一中学校、群馬県立前橋高等学校、中央大学法学部政治学科卒業。中央大学在籍当時は、弁論部である辞達学会、弓道サークルである紫弓会、ゲーム研究会に所属。在学中、東京大学総長杯、早稲田大学大隈杯の両弁論大会で準優勝した。
斉藤 優(さいとう まさる、1959年〈昭和34年〉11月1… 斉藤 優(さいとう まさる、1959年〈昭和34年〉11月14日 - )は、日本の政治家。群馬県議会議員(2期)。過去には、伊勢崎市議会議員(4期)などを務めた。 群馬県佐波郡境町(現在の伊勢崎市境町)に米穀商の長男として生まれる。伊勢崎市立境小学校、伊勢崎市立境南中学校、群馬県立前橋高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。卒業後も政治・法律の勉強を継続。 1982年、父親の発病にともない、東京より帰郷。自分の勉強部屋で小・中・高校生に勉強を教え始める。 1990年、有限会社優伸ゼミナールを設立し、代表取締役に就任(パソコン教室も経営)。 1997年、群馬学習塾協同組合理事長、境町商工会青年部長を務める。
山本 龍(やまもと りゅう、1959年〈昭和34年〉7月4日… 山本 龍(やまもと りゅう、1959年〈昭和34年〉7月4日 - )は、日本の政治家。群馬県前橋市長(3期)、群馬県議会議員(通算4期)などを務めた。現在は都内に本社を置く情報関係企業のアドバイザーを務めている。家族は妻と長男、長女。 群馬県吾妻郡草津町生まれ。親は鮮魚店を営んでいた。また父親の山本雅雄は草津町議会議員も務めた、実兄は元アルペンスキー世界選手権日本代表選手で、杏林製薬の社長を務めた荻原郁夫(旧姓・山本)。 草津町立草津小学校、前橋市立第三中学校、群馬県立前橋高等学校、早稲田大学商学部卒業。中学1年次からは県立前橋高校への進学を目指して前橋市内に下宿し、中学卒業後は同高校に進学した。
星野寛(ほしの ひろし、1955年〈昭和30年〉6月23日 … 星野寛(ほしの ひろし、1955年〈昭和30年〉6月23日 - )は、日本の政治家。群馬県議会議員(7期)。過去には、第90代群馬県議会議長、群馬県議会副議長を務めた。株式会社尾瀬岩鞍リゾート代表取締役。 群馬県利根郡片品村出身。1974年(昭和49年)、群馬県立前橋高等学校卒業。1979年、早稲田大学法学部を卒業。1980年、尾瀬開発株式会社に入社。 1991年(平成3年)、沼田青年会議所理事長となり、翌年日本青年会議所「町づくりネットワーク推進委員会」副委員長、さらに翌年「環境教育プログラム委員会」委員長となった。 1995年(平成7年)、群馬県議会議員選挙に初当選。1999年に再選。2003年に3選。
佐田 玄一郎(さた げんいちろう、1952年〈昭和27年〉1… 佐田 玄一郎(さた げんいちろう、1952年〈昭和27年〉12月22日 - )は、日本の政治家、技術者。 衆議院議員(9期)、第1次安倍内閣の内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、総務副大臣(第1次小泉内閣)、郵政政務次官(第2次森内閣)、文部政務次官(第2次橋本内閣)、大蔵政務次官(村山改造内閣)、衆議院議院運営委員長(第66・74代)、衆議院総務委員長などを歴任。 父は元佐田建設社長の佐田武夫。祖父は元参議院議員の佐田一郎。 群馬県前橋市生まれ。群馬県立前橋高等学校、北海道大学工学部卒業。大学では流体工学や材料力学などを学んだ。 1980年、鉄建建設に入社。同社ではシールド工法の技術者として、新幹線や地下鉄のトンネル工事などに携わった。
臂 泰雄(ひじ やすお、1952年(昭和27年)12月11日… 臂 泰雄(ひじ やすお、1952年(昭和27年)12月11日 - )は、日本の政治家。群馬県伊勢崎市長(2期)。過去には、群馬県議会議員(3期)、伊勢崎市議会議員(2期)などを務めた。 群馬県伊勢崎市生まれ。伊勢崎市立北小学校、伊勢崎市立北中学校(現:伊勢崎市立第三中学校)、群馬県立前橋高等学校、筑波大学第一学群自然学類卒業。 2006年伊勢崎市議会議員初当選、市議員通算2期目後、2011年群馬県議会議員当選、県議議員通算3期目。 2020年10月23日、翌年実施予定の伊勢崎市長選挙(1月10日告示・同月17日投開票)に出馬する意向を正式に表明した。同月29日に県議会本会議で臂の辞職願が許可され県議を辞職。
田島 雄一(たじま ゆういち、1949年〈昭和24年〉1月1… 田島 雄一(たじま ゆういち、1949年〈昭和24年〉1月13日 - 2014年〈平成26年〉3月19日)は日本の政治家。群馬県議(8期)、第68・69代群馬県議会副議長、第72代群馬県議会議長を歴任した。 1949年1月13日、佐波郡采女村(現伊勢崎市)に生まれる。1967年、群馬県立前橋高等学校卒業。1972年、芝浦工業大学工学部工業化学科を卒業し、大洋工業に入社した。1975年、大洋工業社長となる。同年4月13日、群馬県議会議員選挙に佐波郡選挙区から立候補して初当選を果たした。1986年6月、衆議院選挙に立候補するため県議を辞職した。同年7月6日、旧群馬1区から無所属で第38回衆議院議員総選挙に立候補したが次点で落選した。
羽生田 俊(はにゅうだ たかし、1948年〈昭和23年〉3月… 羽生田 俊(はにゅうだ たかし、1948年〈昭和23年〉3月28日 - )は、日本の政治家、眼科医。 参議院議員(2期)、厚生労働副大臣、参議院厚生労働委員長、日本医師会副会長、日本医師会総合政策研究機構所長、羽生田眼科医院院長などを歴任。資金管理団体は俊翔会。 父は眼科医で元衆議院議員の羽生田進。祖父は眼科医で元前橋市議会議長の羽生田俊次。 群馬県前橋市生まれ。1966年3月、群馬県立前橋高等学校卒業。1973年3月、東京医科大学医学部卒業。1973年、医師免許取得。 1973年6月、群馬大学医学部附属病院眼科学教室に入局。1985年12月、医学博士(群馬大学)となる。 1978年4月、羽生田眼科医院の院長に就任。
中村 紀雄(なかむら のりお、1940年〈昭和15年〉10月… 中村 紀雄(なかむら のりお、1940年〈昭和15年〉10月30日 - )は日本の政治家。群馬県議会議員(7期)、第75代群馬県議会副議長、第79代群馬県議会議長を歴任した。 1940年10月30日、群馬県前橋市曲輪町(現大手町2丁目)に生まれる。1955年、前橋市立元総社中学校卒業。その後は、実家の製菓業に従事する。1961年、群馬県立前橋高等学校定時制卒業。1969年、東京大学文学部西洋史学科卒業。卒業後、私塾修学館を設立した。 1987年に初めて群馬県議会議員選挙に立候補した際は270票及ばず落選。1988年7月10日、群馬県議会議員補欠選挙に前橋市選挙区から無所属で立候補して、初当選を果たした。
角田 義一(つのだ ぎいち、1937年〈昭和12年〉6月9日… 角田 義一(つのだ ぎいち、1937年〈昭和12年〉6月9日 - 2024年〈令和6年〉2月23日)は、日本の政治家、弁護士。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。 参議院議員(3期)、参議院副議長(第25代)、法務政務次官(村山内閣)、群馬県議会議員(3期)、民主党群馬県連会長、立憲民主党群馬県連最高顧問などを務めた。 群馬県勢多郡横野村(赤城村を経て現・渋川市)生まれ。弁護士・角田儀平治の長男。群馬県立前橋高等学校から京都大学法学部に進み、1962年卒業。同年司法試験合格。司法修習を経て1965年群馬弁護士会に登録し弁護士となる。 1971年、群馬県議会議員選挙に日本社会党公認で立候補し初当選。県議会では「県情報公開条例」の制定や「県央処理場設置問題」の調停などに取り組む。
菅野 義章(すがの よしあき、1932年6月6日 - 201… 菅野 義章(すがの よしあき、1932年6月6日 - 2016年8月24日)は日本の政治家、弁護士、税理士。前橋市議(1期)、群馬県議(5期)、第74代群馬県議会議長を歴任した。 1932年6月6日、前橋市萱町(現千代田町)に生まれる。1951年、群馬県立前橋高等学校卒業。1958年、京都大学法学部卒業。京都大学では猪木正道に教えを受けた。1965年、司法試験に合格する。1968年、群馬弁護士会に所属して、菅野義章法律事務所を開設した。 1969年、前橋市議会議員選挙に立候補して初当選した。1971年、群馬県議会議員選挙立候補のため、市議を辞職した。同年の群馬県議会議員選挙では落選。1975年4月13日、前橋市選挙区から立候補して初当選を果たし、2期務める。
山口 鶴男(やまぐち つるお、1925年〈大正14年〉10月… 山口 鶴男(やまぐち つるお、1925年〈大正14年〉10月4日 - 2015年〈平成27年〉8月3日)は、日本の政治家。総務庁長官(第15代)、衆議院議員(11期)、日本社会党書記長(第11代)、日本社会党国会対策委員長(第14代)、衆議院予算委員長、群馬県議会議員(2期)などを歴任した。位階は正三位。勲章は勲一等旭日大綬章。通称「ヤマツル」。 群馬県吾妻郡草津町生まれ。旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て、桐生高等工業学校(現群馬大学工学部)卒業。1946年前橋商業学校の教員となり、その後草津中学校に勤務する。教職員組合活動に取り組み、群馬県教組書記長となる。 1955年に群馬県議会議員選挙に立候補し当選。
藤嶋 清多(ふじしま きよた、1923年〈大正12年〉9月2… 藤嶋 清多(ふじしま きよた、1923年〈大正12年〉9月21日 - 2011年〈平成23年〉6月16日)は、日本の政治家。群馬県前橋市長(2期)。 群馬県前橋市出身。1941年(昭和16年)旧制前橋中学卒。終戦後の1946年(昭和21年)前橋市役所に入る。建設、都市計画の各部長などを歴任し、1982年(昭和57年)に収入役、1986年(昭和61年)に助役に就任した。1988年(昭和63年)前橋市長選挙に立候補して初当選、2期務めた。1996年(平成8年)引退。2011年(平成23年)死去。
田邊 誠(田辺 誠、たなべ まこと、1922年〈大正11年〉… 田邊 誠(田辺 誠、たなべ まこと、1922年〈大正11年〉2月25日 - 2015年〈平成27年〉7月2日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位。 衆議院議員(11期)、日本社会党委員長(第11代)、裁判官弾劾裁判所裁判長(第61代)を歴任。 1922年(大正11年)、群馬県前橋市芳町(現・三河町)に生まれる。父・熊蔵は老人ホーム院長を勤めていた。熱心なクリスチャンであった父の影響を受け、自身もキリスト教徒となった。中川小学校、城東小学校、群馬男子師範学校附属小学校へと転校。1939年(昭和14年)旧制前橋中学(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業した。旧制高校への進学を希望していたが、父が経営する養老院の運営がおもわしくなく、やむなく学費無料の逓信官吏練習所に進学した。
清水 一郎(しみず いちろう、1918年〈大正7年〉9月4日… 清水 一郎(しみず いちろう、1918年〈大正7年〉9月4日 - 1991年〈平成3年〉6月12日)は、日本の政治家。 群馬県知事(公選第9・10・11・12代)、群馬県議会議員(4期)、第47代群馬県議会議長、群馬県議会副議長、前橋市議会議員(1期)を歴任した。 群馬県前橋市出身。1936年、群馬県立前橋中学校(現群馬県立前橋高等学校)卒業。1939年、福島高等商業学校(現福島大学経済経営学類)卒業。同年、日立製作所東京本社勤務となる。1943年、青森県立商業学校(現青森県立青森商業高等学校)教諭となる。1944年、群馬県立前橋工業学校(現群馬県立前橋工業高等学校)教諭となる。1948年、群馬県立前橋商業高等学校講師となる。
藤井 精一(ふじい せいいち、1914年〈大正3年〉4月28… 藤井 精一(ふじい せいいち、1914年〈大正3年〉4月28日 - 1988年〈昭和63年〉1月11日)は、日本の政治家。前橋市長を務めた。 1914年(大正3年)、群馬県前橋市神明町(現・千代田町)に生まれる。旧制前橋中学校から新潟県立小千谷中学校に転校し、1932年(昭和7年)同校を卒業。 その後は前橋市役所に勤務し、税務課長、庶務課長、商工部長、総務部長を歴任。石井繁丸市長のもとで1971年(昭和46年)より前橋市助役を務める。 1978年(昭和53年)前橋市長選挙に立候補し初当選。1982年(昭和57年)と1986年(昭和61年)にも当選を重ねる。 市長在職中には市民体育館、文化会館、総合運動場、市庁舎の建設を実現した。
羽生田 進(はにゅうだ/はにうだ すすむ、1910年〈明治4… 羽生田 進(はにゅうだ/はにうだ すすむ、1910年〈明治43年〉10月19日 - 1999年〈平成11年〉7月27日)は日本の政治家(衆議院議員、科学技術庁政務次官)、眼科医(医学博士、羽生田眼科医院院長、群馬県医師会名誉会長、日本眼科医会会長)。勲二等瑞宝章、藍綬褒章受章。陸軍軍医少尉。元参議院議員・羽生田俊の父。 羽生田家の先祖は長野県上高井郡豊丘村(現・須坂市大字豊丘)の旧家で、祖父・仁作が分家して群馬県勢多郡富士見村箕輪(現・前橋市富士見町赤城山)で牧場を経営した。進の父・俊次は長野県北安曇郡美麻村(現・大町市)の農家・田中常太郎・みす夫婦の次男として生まれ、医術開業試験に合格して眼科医となった。
浦野 匡彦(うらの まさひこ、1910年〈明治43年〉9月1… 浦野 匡彦(うらの まさひこ、1910年〈明治43年〉9月16日 - 1986年〈昭和61年〉12月2日)は、元二松學舍大学理事長・学長、日本遺族会副会長、全国社会福祉協議会評議員・理事。故郷・群馬県では「上毛かるた」の生みの親として知られている。 群馬県吾妻郡長野原町林に、浦野安・倶子の六男として生まれる。浦野家の先祖は、大戸城主・浦野真楽斎の次男・浦野左衛門尉村信であるという。浦野家は代々大乗院住職・王城山(みこしろやま)神社別当を世襲し、その墓所には初代村信の墓という「御塚」(長野原町指定文化財)が所在する。 父・安は地元の小学校校長を務めたのち東京法学院(現・中央大学)を卒業して大蔵省主計局に勤務し、帰郷後は長野原町長などの公職に就任、神職としても群馬県皇典講究所理事、全国神職会群馬県代表などを務めた。
石井 繁丸(いしい しげまる、1904年〈明治37年〉1月1… 石井 繁丸(いしい しげまる、1904年〈明治37年〉1月1日 - 1983年〈昭和58年〉10月8日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(3期)、前橋市長(5期)。前橋市立工業短期大学学長。大日本帝国陸軍軍人(陸軍曹長)[要出典]。 群馬県勢多郡木瀬村大字野中(現・前橋市野中町)出身。永明尋常高等小学校を経て、1922年(大正11年)県立前橋中学校卒業。警視庁麻布警察署書記として勤務の後、日本大学に学ぶ。1926年(大正15年)司法試験合格。1927年(昭和2年)に日本大学法科を卒業し、同年法律評論社の編集記者として勤める。1928年(昭和3年)弁護士となる。須永好による強戸村農民運動に協力した。
鈴木 強平(强平、すずき きょうへい、1898年〈明治31年… 鈴木 強平(强平、すずき きょうへい、1898年〈明治31年〉4月28日 - 1969年〈昭和44年〉3月3日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 群馬県前橋市連雀町(現・本町)で、鈴木留太郎の長男として生まれる。群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て、慶應義塾大学部理財科に進んだが、父の病により帰郷して家業を継承した。 1934年(昭和9年)群馬林業社長、全国燃料組合理事組合長に就任。その他、群馬県木炭連合会長、同燃料林産組合長、全国燃料組合連合会副理事長、前橋商工会議所商業部長、群馬県商工倶楽部理事長、全国燃料会館副理事長、前橋文化服装学院(現前橋文化服装専門学校)理事、日本燃料機社長、鈴木商会社長などを務めた。
伊能 芳雄(いよく よしお、1898年〈明治31年〉2月12… 伊能 芳雄(いよく よしお、1898年〈明治31年〉2月12日 - 1988年〈昭和63年〉10月2日)は、日本の内務官僚、政治家。長野県知事(官選第31代)、群馬県知事(公選第2代)、参議院議員(1期)。 1898年(明治31年)、群馬県吾妻郡中之条町に、伊能八平の三男として生まれる。旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業後、東北帝国大学農科大学予科へ進学。1923年(大正12年)東北帝国大学理学部地質学科を卒業。1924年(大正13年)高等文官試験行政科に合格、1925年(大正14年)、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省入省。警視庁警部補からキャリアを積み、警視庁警衛課長を務めた。
青柳 秀夫(あおやぎ ひでお、1897年〈明治30年〉7月1… 青柳 秀夫(あおやぎ ひでお、1897年〈明治30年〉7月12日 - 1986年〈昭和61年〉5月31日)は、日本の内務官僚、政治家。愛知県知事(官選第39代、公選初代)、参議院議員(3期)。 群馬県前橋市に富樫竹次の五男として生まれる。青柳新米の養子となり、旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て旧制第二高等学校へ進学。1922年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年、横浜正金銀行に入行し、後安田銀行に移った。1926年、高等文官試験に合格。1927年、内務省に入省。北海道、大阪府、福岡県(部長・経済部長)、長野県などで勤務した。 1947年3月5日、愛知県知事の桑原幹根が初の公選愛知県知事選挙に立候補するために辞職。
生方 誠(うぶかた せい、1894年〈明治27年〉8月17日… 生方 誠(うぶかた せい、1894年〈明治27年〉8月17日 - 1978年〈昭和53年〉10月6日)は、日本の薬剤師、政治家、行政委員。群馬県利根郡沼田町(現:沼田市)出身。群馬県会議員、沼田町長、国家公安委員、群馬県薬剤師会会長、群馬県町村長会長などを務めた。妻は歌人の生方たつゑ、長女は料理研究家の生方美智子。 1894年(明治27年)、沼田町上之町の老舗薬種商「かどふぢ(角藤)」を営む生方弥右衛門の長男として生まれる。1910年(明治43年)旧制前橋中学校利根分校(現・群馬県立沼田高等学校)を修了し、1912年(明治45年)同本校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業。1916年(大正5年)に千葉医学専門学校薬学科(現:千葉大学薬学部)を卒業した。
木暮 武太夫(こぐれ ぶだゆう、旧名・正一(まさかず)、18… 木暮 武太夫(こぐれ ぶだゆう、旧名・正一(まさかず)、1893年〈明治26年〉2月17日 - 1967年〈昭和42年〉7月10日)は、日本の政治家、実業家、群馬県多額納税者。位階は正三位。衆議院議員(8期)、参議院議員(2期)、運輸大臣。伊香保温泉の旅館業、木暮旅館主。群馬県観光協会、日本温泉協会各会長。群馬銀行取締役会長、関東いすゞ自動車販売社長、群馬バス社長。25代目武太夫。 群馬県北群馬郡伊香保町(現・渋川市)出身。先代・木暮武太夫(元衆議院議員)の長男。 1912年(明治45年)、旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒業。1917年(大正6年)、慶應義塾大学理財科を卒業。はじめ三井銀行に勤めたが、退社して家業の旅館業に従事した。
内山 岩太郎(うちやま いわたろう、1890年〈明治23年〉… 内山 岩太郎(うちやま いわたろう、1890年〈明治23年〉2月28日 - 1971年〈昭和46年〉11月19日)は、日本の外交官・政治家。神奈川県知事(官選、公選第1・2・3・4・5代)、テレビ神奈川初代社長。位階は正三位。日本の国際連合加盟に貢献をした人物として知られる。元丸紅ブラジル会社副社長の内山勇は三男。 1890年(明治23年)、群馬県前橋市天川原町に、父・内山岩吉、母・ちか子の三男として生まれる。1902年(明治35年)、群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に入学。1905年(明治38年)に校長排斥の同盟休校を起こし放校となり、正則英語学校を経て立教学院に編入、1907年(明治40年)卒業。
清水 留三郎(しみず とめさぶろう、1883年〈明治16年〉… 清水 留三郎(しみず とめさぶろう、1883年〈明治16年〉4月28日 - 1963年〈昭和38年〉4月18日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、外務政務次官。 現在の群馬県前橋市大手町に生まれる。群馬県立前橋中学校を経て、1902年(明治35年)に早稲田大学法科を卒業した。その後渡米し、ワシントン大学とミネソタ大学で学び、法学修士の称号を得た。帰国後は関東産業新聞社長、上野新聞社専務、上毛機械合資会社代表社員、合資会社桜組支配人などを務めた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に憲政会から出馬し、当選。第16回より立憲民政党に所属し、第21回に至るまで7回当選を果たす。
関口 志行(せきぐち しこう、1882年〈明治15年〉5月9… 関口 志行(せきぐち しこう、1882年〈明治15年〉5月9日 - 1958年〈昭和33年〉12月21日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(立憲民政党)、前橋市長、群馬県会議員。俳人としても知られ、号は雨亭。 群馬県新田郡木崎町大字赤堀(現在の太田市新田赤堀町)に、父貞作、母いすの長男として生まれる。1900年(明治33年)群馬県中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)を卒業、1903年(明治36年)に旧制第二高等学校を卒業、1906年(明治39年)京都帝国大学法科大学英法科を卒業した。文部省に入省するが、1年で退官。1909年(明治42年)、司法官試補となり、前橋地方裁判所に勤務した。やがて判事に昇進し、1911年(明治44年)には甲府地方裁判所に異動するが、1913年(大正2年)に退官した。
田中 喜代松(たなか きよまつ、1877年(明治10年)4月… 田中 喜代松(たなか きよまつ、1877年(明治10年)4月20日 - 1944年(昭和19年)3月10日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・関原。 群馬県群馬郡新波村(現:高崎市)で関原家に生まれ、田中敬造の養子となる。1899年、群馬県尋常中学校を卒業し、その後、同志社で学ぶ。同志社在学中、日露戦争時に基督教青年会軍政慰問部主事として満州に赴任し慰問事業に二年間従事した。 1907年4月、北海道に移り製材事業を経営。(株) 田中木工場社長、北海興業取締役、北海工業取締役、旭川曲木工芸取締役、北海石炭取締役、昭南電燭取締役などを務めた。 政界では、旭川区会議員、同市会議員、同副議長、同議長、北海道会議員を歴任。
木檜 三四郎(こぐれ さんしろう、明治元年8月4日〈1868… 木檜 三四郎(こぐれ さんしろう、明治元年8月4日〈1868年9月19日〉 - 1959年〈昭和34年〉8月14日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本の政治家。初代参議院仮議長、参議院議員(1期)、衆議院議員(7期)、群馬県会議員、吾妻郡会議員、原町長を歴任した。位階・勲等は正四位勲二等(旭日重光章)[要出典]。号に吾川。 明治元年(1868年)、群馬県吾妻郡岩島村(現・東吾妻町)の片貝家に生まれる。幼少期に原町の木檜家の養子となった。群馬県中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て、東京専門学校(現在の早稲田大学)に学ぶ。 1894年(明治27年)に群馬県会議員に当選し、6期務める。1896年(明治29年)から1907年(明治40年)まで吾妻郡会議員、1903年(明治36年)から1907年(明治40年)まで同議長。
鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日〈慶応… 鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日〈慶応3年12月24日〉- 1948年〈昭和23年〉4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。栄典は従一位勲一等功三級男爵。歴代内閣総理大臣のなかで史上最高齢の77歳で就任した。 海軍士官として海軍次官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長(第8代)などの顕職を歴任した。予備役編入後に侍従長に就任。さらに枢密顧問官も兼任した。 枢密院副議長(第14代)、枢密院議長(第20・22代)を務めたあと、小磯國昭の後任として内閣総理大臣(第42代)に就任した。一時、外務大臣(第62代)、大東亜大臣(第3代)も兼任した。陸軍の反対を押し切ってポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦を終戦へと導いた。
矢野 鉉吉(やの げんきち、慶應3年1月10日〈1867年2… 矢野 鉉吉(やの げんきち、慶應3年1月10日〈1867年2月3日〉 - 1955年〈昭和30年〉4月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 群馬県高崎市龍見町出身。1893年、群馬県立中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒。アメリカに留学し、帰国後は東京機器標本(株)取締役、多摩川水力電気(株)監査役となる。また、下谷区議、同議長、東京府議、同議長、東京市会議員を務めた。 1920年の第14回衆議院議員総選挙において東京8区から立憲政友会公認で立候補したが落選。1924年の第15回衆議院議員総選挙で当選。1928年の第16回衆議院議員総選挙では東京2区から立候補して当選した。衆議院議員を2期務めた。
稲茂登 三郎(いなもと さぶろう、1866年3月25日(慶応… 稲茂登 三郎(いなもと さぶろう、1866年3月25日(慶応2年2月9日)- 1936年(昭和11年)3月1日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(2期)。旧姓・木暮。 上野国群馬郡、のちの群馬県西群馬郡伊香保町(現渋川市伊香保町)で木暮武禄の三男として生まれ、1898年(明治31年)東京市神田区の稲茂登カネの入夫となり家督を相続した。 群馬県中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒。東京市会議員、同参事会員、東京商業会議所議員のほか、帝国火災保険株式会社取締役他数社の重役となった。 1908年(明治41年)第10回衆議院議員総選挙において東京市選挙区から無所属で立候補して当選した。1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙でも再選した。
関口 安太郎(關口、せきぐち やすたろう、慶応元年12月25… 関口 安太郎(關口、せきぐち やすたろう、慶応元年12月25日〈1866年2月10日〉 - 1911年〈明治44年〉7月11日)は、明治期の畜産業者、実業家、政治家(衆議院議員、群馬県会議員)。 上野国勢多郡下大島村(群馬県南勢多郡木瀬村、勢多郡木瀬村を経て現前橋市下大島町)で、代々前橋藩の御蔵番を務めた関口家当主・仲次郎、りせ の長男として生まれた。大島梨の栽培で知られる関口長左衛門は祖父の兄にあたる。その後、前橋曲輪町(現:前橋市大手町)に転居した。前橋中学校(現群馬県立前橋高等学校)を卒業し、1890年(明治23年)東京法学院(現中央大学)を卒業。 1894年(明治27年)群馬県会議員に選出され1896年(明治29年)まで在任。
飯塚 春太郎(いいづか はるたろう、1865年2月6日(慶応… 飯塚 春太郎(いいづか はるたろう、1865年2月6日(慶応元年1月11日)- 1938年(昭和13年)1月8日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。 上野国山田郡、のちの群馬県山田郡広沢村(現桐生市広沢町)で、賀茂神社祠官・飯塚二葉の長男として生まれる。群馬県中学校(現群馬県立前橋高等学校)を卒業し、1882年(明治15年)家督を相続。1890年(明治23年)東京法学院(現中央大学)英語法科を卒業した。 広巾輸出絹織物製造業を営む。桐生織物同業組合長、渡良瀬水電取締役、日本絹撚取締役、両毛整織社長などを務め、桐生の織物業の近代化に貢献した。 政界では、1893年(明治26年)群馬県会議員に選出され2期在任した。