スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岩井 茂樹(いわい しげき、1968年〈昭和43年〉6月2日… 岩井 茂樹(いわい しげき、1968年〈昭和43年〉6月2日 - )は、日本の政治家。静岡県東伊豆町長(2期)。学位は修士(工学)(名古屋大学・1996年)。選挙活動などでは岩井 しげき(いわい しげき)表記を用いる。 前田建設工業株式会社での勤務を経て、政治家秘書、参議院議員(2期)、参議院政府開発援助等特別委員長、参議院農林水産委員長などを歴任した。 愛知県名古屋市昭和区生まれ、東京都出身。前田建設工業に勤務したのち、父である岩井國臣の秘書を経て、第22回参議院議員通常選挙で当選を果たす。第2次安倍改造内閣、第3次安倍内閣では経済産業大臣政務官・内閣府大臣政務官・復興大臣政務官を務め、菅義偉内閣では国土交通副大臣・内閣府副大臣・復興副大臣を務めた。
宮下 一郎(みやした いちろう、1958年8月1日 - )は… 宮下 一郎(みやした いちろう、1958年8月1日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)、財務副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)。父は元厚生大臣の宮下創平。
江島 潔(えじま きよし、1957年〈昭和32年〉4月2日 … 江島 潔(えじま きよし、1957年〈昭和32年〉4月2日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、自由民主党政調会長代理。 経済産業副大臣兼内閣府副大臣(菅義偉内閣)、国土交通大臣政務官(第3次安倍第1次改造内閣)、自由民主党人事局長、山口県下関市長(4期)などを歴任。 山口県下関市出身。小学校3年の頃、日本国有鉄道に勤務していた父・淳が外務省に出向となったため一家はアメリカのサンフランシスコに移住し、13歳の頃に日本に帰国する。 1976年、東京都立戸山高等学校卒業。1980年、東京大学工学部合成化学科卒業。1982年、東京大学大学院工学系研究科修了。 同年千代田化工建設技師、1990年、東亜大学講師、水産大学校非常勤講師を経て、1991年の下関市長選挙に無所属で、1993年の第40回衆議院議員総選挙に旧山口1区から日本新党公認で出馬したが、いずれも落選。
増田 寛也(ますだ ひろや、1951年12月20日 - )は… 増田 寛也(ますだ ひろや、1951年12月20日 - )は、日本の元建設官僚、政治家。東京大学公共政策大学院客員教授。都留文科大学特任教授。
大橋 建一(おおはし けんいち、1946年〈昭和21年〉6月… 大橋 建一(おおはし けんいち、1946年〈昭和21年〉6月22日 - 2022年〈令和4年〉11月8日)は、日本の政治家。位階は正五位。 元和歌山市長。和歌山県東牟婁郡下里町(現那智勝浦町)出身。父は元和歌山県知事の大橋正雄。お茶の水女子大学名誉教授の原ひろ子は従姉。「健一」は誤記(名前の由来については後述)。 1946年(昭和21年)6月22日、大橋正雄の長男として和歌山県東牟婁郡下里町(現那智勝浦町)にある母の実家で生まれる。「建一」という名前には、姓の「大橋」と掛けて「廃墟となった戦後の日本に、復興の大きな橋を一番に建てる」という父の願いが込められている。 父が和歌山県庁に入庁したため、1949年(昭和24年)12月に和歌山市に転居。
首藤 信彦(すとう のぶひこ、1945年4月5日 - )は、… 首藤 信彦(すとう のぶひこ、1945年4月5日 - )は、日本の政治家、国際政治学者。 政治団体「共和党」物差(党首)。衆議院議員(3期)、東海大学教授を歴任。NGOインターバンド創設者。専門は国際政治経済学、危機管理、予防外交、テロリズム研究。 息子の首藤天信は立憲民主党所属の神奈川県議会議員。 1945年、関東州大連市に生まれる。東京都立戸山高等学校、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。大学では政府税制調査会で有名な加藤寛のゼミに所属。 1969年、伊藤忠商事に入社し、アルジェリアで石油化学プラントの建設に携わった。退職後に慶應義塾大学大学院経済学研究科大学院へ入学。1975年経済学修士号、1979年博士号を取得し、1980年貿易研修センター助教授。
浜四津 敏子(はまよつ としこ、1945年1月6日 - )は… 浜四津 敏子(はまよつ としこ、1945年1月6日 - )は、日本の政治家、弁護士。創価大学法学部客員教授。旧姓、高橋。
伊東 秀子(いとう ひでこ、1943年〈昭和18年〉8月15… 伊東 秀子(いとう ひでこ、1943年〈昭和18年〉8月15日 - )は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期)を歴任。夫は北海道大学教授を務めた伊東倫厚。 満洲国(現:中国東北部)で出生し、父の故郷である鹿児島県で育つ。川辺郡大浦町(現:南さつま市大浦町)出身。 東京都立戸山高等学校、東京大学文学部卒業。大学卒業後、家庭裁判所調査官を経て、1979年に35歳で司法試験に合格。司法修習34期を経て1982年弁護士登録、札幌弁護士会入会。 当初は日本共産党に所属していたが離党、1990年の第39回衆議院議員総選挙で北海道第1区において日本社会党公認候補として初出馬し横路孝弘道知事や竹村泰子参議院議員の全面的支援で憲政史上最多得票で初当選を飾り鈴木喜久子らとマドンナ議員として注目を集める(社会党現職小林恒人も再選)。
栗本 慎一郎(くりもと しんいちろう、1941年〈昭和16年… 栗本 慎一郎(くりもと しんいちろう、1941年〈昭和16年〉11月23日 - )は、日本の経済学者(経済人類学)・評論家・政治家・健康食品開発者。有明教育芸術短期大学学長、衆議院議員(2期)、経済企画政務次官、有限会社大学総合研究所理事長、朝日新聞書評委員 を歴任した。 東京都(出生当時は東京府)出身。父は元最高裁判事の栗本一夫(岐阜県出身)。母トシ子は元東京府会議長中野勇治郎(京都府出身)三女。 東京学芸大学附属世田谷小学校、同中学校、東京都立戸山高等学校、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。同大学大学院経済学研究科博士課程退学[要出典]。 天理大学専任講師、奈良県立短期大学(現:奈良県立大学)助教授、ノースウェスタン大学客員教授(1975年 - 1976年)を経て、明治大学教授在任中、ヴァンダービルト大学客員教授(1986年 - 1987年)も務める。
小杉 隆(こすぎ たかし、1935年〈昭和10年〉9月25日… 小杉 隆(こすぎ たかし、1935年〈昭和10年〉9月25日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(8期)、文部大臣(第2次橋本内閣)、東京都議会議員(4期)を務めた。 東京都目黒区八雲出身。1959年、東京大学教育学部を卒業し、ラジオ東京(現・TBSホールディングス)に入社。1965年、29歳の最年少で東京都議会議員に当選。1977年、新自由クラブに入党。都議時代には美濃部亮吉都政の追及で名をはせる。その追及ぶりには美濃部も一目置いていたという。 1979年9月に都議を任期途中で辞職し、同年の第35回衆議院議員総選挙で旧東京3区から新自由クラブ公認で立候補するも次点となるも、翌1980年の第36回衆議院議員総選挙で再び旧東京3区から立候補し初当選(当選同期に古賀誠・太田誠一・川崎二郎・久間章生・平沼赳夫・高村正彦・柿澤弘治など)。
石川 昌(いしかわ まさし、1922年(大正11年)5月15… 石川 昌(いしかわ まさし、1922年(大正11年)5月15日 - 2016年(平成28年)9月12日)は、昭和から平成時代の政治家。元千葉県木更津市長。元海上自衛官。最終階級は海将補。 木更津市出身。東京府立四中(現・東京都立戸山高等学校)を経て、海軍経理学校に進み、1942年に卒業後、戦艦伊勢や武蔵などに乗り組んだ。復員後は東大に進み、1949年(昭和24年)東京大学法学部政治学科卒業。公職追放中だった事から官庁入りはかなわず、日本シルクに入社した。 1955年(昭和30年)海上自衛隊に入隊、木更津航空補給所長を務めた。 1979年(昭和54年)、木更津市長選挙に初当選し1995年(平成7年)まで4期務めた。
長田 裕二(おさだ ゆうじ、1917年3月13日 - 200… 長田 裕二(おさだ ゆうじ、1917年3月13日 - 2003年4月28日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。 参議院議長(第19代)、科学技術庁長官(第34代)、自由民主党参議院議員会長(第16代)、参議院予算委員長、参議院議員(4期)等を歴任した。元参議院議員の佐藤泰三は縁戚にあたる。 千葉県出身。東京府立第四中学校、旧制第一高等学校、東京帝国大学法学部卒業。1939年、逓信省(後の郵政省、現総務省)に入省。企画課属。経理局担当審議官、経理局長、郵務局長などを経て、1966年7月1日より郵政事務次官。退官後、1968年の第8回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から出馬し、初当選した。
原 文兵衛(はら ぶんべえ、1913年(大正2年)4月29日… 原 文兵衛(はら ぶんべえ、1913年(大正2年)4月29日 - 1999年(平成11年)9月7日)は、日本の内務官僚、政治家。位階は従二位、勲等は勲一等旭日桐花大綬章。
西村 直己(にしむら なおみ、1905年10月8日 - 19… 西村 直己(にしむら なおみ、1905年10月8日 - 1980年7月28日)は、戦後昭和期の政治家。衆議院議員。
床次 徳二(床次 德二、とこなみ とくじ、1904年(明治3… 床次 徳二(床次 德二、とこなみ とくじ、1904年(明治37年)2月4日 - 1980年(昭和55年)2月22日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(10期)、総理府総務長官を歴任した。また目白学園理事長及び目白学園女子短期大学(現・目白大学短期大学部)学長も務めた。 鹿児島県鹿児島市新照院町出身(東京都港区生まれ)。床次竹二郎の二男または三男。父の竹二郎が官選徳島県知事に就任して間もない頃に生まれたことにちなんで徳二と命名された。 旧制麻布中学校に入り、2年次に東京府立第四中学校(現:東京都立戸山高等学校)へ転校。1923年3月第一高等学校文科乙類、1926年東京帝国大学法学部政治科を卒業。
正木 千冬(まさき ちふゆ、1903年(明治36年)12月1… 正木 千冬(まさき ちふゆ、1903年(明治36年)12月10日 - 1982年(昭和57年)4月6日)は、日本の経済学者、官僚、ジャーナリスト、政治家(鎌倉市長)。
石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月… 石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月13日 - 1995年〈平成7年〉1月23日)は、日本の官僚、政治家。山形県知事、法制局長官、民主党初代幹事長などを務めた。 石川県金沢市出身。東京府立四中、第一高等学校、東京帝国大学法律学科卒業。山形県知事、農林次官、枢密院書記官長などを歴任。幣原内閣において、法制局長官(専任)、国務大臣兼法制局長官を務めた。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に山形県全県区から出馬し初当選。日本進歩党政務調査会長、民主党初代幹事長に就任し、戦後の混乱期の収拾に尽力した。また、日本生活協同組合連合会会長理事、日本生活協同組合名誉顧問、日ソ協会会長などの要職も歴任した。
佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23… 佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23日 - 1948年〈昭和23年〉10月9日)は、日本の政治学者、ジャーナリスト、参議院議員。 1897年(明治30年)1月23日、衆議院議員佐々友房の三男として東京府東京市四谷区四谷箪笥町に生まれる。 東京府立第四中学校・第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科に入学。吉野作造や美濃部達吉の薫陶を受け法学者・政治学者として将来を嘱望される。東京帝大では新人会に参加した。1920年(大正9年)卒業。 卒業後は直ちに東京帝国大学法学部副手・助手を経て、外務省欧米局の嘱託となり英仏独に2年間留学。特にドイツにおいては、ハイパーインフレの惨状やヴァイマル共和国の行き詰まり、そしてナチス勃興を目の当たりにし、反ヒトラー派となって帰国した。
飯沼 一省(いいぬま かずみ、1892年(明治25年)2月1… 飯沼 一省(いいぬま かずみ、1892年(明治25年)2月15日 - 1982年(昭和57年)11月14日)は、日本の内務官僚、貴族院議員。戦前から戦後にかけ、日本の都市計画行政を牽引した人物の一人である。妻は南弘の娘・櫂子。 福島県会津若松市生まれ。父は白虎隊士飯沼貞吉の弟で会津松平家家令・飯沼関弥。東京小石川の旧黒田小学校(現在の文京五中の敷地)、府立四中、一高を経て、東京帝国大学法科大学を卒業後、内務省に入省。土木局属。神社局総務課長、都市計画課長、埼玉県知事、紀元二千六百年式典の事務局長を務めた後、静岡県知事、広島県知事、神奈川県知事、内務省神社局長、神祇院副総裁を歴任。 第二次世界大戦後の1946年3月12日に貴族院議員に勅選され、交友倶楽部に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任。
大木 操(おおき みさお、1891年10月19日 - 198… 大木 操(おおき みさお、1891年10月19日 - 1981年8月13日)は、日本の官僚、政治家。日中戦争期から太平洋戦争末期までの戦時期において衆議院書記官長を務めた。その退任後は、貴族院議員となり、また、東京都副知事を務めた。 東京に生まれ、東京府立第四中学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学独法科卒業。高等文官試験行政科に合格し、1918年4月5日、会計検査院に採用され、会計検査院書記に任ぜられる。1919年6月28日、副検査官に任ぜられ、海軍省担当として検査事務に当たる。検査先では、当時の財部彪佐世保鎮守府司令長官に水上飛行機に乗せられたり、鈴木貫太郎佐世保工廠長と盃を交わしながら「海軍魂」の説教を受けたりした。
吉田 茂(よしだ しげる、1885年〈明治18年〉9月2日 … 吉田 茂(よしだ しげる、1885年〈明治18年〉9月2日 - 1954年〈昭和29年〉12月9日)は、昭和時代の内務官僚、政治家。貴族院議員。 岡田内閣の内閣書記官長、米内内閣と小磯内閣で閣僚を務めた。「新官僚」。戦後、神社本庁設立に関わる。同時期に公職追放にあう。 同時代の外務官僚で、戦後に内閣総理大臣を務めた吉田茂は同姓同名の別人。(#同姓同名参照) 大分県臼杵町海添(現在の臼杵市)生まれ。大分県士族・吉田亀次郎の長男。父親の亀次郎が二十三銀行(大分銀行の前進)に勤めた関係で大分に移り、ついで日本銀行に勤務する事になり、東京に移り住み、旧制東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)、第一高等学校を経て、1911年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業。
東條 英機(とうじょう ひでき、1884年〈明治17年〉12… 東條 英機(とうじょう ひでき、1884年〈明治17年〉12月30日 - 1948年〈昭和23年〉12月23日)は、日本の40代内閣総理大臣、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。戦後、A級戦犯として死刑判決を受け処刑された。 陸軍次官(第25代)、陸軍航空総監(初代)、陸軍大臣(第29代)、参謀総長(第16代)、大政翼賛会総裁(第2代)、内務大臣(第57代)、外務大臣(第59代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第24代)、軍需大臣(初代)、関東軍参謀長(第10代)を歴任した。 父は岩手県(盛岡市)出身である東條英教(陸軍中将)、妻は東條かつ子。次男は東條輝雄(三菱自動車工業社長・会長)、三男は東條敏夫(空将補)。
佐竹 三吾(さたけ さんご、1880年(明治13年)3月5日… 佐竹 三吾(さたけ さんご、1880年(明治13年)3月5日 - 1976年(昭和51年)5月24日)は、明治末から昭和期の鉄道官僚、政治家、実業家。貴族院議員(勅選)、法制局長官。 岐阜県養老町出身。米穀商・佐竹柳三郎の三男として生まれ、佐竹鉄治郎の養子となる。岐阜中学、城北中学を経て第一高等学校に入学。1905年(明治38年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を優等で卒業し銀時計を授与された。卒業後農商務省嘱託となり、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。農商務属・商工局勤務、法制局参事官、満鉄理事を経て、1908年(明治41年)6月から1910年(明治43年)5月まで欧米に留学した。
小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 … 小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 – 1950年(昭和25年)5月25日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、衆議院議員、東京市助役。 高知県幡多郡、のちの宿毛村与市明(宿毛町を経て現宿毛市)出身。小野義為、キミの長男として生まれる。高知一中、東京府立四中を経て、1898年(明治31年)7月、第一高等学校政治科を首席で卒業。1903年(明治36年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を首席の優等で卒業し、銀時計を授与された。東大の同期には小川郷太郎や上杉慎吉、馬場鍈一ら。同年同月、大蔵属に任官し主計局兼参事官付となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に次席合格。この時の首席合格者は馬場鍈一だった。
井坂 信彦 は、日本の政治家、行政書士。
岸 衛 は、明治時代後期から昭和時代の政治家、実業家。熱海ホ… 岸 衛 は、明治時代後期から昭和時代の政治家、実業家。熱海ホテル経営者、衆議院議員(3期)。静岡県熱海市長(1947年4月6日-1948年7月12日)。岩代鉱業社長、日本貿易振興会副会長、拓務大臣秘書官、観光事業審議会、国立公園審議会各委員も手がけた。