スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
木村 達郎(きむら たつろう、1973年6月15日 - )は… 木村 達郎(きむら たつろう、1973年6月15日 - )は、日本の実業家。沖縄バスケットボール株式会社代表取締役社長兼ゼネラルマネージャー。東京都渋谷区出身。 中学でバスケットボールを始め、戸山高校から筑波大学で選手として活動。 卒業後、エマーソン大学に留学し修士課程を修了。 帰国後は、NHK情報ネットワークに入社し、スポーツ映像制作を担当。 2005年のbjリーグ発足を機に、プロバスケットボールチーム設立活動を主導。沖縄に単身で渡り、地元バスケットボール関係者から支援得て大塚泰造とともに「琉球ゴールデンキングス」を創設。2006年に代表取締役GM就任。初年度は地区最下位に加え経営危機にも見舞われたが、2年目にリーグ優勝、3年目に単年度黒字を達成し、bjリーグでは4度のリーグ優勝を記録した。
藤井 実彦(ふじい みつひこ、1972年 - )は、日本の実… 藤井 実彦(ふじい みつひこ、1972年 - )は、日本の実業家・マンガ原作者 福岡市生まれの新宿育ち。東京都立戸山高校を卒業後、青山学院大学文学部教育学科心理学専攻を卒業。大手飲食店に勤務後、飛び込み営業の会社、ソフトウェア企業に転職後、2003年、歯科技工業にて独立企業を行う。2006年に歯科技工業の事業を売却。2006年よりマーケティングコンサルタント業を開業。2011年より放射線測定器・ガス検知器のネット販売「防災QQドットコム」を立ち上げる。2012年より漫画広告アイコミックス、漫画出版ネクストドアー出版を経営。 株式会社エックスブレーンズ代表取締役。2013年8月15日に「漫画を使って、日本の正しい歴史を世界に発信する」論破プロジェクトを開始し代表を務める。
江川 昌史(えがわ あつし、1965年7月10日 - )は、… 江川 昌史(えがわ あつし、1965年7月10日 - )は、日本のコンサルタント、実業家。アクセンチュア日本法人代表取締役会長。 神奈川県出身。東京都立戸山高等学校を経て、1989年慶應義塾大学商学部卒業。同年アクセンチュア日本法人入社。 製造・流通業界を中心としつつ、通信、ハイテク、素材・エネルギー、金融業界や公共サービス領域など、多岐にわたるプロジェクトを指揮し、2000年にパートナー就任。 2008年10月に執行役員製造・流通本部統括本部長に就任。2014年12月に取締役副社長就任、2015年9月に代表取締役社長に就任。 デジタル変革支援をさらに推し進めるべく、デジタルマーケティング企業であるアイ・エム・ジェイの株式過半取得を主導したり、働き方改革や女性従業員比率の向上に尽力している。
池田 明(いけだ あきら、1961年(昭和36年)9月4日 … 池田 明(いけだ あきら、1961年(昭和36年)9月4日 - )は日本の実業家。三井不動産執行役員、三井ホーム代表取締役社長、三井不動産顧問等を経て日本郵政不動産代表取締役社長。住宅生産団体連合会副会長、日本ツーバイフォー建築協会会長等を歴任。建設事業関係功労者等国土交通大臣表彰受賞。 兵庫県出身。東京都立戸山高等学校を経て、1985年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、三井不動産に入社。 2009年4月に三井不動産投資顧問に出向し常務取締役、2015年4月に三井不動産執行役員、同年10月に三井不動産レジデンシャル常務執行役員、2016年4月に同社取締役に就任、シニアレジデンス事業の立ち上げに尽力した。
中山 勇 (なかやま いさむ、1957年10月12日 - )… 中山 勇 (なかやま いさむ、1957年10月12日 - )は、日本の実業家。元カネ美食品代表取締役会長。東京都出身。 東京都立戸山高等学校を経て、1981年東京大学農学部を卒業。伊藤忠商事に入社後、油脂第一課長、油脂部長、食料部門長代行、飼料・穀物部長、広報部長、執行役員、常務執行役員食糧部門長。2013年、ファミリーマート社長。2016年9月、 ユニー・ファミリーマートホールディングス代表取締役副社長、同月ファミリーマート代表取締役会長、2017年ユニー取締役。2018年、ファミリーマート取締役会長、2019年5月、カネ美食品代表取締役会長。2020年5月、退任。6月、モスフードサービス社外取締役。
西川 廣人(さいかわ ひろと、1953年〈昭和28年〉11月… 西川 廣人(さいかわ ひろと、1953年〈昭和28年〉11月14日 - )は、日本の実業家。日産自動車株式会社で代表執行役社長と最高経営責任者(CEO)を兼任した。 東京都立戸山高等学校を経て、東京大学経済学部を卒業。 1977年、日産自動車に入社。1999年以降、米国や欧州地域のマネジメント・コミッティ議長や、購買部門を統括する副社長、CCO(チーフ・コンペティティブ・オフィサー)、副会長を歴任。2016年11月より、代表取締役会長兼社長兼CEOのカルロス・ゴーンが三菱自動車工業の会長を兼務することに伴い、日産自動車の共同CEO兼副会長に就任。 2017年、日産自動車の代表取締役社長兼CEOに就任。
山村 雅之(やまむら まさゆき、1953年3月30日 - )… 山村 雅之(やまむら まさゆき、1953年3月30日 - )は、日本の実業家。NTT東日本代表取締役社長を経て、電気通信協会会長。 東京都出身。1971年東京都立戸山高等学校卒業。1976年東京工業大学工学部電子物理工学科卒業。1978年同大学院理工学研究科電気工学専攻修士課程修了。学生時代はラグビー部キャプテンを務めた。 大学院修了後、日本電信電話公社入社。中期経営戦略推進室担当部長を経て、2005年東日本電信電話取締役東京支店長。2008年東日本電信電話常務取締役東京支店長。2009年東日本電信電話常務取締役ネットワーク事業推進本部長。 2012年から東日本電信電話代表取締役社長を務め、卸販売などで生産性向上を進め3年連続の最高益更新を実現するなどした。
石原 進(いしはら すすむ、1945年(昭和20年)4月30… 石原 進(いしはら すすむ、1945年(昭和20年)4月30日 - )は、日本の経営者。九州旅客鉄道元相談役。元NHK経営委員長。北九州市立大学理事長。 東京都世田谷区蛇崩川横にあった庭付き木造都営住宅で育つ。父は東京府青山師範学校(のちの東京第一師範学校)出身の公立小学校教諭。父、母、姉、妹、従姉妹の6人で同居していた。妻は国鉄職員の姪で岩手県水沢市出身。世田谷区立駒繋小学校、世田谷区立駒留中学校を経て東京都立戸山高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業する。 中学では生物クラブ部長を務めた。高校卒業後、1年間の駿台予備学校での浪人を経て東京大学教養学部に入学。東大ではワンダーフォーゲル部に所属。
田邉 充夫(たなべ みちお、1945年2月3日 - )は、日… 田邉 充夫(たなべ みちお、1945年2月3日 - )は、日本の実業家。ファミリーマート代表取締役社長や、同社代表取締役会長兼最高経営責任者を務めた。 東京都出身。東京都立戸山高等学校を経て、1967年国際基督教大学教養学部卒業、伊藤忠商事入社。1996年取締役食品部門長。1998年常務取締役。1999年からファミリーマート代表取締役社長 を務め、500店舗の一斉閉店などのリストラ策を進めるなどした。2002年同社代表取締役会長兼CEO。2013年会長兼CEOを退任。
三枝 匡(さえぐさ ただし、1944年9月22日 - )は、… 三枝 匡(さえぐさ ただし、1944年9月22日 - )は、日本の実業家、事業再生専門家。ミスミグループ本社名誉会長・第2期創業者。一橋大学大学院経営管理研究科客員教授、内閣府参与等も務めた。 東京都出身。東京都立戸山高等学校を経て、1967年一橋大学経済学部を卒業し、三井石油化学工業(現三井化学)に入社。その後、ボストン・コンサルティング・グループの国内採用第1号のコンサルタントを務めた。東京、ボストンでの勤務後、1975年スタンフォード大学経営大学院修了、経営学修士(MBA)を取得。 米国バクスター社と住友化学の合弁会社の社長、ベンチャーキャピタル会社社長などを経て、不振企業の再建支援を行う「事業再生専門家」として独立し、1986年株式会社三枝匡事務所設立、代表取締役就任。
髙木 茂(たかぎ しげる、1939年4月1日 - )は、日本… 髙木 茂(たかぎ しげる、1939年4月1日 - )は、日本の実業家。三菱地所相談役、元代表取締役社長。慶應義塾大学評議員。 群馬県高崎市出身。東京都立戸山高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部卒業後、三菱地所株式会社入社。取締役副社長兼ビル事業本部長、代表取締役社長、取締役相談役などを歴任した。 慶應義塾大学評議員、一般社団法人全日本駐車協会会長、一般社団法人日本ビルヂング協会連合会会長、千代田区観光協会会長、東京商工会議所監事等も務めている。 2005年3月29日、大阪市北区の複合施設「大阪アメニティパーク」内のマンションを、土壌汚染の事実を告げずに販売したとして、大阪府警察は三菱地所の高木、三菱マテリアル西川章会長ら両社の当時の幹部10人と、法人としての両社を宅地建物取引業法違反容疑で書類送検した。
青木 利晴(あおき としはる、1939年3月21日 - )は… 青木 利晴(あおき としはる、1939年3月21日 - )は、日本の実業家。元NTTデータ社長。 東京都出身。1957年東京都立戸山高等学校卒業。1962年東京大学工学部電気工学科卒業。1967年東京大学大学院工学系研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士。同年4月日本電信電話公社入社。77年ニューヨーク海外駐在事務所専門調査役、92年取締役通信網総合研究所長、96年常務取締役研究開発本部長、97年代表取締役副社長兼研究開発本部長を経て、1999年より2003年までNTTデータ代表取締役社長を務めた。
岡村 正(おかむら ただし、1938年7月26日 - )は、… 岡村 正(おかむら ただし、1938年7月26日 - )は、日本の経営者・財界人。東芝名誉顧問、日本商工会議所名誉会頭、NPO法人日本防災士機構評議員などを務めている。父は元陸軍大佐で孫子研究家の岡村誠之。兄は元警視庁副総監の岡村健。 東京都立戸山高等学校から東京大学に進学。大学ではラグビー部、斎藤眞ゼミにそれぞれ所属した。1962年に東京大学法学部を卒業し、東京芝浦電気(現:東芝)に入社。1973年にウィスコンシン大学経営学修士課程を修了。1994年に取締役(情報処理・制御システム事業本部長)、1996年に常務取締役となった。 2000年6月に東芝社長に就任し、肥大化して脆弱になった東芝グループの事業再編を進め、経営体質の強化を進めた。
井上 秀一(いのうえ ひでかず、1938年1月1日 - 20… 井上 秀一(いのうえ ひでかず、1938年1月1日 - 2021年12月27日)は、日本の実業家。 東京都出身。東京都立戸山高等学校を経て、1961年に東京大学法学部を卒業し、日本電信電話公社に入社。日本電信電話でグループ事業推進本部副本部長や東海支社長などを歴任し、1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1996年6月に副社長を経て、1999年7月に統合再編により発足した東日本電信電話の社長を2002年6月までに務めた。 2003年4月に日本郵政公社非常勤監事に就任し、2007年10月に郵便局社外取締役に就任した。 2015年旭日重光章受章。 2021年12月27日、急性骨髄性白血病のために死去。
宮津 純一郎(みやづ じゅんいちろう、1936年1月2日 -… 宮津 純一郎(みやづ じゅんいちろう、1936年1月2日 - )は、日本の実業家。第4代日本電信電話(NTT)代表取締役社長。
井手 正敬(いで まさたか、1935年(昭和10年)4月3日… 井手 正敬(いで まさたか、1935年(昭和10年)4月3日 - )は、日本の実業家。西日本旅客鉄道(JR西日本)社長・会長を歴任。 内閣法制局第一部長や文部次官を務めた井手成三は父。兵庫県芦屋市在住[要出典]。 福井県小浜市生まれ。学習院初等科、学習院中等科を経て、1954年に東京都立戸山高等学校卒業。東京大学経済学部卒業後、日本国有鉄道(国鉄)入社。葛西敬之、松田昌士とともに「国鉄改革3人組」と称され、国鉄の分割民営化に尽力した。 1992年(平成4年)にJR西日本社長就任。ワンマン経営者として知られ、社長・会長を11年務め、JR西日本は「井手商会(商店)」と呼ばれるほどであった。また、そのワンマン振りから社内では「(井手)天皇」というあだ名でも恐れられていた。
一木 豊(いちき ゆたか、1934年1月14日 - 2008… 一木 豊(いちき ゆたか、1934年1月14日 - 2008年12月23日)は、日本の実業家。テレビ東京の社長・会長を務めた。東京都出身。 東京都立戸山高等学校を経て、1957年に早稲田大学政治経済学部卒業。同年に日本経済新聞社に入社。 ワシントン支局長、政治部長、電波本部長を経て、1986年3月に取締役に就任。1989年6月に常務、1992年3月に専務を経て、1996年6月にテレビ東京社長に就任。デジタル衛星放送事業への参入に力を入れ、ポケモンショックが起きた際には、事態の説明と自社独自のガイドラインの策定を行い、事態の収拾を図った。2001年6月に会長に就任。日本民間放送連盟副会長も務めた。
大崎 磐夫(おおさき いわお、1929年8月 - 2025年… 大崎 磐夫(おおさき いわお、1929年8月 - 2025年1月19日)は日本の実業家。元ホテルオークラ社長。 東京四番町で生まれ育つ。父は常磐炭鉱会長を務めた大崎新吉。 旧制東京都立第四中学校(のちの東京都立戸山高等学校)を経て、1953年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。常磐炭鉱入社。秋山富一(元住友商事社長)は大学予科の同級生。 1960年ホテルオークラ開業にともない、大成観光入社、1973年取締役、1981年常務業務管理室長施設担当、1989年専務、1992年副社長。新規プロジェクトを多く手掛け、切れ者と評された。 1995年、佐藤晃一の後任として、ホテルオークラ社長に就任。初の生え抜き社長となった。
水上 健也(みずかみ けんや、1926年2月28日 - 20… 水上 健也(みずかみ けんや、1926年2月28日 - 2009年6月20日)は、日本の新聞記者、実業家。
歌田 勝弘(うただ かつひろ、1925年8月26日 - )は… 歌田 勝弘(うただ かつひろ、1925年8月26日 - )は、日本の実業家。元味の素社長。 広島県生まれ。府立四中四年修了後、旧制東京高校を経て1947年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。在学中の1944年から1年間、陸軍の特別甲種幹部候補生として入隊するが、最終の訓練中終戦となり復学。大学卒業後、味の素入社。大阪支店長他を経て1971年、同社取締役。1973年常務取締役、専務、副社長を経て1981年、渡辺文蔵の後任として味の素第7代代表取締役社長に就任。1989年名誉会長、1991年相談役(現特別顧問)となった。 実父の歌田千勝は内務官僚で、近衛内閣の祝典事務局長として紀元2600年祝賀式典に尽力した。
山崎 富治(やまざき とみじ、1925年5月30日 - 20… 山崎 富治(やまざき とみじ、1925年5月30日 - 2014年4月16日)は日本の実業家。山種証券(現SMBCフレンド証券)社長、会長、日本青年会議所会頭、山種美術館館長を歴任。「報告」「連絡」「相談」を重視する「ほうれんそう(報・連・相)経営」を提唱したことでも知られる。
遠山 景久(とおやま かげひさ、1918年〈大正7年〉10月… 遠山 景久(とおやま かげひさ、1918年〈大正7年〉10月28日 - 1999年〈平成11年〉7月13日)は、日本の実業家。アール・エフ・ラジオ日本(以下「RF」)の社長、会長を務めた。妻は遠山佐和子で、一時期は遠山夫妻でRFの半分以上の株式を持っていた。佐和子との間には子供がいるが、詳細は明らかにされていない。 東京府東京市神田区神田(現:東京都千代田区神田)出身。「遠山の金さん」こと江戸化政の町奉行・遠山景元の末裔にあたる。 幼少の頃、「京浜実業新聞」を運営し借財を抱えていた父と死別し、日本統治時代の台湾で判事を務めていた長兄・遠山景一の下で台北で育つ。一家の帰国で、台北一中から府立四中に転校。
高木 養根(たかぎ やすもと、1912年7月7日 - 199… 高木 養根(たかぎ やすもと、1912年7月7日 - 1999年1月9日)は、日本の実業家。元日本航空社長。広島県福山市生まれ、岐阜県高山市育ち。 府立四中、一高を経て、1933年京都帝国大学文学部に入学。同年の文部省による滝川幸辰法学部教授の処分(滝川事件)に反対、古谷綱正・花田清輝(のちの文芸評論家)らとともに大学自治を擁護する文学部の運動の中心として活動したが、学内で配ったビラの文面が治安維持法違反に問われ2ヵ月で大学中退を余儀なくされた。1年間の拘置生活の後1935年、東京帝国大学法学部に再入学した。 1940年に大学を卒業し大日本航空に入社したが終戦により解散。1951年、航空活動の再開を見越して設立された日本航空に入社した。
石原 俊(いしはら たかし、1912年 <明治45年> 3月… 石原 俊(いしはら たかし、1912年 <明治45年> 3月3日 - 2003年 <平成15年> 12月31日)は、日本の実業家である。日産自動車社長、日本自動車工業会会長、経済同友会代表幹事として、日本の自動車産業や財界活動に大きな影響を与えた。位階は正三位。 東京の府立四中を経て、旧制浦和高校入学。浦和高時代に学生ストライキを煽ったとして停学処分を受け、2年遅れで東北帝国大学法文学部法科入学。1937年(昭和12年)に東北帝大法科卒業後、日産自動車に入社。経理・財務関係に勤め、その後専務や副社長として長く川又克二社長を支えた。 1954年(昭和29年)、42歳の時に取締役に就任し、将来の「日産の社長候補」と目された。
上村 健太郎(うえむら けんたろう、1908年(明治41年)… 上村 健太郎(うえむら けんたろう、1908年(明治41年)7月18日 - 1981年(昭和56年)8月4日)は、兵庫県出身の内務官僚、航空自衛官、実業家である。初代航空幕僚長。位階は従三位。 1908年(明治41年)7月18日、兵庫県で陸軍中将・上村良助の長男として生まれる。東京府立四中、旧制一高卒業。府立四中、一高同期に河野一之、佐々木直がいる。1930年(昭和5年)、東京帝国大学法学部政治学科卒業し、内務省に入省。秋田県属。1944年(昭和19年)8月、警視庁官房主事。1945年(昭和20年)4月、警視庁特別高等警察部長に就任。 1952年(昭和27年)9月、保安庁長官官房長。1954年(昭和29年)7月、初代航空幕僚長に就任。
河野 一之(こうの かずゆき、1907年〈明治40年〉8月2… 河野 一之(こうの かずゆき、1907年〈明治40年〉8月2日 - 2006年〈平成18年〉6月20日)は、日本の大蔵官僚、実業家。元大蔵事務次官。元太陽銀行頭取、太陽神戸銀行会長、三井住友銀行名誉顧問。 広島県豊田郡忠海町(現・竹原市)生まれ。陸軍軍人だった父親が退官し東京で事業を始めたため、9歳から東京で育つ。東京府立四中を卒業。当時入試科目に英語のあった東高師附属には落ちてしまった。その後、第一高等学校を経て、1930年3月、東京帝国大学法学部法律学科卒業。1929年、高等文官試験行政科・司法科合格。1930年、大蔵省入省(大臣官房文書課)。1940年、主計局法規課長、1941年、決算課長、1943年、山住克己陸軍司政長官の下、陸軍司政官・南方軍軍政総監部付けとなり昭南(シンガポール)に1年余勤務。
松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 … 松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 - 1988年(昭和63年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、旧軍需省官僚、実業家である。第4代航空幕僚長。
日高 輝(ひだか てる、1905年(明治38年)2月22日 … 日高 輝(ひだか てる、1905年(明治38年)2月22日 - 1987年(昭和62年)9月25日)は昭和期の日本の経営者。日本興業銀行常務、日産化学工業社長、山一證券社長・会長、国際電信電話会長を務めた。義父は元住友総理事・大蔵大臣の小倉正恒。
岡松 成太郎(おかまつ せいたろう、1901年 <明治34年… 岡松 成太郎(おかまつ せいたろう、1901年 <明治34年> 9月29日 - 1991年 <平成3年> 7月18日)は、日本の官僚、経営者。商工次官、北海道電力社長を歴任。位階は従三位。勲二等旭日重光章。 東京府出身。父は京大法科教授・岡松参太郎。東京府立第四中学校、第一高等学校を経て、1925年に東京帝国大学法学部卒業。1928年、商工省入省。特許局属。1940年、総力戦研究所員、以後、東北地方鉱山局長、軍需省管理局長、商工省商務局長、燃料局長などを経て、石炭庁次長兼総務局長に。1947年に商工次官に就任。 退任後は、日本商工会議所専務理事、北海道電力社長を3期6年務め、江別火力発電所や送電・変電の整備に尽くした。
野村 与曽市(のむら よそいち、1889年(明治22年)10… 野村 与曽市(のむら よそいち、1889年(明治22年)10月15日 - 1975年(昭和50年)1月12日)は、日本の実業家。電気化学工業社長や日本カーバイド工業会会長、電気化学協会会長等を歴任し、カーバイド石灰窒素工業の発展に尽力した。 滋賀県愛知郡東押立村大字大沢生まれ。東押立尋常高等小学校を経て、1909年東京府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)卒業。1913年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業、北海カーバイド工場入社。1915年電気化学工業青海工場長。1936年電気化学工業常務取締役。1946年電気化学工業専務取締役・特別管理人。1949年電気化学工業代表取締役副社長。1951年電気化学工業代表取締役社長。
鹿村 美久(しかむら よしひさ、1884年(明治17年)5月… 鹿村 美久(しかむら よしひさ、1884年(明治17年)5月11日 - 1939年(昭和14年)1月21日)は、日本の実業家。第2代富士瓦斯紡績社長。在任中死去した。 現在の愛媛県宇和島市に生まれる。1901年に東京府城北中学校(現・都立戸山高校)を卒業。1905年に東京高等商業学校(現・一橋大学)本科を首席総代で卒業し、岩崎久弥の知遇を得て三菱の海外研究生として、3年間欧米に遊学した。帰国後、三菱合資銀行部に入行した。豊川良平初代銀行部長の娘婿となった。 1909年に富士瓦斯紡績に入社。同社小山工場庶務主任、営業部次長を経て、1913年に川崎工場が設立されると、工場長に就任する。営業部長(1919年)。
川田 順(かわだ じゅん、1882年〈明治15年〉1月15日… 川田 順(かわだ じゅん、1882年〈明治15年〉1月15日 - 1966年〈昭和41年〉1月22日)は、日本の歌人、実業家。住友総本社常務理事。 備中松山藩士(現:岡山県高梁市出身)の漢学者・貴族院議員の川田甕江の三男。京大教養部教授(英語)の川田周雄は養子。女優・歌手の佐良直美は従曾孫。 東京市浅草区三味線堀生まれ。府立四中、一高を経て、1907年東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝国大学では当初文科(文学部)に所属し小泉八雲の薫陶を受けた。小泉八雲の退任を受け「ヘルン先生のいない文科に学ぶことはない」と法科(法学部)に転科したという。なお八雲の後任教授は夏目漱石であり、後年この逸話の真偽を尋ねられて認めたうえで、「夏目なんて、あんなもん問題になりゃしない」と述べた。
佐竹 三吾(さたけ さんご、1880年(明治13年)3月5日… 佐竹 三吾(さたけ さんご、1880年(明治13年)3月5日 - 1976年(昭和51年)5月24日)は、明治末から昭和期の鉄道官僚、政治家、実業家。貴族院議員(勅選)、法制局長官。 岐阜県養老町出身。米穀商・佐竹柳三郎の三男として生まれ、佐竹鉄治郎の養子となる。岐阜中学、城北中学を経て第一高等学校に入学。1905年(明治38年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を優等で卒業し銀時計を授与された。卒業後農商務省嘱託となり、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。農商務属・商工局勤務、法制局参事官、満鉄理事を経て、1908年(明治41年)6月から1910年(明治43年)5月まで欧米に留学した。
小高 民雄 は、日本の経営者。東京書籍社長を務めた。
加藤 重一 は、日本の経営者。日本ゼオン社長、会長を務めた。… 加藤 重一 は、日本の経営者。日本ゼオン社長、会長を務めた。位階は正五位。
戸田 壽一 は、日本の実業家。カナダのブリティシュコロンビア… 戸田 壽一 は、日本の実業家。カナダのブリティシュコロンビア州出身。
椎野 公雄 は、日本の経営者。三井倉庫社長、会長を務めた。
宮崎 一雄 は、日本の実業家。第3代日本長期信用銀行頭取や同… 宮崎 一雄 は、日本の実業家。第3代日本長期信用銀行頭取や同行会長を務めた。勲一等瑞宝章受章。
近藤 薫明(こんどう しげあき)は、日本の教育者、学校経営者… 近藤 薫明(こんどう しげあき)は、日本の教育者、学校経営者である。旧制東京府立第四中学校(現:東京都立戸山高等学校)教諭、城北中学校・高等学校学校長・理事長、及び城北埼玉中学・高等学校を創立するなど中等教育機関の教育と経営・創立に携わった。 國學院大學卒業。旧制東京府立四中(現:都立戸山高校)歴史科教諭から転じて、深井鑑一郎が1941年(昭和16年)に創設(再興)した旧制城北中学校(現:城北中学校・高等学校)で教鞭をとり、1943年(昭和18年)に同校第2代学校長となる。深井鑑一郎の教育理念に感銘を受け、のちに埼玉県川越に城北埼玉中学・高等学校を設立し、初代理事長を務めた。 1976年(昭和51年)に國學院大學院友会第8代会長。