スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
生駒 雷遊(いこま らいゆう、1895年〈明治28年〉4月1… 生駒 雷遊(いこま らいゆう、1895年〈明治28年〉4月1日 - 1964年〈昭和39年〉12月2日)は、活動弁士、俳優である。本名は生駒 悦(読み不明)。東京浅草を中心に高い人気を得た。 1895年(明治28年)4月1日、岡山県 真島郡落合村大字垂水(現在の同県真庭市落合垂水)で運送業を営む、若狭屋生駒宗平の長男・悦として生まれる。 1912年(明治45年)、旧制・岡山県立商業学校(現在の岡山県立岡山東商業高等学校)を卒業、役場につとめるが、退職して上京し、早稲田大学に入学した。やがて中退、伊井蓉峰門下から日活(1912年設立)の「活動写真弁士養成所」で弁士の技術を学んだ。 1916年(大正5年)、満21歳のころ、浅草の帝国館で公開されたユニバーサル映画の一連のブルーバード映画作品が大ヒットし、生駒の解説の功とされた。
岡本 文弥(おかもと ぶんや、本名:井上 猛一、1895年〈… 岡本 文弥(おかもと ぶんや、本名:井上 猛一、1895年〈明治28年〉1月1日 - 1996年〈平成8年〉10月6日)は、日本の新内節の太夫、新内節岡本派五代目家元、新内節研究家、随筆家、俳人。 東京・谷中上三崎南町に生まれる。父・田崎源次郎は煉瓦職人、母・とらは新内語りの鶴賀若吉(のちに三世・岡本宮染)。幼少時より母親から浄瑠璃を習い、1913年(大正2年)、富士松加賀路太夫を名乗る。早稲田大学中退後、文芸誌の編集者をしながら、夜は新内を流す日々を過ごす。1923年(大正12年)母と共に独立して岡本派を再興、岡本宮太夫を名乗り、後に岡本文弥と改名。母の幼女で妹でもある三味線の名手、四世・岡本宮染とコンビを組み、母から多くの貴重な古曲を継承すると共に、生来の文才を生かして次々と新作を発表。
小島 政二郎(こじま まさじろう、1894年(明治27年)1… 小島 政二郎(こじま まさじろう、1894年(明治27年)1月31日 - 1994年(平成6年)3月24日)は、日本の小説家、随筆家、俳人。俳号は燕子楼。 東京府東京市下谷区に生まれ育った。生家は呉服商「柳河屋」。 京華中学を経て、慶應義塾大学部文学科在学中に、『三田文学』主幹で西洋美術史家の澤木四方吉から教えを受け、『三田文学』で作品を発表し始める。1916年に先輩作家の文章について批評した『オオソグラフィ』は森鴎外から認められるなど、学生時代から慶應義塾関係者内において、その名は知れ渡る。卒業後は鈴木三重吉が主宰していた児童雑誌『赤い鳥』の編纂に携わる。1919年に慶應義塾大学部文学科講師となり、最終的には文学部教授へ昇格し、1931年まで勤め、また1920年には『三田文学』編集委員となった。
岩松 三郎(いわまつ さぶろう、1893年〈明治26年〉12… 岩松 三郎(いわまつ さぶろう、1893年〈明治26年〉12月31日 - 1978年〈昭和53年〉12月1日)は、日本の最高裁判所判事、弁護士。東京府出身。検事総長の佐藤藤佐は義弟。 任官当初は検事であったが、前科19犯のスリを取り調べたときに机上に置いた懐中時計を盗まれた事件がきっかけで、上席検事に検事不適格とされ、裁判官に転身。 1947年に最高裁判事となり、1956年に定年を待たずに依願退官。民事訴訟法の権威であり、論文集である『民事裁判の研究』は今なお多くの学術論文に引用される。1957年に、同じく民事訴訟法の権威であり、定年前に退官した兼子一と共に兼子・岩松法律事務所を設立。
柳田 誠二郎(やなぎた せいじろう、1893年〈明治26年〉… 柳田 誠二郎(やなぎた せいじろう、1893年〈明治26年〉9月2日 - 1993年〈平成5年〉11月18日)は、日本の実業家。日本航空初代社長を務めた。 栃木県足利町(現足利市)に生糸商・柳田武一郎、さとの次男として生まれる。 高等科2年を終えた、数え年で13歳のとき、上京して諸井時三郎の養子となった。諸井時三郎の妻くらは母さとの妹である。 京華中学校、第一高等学校を経て1917年(大正6年)4月に東京帝国大学を卒業するとともに、日本銀行へ入行する。 1942年(昭和17年)5月に日銀理事となり、1945年(昭和20年)10月に日銀副総裁に就任。しかし、国の外資事業の責任者であったことから、1946年(昭和21年)6月に公職追放を受け、日銀を去る。
木村 荘八(きむら しょうはち、1893年〈明治26年〉8月… 木村 荘八(きむら しょうはち、1893年〈明治26年〉8月21日 - 1958年〈昭和33年〉11月18日)は、日本の洋画家、随筆家、版画家。 牛鍋チェーン店のいろは牛肉店を創立経営した木村荘平の妾腹の八男として、東京市日本橋区吉川町両国広小路(現在の東京都中央区東日本橋)のいろは第8支店に生まれる。父の死後、浅草のいろは第10支店と京橋のいろは第3支店に移り、帳場を担当しながら兄・荘太の影響により文学や洋書に興味を持ち、小説の執筆などをして過ごす。著書『東京の風俗』所収の自伝的文章「私のこと」によると、旧制京華中学校4年生の頃から学校へはほとんど行かず、芝居見物と放蕩に熱中したという。1910年に同校を卒業した。
横井 忠道(よこい ただみち、1893年(明治26年)4月1… 横井 忠道(よこい ただみち、1893年(明治26年)4月19日 - 1961年(昭和36年)11月18日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 1893年(明治26年)に東京府で生まれた。陸軍士官学校第25期卒業。1938年(昭和13年)4月にハイラル特務機関長に就任し、1939年(昭和14年)3月9日に陸軍歩兵大佐に進級。11月27日に留守第11師団司令部附となり、1940年(昭和15年)6月に近衛歩兵第3連隊補充隊長に就任した。1942年(昭和17年)4月に歩兵第109連隊長(第13軍・第116師団・歩兵第20旅団)に就任し、日中戦争に出動。安慶に駐屯して同地の守備に就いた。その後留守近衛第2師団司令部附を経て、1943年(昭和18年)6月28日に高知連隊区司令官に就任した。
丸尾 彰三郎(まるお しょうざぶろう、1892年(明治25年… 丸尾 彰三郎(まるお しょうざぶろう、1892年(明治25年)9月4日 - 1980年(昭和55年)7月24日)は、昭和期の日本の美術史家 、美術評論家 。専門は日本彫刻史。 1892年(明治25年)9月4日、岡山県に生まれる。1919年(大正8年)に東京帝国大学文科大学美学美術史科を卒業。1921年(大正10) 文部省図書館員教習所講師、翌年1922年(大正11)文部省古社寺保存計画調査嘱託、1930年(昭和5年)帝国美術院附属美術研究所事務嘱託、その間に東京女子高等師範学校、東京女子大学、慶応義塾大学の講師をつとめ、1932年(昭和7年)から1946年(昭和21年)まで文部省国宝鑑査官を務めた。
那須 弓雄(なす ゆみお、1892年6月27日 - 1942… 那須 弓雄(なす ゆみお、1892年6月27日 - 1942年10月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 本籍栃木県。旧黒羽藩士・官吏、那須均の長男として東京で生まれる。京華中学校、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1913年5月、陸軍士官学校(25期)を卒業、同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第59連隊付となる。1923年11月、陸軍大学校(35期)を卒業。 参謀本部付勤務、台湾軍幕僚付、歩兵第19連隊大隊長、上海派遣軍司令部付、鎮海湾要塞参謀、歩兵第78連隊付、関東軍司令部付(満州国軍顧問・第3軍管区付)、歩兵第59連隊長などを歴任。1940年3月、陸軍少将に進級。 歩兵第3旅団長を経て、第2歩兵団長としてジャワ島攻略作戦に参加。
平沼 弥太郎(彌太郎、ひらぬま やたろう、1892年(明治2… 平沼 弥太郎(彌太郎、ひらぬま やたろう、1892年(明治25年)6月12日 - 1985年(昭和60年)8月12日)は、日本の林業家、実業家、政治家。参議院議員(1期)、埼玉県入間郡名栗村長。 埼玉県秩父郡名栗村(のち入間郡名栗村、現:飯能市)で、山林地主・平沼源一郎の長男として生まれる。1912年、京華中学学校を卒業し、その後、山林業を継承した。 合資会社平沼材木店代表社員、埼玉県木材社長(戦時統制会社)、埼玉県山林会副会長、全国山林会連合会常任幹事、埼玉県森林組合連合会会長、中央林業協会理事などを務めた。 その他、実業界では、飯能銀行会長、埼玉銀行頭取、全国銀行協会理事、名栗水電社長、経済団体連合会理事などを務めた。
星野 直樹(ほしの なおき、1892年〈明治25年〉4月10… 星野 直樹(ほしの なおき、1892年〈明治25年〉4月10日 - 1978年〈昭和53年〉5月29日)は、日本の大蔵官僚、政治家、実業家。 満洲国では国務院総務長官として腕を振るい、満洲国の実力者「弐キ参スケ」の一角を占める。第2次近衛内閣の企画院総裁、東條内閣では内閣書記官長を務め、終戦後にA級戦犯として起訴された。終身禁固刑を受けるも釈放され、その後は旭海運社長、ダイヤモンド社会長などを歴任した。 1892年(明治25年)4月10日に横浜市で生まれた。当時の高等科二年時(現在の小学校6年)、府立一中(現在の日比谷高校)へ願書を持って行ったところ、その年、中学校に入れるのは1892年4月2日以前の生まれの者に限られるとして、断られた。
大鷹 正次郎(おおたか しょうじろう、1892年〈明治25年… 大鷹 正次郎(おおたか しょうじろう、1892年〈明治25年〉2月15日 - 1966年〈昭和41年〉11月4日)は、日本の外交官。駐ラトビア公使。 岩手県和賀郡黒沢尻町(現・北上市)出身。盛岡中学、旧制第七高等学校造士館を経て、1917年(大正6年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、翌年に高等試験外交科に合格した。外交官補としてベルギーに、ついで領事官補としてハルビン、天津に勤務した。さらにドイツ大使館三等書記官、オーストリア公使館三等書記官、オランダ公使館二等書記官、ベルギー公使館一等書記官、満州国大使館一等書記官、青島総領事を歴任。1938年(昭和13年)、駐ラトビア公使に任命され、駐リトアニア公使・駐エストニア公使も兼ねた。
清水 良雄(しみず よしお、1891年(明治24年)8月4日… 清水 良雄(しみず よしお、1891年(明治24年)8月4日 - 1954年(昭和29年)1月29日)は、洋画家、童画家。 東京都文京区本郷に生まれた。旧制京華中学校(現・京華高等学校)卒業、同級生で友人に日本美術研究家の丸尾彰三郎がいた。東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科卒業。黒田清輝、藤島武二に師事する。在学中に文部省美術展覧会(現在の日展)に入選。 大正の初め頃から挿絵を描く。鈴木三重吉が1918年(大正7年)7月に創刊した童話雑誌『赤い鳥』の挿絵を創刊号から描いた。特に表紙の絵は全196冊のうち163冊を描き、同誌のイメージを視覚的に広めるという大きな役割を果たした。 この他、児童雑誌『コドモノクニ』でも多くの作品を見ることができる。
木村 荘太(きむら そうた 1889年2月3日 - 1950… 木村 荘太(きむら そうた 1889年2月3日 - 1950年4月15日)は、東京府出身の作家、翻訳家。本名の読みは「しょうた」。別名に久木今作、木村艸太(そうた)。木村荘平の子。女性関係と奇人ぶりで知られた。 東京市日本橋区吉川町両国広小路(現在の東京都中央区東日本橋)に、木村荘平の妾腹の子として生まれる。 父は牛鍋屋チェーン店"いろは"を20数箇所に展開して"いろは大王"と呼ばれると共に、葬儀会社"博善社"の社長も兼ねた実業家で、正妻の他に多数の愛人を持ち、諸方に儲けた子の数が男13人に女17人。荘太の異母姉栄子が木村曙の筆名で作家として知られた他、同母弟に木村荘八(挿絵画家)、異母弟に木村荘十(直木賞作家)と木村荘十二(映画監督)がいる。
稲垣 平太郎(いながき へいたろう、1888年7月4日 – … 稲垣 平太郎(いながき へいたろう、1888年7月4日 – 1976年4月23日)は、日本の実業家・政治家。前参議院議員。
安江 仙弘(やすえ のりひろ、1888年〈明治21年〉1月1… 安江 仙弘(やすえ のりひろ、1888年〈明治21年〉1月12日 - 1950年〈昭和25年〉8月14日)は、日本陸軍の軍人。陸士21期。最終階級は陸軍大佐。帝国陸軍におけるユダヤ問題の専門家として知られる。 旧松本藩士・台湾総督府官吏、安江仙政の長男として現在の秋田県秋田市中通4丁目で生まれた。安江が生まれた家は、平田篤胤の生家であった。 京華中学校、陸軍中央幼年学校予科(のちの東京陸軍幼年学校)、陸軍中央幼年学校を経て、1909年5月、陸軍士官学校(21期、同期には石原莞爾(陸軍中将)、樋口季一郎(陸軍中将)がいる)を卒業し、陸軍歩兵将校となった。 1918年、シベリア出兵に出征し、シベリアでグリゴリー・セミョーノフなど白衛軍の将校と接しているうちに、『シオン賢者の議定書』という反ユダヤ主義の古典の存在を知り、日本に帰国後同書を翻訳。
石川 一郎(いしかわ いちろう、1885年(明治18年)11… 石川 一郎(いしかわ いちろう、1885年(明治18年)11月5日 - 1970年(昭和45年)1月20日)は、日本の財界人、経営者。位階は正三位。 東京帝国大学助教授、日産化学工業社長を経て、旧経済団体連合会(現日本経済団体連合会)初代会長(在任1948年(昭和23年)~1956年(昭和31年))。日産化学工業元社長、元会長。昭和電工元社長、元会長。 1885年(明治18年)11月5日、東京に生まれる。関東酸曹常務・卯一郎の長男。父・卯一郎は大坂の出身で、石川家は江戸時代、「宇田屋」という屋号の商家であった。父は関東酸曹というカセイソーダ製造の化学会社を経営した。 旧制京華中学を出て、1903年(明治36年)旧制第一高等学校工科(二部)に入学。
三好 英之(みよし ひでゆき、旧名栄次郎、明治18年(188… 三好 英之(みよし ひでゆき、旧名栄次郎、明治18年(1885年)8月29日 - 昭和31年(1956年)2月14日)は、日本の実業家、政治家。元衆議院議員、参議院議員。元国務大臣北海道開発庁長官。鳥取県米子市名誉市民。三好家第10代当主。鳥取県平民。 大正13年(1924年)衆議院議員に初当選し、戦前に6回の当選を重ねた。地元振興の貢献としては、山陰鉄道開通記念の博覧会に尽力したのをはじめ、山陰実業銀行を設立、戦後はラジオ山陰(現山陰放送)の開局に携わるなど調整能力、行動力は抜群であった。家系は清和源氏、小笠原氏の支流・三好氏。 米子道笑町の商家に生まれる。三好常次郎の次男。 県立第二中学校(現米子東高校)、東京の京華中学を経て明治39年(1906年)に早稲田大学政治経済科を卒業。
前田 青邨(まえだ せいそん、1885年〈明治18年〉1月2… 前田 青邨(まえだ せいそん、1885年〈明治18年〉1月27日 - 1977年〈昭和52年〉10月27日)は、日本画家。位階は従三位。岐阜県中津川市出身。本名、前田 廉造(まえだ れんぞう)。妻は荻江節の5代目荻江露友。三女の夫が美術史家の秋山光和。 青邨は大和絵の伝統を深く学び、歴史画を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示した。ことに武者絵における鎧兜の精密な描写は有名である。 1935年(昭和10年)、帝国美術院の改革が行われると会員に選出されるが、翌1936年(昭和11年)年に示された平生改革案に反対して横山大観ら日本芸術院メンバーなどとともに会員を辞任する。その後、1937年(昭和12年)に帝国美術院が改組して帝国芸術院として発足すると芸術院会員となった。
小松 耕輔(こまつ こうすけ、1884年〈明治17年〉12月… 小松 耕輔(こまつ こうすけ、1884年〈明治17年〉12月14日 - 1966年〈昭和41年〉2月3日)は、明治 - 昭和期の日本の作曲家・教育家・評論家。秋田県由利郡舘合村(後の玉米村→東由利村→東由利町舘合、現在の由利本荘市東由利舘合)出身。東京音楽学校卒業。号は玉巌(ぎょくがん)。 1901年に上京して東京音楽学校選科に入学。1903年に同校本科に進み、ヴァイオリンを幸田延、ピアノと作曲をヘルマン・ハイドリヒ、和声法をノエル・ペリーに師事。1906年に東京キリスト教青年会会館で歌劇「羽衣」を初演。同年、同校を卒業し、研究科でアウグスト・ユンケルに声楽を師事。学習院講師。1920年に渡仏。
三井 甲之(みつい こうし、1883年〈明治16年〉10月1… 三井 甲之(みつい こうし、1883年〈明治16年〉10月16日 - 1953年〈昭和28年〉4月3日)は、日本の歌人、文学者、右翼思想家。皇道歌人として知られる。原理日本社共同創立者。山梨県中巨摩郡敷島村出身。本名は甲之助。 山梨県中巨摩郡松島村(旧同郡敷島村及び敷島町、現・甲斐市大下条)出身。生家は地主の家庭。甲府中学校(現山梨県立甲府第一高等学校)に入学したが校風になじめず、上京して京華中学校に転入。 1901年(明治34年)、第一高等学校第一部文科入学。文科の同級生に阿部次郎、岩波茂雄など。1902年(明治35年)に死去した正岡子規の短歌革新に共感する。三井の日記や手帳には子規句の書き抜きや、子規の死に際した追悼句が記されている。
椎尾 弁匡(しいお べんきょう、1876年7月6日 - 19… 椎尾 弁匡(しいお べんきょう、1876年7月6日 - 1971年4月7日)は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶・政治家。大正大学学長・大本山増上寺法主などを歴任。三康文化研究所の初代所長。 1878年、名古屋円福寺住職椎尾順位の五男として生まれ、13歳で得度。東京帝国大学文学部を恩賜の銀時計組で卒業後、宗教大学(後の大正大学)・日本大学・早稲田大学などで仏教学の講義を担当。1913年に東海中学校校長となり、1922年に仏教運動として共生(ともいき)運動を始める(英語の呼称は1923年に考案した。英: the Philosophy of Symbiosis)。1915年(大正4年)、東京帝国大学に学位論文を提出して文学博士号を取得 1926年に大正大学教授に就任、同学学長を3度経験する(第6代・第9代・第14代)。
近藤 達児(こんどう たつじ、1875年(明治8年)10月9… 近藤 達児(こんどう たつじ、1875年(明治8年)10月9日 - 1931年(昭和6年)9月22日)は、衆議院議員(立憲国民党→革新倶楽部→立憲政友会)、弁護士。 福島県安達郡二本松町(現二本松市)に旧二本松藩典医近藤玄貞の二男として生まれる。京華中学校、第四高等学校を経て、1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。在学中の1906年(明治39年)に大日本輸出羽二重株式会社を設立して常務取締役に就任し、また渋川起業株式会社取締役にも就いていた。しかし卒業した後は職を辞して、1910年(明治43年)に弁護士を開業し、また大学院で会社法を研究した。 日本橋区会議員、同議長、東京市会議員を経て、1917年(大正6年)の第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
長田 かず(ながた かず、12月17日‐)とは、俳優・ボーカ… 長田 かず(ながた かず、12月17日‐)とは、俳優・ボーカリストとしての活動を経て2006年よりアーティスト、タレント、ダンサーのプロデュース及びマネジメントを開始した人物で、主な業務内容はプロデューサー 及び 宝塚歌劇団生徒等、プロを対象としたボイストレーニングやパーソナルレッスン等を行っている男性。元劇団四季団員。 2006年、音楽アーティスト・タレント・モデル・ダンサーのプロデュース及びマネージメントを開始。 ・伊澤星花(総合格闘家)
森田 成一 は、日本の男性声優、俳優。東京都墨田区出身。ステ… 森田 成一 は、日本の男性声優、俳優。東京都墨田区出身。ステイラック所属。