スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山本 圭(やまもと けい、1940年〈昭和15年〉7月1日 … 山本 圭(やまもと けい、1940年〈昭和15年〉7月1日 - 2022年〈令和4年〉3月31日)は、日本の俳優、声優。身長167 cm、血液型はO型。有限会社活動屋所属。趣味は渓流釣り。 妻は囲碁棋士の小川誠子。長女もいる。父は山本勝巳、父方の叔父は山本薩夫。兄は山本學、弟は山本亘。 大阪府大阪市生まれ。成蹊大学政治経済学部を中退。大学中退後、1960年に俳優座養成所第12期生となり、1963年に正式に入団(1980年に退団)。 1962年、叔父・薩夫監督の『乳房を抱く娘たち』でスクリーンデビュー。 1966年、テレビドラマ『若者たち』で三男・佐藤三郎役を演じて人気を獲得(1968年からの映画化三部作にも同役で出演)。
天坊 昭彦(てんぼう あきひこ、1939年11月16日 - … 天坊 昭彦(てんぼう あきひこ、1939年11月16日 - )は、日本の実業家。出光興産株式会社社長、石油連盟会長、武蔵野美術大学理事長などを歴任。 1939年11月16日、東京都中野区で3人兄弟の次男として生まれる。天坊という名字は奈良県の「天之坊」という僧院がルーツだという。 父の仕事の関係で、大阪、北海道、東京と6つの小学校を巡り、最終的には小学校6年生の春、私立・成蹊小学校に転校する。 1956年、高校2年生のころ、父・天坊裕彦が参議院議員になる。 1958年、成蹊中学校・高等学校卒業。2年間の浪人生活を経て、1960年4月、東京大学文科一類へ入学。学生のころはスキーに夢中になった。 また、大学3年生の頃は父の公設第2秘書も経験する。
柳澤 榮司(やなぎさわ えいじ、1939年 - )は、日本の… 柳澤 榮司(やなぎさわ えいじ、1939年 - )は、日本の土木工学者。東北大学名誉教授。元八戸工業高等専門学校校長。土木学会論文賞等受賞。 群馬県安中市出身。成蹊高等学校を経て、1963年東北大学工学部土木工学科卒業。1965年東北大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了。1968年東北大学大学院工学研究科土木工学専攻博士課程科目修了。1971年東北大学講師、東北大学工学博士。1973年東北大学助教授。1981年東北大学教授。1990年土質工学会功労賞受賞。1996年地盤工学会東北支部長。1997年原子力安全功労者表彰受賞。2000年八戸工業高等専門学校校長、東北大学名誉教授。同年土木学会論文賞受賞。
佐佐木 幸綱(ささき ゆきつな、1938年10月8日 - )… 佐佐木 幸綱(ささき ゆきつな、1938年10月8日 - )は、日本の歌人・国文学者。早稲田大学名誉教授。日本芸術院会員。『心の花』主宰・編集長。現代歌人協会前理事長。 曽祖父の佐々木弘綱、祖父で文化勲章受章者の佐佐木信綱、父の佐佐木治綱、母の佐佐木由幾、長男の佐佐木頼綱、次男の佐佐木定綱も歌人である。本名は佐々木幸綱で、祖父、父に倣って「佐佐木」を称する。 祖父信綱が主宰した「竹柏会」とその機関誌「心の花」を継承。骨格の太い男性的な歌風を特色とする。俵万智の師。歌集に『群黎』(1970年)、『反歌』(1989年)、『金色の獅子』(1989年)、『天馬』(2001年)、『ほろほろとろとろ』(2014年)など。
本林 徹(もとばやし とおる、1938年1月5日 - )は、… 本林 徹(もとばやし とおる、1938年1月5日 - )は、日本の弁護士。日本弁護士連合会元会長。現在、松田綜合法律事務所の顧問である。森綜合法律事務所(森・濱田松本法律事務所の前身事務所)の創設メンバー。 森綜合法律事務所時代の特徴の1つとして、「弁護士一人ひとりの個性や自由を大切にし、楽しく仕事をすることをモットーにしました」という点を挙げている。「雰囲気が楽しいと、仕事がきつくても精神的ストレスが意外とありません。例えば、裁判に勝ったとか、大きな案件が落着したときは、担当弁護士が事務所の全員にケーキをおごることが慣例でした」 得意分野は、企業法務全般、国内・国際商取引および各種紛争解決。本林弁護士が、米国ハーバード・ロースクールに留学して得たことは、アメリカでは市民が裁判を起こしやすいこと、事件に関連のある証拠を、裁判所が強制的に命令して出させる制度があることであった。
中島 啓雄(なかしま ひろお、1937年12月25日 - 2… 中島 啓雄(なかしま ひろお、1937年12月25日 - 2024年2月7日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。関東州大連生まれ。長野県育ち。 成蹊高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。JR貨物の役員を経て、1995年、第17回参議院議員通常選挙で自由民主党公認で比例区から立候補するも落選。その後、1999年8月に石川弘が死去したため、同月20日付で繰上補充となり、当選。その後2001年、再選を目指して立候補した第19回参議院議員通常選挙でも落選したが、その約3か月後に高祖憲治が辞職したため、同年10月3日付で再び繰上補充により当選となった。2回の当選はいずれも繰上当選であった。2007年の任期満了をもって、次期選挙には立候補しなかった。
清原 武彦(きよはら たけひこ、1937年(昭和12年)10… 清原 武彦(きよはら たけひこ、1937年(昭和12年)10月31日 - 2024年(令和6年)12月27日)は、日本のジャーナリスト、実業家。産経新聞社特別顧問、日本美術協会副会長。 父は検事総長を務めた清原邦一。甥はフジテレビプロデューサーの清原邦夫。 清原邦一の次男として東京で生まれる。第二次世界大戦中、疎開した和歌山県・粉河の長田町小学校に入学、戦後は成蹊中学校・高等学校を経て1962年(昭和37年)慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、産経新聞社に入社した。 2024年12月27日午前7時4分、肺炎のため東京都新宿区の慶応大学病院で死去した。87歳没。 東京本社社会部、横浜総局記者を短期間務めた後、1964年(昭和39年)から社内留学生として2年間、アメリカに留学、聴講生としてミシガン大学で学んだ。
美濃口武雄(みのぐち たけお、1937年7月26日 - 20… 美濃口武雄(みのぐち たけお、1937年7月26日 - 2021年8月28日)は、日本の経済学史学者。一橋大学名誉教授。 東京市中野区で美濃口時次郎の長男として生まれる。成蹊中学校・高等学校を経て、1962年一橋大学経済学部卒(中山伊知郎ゼミ)、1967年同大学院博士課程単位取得退学(師は荒憲治郎)、一橋大学経済学部専任講師、1969年オックスフォード大学留学(ブリティッシュ・カウンシル・スカラー)、1971年助教授、1978年教授。2001年定年退任、名誉教授となり、関東学院大学教授、富士大学大学院初代研究科長を務めた。 指導学生に蜂谷豊彦一橋大学教授、池尾愛子早稲田大学教授、小峯敦法政大学教授、大熊英司元テレビ朝日アナウンサーなど。
徳川 文武(とくがわ ふみたけ、1937年(昭和12年)3月… 徳川 文武(とくがわ ふみたけ、1937年(昭和12年)3月3日 - )は、千葉県出身の通信技術コンサルタント・執筆家。松戸徳川家3代当主。 千葉県松戸市の戸定邸で生まれる。父の徳川博武(旧姓:藤岡)は国立大蔵病院医長で、婿養子であるが母方で水戸斉昭の曾孫でもある。母の宗子は松戸徳川家の初代当主徳川武定の娘であり、母方で徳川慶喜の曾孫でもある。 自由学園幼児生活団から成蹊小学校・成蹊中学校・成蹊高等学校を経て、1962年(昭和37年)に早稲田大学理工学部応用物理学科物理専攻卒業。三菱電機勤務を経て、米国に留学、1981年(昭和56年)にスタンフォード大学電気工学科情報通信専攻修士課程修了。1982年(昭和57年)から米国ハリス社ファリノンマイクロ波通信機器開発部門に勤務する。
山本 學(やまもと がく、1937年〈昭和12年〉1月3日 … 山本 學(やまもと がく、1937年〈昭和12年〉1月3日 - )は、日本の俳優。山本 学 表記での出演作も数多く、クレジットが「山本學」に統一されたのは、1990年代半ば以降である。 大阪府茨木市生まれ、東京育ち。成蹊中学校・高等学校卒業、成蹊大学中退、俳優座養成所第7期生。建築家の山本勝巳の長男。俳優の山本圭、山本亘は弟。元妻に水野久美がいる。1953年に起こった日章丸事件で、舞台となった出光興産所有のタンカー・日章丸の船長であった新田辰男は伯父にあたる。 SHIN ENTERTAINMENT所属。 成蹊高校の同級生に梶谷剛、服部克久がいた。 当初は建築家の父を継ぐつもりであったが、たまたま見た芝居の舞台装置に興味を持ち、弟・山本圭の友人だった東野英心の父・東野英治郎に相談し、1955年に俳優座養成所第7期生となる。
梶谷 剛(かじたに ごう、1936年11月22日 - )は、… 梶谷 剛(かじたに ごう、1936年11月22日 - )は、日本の弁護士。梶谷綜合法律事務所主宰者。元日本弁護士連合会会長、元日本司法支援センター理事長。東京都出身。
服部 克久(はっとり かつひさ、1936年〈昭和11年〉11… 服部 克久(はっとり かつひさ、1936年〈昭和11年〉11月1日 - 2020年〈令和2年〉6月11日)は、日本の作曲家、編曲家。東京府(現:東京都)出身。 1936年、作曲家・服部良一の長男として生まれる。幼少より音楽の英才教育を受け、国立学園小学校、成蹊中学校・高等学校を経てパリ国立高等音楽院へ留学。和声、フーガ、対位法を学んだ後、1958年卒業。帰国後すぐに戦後の復興後のテレビ放送の草創期より活動を始める。 日本テレビ『サンデーダーク』、『ハニータイム』、フジテレビ『ミュージックフェア』などを皮切りに、テレビ、ラジオ番組、ドラマ、アニメ、映画の音楽を数多く担当。1971年には、「花のメルヘン」で第13回日本レコード大賞編曲賞を受賞。
黒川 清(くろかわ きよし、1936年9月11日 - )は、… 黒川 清(くろかわ きよし、1936年9月11日 - )は、日本の医学者(内科学・腎臓学・医療政策・科学政策)。 勲等は旭日重光章。学位は医学博士(東京大学・1967年)。東京大学名誉教授、政策研究大学院大学名誉教授、東海大学特別栄誉教授、World Dementia Council副議長、特定非営利活動法人日本医療政策機構代表理事。 東海大学医学部学部長(第3代)、東海大学総合医学研究所所長、日本学術会議会長(第22・23代)、内閣特別顧問などを歴任した。 弟は都市工学者で東京工業大学・筑波大学名誉教授の黒川洸。叔父(母の弟)は教育心理学者の続有恒。 1955年に成蹊高等学校を卒業し、1962年に東京大学医学部を卒業した。
原 道生(はら みちお、1936年(昭和11年)5月9日 -… 原 道生(はら みちお、1936年(昭和11年)5月9日 - 2023年11月23日)は、日本近世演劇研究者、明治大学名誉教授。 東京生まれ。1955年成蹊高等学校卒業、1960年東京大学文学部国文科卒、1966年同大学院博士課程単位取得満期退学、東京大学文学部助手。1971年横浜市立大学文理学部助教授、1981年明治大学文学部教授。2005年同図書館長。2007年定年退職、名誉教授。歌舞伎学会会長、義太夫協会代表理事などを務めた。 2014年第46回河竹賞、第36回角川源義賞受賞。2016年、春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 2023年11月23日、誤嚥性肺炎のため東京都の病院で死去。87歳没。
佐々木 元(ささき はじめ、1936年〈昭和11年〉4月6日… 佐々木 元(ささき はじめ、1936年〈昭和11年〉4月6日 - 2022年〈令和4年〉6月21日)は、日本の実業家。元NEC代表取締役会長。位階勲等は従四位旭日重光章。 1936年(昭和11年)4月6日に愛知県名古屋市で出生。父は佐々木直(第22代日本銀行総裁)で、父が日本銀行名古屋支店勤務の時に出生し、2歳まで名古屋で過ごした。祖父は佐々木藤太郎(朝鮮総督府官僚)。 東京都杉並区立第七小学校から、中高一貫校の成蹊中学校・高等学校へ進学し、卒業。 1959年に東京大学工学部電気工学科卒業後、東京大学大学院数物系研究科で修士課程修了。 1961年4月に日本電気に入社し、1999年に代表取締役会長となる。
清水 義明(しみず よしあき、1936年2月27日 - 20… 清水 義明(しみず よしあき、1936年2月27日 - 2021年2月20日 )は、日本の美術史学者。プリンストン大学名誉教授。専門は美術史・考古学で、日本美術史の第一人者。 1936年、東京都生まれ。 成蹊高校よりアメリカ合衆国ニューハンプシャー州・セントポールズ校へ留学し、同校卒業。 1963年、ハーバード大学卒業。1968年、カンザス大学大学院より修士号取得(中国絵画研究専攻)。1971年、プリンストン大学大学院より修士号取得(日本美術・考古学専攻)。1974年、 プリンストン大学大学院より博士号取得(日本美術・考古学専攻)。 1974年から1975年までプリンストン大学・美術史考古学科講師、1975年から1979年にカリフォルニア大学バークレー校・美術史科助教授を経て準教授、1979年から1984年までスミソニアン研究所・フリーア美術館の日本美術担当キュレーター、1984年から1992年までプリンストン大学・美術史考古学科教授を務め、1992年2月より、プリンストン大学・美術史考古学科マーカンド名誉教授となった。
坂部 恵(さかべ めぐみ、男性、1936年2月11日 - 2… 坂部 恵(さかべ めぐみ、男性、1936年2月11日 - 2009年6月3日)は、日本の哲学者。東京大学名誉教授。九条の会賛同人。 神奈川県生まれ。成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校卒業。1959年、東京大学文学部哲学科卒業。1965年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。 1965年より國學院大學専任講師、ついで(旧)東京都立大学助教授、東京大学文学部哲学科助教授、教授。1997年の定年退官後は桜美林大学教授を務めた。 イマヌエル・カント、和辻哲郎、九鬼周造を研究対象とし、1976年、和辻の「面とペルソナ」を出発点とした『仮面の解釈学』で哲学奨励山崎賞受賞。1986年、『和辻哲郎』でサントリー学芸賞受賞。
齋藤 太朗(さいとう たかお、1936年 - )は、日本のテ… 齋藤 太朗(さいとう たかお、1936年 - )は、日本のテレビプロデューサー、テレビディレクター。東京都出身。 日本テレビエグゼクティブディレクター、日本テレビエンタープライズ(後の日テレイベンツ)専務取締役などを歴任し、日テレイベンツが運営する日テレ学院で映像クリエイタークラスの講師を務める。 成蹊高等学校、成蹊大学政治経済学部卒業。 1958年、大学を卒業後日本テレビに入社。大学在学中から同局でアルバイトしており、そのまま居ついた格好になったという。以後音楽・バラエティ番組を中心にディレクターとして数多くの番組を手がけたほか、『カリキュラマシーン』では番組のカリキュラムの説明などを行う「ギニョさん」としてテレビ出演も果たしている。
尾髙 煌之助(おだか こうのすけ、1935年〈昭和10年〉1… 尾髙 煌之助(おだか こうのすけ、1935年〈昭和10年〉12月15日 - )は、日本の経済学者。専門は労働経済学。一橋大学・法政大学名誉教授。紫綬褒章受章。日経・経済図書文化賞、労働関係図書優秀賞受賞。 1935年、尾高次郎の五男である尾高邦雄の子として東京府東京市(現東京都千代田区)生まれた。一橋の設立に携わった渋沢栄一は曽祖父。母・京子は和辻哲郎の長女である。成蹊高等学校理系を経て、1年間の浪人生活を経て、慶應義塾大学経済学部に補欠で合格。大学では、藤林敬三ゼミで学んだ。カリフォルニア大学バークレー校大学院に留学し、1964年に修士課程を修了、1967年に経済学博士号を取得。 米国滞在時に、共同研究のためUCバークレーを訪れていた大川一司一橋大学経済研究所教授の知遇を得る。
佐藤 敬夫(さとう たかお、1935年(昭和10年)6月4日… 佐藤 敬夫(さとう たかお、1935年(昭和10年)6月4日 - 2020年(令和2年)11月9日)は、日本の政治家、元衆議院議員(5期)。位階は従四位。一般社団法人日本経営士会元会長。 秋田県出身。成蹊高等学校、成蹊大学政治経済学部卒業。 1977年、第11回参議院議員通常選挙に新自由クラブ公認で全国区から立候補したが落選。 1986年に、衆議院選挙秋田1区から自由民主党公認で立候補し初当選(当選同期に鳩山由紀夫・斉藤斗志二・三原朝彦・村井仁・逢沢一郎・武村正義・園田博之・中山成彬・谷津義男・新井将敬・石破茂・笹川堯・村上誠一郎・井出正一など)。1994年に自由民主党を離党して新党みらいの結党に参加、同年の12月に新進党に合流した。
城戸 毅(きど たけし、1935年(昭和10年)2月4日 -… 城戸 毅(きど たけし、1935年(昭和10年)2月4日 - )は、西洋史学者、東京大学名誉教授。 東京出身。1958年(昭和33年)、東京大学文学部西洋史学科を卒業。東京大学大学院人文科学研究科西洋史学に進学後イギリスに留学。1966年(昭和41年)にロンドン大学にて歴史学博士号を取得し、東京大学博士課程を単位取得満期退学。
梶谷 玄(かじたに げん、1935年1月15日 - )は最高… 梶谷 玄(かじたに げん、1935年1月15日 - )は最高裁判所裁判官。弁護士。梶谷綜合法律事務所最高顧問。第一東京弁護士会会長や日弁連副会長を歴任。会社法や破産法に精通。 父は梶谷丈夫(第一東京弁護士会元会長、日弁連元副会長)で、日弁連元会長の梶谷剛は実弟[要検証 – ノート]。
入江 昭(いりえ あきら、Akira Irie、1934年1… 入江 昭(いりえ あきら、Akira Irie、1934年10月20日 - 2026年1月27日)は、日本出身のアメリカ合衆国の国際政治学者。ハーバード大学名誉教授。専攻はアメリカ外交史。1988年の一年間、日系アメリカ人として初めてアメリカ歴史学会会長を務めた。 東京都生まれ。成蹊高校卒業後、1953年 財団法人グルー基金奨学生として渡米。1957年ハヴァフォード・カレッジ卒業、1961年ハーバード大学大学院歴史学部を修了しPh.D.取得。 1961年ハーバード大学講師、カリフォルニア大学サンタクルーズ校助教授、1968年ロチェスター大学准教授、1969年シカゴ大学歴史学部准教授、1971年同教授、1989年ハーバード大学歴史学部教授、同大歴史学部学部長、早稲田大学、立命館大学、関西大学客員教授を歴任。
若林 正俊(わかばやし まさとし、1934年〈昭和9年〉7月… 若林 正俊(わかばやし まさとし、1934年〈昭和9年〉7月4日 - 2023年〈令和5年〉11月11日)は、日本の農林水産官僚、政治家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。 農林水産大臣(第43・45・46代)、環境大臣(第8代)、財務副大臣(第2次森改造内閣(中央省庁再編後)・第1次小泉内閣)、大蔵総括政務次官(第2次森改造内閣(中央省庁再編前))、総務政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣)、参議院国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員長、参議院農林水産委員長、参議院政治倫理審査会会長、参議院議員(2期)、衆議院議員(3期)などを歴任した。 「若」の字は、くさかんむりの部分が3画の「艹」ではなく、4画の「十十」である字体を正式な表記としている。
石坂 信雄(いしざか のぶお、1933年9月7日 - 199… 石坂 信雄(いしざか のぶお、1933年9月7日 - 1997年1月19日)は、東芝アメリカ元社長。第一生命や東芝の元社長で、経団連元会長の石坂泰三の五男。ゴルフダイジェスト・オンライン創業者の石坂信也は子。墓所は多磨霊園。
速水 格(はやみ いたる、1933年7月5日 - 2013年… 速水 格(はやみ いたる、1933年7月5日 - 2013年5月27日)は、日本の地球科学者。専門は古生物学。学位は、理学博士(東京大学・1961年)(学位論文「本邦におけるジュラ紀層位学 : 特に斧足類動物群について」)。東京大学名誉教授。従四位瑞宝小綬章受章。 1933年、東京生まれ。1952年、成蹊高等学校卒業。1956年、東京大学理学部地学科地質学鉱物学課程卒業。1961年、同大学院数物系研究科地質学専門課程博士課程修了、理学博士の学位を取得。博士論文の題は「本邦におけるジュラ紀層位学 : 特に斧足類動物群について」。 1962年より九州大学理学部助手。1973年、東京大学総合研究資料館助教授。
有馬 龍夫(ありま たつお、1933年6月13日 - )は、… 有馬 龍夫(ありま たつお、1933年6月13日 - )は、日本の外交官。元日本国政府代表で、外務省北米局長、内閣外政審議室長、駐ドイツ特命全権大使、早稲田大学教授、中東調査会理事長を歴任。次男の有馬裕も外交官で、外務省大臣官房審議官及びサイバーセキュリティ政策担当大使である。 北海道札幌市生まれ。1950年、成蹊中学校卒業。成蹊高等学校在学中に、米国セント・ポールズ・スクールへ留学。1957年、ハーバード大学政治学部卒業。ハーバード大学大学院に進み、博士号取得、同大講師となる。1962年、外務省入省。北米局長、内閣外政審議室長、駐オランダ大使、駐ドイツ大使などを歴任。1997年、同省参与。1998年4月から2004年3月にかけ、早稲田大学政治経済学部教授。
高井 有一(たかい ゆういち、1932年4月27日 - 20… 高井 有一(たかい ゆういち、1932年4月27日 - 2016年10月26日)は、日本の小説家。内向の世代の作家の一人。本名は田口哲郎(たぐち てつお)。日本芸術院会員。 祖父は角館町出身の小説家だった田口掬汀(たぐち きくてい)、父は画家の田口省吾(しょうご)、妻はジャーナリストの中村輝子。 父田口省吾、母信子の長男として、東京府北豊島郡長崎町(現・東京都豊島区)に生まれる。1943年祖父、父があいついで死去。1945年母妹とともに秋田県へ疎開するが、11月に母が死去し、母方の叔父最上孝敬に引き取られる。成蹊高等学校で中村草田男の授業を受け、1951年成蹊大学に進学した。1952年に早稲田大学第二文学部英文学科に編入し、1955年に卒業した。
中河 原理(なかがわ げんり、1931年11月4日 - 19… 中河 原理(なかがわ げんり、1931年11月4日 - 1998年4月3日)は、朝日新聞記者、音楽評論家。 作家・中河与一の次男として東京都に生まれる。 旧制成蹊高等学校卒業。 東京大学英文科卒業、同修士課程修了、朝日新聞社に入社、音楽評論家として活動した。 平明で的確なクラシック音楽評で知られた。 1998年4月3日、心筋梗塞のため66歳で亡くなった。
伊藤 滋(いとう しげる、1931年8月20日 - )は、日… 伊藤 滋(いとう しげる、1931年8月20日 - )は、日本の都市計画家。早稲田大学特命教授、慶應義塾大学大学院客員教授、東京大学名誉教授。学位は工学博士(東京大学)。専門は、都市防災論、国土及び都市計画。 伊藤滋都市計画事務所主宰。一般財団法人日本地域開発センター理事長、NPO法人日本都市計画家協会会長、アジア防災センター・センター長、内閣官房都市再生戦略チーム座長、国土審議会、都市計画中央審議会委員を歴任。2030年の東京都心市街地像研究会座長。さいたま新都心計画チーフプロデューサー。環長崎港地域アーバンデザイン専門家会議座長。 東京都杉並区生まれ。父は評論家・詩人・小説家の伊藤整。成蹊学園を経て、旧制成蹊高校(理科甲類)卒業。
太田 和夫(おおた かずお、1931年(昭和6年)7月18日… 太田 和夫(おおた かずお、1931年(昭和6年)7月18日 - 2010年(平成22年)7月20日)は、日本の医師。東京女子医科大学名誉教授、元日本移植学会理事長、元日本透析医学会理事長である。 旧制成蹊高等学校(24期)を経て、1957年3月に東京大学医学部医学科を卒業。1958年6月に東京大学第2外科に入局する。 1970年1月、東京女子医科大学理論外科助手、同年10月に講師、1972年2月に助教授を経て、1973年1月に東京女子医科大学人工腎臓センター教授に就任。1979年4月に東京女子医科大学腎臓病総合医療センター外科教授、同センター副部長、1983年4月所長を歴任した。
秋元 律郎(あきもと りつお、1931年〈昭和6年〉7月8日… 秋元 律郎(あきもと りつお、1931年〈昭和6年〉7月8日 - 2004年〈平成16年〉6月28日 )は、日本の社会学者。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。旧制成蹊高等学校、成蹊大学政治経済学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻単位取得退学、79年「日本社会学史 形成過程と思想構造」で文学博士の学位を取得。早稲田大学文学部助教授、教授、2002年定年退任、名誉教授、大妻女子大学人間関係学部教授、放送大学客員教授。早大時代の教え子には、犬飼裕一(社会学者)田中伯知(社会学者)などがいる。2004年6月28日午後10時25分、肺がんのため埼玉県入間市の病院で死去した。
田邊 昇学(たなべ しょうがく、1931年4月 - 2008… 田邊 昇学(たなべ しょうがく、1931年4月 - 2008年6月10日)は、日本の造園系建設官僚。 1949年に旧制成蹊高等学校高等科理科甲類を卒業し、群馬県土木部、建設省都市局公園緑地課長などに勤務した[要出典]。 1982年当時は住宅・都市整備公団理事を務めていた。同年、第7回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 東京都公園審議会会長、都市公園法施行五十周年記念事業実行委員会委員などの役職を歴任した[要出典]。日本公園緑地協会では会長を務めた。 死去前年の2007年に『20世紀後半期における都市およびその都市圏の変遷に関する比較研究』で博士(農学)の学位を東京大学より取得している。 2008年6月10日、呼吸不全のため死去。
安倍 基雄(あべ もとお、1931年3月31日 - 2004… 安倍 基雄(あべ もとお、1931年3月31日 - 2004年1月23日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正四位。 文部政務次官(細川内閣)、衆議院議員(通算4期)を務めた。父は内務大臣を務めた安倍源基。 1931年(昭和6年)、東京生まれ。永田町小学校(現麹町小学校)、旧制成蹊高等学校を経て、1953年(昭和28年)、東京大学法学部法律学科卒業。大蔵省に入省。理財局総務課に配属。昭和28年旧制入省組同期には、吉野良彦、大場智満、津島雄二、近藤鉄雄らがいた。1959年(昭和34年)、フルブライト留学生としてペンシルベニア大学大学院に留学、計量経済学を専攻。1961年(昭和36年)、ペンシルベニア大学大学院でPh.D.(経済学博士号)を取得。
後藤 英一(ごとう えいいち、1931年1月26日 - 20… 後藤 英一(ごとう えいいち、1931年1月26日 - 2005年6月12日)は、日本の物理学者・計算機科学者。東京大学名誉教授。 磁気による論理演算回路素子のパラメトロンを発明。数式処理の分野でも業績を上げる。紫綬褒章受章。 理化学研究所では特許を100近く出願したという。理研の物理学部門では特許収入が首位との事である。さまざまな原理は勉強したが、その原理がコンピュータにどう使われているかは勉強しなかったと語る。 これらの研究業績により1989年4月に紫綬褒章を受章した他、多数の受賞歴がある。ただし後藤自身は「半導体製造のための貢献で紫綬褒章をもらったが、半導体のために仕事をした事なんてない(笑)」と語る。
岩田 行一(いわた こういち、1930年12月24日 - 2… 岩田 行一(いわた こういち、1930年12月24日 - 2004年9月28日)は、日本のドイツ文学者。東京都立大学名誉教授。 旧制成蹊高等学校卒業(24回生)。 東京大学文学部独文科卒業。1994年まで東京都立大学教授、名誉教授。ノーベル文学賞受賞作家であるエリアス・カネッティの作品を多く翻訳した。 2004年9月28日、前立腺がんのため都内の病院で死去した。
佐々 淳行(さっさ あつゆき、1930年〈昭和5年〉12月1… 佐々 淳行(さっさ あつゆき、1930年〈昭和5年〉12月11日 - 2018年〈平成30年〉10月10日)は、日本の警察・防衛官僚。危機管理評論家。 成蹊高等学校(旧制23回)、東京大学法学部卒業後、国家地方警察本部(現・警察庁)に入庁。目黒警察署をふりだしに「東大安田講堂事件」「連合赤軍あさま山荘事件」などで警備幕僚長として危機管理に携わる。1986年からは初代内閣官房安全保障室長を務め、昭和天皇の大喪の礼を最後に退官。 その後、文筆、講演、テレビ出演と幅広く活躍。「危機管理」という言葉のワードメーカー。1993年、『東大落城』で文芸春秋読者賞を受賞。 熊本県出身の政治学者で、朝日新聞論説委員、参議院議員などを務めた佐々弘雄の次男として、東京市麻布区(現・東京都港区)に生まれる。
毛利 元敬(もうり もとあき、1930年(昭和5年)11月2… 毛利 元敬(もうり もとあき、1930年(昭和5年)11月23日 - 2020年(令和2年)5月15日)は、毛利家宗家31代目当主(長州毛利家71代目)。防府毛利報公会会長。 旧制成蹊高等学校、成蹊大学政治経済学部を卒業。日本長期信用銀行や経済企画庁で勤務。後に第一ホテル取締役や防府毛利報公会会長を歴任。
岩崎 寛弥(いわさき ひろや、1930年7月4日 - 200… 岩崎 寛弥(いわさき ひろや、1930年7月4日 - 2008年7月23日)は、日本の実業家。三菱銀行取締役・東山農事社長を歴任した。 岩崎彦弥太・操子夫妻の長男として東京府(現・東京都)に生まれた。父・彦弥太は三菱財閥の3代目総帥・岩崎久弥の長男すなわち三菱の創業者・岩崎弥太郎の嫡孫にあたり、戦前は三菱本社副社長、戦後は三菱地所取締役を務めた人物。従って寛弥は久弥の嫡孫すなわち弥太郎の曾孫にあたる。母・操子は佐竹東家第17代当主・佐竹義準の三女。父方の叔父に元三菱製紙会長の岩崎隆弥と元東京海上火災保険常務の岩崎恒弥がおり、父方の叔母にエリザベス・サンダースホームの創設者・沢田美喜がいる。また母方の伯父に元東洋製作所社長の佐竹義利がいる。
米田 昭(よねだ あきら、1930年 <昭和5年> 6月25… 米田 昭(よねだ あきら、1930年 <昭和5年> 6月25日 - 2000年 <平成12年> 9月3日)は、日本の検察官。位階は正三位。 旧制成蹊高等学校を経て、1953年東京大学法学部卒業。東京大学在学中に司法試験に合格。公安調査庁長官、仙台高等検察庁検事長(1991年12月12日-1993年6月24日)を歴任。2000年9月3日、肝細胞癌のため死去。死没日付をもって正三位に叙された。
宮本 保孝(みやもと やすたか、1930年3月18日 - 2… 宮本 保孝(みやもと やすたか、1930年3月18日 - 2006年2月27日)は、東京府出身の大蔵官僚。 大蔵省では銀行局長、理財局長などを務めた。銀行局長に就任し、同期のなかで最も早く局長に就いた。時に国際化や自由化、金利一元化にみる郵貯問題で銀行局や業界事態が地盤沈下していた中での就任だったが、就任理由は、澄田智元銀行局長の下で金融効率化問題を手掛けるなど、課長補佐時代から将来の銀行局長候補といわれていたこと、直接的には、前任の米里恕局長が新銀行法制定作業を巡り銀行業界(全銀協)と対立。銀行界が造反し、時の渡辺美智雄蔵相に直訴したトラブルで、翌年夏に更迭されたため。 退官後は信金中央金庫(全信協ないし全信連)の初代理事長を務めた。
槇原 稔(まきはら みのる、1930年1月12日 - 202… 槇原 稔(まきはら みのる、1930年1月12日 - 2020年12月13日)は、日本の実業家。従三位。 イギリス生まれ、東京府(現:東京都)。ハーバード大学卒業。三菱商事の社長・会長・特別顧問、三菱グループ・三菱金曜会の世話人代表を歴任した。父・覚(さとる)は青年期に岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)から奨学金を受け、その後三菱商事に入社し水産部長を務めた。 槙原稔の妻・喜久子は元三菱製紙会長・岩崎隆弥(弥太郎の孫、久弥の次男)の三女。旧制成蹊高校時代に隆弥の4人の娘に英語の家庭教師をしていた縁で隆弥の娘の1人・喜久子と結婚した。この結婚によって三菱の創業者一族・岩崎家と姻戚関係で結ばれることになり、このことが後に三菱商事の社長に就任することにプラスになったと考えられている。
光岡 知足(みつおか ともたり、1930年(昭和5年)1月4… 光岡 知足(みつおか ともたり、1930年(昭和5年)1月4日 - 2020年(令和2年) 12月29日)は、日本の農学博士・微生物学者である。 腸内フローラの系統的研究により「腸内細菌学」という新しい学問を世界に先駆けて樹立した同分野のパイオニアである。腸内フローラと宿主とのかかわりを提唱し、腸内環境のバランスがヒトの健康・病態を左右すると指摘した。また腸内フローラの研究から生まれた機能性食品の開発・評価に関する分野の業績も高く評価されている。 2007年5月17日、発酵乳、乳酸菌、腸内細菌などの研究で優れた研究業績を挙げた科学者に贈られる世界最高峰の国際賞のメチニコフ賞を受賞した。 東京大学農学部獣医学科卒業。
小林 彰太郎(こばやし しょうたろう、1929年11月12日… 小林 彰太郎(こばやし しょうたろう、1929年11月12日 - 2013年10月28日)は、日本の自動車評論家、自動車社会史研究者。 世界的に著名な自動車評論家の1人であり、日本の「モータージャーナリズム」を築き上げた第一人者として、戦後の日本車発展に大きく貢献した。また、自動車史研究やクラシックカーの権威としても知られ、欧州志向の伝統的な自動車趣味を自ら実践し、その魅力を発信した。自動車雑誌『カーグラフィック』(二玄社)の創刊者および名誉編集長であったほか、日本自動車ジャーナリスト協会副会長、日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員会委員長、カー・オブ・ザ・センチュリー名誉専門委員会副委員長等を歴任した。
尾崎 行信(おざき ゆきのぶ、1929年4月19日 - 20… 尾崎 行信(おざき ゆきのぶ、1929年4月19日 - 2014年3月9日)は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所裁判官を務めた。位階は正三位。 明治から戦後まで衆院議員を務め「憲政の神様」と呼ばれた政治家・尾崎行雄の孫である。戦時中に祖父が起訴された尾崎不敬事件で、一審は有罪だったが大審院では逆転無罪となった時に「戦争中のひどい時代に立派な判決を出す人がいる」と感銘を受けたという。 三重県出身。尾崎行雄と繁の二男・彦麿の長男として生まれる。旧制宇治山田中学校(49期)、旧制成蹊高等学校(23回生)を経て、1953年に東京大学法学部卒業。 嘱託尋問調書の証拠能力を否定したロッキード事件「丸紅ルート」の大法廷判決、靖国神社などへの玉串料の公費支出を違憲とした愛媛県靖国神社玉串料訴訟の大法廷判決に関わったほか、裁判長として「がん告知義務訴訟」などの判決に携わった。
平山 亨(ひらやま とおる、1929年3月19日 - 201… 平山 亨(ひらやま とおる、1929年3月19日 - 2013年7月31日)は、株式会社レッド・エンタテインメント・デリヴァー取締役。東映では、助監督(映画)、映画監督、テレビプロデューサーを務めた。作詞家として八手三郎および田中守のペンネームを用いている。映画監督の松村昌治(中山昌一)は義兄。 1929年に母の実家の名古屋市で4人兄弟の長男として出生。父は鉄道省勤務。出生時の自宅は東京都だったが、転居を繰り返して東京都と名古屋市で育つ。 旧制中学校時代の1944年には、学徒動員で防空壕作りや疎開工事、工場勤務などの勤労奉仕に従事した。 終戦後の1947年4月に青山学院専門学校(現・青山学院大学)の英文科に入学。
秋元 勇巳(あきもと ゆうみ、1929年3月14日 - 20… 秋元 勇巳(あきもと ゆうみ、1929年3月14日 - 2025年7月13日)は、日本の経営者、理学博士。三菱マテリアル社長を務めた。 東京都出身。海軍兵学校(77期)、旧制成蹊高等学校(理甲)を経て、1951年に東京文理科大学理学部化学科を卒業。1954年に同大学院研究科を修了し、同年に三菱金属鉱業に入社した。1978年6月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1986年1月に専務、1992年6月に副社長を経て、1994年6月に社長に就任。2000年6月に会長に就任し、2003年6月に取締役相談役を経て、2004年6月には名誉顧問に就任。1997年11月に藍綬褒章を受章し、2013年11月に旭日重光章を受章した。
鮎川 金次郎(あゆかわ きんじろう、1929年3月12日 -… 鮎川 金次郎(あゆかわ きんじろう、1929年3月12日 - 1976年3月21日)は、日本の政治家。参議院議員などを歴任。 日産コンツェルン創始者の鮎川義介の二男として生まれた。小学校から大学まで成蹊学園に学ぶ。成蹊大学政治経済学部卒業。 1959年、当時のトップアイドルであった雪村いづみとの婚約を一方的に宣言し、話題を呼んだ。同年の第5回参議院議員通常選挙に出馬し、30歳という史上最年少当選を果たす。自由民主党に所属し、外務委員などを務めたが、数千万円を用いたという自派の選挙違反容疑が浮上し、運動員の海外逃亡や、金次郎自身がハワイでの静養を議会に申請し却下されるなどの迷走の末、議員辞職した。
由良 君美(ゆら きみよし、1929年2月13日 - 199… 由良 君美(ゆら きみよし、1929年2月13日 - 1990年8月9日)は、日本の英文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 専門はコールリッジをはじめとした近代イギリスロマン主義文学。比較文学、ゴシック小説、サブカルチャーなどにも幅広い著述を行った。 ドイツ哲学者由良哲次の長男として京都市北白川に生まれる。「君美」の由来は、新井白石の諱たる君美(きんみ)に因む。母の清子は東京高等師範学校教授で、哲次の恩師である吉田彌平の次女。出生当時、父哲次はハンブルク大学に在職中だったエルンスト・カッシーラーのもとに留学中だった。1931年、哲次は日本に帰国し、1932年、一家で東京市小石川区林町(現在の東京都文京区千石)に転居。
津末 昭生(つすえ あきお、1928年9月24日 - 199… 津末 昭生(つすえ あきお、1928年9月24日 - 1995年6月10日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。熊本大学教授。東京都港区出身。祖父は衆院議員の津末良介。 成蹊高等学校から東京大学へ入学。1954年、理学部地学科(地質学課程)を卒業。鉱床学の渡辺武男教授の指導を受けて大学院に進み、1960年、博士課程を修了(理学博士)、「岩手県釜石鉱山地方の接触交代型鉄、銅鉱床について 」。 理学部地質学教室助手となる。ただちに米国のコロンビア大学・プリンストン大学に留学し、1963年復職。 1970年、熊本大学理学部助教授、1973年、教授となる。1994年、停年退官。この間、1990年から1992年は理学部長を務める。