スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
川崎 良孝(かわさき よしたか、1949年11月29日 - … 川崎 良孝(かわさき よしたか、1949年11月29日 - )は、日本の図書館学者・図書館情報学者。学位は、博士(教育学)(京都大学)。京都大学大学院教育学研究科教授を経て、同大学名誉教授。日本図書館研究会理事長・日本図書館情報学会理事を歴任。また、中国の「図書館雑誌」や国際図書館連盟 (IFLA) の「IFLA Journal」の編集委員を務める。兵庫県神戸市在住。主にアメリカの公立図書館に関して研究している。 以下の4つの研究を行っている。 なお、2007年度には京都大学教育学部の学部長を務めた。
尾崎 幸洋(おざき ゆきひろ、1949年10月19日 - )… 尾崎 幸洋(おざき ゆきひろ、1949年10月19日 - )は、日本の化学者。関西学院大学名誉教授、フェロー。 大阪府堺市出身。1968年、大阪府立北野高等学校卒業。1973年、大阪大学理学部化学科卒業。1978年同大学院理学研究科博士課程修了、理学博士の学位を取得。カナダ国立研究所研究員(任期付き)を経て、1981年に東京慈恵会医科大学助手に就任。1988年に同大学講師に昇任。1989年に関西学院大学理学部助教授に就任。1993年に同大学教授。2001年に、学部改編に伴い、同大学理工学部教授。2006年4月-2010年3月は理工学部学部長を務めた。 2010年度より学校法人関西学院常任理事、それに加え、2013年度から2017年度まで関西学院大学副学長を務めた。
家次 恒(いえつぐ ひさし、1949年9月17日 - )は、… 家次 恒(いえつぐ ひさし、1949年9月17日 - )は、日本の実業家。シスメックス会長を務めている。 大阪府立北野高等学校を経て1973年に京都大学経済学部を卒業、三和銀行に入行した。 1986年に東亞医用電子(現在のシスメックス)に転職し、常務、専務を経て、1996年から社長に就任し、シスメックスを190か国以上の国々を取引するグローバル企業に育て上げ、売上高も飛躍的に伸ばしていった。2013年から会長と兼任。 2001年から神戸商工会議所副会頭を務め、2016年に神戸商工会議所会頭に就任した。 2022年秋に旭日重光章を受章。 2023年6月に社長職を浅野薫に譲り会長となった。
家 正則(いえ まさのり、1949年〈昭和24年〉8月13日… 家 正則(いえ まさのり、1949年〈昭和24年〉8月13日 - )は、日本の天文学者。専門は銀河物理学、光・赤外天文学。自然科学研究機構国立天文台名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。日本学士院会員(第2部第4分科)。 すばる望遠鏡の能動光学・補償光学装置の開発への貢献、すばる望遠鏡を用いた遠方銀河の観測による初期宇宙の研究で知られる。 1949年(昭和24年)8月13日、札幌市に生まれる。第68期日本物理学会会長を務めた家泰弘は実弟。1962年(昭和37年)3月、東京都北多摩郡田無町立田無小学校(現・西東京市立田無小学校)卒業。1965年(昭和40年)3月、吹田市立第二中学校卒業。1968年(昭和43年)、大阪府立北野高等学校を卒業後、東京大学理学部に進学。
坂田 東一(さかた とういち、1948年〈昭和23年〉11月… 坂田 東一(さかた とういち、1948年〈昭和23年〉11月24日 - )は、日本の文部科学官僚。文部科学事務次官を経て、2011年から2014年までウクライナ駐箚特命全権大使を務めた。瑞宝重光章受章。大阪府出身。 大阪府立北野高等学校、東京大学工学部卒業、東京大学大学院工学系研究科機械工学専門課程修士課程修了。1974年科学技術庁入庁。科学技術庁科学技術政策局計画課企画官、文部科学大臣官房審議官、独立行政法人理化学研究所理事、文部科学省大臣官房長、文部科学審議官を経て、2009年7月14日から、2010年7月30日まで文部科学事務次官。 退官後、文部科学省顧問を経て、2010年10月1日より社団法人日本原子力産業協会特任フェロー。
木村 知義(きむら ともよし、1948年1月28日 - )は… 木村 知義(きむら ともよし、1948年1月28日 - )は、21世紀社会動態研究所主宰、元多摩大学経営情報学部客員教授(-2019年3月)東北学院大学教養学部非常勤講師(-2018年3月)。元NHKアナウンサー。
新井 将敬(あらい しょうけい、1948年〈昭和23年〉1月… 新井 将敬(あらい しょうけい、1948年〈昭和23年〉1月12日 - 1998年〈平成10年〉2月19日)は、日本の政治家、大蔵官僚。大阪府出身。朝鮮系日本人で民族名は朴 景在(パク・キョンジェ、박경재、ぼく けいざい)。 大阪府大阪市生まれ。大阪市立菅南中学校を経て大阪府立北野高等学校を卒業。16歳のとき、朝鮮籍から日本に帰化。 高校時代の担任教員の一人は、森恒夫(新井とは入れ違いに卒業)のクラスを受け持ったこともあり、新井の死去から間もない頃に北野高校OB会のインタビューで「自分自身への期待感が強く、向上心が人一倍強い」という点がこの2人に共通していたと述べている。 東京大学理科一類に入学。
山澤 倶和(やまざわ ともかず、1947年11月26日 - … 山澤 倶和(やまざわ ともかず、1947年11月26日 - )は、日本の経営者。福井県出身。現在は、大阪経済大学理事長(2023年7月~) 大阪府立北野高等学校(78期)を経て、1971年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に京阪神急行電鉄(のちの阪急電鉄)に入社。 2000年6月に取締役に就任し、2002年4月に第一阪急ホテル社長に就任し、2005年4月に阪急ホテルマネジメント社長に就任し、2008年4月に阪急阪神ホテルズ社長に就任し、2012年には会長に就任した。 2012年6月から2016年6月までに阪神高速道路社長を務め、池田泉州銀行取締役も務めた。
道浦 母都子(みちうら もとこ、1947年9月9日 - )は… 道浦 母都子(みちうら もとこ、1947年9月9日 - )は、日本の歌人。『未来』選者。 全共闘世代の心情を歌った歌集『無援の抒情』(1980年)で現代歌人協会賞受賞。他の歌集に『水憂』(1986年)、『夕駅』(1997年)、『はやぶさ』(2013年)など。 和歌山県和歌山市生まれ。大阪府吹田市在住。祖父・道浦若八は、部落解放運動にも縁のあった和歌山県議会議員。父は大阪工業大学土木工学科卒の土木技師で、日本窒素(後のチッソ)の関連会社・朝鮮窒素に勤務して、戦後に日本に引き揚げた。 中学まで和歌山で暮らした後、父が千里ニュータウン開発に携わることになり大阪に移住。大阪府立北野高等学校を経て、早稲田大学第一文学部演劇学科に進学。
富田 昌宏(とみた まさひろ、1947年9月 - )は、日本… 富田 昌宏(とみた まさひろ、1947年9月 - )は、日本の経済学者。神戸大学経済経営研究所教授を経て、同大学名誉教授。専門は国際通商。現在の研究課題はヨーロッパ・日本における近代海運の発展過程。 『海運論入門』(八千代出版 1985年)
中西 輝政(なかにし てるまさ、1947年〈昭和22年〉6月… 中西 輝政(なかにし てるまさ、1947年〈昭和22年〉6月18日 - )は、日本の政治学者、歴史学者。京都大学名誉教授。学位は法学修士(京都大学・1974年)。専門は国際政治学、国際関係史、文明史。 京都大学法学部助手、三重大学人文学部助教授、静岡県立大学国際関係学部教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授などを歴任。 大阪府出身の国際政治学者、歴史学者。国際政治学、国際関係史、文明史を専攻する。保守系の論客でも知られる。京都大学、ケンブリッジ大学で学び、京都大学、三重大学、静岡県立大学で教鞭を執った。また、ケンブリッジ大学やスタンフォード大学で客員研究員を兼任していた。 京都大学での指導教員は高坂正堯(学部は民法の林良平)。
建部 和仁(たてべ かずひと、1947年5月25日 - )は… 建部 和仁(たてべ かずひと、1947年5月25日 - )は、日本の大蔵官僚。九州財務局福岡財務支局長、欧州復興開発銀行理事、国際交流基金理事、造幣局理事を経て、2006年からルクセンブルク大公国駐箚特命全権大使を務めた。 大阪府高槻市出身。1966年大阪府立北野高等学校卒業。1970年東京大学法学部卒業、大蔵省入省(主税局国際租税課)。1972年フランス留学、1974年7月国際金融局国際機構課国際機関係長。1975年7月洲本税務署長。1976年7月関税局総務課長補佐。その後は大蔵省理財局国有財産総括課長等を経て、1994年九州財務局福岡財務支局長。1996年欧州復興開発銀行理事。1999年国際交流基金理事。
河手 悦夫(かわて えつお、1947年3月27日 - )は日… 河手 悦夫(かわて えつお、1947年3月27日 - )は日本の大蔵官僚。関東財務局長などを務めた。 大阪府大阪市出身(父母は岡山県出身)。大阪府立北野高等学校、京都大学経済学部卒業。1970年 大蔵省入省(銀行局銀行課)。1975年7月 鳴門税務署長。 1989年6月 大阪国税局総務部長。1992年7月 東京国税局総務部長。1993年7月2日 大臣官房金融検査部審査課長。1994年7月1日 北海道財務局長。1995年5月26日 広島国税局長。1996年7月12日 国土庁長官官房審議官(計画・調整局担当)。1997年7月15日 関東財務局長。1998年6月30日 関東財務局長兼関東財務局総務部長事務取扱。
太田 省三(おおた しょうぞう、1947年1月2日 - )は… 太田 省三(おおた しょうぞう、1947年1月2日 - )は日本の大蔵官僚。大臣官房地方課長、関東信越国税局長、関税局長心得兼大臣官房審議官(関税局担当)、大臣官房審議官(大臣官房担当)、印刷局長、特別認可法人生物系特定産業技術研究推進機構理事長、株式会社東京金融取引所代表取締役社長などを歴任。血液型はA型。 大阪府出身(父母は福岡県)。大阪府立北野高等学校、東京大学法学部卒業。1969年 大蔵省入省(証券局企業財務第一課)。1974年7月 大牟田税務署長。1975年7月 沼津税務署長。主計局主計官補佐(労働第一、二係主査)、主計局主計官補佐(地方財政第一、二、補助金係主査)、大臣官房企画官兼大臣官房文書課法令審査室長、総務庁行政管理局管理官(定員総括、特殊法人総括、外務省)、主計局主計企画官、主計局主計官(地方財政、補助金、大蔵担当)などを務める。
添田 隆昭(そえだ りゅうしょう 1947年 - )は、日本… 添田 隆昭(そえだ りゅうしょう 1947年 - )は、日本の高野山真言宗の僧(同派元宗務総長)、高野山大学教授・学長・理事長。母は日本宿坊ビジネスの元祖添田清美。 和歌山大学学芸学部附属中学校卒業、大阪府立北野高等学校卒業、京都大学文学部卒業、高野山大学大学院博士課程単位取得退学。 1961年蓮華定院で剃髪、度牒。1987年蓮華定院住職に就任。2007年権大僧正に補任。 2013年6月25日に金剛峯寺で宗務総長であった庄野光昭の後任を決める選挙会が行われ、添田隆昭が選ばれた。任期は7月5日から4年間。2017年には宗務総長に再任され、2021年まで務める。 高野山大学教授。高野山高等学校校長、学校法人高野山学園理事長を歴任。
服部健二(はっとり けんじ、1946年12月9日- )は、日… 服部健二(はっとり けんじ、1946年12月9日- )は、日本の哲学研究者、立命館大学名誉教授。 大阪府大阪市旭区生まれ。大阪府立北野高等学校卒、1971年四国学院大学人文学科卒業。1977年立命館大学大学院文学研究科西洋哲学専攻博士課程単位取得退学。1981年立命館大学文学部助教授、91年教授、97-99年文学部長、2012年名誉教授。
久米重治(くめ じゅうじ、1946年3月1日 - 2008年… 久米重治(くめ じゅうじ、1946年3月1日 - 2008年5月9日)は日本の大蔵官僚。横浜税関長、大臣官房審議官(関税局担当)、印刷局長などを歴任。趣味はスポーツ観戦。血液型はB型。 大阪府泉南郡出身(父は徳島県、母は三重県)。大阪府立北野高等学校、東京大学法学部卒業。1968年 大蔵省に入省(理財局資金課)。1973年7月 大館税務署長。外務省在インド日本大使館勤務、理財局国有財産総括課長補佐(総括・総務・審査)、理財局資金第一課長補佐、大阪税関総務部長、理財局総務課たばこ塩事業室長、東京税関総務部長などを経て、1991年6月 経済企画庁総合計画局計画課長。1993年6月25日 横浜税関長。
直嶋 正行(なおしま まさゆき、1945年〈昭和20年〉10… 直嶋 正行(なおしま まさゆき、1945年〈昭和20年〉10月23日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(4期)、経済産業大臣(第11・12代)、参議院懲罰委員長・運輸委員長、民進党エネルギー環境総合調査会長、民主党副代表・両院議員総会長・政策調査会長(第9代)・参議院幹事長・参議院政策審議会長・参議院国会対策委員長等を歴任した。国民民主党顧問。 大阪府池田市生まれ。父親を早くに亡くし、大阪府立北野高等学校定時制課程から神戸大学経営学部に進学した。1971年に神戸大を卒業し、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)に入社。1980年から全トヨタ労働組合連合会専従職員。1982年に全トヨタ労連組織局長、1991年に全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連)副会長に就任した。
篠原 総一(しのはら そういち、1945年 - )は、日本の… 篠原 総一(しのはら そういち、1945年 - )は、日本の経済学者で、専門は国際経済学、マクロ経済学。京都先端科学大学学長。同志社大学経済学部名誉教授。中国人民大学経済学院客座教授。日本経済教育センター理事長。2025年、瑞宝中綬章受章。 岡山県出身。大阪府立北野高等学校を経て、1969年東京大学経済学部卒業。1973年シカゴ大学大学院修士課程修了(M.A.)、1976年ウォータールー大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。中国人民大学・西北大学名誉博士。 1973年ウォータルー大学講師。同大助教授を経て、1978年より同志社大学経済学部講師、1980年同大助教授、1984年より同大教授。2015年より京都学園大学学長、同志社大学名誉教授。
森 恒夫(もり つねお、1944年〈昭和19年〉12月6日 … 森 恒夫(もり つねお、1944年〈昭和19年〉12月6日 - 1973年〈昭和48年〉1月1日)は、日本のテロリスト。新左翼活動家。連合赤軍中央委員会委員長。 大阪市電気局(後に大阪市交通局)に勤務していた父親のもと、大阪市大淀区(現・北区)長柄中に生まれる。長柄中には電気局(交通局)の公舎があった。中学・高校の同窓生の回想では、その時期には公舎は鉄筋コンクリート5階建の団地のような建物だったという。兄2人、妹1人の4人きょうだいだった。連合赤軍幹部時代に「共同軍事訓練」後に経歴を披露した際、小学生の時に在日朝鮮人の友人がいて民族差別に接したことを話したとされる。 大阪市立豊崎中学校から大阪府立北野高等学校に進学した。
岡沢 憲芙(おかざわ のりお、1944年7月12日 - 20… 岡沢 憲芙(おかざわ のりお、1944年7月12日 - 2024年11月9日)は、日本の政治学者。早稲田大学名誉教授。早稲田大学「日欧研究機構」機構長、早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授、北ヨーロッパ学会会長を歴任。 専攻は、比較政治学、リーダーシップ論。北ヨーロッパ地域研究。特に、「少子高齢社会への適応」研究に早くから取り組み、スウェーデンやノルウェー、フィンランド、デンマークといった北欧諸国の政治・社会制度研究の第一人者として知られる。 上海生まれ。1963年大阪府立北野高等学校卒業、1967年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、1972年大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。同年早稲田大学社会科学部助手。
垣内 剛(かきうち たけし、1944年4月15日-)は、日本… 垣内 剛(かきうち たけし、1944年4月15日-)は、日本の実業家。西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)元代表取締役社長。 大阪府出身。大阪府立北野高等学校を経て、1969年に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業し、日本国有鉄道入社。 2003年からJR西日本社長を務めていたが、2005年のJR福知山線脱線事故の責任を取り、2006年 取締役兼執行役員に降格。2007年から取締役を退任し顧問を務めていた。事故後は、遺族らとともに悲嘆についての聖トマス大学(当時、2015年閉学)の公開講座に参加するなど深く反省を示していた。2009年 山崎正夫社長(当時)が記者会見で、歴代社長の事故への責任を明確化するために顧問契約を解消し、南谷昌二郎顧問同様、8月1日付で嘱託となることを明らかにした。
阪田 雅裕(さかた まさひろ、1943年〈昭和18年〉9月2… 阪田 雅裕(さかた まさひろ、1943年〈昭和18年〉9月20日 - )は、日本の大蔵官僚、弁護士。勲等は瑞宝大綬章。アンダーソン・毛利・友常法律事務所顧問、第一東京弁護士会所属。 大蔵省大臣官房審議官、内閣法制局総務主幹、内閣法制局第三部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官などを歴任した。 和歌山県出身の大蔵官僚である。大蔵省においては、大臣官房参事官を経て審議官を務めた。のちに内閣法制局に出向し、総務主幹を経て、第三部や第一部の部長を務めるなど、要職を歴任した。2002年には内閣法制次長に就任した。2004年には秋山收の後任として内閣法制局長官に就任し、第2次小泉内閣から第3次小泉改造内閣にかけて同職を務めた。
松田 卓也(まつだ たくや、1943年3月12日 - )は、… 松田 卓也(まつだ たくや、1943年3月12日 - )は、日本の天文学者、宇宙物理学者。神戸大学名誉教授。理学博士(京都大学・1970年)。大阪府大阪市北区天神橋筋出身。 学部生時代から大学院生時代は天体核物理学研究室の林忠四郎の下で学んだ。 専門は近接連星系における降着円盤の流体数値シミュレーション、気体分子運動論など。また最近では軌道計算で使うMATLABや、流体シミュレーションに使うFEMLABにも関心をもつ。 専門以外では、疑似科学批判を行っており、Japan Skeptics会長。また、ハードSF研究所客員研究員でもある。 プレゼン道の開拓者。 シンギュラリティサロン主催。 松田の弟子に東北大学教授の二間瀬敏史がいる。
岡﨑 俊雄(おかざき としお、1943年 - )は、日本の官… 岡﨑 俊雄(おかざき としお、1943年 - )は、日本の官僚。元科学技術事務次官。 兵庫県出身。大阪大学工学部原子力工学科卒業後、科学技術庁入庁。長官官房審議官、原子力局長、科学審議官を経て、1998年(平成10年)科学技術事務次官に就任。 退官後は日本原子力研究所副理事長、同理事長を経て、2005年(平成17年)に日本原子力研究開発機構副理事長、2007年(平成19年)同理事長。もんじゅ運転再開に尽力し、再開後の2010年(平成22年)8月に理事長を退任。
木村 強(きむら つよし、1942年(昭和17年)11月26… 木村 強(きむら つよし、1942年(昭和17年)11月26日 - )は、日本の郵政官僚。元郵政省通信政策局長。
西岡 憲康(にしおか のりやす、1941年〈昭和16年〉5月… 西岡 憲康(にしおか のりやす、1941年〈昭和16年〉5月10日 - 2013年〈平成25年〉8月26日)は、日本の政治家、元岡山県備前市長(4期)。 1941年満洲国奉天省奉天市にて生まれる。1946年(昭和21年)に岡山県和気郡日生町(現在の備前市)へ引き揚げ、日生町立日生小学校、日生町立日生中学校を経て大阪府立北野高等学校に進学し、その後京都大学法学部に入り、卒業する。卒業後は岡山県庁に入り、のち自治省に出向する。 1975年、岡山県議会議員に初当選し(和気郡選挙区、自由民主党)、4期務める。1988年と1992年の岡山県知事選挙、1989年の参院選(岡山県選挙区、無所属)、1996年の衆院選(岡山3区、新進党)、1999年の岡山県議選に立候補したがいずれも落選した。
山本 雅弘(やまもと まさひろ、1940年(昭和15年)6月… 山本 雅弘(やまもと まさひろ、1940年(昭和15年)6月17日 - )は、株式会社毎日放送 (MBS) の相談役最高顧問、元社長・会長。東京放送ホールディングス取締役も務めた。 大阪府出身。大阪府立北野高等学校を経て、京都大学法学部卒業。 1964年(昭和39年)に毎日放送へ入社。第5代社長斎藤守慶が営業局の中心だった昭和40年代から50年代にかけ、部下として主に営業畑を歩んだ。1975年(昭和50年)のネットチェンジは東京支社テレビ営業部配属で迎え『ストロンガー』から『スーパー1』までの『仮面ライダー』シリーズのTBS系列移行を推進。『まんが日本昔ばなし』の立ち上げでは川内康範と組み、『世界まるごとHOWマッチ』では制作会社イーストと組んで大橋巨泉とビートたけしを結び付け大ヒット、巨泉のセミリタイアを5年延長させた。
槙坪 夛鶴子(まきつぼ たづこ、新字体:多鶴子、本名:光永 … 槙坪 夛鶴子(まきつぼ たづこ、新字体:多鶴子、本名:光永 夛鶴子、1940年〈昭和15年〉5月28日 - 2011年〈平成23年〉9月24日)は、日本の映画監督、スクリプター。 1940年、日野夛鶴子として広島県呉市に生まれる。1945年の広島市への原子爆弾投下の際には、爆心地から25キロ離れた、当時の安佐郡久地村(現在の広島市安佐北区)の父親の実家で被爆する。1950年に大阪へ転居し、後に大阪府立北野高等学校に進む。この間、両親が離婚し、高校の頃から母の槙坪姓を名乗るようになる。 早稲田大学第一文学部演劇科卒業。在学中に最初の結婚をし、出産する(後に離婚)。24歳ころに関節リウマチを発症するが、27歳ころに俳優の米倉斉加年に紹介され、スクリプター(記録係)として民芸映画社で働くことになり、映画界に入る。
國定 浩一(くにさだ こういち、1940年(昭和15年) -… 國定 浩一(くにさだ こういち、1940年(昭和15年) - 2024年(令和6年)1月24日)は、日本の経済評論家。大阪学院大学大学院商学研究科教授。専門は日本経済、関西経済。旧字の「國」が常用漢字に入っていないため、新聞やテレビ等では国定浩一と表記されることもある。 東京府生まれの大阪府育ち。大阪府立北野高等学校、東京大学法学部卒業。 大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件においては専務取締役として最終処理を担当している。 「金は汗を流して稼げ」がモットーである。外資系企業に対しては懐疑的な見解を採り、聖域なき構造改革に反対の立場に立つ。堀江貴文、村上世彰の手法を早くから批判し、小泉改革が格差を生んだとして小泉純一郎や竹中平蔵を強く批判している。
伴 襄(ばん のぼる、1940年(昭和15年) - )は、日… 伴 襄(ばん のぼる、1940年(昭和15年) - )は、日本の官僚。元建設事務次官。大阪府出身。
松本 徹三(まつもと てつぞう、1939年(昭和14年)11… 松本 徹三(まつもと てつぞう、1939年(昭和14年)11月15日[要出典] - )は日本の実業家であり、作家でもある。 元ソフトバンクモバイル取締役副社長(2020年3月までソフトバンクグループ シニアアドバイザー)。ORNIS株式会社代表取締役会長。株式会社 ジャパン・リンク 代表取締役社長。一般財団法人 高IQ者認定支援機構代表理事。 兄一人、姉二人の末子として東京で生まれ、生後3か月で大阪へ移る。 幼年期は兵庫県西宮市[要出典]、東京都中野区[要出典]に住み、戦争が激しくなると、栃木県上野郡東大芦村大字引田[要出典]に疎開した。疎開先で終戦になり、ラジオで玉音放送を聴いた。終戦後、大阪へ戻った。
佐伯 胖(さえき ゆたか、1939年6月27日 - )は、日… 佐伯 胖(さえき ゆたか、1939年6月27日 - )は、日本の認知心理学者。信濃教育会教育研究所所長。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。 岐阜県生まれ。大阪府立北野高等学校卒業。1964年慶應義塾大学工学部管理工学科卒業。同大学大学院工学研究科管理工学専攻修士課程修了。ワシントン大学大学院心理学専攻修士課程および博士課程修了、Ph.D.(1970年)。 東京理科大学理工学部助教授、東京大学大学院教育学研究科・教育学部長・教授。2000年定年退官、名誉教授、青山学院大学文学部教育学科教授を経て、2008年度から同大学社会情報学部教授、ヒューマン・イノベーション研究センター所長。2013年同大学退職、名誉教授。
柏木 哲夫(かしわぎ てつお、1939年5月29日 - )は… 柏木 哲夫(かしわぎ てつお、1939年5月29日 - )は、日本の医学者、内科医、精神科医。博士(医学)、博士(人間科学)。専門はターミナルケア。クリスチャンであり、日本メノナイト・ブレザレン教団石橋キリスト教会会員。淀川キリスト教病院理事長、大阪大学名誉教授、ホスピス財団理事長。 兵庫県出身。大阪府立北野高等学校を経て、1965年大阪大学医学部卒業。大阪大学精神神経科に3年勤務。69年ワシントン大学に留学。72年帰国、淀川キリスト教病院に精神神経科を開設、ターミナルケア 実践のためチームを結成。 その後、同病院にて内科医としての研修を受け、1984年にホスピスを開設し、その後副院長、ホスピス長を経て、93年大阪大学人間学部教授。
森本 昌義(もりもと まさよし、1939年 - )は、日本の… 森本 昌義(もりもと まさよし、1939年 - )は、日本の実業家。英国国立ウェールズ大学経営大学院MBA(日本語)プログラム・CSR担当講師、森本CSR研究室主宰、経営倫理士、M.ProーConsulting代表取締役社長。 1939年大阪市生まれ。大阪府立北野高等学校を経て、1962年東京大学法学部卒業。ソニーに入社後、米コロンビア大学経営大学院留学、ソニーアメリカに15年、ソニーブラジルに10年勤務したのち、ソニー執行役員専務、アイワ代表取締役社長を経て、2003年6月25日にベネッセコーポレーションの代表取締役社長兼COOに就任。 その後、2006年6月代表取締役社長兼CEOに昇格。2007年2月21日、CEOを辞任し同社を退社。
藤 洋作(ふじ ようさく、1937年〈昭和12年〉9月14日… 藤 洋作(ふじ ようさく、1937年〈昭和12年〉9月14日 - )は、日本の経営者。関西電力元代表取締役社長。電気事業連合会元会長。元原子力発電環境整備機構(NUMO)副理事長。2022年(令和4年)12月現在、株式会社原子力安全システム研究所取締役会長である。 大阪府出身。国立大阪教育大学附属池田小学校・同附属池田中学校を経て、大阪府立北野高等学校卒業。 1960年(昭和35年)3月に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年4月関西電力株式会社に入社。1989年(平成元年)6月に支配人。1993年6月に取締役。1997年6月、専務取締役。1999年6月に代表取締役副社長となり、2001年6月、石川博志の後任の代表取締役社長に就任した。
井川 高雄(いかわ たかお、1937年8月28日 - 201… 井川 高雄(いかわ たかお、1937年8月28日 - 2019年9月19日)は、日本の実業家・経営者である。大王製紙創業家2代目で、同社社長・会長等を歴任した。 大王製紙の創業者である父伊勢吉の社長時代に、倒産という修羅場を経験したが、父と力を合わせて大王製紙を再建。家庭用紙への参入など時代の先を読む経営手腕を発揮して、同社を王子製紙、日本製紙に次ぐ業界3位の総合紙パルプメーカーに育て上げた。 1937年(昭和12年)、当時愛媛県宇摩郡三島町(現在の四国中央市)で製紙原料商を営んでいた井川伊勢吉の長男として生まれた。 1943年(昭和18年)、父・伊勢吉は大王製紙を創立、社長に就任した。 大阪府立北野高等学校を経て、慶應義塾大学文学部英文学科を1年ずつ浪人留年して卒業。
大賀 正行(おおが まさゆき、1937年8月2日 - 202… 大賀 正行(おおが まさゆき、1937年8月2日 - 2024年4月15日)は、日本の部落解放運動家。部落解放・人権研究所名誉理事。 部落解放同盟中央執行委員、部落解放研究所理事を歴任。 大阪市東淀川区西淡路(日之出地区)出身。被差別部落出身ではない父親と被差別部落出身の母親の間に非嫡出子として生まれる。父親は鏡会社の工場長、母親はその工場の工員であった。大阪市立啓発小学校2年の時、父親の正妻のもとに引き取られ、和歌山市で異母姉兄と共に育てられる。和歌山師範附属小学校(現・和歌山大学教育学部附属小学校)に編入学したが、1945年7月9日の和歌山大空襲で被災したため日之出地区に戻り、さらにまた父親のもとに移るなど、被差別部落の内外を往復して育つ。
野村 徹(のむら とおる、1937年1月1日 - 2026年… 野村 徹(のむら とおる、1937年1月1日 - 2026年4月8日)は、大阪府出身の野球選手(捕手)・コーチ・監督。 北野高校卒業後の1957年に早稲田大学へ進学し、東京六大学リーグでは在学中2度優勝に貢献するなど頭脳派捕手として活躍。3年次の1959年春季では同期の金沢宏、1年下の安藤元博の両投手とバッテリーを組み、木次文夫、徳武定之らの強力打線の援護もあって、4連覇を続けてきた立大に競り勝ち優勝を飾る。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で再試合の末、関学を降し優勝。4年次の1960年秋季の早慶六連戦では全6試合にマスクを被り、安藤元の力投を支えた。リーグ通算59試合出場、179打数40安打、打率.223、0本塁打、16打点。
辻本 嘉助(つじもと かすけ、1937年 - 2020年10… 辻本 嘉助(つじもと かすけ、1937年 - 2020年10月9日)は、日本の医師。医学博士(大阪市立大学)。淀川キリスト教病院院長を務めた。 1937年、辻本家に生まれる。その後、大阪市で暮らす。関西学院中学、大阪府立北野高等学校卒業を経て、大阪市立大学医学部を卒業。また、大阪市立大学病院外科、淀川キリスト教病院にて勤務。その後、ピッツバーグ大学モンテフィオレ病院外科研究員として勤務。「先天性腸閉鎖の発生病理に関する実験的研究」で医学博士号(大阪市立大学)を取得。 その後再び、淀川キリスト教病院にて勤務。1996年~2003年まで同院院長を務めた。 他にも、公益財団法人日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団顧問、学校法人梅花学園理事、学校法人関西医療学園理事、公益社団法人日本キリスト教海外医療協力会理事などを務めた。
高城 丈二(たかぎ じょうじ、1936年12月3日 - )は… 高城 丈二(たかぎ じょうじ、1936年12月3日 - )は、日本の元俳優・元歌手。本名・清水嘉美(しみず よしみ)。 大阪府豊中市出身。大阪府立北野高等学校卒業。デビュー当時の芸名は若杉 啓二(わかすぎ けいじ)。その風貌から和製ジュリアン・ソレルと称された。その後輸血によって肝炎を患い、闘病生活を余儀なくされた事により、俳優業を自ら退いた。その後は実業家に転じている。
中馬 弘毅(ちゅうま こうき、1936年〈昭和11年〉10月… 中馬 弘毅(ちゅうま こうき、1936年〈昭和11年〉10月8日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、国土交通副大臣(第1次小泉改造内閣)等を歴任した。2013年4月、旭日大綬章を受章。 父は元大阪市長の中馬馨。 大阪市天王寺区生まれ。本籍は父の郷里、宮崎県西都市。 父・馨が大阪市政に携わり市民派として大阪市長を歴任したこともあり、政治を志して都市政策、地方自治法の改正をライフワークとする。 1976年12月、衆議院議員初当選。1984年11月、環境政務次官。1990年2月、自治政務次官。1999年10月、運輸総括政務次官(副大臣)。 2002年10月国土交通副大臣。
ひろさちや(本名:増原 良彦(ますはら よしひこ)、1936… ひろさちや(本名:増原 良彦(ますはら よしひこ)、1936年〈昭和11年〉7月27日 - 2022年〈令和4年〉4月7日)は、日本の宗教評論家。仏教思想家。 自称「仏教原理主義者」。多数の一般向けの解説書を執筆。 大阪府大阪市に生まれ、大阪府立北野高等学校を経て、東京大学で印度哲学、仏教学を学び、気象大学校で20年間教鞭を執る。教員生活の傍ら、「ひろさちや」のペンネームで平易な言葉で多数の入門書を執筆し、一般の人々に仏教を身近な物として再認識させた。自身は浄土宗の信者だった。
加地 伸行(かじ のぶゆき、1936年〈昭和11年〉4月10… 加地 伸行(かじ のぶゆき、1936年〈昭和11年〉4月10日 - )は、日本の中国哲学者。 大阪大学名誉教授、Z会顧問。号は孤剣楼。筆名は二畳庵主人。『漢文法基礎』の著者としても知られる。 大阪市出身。大阪府立北野高等学校を経て、1960年京都大学文学部卒業。卒業論文では『孝経』を扱う。1963年京都大学大学院修士課程修了。修士論文では『史記』を扱う。大学院在学中は重澤俊郎の指導を受ける。 1963年、高野山大学文学部講師。1968年、同助教授。1969年、名古屋大学文学部助教授。1972年から翌年まで、台湾淡江文理学院副教授を兼任。 1982年、大阪大学文学部助教授。同年、博士論文「『公孫龍子』の研究」で東北大学文学博士(主査は金谷治)。
小松 彦三郎(こまつ ひこさぶろう、1935年 - )は日本… 小松 彦三郎(こまつ ひこさぶろう、1935年 - )は日本の数学者。東京大学名誉教授。
森 南海子(もり なみこ、1934年7月9日 - )は、日… 森 南海子(もり なみこ、1934年7月9日 - )は、日本の服飾デザイナー、エッセイスト。日本に「リフォーム」という言葉を根付かせたとされ、また布の蒐集家としても知られる。 大阪府大阪市出身。大阪府立北野高等学校卒。本名は松村南海子。戦後まもなく、南海子が小学6年生のとき父が死去し、母と二人で生活する。母・しまは甘粕の出身で甘粕正彦と甘粕重太郎とは従兄弟の関係であり、甘粕石介は母の弟で、南海子の叔父にあたる。 1958年に、大阪の阪神百貨店の洋服売り場で当時「お直し」や「修繕」と言われていた洋服のリフォームの店を出した。「手縫い塾」を主宰し、ホテル阪神の地下にも店を持った。 また、確実な収入源として、1959年にリフォームの店と同じ阪神百貨店の地下に食堂「天ぷら森」を開いた。
脇田 晴子(わきた はるこ、1934年3月9日 - 2016… 脇田 晴子(わきた はるこ、1934年3月9日 - 2016年9月27日 )は、日本の歴史学者。滋賀県立大学名誉教授。文学博士(京都大学、1969年)(学位論文「中世商工業座の構造」)。兵庫県西宮市生まれ。父は俳人の麻野恵三(微笑子)、夫は歴史学者の脇田修。子は経済学者の脇田成。
足立 克己(あだち かつみ、1932年11月4日 - 200… 足立 克己(あだち かつみ、1932年11月4日 - 2000年1月19日)は、日本の漫才作家、放送作家。 大阪府大阪市生まれ。生家は複数の職人を雇うほどの大手のパン店だった。 旧制大阪府立北野中学校在学中に、学制改革のため中学が新制の大阪府立北野高等学校となり、1951年同高校卒業。同年大阪外国語大学中国語科に入学するも、3か月で中退し、翌年に和歌山大学経済学部に入学する。和歌山大では野球部に入部し、1番・遊撃手のレギュラーを獲得した。またそのかたわら、寄席通いに熱中した。 当時和歌山大は近畿六大学野球連盟のリーグ1部に所属し、足立もリーグ表彰を受け、社会人野球の三井造船玉野への入団が決まりかけたがこれを固辞し「普通のサラリーマン」を目指す。
角地 正純(かくち まさずみ、1932年〈昭和7年〉2月28… 角地 正純(かくち まさずみ、1932年〈昭和7年〉2月28日 - 2013年〈平成25年〉7月11日)は、大阪府出身の日本の声楽家。大阪信愛女学院短期大学名誉教授。1981年〈昭和56年〉芸術文化勲章シュヴァリエ。関西二期会創立メンバーでもある。 台湾総督府に勤める父健次と、母照子の第一子として生まれる。13歳で終戦、大阪へ戻る。 大阪府立北野高等学校卒業後、大阪学芸大学(現・大阪教育大学)に入学、同学専攻科を卒業する。在学中から推薦を受け、NHK大阪放送合唱団へオーディションにより入団。公私共に宗教曲を多く演奏する活動のなかでキリスト教にその源泉を求め、ロベルト・ブリーゲン神父(大阪芸術大学名誉教授、ベルギーフランドル交流センター元館長)の元でグレゴリオ聖歌を中心に典礼音楽を学ぶ。
引田 英雄(ひきた ひでお、1931年4月30日 - 200… 引田 英雄(ひきた ひでお、1931年4月30日 - 2002年8月19日)は、日本の映画監督である。日本映画監督協会会員(物故会員)。 1931年(昭和6年)4月30日、東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)に生まれる。父は宝塚少女歌劇団理事長、宝塚音楽学校校長を歴任した引田一郎である。出身は兵庫県とされることもある。 第二次世界大戦後、大阪府立北野高等学校を卒業、日本大学藝術学部演劇学科に進学する。同学在学中の1953年(昭和28年)、宝塚映画製作所(現在の宝塚映像)が製作した斎藤寅次郎監督の『かっぱ六銃士』に出演、同作は東宝の配給で同年8月26日に公開された。 1955年(昭和30年)、宝塚映画製作所助監督部に入社する。