井上 昭夫(いのうえ あきお、1972年 - )は、日本の森… 井上 昭夫(いのうえ あきお、1972年 - )は、日本の森林学者。近畿大学教授。博士(農学)(九州大学・2001年)。
高知県立高知追手前高等学校:13人
井上 昭夫(いのうえ あきお、1972年 - )は、日本の森… 井上 昭夫(いのうえ あきお、1972年 - )は、日本の森林学者。近畿大学教授。博士(農学)(九州大学・2001年)。
森岡 周(もりおか しゅう、1971年3月20日 - )は、… 森岡 周(もりおか しゅう、1971年3月20日 - )は、日本の医学者。畿央大学教授。博士(医学)。資格は理学療法士。専門は理学療法学、リハビリテーション、神経科学、ニューロリハビリテーション。一般社団法人日本神経理学療法学会副理事長。一般社団法人日本ペインリハビリテーション学会監事。
川田 稔(かわだ みのる、1947年(昭和22年)6月21日… 川田 稔(かわだ みのる、1947年(昭和22年)6月21日 - )は、日本の歴史学者・政治学者。名古屋大学名誉教授、前日本福祉大学教授。専攻は、政治外交史・政治思想史。 近代日本の政治外交史、政治思想史を専門とし、原敬・濱口雄幸・山縣有朋など主に大正期の政治家・政党政治家や永田鉄山をはじめとする昭和陸軍を中心に研究を行っている。また、民俗学者として知られる柳田國男を政治思想史的観点から研究している。2012年、『昭和陸軍の軌跡』で第21回山本七平賞受賞。 高知県生まれ。1971年岡山大学法文学部卒業、1978年名古屋大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学、1987年法学博士(名古屋大学)(学位論文「柳田国男の思想史的研究」)。
秌場 準一(あきば じゅんいち、「あき」の字は「火」へんに「… 秌場 準一(あきば じゅんいち、「あき」の字は「火」へんに「禾」(ノギ)、1932年10月6日 - )は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(一橋大学)・LL.M.(イェール大学)。一橋大学名誉教授。日本学術会議会員、国際法学会理事長、国際私法学会理事長を歴任。 兵庫県神戸市生まれ。中学時に神戸から母の故郷である高知に転居。一橋大学では久保岩太郎と大平善梧に師事。博士課程を修了した1960年から一橋大学に勤務。1966年に当時東京大学法学部助手だった鳥居淳子(国際私法学者、成城大学教授、法務省法制審議会会長)と結婚。1996年3月に63歳を定年とする一橋大学の定年制により定年退官。指導学生に横山潤一橋大名誉教授、中山ひとみ元第二東京弁護士会副会長など。
深瀬 忠一(ふかせ ただかず、1927年3月1日 - 201… 深瀬 忠一(ふかせ ただかず、1927年3月1日 - 2015年10月5日)は、日本の法学者。専門は憲法。北海道大学名誉教授。法学博士(北海道大学・論文博士・1962年)(学位論文「衆議院の解散 : 比較憲法史的考察」)。高知県出身。宮澤俊義門下。 東京大学法学部在学中に戦後憲法学の始祖・宮沢俊義教授に師事する。宮沢の晩年の弟子。 内村鑑三らが設立した札幌独立キリスト教会の会員であった。自らのクリスチャンとしての生き方と日本国憲法の精神を重ねあわせ、やや思想が先行した典型的な護憲派学者として知られる。恵庭事件、長沼ナイキ事件などの訴訟でも出廷し、鑑定人として証言した。 恵庭事件発生当時、まだ学部生だった笹川紀勝から、「このような事件がある。
有沢 広巳(ありさわ ひろみ、有澤 廣巳、1896年(明治2… 有沢 広巳(ありさわ ひろみ、有澤 廣巳、1896年(明治29年)2月16日 - 1988年(昭和63年)3月7日)は、日本の統計学者、経済学者。位階は正三位。 法政大学元総長。東京大学名誉教授、法政大学名誉教授。統計学が専門分野で、実証に徹した。 高知県出身。高知中学を経て、第二高等学校卒業。東京帝国大学では法学部から独立したばかりの経済学部の第一期生として統計学を糸井靖之の演習にて学ぶ。また河合栄治郎の講義を熱心に聴いた。大内兵衛に師事し、マルクス経済学を学ぶ。1922年(大正11年)に同大学を卒業後、助手を経て1924年(大正13年)に同大経済学部統計学講座の助教授となる。同年、同大講師の猪間驥一を大学から追放した。
小島 祐馬(おじま すけま、1881年〈明治14年〉12月3… 小島 祐馬(おじま すけま、1881年〈明治14年〉12月3日 - 1966年〈昭和41年〉11月18日)は、東洋史学者・東洋思想史研究者(中国社会思想史)。京都帝国大学名誉教授。号は「抱甕」(ほうおう)。財団法人板垣会顧問。 1881年、高知県吾川郡弘岡上ノ村(現・高知市)で生まれた。弘岡上ノ村の小学校を卒業して高知県立第一中学校に進学し、漢文の授業では『日本外史』『十八史略』『孟子』などを学び、荻生徂徠の立場から孟子を非難する教師に反論して孟子を弁護したりしたという。また、後年の小島は、これまで読んできたなかで最も有益で興味深い中国の書物として、中学時代から読んできた『孟子』『荘子』『史記』を挙げると述べている。
山本 忠興(やまもと ただおき、1881年(明治14年)6月… 山本 忠興(やまもと ただおき、1881年(明治14年)6月25日 - 1951年(昭和26年)4月21日)は、日本の電気工学者、発明家、教育者。 高知県香美郡岩村(現南国市金地)出身。政治家山本忠秀の長男として生まれるが、母親の山本さがは入籍前に死去したため、忠秀の養子として育てられる。 1893年(明治26年)高知県尋常中学校進学、野球やボートなどスポーツに取り組み、英語や体操は得意だったが、数学や図画は不得意だった。1898年(明治31年)同校を首席で卒業し上京、1899年(明治32年)9月第一高等学校入学、剣道や野球、ボートの選手として活躍する。1902年(明治35年)9月東京帝国大学工科大学電気工学科入学、在学中に植村正久の指導でキリスト教に入信。1905年(明治38年)同大学を卒業、芝浦製作所(現東芝)に入所。
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月… 寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、日本の物理学者、随筆家、俳人 日本派。吉村 冬彦(1920年から使用)、牛頓(ニュートン)、藪柑子(やぶこうじ)の筆名も使用している。俳号寅日子。高知県出身(出生地は東京市)。 東大物理学科卒。熊本の五高時代、物理学者田丸卓郎と、夏目漱石と出会い、終生この2人を師と仰いだ。東大入学後、写生文など小品を発表。以後物理学の研究と並行して吉村冬彦の名で随筆を書いた。随筆集に『冬彦集』(1923年)などがある。 1878年(明治11年)11月28日東京市麹町区(現在の千代田区)に高知県士族(旧足軽)寺田利正・亀夫妻の長男として誕生。
田中 茂穂(たなか しげほ、1878年8月16日 - 197… 田中 茂穂(たなか しげほ、1878年8月16日 - 1974年12月24日)は、日本の魚類学者であり、東京帝国大学の動物学の教授である。「近代魚類分類学の父」として知られる。魚類やサメに関する多くの論文を発表し、著名なアメリカ人科学者であるデイビッド・スター・ジョーダンおよびジョン・オターバイン・スナイダー(英語版)とともに日本の魚類に関する書籍(Jordan, Tanaka & Snyder 1913)を共著し、一般性の高い地方名に基づく標準和名を提唱した。財団法人板垣会顧問。 研究論文を約300編、書籍は50冊に及ぶ著作を行っている。
市村 光恵(いちむら みつえ、1875年(明治8年)8月5日… 市村 光恵(いちむら みつえ、1875年(明治8年)8月5日 - 1928年(昭和3年)9月27日)は、日本の憲法学者、政治家。京都市長。 1875年(明治8年)8月5日、高知県高岡郡蓮池村芋岡(現:土佐市)に生まれる。1894年(明治27年)高知尋常中学校、1902年(明治35年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業。 東京帝国大学講師になる。1903年(明治36年)京都帝国大学助教授に、1909年(明治42年)京都帝国大学教授に就任。翌年、法学博士の学位を受く。昭和2年(1927年)京都市長に選任されたため、大学を退官し、名誉教授となる。昭和3年(1928年)9月27日、53歳で死去。墓は京都市上賀茂大乗寺境内。
森田 正馬(もりた まさたけ、通称:しょうま、1874年〈明… 森田 正馬(もりた まさたけ、通称:しょうま、1874年〈明治7年〉1月18日 - 1938年〈昭和13年〉4月12日)は、日本の医学者、精神科神経科医。(森田)神経質に対する精神療法である「森田療法」を創始した。 高知県野市町(現・香南市)生まれ。号は形外。 高知県立第一中学、第五高等学校、東京帝国大学医科大学を卒業。東京帝国大学では呉秀三門下。巣鴨病院に勤務。根岸病院顧問(1906-29)。東京慈恵会医科大学教授を務める。 1919年(大正8年)、妻の久亥の助けを借りながら、自宅を利用して神経症の入院療法を開始する。
島崎 猪十馬(しまざき いそま、1866年6月24日(慶応2… 島崎 猪十馬(しまざき いそま、1866年6月24日(慶応2年5月12日)- 1952年(昭和27年)3月21日)は、自由民権運動家・歴史家、自由民権運動高知旧各社記念会・世話人。板垣伯銅像記念碑建設同志会理事。 慶応2年5月12日(1866年6月24日)、土佐藩士・島崎善七の次男として、高知城下に生まれる。 明治10年(1877年)10月5日、高知県土佐国高知市第八大区四小区築屋敷38番地より高知市小高坂村越前町22番屋敷(現・高知市桜馬場)に転住。 高知市九反田の旧開成館に開校した立志学舎に学び、同年12月、自由民権運動の少年結社「活動舎」に加盟し、のち「嶽洋社」の活動に加わる。 明治15年(1882年)3月25日、高知第一中学校高等科(現・高知県立高知追手前高等学校)を卒業。