スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
入江 海平(いりえ かいへい、1881年(明治14年)1月1… 入江 海平(いりえ かいへい、1881年(明治14年)1月1日 – 1938年(昭和13年)1月17日)は、日本の朝鮮総督府官僚。南満洲鉄道理事。拓務次官。玄洋社社員。 福岡県宗像郡(現・宗像市)出身。1900年(明治33年)福岡県中学修猷館、1904年(明治37年)7月第七高等学校造士館法科を経て、1908年(明治41年)7月東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、統監府嘱託となった。翌年に高等文官試験に合格し、統監府書記官、朝鮮総督府書記官、総務部会計局経理課長、総督官房会計課長、度支部理財課長を歴任した。1917年(大正6年)、内閣拓殖局書記官に転じ、第一課長、南満洲鉄道株式会社監理官、東洋拓殖株式会社監理官などを務めた。
中野 太三郎(なかの たさぶろう、1880年(明治13年)1… 中野 太三郎(なかの たさぶろう、1880年(明治13年)12月 - 1941年(昭和16年)11月10日)は、朝鮮総督府官僚、実業家。玄洋社員。
森 安三郎(もり やすさぶろう、1880年 - 1952年9… 森 安三郎(もり やすさぶろう、1880年 - 1952年9月25日)は、日本の外交官。
平田 知夫(ひらた ともお、1880年(明治13年) - 1… 平田 知夫(ひらた ともお、1880年(明治13年) - 1918年(大正7年)3月15日)は、日本の外交官。在カルカッタ領事を経て、在モスクワ領事を務めた。 福岡県宗像郡池野村(現宗像市)に、平田道見の長男として生まれる。福岡県立尋常中学修猷館(現福岡県立修猷館高等学校)、第一高等学校を経て、1905年(明治38年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。 在学中、1903年(明治36年)にはロシア帝国領浦潮から単身徒歩で朝鮮に向い、翌1904年(明治37年)には揚子江を遡って漢口から北京を訪れた。広田弘毅とは修猷館以来の同窓で親友であった。 1906年(明治39年)、第15回外交官及領事官試験に合格。
猪野 鹿次(いの しかじ、1879年(明治12年)9月7日 … 猪野 鹿次(いの しかじ、1879年(明治12年)9月7日 - 没年不明)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家。大日本帝国陸軍軍人。福岡県飯塚市長。号に城南。 猪野昌の長男として福岡区(現福岡市)に生まれる。1900年(明治33年)、福岡県中学修猷館を卒業。1902年(明治35年)12月、福岡県属となったのち陸軍に入り、1904年(明治37年)2月、陸軍歩兵少尉、1905年(明治38年)8月、中尉と進んだ。この間、日露戦争に出征した。1913年(大正2年)10月、福岡県築上郡長に就任し、1916年(大正5年)2月、同県三井郡長に転じる。1920年(大正9年)9月、筑紫郡長となり、1926年(大正15年)6月、退官した。
貝原 良介(かいばら りょうすけ、1879年8月17日 - … 貝原 良介(かいばら りょうすけ、1879年8月17日 - 1918年10月22日)は、日本の教育者、物理学者。 福岡藩士族貝原信の長男として、福岡県に生まれる。1898年福岡県立尋常中学修猷館、1901年第五高等学校理科を経て、1904年東京帝国大学理科大学理論物理学科を卒業。 1906年学習院教授に就任し、物理、数学を講じた。 1918年10月22日、腎臓病により死去、従五位勲六等。
吉田 貞雄(よしだ さだお、1878年10月26日 - 19… 吉田 貞雄(よしだ さだお、1878年10月26日 - 1964年4月15日)は、日本の寄生虫学者。大阪大学名誉教授。
有田 延(ありた のぶ、1878年1月2日 - 1944年1… 有田 延(ありた のぶ、1878年1月2日 - 1944年10月19日)は、日本の造船技術者。海軍造船少将。 福岡県出身。1896年福岡県立尋常中学修猷館、1899年7月第五高等学校工科を経て、1902年7月東京帝国大学工科大学造船学科を卒業。東大在学中の1901年2月、海軍造船学生試験に合格。 1902年呉海軍造船廠に入り、その後、造船廠と造兵廠が合併し、呉海軍工廠が設立されると、その造船部部員となる。1907年佐世保海軍工廠造船部部員となる。ここで筑摩型防護巡洋艦の設計を行い、この型の巡洋艦として、筑摩、 矢矧、平戸の3隻が建造された。 1911年造船監督官として英国に出張。ヴィッカース社による戦艦金剛の建造を監督し、竣工まで立ち会っている。
水上 泰生(みずかみ たいせい、1877年10月24日 - … 水上 泰生(みずかみ たいせい、1877年10月24日 - 1951年2月21日)は、日本の日本画家。
吉田 博(よしだ ひろし、1876年(明治9年)9月19日 … 吉田 博(よしだ ひろし、1876年(明治9年)9月19日 - 1950年(昭和25年)4月5日)は、日本の洋画家、版画家。自然と写実そして詩情を重視した作風で、明治、大正、昭和にかけて風景画家の第一人者として活躍した。
中村 天風(なかむら てんぷう、1876年7月30日 - 1… 中村 天風(なかむら てんぷう、1876年7月30日 - 1968年12月1日)は日本の思想家、実業家。日本初のヨーガ行者で、天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は中村三郎(なかむらさぶろう)。
原口 初太郎(はらぐち はつたろう、明治9年(1876年)1… 原口 初太郎(はらぐち はつたろう、明治9年(1876年)1月29日 - 昭和24年(1949年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。衆議院議員、貴族院議員。
高原 操(たかはら みさお、1875年12月16日 - 19… 高原 操(たかはら みさお、1875年12月16日 - 1946年11月21日)は、日本のジャーナリスト。大阪朝日新聞主筆兼取締役編集局長。大正デモクラシーの第一線言論人。
八波 則吉(やつなみ のりきち、1875年3月1日 - 19… 八波 則吉(やつなみ のりきち、1875年3月1日 - 1953年12月7日)は、日本の日本文学研究者、国語教育学者、作詞家。旧制第四高等学校教授、旧制第五高等学校名誉教授。
藤田 秀太郎(ふじた ひでたろう、1875年 - 1960年… 藤田 秀太郎(ふじた ひでたろう、1875年 - 1960年)は、日本の眼科学者。
葦津 洗造(あしづ せんぞう、1875年 - 1927年1月… 葦津 洗造(あしづ せんぞう、1875年 - 1927年1月3日)は、日本の神職。筥崎宮宮司。 福岡市出身。筥崎宮の社家に生まれる。筥崎宮宮司と香椎宮宮司を務めた葦津磯夫の長男、葦津耕次郎の兄、葦津珍彦の伯父。 1891年福岡県立尋常中学修猷館を経て、神宮皇學館を卒業。1904年高良神社宮司となり、1908年筥崎宮宮司に就任。その後終生同宮に奉じた。 1913年福岡県神職会(福岡県神社庁の前身)副会長に推され、没するまでその地位にあった。
久世 庸夫(くせ つねお、1875年 - 1945年7月31… 久世 庸夫(くせ つねお、1875年 - 1945年7月31日)は、日本の政治家、大蔵官僚。 第8,9,12,13代福岡市長。
尾形 次郎(おがた じろう、1874年9月15日 - 195… 尾形 次郎(おがた じろう、1874年9月15日 - 1953年9月29日)は、日本の電気技術者、実業家。 福岡藩士尾形喜六の次男として福岡県に生まれる。1892年福岡県立尋常中学修猷館、1895年第五高等学校工科を経て、1898年東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業。 1898年三井鉱山に入社、炭鉱坑内の動力を当時主流であった蒸気力から電力に切り替えるための調査と設計を行い、1901年に成し遂げる。その後も電力を応用した多くの設備開発や業務上の改善を推し進め、日本の採炭事業の電化に貢献した。 1909年欧米における電気事業の視察のため派遣され、特に炭鉱に関する電気事業を精査し、1910年帰国しその得た知識をもって数多くの事業の刷新を行った。
香椎 秀一(かしい しゅういち/ひでかず/ひでいち、1874… 香椎 秀一(かしい しゅういち/ひでかず/ひでいち、1874年2月23日 - 1962年4月13日)は、大正から昭和期の日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍中将香椎浩平の兄。 福岡県出身。福岡県立尋常中学修猷館を経て、1895年(明治28年)1月1日に陸軍士官学校(6期)を卒業。同年5月、歩兵少尉任官。1903年(明治36年)11月、陸軍大学校(17期)を卒業。のちドイツ駐在となる。 1914年(大正3年)8月、大分連隊区司令官に就任。1915年(大正4年)8月、歩兵大佐に昇進し、同年9月21日、歩兵第61連隊長となる。1917年(大正6年)4月5日に関東都督府(後の関東軍)高級参謀に転じた。
松井 元興(まつい もとおき、1873年12月25日 - 1… 松井 元興(まつい もとおき、1873年12月25日 - 1947年5月24日)は、日本の物理化学者。京都帝国大学総長、立命館大学学長、日本物理化学研究会初代会長。
飯田 延太郎(いいだ のぶたろう、1873年〈明治6年〉5月… 飯田 延太郎(いいだ のぶたろう、1873年〈明治6年〉5月2日 - 没年不詳)は、日本の実業家。 飯田久助の長男として、福岡県穂波郡、のちの嘉穂郡桂川村(現桂川町)で生まれた。1896年福岡県立尋常中学修猷館を経て、1898年中央大学を卒業。 1899年弁護士試験に合格し、東京地方裁判所所属弁護士を経て、独立開業する。 1910年弁護士を廃業して玄洋社に入り、鉱山業に従事。1911年北海道炭山を三井鉱山に、次いで1915年美唄炭山を三菱合資に売却して、巨利を得て実業界に進出。南満洲太興を設立して代表社員となり、天図軽便鉄路、図們鉄道、弓張嶺鉄山、天宝山銀銅鉱などの事業を経営。新登川炭鉱社長、神国生命保険社長、有隣生命保険社長、萬朝報社長なども務めた。
安河内 麻吉(やすこうち あさきち、1873年(明治6年)4… 安河内 麻吉(やすこうち あさきち、1873年(明治6年)4月15日 - 1927年(昭和2年)7月15日)は、日本の内務官僚。
安永 東之助(やすなが とうのすけ、1872年11月 - 1… 安永 東之助(やすなが とうのすけ、1872年11月 - 1905年11月17日)は大陸浪人。日露戦争における特別任務隊満州義軍隊員・掩撃隊第一隊長。
川口 虎雄(かわぐち とらお、1871年10月4日〈明治4年… 川口 虎雄(かわぐち とらお、1871年10月4日〈明治4年8月20日〉- 1944年〈昭和19年〉5月16日)は、日本の土木工学者・教育者。 福岡県上妻郡津江村(現・八女市津江)に生まれる。1890年福岡県立尋常中学修猷館、1892年第五高等中学校工科を経て、1895年帝国大学工科大学土木工学科を卒業する。 1895年熊本県技手、翌1896年技師となり、国の重要文化財に2004年に指定された旧郡築新地甲号樋門(郡築三番町樋門、熊本県八代市)などを設計している。1900年第五高等学校教授・工学部土木科主任に就任。1905年から2年間アメリカ、フランスに留学してコロンビア大学等で学び、1906年官制改革により第五高等学校工学部から改称された熊本高等工業学校の教授となる。
山内 確三郎(やまのうち かくさぶろう、1871年8月2日 … 山内 確三郎(やまのうち かくさぶろう、1871年8月2日 - 1947年1月20日)は、日本の司法官。司法次官、東京控訴院院長。族籍は東京府平民。法学博士。
縣 左吉(あがた さきち、明治4年2月 (旧暦)(1871年… 縣 左吉(あがた さきち、明治4年2月 (旧暦)(1871年) - 没年不詳)は、日本の実業家。 福岡県士族縣連の三男として生まれる。1892年福岡県立尋常中学修猷館を卒業。一時三井鉱山に勤務するが、退職し上京して東京物理学校、法律学校に学ぶ。 1895年三井銀行本店営業部に入社し、小樽支店、足利支店、三池支店などで勤務した後、1902年退社し、三井物産との取引事業を満洲に興す。1913年三井系の後援を得て、藤山常一と共に、1915年電気化学工業(現・デンカ)を創業、常務取締役などを務めた。 電気化学工業の傘下企業である、大淀川水力電気の常務取締役なども務めた。
佐藤 慶太郎(さとう けいたろう、1868年11月22日〈明… 佐藤 慶太郎(さとう けいたろう、1868年11月22日〈明治元年10月9日〉 – 1940年(昭和15年)1月17日)は、福岡県出身の実業家。
向野 堅一(こうの けんいち、1868年10月19日(慶応4… 向野 堅一(こうの けんいち、1868年10月19日(慶応4年9月4日) - 1931年(昭和6年)9月17日)は、明治から昭和初期の実業家。日清戦争当時、軍事探偵として活動した。戦後、満州経済界で活躍した。
水月 哲英(みづき てつえい、1868年 - 1948年4月… 水月 哲英(みづき てつえい、1868年 - 1948年4月)は、日本の宗教家、教育者。筑紫高等女学校(現・筑紫女学園)創立、初代校長。
相生 由太郎(あいおい よしたろう、慶応3年4月28日(18… 相生 由太郎(あいおい よしたろう、慶応3年4月28日(1867年5月31日) - 昭和5年(1930年)1月3日)は明治・大正・昭和にかけて満州で活躍した日本人実業家。 1867年福岡県福岡市の魚商相生久次の長男として生まれる。1890年福岡県立尋常中学修猷館を経て、1896年東京高等商業学校(現・一橋大学)卒業。 日本郵船、中学校教師などの勤務先を転々と変えた末、1904年三井物産入社、門司支店に勤務。炭坑人夫のストライキを収拾してその手腕を認められ、支店長犬塚信太郎の知遇を得る。 日露戦争後の1906年、上司の犬塚は新たに設立された南満州鉄道株式会社(満鉄)の理事に抜擢されるが、当時混乱を極めていた大連埠頭の荷役問題を解決できる唯一の人材として相生を推挙し、それを受けて相生は満鉄入りする。
山座 円次郎(やまざ えんじろう、慶応2年10月26日(18… 山座 円次郎(やまざ えんじろう、慶応2年10月26日(1866年12月2日) - 大正3年(1914年)5月28日)は、明治・大正期の日本の外交官。外務省政務局長、駐中国特命全権公使。
安部 磯雄(あべ いそお、1865年3月1日〈元治2年2月4… 安部 磯雄(あべ いそお、1865年3月1日〈元治2年2月4日〉- 1949年〈昭和24年〉2月10日)は、日本の教師、牧師、経済学者、社会主義者、政治家。 キリスト教的人道主義の立場から社会主義を活発に宣伝し、日本社会主義運動の先駆者であった。また、日本における野球の発展に貢献し「日本野球の父」と呼ばれる。早稲田大学野球部創設者でもある。 福岡藩士岡本権之丞の次男として現在の福岡市に生まれる。安部姓を名乗るようになったのは徴兵忌避のためである。当時60歳以上の扶養家族がいれば徴兵免除の特典が与えられたため、60歳以上の老人のいる家を探して謝礼を支払い名義上安部家の養子となる。 小学校を卒業したのち附属小学校に進んで山座円次郎、不破彦麿、塚本道遠らと級友となり、1879年3月に優秀な成績で卒業したが、実家が貧しかったこと、付近に中学が設立されていなかったこともあり、地元の漢学塾に入門した。
明石 元二郎(あかし もとじろう、元治元年8月1日(1864… 明石 元二郎(あかし もとじろう、元治元年8月1日(1864年9月1日) - 大正8年(1919年)10月26日)は明治・大正期の日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級男爵。第7代台湾総督。福岡藩出身。夫人は国子、後妻に黒田信子(黒田一葦の娘)。
寺尾 亨(てらお とおる、1859年2月1日(安政5年12月… 寺尾 亨(てらお とおる、1859年2月1日(安政5年12月19日)- 1925年(大正14年)9月15日)は、明治・大正期の法学者・アジア主義者。天文学者寺尾寿の弟。商工省官僚寺尾進、女優東山千栄子の養父。
團 琢磨(だん たくま 安政5年8月1日(1858年9月7日… 團 琢磨(だん たくま 安政5年8月1日(1858年9月7日) - 1932年(昭和7年)3月5日)は、日本の工学者、実業家。爵位は男爵。アメリカで鉱山学を学び、三井三池炭鉱の経営を行う。経営を成功させ、三井財閥の総帥となった。三井合名会社理事長、日本工業倶楽部初代理事長などを歴任した。
福本 日南(ふくもと にちなん、安政4年5月23日(1857… 福本 日南(ふくもと にちなん、安政4年5月23日(1857年6月14日) - 大正10年(1921年)9月2日)は、日本のジャーナリスト、政治家、史論家。
鶴原 定吉(つるはら さだきち、1857年1月10日(安政3… 鶴原 定吉(つるはら さだきち、1857年1月10日(安政3年12月15日) - 1914年(大正3年)12月2日)は、日本の官僚、実業家、政治家。第2代大阪市長。韓国統監府初代総務長官。衆議院議員。
寺尾 寿(てらお ひさし、安政2年9月25日(1855年11… 寺尾 寿(てらお ひさし、安政2年9月25日(1855年11月4日) - 大正12年(1923年)8月6日)は、明治・大正時代の福岡県出身の日本の天文学者、数学者。近代日本天文学の基礎を固めたことで知られている。門下生には平山信、木村栄、平山清次らがいる。
金子 堅太郎(かねこ けんたろう、嘉永6年2月4日〈1853… 金子 堅太郎(かねこ けんたろう、嘉永6年2月4日〈1853年3月13日〉- 1942年〈昭和17年〉5月16日)は、日本の官僚、政治家。大日本帝国憲法起草者の一人。栄典は従一位大勲位伯爵。 大日本帝国憲法、皇室典範を筆頭に近代日本の諸法典を整備した。明治の元勲として、司法大臣、農商務大臣、枢密顧問官、日本大博覧会会長、日本速記会会長、語学協会総裁、東京大博覧会会長などを歴任。後の維新史編纂会の発足に関わり、臨時帝室編修局総裁、『明治天皇紀』編纂局総裁、維新史料編纂会総裁を経て、帝室編纂局総裁。『明治天皇紀』完成の功により伯爵を叙爵。教育者としては帝国大学法科大学や慶應義塾で法学を講じ、日本法律学校(現:日本大学)初代校長、二松學舍舎長などを務めた。
平岡 浩太郎(ひらおか こうたろう、嘉永4年6月23日(18… 平岡 浩太郎(ひらおか こうたろう、嘉永4年6月23日(1851年7月21日) - 明治39年(1906年)10月24日) は、日本の政治団体玄洋社初代社長、自由民権運動家。
越智 彦四郎(おち ひこしろう、嘉永2年10月12日(184… 越智 彦四郎(おち ひこしろう、嘉永2年10月12日(1849年11月26日) - 明治10年(1877年)5月1日)は、幕末の筑前福岡藩士、勤皇家、自由民権運動家。 福岡藩士・井土佐平太の次男として生まれる。藩校修猷館に学ぶ。維新後に分家し越智姓を名乗る。 戊辰戦争では皇軍の福岡藩軍に属し、大砲隊長・根本源五左衛門のもとで東北地方に転戦し功を挙げ、賞典禄を受ける。その後、高場乱の興志塾に学び、ここで同志となる武部小四郎や、後に玄洋社を設立する箱田六輔、進藤喜平太、奈良原至、宮川太一郎、頭山満らと出会う。 1874年2月、江藤新平が挙兵した佐賀の乱に際し、博多に来ていた内務卿大久保利通に面会して調停を申し出たが、かえって大久保と児玉源太郎に鎮撫行動を要請され、政府軍の鎮撫隊の小隊長として箱田、宮川ら450名余を率いて佐賀に入った。
安川 敬一郎(やすかわ けいいちろう、嘉永2年4月17日(1… 安川 敬一郎(やすかわ けいいちろう、嘉永2年4月17日(1849年5月9日) - 昭和9年(1934年)11月30日)は日本の武士(福岡藩士)、戦前の政治家、実業家。貴族院議員、衆議院議員。大正9年(1920年)1月13日、男爵授爵。勲三等瑞宝章。地方財閥・安川財閥の創始者であり、国士的な実業家として知られる。号は撫松。
武部 小四郎(たけべ こしろう、弘化3年7月(1846年) … 武部 小四郎(たけべ こしろう、弘化3年7月(1846年) - 明治10年(1877年)5月3日)は、幕末の福岡藩士、勤皇家、自由民権運動家。名は(建部)自成。通称は小四郎、燕之允。父は建部武彦、伯父に黒田一葦(母の兄)、従兄弟に加藤堅武(父の妹の子)が居る。
林遠里(はやし えんり、1831年3月8日(天保2年1月24… 林遠里(はやし えんり、1831年3月8日(天保2年1月24日(旧暦)) - 1906年(明治39年)1月30日)は、福岡県生まれの老農(篤農家)・農業技術指導者。私塾・興産社・勧農社の創始者としても知られる。
魚住 樂處(うおずみ らくしょ、文化6年9月(1809年) … 魚住 樂處(うおずみ らくしょ、文化6年9月(1809年) - 明治8年(1875年)2月)は、江戸時代後期の儒学者(朱子学派)。明治時代の教育者、政治家。名は明識(「名誠」との記載もあり)。字(あざな)は明晶。通称は三郎八。樂處はその号。福岡藩藩儒。 魚住明倫の子として筑前国に生まれる。藩校修猷館に学ぶ。 天保5年(1834年)修猷館指南加勢見習となり、天保14年(1843年)郡代となる。嘉永3年(1850年)致仕する。 慶応元年(1865年)勤王の国事に奔走したため、志士と共に禁錮せらること3年。明治2年(1869年)抜擢されて修猷館の文学教授兼伴読となり、明治4年(1871年)藩政に参画し、福岡藩権大参事に任ぜられる。
玉谷 愛(たまたに あい、11月2日 - )は、南日本放送の… 玉谷 愛(たまたに あい、11月2日 - )は、南日本放送のアナウンサー。 福岡県出身。福岡県立修猷館高等学校、西南学院大学国際文化学部国際文化学科卒業。 2019年4月に南日本放送に入社し、同期の上塘百合恵とともに同局のアナウンサーになる。 Category:南日本放送のアナウンサーを参照 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
河野 義博 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(… 河野 義博 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(1期)。東京都在住。
後藤 元秀(ごとう もとひで)は、日本の政治家。福岡県豊前市… 後藤 元秀(ごとう もとひで)は、日本の政治家。福岡県豊前市長。
篠崎 昇之助 は、日本、米国、朝鮮のジャーナリスト。玄洋社社… 篠崎 昇之助 は、日本、米国、朝鮮のジャーナリスト。玄洋社社員。
髙見 信三 は、日本のジャーナリスト、実業家。QUICK社長… 髙見 信三 は、日本のジャーナリスト、実業家。QUICK社長。