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永山 由高(ながやま よしたか、1983年〈昭和58年〉7月… 永山 由高(ながやま よしたか、1983年〈昭和58年〉7月6日 - )は、日本の政治家。鹿児島県日置市長(2期)。 鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)に生まれる。5歳のときに同郡東市来町に転居。東市来町立鶴丸小学校、東市来町立東市来中学校(現・日置市立東市来中学校)、鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。2006年(平成18年)3月、九州大学法学部法政策学科卒業。同年4月、日本政策投資銀行入行。 2009年(平成21年)、帰郷し鹿児島市にてNPO活動に従事。2011年(平成23年)7月6日、「一般社団法人鹿児島天文館総合研究所Ten-Lab」を鹿児島市に設立。 2011年(平成23年)10月、南日本放送のMBCラジオ Radio Burn のコメンテーターに就任 2016年(平成28年)4月、株式会社ecommit 取締役経営戦略部長 就任 2018年(平成30年)7月、日本エアギター選手権 2018 で全国第2位 2019年(平成31年)4月、鹿児島県エアギター協会設立・会長就任 2020年(令和2年)7月7日、移住ドラフト会議を運営する「九州地域間連携推進機構株式会社」を田鹿倫基と鹿児島市に設立し代表取締役に就任。
村田 享子(むらた きょうこ、1983年5月16日 - )は… 村田 享子(むらた きょうこ、1983年5月16日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の参議院議員(1期)。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島大学教育学部附属小学校、鹿児島大学教育学部附属中学校、鹿児島県立鶴丸高校卒業。2007年東京大学法学部卒業、派遣会社員やイタリアへの語学留学を経て、学士入学した早稲田大学文化構想学部を2011年に卒業。 2011年より柳田稔参議院議員の公設秘書を10年間務める。2014年には民主党広島県第7区総支部長に就任し、同年の第47回衆議院議員総選挙に立候補するも次点で落選。 2021年2月、日本基幹産業労働組合連合会(基幹労連)が翌年夏の第26回参議院議員通常選挙に村田を同労連代表の候補者として擁立すると決定。
宮路 拓馬(みやじ たくま、1979年12月6日 - )は、… 宮路 拓馬(みやじ たくま、1979年12月6日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)。衆議院環境委員長。 外務副大臣、内閣府大臣政務官、総務大臣政務官、自由民主党国会対策副委員長などを歴任。 鹿児島県加世田市(現:南さつま市)に生まれる。加世田聖母幼稚園を経て加世田市立加世田小学校に入学。転校して鹿児島市立桜丘東小学校を卒業。鹿児島中学校(現:鹿児島修学館中学校)、鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、東京大学に入学。専門課程では法学部に進学し、法律・政治学を学ぶ。卒業後は総務省に入省し、自治行政局市町村課に配属。奈良県財政課、消防庁、広島市財政課長、内閣官房参事官補佐、総務省大臣官房秘書課補佐等を務めた。
安田 壮平(やすだ そうへい、1979年〈昭和54年〉5月8… 安田 壮平(やすだ そうへい、1979年〈昭和54年〉5月8日 - )は、日本の政治家。鹿児島県奄美市長(2期)、元奄美市議会議員(3期)。 鹿児島県名瀬市(現・奄美市)出身。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て2002年(平成14年)3月、東京大学法学部卒業。同年、東京コンサルティングに入社。翌年退職する。2004年(平成16年)松下政経塾入塾。その後帰郷し、地元の特定非営利活動法人に入る。 2011年(平成23年)、奄美市議会議員選挙に立候補して初当選。その後3期務める。 2021年(令和3年)3月、3期目途中で市議を辞職。同年11月に行われた奄美市長選挙に立候補し、元県議を破って初当選した。
宇都 隆史(うと たかし、1974年〈昭和49年〉11月12… 宇都 隆史(うと たかし、1974年〈昭和49年〉11月12日 - )は、日本の政治家。参政党政調会長補佐。元参議院議員(2期)。 外務副大臣(菅義偉内閣)、参議院外交防衛委員会委員長(第192回国会、第193回国会)、外務大臣政務官(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、航空自衛官(最終階級:1等空尉)を歴任。 鹿児島県鹿児島市出身。出生地は同県曽於郡大隅町(後に曽於市)旧岩川町地域で、幼少期は奄美群島の大島郡徳之島町で育つ。1987年(昭和62年)鹿児島市立原良小学校卒業、1990年(平成2年)鹿児島市立城西中学校卒業、1993年(平成5年)鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。 防衛大学校理工学部に41期生として入学するが、日本国憲法の単位を落としたことが原因で、一年留年する。
湯元 敏浩(ゆもと よしひろ 1964年〈昭和39年〉5月1… 湯元 敏浩(ゆもと よしひろ 1964年〈昭和39年〉5月19日 - )は、日本の政治家、鹿児島県姶良市長(2期)。日本テレビで政治記者、コンプライアンス推進室考査部考査担当部長、情報カルチャー局担当部長などを務め、情報・報道番組のプロデューサーを担当した。 鹿児島県姶良市生まれ。鹿児島市立東谷山小学校、鹿児島大学教育学部附属中学校、鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。1988年3月、早稲田大学法学部卒業。 大学卒業後、日本テレビへ入社。 同期入社の小栗泉と共に報道局に配属され政治記者として活躍。アナウンサーでは同期入社に福澤朗、村山喜彦、関谷亜矢子、永井美奈子もいた。 番組ディレクターを経て番組プロデューサーに就く。
藤井 信吾(ふじい しんご、1959年12月25日 - )は… 藤井 信吾(ふじい しんご、1959年12月25日 - )は、日本の政治家。前茨城県取手市長(4期)。 鹿児島県鹿児島市に生まれる。鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。東京大学法学部第3類(政治コース)卒業後、第一生命保険に20年間勤務した。 2003年(平成15年)4月の取手市長選挙に立候補するも落選。同選挙においては新人の塚本光男が初当選し、現職の大橋幸雄も落選した。 2007年(平成19年)4月の取手市長選挙に再挑戦し、現職の塚本光男(公明党推薦)との一騎打ちを制し初当選した。4月27日、市長就任。 2019年(平成31年)、元市議の竹原大蔵を破り4選。 2023年(令和5年)、次期市長選挙への不出馬を表明した。
小里 泰弘(おざと やすひろ、1958年〈昭和33年〉9月2… 小里 泰弘(おざと やすひろ、1958年〈昭和33年〉9月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)。 農林水産大臣(第70代)、内閣総理大臣補佐官、農林水産副大臣、環境副大臣兼内閣府副大臣、農林水産大臣政務官、衆議院災害対策特別委員長、衆議院財務金融委員長、衆議院農林水産委員長、自由民主党副幹事長、同党国土交通部会長、同党地方組織・議員総局長、同党経済成長戦略本部長、同党選挙対策筆頭副委員長を歴任した。 父は総務庁長官や労働大臣、北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官を歴任した小里貞利。 鹿児島県姶良郡霧島町(現:霧島市)生まれ。鹿児島県立鶴丸高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、野村証券に入社。
柳田 稔(やなぎだ みのる、1954年〈昭和29年〉11月6… 柳田 稔(やなぎだ みのる、1954年〈昭和29年〉11月6日 ‐ )は、日本の政治家。基幹労連組合員。 法務大臣(第84代)、拉致問題担当大臣、参議院議員(4期)、衆議院議員(2期)、民主党幹事長代理、民主党参議院幹事長、民主党広島県連代表、国民民主党両院議員総会長、参議院財政金融委員長、参議院厚生労働委員長、参議院予算委員長等を歴任。血液型はA型。 鹿児島県鹿児島市出身。本籍は広島県福山市。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、1973年に東京大学教養学部理科I類に入学する(岩崎学生寮に在籍)が自主退学し、寿司屋で5年間修行を積んだ。1981年に東京大学工学部船舶工学科へ再入学し、1983年3月に卒業。
八板 俊輔(やいた しゅんすけ、1953年〈昭和28年〉6月… 八板 俊輔(やいた しゅんすけ、1953年〈昭和28年〉6月30日 - )は、日本の政治家、新聞記者。鹿児島県西之表市長(3期)。 鹿児島県西之表町(現・西之表市)生まれ。西之表市立榕城小学校、西之表市立榕城中学校卒業。1972年(昭和47年)3月、鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。1977年(昭和52年)3月、早稲田大学政治経済学部卒業。同年4月、朝日新聞社に入社。2012年(平成24年)6月、同社を退職。 2015年(平成27年)10月、ルポルタージュ『馬毛島漂流』を上梓。 2017年(平成29年)3月の西之表市長選の再選挙で初当選した。 2017年1月29日執行。市域の無人島・馬毛島で政府が検討する米軍空母艦載機による陸上空母離着陸訓練(FCLP)の受け入れにつき、八板は反対を訴え立候補。
皆吉 稲生(みなよし いなお、1950年7月9日 - )は、… 皆吉 稲生(みなよし いなお、1950年7月9日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。 鹿児島県鹿児島市原良町出身。鹿児島県立鶴丸高等学校、立命館大学経済学部卒業。鹿児島市役所に入り、鹿児島市職労委員長、連合鹿児島副会長を歴任。 当初は社会民主党に所属していたが、2004年、民主党に移籍。同年7月11日の第20回参議院議員通常選挙に鹿児島県選挙区から出馬したが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙でも引き続き鹿児島県選挙区より出馬したが、自由民主党公認の加治屋義人に2,664票の僅差で敗れ落選した。 その後、病気のため引退を表明した元衆議院議員・浜田健一の後任として、2009年の衆院選で鹿児島4区から出馬することを表明した。
森山 裕(もりやま ひろし、1945年4月8日 - )は、日… 森山 裕(もりやま ひろし、1945年4月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、自由民主党鹿児島県連会長。名前の正しい表記は「しめす偏に谷」。
持永 和見(もちなが かずみ、1927年7月1日 - 201… 持永 和見(もちなが かずみ、1927年7月1日 - 2017年9月3日)は、日本の官僚・政治家。自由民主党宏池会所属の衆議院議員で5期務めた。宮崎県都城市出身。父は元北海道庁長官の持永義夫、弟は元自治事務次官の持永堯民。子は持永哲志。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界から引退。地盤の宮崎3区には、子で元経産官僚の持永哲志を自身の後継者として擁立。自民党公認争いで古川禎久との調整がつかず、双方が無所属で立候補したが、古川に敗れて落選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、哲志が自民党公認として立候補したが、再び落選。その後、2008年6月に哲志は旅行中の沖縄で急死した。
鶴園 哲夫(つるぞの てつお、1915年 <大正4年> 5月… 鶴園 哲夫(つるぞの てつお、1915年 <大正4年> 5月28日 - 2006年 <平成18年> 4月11日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 鹿児島県知覧町(現南九州市)出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校、旧制第七高等学校造士館、東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業。1940年に農林省入省。全農林労働組合委員長を経て1959年、第5回参議院議員通常選挙全国区に日本社会党から出馬し初当選。1971年、第9回参議院議員通常選挙で鹿児島地方区に回り、当選。決算委員長や公害対策環境保全特別委員長などを歴任した。 1985年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。 2006年4月11日、呼吸不全のため東京都新宿区の病院で死去。
金丸 三郎(かねまる さぶろう、1914年(大正3年)2月8… 金丸 三郎(かねまる さぶろう、1914年(大正3年)2月8日 - 2007年(平成19年)8月15日)は、日本の官僚、政治家。自治事務次官、鹿児島県知事、自由民主党参議院議員、総務庁長官、参議院協会会長、財団法人井上育英会顧問を務めた。 位階は従三位。勲等は勲一等瑞宝章。学位は法学士(東京大学)。称号は特定非営利活動法人日本居合道連盟名誉範士。 鹿児島県出水郡上出水村(後の出水町)生まれ、現在の出水市出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校(のち鹿児島県立鶴丸高等学校)、第七高等学校造士館(のち鹿児島大学)を経て、東京帝国大学(のち東京大学)法学部卒業後の1938年(昭和13年)、内務省入省(地方局配属)。
岩元 達一(いわもと たついち、1909年(明治42年)9月… 岩元 達一(いわもと たついち、1909年(明治42年)9月1日 - 1982年(昭和57年)6月23日)は、日本の実業家、政治家。山形屋会長、貴族院多額納税者議員。 鹿児島県鹿児島市で、実業家・岩元善蔵(岩元信兵衛弟)の三男として生まれ、伯父・信兵衛の養嗣子となり、山形屋の6代目を継承した。第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1934年(昭和9年)慶應義塾大学法学部を卒業した。その後、東京銀座の松屋に入社し、デパート経営を経験した。 1935年(昭和10年)山形屋の取締役に就任し、1943年(昭和18年)会長となる。その他、田辺鉄工所監査役、新生工業副社長、日本瓦斯取締役、小牧組取締役などを務めた。
佐多 忠隆(さた ただたか、1904年6月4日 - 1980… 佐多 忠隆(さた ただたか、1904年6月4日 - 1980年4月23日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 鹿児島県鹿児島市生まれ。同市下荒田町出身。佐多直正の次男として生まれる。後の鹿児島市長平瀬實武は、地元の小学校と学舎の2年先輩。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校を経て、1925年旧制第七高等学校造士館文科を卒業。七高時代は佐野博らとともにサークル「鶴鳴会」(かくめいかい)に参加。東大に進学し、新人会で活動。1928年東京帝国大学経済学部卒業。大学卒業後は「中央公論」などの雑誌に評論を書いていたが、1935年内閣調査局(内閣企画院の前身)に入り、次いで第2次近衛内閣のもとで企画院調査官に就任し勝間田清一、和田博雄とともに同政権の「経済新体制」の策定に関与するが、企画院事件により治安維持法違反の嫌疑で検挙、投獄された。
村尾 薩男(むらお さつお、1902年(明治35年)8月25… 村尾 薩男(むらお さつお、1902年(明治35年)8月25日 - 1970年(昭和45年)1月5日)は、昭和期の社会運動家、政治家、実業家。衆議院議員。 鹿児島県薩摩郡、のちの川内町(川内市を経て現薩摩川内市)で、鹿児島市の山形屋呉服店常務取締役の息子として生まれる。鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て第七高等学校造士館に入学。是枝恭二、喜入虎太郎らと文芸、哲学、社会問題の研究会を立上げ、ロシア飢饉救済運動にも加わった。1923年(大正12年)東京帝国大学文学部社会学科に進み、新人会に加入して活動したが、京都学連事件で検挙され、第1審で禁固1年の判決を受け、1926年(大正15年)1月に大学を中退した。
寺園 勝志(てらぞの かつし、1901年(明治34年)7月2… 寺園 勝志(てらぞの かつし、1901年(明治34年)7月25日 - 1998年(平成10年)2月11日)は日本の政治家、元官僚。鹿児島県知事や南日本放送会長を務めた。 1901年(明治34年)、姶良郡栗野村(のちの栗野町、現在の湧水町栗野地域)出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校を経て東京帝國大学(現・東京大学)を卒業。 内務官僚となり 、厚生省部長、鹿児島県経済部長、同県副知事などを経て、1955年(昭和30年)から鹿児島県知事を3期12年務めた。在任中、戦後の混乱で厳しい財政の中で農業振興や交通・通信の整備に尽力し、大隅半島の広大なシラス台地である笠野原台地に大規模灌漑で農業用水を提供する土地改良事業をおこなった。
井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月… 井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月28日 - 昭和42年(1967年)6月30日)は、日本の政治運動家、革命家、ジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)。 沖縄県那覇市出身。1912年(大正元年)鹿児島一中を卒業、1916年(大正5年)慶應義塾大学部予科に入学し、卒業。1918年(大正7年)同大学部理財科に進む(後に中退)。在学中に、「日本社会主義同盟」、山川均らが主宰していた水曜会で活躍。1921年(大正10年)12月より翌年11月まで一年志願兵として鹿児島歩兵連隊に入隊。24年春から秋頃まで大阪の『関西日報』の記者となる。 1923年(大正12年)に日本共産党に入党。
勝目 清(かつめ きよし、1894年2月21日 - 1971… 勝目 清(かつめ きよし、1894年2月21日 - 1971年7月11日)は、日本の政治家。第14代鹿児島市長。鹿児島県出身。 鹿児島市下竜尾町生まれ。父覚衛は鉄道院職員。1898年鶴山学舎入舎。1900年鹿児島県師範学校附属幼稚園卒園。同年鹿児島市立大龍小学校入学。1904年鹿児島県師範学校附属小学校高等科入学。1907年鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)入学、1912年第七高等学校造士館 (旧制)入学。1915年東京帝国大学法学部法律学科入学。1916年病気休学。1917年鹿児島県学務課勤務。1920年東京帝国大学卒業。1921年東京市電気局工務課勤務。1924年、30歳で伊集院俊鹿児島市長に請われて鹿児島市助役に就任した。
岩切 重雄(いわきり しげお、1888年〈明治21年〉1月2… 岩切 重雄(いわきり しげお、1888年〈明治21年〉1月28日 - 1980年〈昭和55年〉1月27日)は、大正から昭和前期の政治家。衆議院議員(4期)、鹿児島市長(第13代)。号・五山。 鹿児島県鹿児島郡鹿児島城下平之馬場町(現・鹿児島市平之町)で、岩切仲二の長男として生まれた。鹿児島一中 (旧制)、第一高等学校 (旧制)を経て、1914年(大正3年)東京帝国大学法科大学政治学科卒業。 その後鳥取県属、同警視、鹿児島市助役、大蔵大臣秘書官を務め、1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙において鹿児島2区から立憲政友会で立候補して初当選。以後通算4期務めた。その後、同郷の床次竹二郎が政友会を離党し、政友本党を結成するとそれに従い、政友本党が憲政会と合流し、立憲民政党が結成されると同党に入党した。
東 幸治(ひがし こうじ、1884年(明治17年)11月25… 東 幸治(ひがし こうじ、1884年(明治17年)11月25日 - 1925年(大正14年)6月21日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党)。ジャーナリスト。号は孤竹。 鹿児島県出水郡上出水村(現在の出水市)出身。鹿児島中学校を卒業後、『鹿児島新聞』の記者となった。その後の1917年(大正6年)に中央大学を卒業した。内務省・鉄道省の嘱託として、アメリカ合衆国・メキシコ・中華民国・フィリピン・ボルネオ島・ジャワ島・マレー半島・南洋諸島・シベリアなどを調査した。 1924年(大正13年)、衆議院補欠選挙に出馬し、当選。同年の第15回衆議院議員総選挙で再選を果たした。
南郷 武夫(なんごう たけお、1884年(明治17年)3月2… 南郷 武夫(なんごう たけお、1884年(明治17年)3月22日 - 1976年(昭和51年)1月26日)は、明治末から昭和期の林業家、政治家。衆議院議員、鹿児島県日置郡東市来村長、同郡東市来町長。 鹿児島県日置郡市来郷伊作田村(東市来村伊作田、東市来町伊作田を経て現日置市東市来町伊作田)で、鉱山業・南郷徳之助の長男として生まれる。1904年(明治37年)鹿児島県立第一中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を卒業。早稲田大学を中退。 帰郷して父の鉱山業に従事。1930年(昭和5年)家督を相続。政界を目ざし1931年(昭和6年)鹿児島県会議員に選出され3期在任。1932年(昭和7年)東市来村長に就任。
東郷 茂徳(とうごう しげのり、1882年〈明治15年〉12… 東郷 茂徳(とうごう しげのり、1882年〈明治15年〉12月10日 - 1950年〈昭和25年〉7月23日)は、日本の外交官、政治家。 東條内閣で外務大臣と拓務大臣、鈴木貫太郎内閣で外務大臣と大東亜大臣を務め、太平洋戦争開戦時および終戦時の外務大臣であった。この他、欧亜局長や駐ドイツ大使および駐ソ連大使を歴任。 萩原延壽『東郷茂徳 伝記と解説』によれば、茂徳は1882年12月10日に「朴茂徳」として鹿児島県日置郡苗代川村(現在の日置市東市来町美山)で生まれた。苗代川は、豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際に捕虜になり島津義弘の帰国に同行させられた朝鮮人陶工の一部が、薩摩藩によって集められて形成された集落であった。
津崎 尚武(つざき なおたけ、1882年(明治15年)5月2… 津崎 尚武(つざき なおたけ、1882年(明治15年)5月24日 - 1962年(昭和37年)8月29日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲民政党→立憲政友会)、厚生政務次官。 鹿児島県大隅郡小根占村(現在の肝属郡南大隅町)に下村尚論の三男として生まれ津崎家の養子となった。鹿児島県立第一鹿児島中学校、第七高等学校を卒業し、東京帝国大学法科大学政治科に入学した。1909年(明治42年)に卒業し、高等文官試験に合格した。内務省に入省し、長野県警視、更級郡長、長野県理事官、長野県視学官を歴任した。1915年(大正4年)、官を辞して渡米し、ニューヨーク土地建物株式会社で勤務した。翌年帰国し、東亜産業株式会社などの取締役を務めた。
伊地知 四郎(いじち しろう、1879年(明治12年)11月… 伊地知 四郎(いじち しろう、1879年(明治12年)11月18日 - 1965年(昭和40年)5月19日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。第11代鹿児島市長、第3代谷山町長。 鹿児島県鹿児島郡谷山町(のちの谷山市、現在の鹿児島市)出身。旧制鹿児島一中卒業。1904年(明治37年)2月29日に海軍機関学校(12期)を卒業し、同年9月10日、海軍少機関士に任官した。以後、海軍機関学校教官・監事、佐世保海軍人事部員、矢矧機関長、海軍省艦政局局員、同軍需局局員、長門機関長などを務め、1923年(大正12年)12月1日、海軍機関大佐に昇進し第三戦隊機関長に就任。さらに呉鎮守府機関長・呉海軍艦船部部員、第一艦隊機関長・連合艦隊機関長、海軍燃料廠平壌鉱業部長などを歴任した。
木尾 虎之助(このお とらのすけ、1879年(明治12年)1… 木尾 虎之助(このお とらのすけ、1879年(明治12年)11月18日 – 1956年(昭和31年)12月23日)は、明治から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(憲政会)。 鹿児島県薩摩郡入来村(入来町を経て現薩摩川内市)で、木尾善十郎の息子として生まれた。三州義塾、鹿児島県第一中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1902年(明治35年)日本法律学校(現在の日本大学)を卒業し、弁護士試験に合格した。東洋大学講師、警視庁警察官消防官練習所講師を経て、1907年(明治40年)に東京市に弁護士事務所を開いた。翌年、朝鮮半島に渡り、漢城府(のち京城府)に弁護士事務所を開き、朝鮮鉱業新報社社長などを務めた。