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佐々木 隆生(ささき たかお、1945年10月10日 - )… 佐々木 隆生(ささき たかお、1945年10月10日 - )は、日本の経済学者。経済学博士(東北大学)。北海道大学名誉教授。岩手県盛岡市生まれ。 1964年岩手県立盛岡第一高等学校卒業、1969年東北学院大学経済学部卒業、1975年東北大学大学院経済学研究科単位取得満期退学。同年、東北大学経済学部助手。1977年北海道大学経済学部講師。1978年同経済学部助教授。1985年同経済学部教授。同公共政策大学院教授を経て、2009年同公共政策大学院特任教授。2011年北海道大学を退職、同名誉教授、北星学園大学経済学部教授。2016年3月北星学園大学定年退職。 専門は世界経済論、国際関係論、理論経済学。
小山 昭雄(こやま あきお、1927年3月13日 - 201… 小山 昭雄(こやま あきお、1927年3月13日 - 2017年4月15日)は、日本の数学者・数理経済学者。 長野県更級郡上山田町(現千曲市)生まれ。旧制日本大学第二中学、旧制第一高等学校理科を経て、1948年東京帝国大学理学部卒。武蔵大学助教授、上智大学助教授、教授、1970年学習院大学経済学部教授、97年定年、名誉教授。
齋藤 勇(斎藤勇、さいとう いさむ、1925年4月13日 -… 齋藤 勇(斎藤勇、さいとう いさむ、1925年4月13日 - )は、日本の経済学者。専攻は日本経済史・社会政策、日本近・現代史。 東京府北豊島郡岩淵町(現・東京都北区)生まれ。1938年東京市富久尋常小学校卒業後、海軍省大臣官房、東京帝国大学農学部水産学教室、私塾必成塾に勤務。1943年東京府立第四中学校夜間部卒業。同年城北高等補習学校卒業。1945年海軍兵学校繰上卒業。1949年第一高等学校文科丙類卒業。1953年名古屋大学経済学部経済学科卒業、同大学経済学部農業経済政策講座助手。1958年日本福祉大学助教授。1963年名古屋市立女子短期大学助教授、1967年教授。1987年退職、愛知大学教養部教授。
美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日… 美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日 - 1992年(平成4年)11月29日)は、日本の農業経済学者・教育学者・家政学者。専門は農業経済学・農民教育論・農業家政学・農業協同組合経営論など。農産物市場論において市場構造分析の基礎を築き、農協の経営主義を批判するなど、研究領域は多岐に渡る。教育学博士(北海道大学)。名寄女子短期大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1938年第一高等学校 (旧制)卒業。1942年東京帝国大学農学部卒業。同年、日本勧業銀行に入社。1945年東京帝國大学大学院(旧制)特別研究生修了。その後、病気療養。1955年協同組合短期大学協同組合科助教授に就任。
山本 二三丸(やまもと ふみまる、1913年3月10日 - … 山本 二三丸(やまもと ふみまる、1913年3月10日 - 2011年12月3日)は、日本のマルクス経済学者、立教大学名誉教授。 愛知県豊橋市出身。第一高等学校卒、1936年東京帝国大学経済学部卒。1954年「再生産論」で立教大学経済学博士。1936年東京貯蓄銀行書記、1938年東亜研究所所員、1940年日本鉄鋼連合会書記、1941年鉄鋼統制会書記、日本鋼管書記、1946年立教大学経済学部助教授、1948年教授となり、1978年定年退任、名誉教授。愛知大学教授を務めた。マルクス経済学の厳密な検証において功績があったが、現実の世界経済、世界の社会主義国の崩壊など、理論と現実の乖離は大きく、大きな課題を残して2011年12月3日、98歳で逝去。
上杉 正一郎(うえうぎ しょういちろう、1912年8月4日 … 上杉 正一郎(うえうぎ しょういちろう、1912年8月4日 - 1990年)は、日本の統計学者、マルクス経済学者。長く東京経済大学で教鞭を執り、同大学名誉教授となった。 上杉は、第二次世界大戦後の経済学界において、「社会統計学派の指導的理論家」であったとされる。 東京に生まれる。父・上杉慎吉は、東京帝国大学法学部教授で、天皇主権説に立つ憲法学者であった。なお、弟・上杉重二郎は、長じて労働運動史の研究者となり、北海道大学教授などを務めた。 1930年に第一高等学校に入学し、1933年に東京帝国大学経済学部に進んだ。学生時代の上杉は、日本共産青年同盟(共青)に参加し、滝川事件に関連して1934年と1935年の2度、検挙勾留された。
迫間 真治郎(はざま しんじろう、1911年4月16日 - … 迫間 真治郎(はざま しんじろう、1911年4月16日 - 1965年12月23日)は、日本の経済学者。日本大学経済学部教授。 和歌山県出身。旧制第一高等学校時代に社会主義運動に参加し、同校を中退。その後、法政大学経済学部に入り、1936年卒業。1938年以降法政大学講師、助教授、教授。1953年日本大学経済学部教授。國學院大學政経学部兼任教授。1960年「社会主義経済の理論」で経済学博士(日本大学)。 1965年12月23日、心臓麻痺のため日本大学駿河台病院で急逝、54歳。全日本労働総同盟(同盟)の機関誌『同盟』に1965年9月号(第85号)から「マルクス経済学批判」を連載中だった。
相原 茂(あいはら しげる、1909年4月25日 - 199… 相原 茂(あいはら しげる、1909年4月25日 - 1993年12月8日)は、日本の経済学者。 静岡県出身。旧制一高を経て東京帝国大学経済学部卒。第一高等学校教授、1949年東京大学教養学部助教授、教授、1963-1966年教養学部長、1969年定年退官、名誉教授、信州大学教授、1975年定年。
岡崎 次郎(おかざき じろう、男性、1904年〈明治37年〉… 岡崎 次郎(おかざき じろう、男性、1904年〈明治37年〉6月29日 - 1984年〈昭和59年〉9月30日以降?)は、日本のマルクス経済学者、翻訳家。マルクスの大著『資本論』の翻訳で知られる。 北海道江差生まれ。第一高等学校を経て、1927年(昭和2年)に東京帝国大学文学部、1929年(昭和4年)に同経済学部を卒業。戦後、1950年(昭和25年)より九州大学教養部教授。ついで法政大学経済学部教授となる。1968年(昭和43年)法政大学教授を辞任、以降は著述業に専念した。 1983年(昭和58年)に青土社から出版した『マルクスに凭()れて六十年 自嘲生涯記』という自伝で向坂逸郎を批判。本書を友人・知人らに献本し、さりげなく別れの会を持った岡崎は、「これから西の方へ行く」という言葉を残して、80歳となる直前の翌1984年(昭和59年)6月6日からクニ夫人とともに死出の旅に出た。
長谷部 文雄(はせべ ふみお、1897年(明治30年)6月2… 長谷部 文雄(はせべ ふみお、1897年(明治30年)6月29日 - 1979年(昭和54年)6月13日)は、日本の経済学者。 愛媛県出身。愛媛県立今治中学校卒業後、第一高等学校に進学し、1920年に同校英法科を卒業し、京都帝国大学経済学部に入学。1923年に学士試験に合格し、「経済原論」の研究のため、同大学大学院に進学する。その後、同志社大学講師となり、教授であった1933年には治安維持法違反で検挙起訴され、同志社大学を退職した。戦後、立命館大学教授、龍谷大学教授、1977年退職。 マルクス主義経済学文献の翻訳を行い「資本論」を完訳した。
山田 文雄(やまだ ふみお、1897年5月14日 - 197… 山田 文雄(やまだ ふみお、1897年5月14日 - 1978年8月16日)は、昭和期の経済学者。東京帝国大学経済学部教授、愛知大学第7代学長。 1897年、東京生まれ。海軍兵学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学経済学部を卒業。大学院に進み河合栄治郎に師事した。卒業後は京城帝国大学予科講師となり、同大学法文学部助教授を経て、1930年東京帝国大学経済学部助教授となった。1931年に教授に昇進し、工業政策を担当した。しかし、1939年に平賀粛学により河合栄治郎に殉じて木村健康助手とともに辞職。同年、鶴見祐輔の運営する太平洋協会に入り調査部長となる。 戦後は1947年東京都副知事を経て、1950年より愛知大学法経学部教授となった。
河西 太一郎(かわにし たいちろう、1895年3月18日 -… 河西 太一郎(かわにし たいちろう、1895年3月18日 - 1986年8月26日)は、日本の経済学者。立教大学名誉教授、立教大学元経済学部長、学校法人立教学院元理事長。高崎市立短期大学(現・高崎経済大学)初代学長。 1895年3月、大阪府和泉市松尾寺町で河西仲次郎の四男として生まれる。 1912年3月、大阪府立堺中学校卒業、1917年7月、第一高等学校独法科卒業し、同年9月、東京帝国大学法学部政治学科入学。1920年9月、東京帝国大学法学部政治学科卒業。同年10月、大原社会問題研究所助手に就任。同年11月、安藤文子と結婚する。 1923年3月、大原社会問題研究所の財政的な問題から規模縮小のために、同僚の林要らとともに同研究所を離れる。
北岡寿逸(きたおか じゅいつ、1894年(明治27年)7月2… 北岡寿逸(きたおか じゅいつ、1894年(明治27年)7月2日 ‐ 1989年(平成元年)6月7日)は、日本の労働官僚・経済学者。國學院大學名誉教授。北岡伸一の大叔父。 奈良県吉野町出身。旧制第一高等学校を経て、1918年(大正7年)東京帝国大学政治科卒業。農商務省に入省し、内務省の外局として社会局が設置されると同事務官に就任した。1929年(昭和4年)社会局労働部監督課長、1936年(昭和11年)国際労働機関(ILO)事務所長などを歴任。1939年(昭和14年)に退官すると同時に、東京帝国大学経済学部教授に着任する。1941年(昭和16年)には住宅営団研究部長・理事に就任する。 戦後は1946年(昭和21年)経済安定本部第4部長を皮切りに、1948年(昭和23年)東宝取締役に就任。
田辺 忠男(たなべ ただお、1891年8月11日 - 196… 田辺 忠男(たなべ ただお、1891年8月11日 - 1967年3月20日)は、大正から昭和時代の日本の経済学者、教育者。東京帝国大学経済学部教授、立教大学教授・経済学部長を務めたほか、高崎経済大学初代学長を始め、大分大学、東京農業大学、青山学院大学、国士舘大学で教授を歴任した。 1891年(明治24年)、田辺男外鉄(海軍軍人、神奈川県横須賀市長)の長男として生まれる。 暁星中学校 (旧制)、第一高等学校 (旧制)英法科をへて1916年(大正5年)東京帝国大学法科大学経済学科卒業後、三井合名会社、横浜護謨をへて1920年(大正9年)に専修大学講師(のち教授)。その後、立教大学教授に就任。 1927年(昭和2年)東京帝国大学経済学部助教授を兼務する。
広部 周助(廣部 周助、ひろべ しゅうすけ、1875年(明治… 広部 周助(廣部 周助、ひろべ しゅうすけ、1875年(明治8年)5月11日 - 1907年(明治40年)8月1日)は、日本の経済学者。京都帝国大学法科大学助教授。 千葉県君津郡富岡村上根岸の人。千葉中学、第一高等学校を経て、1900年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。農商務省に入り、工場法案の調査を嘱託される。かたわら専修学校などの講師をしていたが、1902年、京都帝国大学法科大学助教授となる。1905年、政治経済学研究のため独・米・英の三国に留学を命ぜられる。ミュンヘン大学に入る。統計調査に従事する。 1907年8月1日、病を得てミュンヘンで亡くなる。葬儀が9月17日洛東智積院で行われ、井上学長と学生清瀬とが弔詞を読む。