川井 学(川井 學、かわい まなぶ、1944年12月4日 -… 川井 学(川井 學、かわい まなぶ、1944年12月4日 - )は、日本の作曲家、音楽教育者。 1967年、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。1972年、東京芸術大学大学院修士課程修了。1984年 - 1987年 桐朋学園大学助教授。 1988年 - 1992年 同大学教授。 1993年 - 1999年 東京芸術大学音楽学部作曲科助教授。 2000年 - 2012年 同大学教授(2003年-音楽学部長)。 作曲家としての他、音楽理論家としても活動。また武満徹のアシスタントも務めた。
高橋 晃(たかはし あきら、1944年12月4日 - 201… 高橋 晃(たかはし あきら、1944年12月4日 - 2013年4月21日)は、日本の経営者、工学博士。元テルモ代表取締役社長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
芦原 英幸(あしはら ひでゆき、1944年〈昭和19年〉12… 芦原 英幸(あしはら ひでゆき、1944年〈昭和19年〉12月4日 - 1995年〈平成7年〉4月24日)は、日本の空手家。極真会館出身で芦原会館創始者・初代館長。 広島県佐伯郡能美町出身。少年時代は、本人によればごく平凡な普通の子供だったが、他人に頭を下げる事が異常に嫌いでプライドが高く、強情な子供だったためつまらない事でケンカになる事が多く、「ワル」とレッテルを貼られ、何か問題が起こると必ず芦原が悪者にされたという。もっとも、実際の自分がやった悪さと濡れ衣の比率は7対3ほどだったため、悪ガキだったのは事実と本人も認めている。空手との出会いは五年生の頃、隣家の息子が関西の大学の空手部に入っており、帰省していた時に自宅の庭で稽古をしているのを見たのが初めてだが、当時はいたずらやケンカに忙しく、夢中になる事はなかった。
青柳 裕介(あおやぎ ゆうすけ、本名:吉村睦夫、1944年1… 青柳 裕介(あおやぎ ゆうすけ、本名:吉村睦夫、1944年12月4日 - 2001年8月9日)は、日本の漫画家。 高知県香美郡野市町出身。高知市立城東中学校卒業。代表作に『土佐の一本釣り』『土佐の鬼やん』『川歌』がある。地元・高知を舞台にした作品を多く発表した。 中学卒業後、8年間板前修業を続けながら漫画の創作に励み、1966年、『いきぬき』が『COM』の月例新人賞に選ばれデビュー。代表作の一つで長期連載された『土佐の一本釣り』は1980年に松竹より映画化もされた。『ビッグコミック』を主たる作品発表の場としていた。 評論家・石井文男は、青柳の一連の作品は、青春期の愛、希望、苦しみを経糸に、塩の香、魚の匂い、漁船のマスト、さらには路地裏の一杯飲み屋など、高知ならではの舞台をフルに緯糸として使用し、独自世界を作り出したが、作品の舞台は土佐以外はあり得ないし、高知在住だからこそ書ける作品だなどと評した。
細田 忠義(ほそだ ただよし、1944年12月4日 - )は… 細田 忠義(ほそだ ただよし、1944年12月4日 - )は、島根県安来市出身の日本のフリーミュージャン、トランペッター。 娘は「生きるために毒親から逃げました。」の著者である尾添椿(旧ペンネーム:爆心地くもり)。 セントポール交響楽団のトランペットの首席奏者ルイ・マジオ創設マジオ奏法システムを継承したカールトン・マクベスより日本で唯一マジオシステムを師事、取得。 アメリカラスベガス、テキサス、フランスでのフリーミュージシャン経験を経て日本へ活動拠点を移す。1970年代以降、演歌、アーティスト、パレード、海外アーティスト来日公演などで演奏。 布施明、マライア・キャリー、クイーン、サザンオールスターズなどのバックミュージック・演歌・CM録音の他、海上自衛隊東京音楽隊への指導歴がある。
白井 常信(しらい じょうしん、1944年12月3日 - 2… 白井 常信(しらい じょうしん、1944年12月3日 - 2024年1月7日)は、日本の元政治家。宮崎県生まれ。東京都議会議員を務めた。 宮崎県児湯郡高鍋町に父・恒春、母・万佐子の次男として生まれる。恒春は、職業軍人(陸軍中佐)としてフィリピン・レイテ島へ特攻作戦に従軍したが、1945年に戦死。万佐子の実家がある香川県に転居。高松市立亀阜小学校卒業。紫電中学校に入学したが、母の仕事の都合で東京都文京区立第七中学校(現在の音羽中学校)へ転校。その後東京都立豊島高等学校を卒業。1963年、中央大学に入学し、1968年に卒業。
今井 義典(いまい よしのり、1944年〈昭和19年〉12月… 今井 義典(いまい よしのり、1944年〈昭和19年〉12月3日 - )は、日本のジャーナリスト。元日本放送協会(NHK)副会長。慶應義塾評議員。 神奈川県鎌倉市出身。 栄光学園高校を経て慶應義塾大学経済学部卒業。大学時代に1年間米国に留学。 1968年、NHK入局(同期に第18代NHK会長の橋本元一)。『NHK高松放送局』放送部記者。地方記者として行政や香川県警の取材やレポート等を担当。4年間在籍。1973年8月より、報道局に配属。報道局外信部(現・報道局国際部)記者として東京での勤務となり、5年間 外務省や国防・軍事関連等の取材やレポートを担当。1978年8月に渡米し、海外特派員として『NHKニューヨーク支局(現・NHKアメリカ総局)』に赴任。
広瀬 修子(ひろせ しゅうこ、1944年12月3日 - )は… 広瀬 修子(ひろせ しゅうこ、1944年12月3日 - )は、跡見学園女子大学文学部コミュニケーション文化学科教授、有限責任事業組合ことばの杜共同発起人。元NHKのアナウンサー。夫は東京女子大学教授の広瀬弘忠。
川又 一英(かわまた かずひで、1944年12月3日 - 2… 川又 一英(かわまた かずひで、1944年12月3日 - 2004年10月16日)は、日本の小説家、美術研究家。東京都出身。早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。聖名はシメオン。 熱心な正教会の信者として知られ、西洋美術史に造詣が深く、ロシアを中心とした評論および日本を題材とした場合は人物伝を残した。日本正教会、ギリシャ正教会、ロシア正教会などのイコンを含む教会文化についての著作も多い。2004年10月16日、肺癌のため死去、埋葬式は10月18日、日本ハリストス正教会のニコライ堂(東京復活大聖堂)で執り行われた。(『エチオピアのキリスト教思索の旅』214ページ「川又一英の略歴と主な著書」参照) この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
水谷 四郎(みずたに しろう、1944年(昭和19年)12月… 水谷 四郎(みずたに しろう、1944年(昭和19年)12月2日 - )は、日本の通産官僚。元通商産業省生活産業局長。
奥 正之(おく まさゆき、1944年(昭和19年)12月2日… 奥 正之(おく まさゆき、1944年(昭和19年)12月2日 - )は、日本の銀行家。三井住友フィナンシャルグループ取締役会長。住友財団理事。
二条 基敬(にじょう もとゆき、1944年〈昭和19年〉12… 二条 基敬(にじょう もとゆき、1944年〈昭和19年〉12月2日 - )は、東京都出身の日本の実業家である。 五摂家の1つ、元公爵二条家の30代目当主。二条斉敬は曽祖父にあたる。名前は、弼基と斉敬から1字ずつとったもので読みもこれに倣っている。 1944年(昭和19年)、東京都生まれ。 二条良基公顕彰会役員となる。 出典の無い限り、『平成新修旧華族家系大成』下巻, p. 321を参照。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
八木沢 荘六(八木澤 荘六、やぎさわ そうろく、1944年(… 八木沢 荘六(八木澤 荘六、やぎさわ そうろく、1944年(昭和19年)12月1日 - )は、栃木県今市市(現・日光市)出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・監督、解説者。現・公益社団法人全国野球振興会理事長。史上13人目の完全試合達成者。 実家は製材所を経営し、父親の善吉は今市市の市長も務めた。祖父が明治期の陸軍参謀総長・川上操六を尊敬していたため、「荘六」の名になった。作新学院では2年次の1961年に春の選抜で初出場を果たすと、1回戦に先発して柏原高を完封するが、2回戦はリリーフに回って高松商に敗退。3年次の1962年には春の選抜にエースとして出場し、準々決勝では八幡商を延長18回引き分け再試合の末に降す。
梨元 勝(なしもと まさる、1944年〈昭和19年〉12月1… 梨元 勝(なしもと まさる、1944年〈昭和19年〉12月1日 - 2010年〈平成22年〉8月21日)は、日本の芸能リポーター、タレント。 株式会社オフィス梨元(東京都渋谷区代々木上原)代表取締役社長、函館大学商学部客員教授などを歴任した。 東京都中野区生まれ。5歳から埼玉県与野市(現:さいたま市中央区)に育つ。埼玉県立浦和西高等学校、法政大学社会学部社会学科卒業。ゼミは芝田進午。出版社・講談社の契約社員として女性誌『ヤングレディ』の記者を務めた後、立花隆の助言により芸能リポーターに転身した。大学時代は、大学院進学を考えていた。そのことを大学の先輩と飲酒した際に話すと、「お前は大学入学のお金だけじゃなくて、この上おじいちゃん(当時梨元は祖父と2人暮らしをしていた)のスネをかじり、面倒かけようと言うのか!」と彼に言われ、「そんなことを言うのなら、就職の一つでも紹介するのが先輩というものでしょう!」と切り返したところ、1週間後に彼が『ヤングレディ』記者の仕事を持ってきたというのが就職の経緯である。
谷口 幸治(たにぐち こうじ、1944年(昭和19年)12月… 谷口 幸治(たにぐち こうじ、1944年(昭和19年)12月1日 - 2012年(平成24年)2月6日)は、日本の政治家、愛知県尾張旭市長(3期)。 愛知県東春日井郡旭村(旭町を経て、現尾張旭市)に生まれる。1969年、愛知学院大学歯学部卒業。歯科医院を開業し、尾張旭市教育委員長、同市歯科医師会長などを歴任する。2001年、尾張旭市長選挙に立候補し初当選する。2005年に無投票で再選。2009年に3人による選挙戦を制し、三選した。市長を3期務めたが、2012年に体調を崩し、これ以上市長の職を続けることは困難として退職届を出したが、その直後に膵臓がんで死去した。
三上 英昭(みかみ ひであき、1944年12月1日 - )は… 三上 英昭(みかみ ひであき、1944年12月1日 - )は、日本の元裁判官。元札幌地方裁判所所長。北海学園大学元教授。中央大学法学部卒業。北海道夕張市出身。 司法研修所教官を経て 主に刑事裁判を担当。 教員紹介 - 北海学園大学法科大学院 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
河合 忠彦(かわい ただひこ、1944年12月1日- )は、… 河合 忠彦(かわい ただひこ、1944年12月1日- )は、日本の経営学者、筑波大学名誉教授。 静岡県生まれ。1967年東京大学経済学部卒、東大大学院経済学研究科修士課程修了。1986年カリフォルニア大学バークレー校大学院で経営学博士号取得。1973年学習院大学経済学部講師、助教授、1980年教授、1989年筑波大学教授。2008年定年退官、中央大学ビジネススクール教授、筑波大学名誉教授、中央大学教授を務めた。
竹内 幸雄(たけうち ゆきお、1944年12月1日 - )は… 竹内 幸雄(たけうち ゆきお、1944年12月1日 - )は、日本の商業史・経済史の歴史学者。専門は、イギリス経済史・イギリス帝国主義論。 山梨県出身。日本大学商学部教授、同大学院商学研究科教授、同大学同学部学部次長を歴任。博士(商学)(明治大学・論文博士)。 1944年12月、山梨県で誕生。1967年、明治大学商学部産業経営学科を卒業。1969年、同大学大学院商学研究科商学専攻修士課程を修了(商学修士)。1974年、同大学院同研究科博士課程を単位取得満期退学。 大学院修了後は大学教員および研究者として活躍。日本大学商学部教授、および同大学院商学研究科教授を務めている。学部では商業史、大学院では商業史特殊講義、商業史特殊研究を担当している。
重村 一(しげむら はじめ、1944年(昭和19年)11月3… 重村 一(しげむら はじめ、1944年(昭和19年)11月30日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。スカイパーフェクト・コミュニケーションズ代表取締役社長、ニッポン放送代表取締役会長等を歴任した。 神奈川県出身。早稲田大学第一政治経済学部卒業。 入学した頃、学内では「早大闘争」と呼ばれる学生運動が吹き荒れていた。その闘争の果て、重村は戒告処分を受けた。どうせ戒告処分を受けるなら、1年休学しようと思い、暇になったので、大宅壮一の主宰する大宅マスコミ塾の1期生として入塾することにした。そこには、能見正比古やばばこういちといった後にマスコミで大成することになる人たちが参加していた。 1968年、ドラマ制作を志しフジテレビに入社したが、マスコミ塾での経験を買われ、報道局に配属される。
渡辺 俊之(わたなべ としゆき、1944年11月30日 - … 渡辺 俊之(わたなべ としゆき、1944年11月30日 - )は埼玉県出身の公認会計士・税理士。 1968年早稲田大学商学部卒業後、1975年まで監査法人に勤務。同年に独立開業し、渡辺公認会計士事務所を設立。1984年に「優和公認会計士共同事務所」を設立発起し、1994年、理事長に就任(その後、優和会 計人グループとして発展し、現在70人が所属)。2004年には、優和公認会計士共同事務所の仲間と共に「税理士法人優和」を設立 し、理事長に就任。前田建設工業株式会社の社外監査役や地方公共団体の包括外部監査人、独立行政法人評価委員、政府系諮問委員会委員なども歴任している。新日本法規出版より「一般・公益社団・財務法人の実務」の編集代表を務める。
大雪 嶺登(だいせつ みねと、1944年11月30日 - 1… 大雪 嶺登(だいせつ みねと、1944年11月30日 - 1980年4月16日)は、北海道夕張市出身(本籍地は北海道夕張郡由仁町)で宮城野部屋に所属した大相撲力士。本名は秋田 芳夫(あきた よしお)。最高位は東前頭3枚目(1971年7月場所)。現役時代の体格は183cm、120kg。得意手は右四つ、投げ、蹴返し。 夕張市立千代田中学校を卒業後、夕張鉄道に2年ほど勤務したが1962年、地元の道会議員の紹介で宮城野部屋へと入門。入門に際しては母の強い反対があったが、それを押し切る形で決めた角界入りであった。 同年9月場所にて17歳で初土俵を踏み、翌場所、本名でもある「秋田」の四股名で序ノ口に付いた。
大下 剛史(おおした つよし、1944年11月29日 - )… 大下 剛史(おおした つよし、1944年11月29日 - )は、広島県安芸郡海田町出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球指導者、野球解説者。
河崎 征俊(かわさき まさとし、1944年11月29日 - … 河崎 征俊(かわさき まさとし、1944年11月29日 - )は、日本の英文学者、博士、駒澤大学教授。詩人。 1967年駒澤大学文学部英米文学科卒業。1969年3月、同大学院人文科学研究科英文学専攻修士課程修了。1974年3月、同博士後期課程満期退学。1974年駒澤大学外国語部英語科専任講師、1977年文学部英米文学科専任講師、1978年助教授、1984年教授に就任。1986年4月から1988年3月まで英国ケンブリッジ大学ウルフソン・コレッジに留学。 1991年4月に大学院人文科学研究科英文学専攻修士課程教授、1993年英米文学科学科主任、1995年博士課程教授、2009年駒澤大学コミュニティ・ケアセンター所長、2009年大学院人文科学第二研究科委員長を歴任。
岩本 紘一(いわもと こういち、1944年11月29日 - … 岩本 紘一(いわもと こういち、1944年11月29日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(主に内野手)、監督。 鳥取県米子市出身。米子東高校では岡本利之監督の指揮の下、2年生の時、1961年の春の選抜に一塁手として出場。エース矢滝伸高(関大-米子東監督)が準々決勝で敦賀高を相手に延長16回23奪三振の1試合最多記録を達成、準決勝に進むが高松商に敗退した。1962年夏も東中国大会準決勝に進出するが、槌田誠のいた倉敷工に惜敗、甲子園出場を逸する。高校の2期先輩に1960年春の選抜準優勝メンバーの宮本洋二郎、清水賢がいる。 1963年に亜細亜大学に進学、野球部に入部すると同時に中心選手として活躍し、三塁手として出場した。
福井 威夫(ふくい たけお、1944年11月28日 - )は… 福井 威夫(ふくい たけお、1944年11月28日 - )は、日本の実業家で、本田技研工業(ホンダ)の元代表取締役社長である。
上野憲正(うえの のりまさ、1944年11月28日 - 20… 上野憲正(うえの のりまさ、1944年11月28日 - 2008年1月22日)は、日本の政治活動家、大蔵官僚。 北海道財務局長、大蔵省大臣官房審議官(大臣官房担当)、総理府行政改革委員会事務局首席参事官、大蔵省大臣官房企画調整主幹などを務めた。 埼玉県出身。東京都立九段高等学校、東京大学経済学部卒業。1968年 大蔵省入省(主計局調査課)。1973年7月 滝川税務署長。 1989年6月 内閣官房内閣調査官(内閣情報調査室)。1992年6月26日 北海道財務局長。1993年6月25日 大臣官房参事官(大臣官房担当)。1994年9月1日 大臣官房参事官(大臣官房担当)兼大臣官房審議官(大臣官房担当)。
尾形 武寿(おがた たけじゅ、1944年11月28日 - )… 尾形 武寿(おがた たけじゅ、1944年11月28日 - )は、日本の実業家。日本財団会長。 1944年11月28日生まれ。宮城県石巻高等学校を経て、東京農業大学農学部を卒業し、1980年に日本船舶振興会(現・日本財団)に入会。2005年7月から理事長を務めた。2025年6月20日、同日付で笹川陽平会長が退任し、後任に尾形武寿が就任。笹川は名誉会長に就任した。 1967年3月 東京農業大学農学部卒業
稲葉 孝彦(いなば たかひこ、1944年11月26日 - )… 稲葉 孝彦(いなば たかひこ、1944年11月26日 - )は、日本の政治家。元東京都小金井市長(5期)、元小金井市議会議員(4期)。出生時の姓名は布施 孝彦。 満洲国牡丹江省生まれ。第二次世界大戦終戦後に日本へ引き揚げ、その後は千葉県銚子市に居住。満鉄綏芬河駅の助役であった父と終戦間際に生き別れになった。その後小学校入学前に母は再婚したが戸籍が抜かれなかったため、養子縁組を行うまで姓名は布施 孝彦であった(小学校5年生の時に姓を布施から稲葉に改める)。銚子市立銚子高等学校、日本大学法学部法律学科卒業。石油販売会社員を経て、1973年から小金井市(現在は緑町)に居住。1985年、小金井市議会議員選挙に出馬して初当選し、以後1999年まで市議を4期務める。
遠藤 郁子(えんどう いくこ、現姓田中、1944年11月26… 遠藤 郁子(えんどう いくこ、現姓田中、1944年11月26日 - )は、東京都出身の日本のピアニスト。 2度結婚しており、最初の夫は池内友次郎である。 物理学者を父に、ピアニスト遠藤道子を母として東京に生まれ、幼時に北海道へ移住する。3歳でピアノを始め、母や井口秋子、高折宮次などに師事する。小学校のとき全日本学生音楽コンクール東京大会にて2位入賞(1位は野島稔)。藤女子学園中学校を経て、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校在学中の1962年に、日本音楽コンクールピアノ部門第2位。東京藝術大学に進み、1965年の第7回ショパン国際ピアノコンクールで特別銀賞を受賞。同年大学を1年で中退してポーランドに留学、ルードヴィク・ステファンスキ、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカに師事した。
杉山 武彦(すぎやま たけひこ、1944年11月26日 - … 杉山 武彦(すぎやま たけひこ、1944年11月26日 - )は、日本の経済学者。専門は交通経済学。一橋大学名誉教授。文教施設協会会長。公益財団法人日本交通公社理事(非常勤)。 一橋大学学長(第15代)・原子力損害賠償・廃炉等支援機構理事長(初代)・運輸政策研究所所長(第3代)・住友生命取締役・東京メトロ取締役などを歴任した。 東京都生まれの交通経済学者。一橋大学大学院商学研究科修了。指導教官は宮川公男で、宮川ゼミの同期に京都大学名誉教授北畠能房や、アイ・アール ジャパンホールディングス創業者鶴野史朗がいる。中学では演劇部、高校・大学ではラグビー部に所属。後年、秋山富一の後任として第7代一橋大学ラグビー部OB会長を務めた。
土屋 賢二(つちや けんじ、1944年11月26日 - )は… 土屋 賢二(つちや けんじ、1944年11月26日 - )は、日本の哲学者(ギリシア哲学、分析哲学)。エッセイスト。お茶の水女子大学名誉教授。 岡山県玉野市出身。岡山県立岡山操山高等学校から、官僚を志し東京大学教養学部文科一類入学。1967年東京大学文学部哲学科卒業。学科同期に菅野盾樹(大阪大学名誉教授)、袴田茂樹(青山学院大学名誉教授)など。 その後宅地建物取引士の資格を取り、不動産会社で3ヶ月働く。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。 東京大学助手を経て、1975年からお茶の水女子大学教育学部講師。1979年に同助教授に、1989年に同教授に昇格。2002年から2年間、お茶の水女子大学文教育学部学部長を務めた。
小野元之(おの もとゆき、1944年(昭和19年)11月25… 小野元之(おの もとゆき、1944年(昭和19年)11月25日 - )は、日本の文部官僚。関西大学客員教授。同志社大学客員教授。初代文部科学事務次官、独立行政法人日本学術振興会理事長を歴任。学校法人城西大学理事長代理、パナソニック教育財団理事長、学校経理研究会理事長を兼任。 2002年の新学習指導要領施行に基づく「ゆとり教育」の行き過ぎに対して小野次官や遠山敦子文科相は危機感を共有し、2001年1月に遠山文科相が発表した緊急アピール「学びのすすめ」で、「学習指導要領は最低基準」だとしてそれまで許可されなかった学習指導要領を超える記述が容認された。学習指導要領施行前にテレビ、ラジオ、新聞などで責任者として賛成の立場を表明しながら「ゆとり教育」へ理解を求めたが、「3割カットするというのは間違いです。
新田 國夫(にった くにお、1944年11月25日 - )は… 新田 國夫(にった くにお、1944年11月25日 - )は、日本の医師。全国在宅療養支援診療所連絡会会長、NPO在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワーク理事、国立市医師会会長、北多摩医師会副会長、明治大学兼任講師。
定方 昭夫(さだかた あきお、1944年11月25日 - )… 定方 昭夫(さだかた あきお、1944年11月25日 - )は、日本の超心理学者。専攻はユング心理学と東洋思想・東洋医学。易学、鍼灸、気功、漢方。 埼玉県生まれ。1968年東京都立大学 (1949-2011)心理学科卒、1976年上智大学大学院博士課程満期退学。1978年札幌学院大学助教授、1981年長岡短期大学助教授、長岡大学教授。のち退職。
加藤 壹康(かとう かずやす、1944年11月24日 - )… 加藤 壹康(かとう かずやす、1944年11月24日 - )は、日本の実業家。 静岡県静岡市出身。1964年、静岡県立静岡高校卒業。1968年、慶應義塾大学商学部を卒業し、同年、キリンビールに入社。アメリカのマサチューセッツ工科大学での留学とアメリカでの勤務を経て、北海道支社長、九州支社長、取締役、酒類営業本部長、常務を経て、2006年に代表取締役社長に就任し、翌年にはキリンホールディングスの代表取締役社長に就任した。社長在任時には、協和発酵の子会社化と東南アジアとオセアニアにおける大型買収を行った。2010年から2012年までに会長を務めた。2024年、旭日中綬章受章。
大野 毅(おおの たけし、1944年11月22日 - )は、… 大野 毅(おおの たけし、1944年11月22日 - )は、日本出身の元サッカー日本代表選手・指導者。 城北高等学校、早稲田大学第二商学部出身。大学同期に、釜本邦茂や森孝慈がいる。早稲田大学ア式蹴球部時代、DFとして第46回天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝に貢献した。 1967年、大学卒業後は東洋工業(現マツダ)に入社、東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、サンフレッチェ広島)に所属した。今西和男、丹羽洋介、桑原弘之、川野淳次、国枝強らとフルバック(ディフェンダー)として、あるいはミッドフィールダーとして相手キーマンをマンマークした。また日本代表としても、国際Aマッチ3試合に出場した。 一線を退いたあとはマツダオート広島でリベロとしてプレーした。
安藤 裕康(あんどう ひろやす、1944年(昭和19年)11… 安藤 裕康(あんどう ひろやす、1944年(昭和19年)11月22日 - )は、日本の外交官。 外務省中東アフリカ局局長、イタリア駐箚特命全権大使、独立行政法人国際交流基金理事長などを歴任した。 1944年生まれ。神奈川県箱根町出身、県立小田原高校を卒業。大学時代にサンケイスカラシップで米国に一年間留学 1969年(昭和44年)8月に外務公務員上級試験に合格し、1970年(昭和45年)東京大学文学部卒業、外務省に入省した。 外務省本省にてアジア局南東アジア第二課長、大臣官房在外公館課長、大臣官房外務参事官、大臣官房審議官などを歴任した。2002年には、中東アフリカ局長に就任した。 在外公館では、在フィリピン大使館、在連合王国大使館参事官、在アメリカ合衆国大使館公使、在アメリカ合衆国大使館特命全権公使などを務めた。
和崎 信哉(わざき のぶや、1944年11月22日 - )は… 和崎 信哉(わざき のぶや、1944年11月22日 - )は、WOWOW相談役。社会人類学者で京都大学名誉教授の和崎洋一は実父。文化人類学者で中部大学教授の和崎春日は実弟。 京都府京都市出身。京都府立山城高等学校へ進学。元日本サッカー代表選手の釜本邦茂とは同級生。卒業後、京都大学教育学部進学。卒業後の1968年にNHK入局。NHK入局時代は番組制作局教養科学部チーフ・ディレクター、同社会教養部チーフ・プロデューサーを経験。1992年6月に同生活情報番組部長に就任し、1995年6月に同衛星放送局(ハイビジョン)部長、2001年6月に同総合企画室(デジタル放送推進)局長、2003年6月に同理事をそれぞれ歴任。
山下 秀智(やました ひでとも、1944年11月22日 - … 山下 秀智(やました ひでとも、1944年11月22日 - )は、日本の宗教哲学者、静岡大学名誉教授。 熊本県生まれ。大阪教育大学文学科卒。1973年京都大学大学院文学研究科博士課程(宗教学)単位取得退学。2000年「宗教的実存の展開」で文学博士(京都大学)。静岡大学教養部助教授、1990年国際文化学部教授、2008年定年退任、名誉教授。キェルケゴールと親鸞の比較研究などをした。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
橋本 槇矩(はしもと まきのり、1944年11月22日 - … 橋本 槇矩(はしもと まきのり、1944年11月22日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。学習院大学名誉教授。 キプリング協会会長などを務め、英国20世紀小説が専門。H・G・ウェルズ、怪奇小説などの翻訳も多いが、近年はアイルランド、スコットランド文学に関心を広げている。 1970年東京大学文学部英文科を卒業。1972年、同大学院修士課程を修了。学習院大学助教授を経て教授。2015年定年退職、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
安田 伊佐夫(やすだ いさお、1944年11月22日 - 2… 安田 伊佐夫(やすだ いさお、1944年11月22日 - 2009年3月20日)は、宮崎県延岡市出身の元騎手・元調教師。 息子である安田康彦も元騎手で現在は競馬評論家。 馬事公苑時代の同期には清水出美・久保敏文・鹿戸明・久保田秀次郎・大崎昭一・笹倉武久などがおり、大崎とは同郷の延岡出身で上京する際の列車も同じであった。 1961年に京都・武田文吾厩舎の見習騎手となり、1963年3月にデビュー。初騎乗は同23日の阪神第1競走アラブ4歳以上20万下・ハイ・ヒライワ(9頭中5着)で、初勝利はデビューから6ヶ月が経った9月28日の京都第7競走4歳以上70万下・オンワードスピードであった。1年目はこの1勝に終わるが、2年目の1964年は8勝、3年目の1965年は初の2桁勝利となる16勝をマーク。
河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )… 河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )は、日本の実業家、馬主。 北海道函館市にある宿泊施設・湯の川プリンスホテル 渚亭などを運営する株式会社湯の川プリンスホテルの代表取締役会長を務める。 1944年生まれ。北海道函館中部高等学校を卒業後、21歳の時に他界した先代から事業を引き継ぎ、1972年に湯の川プリンスホテルを創立した。その他、函館湯の川温泉協同組合理事長、社団法人函館観光協会副会長、函館商工会議所観光サービス部会長などを歴任。 2016年、湯の川プリンスホテルの社長職を息子の昌貴に譲り、代表取締役会長に就任した。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。
青柳 正規(あおやぎ まさのり、1944年11月21日 - … 青柳 正規(あおやぎ まさのり、1944年11月21日 - )は、日本の歴史学者・考古学者(西洋美術史・西洋古典考古学)。勲等は瑞宝重光章。学位は博士(文学)(東京大学・1992年)。山梨県立美術館館長、学校法人多摩美術大学理事長、奈良県立橿原考古学研究所所長、石川県立美術館館長、公益財団法人せたがや文化財団理事長、アーツカウンシル東京機構長、東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 1944年、関東州・大連生まれ。1963年に東京都立新宿高等学校を卒業。東京大学文学部美術史学科で学び、1967年に卒業した。同大学大学院へ進み、1969年に修士課程を修了。博士課程在学中にローマ大学へ3年間留学。
寺澤 捷年(てらさわ かつとし、1944年11月21日 - … 寺澤 捷年(てらさわ かつとし、1944年11月21日 - )は、日本の医師、和漢診療学の創始者。 東京都生まれ。日本の伝統医学・漢方の継承者であると同時に、現代西洋医学との調和を目指し「東西医学の和諧と発展」による和漢診療学を提唱。富山医科薬科大学に和漢診療学講座を開設し初代教授となった。西洋医学を縦糸とすると、漢方は横糸であり、両者の活用により次世代型医療という織物が成り立つというのが寺澤の主張である。臨床医としての和漢診療学の実践に留まらず、医学生・研修医への教育、各種の漢方的病態の診断基準の提唱、漢方方剤の薬理学的解明,二重盲検臨床比較試験(二重盲検法参照)による漢方方剤の有効性の客観的評価法の確立など幅広い活動実績を持つ。
金子 勝美(かねこ かつみ、1944年11月21日 -)は、… 金子 勝美(かねこ かつみ、1944年11月21日 -)は、日本の元女優。本名は同じ。 東京都出身。青山学院大学卒業。東京俳優生活協同組合に所属していた。 特技は乗馬、日本舞踊。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
藤沼 亜起(ふじぬま つぐおき、1944年11月21日 - … 藤沼 亜起(ふじぬま つぐおき、1944年11月21日 - )は、日本の公認会計士。日本人初の国際会計士連盟会長や、日本公認会計士協会会長、中央大学大学院戦略経営研究科特任教授などを歴任した。 東京都生まれ。1968年中央大学商学部卒業。井上達雄ゼミ出身。1969年堀江・森田共同監査事務所入所。1970年アーサーヤング公認会計士共同事務所入所。1985年国際会計士連盟(IFAC)国際監査実務委員会(IAPC)日本代表委員。1986年朝日新和会計社代表社員。1993年太田昭和監査法人代表社員。2000年に日本人として初めて国際会計士連盟(IFAC)会長に就任。2004年日本公認会計士協会会長、2005年IFRS財団評議員兼副議長。
井之上 喬(いのうえ たかし、1944年11月20日- )は… 井之上 喬(いのうえ たかし、1944年11月20日- )は、日本のパブリック・リレーションズ(PR)の専門家/教育者、実業家。「自己修正モデル」の提唱者。PR研究で日本初の博士号授与、博士(公共経営)。株式会社井之上パブリックリレーションズ 代表取締役会長兼CEO。日本パブリックリレーションズ研究所 代表取締役所長。一般社団法人グローバルビジネス学会 顧問、京都大学経営管理大学院 特命教授、神戸情報大学院大学 客員教授、一般社団法人日本パブリックリレーションズ学会 代表理事兼会長、北海道大学大学院経済学研究院 客員教授。 旧満州・大連市にて、井之上理吉・順子の5男として誕生。父・理吉は内務官僚で、大連市副市長も務めた(のちに弁護士)。
近藤 紘子(こんどう こうこ、1944年11月20日 - )… 近藤 紘子(こんどう こうこ、1944年11月20日 - )は、1945年の広島原爆の、著名な被爆者の1人である。父はキリスト教牧師の谷本清。 紘子は、1944年11月20日、広島流川教会牧師の谷本清とチサの夫妻の間に、長女として広島県で生まれた。牧師の娘であったため、幼少期から、傷ついた女性や子供に接する機会が多かったという。 1945年8月6日、広島市に原子爆弾が投下され、まだ生後8ヶ月の幼かった紘子は、母親のチサと共に被爆した。原爆当時、爆心地からわずか1.1kmの地点にある自宅に住んでいた。紘子自身は奇跡的に助かったものの、原爆の惨禍で顔にやけどを負った乙女たちと接する中、彼女は原爆を投下した米軍への激しい憎悪を募らせていった。
松岡 利道(まつおか としみち、1944年11月19日- 2… 松岡 利道(まつおか としみち、1944年11月19日- 2009年12月13日)は、日本の経済学者。専門領域は現代資本主義論や経済思想史。ローザ・ルクセンブルクを研究した。 大阪府出身。大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、1989年「ローザ・ルクセンブルク 方法・資本主義・戦争」で経済学博士。龍谷大学経済学部講師、助教授、教授、経済学部長。第18期日本学術会議会員。
千葉 紘子(ちば ひろこ、1944年11月19日 - )は、… 千葉 紘子(ちば ひろこ、1944年11月19日 - )は、日本の女性歌手、教育関係者。東京都荒川区出身。 1964年3月、山脇学園短期大学卒業。1970年2月に日本万国博覧会会場(現:万博記念公園)で行われた「第3回 全国カンツォーネコンクール」優勝を機に芸能界入り。 1971年に『恋する女に悔いはない』で歌手デビュー。 1972年に発売された第3弾シングル「折鶴」がオリコンチャートで最高第9位、100位以内に28週に渡ってランクインし同誌集計で27.7万枚を売り上げるロングヒットとなった。その後も「初めてのお酒」や、「宗谷岬」などヒット。 1980年からラジオパーソナリティーとして、FM東京「ステレオ歌謡バラエティ」、NHKラジオ第1放送「はつらつスタジオ505」等担当。