森 哲弥(もり てつや、1943年1月21日 - )は、京都… 森 哲弥(もり てつや、1943年1月21日 - )は、京都府京都市生まれの詩人。滋賀県湖南市在住。近江詩人会会員。滋賀文学会理事。 1967年、立命館大学文学部哲学科心理学専攻卒業後、社会福祉法人「びわこ学園」に2003年まで勤務。その傍ら「初猟」、「仕事場」、「少年」、「少年玩弄品博物館」など多くの詩集を発表し続け、1977年には「重症心身障害児の教育における教材教具についての研究」で第1回ほほえみ賞を受賞した。また、2001年に発表した詩集「幻想思考理科室」で第51回H氏賞を受賞した。
上野 美記夫(うえの みきお、1943年1月20日 ‐ )は… 上野 美記夫(うえの みきお、1943年1月20日 ‐ )は、北海道函館市出身の元アマチュア野球選手・元アマチュア野球指導者。 北海道函館市で育ち、函館有斗高等学校では1番打者で遊撃手を務めた。 卒業後、富士製鉄室蘭に入団すると1年間プレーした。 1963年4月に東洋大学に入学したのと同時に20歳で函館大学付属有斗高等学校の監督に就任し、1998年3月に定年を迎えるまで35年間指導した。就任10年目の1972年、第4回明治神宮野球大会で監督として初の明治神宮野球大会出場を果たした(通算5度の出場で1勝5敗)。就任11年目の1973年、第45回選抜高等学校野球大会で監督として初の選抜高等学校野球大会出場を果たした(通算6度の出場で4勝6敗)。
新町 敏行(しんまち としゆき、1943年1月20日 - 2… 新町 敏行(しんまち としゆき、1943年1月20日 - 2019年12月)は元日本航空代表取締役社長。 神奈川県出身。鎌倉学園高等学校、学習院大学政経学部卒業後、1965年日本航空に入社。1997年6月取締役。2000年4月常務取締役、2001年専務取締役、2002年10月日本エアシステムの経営統合を実現し持ち株会社日本航空システムの専務取締役。2003年6月代表取締役副社長、2004年6月から代表取締役社長。統合後の経営基盤固めに努めるも運航トラブルが相次いだ責任を取り、2006年6月に会長に退く。2008年3月退任・退職。
神原 勝(かんばら まさる、 1943年1月20日 - )… 神原 勝(かんばら まさる、 1943年1月20日 - )は、日本の行政学者。北海道大学名誉教授。専門は行政学・地方行政論。特に自治基本条例、議会基本条例、自治体計画・政策に関する研究を行なっている。北海道樺戸郡浦臼町生まれ。 1967年(昭和42年)に中央大学法学部法律学科を卒業した。1969年(昭和44年)に、財団法人東京都政調会の研究員となる。1981年(昭和56年)、公益法人地方自治総合研究所の研究員となる。1988年(昭和63年)、北海道大学法学部の教授となる。(地方自治論、行政学) 2005年(平成5年)、北海道大学を退職。北海道大学名誉教授となる。北海学園大学法学部の政治学科教授・同大学院の法学研究科教授に就任。
濱本 松子(はまもと まつこ、1943年〈昭和18年〉1月1… 濱本 松子(はまもと まつこ、1943年〈昭和18年〉1月19日 - )は、日本の女官長。東京都出身。 昭和天皇の側近の一人で内大臣を務めた木戸幸一の長男である木戸孝澄の長女として生まれた。木戸孝允の玄孫にあたり、孝允の妻の松子と同名である。学習院大学文学部を卒業した。 内閣情報調査室次長である濱本康也と結婚した。1990年(平成2年)に宮内庁侍従職の御用掛となり、1992年(平成4年)に女官となる。 2004年(平成16年)3月31日より皇后美智子の世話をする女官長に就任し、2013年(平成25年)4月1日まで務めた。また前女官長の井上和子は叔母にあたる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
高村 忠成 Tadashige Takamura (194… 高村 忠成 Tadashige Takamura (1943年1月19日 - )は、日本の政治学者。 近代フランス政治史、国際政治史専攻。とくに、19世紀のフランス政治史を中心に、第二帝政、ボナパルティズム、国際関係史研究、平和問題に取り組んでいる。 東京都中央区日本橋生まれ。 1971年早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。同年創価大学開学と同時に法学部助手。 1984年同大学法学部教授。1990年同大学平和問題研究所所長就任。
平野 昭一(ひらの しょういち、1943年1月19日 - 2… 平野 昭一(ひらの しょういち、1943年1月19日 - 2016年10月24日)は、日本の経営者。キャタピラージャパン社長を務めた。 神奈川県出身。1965年に早稲田大学第一理工学部を卒業し、同年にキャタピラー三菱(のちのキャタピラージャパン)に入社。 2000年に取締役に就任し、2002年に常務を経て、2007年6月から2010年7月までに社長を務めた。 2016年10月24日、心不全のため死去。73歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
鈴木 まな美(すずき まなみ、1943年1月18日 - 20… 鈴木 まな美(すずき まなみ、1943年1月18日 - 2019年10月15日)は、日本の女優。本名、鈴木 和子(すずき かずこ)。 愛知県津島市出身。ブリッジプロモーション所属。 愛知県立津島高等学校を1961年(昭和36年)に卒業。津島文化会館大ホールで2度、一人芝居を演じた。 一人芝居で国際芸術文化賞受賞。「七色の声が出て、どんな役柄もこなす自信がある」とプロフィールに記されている。名古屋弁が得意、書道九段。
渡辺三枝子(わたなべ みえこ、1943年1月18日 - )は… 渡辺三枝子(わたなべ みえこ、1943年1月18日 - )は、日本の教育心理学者。筑波大学名誉教授。専門はカウンセリング心理学、職業心理学。 岐阜県出身。上智大学文学部心理学科卒、同大学院修士課程修了、米国ボストン大学大学院修士課程修了、ペンシルバニア州立大学大学院博士課程(カウンセリング心理学)修了、Ph.D.取得。日本労働研究所研修機構主任研究員、1990年明治学院大学教授、1998年筑波大学教授、2006年定年退任し名誉教授となり、立教大学特任教授を務めた。
大込 一男(おおごめ かずお、1943年1月18日 - )は… 大込 一男(おおごめ かずお、1943年1月18日 - )は、日本の経営者。日清オイリオグループ社長、会長を務めた。 東京都出身。1966年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に日清製油(のちの日清オイリオグループ)に入社した。1995年6月に取締役に就任し、2000年6月に常務、2003年4月に専務を経て、2005年10月に社長に就任。2011年6月に会長に就任。 2013年4月に旭日中綬章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮 史郎(みや しろう、1943年1月17日 - 2012年… 宮 史郎(みや しろう、1943年1月17日 - 2012年11月19日)は、日本の歌手。ぴんからトリオのリードボーカルとして発表した「女のみち」が歴史的な大ヒットを記録した。その後、ソロ歌手に転向。 本名は宮崎芳郎。兵庫県加西市広原町生まれ。血液型はA型。 姫路市のキャバレーで働きながら1959年、自主制作で「男の花道」を発売。 1961年、拠点を大阪に移し、当時流行していたボーイズ形態の音曲漫才スパローボーイズを結成。 1963年、宮五郎(史郎の兄)・並木ひろしとともに音曲漫才ぴんからトリオを結成。グループ名の由来は「ピンからトリを」である。 1972年、東宝芸能所有の大阪梅田の演芸場『トップホットシアター』に出演していた時期に自主制作したレコード「女のみち」が、有線放送と地道な営業から火が付き420万枚を売り上げ、続いて発売された「女のねがい」が170万枚、「女のゆめ」が80万枚と大ヒットした。
伊佐 弘(いさ ひろむ、1943年1月16日 -2025年9… 伊佐 弘(いさ ひろむ、1943年1月16日 -2025年9月)は、日本の電気工学・電気エネルギー工学者。大阪工業大学名誉教授。元電気設備学会理事・関西支部長。電気学会上級会員。京都市出身。 専門は、電気電子材料工学(特に固体絶縁物)・電気設備、電気エネルギー工学(特にパルスパワー・燃料電池)。 1966年京都大学工学部電気工学科卒業。1968年京都大学大学院工学研究科電気工学専攻修士課程修了。同大学助手などを経て、1980年工学博士(京都大学)。1982年大阪工業大学工学部電気工学科に講師として着任。1983年から1984年までNASAラングレー研究センターのリサーチサイエンティストも務める。
本告 正(もとおり ただし、1943年(昭和18年)1月16… 本告 正(もとおり ただし、1943年(昭和18年)1月16日 - )は日本の実業家、経営コンサルタント。元船井総合研究所社長・副会長。 1965年(昭和40年)3月に法政大学経営学部を卒業する。丸忠、シャルム、日本マネジメント協会を経て、1971年(昭和46年)に日本マーケティングセンター(現・船井総合研究所)に入社する。1981年(昭和56年)に取締役社長室長、1984年(昭和59年)に常務取締役東京経営指導本部長、1989年(平成元年)3月に代表取締役専務管理本部・総務本部統括担当、1990年(平成2年)3月に代表取締役社長、2000年(平成12年)3月に代表取締役副会長に就任する。 また、2000年(平成12年)3月にコスモプラン代表取締役社長・船井財産コンサルタンツ代表取締役会長、2000年(平成12年)5月に船井総研ロジ代表取締役会長、2001年(平成13年)11月にビジネス社代表取締役会長、2002年(平成14年)3月に船井総合研究所取締役相談役を歴任する。
江口 英雄(えぐち ひでお、1943年(昭和18年)1月16… 江口 英雄(えぐち ひでお、1943年(昭和18年)1月16日 - )は、日本の政治家、医師。元山梨県上野原市長(3期)。 山梨県甲府市出身。1968年(昭和43年)3月、横浜市立大学医学部卒業。 1988年(昭和63年)10月、上野原町立病院長に就任。2004年(平成16年)4月、大月市立中央病院長に就任。2005年(平成17年)4月、国民健康保険富士吉田市立病院長に就任。2006年(平成18年)3月、山梨大学大学院医学工学総合教育部博士課程修了。 2009年(平成21年)2月22日に行われた上野原市長選挙に出馬し、前副市長の中村照夫との一騎討ちを制し初当選した(江口:11,057票、中村:7,431票)。
郷路 征記(ごうろ まさき、1943年1月15日 - )は、… 郷路 征記(ごうろ まさき、1943年1月15日 - )は、日本の弁護士。札幌弁護士会所属。札幌弁護士会副会長、同会子どもの権利委員会委員長などを歴任。北海道虻田郡喜茂別町出身(札幌市生まれ)。北海道釧路湖陵高等学校、東北大学経済学部卒業。 霊感商法が社会問題化した1980年代から、青春を返せ訴訟などの関連事件に携わり、旧統一教会の元信者らの話を聞くなどして、その反社会的な手法を研究してきた。 2022年8月現在も、旧統一教会を巡る3件の訴訟を担当している。
高橋 千劔破(たかはし ちはや、1943年1月15日 - 2… 高橋 千劔破(たかはし ちはや、1943年1月15日 - 2024年1月6日)は、日本の著作家、文芸評論家。男性。日本ペンクラブ副会長。 東京生まれ。埼玉県立浦和西高等学校卒業、立教大学文学部日本文学科卒業。人物往来社に勤務し、『歴史読本』編集長、取締役、編集局長等を経て、1996年退社。日本ペンクラブ常務理事、大衆文学研究会幹事長。 尾崎秀樹主宰の雑誌『ゾルゲ事件研究』にも共同編集者として参加している(『ゾルゲ事件研究』は監修者:石堂清倫、今井清一、尾崎秀樹、編集者:高橋千劔破、田才益夫、田辺貞夫)。 2024年1月6日、腎がんのため埼玉県さいたま市の自宅で死去。80歳没。
樹木 希林(きき きりん、1943年〈昭和18年〉1月15日… 樹木 希林(きき きりん、1943年〈昭和18年〉1月15日 - 2018年〈平成30年〉9月15日)は、日本の女優。戸籍名:内田 啓子(うちだ けいこ)、旧姓:中谷(なかたに)。旧芸名は悠木 千帆(ゆうき ちほ、初代)。 東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。2番目の夫は内田裕也。間に娘・内田也哉子がいる。夫とは長く別居を続けていた。 父は薩摩琵琶奏者・錦心流の中谷襄水(辰治)(1917年 - 1989年)。妹も薩摩琵琶奏者の荒井姿水(昌子)。その息子も薩摩琵琶奏者の荒井靖水。 父辰治は若い頃警察官だったが、希林が幼稚園の頃は会社勤めをしており、趣味で薩摩琵琶奏者をしていた。警察官時代は神田界隈を管轄としていて、神田神保町でカフェ「東宝」を経営していた母と知り合い結婚する。
望月 彦男(もちづき ひこお、1943年1月15日 - )は… 望月 彦男(もちづき ひこお、1943年1月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
富樫 練三(とがし れんぞう、1943年1月15日 - )は… 富樫 練三(とがし れんぞう、1943年1月15日 - )は、日本の政治家。元・浦和市議会議員、元・参議院議員。 日本社会事業大学 社会福祉学部を卒業後、旧・浦和市職員組合役員となる。 1971年(昭和46年)、浦和市議会議員選挙に日本共産党から立候補し初当選。6期務めた。 1995年(平成7年)、浦和市長選挙に日本共産党から立候補したが落選。 1996年(平成8年)、衆議院議員総選挙に埼玉県第1区から共産党公認で立候補するが落選。 1998年(平成10年)、参議院議員選挙(埼玉県選挙区)に日本共産党から立候補し初当選。1期務めた。 狭心症のため、2004年(平成16年)に引退。 議員在職中は、BSE対策の国産牛肉買い上げ事業に関して、ハンナングループに対する不透明な助成金の流れを国会で質したことから、同グループによる牛肉偽装事件解明の端緒を開く。
岩本 晋(いわもと すすむ、1943年1月14日 - )は、… 岩本 晋(いわもと すすむ、1943年1月14日 - )は、日本の医学博士、大学教授である。山口県岩国市周東町出身。山口県山口市在住。米国ミシガン州立大学大学院修了。(山口大学医学部公衆衛生学講座にて医学博士取得。)
藤本 佑子(ふじもと ゆうこ、現姓:内田、1943年1月14… 藤本 佑子(ふじもと ゆうこ、現姓:内田、1943年1月14日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
岩下 俊士(いわした たかし、1943年1月14日 - 20… 岩下 俊士(いわした たかし、1943年1月14日 - 2025年3月27日)は、日本の経営者。日清紡績社長、会長を務めた。 熊本県出身。1966年に東京大学法学部を卒業し、同年に日清紡績に入社した。1999年6月に取締役に就任し、2002年6月に常務、2004年6月に専務を経て、2006年6月に社長に就任。2009年6月に会長に就任。 2025年3月27日午前8時58分、心不全のため自宅で死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
米田 慶三郎(よねだ けいざぶろう、1943年1月13日 -… 米田 慶三郎(よねだ けいざぶろう、1943年1月13日 - )は、大阪府大阪市阿倍野区出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 桃山学院高卒業後の1962年からPL教団でプレーし、土井垣武コーチの指導を受ける。当時のチームメイトには野田征稔がいたが、同年の都市対抗近畿予選敗退の後にチームが休部。1964年には電気化学工業へ移籍し、久保山誠監督の指導を受け、1967年の都市対抗野球に出場。 1967年のドラフト3位で大洋ホエールズに入団。 「年齢的にも最後のチャンス」の25歳でプロ入りし、1年目の1968年は二軍で藤井勇監督の指導を受け、イースタン・リーグで本塁打王と打点王の二冠を獲得。開幕早々から長打力に一目置かれ、開幕後は不動の4番打者となり、3月30日の開幕戦の東京戦で西三雄から放った左翼席への第1号を皮切りに、4月1日にも西から9回二死後に初球を左中間へ豪快なサヨナラ本塁打にした。
上武 洋次郎(うえたけ ようじろう、1943年〈昭和18年〉… 上武 洋次郎(うえたけ ようじろう、1943年〈昭和18年〉1月12日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手。1964年東京五輪・1968年メキシコ五輪を制した選手のひとり。現在の姓は小幡。 群馬県邑楽郡邑楽町出身。長柄中学校を卒業。群馬県立館林高等学校時代にレスリングを始め、2年時に国体、3年時にインターハイを制覇。その後は早稲田大学に進学し、更に早大2年時に八田一朗の勧めでオクラホマ州立大学に留学して自らの技量向上を図った。 オクラホマ州立大学時代に、NCAAディビジョン1で3度優勝、最優秀選手にも2度選ばれ、通算57勝無敗の戦績を収めた。1964年に全日本レスリング選手権でフリースタイル・バンタム級で優勝。
原田 英之(はらだ ひでゆき、1943年〈昭和18年〉1月1… 原田 英之(はらだ ひでゆき、1943年〈昭和18年〉1月12日 - )は、日本の政治家。 2001年から2005年まで(旧)袋井市長を2期、2005年から2021年まで(現)袋井市長を4期務めた。 1943年(昭和18年) 1月12日、 静岡県磐田郡久努村(現・袋井市国本)に生まれる。 1967年(昭和42年)3月、東北大学法学部卒業。同年4月、静岡県庁に入庁。1984年(昭和59年)2月、ロサンゼルス駐在員となる。1997年(平成9年)4月、東京事務所長に就任。1999年(平成11年)4月、健康福祉部長に就任。 2000年(平成12年)11月30日、旧袋井市長の豊田舜次がくも膜下出血のため、任期中に死去。
渡邊 一正(わたなべ かずまさ、1943年1月11日 - )… 渡邊 一正(わたなべ かずまさ、1943年1月11日 - )は、日本の実業家。群馬銀行相談役、元同行会長。 群馬県出身。群馬県立太田高等学校を経て、1966年3月高崎経済大学経済学部卒業後、同年4月群馬銀行入行。1990年2月舘林支店長、1992年11月営業企画部長、1994年6月太田支店長。1995年6月取締役。1997年10月営業統括部長。1999年6月常務。2005年6月専務。2007年6月副頭取。2010年6月会長。2011年6月より相談役。
根木 昭(ねき あきら、1943年1月11日-2016年5月… 根木 昭(ねき あきら、1943年1月11日-2016年5月16日)は、日本の文化政策学者。 岡山県出身。大阪大学法学部卒業。文部省に入り、文化庁などをへて1992年長岡技術科学大学教授、名誉教授、東京藝術大学教授、2010年名誉教授、昭和音楽大学教授。99年「我が国の文化政策の構造」で大阪大学法学博士。
村田 浩(むらた ひろし、1943年(昭和18年)1月11日… 村田 浩(むらた ひろし、1943年(昭和18年)1月11日 - )は、日本の栃木県芳賀郡益子町の「益子焼」の陶芸家。 窯名は「村田浩窯」。 同じく益子焼の陶芸家である村田元の三男である。 1943年(昭和18年)1月11日、村田元と妻・留子の三男として東京で生まれる。 1944年(昭和19年)、太平洋戦争の最中にもかかわらず陶芸家を志し濱田庄司に入門した父・元と共に、わずか1歳で家族一同で栃木県芳賀郡益子町に転居し、益子で育つ。 父・元が窯を築いたのが小学生の時だったため、幼少の頃から父の見よう見まねで轆轤を回し、土をいじり始めた。当時は蹴り轆轤だったので足がようやく届く状態であり、粘土がうねうねと動いてしまい大変だった。
江尻 亮(えじり あきら、1943年1月10日 - )は、茨… 江尻 亮(えじり あきら、1943年1月10日 - )は、茨城県高萩市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)・コーチ・監督。 実家は旅館。日立一高では1年次の1958年、秋季関東大会県予選の準々決勝で結城一高からノーヒットノーランを達成。準決勝で土浦三高に敗退するが、好投手として話題になる。3年次の1960年には夏の甲子園東関東大会県予選決勝に進出するが、0-1で水戸商に惜敗。 高校卒業後は一般入試で早稲田大学2部政治経済学部に進学。最上級生であった安藤元博の後継として期待され、東京六大学野球リーグでは1年次の1961年春季リーグから登板機会を得る。しかし同年秋季リーグでは1死も取れずに5失点を喫して降板、2年次の1962年春季リーグでも3度先発のチャンスを貰うも結果を残せず、同期のエース・宮本洋二郎の後塵を拝す。
阿出川 輝雄(あでがわ てるお、1943年1月10日 - )… 阿出川 輝雄(あでがわ てるお、1943年1月10日 - )は、東京都出身のプロサーファー。愛称は「テッド」。元日本スケートボード協会理事長。一般社団法人日本障害者サーフィン協会(現一般社団法人パラサーフィン協会)初代代表理事。日本サーフィン界では「レジェンド」の異名を持つ。 日大豊山高校から日本大学芸術学部に進み、在学中カリフォルニアに渡りサーフィンと出会う。当時、日本ではサーフィン文化は根付いていなかった時期であり、ノウハウを持ち帰って帰国後、米兵や日系人サーファーからサーフボードの作り方などを教わり、神田でサーフショップ「TED'S」を開いた。 その後、湘南でテストを行い、全国で普及活動を開始。
竹下 克彦(たけした かつひこ、1943年1月10日 - )… 竹下 克彦(たけした かつひこ、1943年1月10日 - )は、日本の技術者、実業家。ノーリツ代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本ガス石油機器工業会会長などを務めた。 兵庫県明石市出身。1965年大阪府立大学工学部金属工学科卒業。1967年能率風呂工業(現ノーリツ)入社。1985年取締役技術研究所副所長に昇格。1995年常務取締役。1997年専務取締役営業本部長。1999年から代表取締役社長を務め、「地球環境と人へ配慮する」を理念に、ゼロ・エミッション に向けた取り組みにあたった。2004年代表取締役会長。2007年日本ガス石油機器工業会会長。2009年ノーリツ取締役。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
近藤 十郎(こんどう じゅうろう、1943年1月10日 - … 近藤 十郎(こんどう じゅうろう、1943年1月10日 - )は、日本の牧師で神学者、教育者。 福島県郡山市出身。1967年新潟大学人文学部人文科学科英文学専攻を卒業。同志社大学大学院神学研究科に進み、1969年に修了。その後アメリカ合衆国のユニオン神学校大学院で旧約聖書神学を専攻した(1971年修了)。 聖職者としては、日本基督教団で膳所教会伝道師、飫肥教会および鳥取教会の牧師を務めた(1980年まで)。大学勤務中にも牧師の働きは継続し、同志社教会副牧師を経て城陽教会牧師(2013年まで)。 1980年より同志社女子大学に勤務。講師・助教授を経て教授となり、2008年まで在職した。退職後、同大学名誉教授。
対馬 勝年(つしま かつとし、1943年1月10日 - )は… 対馬 勝年(つしま かつとし、1943年1月10日 - )は、日本の雪氷学者。富山大学名誉教授、理学博士。専門は雪氷物理学で、雪氷摩擦に関する研究や雪発電に関する研究を行っていた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
小島 伸夫(こじま のぶお、1943年1月9日 - )は、… 小島 伸夫(こじま のぶお、1943年1月9日 - )は、日本の経営者。十六銀行頭取を務めた。 岐阜県出身。1965年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に十六銀行に入行した。1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1999年6月に専務を経て、2000年6月に頭取に就任。2009年6月には顧問に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
黒田 日出男(くろだ ひでお、1943年1月9日 - )は、… 黒田 日出男(くろだ ひでお、1943年1月9日 - )は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本中世史(絵画史料論、歴史図像学)。東京大学史料編纂所所長、立正大学文学部史学科教授、群馬県立歴史博物館館長を歴任。 東京生まれ。1961年東京都立白鷗高等学校卒、早稲田大学第一文学部史学科国史専修入学。1972年早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1986年『日本中世開発史の研究』で早稲田大学より文学博士の学位を取得。 1972年東京大学史料編纂所・教務職員、1973年助手、1984年助教授、1989年教授、1997-1999年所長、1999-2003年東京大学史料編纂所附属画像史料解析センター長。
尾﨑 晌(おざき しょう、1943年1月8日 - )は、日本… 尾﨑 晌(おざき しょう、1943年1月8日 - )は、日本の実業家、合気道家。合気道八段。 北海道紋別郡湧別町出身(出生地は札幌市)。北海道湧別高等学校時代はバスケットボール部に所属し全道大会に出場している。演劇部にも所属していた。駒澤大学文学部社会学科に入学し合気道部に入部。駒大合気道第四代主将、全国学生合気道連盟副委員長を務めた。大学卒業後、東京テレビ映画社(TBS映画社→TBSビジョン(TBS-Ⅴ)→現在のTBSスパークル)に入社し、番組宣伝を担当するかたわら「ポーラテレビ小説」の丘みつ子、音無美紀子、五十嵐めぐみらを育てた。 松竹映画の「女咲かせます」では松坂慶子、「柔道一直線」では桜木健一、日本テレビの「太陽にほえろ!」では小野寺昭、「ありがとう」第一シリーズ(婦人警官編)では、水前寺清子、和泉雅子、山形勲らに合気道を指導している。
剣持 伴紀(けんもち ともき、1943年1月8日 - )は、… 剣持 伴紀(けんもち ともき、1943年1月8日 - )は、日本の元俳優、声優。東京都出身(出生地は宮城県)。 劇団俳優座、文学座養成所、中里事務所を経て、エヌ・エー・シーに所属していた。 東海大学付属高等学校卒業。 劇団俳優座養成所の第16期生で、同期には太地喜和子、峰岸徹、河原崎建三らがいる。その後、文学座を経てテレビドラマ等で活動。 キャリア初期は時代劇から特撮まで様々な作品に悲運な青年役などで出演し、1970年代後半からは知性派の悪役としても個性を発揮。『特捜最前線』『太陽にほえろ!』『西部警察 PART-III』など刑事ドラマへの主犯役での出演も数多い。 1960年代は『サンダーバード』のアラン・トレーシーの吹き替えなど声優業でも実績も残している。
服部 征夫(はっとり ゆくお、1943年〈昭和18年〉1月8… 服部 征夫(はっとり ゆくお、1943年〈昭和18年〉1月8日 ‐ )は、日本の政治家。東京都台東区長(3期)。元東京都議会議員(5期)、元台東区議会議員(5期)。父親は福岡県八女市長を務めた服部寅雄。 東京市杉並区荻窪で五人兄弟の末っ子として生まれる。生後、母親の出身地であり、疎開先の埼玉県羽生市で疎開する。戦後、荻窪に戻り、杉並区立桃井第二小学校に入学し、卒業。卒業後に、父親の出身地である、福岡県八女市に転居し、高校卒業まで当市で育った。八女市立岡山中学校、福岡県立八女高等学校、日本大学法学部管理行政学科卒業。日大在学中に、鵜沢義行(政治学)のゼミで副総長をつとめる。 大学卒業後はブリヂストンタイヤ東京販売に勤務。
今井 郁次(いまい ゆうじ、1943年1月8日 - )は日本… 今井 郁次(いまい ゆうじ、1943年1月8日 - )は日本の技術者、実業家。前NTTコムウェア代表取締役社長。三重県生まれ。 NTTコムウェアが発行するコーポレートマガジン誌上で2004年から2008年まで行われた対談企画である。
堀本 武功(ほりもと たけのり、HORIMOTO Taken… 堀本 武功(ほりもと たけのり、HORIMOTO Takenori、1943年(昭和18年)1月8日 - )は、日本の国際政治学者。岐阜女子大学の客員教授、公益財団法人日印協会インド研究センター上席研究員。 国立国会図書館の調査及び立法考査局局長、尚美学園大学大学院教授、京都大学大学院特任教授、拓殖大学、放送大学客員教授などを歴任。 専攻は国際政治学、地域研究、インド政治、南アジアの政治、印中関係、印米関係など。 日本を代表し、国際的に活躍するインド研究者である。 中央大学法学部卒業後(1966年)、1968年よりインド政府奨学生としてデリー大学大学院政治修士課程に2年間留学、その後に国立国会図書館に入館した(1972年)。
髙橋正圀(たかはし まさくに、1943年1月8日 - )は日… 髙橋正圀(たかはし まさくに、1943年1月8日 - )は日本の脚本家。 横浜市生まれ。生後すぐの頃に山形県米沢市へ疎開。以後高校卒業時まで米沢で過ごす。 子供の頃から幻灯機に投影する作品を作って友達を集めて上映会を開いていた。それが高じて、自分で絵を描いてストーリーを作るようになった。また子供の頃は東映時代劇のファンでもあった。 山形大学工学部に入学するも、中退して東京のシナリオ研究所に入るために上京。改めて中央大学文学部に入学。学生時代は年に300本は映画を観賞し、大学のサークルでも8ミリ映画を製作していた。後に中央大学も中退。 シナリオ作家協会・シナリオ研究所修了後、24歳を過ぎた頃に「これがラストチャンス」とばかりに応募した第20回新人映画コンクールに佳作入選。
吉川 壽一(よしかわ じゅいち、1943年1月7日 - )は… 吉川 壽一(よしかわ じゅいち、1943年1月7日 - )は、日本の前衛書家、SYOアーティスト。福井県福井市出身。ソニー・クリエイティブプロダクツが著作物のマネジメントを行っている。 福井県立藤島高等学校卒業。上田桑鳩・宇野雪村・稲村雲洞・川崎一照らに師事。1964年に「奎星賞」を受賞し、以後、毎日書道展グランプリ、福井市民文化賞、毎日書道顕彰など多くの賞を受賞。「SHO家」、「SHO Artist」として国内、海外で精力的に活動し、エルメス社のスカーフのSHO作品を制作するなどその活動範囲は非常に広い。 1964年第一回個展「寿一墨象展」を手始めに、中国北京「百福萬福書法展」、パリ「SHO吉川寿一PARIS展」、東京・NHK放送センター「平成独楽吟大書法展」、「寿一SHOワールド」パリなどを開催。
山崎 信三(やまざき しんぞう、1943年1月7日 - 20… 山崎 信三(やまざき しんぞう、1943年1月7日 - 2015年6月4日)は、スペイン語の文学者。元立命館大学経営学部教授。 富山県射水市生まれ。1966年同志社大学法学部卒業。スペインに渡りマドリード大学で学ぶ。1974年 - 1978年スペイン労働省中央労働災害防止協会翻訳室翻訳担当職員。1981年京都外国語大学大学院修士課程修了。1995年立命館大学経営学部助教授、1996年教授。2008年定年退任。2015年6月逝去、享年72歳。
巖谷 國士(いわや くにお、略字表記:巌谷 国士、1943年… 巖谷 國士(いわや くにお、略字表記:巌谷 国士、1943年1月7日 - )は、日本のフランス文学者、評論家、随筆家、写真家、小説家。明治学院大学名誉教授。 1943年、国文学者・巖谷榮二の長男として東京市芝区(現:東京都港区)高輪で生まれた。幼少時から文学、美術、漫画、映画、建築、園芸などに親しみ、東京の町々を巡った。区立中、都立高、神奈川県立湘南高等学校を経て、1961年に東京大学文科2類に入学。 東京大学在学中は世田谷区松原に住み、大学闘争と同人誌活動に精を出した。扇田昭彦、藤井貞和らと親交をむすび、たまたま隣家に住んだ池田満寿夫、富岡多恵子とも交流。1963年、瀧口修造、ついで澁澤龍彦と出会い、その後長く親交は続いた。
永島 勝司(ながしま かつじ、1943年1月6日 - 202… 永島 勝司(ながしま かつじ、1943年1月6日 - 2025年2月10日)は、日本の元新聞記者。島根県出身。東京スポーツで整理部長、新日本プロレスで取締役、WJプロレスで専務取締役を務めた。 専修大学卒業後、毎夕新聞社を経て東京スポーツ新聞社に入社。東スポ在籍時からガッツ石松対藤原敏男の実現に向けて暗躍するなど、後の「仕掛け人」としての片鱗を見せていた。その後新日本プロレス担当記者となり、その後の盟友でかつ専修大学では後輩にあたる長州力と懇意になる。 1984年9月20日に開催された新日本プロレス大阪府立体育会館大会の取材の翌日に、乗車していた東海道新幹線の列車電話で東スポからジャパンプロレスの設立を知らされ、会社の指示で東スポ本社へ向かい、直後にジャパンプロレス設立会見へ向かった。
園田 邦之(そのだくにゆき、1943年1月6日 - )は、日… 園田 邦之(そのだくにゆき、1943年1月6日 - )は、日本の建築技術者。大成建設常任顧問。 大成建設代表取締役副社長、営業総本部長兼社長室副室長兼安全担当を歴任した。 横浜市民プラザ会長。株式会社シーク建築研究所相談役。一級建築士。 1965年3月、日本大学理工学部建築学科を卒業し、同年4月、大成建設に入社した。 1997年6月に取締役に就任し、以後執行役員(1999年6月)、常務役員(2001年6月)、専務役員(2003年4月)、取締役専務役員(2005年6月)を経て、2005年10月に取締役副社長に就任した。
大塚 陸毅(おおつか むつたけ、1943年1月5日 - )は… 大塚 陸毅(おおつか むつたけ、1943年1月5日 - )は、東日本旅客鉄道(JR東日本)相談役、ENEOSホールディングス社外取締役。 南満州鉄道に出向中の父の元、中華民国北京市に生まれる。3歳のときに日本に帰国。1961年3月 - 埼玉県立熊谷高等学校卒業。1965年3月 - 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。 1965年4月 - 日本国有鉄道入社。1982年 - 国鉄経理局調査役。1985年 - 国鉄総裁室秘書役。 1987年4月 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道株式会社入社。財務部長。1990年6月 - 同社 取締役人事部長。1992年6月 - 同社 常務取締役人事部長。1994年1月 - 同社 常務取締役。
長嶋 亜希子(ながしま あきこ、旧姓:西村〈にしむら〉、19… 長嶋 亜希子(ながしま あきこ、旧姓:西村〈にしむら〉、1943年〈昭和18年〉1月5日 - 2007年〈平成19年〉9月18日)は、元読売ジャイアンツの長嶋茂雄の妻で、実業家。夫・茂雄の個人事務所である株式会社オフィスエヌの代表取締役を務めていた。 東京都渋谷区生まれ(両親の本籍地は鹿児島県)。祖父の西村辰五郎は出版社・東雲堂書店を経営し、石川啄木『一握の砂』『悲しき玩具』、斎藤茂吉『赤光』、北原白秋『桐の花』、若山牧水『別離』など、文学史に残る歌集を出版した人物であった。西村陽吉の名で自らも歌人として活躍し、口語短歌の先駆けの一人として知られる。父の西村光雄は内外出版社の代表を務めた。 田園調布雙葉中学校・高等学校在学中に、米国へ留学し、現地の高校、ミネソタ州の聖テレサ大学を卒業。
富永 ユキ(とみなが ゆき、1943年1月5日 - )は、神… 富永 ユキ(とみなが ゆき、1943年1月5日 - )は、神奈川県出身の女優、歌手である。1960年代に多くの映画作品に出演した。 神奈川県川崎市生まれ、東京都育ち。 中学校在学中から米軍キャンプでジャズやロックを歌っていた。 1959年東宝製作の正月作品、堀川弘通監督 『すずかけの散歩道』に出演後、松竹映画と契約。 大島渚が松竹入社後に監督デビューを果たした『愛と希望の街』は代表的な主演作品である。 また、同時期に伯母であるジャズ琴奏者・富永ハルの縁で東芝音楽工業と契約し、多くのレコードをリリースしている。 当時黎明期であったポップス界の明星としてリズム感のある歌唱は当時の若者の間で人気だった。
沢村 忠(さわむら ただし、1943年〈昭和18年〉1月5日… 沢村 忠(さわむら ただし、1943年〈昭和18年〉1月5日 - 2021年〈令和3年〉3月26日)は、日本のキックボクサー。剛柔流空手道参段。満洲国出身。本名:白羽 秀樹(しらは ひでき)。娘はタレントの白羽玲子。半生を描いた漫画やアニメの『キックの鬼』の影響により、世間からは「キックの鬼」と呼ばれていた。 幼少より祖父から剛柔流空手道を習う。祖父からは中国武術も習っていた模様。幼少期には子役として「劇団そらまめ」という児童劇団に入っており、将来は役者を目指していた。実際に中学3年生のときには新東宝の新東宝スターレットに合格し、「城哲也」の芸名でテレビドラマ等へ出演していたが、新東宝の倒産に伴い芸能活動休止を余儀なくされる。