井上 満郎(いのうえ みつお、1940年12月5日 - )は… 井上 満郎(いのうえ みつお、1940年12月5日 - )は、日本の歴史学者。京都産業大学名誉教授。専攻は日本古代史。渡来人・渡来文化や、平安京について文献史料や考古資料を分析し、庶民の生活文化の観点から実像に迫る研究を続ける。 京都市生まれ。京都市立西京高等学校を経て、1964年京都大学文学部史学科卒、1969年同大学院文学研究科博士課程単位取得認定退学。 その後、奈良大学講師、助教授、1978年京都産業大学助教授、教授、2001年同日本文化研究所所長。2004年京都市歴史資料館長。2011年京都産業大学名誉教授。2012年から京都市埋蔵文化財研究所長を務め、2016年より公益財団法人高麗美術館の館長も務める。
柳井 恒夫(やない つねお、1940年12月5日 - )は大… 柳井 恒夫(やない つねお、1940年12月5日 - )は大阪府出身の元NHKのエグゼクティブアナウンサー。
井上 勲(いのうえ いさお、1940年12月5日-2016年… 井上 勲(いのうえ いさお、1940年12月5日-2016年11月14日)は、日本の日本史学者。学習院大学名誉教授。専門は日本近代史。特に幕末の政治史・政治思想史。 1940年、山口県で生まれた。東京大学文学部国史学科で学び、卒業。同大学大学院文学研究科に進み、博士課程を満期退学。 その後は東京大学助手に採用された。1973年、学習院大学文学部史学科助教授に就任。1989年に教授昇格。2011年に学習院大学を退任し、名誉教授となった。2016年に死去。 専門は日本近世史。「一会桑政権」という用語を最初に使い始めた研究者でもある。主要著書の『王政復古』は、幕末政治史研究に多くの論点を提示した。
山下 恒男(やました つねお、1940年12月5日 - )は… 山下 恒男(やました つねお、1940年12月5日 - )は、日本の心理学者。茨城大学名誉教授。専攻は心理学、情報文化論。文学修士。 横浜市生まれ。1964年東京教育大学心理学科卒業、同大学院実験心理学専攻博士課程修了。職業研究所を経て、1975年より茨城大学教育学部に勤務。同助教授、教授を経て、名誉教授。
山岸 宜公(やまぎし よしゆき、1940年12月5日 - 2… 山岸 宜公(やまぎし よしゆき、1940年12月5日 - 2018年2月25日)は、日本のチェロ奏者、指揮者。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
山田 法胤(やまだ ほういん、1940年12月5日 - )は… 山田 法胤(やまだ ほういん、1940年12月5日 - )は、日本の僧侶、法相宗管長・薬師寺管主。岐阜県本巣郡根尾村生まれ。 1956年薬師寺に入山、橋本凝胤に師事。1964年龍谷大学文学部仏教学科卒業、同年厚生省慰霊団団員として、アッツ島ほか戦跡各地を巡拝。1971年薬師寺執事、1990年奈良喜光寺住職、1998年薬師寺執事長、2003年薬師寺副住職、2009年薬師寺管主、法相宗管長。2016年8月より、薬師寺長老。
浜本 孝久(はまもと たかひさ、1940年12月5日- )は… 浜本 孝久(はまもと たかひさ、1940年12月5日- )は、日本の経営者。北海道テレビ放送社長、会長を務めた。北海道旭川市出身。 1964年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に朝日広告通信社に入社した。1969年3月に北海道テレビ放送に転じ、1992年6月に取締役に就任し、1996年6月に常務を経て、1999年6月に社長に就任。2005年6月に会長に就任し、2006年6月に取締役相談役を経て、2007年6月には相談役に就任。 2012年11月に旭日小綬章を受章した。
中村 和雄(なかむら かずお、1940年12月4日 - )は… 中村 和雄(なかむら かずお、1940年12月4日 - )は、日本のバスケットボール指導者である。鶴鳴女子高校、共同石油(後のENEOSサンフラワーズ)、浜松・東三河フェニックス(後の三遠ネオフェニックス)などの監督・ヘッドコーチを歴任し、全国優勝に導いた。またバスケットボール女子日本代表、秋田ノーザンハピネッツ、新潟アルビレックスBBのヘッドコーチも務めた。退任後、秋田県体育協会のゼネラル・アドバイザーとして秋田県のスポーツ振興に取り組む。 渋谷センター街バスケットボールストリートの入り口には、中村の座右の銘である「心をこめて」という言葉が刻まれたモニュメントが設置されている。また日本工学院八王子専門学校が主催する高校バスケットボールの大会「KAZU CUP」は、中村の名前を由来としている。
新 克利(あたらし かつとし、1940年〈昭和15年〉12月… 新 克利(あたらし かつとし、1940年〈昭和15年〉12月4日 - )は、日本の俳優・声優。 東京市に鳶職の子として生まれる。 都立三田高校を卒業後、1959年に法政大学法学部に進んだが、2年で中退。 俳優座養成所に13期生として入所し、1964年3月の卒業と同時に団員となる。 1968年、『肝っ玉かあさん』に医師役で初のテレビドラマレギュラー出演を果たして人気を獲得。 石井ふく子プロデュース作品に常連出演し、誠実なイメージの役が多かっただけに、一部週刊誌で長山藍子との不倫スキャンダルが報じられて以降、出演が減った[要出典]。 『必殺仕置屋稼業』の印玄役も当たり役であり、悪人を屋根から突き飛ばす際に悪人が言う「止めて!助けて!」のセリフが流行した。
二瓶 正也(、1940年〈昭和15年〉12月4日 - 202… 二瓶 正也(、1940年〈昭和15年〉12月4日 - 2021年〈令和3年〉8月21日)は、日本の俳優。本名および旧芸名、二瓶 正典()。 東京府東京市麹町区永田町出身。麹町中学校、専修大学附属高等学校卒業。二瓶事務所を経て、メセナに所属していた。 実父はドイツ人。映画が好きであったことから、高校3年生時に俳優を志し東宝芸能学校の夜間部に入る。 1960年に東宝第15期生ニューフェースとなり、しばらくは大部屋生活が続く。1961年、岡本喜八監督作『暗黒街の弾痕』の「殺し屋B」でデビュー。コミカルな役柄を得意とし、東宝の専属俳優として活躍した。特に岡本喜八作品の常連となる。1962年に『妖星ゴラス』で特撮作品に初出演。
久間 章生(きゅうま ふみお、1940年〈昭和15年〉12月… 久間 章生(きゅうま ふみお、1940年〈昭和15年〉12月4日 - )は、日本の政治家、農林官僚。昭和ホールディングス社外取締役(監査等委員)。 防衛大臣(初代)、防衛庁長官(第59・73代)、運輸政務次官(竹下内閣)、衆議院議員(9期)、長崎県議会議員(3期)、自由民主党総務会長、同幹事長代理、同副幹事長、同国会対策副委員長などを歴任した。 長崎県南高来郡加津佐町(現・南島原市)の農家に生まれる。両親は教育者(父は高校教員、母は中学教員)。 長崎県立口加高等学校・東京大学法学部卒業後、農林省に入省。農林省退職後に長崎県庁に入庁し、長崎県議会議員を経て、1980年に衆議院議員に初当選。第2次橋本内閣で防衛庁長官として初入閣。
米澤 祥一郎(よねざわ しょういちろう、1940年12月4日… 米澤 祥一郎(よねざわ しょういちろう、1940年12月4日 - 2008年10月20日)は、日本の実業家。東京都出身。三井松島産業(現・三井松島ホールディングス)代表取締役社長。 東京都出身。上智大学経済学部卒業。1964年、東京貿易(現・東京貿易ホールディングス)株式会社に入社。同社鉄鋼・原料本部本部長補佐等を歴任。1996年、三井松島産業(現・三井松島ホールディングス)株式会社に入社。その後、同社理事・取締役・常務取締役・代表取締役常務取締役等を経て、2003年に同社代表取締役社長に就任。同社コンプライアンス委員長や経営企画委員長、内部統制委員長等を兼任。 2008年10月20日、胆管細胞癌のため死去、67歳。
藤川 鉄馬(ふじかわ てつま、1940年(昭和15年)12月… 藤川 鉄馬(ふじかわ てつま、1940年(昭和15年)12月3日 - )は、大蔵(財務)官僚。エッセイスト。 1965年に大蔵省入省。入省同期に、榊原英資(財務官)、薄井信明、東力(衆院議員)、鞍谷雅敏(税務大学校長)、鏡味徳房がいる。日本ペンクラブ会員。
高萩 光紀(たかはぎ みつのり、1940年12月3日 - )… 高萩 光紀(たかはぎ みつのり、1940年12月3日 - )は、日本の実業家。JXホールディングス初代代表取締役社長。春光懇話会会長、財団法人石油産業活性化センター理事長なども歴任。 東京市大森区(現東京都大田区)生まれ。父は電気技術者。神奈川県立横浜翠嵐高等学校を経て、1964年3月一橋大学法学部卒業。大学では蓼沼謙一ゼミ、硬式野球部に所属。4年生から野球部マネージャーを務めた。 1964年4月、大学の先輩から誘われ日本鉱業株式会社入社。石油部門を希望し、石油部門大阪支社配属される。1969年ライス大学大学院に留学。本社原油調達担当課長、水島製油所総務部業務課長などを務めた。 1991年知多製油所(現JXTGエネルギー知多製造所)副所長、1994年から株式会社ジャパンエナジー取締役、1998年から同社常務取締役、1999年から同社取締役常務執行役員兼日鉱金属株式会社監査役、2001年から株式会社ジャパンエナジー取締役専務執行役員、2002年同社代表取締役社長兼新日鉱ホールディングス株式会社取締役、2005年からアブダビ石油株式会社会長兼ジャパンエナジー石油開発株式会社会長、2006年から新日鉱ホールディングス株式会社代表取締役社長。
篠山 紀信(しのやま きしん、本名の読み・みちのぶ、1940… 篠山 紀信(しのやま きしん、本名の読み・みちのぶ、1940年12月3日 - )は、東京市淀橋区柏木(現在の東京都新宿区北新宿)出身の写真家。
藤井 常世(ふじい とこよ、女性、1940年12月3日 - … 藤井 常世(ふじい とこよ、女性、1940年12月3日 - 2013年10月30日)は、日本の歌人。 折口信夫門下の歴史学者・藤井貞文の娘として東京都に生まれる。弟は藤井貞和。「常世」は本名で、折口が名付け親。國學院大學文学部文学科卒業。香川進の歌誌『地中海』を経て、1972年岡野弘彦の歌誌『人』創刊に参加。1993年『笛の会』を結成、代表となる。現代歌人協会会員。2002年「NHK歌壇」選者。2013年10月30日、急性心不全のため死去。72歳没。
延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2… 延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2018年2月8日)は、日本の建築家、都市研究者、都市計画家、教育者、地域プランナー、地域活動家。専攻は生活空間計画学。工学博士。 まち育ての研究と実践、人材育成のほかに各地で「幻燈会」を開いて啓蒙に努める自称「まち育ての語り部」。大阪府大阪市生まれ。 その他、まちの縁側GOGO、神戸市真野地区まち育て、武蔵野市公団緑町団地共同建替、高知赤岡町まち育て等、各地で数多くの地域づくり、まちづくり実践に努める。
竜田 邦明(たつた くにあき、1940年12月1日 - )は… 竜田 邦明(たつた くにあき、1940年12月1日 - )は、日本の有機化学者。大阪府大阪市出身。早稲田大学名誉教授。日本化学会副会長。 四大抗生物質群を含む102種の天然生理活性物質(天然物)の全合成を達成し、有機化学の重要な分野の一つである天然物合成において先導的役割を果たしてきた。それらのうち90種は世界最初の全合成であり、世界的にも極めて顕著な完成数であることから、国際的に「Dr. Total Synthesis」と呼ばれる天然物合成の世界的第一人者である。なかでも特異な構造とその生理活性により四大抗生物質群と称されるマクロライド、アミノグリコシド、ペニシリンおよびテトラサイクリン系抗生物質のすべての代表物質の全合成に世界で初めて成功した。
樽本 庄一(たるもと しょういち、1940年(昭和15年)1… 樽本 庄一(たるもと しょういち、1940年(昭和15年)12月1日 - 2019年(平成31年)3月15日)は、日本の政治家。兵庫県加古川市長(3期)。位階は従五位。 1963年、関西大学商学部卒業後、加古川市役所に入所。総務部長、助役などを経て、2002年の加古川市長選挙に出馬し、初当選。同年7月1日に市長就任。 2006年7月、2010年6月の選挙はいずれも無投票で当選し、3選した。 2013年12月10日、翌年実施予定の市長選挙に立候補しないことを正式表明した。 2014年6月30日、加古川市長を退任。同年7月8日に退任式が行われた。 2018年4月、旭日小綬章受章。 2019年3月15日、インフルエンザ脳症のため死去。
小山周三(こやま しゅうぞう、1940年12月1日- )は、… 小山周三(こやま しゅうぞう、1940年12月1日- )は、日本の経営学者、西武文理大学名誉教授。 東京生まれ。1964年早稲田大学法学部卒。西武百貨店勤務を経て1970年セゾン総合研究所・流通産業研究所入所。理事、所長となり、フードシステム総合研究所長を兼務。2000年西武文理大学教授となり、のち名誉教授。
廣瀬 幸雄(ひろせ ゆきお、1940年11月30日 - )は… 廣瀬 幸雄(ひろせ ゆきお、1940年11月30日 - )は、日本の計算機科学者。金沢大学名誉教授。理学部計算科学科教授、大学院自然科学研究科特任教授を歴任。学位は工学博士。 石川県金沢市出身。1963年に金沢大学理学部を卒業、1966年に金沢大学理学研究科修士課程を修了。1970年金沢工業大学助教授、1973年金沢大学助教授、1985年から金沢大学教授、2006年から金沢大学大学院特任教授。2009年には、「超音波計測による骨密度評価法の開発育成」で文部科学大臣賞を受賞した。2021年瑞宝中綬章受章。
安蘇谷 正彦(あそや まさひこ、1940年11月30日 - … 安蘇谷 正彦(あそや まさひこ、1940年11月30日 - 2025年2月7日)は、日本の神道学者。國學院大學元学長。栃木県佐野市出身。 栃木県佐野市田沼町(生誕時は単独町制)にある一瓶塚稲荷神社の宮司の家系に生まれ、國學院大學文学部神道学科に進学。同大学大学院の修士課程修了後にフルブライト・プログラムにより渡米し、米国でも修士号を取得。帰国後には國學院大學に戻って博士課程に進み、満期退学後はそのまま専任講師から教授へと進んだ。この間、1990年(平成2年)には学位論文『神道の生死観 : 神道思想と「死」』により同大学より文学博士号を授与されている。 2002年(平成14年)、同大学が文学部神道学科を改組し全国初の「神道文化学部」を設置した際には、安蘇谷が初代学部長として選任された。
土志田 征一(としだ せいいち、1940年11月30日 - … 土志田 征一(としだ せいいち、1940年11月30日 - 2007年10月11日)は、日本の経済学者。 神奈川県茅ヶ崎市生まれ。1964年東京大学経済学部卒業、経済企画庁入庁。調査局内国調査第一課長、調査局長、総合計画局長、調整局長を経て、1997年日本経済研究センター理事長。2000年日本経済研究センター理事・研究参与。専修大学経済学部教授を務めた。
柿原崇志(かきはら たかし、1940年11月30日 - 20… 柿原崇志(かきはら たかし、1940年11月30日 - 2021年11月17日)は、日本の能楽師。高安流大鼓方。恩賜賞・日本藝術院賞受賞者。重要無形文化財保持者(能囃子方大鼓・人間国宝)。 1940年11月30日、福岡県大牟田市に生まれた。高安流大鼓方・柿原繁蔵の長男で、1954年に父に入門した。その後、高校卒業後に上京して安福春雄に師事した。 1956年、『船弁慶』で初舞台を踏んだ。1962年に能楽協会会員となり、1982年には日本能楽会に入会した。 能楽協会理事・常務理事、日本能楽会理事・常務理事を歴任した。また、能楽養成会講師、東京藝術大学音楽学部非常勤講師、国立劇場伝統芸能伝承者養成「能楽(三役)」研修講師を務め、後進の指導にもあたった。
宮路 和明(みやじ かずあき、1940年11月29日 - )… 宮路 和明(みやじ かずあき、1940年11月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(8期)。 鹿児島県川辺郡笠沙町(現南さつま市)出身。笠沙町立赤生木小・中学校、ラ・サール高校を経て、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。1965年、農林省入省。農林経済局農業協同組合課課長補佐等を務める[要出典]。群馬県農政部次長(1981年)、農林水産省大臣官房参事官(1983年)、畜産局畜政課畜産総合対策室長(1984年)を歴任し、1985年退官。 1986年の第38回衆議院議員総選挙で旧鹿児島1区に無所属で出馬したが、落選。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で初当選。以後6期務める。
赤井 紀男(あかい のりお、1940年11月29日 - )は… 赤井 紀男(あかい のりお、1940年11月29日 - )は、日本の経営者。日立マクセル社長を務めた。兵庫県出身。 1963年に神戸大学教育学部を卒業し、同年に日立マクセルに入社。1993年に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1997年6月に専務に就任。1999年6月には社長に昇格。2006年6月に相談役に就任。
永野 紀吉(ながの きよし、1940年11月29日 - )は… 永野 紀吉(ながの きよし、1940年11月29日 - )は日本の実業家。元ジャスダックの最高顧問。福岡県出身。 西南学院大学を卒業後、日興証券に入社しその後取締役となる。1997年に山加証券取締役社長、1998年に日本グローバル証券副社長となり、1999年6月にジャスダック・サービス(現・ジャスダック証券取引所)の社長に就任。「当時、米国のニューヨーク証券取引所とナスダックの力関係と、東京証券取引所と当時のジャスダック証券取引所の力関係とは大きな差があった。その差を詰めるために投資家や市場参加者がいる現場に足を向けた」ジャスダックの存在感を強めるための苦心を語る。2007年信越化学工業監査役。
今泉 吉晴(いまいずみ よしはる、1940年11月29日 -… 今泉 吉晴(いまいずみ よしはる、1940年11月29日 - )は、日本の動物学者、著作家、翻訳家。都留文科大学名誉教授。日本動物学会、日本動物行動学会、日本哺乳動物学会、都留市ムリネモ協議会の各会員。 動物学者の今泉吉典の長男。弟に動物学者の今泉忠明がいる。その息子で、吉晴には甥にあたる今泉勇人も動物の生態研究者という動物一家。ドイツ在住の環境ジャーナリスト今泉みね子は元妻。 1965年東京農工大学農学部獣医学科卒業。東京大学大学院修了。 1966年、長岡市立科学博物館学芸員となる。1969年に国際基督教大学助手、1978年都留文科大学文学部助教授、のち教授。同大文学部初等教育学科、のちに社会学科教授を務めた。
長瀬 保(ながせ たもつ、1940年〈昭和15年〉11月29… 長瀬 保(ながせ たもつ、1940年〈昭和15年〉11月29日 - )は、日本の政治家。愛知県北名古屋市長を4期、師勝町長を3期務めた。 日本福祉大学社会福祉学部卒業。1960年(昭和35年)9月、師勝町役場に就職。1991年(平成3年)12月、町職員を退職し、同町の助役に就任。1995年(平成7年)7月、助役を辞任。同年9月22日、師勝町長に就任。1999年(平成11年)、再選。2003年(平成15年)、3期目の当選。 2006年(平成18年)3月20日、師勝町は西春町と合併し、北名古屋市が誕生。4月23日に行われた北名古屋市長選挙に無所属・民主党推薦で出馬し初当選。同日、市長就任。 2010年(平成22年)4月18日に行われた北名古屋市長選挙では、前市議の日栄政敏を破り2期目の当選(長瀬:18,984票、日栄:15,673票)。
梅 勝夫(ばい かつお、1940年11月29日 - )は、日… 梅 勝夫(ばい かつお、1940年11月29日 - )は、日本の元バスケットボール選手。 立教大学卒業。積水化学で選手として活躍。 全日本にも選ばれ、1964年東京オリンピックに出場。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
篠塚 勝正(しのづか かつまさ、1940年11月28日 -)… 篠塚 勝正(しのづか かつまさ、1940年11月28日 -)は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の実業家。沖電気工業元会長。 1998年(平成10年)に社長に就任し、フェニックス21計画として経営再建に尽力した。再び業績が悪化し、社長を退任、会長・相談役を歴任した。
鴻池 祥肇(こうのいけ よしただ、1940年11月28日 -… 鴻池 祥肇(こうのいけ よしただ、1940年11月28日 - 2018年12月25日)は、日本の政治家。位階は正三位。 内閣官房副長官(麻生内閣)、防災担当大臣兼構造改革特区担当大臣(第1次小泉第1次改造内閣)、沖縄開発政務次官(宮澤内閣・宮澤改造内閣)、参議院デフレ脱却・財政再建特別委員長、同平和安全法制特別委員長、同国家基本政策委員長、同予算委員長、同決算委員長、同国旗・国歌特別委員長、同建設委員長、参議院議員(4期)、衆議院議員(2期)、自由民主党参議院国会対策委員長、社団法人日本青年会議所会頭などを歴任。 兵庫県尼崎市出身。神戸大学附属住吉小・中学校、兵庫県立神戸高等学校を経て、早稲田大学教育学部卒業。
近藤 紘一(こんどう こういち、1940年(昭和15年)11… 近藤 紘一(こんどう こういち、1940年(昭和15年)11月27日 - 1986年(昭和61年)1月27日)は、日本のジャーナリスト、作家。サンケイ新聞編集委員。サイゴン支局長として赴任した際にはベトナム戦争を取材し、サイゴン陥落を目撃した。東京府出身。 祖父、父と2代続いた医師の家の長男として東京大学医学部附属病院で生まれる。父・台五郎は、東京女子医科大学教授などを務め、ファイバースコープの開発にも貢献した。 湘南・逗子で育ち、進学した神奈川県立湘南高等学校では、万葉集などの日本の古典やサルトルなどのフランス文学に親しんだ、なかでも大河小説『チボー家の人々』に感銘を受け、早稲田大学仏文専修に入ったのも、訳者の山内義雄を慕っての選択だった。
吉川 春子(よしかわ はるこ、1940年11月26日 - )… 吉川 春子(よしかわ はるこ、1940年11月26日 - )は、日本の政治家。日本共産党所属の元参議院議員(4期)。 2007年2月21日、マイク・ホンダがアメリカ合衆国下院121号決議を成立させる動きに連動し、米議会の公聴会で慰安婦を名乗り証言した李容洙を招いて開催した集会に参加。円より子は「現在、『促進法案(戦時性的強制被害者問題解決促進法案)』が(審議されず)吊るしっぱなしになっている。法案を通過させ被害者の名誉を回復したい。そのために通常国会で審議されるよう努力していく」と述べた。岡崎トミ子は『(被害者の証言は)日本の国会がすべきこと。米国で先に実現し恥ずかしく思う。日本がアジアで尊敬される国になるには戦争加害責任をきちんととって周辺の国々と友好を深めていかなければならない』と述べた。
中野 寛成(なかの かんせい、1940年〈昭和15年〉11月… 中野 寛成(なかの かんせい、1940年〈昭和15年〉11月26日 ‐ )は、日本の政治家。 衆議院議員(11期)、大阪府豊中市議会副議長、民社党書記長、新進党政策審議会長、新党友愛代表(初代)、民主党幹事長、衆議院副議長(第62代)、国家公安委員会委員長(第84代)、拉致問題担当大臣(菅直人再改造内閣)、公務員制度改革担当大臣(菅直人再改造内閣)などを歴任した。 現在[いつ?]は、大阪民社協会常任顧問、吉本興業特別顧問、世界連邦運動協会会長代行、関西大学政治学会顧問を務めている。 長崎県長崎市生まれ。4歳の時に原爆投下を経験している。後に大阪府へ転居し、大阪府立豊中高等学校、関西大学法学部卒業。
琴櫻 傑將(ことざくら まさかつ、1940年11月26日 -… 琴櫻 傑將(ことざくら まさかつ、1940年11月26日 - 2007年8月14日)は、鳥取県東伯郡倉吉町(のちの鳥取県倉吉市)出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。第53代横綱。本名は鎌谷 紀雄(かまたに のりお)。 1940年11月26日に、鳥取県倉吉町の借家地で警察官の子として誕生する。倉吉町立成徳小学校を卒業後、倉吉町立東中学校時代に実父から柔道を仕込まれ、本来は中学生では取得を認められていない段位を特例で認めてもらうほどの腕前にまで上達する。偶々柔道の全国大会のTV中継を見てその才能を見出し、そうして鳥取にやって来た佐渡ヶ嶽から熱心に勧誘されたが、周囲に反対されるもののどうにか了解を得て佐渡ヶ嶽部屋に入門、1959年1月場所に初土俵を踏んだ。
河津 光朗(かわず こうろう、1940年11月25日 - )… 河津 光朗(かわず こうろう、1940年11月25日 - )は、日本の陸上競技選手である。 京都市立洛陽工業高等学校工業化学科卒業後、日本大学に入学。日本大学卒業後、日本レイヨン(現在のユニチカ)に入社し競技を続ける。 1964年東京オリンピックで男子走幅跳に出場した。
池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 20… 池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 2019年8月30日)は、日本のドイツ文学者、エッセイスト、翻訳家。 カフカを中心にドイツ文学の評論・翻訳が専門。旅行記や人物伝、大衆芸能と幅広く文筆活動を行う。著書に『ウィーンの世紀末』(1981年)、『海山のあいだ』(1994年)、『カント先生の散歩』(2016年)など。 兵庫県姫路市出身。姫路市立城北小学校卒業。兵庫県立姫路西高等学校卒業、東京外国語大学外国語学部卒業、1965年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。神戸大学講師、旧:東京都立大学助教授、1986年東京大学文学部助教授を経て、1990年に教授。定年前の1996年に早期退官。
植村 孝(うえむら たかし、1940年11月25日 - )は… 植村 孝(うえむら たかし、1940年11月25日 - )は、日本の詩人。兵庫県姫路市生まれ。
山内 ジョージ(やまうち ジョージ、1940年11月24日 … 山内 ジョージ(やまうち ジョージ、1940年11月24日 - 2025年2月27日)は、日本の漫画家、文字絵作家。日本児童出版美術家連盟会員、東アジア文化支援プロジェクト事務局長。山内 譲二名義による作品もある。本名は山内 紀之(やまうち のりゆき)。 日本の租借地であった関東州(現在の中華人民共和国遼寧省)大連市で、関東局勤務の警察官の家庭に生まれる。1945年、日本の第二次世界大戦敗戦に伴い収容所生活を送った後、1947年に日本へ引き揚げ、父の郷里の宮城県登米市で育つ。小学校5年生の時、手塚治虫と文通。中学校2年生の時、小野寺章太郎(石ノ森章太郎)と知り合う。宮城県佐沼高等学校卒業。 上京後、1960年9月から1962年3月までトキワ荘に住み、石森章太郎や赤塚不二夫のアシスタントを経て独立。
石川 嘉延(いしかわ よしのぶ、1940年11月24日 - … 石川 嘉延(いしかわ よしのぶ、1940年11月24日 - )は、日本の自治官僚、政治家、行政学者(専門は地方自治)。勲等は旭日大綬章。日本大学国際関係学部客員教授。「嘉延」の読みは「よしのぶ」が正式だが、「かえん」と呼ばれることもある。 静岡県知事(第49〜52代)、内閣府中央防災会議委員、地震調査研究推進本部政策委員会委員、全国知事会理事・災害対策委員会委員長、学校法人静岡文化芸術大学理事長などを歴任した。 日本統治時代の台湾生まれ。両親はいずれも静岡県出身の日本人だが仕事の都合で台湾に滞在しており、石川は生後5年間を台湾で過ごした。1945年の終戦にともない、家族の故郷である静岡県小笠郡佐束村(現掛川市)に引き揚げた。
石川 陽造(いしかわ ようぞう、1940年11月24日 - … 石川 陽造(いしかわ ようぞう、1940年11月24日 - )は、愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身の元プロ野球選手(投手)。
松本 元(まつもと げん、1940年11月24日 - 200… 松本 元(まつもと げん、1940年11月24日 - 2003年3月9日)は日本の脳科学者。神経細胞が巨大で観察しやすいヤリイカの人工飼育法の開発、神経細胞の研究、脳型コンピュータの開発を手掛けた。
原口 幸市(はらぐち こういち 1940年11月24日 - … 原口 幸市(はらぐち こういち 1940年11月24日 - 2009年10月4日)は、日本の元外交官、官僚。
たこ 八郎(たこ はちろう、1940年〈昭和15年〉11月2… たこ 八郎(たこ はちろう、1940年〈昭和15年〉11月23日 - 1985年〈昭和60年〉7月24日)は、日本の元プロボクサー・コメディアン、俳優。本名は斉藤 清作(さいとう せいさく)。 元日本フライ級王者。俳優活動では太古 八郎、多胡 八郎、多古 八郎、タコ 八郎などの名義も用いた。 座右の銘は「迷惑かけてありがとう」。 宮城県仙台市新田(現宮城野区)の農家に、8人兄弟の次男(第4子)として生まれる。少年時代に友達と泥んこの投げ合いをしていて、泥が左眼に当たったことが原因で左眼の視力をほとんど失う。すぐに病院に行き治療すれば失明はしなかったと言われたが、少年時代は裕福な家庭ではなかったため、病院に行けば親に迷惑がかかると思い黙っていたと後に語っている。
佐々木 克(ささき すぐる、1940年11月23日 - 20… 佐々木 克(ささき すぐる、1940年11月23日 - 2016年7月31日)は、日本の歴史学者。位階は従四位。 京都大学名誉教授。専門は日本近代政治史。秋田県大仙市出身。 立教大学文学部において大久保利謙の指導を受けた。国立国会図書館司書補佐として、憲政資料室において「三条実美関係文書」や「広沢真臣関係文書」の整理や目録編纂を行う。1977年に京都大学人文科学研究所助教授となり、1988年に教授に昇任。2004年に定年を迎える。幕末・維新から自由民権期にかけての政治史や人物史を中心に多数の著書・論文を執筆したほか、『大津市史』など自治体史編さんにも参画した。また2000年から2004年まで明治維新史学会会長を務めている。
竹本 直一(たけもと なおかず、1940年11月23日 - … 竹本 直一(たけもと なおかず、1940年11月23日 - )は、日本の政治家、官僚。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、自民党大阪府連会長。元財務副大臣(第3次小泉改造内閣)。
時政勗(ときまさ つとむ、1940年11月23日- )は、日… 時政勗(ときまさ つとむ、1940年11月23日- )は、日本の経済学者、広島修道大学名誉教授。 山口県生まれ。1964年九州大学経済学部卒業、69年同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。83年「最適成長論の基礎」で経済学博士。西南学院大学経済学部講師・助教授・教授、佐賀大学経済学部教授、広島修道大学経済科学部教授、人間環境学部教授。2012年定年、名誉教授。専門は環境経済学、資源経済学、マクロ経済学。
加地 隆雄(かじ たかお、1940年11月23日 - 201… 加地 隆雄(かじ たかお、1940年11月23日 - 2015年1月13日)は、日本の実業家。千葉県富津市出身。 1960年に定時制高校を卒業後、電通に入社し同社の横浜支社に配属された。当時の人事部長から「学費は出すから大学へ入れ」と言われ、駒澤大学経済学部に入学。業務の傍ら学業もこなし、駒大を卒業した。1985年より横浜支社次長。 1990年に長年務めた横浜支社を離れ東京本社営業部に転勤し、営業局局次長や営業統括局主幹を歴任。1996年に電通子会社でドラマ制作会社の「C.A.L.」の代表取締役に。同社では人気時代劇「水戸黄門」の制作に携わった他、1997年に岡田茂東映会長に働きかけ、時代劇コンテンツ推進協議会を設立した。
大木 淳吉(おおき じゅんきち、1940年11月23日 - … 大木 淳吉(おおき じゅんきち、1940年11月23日 - 1996年12月13日)は、日本の映画監督。別名:大木 淳。法政大学経済学部卒。 1964年、サンケイ映画社でのドキュメンタリーなどを経て円谷特技プロダクションに入社。円谷英二に師事し、『ウルトラQ』で本編班演出部助監督と『マグマ大使』で特撮助監督、『ウルトラマン』で特撮班助監督を手掛け、『快獣ブースカ』で特殊技術デビュー。 実相寺昭雄とコンビを組むことが多く(『無常』『曼陀羅』などでは助監督にもついている)、デビュー作の『ウルトラセブン』第8話「狙われた街」、現在欠番作品となった第12話「遊星より愛をこめて」のほか、映画『帝都物語』(1988年、東宝)のビジュアルスーパーバイザー、『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』の特技監督を手がけた。