来生 えつこ(きすぎ えつこ、1948年3月9日 - )は、… 来生 えつこ(きすぎ えつこ、1948年3月9日 - )は、東京都出身の作詞家。本名、来生悦子。 都立豊島高等学校、女子美術短期大学卒業。 雑誌「話の特集」、虫プロダクション、PR雑誌と編集者をつとめる。 編集者をしながらフリーライターをしていたが、弟の来生たかおの曲に詞を付けるようになり、プロの作詞家になった。弟とのコンビは多くのヒット曲を生み、ニューミュージック界を代表するゴールデン・コンビの一つとして知られる。小説家、エッセイストとしても活動している。
野地 澄晴(のじ すみはれ、1948年3月9日 - )は、日… 野地 澄晴(のじ すみはれ、1948年3月9日 - )は、日本の発生生物学者であり生物工学者。理学博士。徳島大学名誉教授・前学長。徳島大学・学長補佐。アカデミスト起業学会を設立(2023年10月)、愛媛県出身、広島育ち。 1948年に愛媛県松山市平井の母親の実家にて誕生。父の野地潤家は、広島大学の教員であったので、広島市基町に18才まで住む。父は言語の発達のメカニズムに興味を持ち、澄晴の言葉の発達について、0才から5才まで記録した。当時は録音装置などないため、カードに筆記する方法で記録。話す速度が増すと、速記法を勉強して記録した。その記録は『幼児期の言語生活の実態』全4巻として発表されている。内容は「Sumihare Database」として研究に使用されている。
久保 千春(くぼ ちはる、男性、1948年3月9日 - )は… 久保 千春(くぼ ちはる、男性、1948年3月9日 - )は、日本の内科医(心療内科学)、心身医学者。医学博士。第23代九州大学総長。日本心療内科学会理事長。 鹿児島県出身。鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業後、1966年に九州大学医学部へ入学。中村哲とは大学で同級。中村がアフガニスタンで凶弾に倒れた際には弔辞を読んだ。 鹿児島玉龍高等学校3年の時に慢性腎炎を患い、2ヶ月半の療養生活を送る。それがきっかけで腎臓病の解明と治療法の研究をするべく医師を志した。腎炎自体は大学入学後の食事療法と運動制限などの効果もあって、大学3年次には症状は好転したという。 大学5年次の臨床講義で池見酉次郎(九州大学精神身体医学研究施設教授)の心身医学講義を受講したことにより、心療内科医を志望することを決める。
桒山 賀行(くわやま がこう、1948年3月9日 - )は、… 桒山 賀行(くわやま がこう、1948年3月9日 - )は、神奈川県藤沢市の日本の彫刻家。愛知県常滑市出身。日展会員。父は陶彫家の桒山護朗。
辛島 文雄(からしま ふみお、1948年3月9日 - 201… 辛島 文雄(からしま ふみお、1948年3月9日 - 2017年2月24日)は大分県出身のジャズピアニスト。
田邊 隆一(たなべ りゅういち、1948年3月9日 - 20… 田邊 隆一(たなべ りゅういち、1948年3月9日 - 2025年7月25日 )は、日本の外交官。東京都外務長、アフガニスタン支援調整大使、セルビアモンテネグロ特命全権大使、ポーランド特命全権大使、関西大使政府代表、等を務めた。退官後は、ニデック常勤監査役、ニデック顧問、大阪工大客員教授、大阪国際学園理事、京都先端科学大学理事、関西日墺協会などの会長や大阪ロータリーで国際奉仕委員長などを務める。ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字勲章、ポーランド共和国功労星付勲爵士十字賞、ユーゴスラビア勲一等星章、オーストリア共和国功労勲章星付金賞、ドイツ連邦共和国一等功労十字章、瑞宝章中綬章等、複数受章。天皇より従三位を授与され祭粢料が下賜される。
中田 正博(なかた まさひろ、1948年3月9日 - )は、… 中田 正博(なかた まさひろ、1948年3月9日 - )は、日本の経営者。時事通信社社長を務めた。岡山県玉野市出身。 1971年に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業し、同年に時事通信社に入社した。2005年に取締役に就任。2008年6月に社長に就任。2012年6月に共同記事コピー問題での責任を取る形で社長を辞任。
桒山 賀行(くわやま がこう、1948年3月9日 - )は、… 桒山 賀行(くわやま がこう、1948年3月9日 - )は、日本の彫刻家。愛知県常滑市出身。日展会員。父は陶彫家の桒山護朗。 桒山のアトリエで、鳩が飛ぶ彫刻(『記念写真』ブロンズ)に触れた視覚障害者が、鳥が羽を広げて飛ぶ様子に感動している姿がきっかけになり、視覚障害者にも自分の展覧会で一緒に触れて見てもらおうと始めた。1991年から毎年行っている。第24、25回手で触れて見る彫刻展には桒山との出会いをきっかけに彫刻を始めた視覚障害者の作品も展示されている。
長内 敬(おさない たかし、1948年(昭和23年)3月8日… 長内 敬(おさない たかし、1948年(昭和23年)3月8日 - )は、日本の外交官。ロシア公使などを経て、初代駐ラトビア特命全権大使。 青森県藤崎町出身。1966年青森県立弘前高等学校卒業、1974年一橋大学社会学部卒業。1976年外務省入省。ソヴィエト連邦勤務を希望し、ロシア語研修を受ける。 1988年国際連合日本政府代表部一等書記官、1990年在ソヴィエト連邦日本大使館一等書記官、1992年在ロシア日本国大使館一等書記官、1993年参事官。 1993年欧州復興開発銀行日本理事代理、1997年大蔵省関税局調査保税課長。 1999年外務省大臣官房通信課長、2001年外務省大臣官房外務参事官兼総合外交政策局(軍備管理・科学担当)、2002年在ロシア日本国大使館公使。
篠 ひろ子(しの ひろこ、1948年〈昭和23年〉3月8日 … 篠 ひろ子(しの ひろこ、1948年〈昭和23年〉3月8日 - )は、日本の女優である。本名:西山 博子(にしやま ひろこ)。旧姓:沼澤(ぬまさわ)。宮城県仙台市出身、在住。東北学院大学法学部中退。血液型O型。所属事務所は芸映プロダクションであった。身長166 cm(1975年7月)。体重は48kg、スリーサイズはB83 cm、W58 cm、H88 cm(いずれも1974年)。 三男二女の長女で、父は電機会社の専務。兄にプロゴルファーの沼沢聖一、弟にゴルフクラブ設計家の沼沢雄二、甥に元プロサッカー選手で俳優の青山隼がいる。少女期はNHK仙台少年少女合唱隊(後輩に遊佐未森がいる)に所属していた。聖ウルスラ学院小学校・中学校・高等学校(現在の聖ウルスラ学院英智小学校・中学校・高等学校)卒業。
山根 隆治(やまね りゅうじ、1948年3月8日 - 202… 山根 隆治(やまね りゅうじ、1948年3月8日 - 2022年12月10日)は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、外務副大臣(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、参議院経済産業委員長、埼玉県議会議員(2期)、川越市議会議員(4期)などを歴任。 東京都豊島区生まれ。佼成学園高等学校卒業。1966年、医歯薬出版株式会社に入社。1970年から民社党衆議院議員西田八郎の秘書、1973年から民社党参議院議員柄谷道一の秘書を務める。 1979年、川越市議会議員選挙に民社党公認で出馬し、初当選。以後4期務めた後、1995年に埼玉県議会議員選挙に鞍替えし当選。県議2期、民主党埼玉県総支部連合会幹事長を務める。
山室 惠(やまむろ めぐみ、1948年3月8日 - )は、日… 山室 惠(やまむろ めぐみ、1948年3月8日 - )は、日本の元裁判官、弁護士(弁護士法人 瓜生・糸賀法律事務所顧問)。男性。熊本県熊本市出身。裁判官としては、主に刑事事件を担当した。警察庁「捜査手法、取調べの高度化を図るための研究会」委員。 社会的に注目を集めた事件を数多く担当し、中には事件そのものよりも裁判官としては異例ともいえる公判中の発言や説諭で世間の注目を集め、有名な事件となったケースもある。 東京地方裁判所刑事第5部の裁判長として、以下の事件を担当した。
水谷 邦久(みずたに くにひさ、1948年3月8日 - )は… 水谷 邦久(みずたに くにひさ、1948年3月8日 - )は、日本の元俳優。本名は同じ。 静岡県熱海市出身。静岡県立熱海高等学校卒業。田村企画に所属していた。 高校卒業後、大学浪人中に俳優を志して文学座付属演劇研究所に入り、1968年に劇団NLTに入団する。 NLTの先輩で、後年『金メダルへのターン!』『レインボーマン』で共演した俳優の長沢大は、初対面の印象として「いい意味で世間知らず。清々しい印象で、アドバイスに対しても一生懸命素直に聞いてくれた」と述懐している。また、NLTで一緒だった伴大介は、水谷とともにNLTが千葉県で経営していた海の家で一緒に仕事をしたことがあるという。 1970年、テレビドラマ『金メダルへのターン!』にレギュラー出演。
山室 惠(やまむろ めぐみ、1948年3月8日 - )は、日… 山室 惠(やまむろ めぐみ、1948年3月8日 - )は、日本の元裁判官、弁護士(弁護士法人 瓜生・糸賀法律事務所顧問)。男性。裁判官としては、主に刑事事件を担当した。警察庁「捜査手法、取調べの高度化を図るための研究会」委員。
高橋 利幸(たかはし としゆき、1948年3月8日 - )は… 高橋 利幸(たかはし としゆき、1948年3月8日 - )は、日本の指揮者。 尚美高等音楽院(現:尚美学園大学)専攻科卒。在学中より女声合唱団「コール・メーティス」を指揮、青山タワーホールを中心とする定期演奏会の指揮をするとともに、東京新聞社、東京文化会館主催の都民合唱コンクールに参加、2回の2位入賞や奨励賞受賞の成果をあげる。 卒業後は千葉県船橋市立前原中学校で教鞭をとり、母校尚美高等音楽院の指揮科講師として後進の育成にあたった。1979年からは千葉県習志野市立第一中学校に勤務し、オーケストラの指導・指揮者として全国学校合奏コンクール、TBSこども音楽コンクールに出場し、全国コンクールにおいて、合奏の部・重奏の部合わせて全国優勝9回を数える。
加藤 喜代美(かとう きよみ、男性、1948年3月8日 - … 加藤 喜代美(かとう きよみ、男性、1948年3月8日 - )は、アマチュアレスリング選手。1972年ミュンヘンオリンピックレスリングフリースタイル・52キロ級(旧フライ級)金メダリスト。北海道旭川市出身。最終学歴は専修大学卒業。4年次に専修大学レスリング部主将。3学年下の1年次に長州力がいた。身長150cm代と小柄だったため、飛び上がってまで長州らを引っぱたいて折檻することもあった(長州談)という。そこから長州ら専修大学レスリング部は4年連続大学日本一になっている。これまでに10人の五輪オリンピアンを輩出。 北海道旭川商業高等学校から専修大学を経て、三信電気に入社。全日本選手権で1968~71年と4連覇を達成したが、1971年の世界選手権では6位。
鈴木 啓志(すずき ひろし、1948年3月8日 - )は、日… 鈴木 啓志(すずき ひろし、1948年3月8日 - )は、日本の音楽評論家。ブルース、ソウル音楽を専門とする。 北海道函館市に生まれ、3歳より東京都で育つ。横浜国立大学経済学部卒業。大学在学中の1968年に日暮泰文とブルース&ソウル・ミュージック愛好会を設立。その後、音楽評論家となる。 将棋棋士・花村元司の娘がソウル音楽の関係者で、元来の鈴木の知人であった縁で、2012年に花村の伝記を執筆している。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
太田 洋(おおた ひろし、1948年〈昭和23年〉3月7日 … 太田 洋(おおた ひろし、1948年〈昭和23年〉3月7日 - )は、日本の政治家。元千葉県いすみ市長(5期)、元岬町長(2期)。元・岬町長の太田儀男は父。 千葉県立大多喜高等学校、法政大学経済学部卒業。1972年(昭和47年)4月、千葉県庁に入庁。千葉県衛生部医療施設課長を務め、1999年(平成11年)に退職。同年10月、岬町長に就任。 2005年(平成17年)12月5日、大原町、夷隅町、岬町が合併しいすみ市が発足。同年12月25日に行われたいすみ市長選挙で前・大原町長の近藤万芳を破り初当選した。 2017年(平成29年)、無投票により4選。 2021年(令和3年)12月、元・いすみ市議会議員の田井秀明を破り5選。
冬川 亘(ふゆかわ わたる、1948年3月7日- )は日本の… 冬川 亘(ふゆかわ わたる、1948年3月7日- )は日本の翻訳家、作家。 本名、野口勇。熊本県鹿本郡大字来民(現・山鹿市鹿本町来民)出身。千葉県四街道市在住。東京都立大泉高等学校卒業。東京大学文学部西洋史学科卒業。同大学院西洋史修士課程中退。 訳書『カエアンの聖衣』で星雲賞を受賞。1995年、第27回新潮新人賞を短編『紅栗』で受賞。 2008年を最後に翻訳書はなく、2014年にはかつて冬川が訳した『無伴奏ソナタ』(短編集の共訳)の新訳版(金子浩他訳)が、2015年には『はだかの太陽』の新訳版(小尾芙佐訳)が、2016年には『カエアンの聖衣』の新訳版(大森望訳)が、元出版社である早川書房から、それぞれ別の翻訳者により刊行された。
湊 博昭(みなと ひろあき、1948年3月7日 - 2006… 湊 博昭(みなと ひろあき、1948年3月7日 - 2006年10月3日 )は、日本の医学者、精神科医。専門は社会精神医学、研究領域は、青年期危機の精神医学的研究、スチューデント・アパシーの臨床研究、青年期精神医学の研究。 徳島県生まれ。一橋大学での湊ゼミで学んだ学生には、漫画家の倉田真由美や黒田硫黄、ジャーナリストの安田純平らがいる。 一橋大学の他、東京大学(駒場・本郷)、東京工業大学、中央大学などの保健センターでも非常勤講師として、学生の診察を行っている。ただし、2006年3月、体調不良のため全て辞職。一橋大学でも、講義・演習は辞退したが、保健センターでの診察は同年9月に帰宅途中の国分寺駅で脳出血で倒れるまで継続した。
押川 典昭(おしかわ のりあき、1948年3月7日 - )は… 押川 典昭(おしかわ のりあき、1948年3月7日 - )は、日本のインドネシア文学研究者。大東文化大学国際関係学部長、教授。専門は、インドネシア文学研究。 宮崎県児湯郡川南町生まれ。東京外国語大学インドネシア語学科卒。同大学大学院アジア第三言語研究科修士課程修了。インドネシアの作家・プラムディヤ・アナンタ・トゥールの主要著作の翻訳を手がける。2008年、『人間の大地』四部作の翻訳により読売文学賞受賞。2025年、『プラムディヤ・アナンタ・トゥールとその時代』により毎日出版文化賞特別賞受賞。
山西 道広(やまにし みちひろ、1948年〈昭和23年〉3月… 山西 道広(やまにし みちひろ、1948年〈昭和23年〉3月7日 - )は、日本の元俳優。本名は同じ。兵庫県出身。日本大学卒業。六月劇場、セントラル・アーツに所属していた。 1972年、文学座研究所に入所。同期には、松田優作、阿川泰子、高橋洋子がいる。 1973年、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ)第65話のゲスト出演でデビュー。以降は、松田優作の盟友として、松田主演の映画、テレビ作品のほとんどに助演している。なお、松田のアルバム『Uターン』『まつりうた』などで作曲も手がけた。 1979年、『探偵物語』(日本テレビ)に松本刑事役でレギュラー出演。松本刑事には、松田が推していた新人俳優が予定されていたが出演不可能となり、山西が演じることになった。
安藤 和津(あんどう かづ、1948年3月6日 - )は、日… 安藤 和津(あんどう かづ、1948年3月6日 - )は、日本のエッセイスト、タレント。東京都台東区柳橋出身。本名は安藤 和子(あんどう かずこ)、旧姓は荻野(おぎの)。 1948年3月6日、犬養健の子として生まれる。犬養健は、元首相犬養毅の三男である。誕生時、父は51歳で、孫と祖父と見られることが多かった。母は実家の石材店が倒産したため、女学校をやめて柳橋の芸者に転じ、後に料亭「をぎ乃」を始めた。和津が友人と映画などに出かける予定と知ると、友人宅に電話して確認するほど厳しく管理されて育った。 学習院初等科、学習院女子中・高等科を経て、上智大学文学部独文科中退。2年間の英国留学後、1979年(昭和54年)に奥田瑛二と同棲を経て結婚。
宇津宮 雅代(うつのみや まさよ、1948年3月6日 - )… 宇津宮 雅代(うつのみや まさよ、1948年3月6日 - )は、日本の女優。東京都出身。宇都宮雅代は誤り。
宇津宮 雅代(うつのみや まさよ、1948年〈昭和23年〉3… 宇津宮 雅代(うつのみや まさよ、1948年〈昭和23年〉3月6日 - )は、日本の女優。東京都葛飾区出身。宇都宮雅代は誤り。 青山学院女子短期大学中退。文学座付属演劇研究所第8期生を経て、文学座入座。舞台「津和野」でデビュー。 1970年代に活躍したが、1982年5月の第35回カンヌ国際映画祭受賞作品「雪華葬刺し」を最後に一度芸能界を引退。 1973年、同じ文学座に所属していた西岡徳美(現・西岡徳馬)と結婚。女児をもうけたが、2年後に離婚。1978年、三浦洋一と舞台での共演が縁で連れ子である女児を伴って2度目の結婚。しかし、1988年、2児を連れて渡英。1993年に正式離婚に至った。 1990年、ウェストサリー芸術デザイン大学のガラス科に入学し、コールドガラスを専攻。
福田 幸雄(ふくだ ゆきお、1948年3月5日 - )は、日… 福田 幸雄(ふくだ ゆきお、1948年3月5日 - )は、日本の実業家。株式会社アスカネット創業者で同社の代表取締役会長兼CEOを務めた。 広島県広島市出身。広島県立広島観音高等学校を経て、大阪の私立大学経営学部を2年で中退。1971年に文化服装学院を卒業し、青山でファッションメーカーを立ち上げ一時は躍進するも、資金難により3年あまりで会社を解散。その後広島に戻り、趣味を活かしてフォトグラファーとなった。1982年飛鳥写真工芸社創業。1983年飛鳥写真館設立。1995年アスカネット設立、代表取締役社長就任。2005年東京証券取引所マザーズに上場。2007年アスカネット代表取締役社長兼CEO。2018年アスカネット代表取締役会長兼CEO。
永池 健二(ながいけ けんじ、1948年3月5日 - )は、… 永池 健二(ながいけ けんじ、1948年3月5日 - )は、日本古典文学(歌謡史・歌謡文芸の研究)研究者。奈良教育大学教育学部教育学部国語教育講座教授。佐賀県出身。
堀尾 守(ほりお まもる、1948年3月5日 - )は、日本… 堀尾 守(ほりお まもる、1948年3月5日 - )は、日本の経営者。大阪府大阪市出身。 1971年に京都大学法学部を卒業し、同年に三菱商事に入社。2005年6月に日本農業工業社長を就任し、2009年6月に伊藤ハムに転じて、副社長に就任し、2010年4月には社長に昇格。2016年4月には伊藤ハム米久ホールディングス会長に就任。
三井 拓秀(みつい たくひで、1948年3月5日-)は、日本… 三井 拓秀(みつい たくひで、1948年3月5日-)は、日本国並びに米国ニューヨーク州及びコロンビア特別区弁護士。東京都目黒区出身。三井法律事務所代表パートナー。 ニッポン放送事件ではライブドア側の代理人を務めたことで知られる。 http://www.ventureza.jp/interview/index012.php この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
花山 多佳子(はなやま たかこ、1948年3月5日 - )は… 花山 多佳子(はなやま たかこ、1948年3月5日 - )は、日本の歌人。 東京都武蔵野市出身、千葉県在住。同志社大学文学部在学中に京都大学短歌会および「塔」に入会し、高安国世に学ぶ。現在、選者。河北新報「河北歌壇」、NHK短歌(2011年-2012年度)選者。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
渡邉 信(わたなべ まこと、Makoto M Watanab… 渡邉 信(わたなべ まこと、Makoto M Watanabe、1948年3月5日 - )は日本の藻類学者。筑波大学大学院教授。東南アジア淡水系およびシャジクモ類の保全生態学や、アオコなど有毒藍藻の研究で知られる。近年は藻類オイル(en:Algae fuel)の研究に携わっており、2010年には炭化水素生産効率の高い従属栄養性藻類であるオーランチオキトリウムに関する研究を発表した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
野村 芳夫(のむら よしお、1948年3月5日 - )は、日… 野村 芳夫(のむら よしお、1948年3月5日 - )は、日本の編集者、翻訳家。本名、竹上昭。 日本推理作家協会会員。 1970年、日本大学文理学部英文科卒業。在学中に荒俣宏と同人誌「リトル・ウィアード」を創刊。 早川書房に勤務し、1975年に退社して小説家半村良のアシスタントを務める。のち、翻訳家となる。
軍司 貞則(ぐんじ さだのり、1948年(昭和23年)3月5… 軍司 貞則(ぐんじ さだのり、1948年(昭和23年)3月5日 - )は、日本のノンフィクション作家。NPO法人NIPPON生涯いきいきメガパフォーマンス協会総合プロデューサー。 明治大学文学部卒業。1977年渡欧、ウィーン大学で学ぶかたわら、ヨーロッパ全域を取材する。1979年帰国し、ノンフィクション作家として、政治・経済から食糧・教育問題まで、幅広いジャンルの作品を発表する。特にスポーツとマグロ問題に詳しい。 1982年『滅びのチター師』で扇谷正造の推薦を受けて大宅壮一ノンフィクション賞の受賞がほぼ決まったが、選考会に扇谷が欠席したため受賞作なしになったという(本人記『週刊朝日』2010年2月9日号) 1980年、社会人野球のクラブチーム・WIEN BASEBALL CLUBの立ち上げに携わる。
池田 はるみ(いけだ はるみ、1948年3月5日 - )は、… 池田 はるみ(いけだ はるみ、1948年3月5日 - )は、日本の歌人。和歌山県生まれ、大阪府豊中市出身。NHK学園短歌講座専任講師、現代歌人協会会員、「未来」選者・編集委員。 京都女子大学短期大学部国語専攻卒業。1985年、作品「白日光」で短歌研究新人賞を受賞。1987年に未来短歌会に入会し、岡井隆に師事。1991年に歌集『奇譚集』を刊行。1997年、歌集『妣が国(ははがくに) 大阪』を刊行。翌1998年、同歌集でながらみ現代短歌賞・現代歌人集会賞を受賞。2001年、歌集『ガーゼ』を刊行。翌2002年、同歌集で河野愛子賞を受賞。2002年・翌2003年、NHK全国短歌大会ジュニアの部選者。2021年、歌集『亀さんゐない』で前川佐美雄賞を受賞。
鹿内 博(しかない ひろし、1948年3月4日 - )は、日… 鹿内 博(しかない ひろし、1948年3月4日 - )は、日本の政治家。青森県議会議員(7期)元青森県青森市長(2期)。青森市議会議員(3期)を務めた。 青森県青森市生まれ。青森市立原別中学校、青森県立青森高等学校卒業。高校卒業後、株式会社信行商会、青森県新生活協議会に勤務した後、1976年から1981年まで青森市社会教育委員を務める。1973年、1977年に青森市議会議員選挙に出馬するも落選し、1981年の青森市議選で初当選を果たした。1991年、青森県議会議員選挙に鞍替えし、当選。青森県議を5期務める。 2009年4月19日に行われた青森市長選挙に社会民主党・日本共産党の支持を受けて無所属で出馬。
順 みつき(じゅん みつき、1948年3月4日 - 2018… 順 みつき(じゅん みつき、1948年3月4日 - 2018年4月17日)は、日本の女優で宝塚歌劇団卒業生(元花組トップスター)。本名、光木 千枝子(みつき ちえこ)。愛称は、ミッキー(芸名もであるが姓から由来)、公称身長162cm、血液型O型。 兵庫県伊丹市出身。神戸塩原女子高等学校出身。 1966年、宝塚音楽学校に入学。54期生。 1968年、宝塚歌劇団入団。同期生に筑前琵琶奏者の上原まり、振付家の尚すみれ、元月組組長の立ともみらがいる。花組公演『マイ・アイドル』で初舞台を踏む。入団時の成績は59人中11位。 翌1969年7月7日、雪組に配属される。 1975年星組に異動。1976年、『ベルサイユのばらIII』でオスカル役を演じる。
武知 邦明(たけち くにあき、1948年3月3日 - )は、… 武知 邦明(たけち くにあき、1948年3月3日 - )は、JRT四国放送の元男性アナウンサー。元アナウンス部長。定年退職後、株式会社四国放送サービス代表取締役社長、社団法人徳島県テレビジョン放送中継施設整備協会専務理事、四国放送監査役を務めた。
西原 一義(にしはら かずよし、1948年3月3日 - )は… 西原 一義(にしはら かずよし、1948年3月3日 - )は、日本の実業家。西原商会創業者・名誉会長。食品産業功労賞受賞。 鹿児島県出身。1966年鹿児島県立鹿児島工業高等学校卒業。電気工事会社の技術者を経て、1971年に父・西原喜一郎らとともに西原商会を創業。全国展開や製造子会社の吸収により急速に事業を拡大させ、2012年に西原商会会長に退いた。2023年食品産業功労賞受賞。
松田 好旦(まつだ よしあき、1948年3月3日 - )は、… 松田 好旦(まつだ よしあき、1948年3月3日 - )は、日本の経営者。おやつカンパニー社長を務めた。三重県一志郡一志町(現在の津市)出身。 1971年に愛知学院大学経営学科を卒業し、1973年に愛知学院大学大学院修士課程を修了した。1974年に松田産業(現在のおやつカンパニー)に入社した。1978年に取締役に就任し、1982年に副社長を経て、1989年には社長に就任した。2017年3月には会長に退いた。 2019年4月に旭日単光章を受章した。
佐々木 茂美(ささき しげみ、男性、1948年〈昭和23年〉… 佐々木 茂美(ささき しげみ、男性、1948年〈昭和23年〉3月3日 - )は、日本の元裁判官。司法研修所長、高松高等裁判所長官などを経て、大阪高等裁判所長官を歴任した。
平岡 英介(ひらおか えいすけ、1948年3月3日 - )は… 平岡 英介(ひらおか えいすけ、1948年3月3日 - )は、日本オリンピック委員会(JOC)専務理事、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事、日本ローイング協会理事。2019年、旭日小綬章受章。 丸天物流グループの複数企業で、代表取締役も務める。 東京都出身。慶應義塾高等学校を経て1970年に慶應義塾大学を卒業。大学時代はボート競技の選手で、早慶レガッタにも毎年出場した(ミドルクルーや舳手)。 JOCでは総務委員会副委員長、財務専門委員会委員長、法務専門委員会副委員長などを務めてきた。 スポーツ庁のスポーツ未来開拓会議オブザーバーなどでもある。 2023年2月現在、慶應義塾体育会端艇部の三田会(OB OG会)である、三田漕艇倶楽部の会長を務めている。
藤原 敏男(ふじわら としお、1948年〈昭和23年〉3月3… 藤原 敏男(ふじわら としお、1948年〈昭和23年〉3月3日 - )は、日本のキックボクサー。1969年にプロデビューし、全日本キックボクシング協会で初代ライト級王座を獲得。1977年にはタイ人以外で初めてラジャダムナン・スタジアム認定王座を獲得した。 岩手県宮古市田老鉱山出身。高校時代はテニス部に所属し、卒業後に上京し中央工学校の夜間部で設計の勉強を始める。アルバイトで牛乳配達をするが、配達区域に目白ジムがあった。その縁で目白ジムを見学しているうちにキックボクシングに興味を抱き、1969年7月に目白ジムへ入門した。黒崎健時の指導を受け、目白ジムに住み込みでキックボクシングに専念し始めると、1日10時間年中休みなしの練習漬けの毎日を送った。
平井 英嗣(ひらい ひでつぐ、1948年(昭和23年)3月2… 平井 英嗣(ひらい ひでつぐ、1948年(昭和23年)3月2日 - )は元アメリカンフットボール選手・コーチ。関西学生アメリカンフットボール連盟理事長。立命館大学職員。立命館大学体育会アメリカンフットボール部パンサーズヘッドコーチ・監督・総監督を歴任。
渡辺 久子(わたなべ ひさこ、1948年3月2日 - )は、… 渡辺 久子(わたなべ ひさこ、1948年3月2日 - )は、日本の医学者、小児科医。医学博士。慶應義塾大学医学部小児科専任講師。 慶應義塾大学医学部を卒業後小児科、精神科、神経内科、精神分析を学び専門は小児精神科医学、精神分析学、乳幼児精神医学。 現在慶應病院小児科で思春期やせ症、被虐待児、人工授精で生まれた子ども、自閉症、PTSD(心的外傷後ストレス障害)など、工業化社会の複雑な葛藤に生きる子どもたちを治療的に支援している。 平成20年8月1〜5日にパシフィコ横浜でアジア初の世界乳幼児精神保健学会第11回世界大会を開催し、日本組織委員会の会長を務める。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
相原 正明(あいはら まさあき、1948年(昭和23年)3月… 相原 正明(あいはら まさあき、1948年(昭和23年)3月1日 - )は、岩手県の政治家。江刺市長(1期)、奥州市長(1期)を歴任。 2006年の奥州市誕生を機に初代市長を目指し立候補。旧水沢市長の高橋光夫、元衆議院議員の高橋嘉信を破り当選する。 2010年の市長選挙には、再選(2期目)を目指して出馬したが、新人で前奥州市議会議長の小沢昌記に12,600票差で破れ、再選はならなかった。 奥州市長選では副県都構想、金ケ崎町・平泉町との合併(いわゆる「平泉市構想」)、四年制大学の誘致などを提唱した。 第二回「マニフェスト大賞2007」で、自身の「みんなで創ろう豊かな奥州市」が、首長部門審査委員会特別賞に選ばれた。
梅川 昭美(うめかわ あきよし、1948年3月1日 - 19… 梅川 昭美(うめかわ あきよし、1948年3月1日 - 1979年1月28日)は、日本のシリアルキラー。大竹市強盗殺人事件と三菱銀行人質事件の犯人。 1948年(昭和23年)3月1日、広島県佐伯郡小方村(現・大竹市)で父親の勤務する三菱レイヨンの社宅で生まれる。父親46歳、母親42歳の高齢出産であった。姉がいたが夭折している。1954年(昭和29年)4月、小方町立小方小学校(現・大竹市立小方小学校)に入学。8歳の時、父親が椎間板ヘルニアとリューマチの悪化で働けなくなり、10歳の時、両親が離婚。梅川は父親の故郷の香川県大川郡引田町(現・東かがわ市)に引き取られるものの、父の実家を継いだ叔父夫婦や従兄弟からは冷遇された。
阿部 信雄 (あべ のぶお、1948年〈昭和23年〉3月1日… 阿部 信雄 (あべ のぶお、1948年〈昭和23年〉3月1日 - )は、 日本の美術評論家。 専門は、近現代美術、博物館学。父は英文学者で作家の阿部知二。兄はフランス文学者の阿部良雄。科学史家で評論家の赤木昭夫は義兄。 兵庫県姫路市に生まれる。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院修士課程修了。 1977年より、石橋財団ブリヂストン美術館学芸員となり、後に学芸部長を務める。1993年に退職。 1989から92年まで、東急Bunkamuraザミュージアムのプロデューサーを兼任。 ニューオータニ美術館顧問、鎌倉大谷記念美術館運営委員、セキ美術館(愛媛県)顧問を歴任した。 また、美術館外では、名古屋大学、学習院大学、成城大学、玉川大学、武蔵工業大学などの非常勤講師を務めた。
團 名保紀(だん なおき、1948年3月1日 - )は、日本… 團 名保紀(だん なおき、1948年3月1日 - )は、日本の美術史家・美術学者。専門は美術史(イタリア)。群馬大学教育学部美術教育講座教授を経て、同大学名誉教授。 イタリア語に堪能であり、研究発表も基本的にイタリア語で行う。 父は作曲家の團伊玖磨。祖父は東京帝国大学文学部美術史学科助教授、参議院議員、プリンス自動車(現・日産自動車)社長、九州朝日放送会長を歴任した團伊能。曾祖父は三井合名理事長、血盟団事件で暗殺された團琢磨。祖母は宮内省大膳頭を務めた上野季三郎の五女・美智子。大伯母の英子が服部金太郎の長男で服部時計店の2代目社長を務めた服部玄三に、同じく大伯母の冨美子が加藤高明の次男で東明火災海上保険(現・日新火災海上保険)の取締役を務めた加藤厚太郎に、同じく大伯母の米子が佐々木高行の孫で元神宮大宮司の佐々木行忠に嫁いだため、セイコーの創業者一族・服部家や三菱財閥の創業者一族・岩崎家及び住友財閥の創業者一族・住友家は名保紀の親戚となった。
小山 昇(こやま のぼる、1948年3月1日 - )は、日本… 小山 昇(こやま のぼる、1948年3月1日 - )は、日本の実業家。株式会社武蔵野代表取締役社長。 中小企業のコンサルタント業務と、ダスキンのフランチャイズ事業を行う。全国の経営者でつくる「経営研究会」を主宰する。 山梨県出身。東京経済大学経営学部卒業。 自身が経営している株式会社武蔵野でコンサルタント事業を展開しており、様々な会員企業を指導しているほか、全国で年間240回以上のセミナーを行っている。一倉定の方法論を元に、手帳型の「経営計画書」を作成し、従業員ひとりひとりに渡すことを重視している。 2022年、知床遊覧船沈没事故の後に知床遊覧船の社長に対する指導のインタビュー記事が削除された後、再公開された。
川崎 新一(かわさき しんいち、1948年(昭和23年)3月… 川崎 新一(かわさき しんいち、1948年(昭和23年)3月1日-)は日本の実業家、銀行家。宮崎太陽銀行の監査役や代表取締役頭取、会長を務めた。 宮崎県出身で明治学院大学経済学部卒。1971年に宮崎相互銀行(現在の宮崎太陽銀行)に入行し、あやめ原支店長や佐土原支店長、事務部長などを歴任して2000年に取締役に就任した。 その後、取締役監査部長などを経て、2004年に常勤監査役に就任したが、2008年に常務取締役となり、専務取締役を経て2011年に代表取締役頭取に就任した。 2016年、林田洋二に頭取を譲って代表取締役会長に就任した。2017年に取締役会長を退任して特別顧問となった。