小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)… 小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は日本の俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇俳優協会会長。俳号は小沢 変哲。劇団「しゃぼん玉座」主宰。見世物学会顧問。
1920年代生まれ:8,552人
小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)… 小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は日本の俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇俳優協会会長。俳号は小沢 変哲。劇団「しゃぼん玉座」主宰。見世物学会顧問。
鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年4月6日 - 20… 鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年4月6日 - 2005年10月9日)は、歌人、エッセイスト。 山形県鳥海山麓生まれ。1949年歌誌「アララギ」入会。その後「歌と観照」「短詩型文学」に所属する。家出同然で上京して、様々な仕事を経験しながら学費を稼ぎ、1955年國學院大學文学部日本文学科卒業。児童養護施設に洗濯婦として働き始め、身寄りのない子供たちの継母として26年間勤め上げた。1985年、歌集「花いちもんめ」で第29回現代歌人協会賞受賞。1992年東京都文化功労賞受賞。現代歌人協会会員。児童養護施設勤務経験をもとにした随筆も執筆している。2005年、NHKラジオの「ラジオ深夜便」にて誕生日の花にちなんだ短歌を一年間発表。
田島 政次(たじま まさじ、1929年4月5日 - )は、日… 田島 政次(たじま まさじ、1929年4月5日 - )は、日本の陸上競技選手。 1952年ヘルシンキオリンピックでは走幅跳と100m走、1956年メルボルンオリンピックでは走幅跳と400mリレーに出場した。 佐賀県佐賀郡久保田村(現在の佐賀市久保田町)生まれ。小学校時代にオリンピックの記録映画を見、オリンピック出場を志したという。佐賀県立佐賀工業学校(現在の佐賀県立佐賀工業高等学校)機械科に入学し、本格的に走幅跳を始めた。 1947年に佐賀工業学校を卒業し、いったん社会人となったのち、中央大学に入学。中央大学在学中の1950年から1953年にかけ、日本陸上競技選手権大会の走幅跳種目を4連覇した。
長田 順行(ながた じゅんこう、本名:木谷順行、1929年4… 長田 順行(ながた じゅんこう、本名:木谷順行、1929年4月4日 ‐ 2007年8月31日)は広島県呉市出身の作家、海上自衛官、暗号研究者。日本暗号協会会長(1986年8月~)。 呉第一中学校(現広島県立呉三津田高等学校)を卒業後、1945年に海軍兵学校予科(第78期、昭和20年4月入校)に入校するが、終戦により閉校となる。1954年広島大学文学部哲学科を卒業。1955年防衛庁暗号専門機関に入り、暗号理論の研究及び解読に従事。1965年海上自衛隊暗号専門部隊に転じ、通信保全業務隊司令となり1983年1等海佐で退職した。 1986年8月日本暗号協会を設立し初代会長。暗号に造詣が深く、暗号関係の著作は1964年から刊行しており多数。
下野 敏見(しもの としみ、1929年(昭和4年)4月4日 … 下野 敏見(しもの としみ、1929年(昭和4年)4月4日 - 2022年3月10日)は、日本の民俗学者、文学博士。鹿児島大学教授、鹿児島純心女子大学教授を歴任。南日本地方の民俗研究の第一人者であり、日本民俗学会の権威ともいわれる。 鹿児島県川辺郡知覧町(現在の南九州市)出身。鹿児島県立川辺高等学校、鹿児島大学文理学部社会学科卒業。大学卒業後は県内各地の高等学校の教諭を経て、鹿児島大学法文学部教授、鹿児島純心女子大学教授を務める。高校教員時代から夏休みのたびに屋久島を訪ね、古老の話者を探して昔話を聞き続けた。その後もフィールドワークを信条に県内外を歩き続け、民俗学の研究に情熱を注いでおり、南九州から沖縄県に至る地域で、長年にわたって民俗調査を行なっている。
前田 武彦(まえだ たけひこ、1929年〈昭和4年〉4月3日… 前田 武彦(まえだ たけひこ、1929年〈昭和4年〉4月3日 - 2011年〈平成23年〉8月5日)は、日本の男性タレント・放送作家・テレビ司会者。三桂所属。愛称はマエタケ。 1960年代、それまで台本を読み上げる形式が一般的だった放送司会に「フリートーク」「楽屋オチ」「世間話」といった手法を持ち込み、最盛期にはその毒舌と絶妙な話術から「フリートークの天才」と呼ばれた。 司会や脚本家のほか、作詞家として平井和正原作のアニメ『エイトマン』の主題歌の作詞(萩原哲晶作曲、克美しげる歌唱)もしている。血液型はA型。趣味はヨットで、ヨット関係の月刊誌に連載コラムをもっていた。 1929年、東京府東京市芝区(現在の東京都港区芝)に生まれる。
桜井 眞一郎(さくらい しんいちろう、1929年4月3日 -… 桜井 眞一郎(さくらい しんいちろう、1929年4月3日 - 2011年1月17日)は日本の自動車技術者。 株式会社エス・アンド・エス エンジニアリング取締役会長。日本自動車殿堂入り、オーテックジャパン初代代表取締役。神奈川県出身。戸籍上の氏名は、櫻井 眞一郎。 旧プリンス自動車工業時代より日産自動車時代に渡るまでスカイラインの開発に携わる。2代目の途中からは開発責任者(主管)として7代目の開発終盤まで長期間携わっていたことから、「GT-Rの生みの親」「ミスタースカイライン」「スカイラインの父」として知られている。 清水建設に勤務していた時代に「日本で初めてバッチャープラントとコンクリートミキサー車(生コン車)を開発した」と伝えられるが、これについては異論も出されている。
若林 真(わかばやし しん、1929年4月3日 - 2000… 若林 真(わかばやし しん、1929年4月3日 - 2000年3月14日)は、日本のフランス文学者・作家・翻訳家・批評家。慶應義塾大学名誉教授。 新潟県佐渡郡生まれ。1948年、慶應義塾大学文学部予科に入学。1949年、新制の慶應義塾大学文学部に入学。翌年、仏文学専攻に進学。同窓に山川方夫、田久保英夫がおり、親しく交流した。在学中は小説を執筆したり、『三田文学』で批評を行ったりした。1953年、慶應義塾大学文学部仏文学専攻を卒業。1956年、慶應義塾大学文学研究科仏文学専攻修士課程修了。1959年、同大学院博士課程満期退学、慶應義塾大学文学部助手。1961年同専任講師、1965年同助教授、1970年同教授。
熊谷 榧(くまがい かや、1929年4月3日 - 2022年… 熊谷 榧(くまがい かや、1929年4月3日 - 2022年2月24日)は、日本の画家。日本山岳画協会会員。東京都出身。 画家・熊谷守一の次女として東京都に生まれる。1951年、日本女子大学卒業。二児の母。 20代より山に魅せられ、多くの山を巡るうち自然と絵を描き始める。次第に父親と同じ「画家」という道を歩み出す。時同じく山スキーのとりこになり1960年代には既にヨーロッパの雪山をガイド付きで滑る。当時、日本人女性がひとりで欧州のスキーツアーを組むことはごく稀であった。 1977年、父・熊谷守一の死後、東京都豊島区千早にあった守一の旧居跡地に熊谷守一美術館を1985年創立。「父は画家だった。画家は絵だけが残ればよい。
本多 正昭(ほんだ まさあき、1929年4月2日 - )は、… 本多 正昭(ほんだ まさあき、1929年4月2日 - )は、日本の哲学・神学者。相即人間学会代表、産業医科大学名誉教授。 長崎県出身。1955年九州大学文学部哲学科卒、1957年同大学院修士課程修了。1958-61年マニラ教皇庁トマス大学修了。熊本マリスト学園高等学校教諭。神戸海星女子学院大学・短期大学講師、助教授、1978年産業医科大学教授、1992-94年聖泉短期大学学長、1996-98年ノートルダム女子大学学長。 2006年11月瑞宝小綬章受章。
園部 逸夫(そのべ いつお、1929年(昭和4年)4月1日 … 園部 逸夫(そのべ いつお、1929年(昭和4年)4月1日 - 2024年9月13日)は、日本の法学者。位階は正三位。専門は行政法。学位は、法学博士(京都大学・1967年)(学位論文『行政手続の法理』)。筑波大学社会科学系教授、成蹊大学法学部教授、最高裁判所判事、東京地方裁判所部総括判事などを歴任。立命館大学客員教授、外務省参与(監察査察担当)。弁護士。 日本統治時代の朝鮮生まれ。祖父の代から裁判官書記として朝鮮に渡った。本籍は岐阜県本巣市。名の由来は父がドイツ留学中に留守宅で生まれたことから。1936年(昭和11年)、行政法学者の父園部敏が、京城法学専門学校を経て台北帝国大学教授に就き台北に転居。
菅野 文友(かんの あやとも、1929年4月1日 - 201… 菅野 文友(かんの あやとも、1929年4月1日 - 2019年5月5日) は、日本の経営工学者。元東京理科大学教授。元日本信頼性学会会長。デミング賞本賞受賞。 陸前国生まれ。1952年東北大学理学部地球物理学教室卒業。1963年技術士(生産管理部門品質管理)。1968年東北大学工学博士。日立製作所副技師長、岩手大学工学部情報工学科教授、東京理科大学工学部経営工学科教授、帝京技術科学大学大学院情報学研究科教授、宇宙開発委員会専門委員、日本科学技術連盟参与などを歴任。1982年中部品質管理協会顧問。1996年日本信頼性学会会長。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
小松 錬平(こまつ れんぺい、1929年3月31日 - 20… 小松 錬平(こまつ れんぺい、1929年3月31日 - 2010年代前半)は、日本のジャーナリスト、元朝日新聞東京本社記者、元ニュースキャスター。故人。 北海道釧路市出身。1952年に東京大学農学部水産学科を卒業後、朝日新聞社へ入社。社会部・東京部・科学部各次長などを経て、1972年から編集委員。1974年『朝日新聞テレビ夕刊』の解説役でテレビ初出演。1976年4月から『ANNニュースレーダー』(NET→テレビ朝日)のキャスターを担当し、以後約10年間(途中、『ANNニュースファイナル』担当による中断時期あり)にわたってテレビ朝日の夕方の顔として活躍した。 1989年に朝日新聞社を退社。その後、神奈川新聞客員論説委員や日本鯨類研究所評議員を歴任。
岡枝 慎二(おかえだ しんじ、1929年3月31日 - 20… 岡枝 慎二(おかえだ しんじ、1929年3月31日 - 2005年5月23日)は、日本の字幕翻訳家。東京生まれ。映画翻訳家協会会員。 英、独、仏、伊、西、露、スウェーデン語の7か国語に精通し、2,000本以上の映画の字幕翻訳を行った。簡潔で透明な翻訳を特徴とする。 言葉を分かる人が少なかったヨーロッパ映画の字幕を手がけたことにより、字幕界に入る。代表作は英語映画では『エイリアン』シリーズ、『ブレードランナー』、『スター・ウォーズ』シリーズ、『ダイ・ハード』シリーズ、『リーサル・ウェポン』シリーズ、『遠すぎた橋』に加え、フランス映画の『エマニエル夫人』シリーズ、ドイツ映画の『アギーレ・神の怒り』、イタリア映画の『揺れる大地』、スペイン映画の『エル・ドラド』、ソ連(ロシア)映画の『惑星ソラリス』、スウェーデン映画の『愛の風景』など。
三枝 和子(さえぐさ かずこ、1929年3月31日 - 20… 三枝 和子(さえぐさ かずこ、1929年3月31日 - 2003年4月24日)は、日本の小説家。 旧姓四本。夫は文芸評論家の森川達也。『葬送の朝』で注目されて以来、反リアリズム的手法を用いた実験的作品を書き続けた。日本ペンクラブ女性作家委員会初代委員長。 兵庫県神戸市出身。1948年兵庫師範学校女子部(明石分校)卒、旧制関西学院大学文学部哲学科に入学、1950年卒業、同大学院文学研究科修士課程に進学、武市健人にヘーゲルを学ぶ。1951年中退、森川(本名三枝)と結婚。中学校教師をしながら、森川らと同人雑誌『文藝人』を創刊。1963年、森川が兵庫県の実家の寺を継いだため、東京に仕事場をもち、東西往復生活が始まる。
武石 彰夫(たけいし あきお、1929年3月31日-2011… 武石 彰夫(たけいし あきお、1929年3月31日-2011年 )は、日本の仏教文学の研究者。元高知大学教授・仏教文化研究所所長。 東京市(現文京区)生まれ。1958年法政大学文学部日本文学科卒業。1971年『仏教歌謡の研究』で國學院大學より文学博士。大東文化大学助教授、高知大学教授、千葉大学講師、東洋大学講師、同大学院講師、朝日大学教授、聖徳大学教授などを経て、仏教文化研究所所長。『平家物語』『徒然草』などを講義した。また大学受験ラジオ講座の講師も勤めた。
小川 洌(おがわ きよし、1929年3月31日 - 2006… 小川 洌(おがわ きよし、1929年3月31日 - 2006年3月16日)は、日本の会計学者。早稲田大学名誉教授。 東京都出身。早稲田大学商学部卒、1956年早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学、同大学商学部助手、1957年専任講師、1959年助教授、1964年教授、1993年国際会計研究学会会長、1999年定年退職、同大学名誉教授、松蔭大学教授。2006年、交通事故で死去。 門下に永見尊、長谷川惠一がいる。
植村 伴次郎(うえむら ばんじろう、1929年〈昭和4年〉3… 植村 伴次郎(うえむら ばんじろう、1929年〈昭和4年〉3月30日 - 2019年〈令和元年〉10月15日)は、日本の実業家、東北新社創業者である。 1929年3月に秋田県由利郡東滝沢村(現:由利本荘市)前郷で生まれ、第二次世界大戦の終戦直前まで同地で育つ。戦時中は、群馬県邑楽郡小泉町(現:大泉町)にあった中島飛行機の工場で学徒動員を経験した。1945年3月に旧制本荘中学校を卒業する。 1950年代からは新橋にて「COMO」というバーを経営。黒柳徹子など当時の若手俳優が集ったという。 1961年4月1日、海外番組の日本語吹き替えを制作する東北新社を創業し、以後代表取締役社長として長く経営した。
江口 彌(えぐち わたる、1929年〈昭和4年〉3月30日 … 江口 彌(えぐち わたる、1929年〈昭和4年〉3月30日 - 1989年〈平成元年〉3月28日)は、日本の化学工学者。工学博士、熱管理士。京都大学教授。 新潟県新潟市古町通10番町(現 新潟市中央区古町通10番町)の第四銀行本店出納課長・江口治作の五男として出生。 1945年(昭和20年)3月に新潟中学校を卒業、1948年(昭和23年)3月に新潟高等学校を卒業、1952年(昭和27年)3月に京都大学工学部化学機械学科を卒業。 1955年(昭和30年)4月に京都大学工学部化学機械学科講師に就任、1957年(昭和32年)10月に助教授に就任、1961年(昭和36年)4月に京都大学工学部化学工学科助教授に就任、7月に京都大学から工学博士の学位を取得、1964年(昭和39年)7月に京都大学工学研究所原子核化学工学部門助教授に就任、1965年(昭和40年)12月に教授に就任、1971年(昭和46年)4月に京都大学原子エネルギー研究所原子核化学工学研究部門教授に就任、1982年(昭和57年)8月に京都大学工学部化学工学科装置工学講座教授に就任。
川崎 寿彦(かわさき としひこ、1929年3月30日 - 1… 川崎 寿彦(かわさき としひこ、1929年3月30日 - 1989年4月18日)は、日本の英文学者。名古屋大学文学部教授。 1929年、東京生まれ。静岡高校を経て、1953年、京都大学文学部に進学。同大学を卒業して渡米し、ウィスコンシン大学大学院を修了。 名古屋大学文学部教授を務め、1989年に在職中に死去。 当初は17~18世紀英国の詩を専門としたが、後に庭園など文化史において業績を上げた。中でも、『庭のイングランド』が話題となった。著作多数あり、没後も遺稿が刊行された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
岡田 光正(おかだ こうせい、1929年3月29日 - )は… 岡田 光正(おかだ こうせい、1929年3月29日 - )は、日本の建築学者。工学博士(京都大学)。大阪大学名誉教授、元大阪工業大学建築学科教授。日本建築協会元編集理事。 専門は、建築人間工学・群衆安全工学(特に災害の避難シミュレーション・安全性評価や群集流動、滞留人口など)、建築計画・都市計画。 高知県に生まれる。1952年京都大学工学部建築学科卒業。のちに、工学博士(京都大学)。清水建設勤務を経て京都工芸繊維大学講師、1962年大阪大学工学部助教授。1967年同大学工学部教授。1992~1997年大阪工業大学工学部建築学科教授。 建築人間工学・群衆安全工学のパイオニアである。大阪大学工学部をメインに41年の長きにわたり教育・研究に従事、建築・都市人間工学領域(講座)を担当。
佐久間 甫(さくま はじめ、1929年3月29日- )は、… 佐久間 甫(さくま はじめ、1929年3月29日- )は、日本の経営者。新キャタピラー三菱社長を務めた。 広島県出身。1952年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に東日本重工業(のちの三菱重工業)に入社。 1986年6月に取締役に就任し、1988年6月に常務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1993年6月には新キャタピラー三菱社長に就任。1997年6月には相談役に就任 1996年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
雨宮 雅子(あめみや まさこ、1929年3月28日 - 20… 雨宮 雅子(あめみや まさこ、1929年3月28日 - 2014年10月25日)は、日本の歌人。日本文藝家協会、現代歌人協会会員。 東京市麹町区永田町生まれ。番町小学校、東京家政学院高等女学校を経て、昭和女子大学に入学。大学在学中、川上小夜子に師事。1949年、川上にともなわれ、「女人短歌」の創刊に参加。1950年、「林間」の創刊に参加するが、1961年ころから作歌を中断。 1970年、作歌を再開し、「林間」に復帰。1972年、夫である竹田善四郎とともに「鴟尾」を創刊し、22号まで発行する。同年、香川進に師事し、短歌結社「地中海」に参加した。現在は短歌結社誌「雅歌」の発行人をつとめている。 キリスト教の洗礼を受け、50年に亘って日本基督教団に所属したクリスチャンであったことが、短歌創作に大きく反映されてきた。
蓬萊 泰三(ほうらい たいぞう、1929年3月28日 - 2… 蓬萊 泰三(ほうらい たいぞう、1929年3月28日 - 2018年11月5日)は、日本のテレビドラマ脚本家。児童合唱をメインとした作詞家。
色川 武大(いろかわ たけひろ、1929年3月28日 - 1… 色川 武大(いろかわ たけひろ、1929年3月28日 - 1989年4月10日)は、日本の小説家、エッセイスト、雀士。筆名として色川 武大(いろかわ ぶだい)、阿佐田 哲也(あさだ てつや)、井上 志摩夫(いのうえ しまお)、雀風子を名乗った。阿佐田哲也名義では麻雀小説作家として知られる。
上山 保彦(うえやま やすひこ、1929年3月28日 - 2… 上山 保彦(うえやま やすひこ、1929年3月28日 - 2024年7月10日)は、日本の経営者。住友生命保険社長、会長を務めた。福井県出身。 ペルーのリマで生まれる。旧制四高を経て1953年に京都大学経済学部を卒業し、同年に住友生命保険に入社。 1977年7月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1986年7月に社長に就任。1992年7月に会長に就任し、1999年10月から2003年9月までに名誉顧問を務めた。 2002年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2024年7月10日、老衰のため、死去した。95歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
片山 正樹(かたやま まさき、1929年3月28日 - 20… 片山 正樹(かたやま まさき、1929年3月28日 - 2017年3月6日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。関西学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。1952年京都大学文学部仏文科卒業、1955年同大学院博士課程中退。1957年関西学院大学文学部仏文科講師、1961年助教授、1969年教授。1997年定年退任、名誉教授。バタイユ、セリーヌなどの翻訳を行った。また、多田智満子や矢川澄子、澁澤龍彦、生田耕作らとともに『未定』誌の同人だった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
綾部 仁喜(あやべ じんき、1929年3月26日 - 201… 綾部 仁喜(あやべ じんき、1929年3月26日 - 2015年1月10日)は、東京出身の俳人。 八王子生まれ。國學院大學文学部卒業。1953年「鶴」に入会、石田波郷、石塚友二に師事。1974年、小林康治創刊の「泉」に入会。1977年より「泉」編集を担当、1980年から「泉」編集長。1990年、石田勝彦より「泉」主宰を継承。1994年『撲簡』により第34回俳人協会賞、2008年『山王林だより』により第23回俳人協会評論賞、2009年『沈黙』により第9回俳句四季大賞受賞。2014年「泉」主宰を藤本美和子に譲り同顧問となる。「かたくりの花の韋駄天走りかな」(『樸簡』所収)など、韻文性が強く余情の深い句風が特徴。
小林 芳規(こばやし よしのり、1929年〈昭和4年〉3月2… 小林 芳規(こばやし よしのり、1929年〈昭和4年〉3月26日 - )は、日本の言語学者(国語学)。学位は、文学博士(東京教育大学・論文博士・1970年)(学位論文「平安鎌倉時代における漢籍訓読の国語史的研究」)。広島大学名誉教授。日本学士院賞・恩賜賞受賞。文化功労者。勲三等旭日中綬章受章。 東洋大学文学部助教授、広島大学文学部教授、徳島文理大学文学部教授などを歴任。 山梨県出身の国語学者である。角筆の文献による国語学の研究を行ったことで知られている。東京文理科大学を卒業後、東洋大学、広島大学、徳島文理大学にて教鞭を執った。1991年に日本学士院賞と恩賜賞を同時受賞し、2019年には文化功労者として顕彰された。
秋山 紀夫(あきやま としお、1929年3月26日 - 20… 秋山 紀夫(あきやま としお、1929年3月26日 - 2025年12月9日)は、日本の指揮者、吹奏楽指導者、吹奏楽史研究家。 1956年、戦後初の第4回全日本吹奏楽コンクール全国大会に埼玉県立大宮工業高等学校の指揮者として出場する。その後、大宮市立桜木中学校とソニー吹奏楽団の指揮者としても全日本吹奏楽コンクール全国大会に出場する。1963年に教員を1年間休職し渡米する。アメリカ各地の吹奏楽を視察し、イーストマン音楽学校へ留学したり、ミッドウェスト・クリニック(英語版)に日本人として初めて参加する。その後、ヨーロッパ各地の吹奏楽を視察する。帰国後、教職を務めながら海外で見聞した吹奏楽指導法を書籍や教則本にまとめたり、アメリカの吹奏楽専門書の翻訳をする。
武田 国久(たけだ くにひさ、1929年3月26日 - 20… 武田 国久(たけだ くにひさ、1929年3月26日 - 2001年9月21日)は、日本の俳優、声優。東京放送劇団4期生。明治学院大学卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:芸能人)。
宮岸 泰治(みやぎし やすはる、1929年3月26日 - 2… 宮岸 泰治(みやぎし やすはる、1929年3月26日 - 2006年6月10日)は、日本の演劇評論家。 朝鮮生まれ。1956年早稲田大学文学部国文科卒業、東京新聞記者となって演劇批評を書き、特に木下順二の「夕鶴」を見続けた。1987年退社。1996年『木下順二論』でやまなし文学賞受賞。妻は日本舞踊家の手島かつ子。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
濱田 徳昭(はまだ のりてる、1929年(昭和4年)3月26… 濱田 徳昭(はまだ のりてる、1929年(昭和4年)3月26日 - 1986年(昭和61年)11月18日)は、日本の音楽理論家、指揮者、音楽教育者、作曲家。姓は浜田と表記されることがある。 山口県山口市出身。1951年(昭和26年)文化学院卒業。 齋藤秀雄、諸井三郎らに幼時から音楽を学び、ピアノ・作曲・指揮法を個人教授で習得。1956年(昭和31年) - 1959年(昭和34年)成蹊グリークラブ指揮者。1958年(昭和33年)谷桃子バレエ団10周年記念公演で東京ジングアカデミーを指揮。1959年(昭和34年) - 1961年(昭和36年)広島大学音楽科交響楽団を指導。1961年(昭和36年)東北大学交響楽団を指揮。
久邇 邦昭(くに くにあき、1929年〈昭和4年〉3月25日… 久邇 邦昭(くに くにあき、1929年〈昭和4年〉3月25日 - )は、日本の旧皇族。久邇宮第4代当主。元実業家(川崎汽船役員)、元神職(伊勢神宮大宮司)。皇籍離脱前の名と身位は邦昭王(くにあきおう)。香淳皇后 (昭和天皇后) の甥であり、第125代天皇・明仁(上皇)の従兄にあたる。日本国憲法・現行皇室典範施行後も皇族であったが、GHQの指令により昭和22年 (1947年) 10月14日皇籍離脱した。北朝3代崇光天皇男系19世孫(伏見宮邦家親王男系4世孫)。 1929年(昭和4年)3月25日午後3時35分、東京帝国大学医学部付属病院にて、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第1王子として誕生。御七夜の3月31日に「邦昭」と命名された。
鈴木 昭典(すずき あきのり、1929年3月25日 - 20… 鈴木 昭典(すずき あきのり、1929年3月25日 - 2019年1月31日)は、日本のドキュメンタリー作家。ジャーナリスト。元朝日放送報道局次長プロデューサー。 摂南工業専門学校(現 大阪工業大学)卒業。ラヂオプレス通信社を経て大阪テレビ放送(現 朝日放送テレビ)に入社、報道部に配属。報道局次長プロデューサーとして退社するまで、一貫してテレビ・ドキュメンタリー制作に携わる。「憲法シリーズ」の『日本国憲法を生んだ密室の九日間』で「放送文化基金賞・奨励賞」を受賞。その他「放送史シリーズ」の『検証 民放誕生』などの制作を続け、芸術祭賞、民間放送連盟賞、ギャラクシー賞、ABU賞、科学放送賞の多数を受賞。
斎藤 勇(さいとう いさむ、1929年3月25日 - )は、… 斎藤 勇(さいとう いさむ、1929年3月25日 - )は、英文学者。同志社大学名誉教授。滋賀県生まれ。 1950年同志社大学英文科卒、1952年助手、1955年専任講師、1964年助教授、1966年教授。1964年ウィリアム・ラングランドの『農夫ピアズの幻』の研究(「農夫ピヤス」における赦免状破棄の場の研究)により同志社大文学博士。1971年から1972年までケンブリッジ大学で中世英文学を学ぶ。日本中世英語英文学会会長を務めた。1999年定年退任、名誉教授。2010年秋瑞宝中綬章受章。 年長の英文学者、斎藤勇(たけし)と同名であるため、しばしば間違われたらしいが、今なお著作などで混同されることが少なくない。
奥山 澄雄(おくやま すみお、1929年〈昭和4年〉3月25… 奥山 澄雄(おくやま すみお、1929年〈昭和4年〉3月25日 - 2001年〈平成13年〉1月30日)は、日本の政治家。東京都墨田区長(3期)。 愛知県出身。日本大学経済学部卒。東京都墨田区役所に勤務する。企画経営室長、総務部財務課長、建設部計画課長などを経て、助役に就任する。 1987年〈昭和62年〉墨田区長選挙に立候補し、初当選。在任中はJR錦糸町駅北口の再開発、墨田区役所新庁舎、福祉保健センター、郷土文化資料館、すみだトリフォニーホールなどの建設に力を入れ、雨水利用促進制度を発足させるなど、独自の施策を打ち出した。1991年〈平成3年〉に再選。1995年〈平成7年〉には元民社党衆議院議員の伊藤昌弘らを破って三選を果たした。
藤井 繁(ふじい しげし、1929年3月25日 - )は、英… 藤井 繁(ふじい しげし、1929年3月25日 - )は、英文学者、聖徳大学名誉教授。 宮城県栗原郡築館町生まれ。日本大学文理学部英文科卒、同助教授、教授。93年「トマス・ハーディの叙事詩劇The Dynastsの研究」で日本大学文学博士。1990年聖徳大学教授・人文学部長、同名誉教授。筆名・白鳥繁。
高橋 玄洋(たかはし げんよう、1929年3月24日 - )… 高橋 玄洋(たかはし げんよう、1929年3月24日 - )は、日本の脚本家、劇作家。島根県松江市出身。 松江生まれだが先祖伝来は広島県。松江市立内中原小学校2年のとき、父親が40歳になって大学へ入り直すため一家で広島市に移り、広島市立袋町小学校に転校。父親は教育者で、のち広島県尾道市助役を務めた。4年後父が大学を卒業し朝鮮へ赴任したため、平壌、釜山、新義州と少年時代を外地で過ごす。朝鮮船橋里小学校、平壌第一中学校、釜山中学校(現・釜山高等学校)と転校を繰り返し、新義州中学校4年のとき、海軍兵学校最後の78期生として入学。1945年8月6日原爆投下の日には、広島市郊外で勤労奉仕中で、当日市内に救援に入った。
伊藤 光男(いとう みつお、1929年3月24日 - 201… 伊藤 光男(いとう みつお、1929年3月24日 - 2019年11月14日)は、日本の物理化学者。東北大学名誉教授、分子科学研究所所長、岡崎国立共同研究機構長。紫綬褒章受章。正四位瑞宝重光章。専門は分子分光学。 福岡県北九州市若松区生まれ。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
有木 宗一郎(ありき そういちろう、1929年3月24日 -… 有木 宗一郎(ありき そういちろう、1929年3月24日 - )は、日本の経済学者。 大連生まれ。1947年広島県福山市へ引き揚げ。1954年神戸大学経済学部卒、同助手、1972年『ソ連経済の研究』で一橋大学社会学博士。 下関商業短期大学助教授、1962年國學院大學経済学部助教授、教授、下関市立大学教授、1996年定年退官。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
渡瀬 昌忠(わたせ まさただ、1929年3月24日 - 20… 渡瀬 昌忠(わたせ まさただ、1929年3月24日 - 2017年1月14日)は、日本の国文学者。文学博士(國學院大学・論文博士・1977年)。元大東文化大学教授。上代文学、『万葉集』が専門。 兵庫県生まれ。大東文化学院国語国漢科、國學院大學文学部国文科卒、1977年「柿本人麻呂研究 歌集非略体歌論」で國學院大学より文学博士の学位を取得。兵庫県立尼崎北高等学校、埼玉県立戸田高等学校などの教諭を経て、大東文化大学専任講師、助教授を経ずに教授。1987年実践女子大学教授。99年定年。講談社取締役・渡瀬昌彦とノンフィクション作家・渡瀬夏彦の父。旧制中学時代の同級生に河合隼雄がいる。
犬塚 弘(いぬづか ひろし、1929年〈昭和4年〉3月23日… 犬塚 弘(いぬづか ひろし、1929年〈昭和4年〉3月23日 - 2023年〈令和5年〉10月26日)は、日本の俳優、ベーシスト。東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区大森)出身。本名は犬塚 弘(いぬづか ひろむ)。 コミックバンド『ハナ肇とクレージーキャッツ』で最後まで存命だった人物であり、昭和・平成・令和と3つの時代にわたって存命していた唯一のメンバーだった。最終所属は境事務所。 生家は代々裁判官の家系であり、江戸っ子の16代目にあたるという。また、元は徳川家康と共に三河から江戸へ出てきた直参の旗本の家柄で、祖父の代まで十数代にわたり現在の第一ホテル東京本館の一帯に居を構えていた大地主だったともいう。
津本 陽(つもと よう、1929年〈昭和4年〉3月23日 -… 津本 陽(つもと よう、1929年〈昭和4年〉3月23日 - 2018年〈平成30年〉5月26日)は、日本の小説家。本名、寅吉(とらよし)。 和歌山県和歌山市出身。旧制和歌山中学校から旧制大阪専門学校(現・近畿大学) を経て、1951年東北大学法学部卒。明間輝行は同期。同人誌『VIKING』で活動し、掲載作『丘の家』が第56回直木賞候補。1978年(昭和53年)、故郷和歌山を舞台にした『深重の海』で第79回直木賞を受賞。膨大な資料をたどり、小説の中で逐次資料の内容の提示と解説をしながら話を展開してゆく形式が多い。文体は情緒性を排した重厚で簡潔な表現が主体。 題材は主に剣豪や戦国大名、幕末英傑を主題にした歴史小説が多い。
村松 剛(むらまつ たけし、1929年3月23日 - 199… 村松 剛(むらまつ たけし、1929年3月23日 - 1994年5月17日)は日本の評論家、フランス文学者。筑波大学名誉教授。立教大学、京都産業大学、筑波大学、杏林大学の各教授を歴任。
坪井 榮孝(つぼい えいたか、1929年3月22日 - 20… 坪井 榮孝(つぼい えいたか、1929年3月22日 - 2016年2月9日)は日本の医師。元日本医師会会長、元世界医師会会長。郡山市名誉市民。専門は呼吸器内科(呼吸器がん全般)。叙正三位。 福島県郡山市生まれ。旧制安積中学校(現福島県立安積高等学校)を経て、1952年、日本医科大学卒業。1953年に医籍登録。国立がんセンター病院放射線部医長を経て、1970年、福島県郡山市にて坪井診療所を開設する。1974年、慈山会医学研究所を設立し、理事長に就任。同研究所付属坪井病院において地域医療に従事する。2011年6月より財団法人慈山会医学研究所付属坪井病院名誉理事長。 医師会の活動としては福島県医師会役員を経て、1988年より日本医師会常任理事。
草間 彌生(くさま やよい、1929年〈昭和4年〉3月22日… 草間 彌生(くさま やよい、1929年〈昭和4年〉3月22日 - )は、日本の芸術家。長野県松本市出身。京都市立美術工芸学校(旧・京都市立銅駝美術工芸高等学校)絵画科卒業。 幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、それらの幻覚・幻聴を絵にし始めた。1957年(昭和32年)に渡米すると絵画や立体作品の制作だけではなくハプニングと称される過激なパフォーマンスを実行し、1960年代には「前衛の女王」の異名をとった。 草間彌生のいくつかの作品は、水玉模様や網模様などの同一のモチーフの反復によって絵画の画面や彫刻の表面を覆うことが特徴の一つである。「無限の鏡の間」(インフィニティ・ミラー・ルーム英語: Infinity Mirrored Room)(1965年制作)など合わせ鏡を用いて光やオブジェを無限に広がるように見せるインスタレーションや、男根状のソフト・スカルプチュアによるオブジェを日用品などに張り付ける立体作品も制作している。
小倉 忠夫(おぐら ただお、1929年3月22日 - )は、… 小倉 忠夫(おぐら ただお、1929年3月22日 - )は、日本の美術評論家。 岡山県高梁市生まれ。父は、小倉魚禾(おぐら ぎょか)であり、画家であった。 旧制高梁中学校(現:岡山県立高梁高等学校)在学中は大西茂と同級生であり友人であった。その後、1945年4月(昭和20年)海軍兵学校に入学を経て、戦後、東京大学へ入学。1952年東京大学文学部美学美術史卒。国立近代美術館、京都国立近代美術館に勤務、国立国際美術館館長、京都国立近代美術館館長。1995-99年名古屋ボストン美術館館長。1998-2002年大原美術館館長。1999年、勲三等旭日中綬章受章。
テツマロ・ハヤシ(Tetsumaro Hayashi, 19… テツマロ・ハヤシ(Tetsumaro Hayashi, 1929年3月22日 - )は、日本出身で米国に帰化したアメリカ文学研究者。 香川県坂出出身。出生名は林徹麿(はやし てつまろ)。1953年岡山大学文学部英文科卒業。1953年から1954年岡山にあるミシガン大学日本研究所助手、1954年渡米、ウィルミントン大学英文科に学ぶ。1957年フロリダ大学大学院英文科修士課程修了、1959年ケント州立大学大学院図書館学科修士課程修了、1959年ミズーリ州カルバー・ストックトン大学講師・図書館副館長。ケント州立大学で文学博士号を取得。1969年米国帰化。ボール州立大学英文科教授を務め、退任後同名誉教授。
坂井 弘一(さかい ひろいち、1929年3月21日 - 20… 坂井 弘一(さかい ひろいち、1929年3月21日 - 2021年11月22日)は、日本の政治家。和歌山県日高郡南部町(現・みなべ町)出身。摂南工業専門学校(現・大阪工業大学)電気工学科卒業。元衆議院議員(8期)。 1929年3月21日、和歌山県日高郡南部町(現・みなべ町)に生まれる。 1948年、摂南工業専門学校(現・大阪工業大学)電気工学科を卒業する。 1963年、和歌山市議会議員選挙に、公明政治連盟から立候補し、当選する。 1967年、和歌山県議会議員選挙に立候補し、当選する。県議会議員に転出した。 1969年12月27日、第32回衆議院議員総選挙に、和歌山1区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降、連続8期)。