西村 正俊(にしむら まさとし、1921年〈大正10年〉2月… 西村 正俊(にしむら まさとし、1921年〈大正10年〉2月11日 - 2011年〈平成23年〉6月20日)は、日本の政治家。佐賀県佐賀市長(3期)。 佐賀県出身。1939年、旧制佐賀県立佐賀中学校卒業。翌年南満洲鉄道に入る。1946年、佐賀県国民健康保険組合連合会主事になる。1948年、佐賀県庁に入る。国民健康保険課長、厚生部参事を経て、1970年に伊万里市助役に就任、1980年に佐賀市助役に就任する。1987年の佐賀市長選挙に立候補し当選、1999年まで3期務めた。2011年6月20日午前7時43分、多発性骨髄腫のため佐賀市の佐賀県立病院好生館で死去、90歳。死没日をもって従七位から従五位に叙される。
中田 金一(なかた きんいち、1921年2月11日 - 20… 中田 金一(なかた きんいち、1921年2月11日 - 2008年12月13日)は大阪府出身のプロ野球選手・審判員。
松島 与三(まつしま よぞう、1921年2月11日 - 19… 松島 与三(まつしま よぞう、1921年2月11日 - 1983年4月9日)は、日本の数学者。大阪府堺市出身。旧制浪速高等学校を経て、大阪大学理学部卒。 名古屋大学、米ノートルダム大学、大阪大学教授。フランスCNRS所員、プリンストン高等研究所員、グルノーブル大学客員教授を歴任。朝日賞受賞。 主な実績にアインシュタイン-ケーラー空間の正則自己同型群の決定、コンパクト規約対称エルミート空間の1次元ベッチ数の消滅定理、松島-村上同型などがある。 この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
石川 源晃(いしかわ げんこう、1921年2月11日 - 2… 石川 源晃(いしかわ げんこう、1921年2月11日 - 2006年6月13日)は、日本の占星学者、技術士。帝国海軍大尉。東京工業大学卒業。 世界の占星学史に残る数々の業績を残した。占星学(Astrology)を勉学するだけでなく自ら新しい手法を発明し、日本の占星学(西洋占星学ともいう)の水準を飛躍的に高めた。全ての知識を原書で得るという知識量、そして論理的理解力、科学的・数学的素養をバックボーンとする。一切のオカルト、神霊的な要素や、癒やしのような曖昧な概念を全て排した、厳密で精緻な分析は、日本占術界において研究者としての彼をむしろ孤高の地位へと追いやった。石源と略称されることもある。 源氏の末裔。
村井 貞允(むらい さだまさ、1921年〈大正10年〉2月1… 村井 貞允(むらい さだまさ、1921年〈大正10年〉2月10日 - 2007年〈平成19年〉10月1日)は、日本の地質学者、理学博士、岩手大学名誉教授。
小池 久雄(こいけ ひさお、1921年2月9日 - 1998… 小池 久雄(こいけ ひさお、1921年2月9日 - 1998年8月30日)は、日本の経営者。ヤマハ発動機社長を務めた。 静岡県出身。1938年に袋井商業学校を卒業し、1941年に日本楽器製造(現在のヤマハ)に入社した。1962年にヤマハ発動機に転じ、取締役に就任し、1964年に常務、1966年に専務を経て、1974年8月に社長に就任し、1983年4月までに務めた。 1998年8月30日心不全のために死去。77歳没。
庄野 潤三(しょうの じゅんぞう、1921年(大正10年)2… 庄野 潤三(しょうの じゅんぞう、1921年(大正10年)2月9日 - 2009年(平成21年)9月21日)は、日本の小説家。位階は従四位。 大阪府生まれ。庄野英二の弟。九州大学東洋史学科卒。『愛撫』で認められ、『プールサイド小景』で芥川賞受賞。「第三の新人」の一人と目され、『静物』『夕べの雲』など、都市生活者の不安定な日常を、穏やかな描写と叙述で深く彫り上げた作品を多く発表した。晩年は、老夫婦の生活や孫とのふれあいをテーマに連作を書き継いだ。日本芸術院会員。 大阪府東成郡住吉村(現・大阪市)出身。帝塚山学院小学校・大阪府立住吉中学校を経て、1941年(昭和16年)12月に大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)英語科を卒業。
高良 和武(こうら かずたけ、1921年2月9日 - 201… 高良 和武(こうら かずたけ、1921年2月9日 - 2019年1月30日)は、放射光科学を専門とする日本の物理学者。鹿児島市出身。東京大学及び高エネルギー加速器研究機構名誉教授。動力学X線回折理論の研究により、放射光科学と結晶学の発展に貢献した。また後年は、産学連携や高等教育におけるインターンシップ制度の推進にも尽力した。 フォトン・ファクトリー施設長、日本結晶学会会長、日本放射光学会会長、学校法人筑波研究学園理事長、総合科学研究機構理事長、日本インターンシップ学会会長を歴任した。 高良大社の宮司の家に生まれる。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校、旧制第七高等学校造士館、九州帝国大学理学部物理学科卒業。
入江節次郎(いりえ せつじろう、1921年2月9日- )は、… 入江節次郎(いりえ せつじろう、1921年2月9日- )は、日本の経済学者、同志社大学名誉教授。 岡山市生まれ。1944年東京帝国大学法学部卒。1980年「帝国主義論への道」で大阪市立大学経済学博士。同志社大学経済学部助教授、教授、92年定年退任、名誉教授。
菊池 宣次(きくち せんじ、1921年〈大正10年〉2月9日… 菊池 宣次(きくち せんじ、1921年〈大正10年〉2月9日 - 2001年〈平成13年〉7月17日)は、群馬県出身の元競輪選手。 日本競輪選手養成所(旧日本競輪学校)が設立される前に選手登録された期前選手で、選手登録番号は268。 群馬県伊勢崎市南千木町出身。 1949年(昭和24年)に川崎競輪場で行われた、第2回全国争覇競輪・乙規格部門で決勝進出(9着)。 1950年(昭和25年)登録選手全国代表者会議議長、1951年(昭和26年)日本プロフェッショナルサイクリスト連合会理事長就任。 1952年(昭和27年)9月から1957年(昭和32年)3月まで、日本競輪選手会の初代理事長を務めた(なお、日本競輪選手会ホームページでは、2代目とされる横田隆雄が初代理事長とされている)。
吉田 悟郎(よしだ ごろう、1921年2月8日 - 2018… 吉田 悟郎(よしだ ごろう、1921年2月8日 - 2018年5月21日[信頼性要検証])は、日本の歴史学者。 金沢市に技術者・吉田恵一の子として生まれる。東京府立第五中学校(現東京都立小石川高等学校)卒、成城高等学校卒、1942年東京帝国大学文学部西洋史学科を学徒出陣で繰り上げ卒業、1945年敗戦で復員し、GHQで検閲の仕事をしたのち日本評論社の編集者となる。1952年東京都立広尾高等学校教諭、81年退職。大学非常勤講師として世界史を教える。歴史教育者協議会会員。
吉水 幸夫(よしみず ゆきお、1921年2月8日 - )は、… 吉水 幸夫(よしみず ゆきお、1921年2月8日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、外野手)。
合崎 堅二(あいざき けんじ、1921年2月7日 - 199… 合崎 堅二(あいざき けんじ、1921年2月7日 - 1998年)は日本の会計学者。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
申 秉鉉(シン ビョンヒョン、1921年2月7日 - 199… 申 秉鉉(シン ビョンヒョン、1921年2月7日 - 1999年4月4日)は、大韓民国の政治家。本貫は平山申氏。日本名平山 榮次郞。 黄海道長淵郡にて誕生。日本内地の福島高等商業学校を卒業。1943年に朝鮮銀行に入り、1956年に韓国銀行調査部長に就任。駐米大使館参事官(1961年)を経て、国際復興開発銀行交換取締役兼顧問(1970年-1975年)を務めた。米国のアメリカン大学卒業および同大学院を修了し、1959年にコロンビア大学大学院で経済学博士号を取得。 1975年、大統領府経済担当特別補佐官に起用され、政界中枢とのコネクションを発展。韓国銀行総裁(1978年)、商工部長官(1980年)、副総理兼経済企画院長官(1980年-1982年、1983年-1986年)を歴任。
伊藤 亘行(いとう のぶゆき、1921年(大正10年)2月6… 伊藤 亘行(いとう のぶゆき、1921年(大正10年)2月6日 - 2002年(平成14年)11月10日)は日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、作曲家。 三重県四日市市京町生まれ。伊藤家はタイル業、万古焼業を営み父が仕事中にヴァイオリンを弾くのを聞いて、叔母の家でオルガンを弾いたりして幼少年時代を過ごす。旧制富田中学校(現在の三重県立四日市高等学校)卒業。父や親戚を説得して東京音楽学校声楽科(現在の東京芸術大学)へ進学し、木下保や中山悌一に師事して1941年(昭和16年)に卒業。大東亜戦争中で音楽関係の仕事がないことから、郷里の東海地方に帰り現在の愛知県立旭丘高等学校や愛知県立明和高等学校の音楽担当の教師となり音楽を教えた。
九里 茂三(くのり しげぞう、1921年2月6日 - 201… 九里 茂三(くのり しげぞう、1921年2月6日 - 2017年12月2日)は、日本の教育者。学校法人九里学園理事長・学園長などを歴任し、日本私立中学高等学校連合会副会長として私学助成運動などにも貢献した。 山形県米沢市に生まれ育つ。養母の九里とみは、1901年に九里裁縫女学校を創設し、その経営にあたっていた。 1940年に山形県師範学校本科一部を卒業し、翌1941年には同専攻科を卒業して、東京高等師範学校に進んだ。 1944年9月には、東京高等師範学校を卒要し、海軍予備学生として土浦海軍航空隊へ入隊、1945年6月には海軍少尉に任官、直ちに召集され8月まで針尾にあった海軍兵学校分校の教官を務めた。
菅原 努(すがはら つとむ、1921年2月5日 - 2010… 菅原 努(すがはら つとむ、1921年2月5日 - 2010年10月1日)は、日本の医学者・医師。京都大学名誉教授。専門は放射線基礎医学。 旧制浪速高等学校を経て、1944年京都帝国大学医学部卒業。1950年大阪大学理学部卒業。三重大学医学部助教授、1960年国立遺伝学研究所変異遺伝部副部長、1961年放射線医学総合研究所室長、京都大学医学部放射能基礎医学教室初代教授。同放射線生物研究センター長、医学部長、1985年定年退官、名誉教授、国立京都病院院長。財団法人慢性疾患・リハビリテイション研究振興財団理事長。 1995年、勲二等瑞宝章を受章。2010年10月1日、慢性腎不全のため死去。
金 鍾吉(キム・ジョンギル、朝鮮語: 김종길、1921年2月… 金 鍾吉(キム・ジョンギル、朝鮮語: 김종길、1921年2月5日 - 1991年1月31日)は、大韓民国の官僚、政治家。第5代韓国国会議員。 慶南南海出身。中央大学法科3年卒業。総務処事務官、国務院事務処書記官・人事課長・総務課長、重機工業協同組合理事などを務めた。崔致煥の公民権制限による1961年の第5代総選挙の補欠選挙で当選し、国会議員を務めた。 第5代議員当選後すぐに発生した5・16軍事クーデターにより3日間しか在籍できず、議員宣誓もできなかった。
髙橋英明(たかはし ひであき、1921年2月1日 - 199… 髙橋英明(たかはし ひであき、1921年2月1日 - 1998年5月15日)は日本の大蔵官僚。 東京府出身。東京帝国大学法学部政治学科卒業。1945年10月 大蔵省入省。国有財産部属。1947年4月 国有財産局。1948年2月 高等試験行政科を合格。同年11月 長崎税務署長。近畿財務局理財部金融課長、為替局投資課長などを経て、1967年8月4日 銀行局総務課長。1968年6月25日 近畿財務局長。1969年8月15日 銀行局検査部長。1970年6月25日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。1972年6月27日 経済企画庁長官官房長。1973年6月26日 証券局長。1974年6月26日 銀行局長。1975年7月8日 退官。
白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 199… 白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 1992年3月28日)は、日本の評論家、翻訳家、児童文学者。 少年小説の作者、『シートン動物記』や『赤毛のアン』の翻訳者として知られる。 静岡県浜松市出身。白柳秀湖の甥あるいは息子と自称したことがあるが、これは事実ではない。 1938年、旧制第一高等学校在学中、一高空手部員として鎌倉市の深田久弥宅を訪問し、当時深田の夫人だった北畠八穂と出会う。 1944年、東京帝国大学農学部卒業。学徒動員で二等兵として入営し、名古屋で兵役生活を送る。 1948年から鎌倉山で北畠と同棲した(深田の不実のため北畠は1943年に離婚していた)。入籍はせず、事実婚だった。
三善 信二(みよし しんじ、1921年(大正10年)1月30… 三善 信二(みよし しんじ、1921年(大正10年)1月30日 - 1979年(昭和54年)3月7日)は、日本の官僚、政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員三善信房の次男。兄はリコー会長を務めた三善信一。
山田英世(やまだ ひでよ、1921年1月30日 - 1982… 山田英世(やまだ ひでよ、1921年1月30日 - 1982年4月17日)は、日本の哲学研究者。 長野県下高井郡穂高村(現木島平村)生まれ。旧制飯山中学(長野県飯山北高等学校)を経て東京文理科大学倫理学科卒。1967年「プラグマティズムにおける倫理探求の理論」で東京教育大学文学博士。秋田師範学校教授、新潟高等学校教諭、愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授、1976年筑波大学教授。セイロン大学に留学。デューイ、ベンサムなどを研究した。
村松 友次(むらまつ ともつぐ、1921年(大正10年)1月… 村松 友次(むらまつ ともつぐ、1921年(大正10年)1月30日 - 2009年(平成21年)3月16日)は、日本の国文学者・俳人。東洋大学短期大学名誉教授。 2921年、長野県小県郡丸子町(現上田市)で生まれた。ハルピン鉄道学院露語専修科でロシア語を学んだ。1944年から長野県および東京都にて小・中学校教諭として勤務。その一方で、東洋大学国文学科(二部)で学び、1962年に卒業。同大学大学院に進み、1967年に博士課程を満期退学。 東洋大学短期大学助教授に就いた。その後教授昇格。1987年、学位論文『曽良本『おくのほそ道』の研究』を東洋大学に提出して文学博士の学位を取得。1989年、第12代東洋大学短期大学学長に就任。
草野 操(くさの みさお、1921年1月28日 - 1987… 草野 操(くさの みさお、1921年1月28日 - 1987年11月15日)は、日本の経営者。神奈川県出身。 1942年に東京帝国大学経済学部を卒業し、1950年に日産化学工業に入社。1972年6月に取締役に就任し、1974年12月に常務、1979年7月に専務を経て、1980年6月には社長に就任。1986年7月には会長に就任。 1987年11月15日急性心筋梗塞のために死去。66歳没。
渡辺 喜久雄(わたなべ きくお、1921年1月27日 - 1… 渡辺 喜久雄(わたなべ きくお、1921年1月27日 - 1993年6月19日)は、日本の経営者。北海道新聞社社長を務めた。 東京都出身。1946年に中央大学法学部を中退し、同年に北海道新聞社に入社。1970年12月に取締役に就任し、1974年12月に常務、1977年1月に専務を経て、1979年1月に社長に就任。1989年1月に会長に就任。 1993年6月19日慢性うっ血性心不全のために死去。72歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大塚 勇三(おおつか ゆうぞう、1921年1月27日 - 2… 大塚 勇三(おおつか ゆうぞう、1921年1月27日 - 2018年8月18日)は、日本の児童文学者・翻訳家。 旧満洲旧安東市(現・遼寧省丹東市)生まれ。東京帝国大学法学部を卒業。1957年から1966年まで平凡社に勤め、瀬田貞二と出会い、米英、ドイツ、北欧などの児童文学の翻訳に携わる。特にアストリッド・リンドグレーンの作品をほとんど翻訳、アルフ・プリョイセンの「スプーンおばさん」シリーズ、ルーネル・ヨンソンの「小さなバイキング」などの翻訳が著名である。ほか自身で民話の再話絵本も執筆した。 2018年8月18日、死去。97歳没。 ※『リンドグレーン作品集 別巻3 わたしたちの島で』は、尾崎義訳。
清沢 哲夫(きよざわ てつお、1921年1月26日 - 20… 清沢 哲夫(きよざわ てつお、1921年1月26日 - 2000年1月20日)は、愛知県碧南市出身の宗教家・哲学者。大谷大学助教授を務め、晩年は石川県白山市「明達寺」(真宗大谷派)の住職としてすごした。清沢満之の孫。暁烏敏の孫・宣子と結婚し、暁烏 哲夫(あけがらす てつお) と改姓。 大正10年(1921年)愛知県碧南市の西方寺に生まれる。碧南市大浜尋常小学校、愛知県立刈谷中学校、大谷大学予科(ドイツ語科)を経て、昭和19年(1944年)大谷大学文学部西洋哲学科卒業。学徒動員され約2年間の軍隊生活を送る。戦争中に体験した「人間の獣性の事実」「人間の死の事実」を転機として復員後は社会の問題に向き合い、まず実家西方寺において「形骸化し死化した寺院制度」を改革しようとする。
盛田 昭夫(もりた あきお、1921年1月26日 - 199… 盛田 昭夫(もりた あきお、1921年1月26日 - 1999年10月3日)は、日本の技術者、実業家。井深大と共に、電気機器メーカーソニー創業者の一人。1992年(平成4年)、名誉大英帝国勲章を受勲。
左近 友三郎(さこん ともさぶろう、1921年1月26日 -… 左近 友三郎(さこん ともさぶろう、1921年1月26日 - 2002年8月16日)は、日本の官僚、経営者。中小企業庁長官、共同石油社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、学徒動員で満洲に出征。終戦後は3年間のシベリア抑留を経て、帰国。1949年に商工省に入省し、1978年6月に中小企業庁長官に就任。1980年6月に東京銀行顧問に就任。1982年6月に共同石油専務に就任し、1983年6月に副社長を経て、1985年11月に社長に就任した。1990年6月には会長に就任した。1992年12月に日本鉱業と合併し、日鉱共石副会長に就任し、1996年6月には相談役に退いた。
佐々木 敏(ささき さとし、1921年 <大正10年> 1月… 佐々木 敏(ささき さとし、1921年 <大正10年> 1月26日 - 2003年 <平成15年> 3月9日)は、日本の官僚、経営者。商工組合中央金庫理事長を務めた。位階は正四位。 愛知県出身。1944年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、高文行政科にも合格し、同年9月に軍需省に入省。1971年8月に通商産業省繊維雑貨局長に就任し、1972年6月を以って、退官。1978年7月に日本商工会議所、東京商工会議所各専務理事を経て、1983年11月から1987年11月までに商工組合中央金庫理事長を務めた。 1992年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2003年3月9日肺炎のために死去。82歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
岩本 信一(いわもと のぶかず、 1921年1月26日 - … 岩本 信一(いわもと のぶかず、 1921年1月26日 - 2000年1月20日)は、広島県三次市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・審判員。 兄は元祖神主打法として知られる岩本義行。 旧制広陵中学では白石勝巳らの2学年下に当たり、中学時代は主力投手ではなかったが、卒業後の1939年に明治大学へ進学。谷沢梅雄監督率いる黄金時代で活躍し、戦後は明電舎を経て、1946年に広陵の先輩・平桝敏男や濃人渉、門前眞佐人らと広島駅前で遊興産業に携わっていた広島鯉城園のノンプロチームに参加。同年夏に戦後初の都市対抗野球大会へ出場し、初戦で先発・橋本正吾の後を継ぐ2番手としてマウンドに上がるも、この大会優勝した大日本土木に打ち込まれ惨敗した。
船後 正道(ふなご まさみち、1921年(大正10年)1月2… 船後 正道(ふなご まさみち、1921年(大正10年)1月25日 - 2013年(平成25年)9月3日)は日本の大蔵官僚。経済企画庁長官官房長、環境庁企画調整局長、環境事務次官、日本環境協会理事長、中小企業金融公庫副総裁、同公庫総裁、全国労働金庫協会理事長などを歴任。 奈良県出身。東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大法学部政治学科在学中に高等試験行政科を合格。1943年9月 大蔵省入省。資金局属。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1946年2月 富山税務署長。
佐々木 誠二(ささき せいじ、1921年〈大正10年〉1月2… 佐々木 誠二(ささき せいじ、1921年〈大正10年〉1月25日 - 2018年〈平成30年〉8月23日)は、日本の実業家。テレビ大阪初代社長を務めた。位階は正五位。 群馬県沼田市出身。旧制沼田中学校から旧制九段中学校へ転校。1941年(昭和16年)に東京商科大学専門部を卒業し、日本経済新聞社の前身である中外商業新報に入社。1942年(昭和17年)高崎の歩兵第15連隊に入隊し、中国・フィリピン・ボルネオ・シンガポールなどを転戦した。 1947年(昭和22年)に復員。その後1968年(昭和43年)労務担当取締役に就任。1972年(昭和47年)から常務大阪本社代表を務め、1980年(昭和55年)から専務に就任。
久保谷 唯三(くぼたに ただぞう、1921年1月25日 - … 久保谷 唯三(くぼたに ただぞう、1921年1月25日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家、馬主。 1921年1月25日、広島県竹原町(現竹原市竹原町)で煙草、塩の販売業を営む家庭に生まれる。学校を卒業後、一度大阪府に出たのち長崎県へ向かい、三菱長崎造船所に入社した。1941年には現役兵として下関第72部隊に入隊したが、終戦に伴い除隊となると故郷の竹原に戻った。1946年5月には25歳ながら竹原町議会議員選挙に立候補し2位当選を果たすと、町議会内で起こった不正事件にかかるリコール問題でリコール派の筆頭として活動し議会の解散に持ち込む。翌1947年にトップで再選を果たすと同議会副議長に就任した。
太田 博(おおた ひろし、1921年〈大正10年〉1月24日… 太田 博(おおた ひろし、1921年〈大正10年〉1月24日 - 1945年〈昭和20年〉6月20日)は、日本の詩人。 1941年〈昭和16年〉徴兵検査に合格したのちに、翌1942年〈昭和17年〉1月に千葉県柏・高射砲第二連隊に入営。少尉として沖縄戦に参加。高射砲陣地構築作業に動員されてきたひめゆり学徒隊に、「相思樹の歌」の詩をプレゼントした。米軍との死闘の後に沖縄県糸満市にて戦死。最終階級は死後に陸軍中尉。 短い生涯であったが、厳しい軍務にあっても詩人としての生き方を貫徹した。クリスチャンであった。 東京府東京市渋谷にて、郵便局員であった父・芳松、母・てふの三男として出生。1930年(昭和5年)、福島県郡山市清水台78番地の伯父・太田恒吉の養子となる。
隅谷 正峯(すみたに まさみね、1921年(大正10年)1月… 隅谷 正峯(すみたに まさみね、1921年(大正10年)1月24日 - 1998年(平成10年)12月12日)は石川県松任市(現在の白山市)出身の日本刀匠。全日本刀匠会元理事長。日本美術刀剣保存協会元理事。本名は隅谷 與一郎(すみたに よいちろう)。 1938年(昭和13年)、金沢一中卒業。1941年(昭和16年)立命館大学理工学部機械工学科卒業と同時に刀匠・桜井正幸に入門。独立後は興国日本刀鍛錬所(広島県尾道市)へ。その後、日本刀鍛錬所傘笠亭(さんりゅうてい)を松任市に開いて多くの作品を手掛けた。昭和40年代には新作刀に与えられる最高賞である「正宗賞」を3度受賞。1989年(平成元年)には伊勢神宮式年遷宮御神宝太刀(ごしんぽうたち)を制作した。
宮脇 幸彦(みやわき よしひこ、1921年1月24日 - 1… 宮脇 幸彦(みやわき よしひこ、1921年1月24日 - 1994年5月10日)は、日本の裁判官、法務省民事局参事官(検事)、学習院大学教授(一時、法学部長)、弁護士
岩本 章(いわもと あきら、1921年1月24日 - 199… 岩本 章(いわもと あきら、1921年1月24日 - 1993年3月4日)は、高知県高知市出身のプロ野球選手(外野手)。
大和 哲夫(やまと てつお、1921年(大正10年)1月23… 大和 哲夫(やまと てつお、1921年(大正10年)1月23日 - 1998年(平成10年)8月20日)は、日本の法学者・官僚・公務員。北海学園大学元学長。福岡県遠賀郡戸畑町(現・北九州市)出身。 学内ではこの他、北海学園大学学生部長などを、学外では、北海道地方労働委員会公益委員(1968-1977年)や北海道人事委員会委員(1982-1990年)、公共企業体等労働委員会調停委員など多くの公職を歴任。
粟山 明(もみやま あきら、1921年1月23日 - 200… 粟山 明(もみやま あきら、1921年1月23日 - 2006年9月21日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。衆議院議員を務めた粟山博は義父、同じく衆議院議員を務めた粟山秀は姉。
朝長 康郎(ともなが やすろう、1921年(大正10年)1月… 朝長 康郎(ともなが やすろう、1921年(大正10年)1月22日 - 2014年(平成26年)4月17日)は日本の数学者。宇都宮大学名誉教授。東京帝国大学理学部卒業。また長女は財務大臣の片山さつきである。 長崎県長崎市出身。陸軍軍人で近衛騎兵隊長を務めた朝長三郎と埼玉県知事を歴任した銀林綱男の五女・銀林はたの長男として生まれる。旧制府立高等学校を経て東京帝国大学理学部を卒業し理学博士となる。文献上の職歴は初期の著書初版発行当時に宇都宮大学教授・理学博士であることが明記されている。また後年の書籍では教育学部教授とも記載している。後に宇都宮大学名誉教授の称号を授与された。また娘に参議院議員の片山さつきがいる。
伊部 真(いべ まこと、1921年(大正10年)1月21日 … 伊部 真(いべ まこと、1921年(大正10年)1月21日 - 1973年(昭和48年)10月9日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員。位階は正五位。 福井県出身、本籍は大阪府。1939年、此花商業学校(現・大阪偕星学園高等学校)を卒業。 1941年に日本通運に入社、大阪支店労務主任を務めた。戦時中は宮崎県小林市で入隊。その後、全日通労働組合(全日通)梅田支部執行委員、同執行委員長、全日通中央執行委員、同関西地区本部副委員長、同大阪支部書記長、同中央執行副委員長などを経て、1960年、全日通中央執行委員長に就任。 その後、全国通運労働組合協議会議長、全国交通運輸労働組合総連合議長、運輸労連中央執行委員長などを務めた。
梅渓 昇(梅溪 昇)(うめたに のぼる、1921年1月21日… 梅渓 昇(梅溪 昇)(うめたに のぼる、1921年1月21日 - 2016年2月18日)は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。専門は日本近代史・軍事史。文学博士(大阪大学・1962年)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
和田 敏信(わだ としのぶ、1921年(大正11年)1月21… 和田 敏信(わだ としのぶ、1921年(大正11年)1月21日 - 2006年(平成18年)11月14日)は、石油資源開発社長、通商産業事務次官。位階は従三位。 山口県出身の鎌倉育ち。父は海軍中将・和田専三。水戸高等学校文科甲類を経て、1944年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1947年に商工省入省し総務局に配属。入省同期に、増田実(通産審議官)、森口八郎(通産審議官)、林信太郎、山口衛一(防衛庁装備局長、日本航空機開発協会特別顧問)など。
永井 明(ながい あきら、1921年1月21日 - 1979… 永井 明(ながい あきら、1921年1月21日 - 1979年3月)は、日本の児童文学者、キリスト教者。日本児童文学者協会会員、現代少年文学同人。 栃木県佐野市に生まれる。小児マヒにかかり歩行不能となったため、肢体不自由施設の柏学園で小学教育を受ける。その後はほぼ独学で、歴史や文学、哲学や外国語を勉強する。16歳でキリスト教の洗礼を受ける。1941年、埼玉県深谷市に居住し、児童文学を志す。神戸淳吉、山本彰、高田彰らと児童文学の同人誌『白い馬』を刊行する。1956年、『ピイ公物語』でデビュー。1969年に出版された『終りのない道』は自伝的な要素が強く、障害児の視点から書いた文学作品として先駆的なものであり、当時の障害児に関する社会的記録としても評価されている。
暁 テル子(あかつき てるこ、1921年1月21日 - 19… 暁 テル子(あかつき てるこ、1921年1月21日 - 1962年7月20日、本名:関根 ひさ)は、昭和20年代に活躍した日本の歌手、女優。愛称は「テリー」。 SSK(松竹少女歌劇団)出身。 1933年(昭和8年)、子役でデビュー。 1939年(昭和14年)準幹部となり、並木路子らと4人のジョリー・シスターズで活躍。 1941年(昭和16年)古川ロッパ一座に入団。東宝、松竹の舞台でも活躍。 戦後はアーニー・パイル劇場(東京宝塚劇場)専属となり外国人兵から「テリー」と愛称で呼ばれ人気を博した。 1948年(昭和23年)大映と契約し、『春爛漫狸祭』で映画デビュー。 1949年(昭和24年)、照子からテル子に改名。
羽田 健三(はねだ けんぞう、1921年1月19日 - 19… 羽田 健三(はねだ けんぞう、1921年1月19日 - 1994年11月23日)は、日本の鳥類学者。
山中 裕(やまなか ゆたか、1921年1月19日 - 201… 山中 裕(やまなか ゆたか、1921年1月19日 - 2014年6月13日)は、日本史学者・日本古典研究者。東京大学史料編纂所教授、関東学院大学文学部教授を経て、田園調布学園大学名誉教授。 東京府生まれ。1943年東京帝国大学文学部国史学科卒業。東京大学史料編纂所教授、定年前に1975年関東学院大学文学部教授、1989年退職、田園調布学園大学教授、のち名誉教授。1977年「平安朝文学の史的研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。『栄花物語』を専門として、平安朝の歴史と文学を横断する研究をおこない、藤原道長の日記『御堂関白記』の注釈を続けた。劇場用アニメ「紫式部 源氏物語」平安行事監修。横須賀市史編さん委員会委員長として『新横須賀市史』作成に携わる。
中山 仁(なかやま じん、1921年〈大正10年〉1月18日… 中山 仁(なかやま じん、1921年〈大正10年〉1月18日 - 2004年〈平成16年〉4月26日)は、日本の体育学者。新潟大学名誉教授。 新潟県新潟市田中町(現 新潟市中央区田中町)の新潟鐵工所新潟工場技師・中山礼吉の三男として出生。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に東京高等師範学校体育科を卒業。 1942年(昭和17年)に埼玉県立熊谷中学校教諭に就任、1943年(昭和18年)4月に応召、南方各地を転戦し、1946年(昭和21年)6月に帰還、同年に新潟高等学校教授に就任、1949年(昭和24年)に新潟大学教育学部助教授に就任、1971年(昭和46年)に新潟大学教育学部教授に就任、1986年(昭和61年)に新潟大学を定年退官、新潟大学名誉教授の称号を受称、関東学園大学教授に就任、1994年(平成6年)に退職。
南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、英語: Yoichiro… 南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、英語: Yoichiro Nambu、1921年1月18日 - 2015年7月5日)は、日系アメリカ人の理論物理学者。シカゴ大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授・特別栄誉教授、大阪大学特別栄誉教授、立命館アジア太平洋大学アカデミック・アドバイザー。専門は素粒子理論。理学博士(東京大学・1952年)。 福井県福井市出身。1970年に日本からアメリカ合衆国へ帰化した。 日系アメリカ人(一世)の理論物理学者で1952年に渡米、1960年代に量子色力学と自発的対称性の破れの分野において先駆的な研究を行ったほか、弦理論の創始者のひとりとしても知られ、現在の素粒子物理学の基礎をなす様々な領域に多大な貢献をなした。