山口 恵一郎(やまぐち けいいちろう、1921年(大正10年… 山口 恵一郎(やまぐち けいいちろう、1921年(大正10年)1月18日 - 1991年(平成3年)10月9日)は、日本の地理学者、地名研究家。 1921年(大正10年)1月18日、愛知県豊橋市に生まれる。旧制豊橋中学校卒業後、小学校教諭を務めるが、退職して上京。1942年(昭和17年)に法政大学高等師範部歴史地理科を卒業する。渡辺光に師事した。文科省図書局・教科書局を経て、1946年建設省国土地理院地図部研究員に勤務。地図部研究係長、技術院養成所(建設大学校)教官、同研究員などを歴任する。1960年からは国土地理院の代表として、海上保安庁水路部と共同で設立された「地名等の統ーに関する連絡協議会」の委員を勤めた。
德川 義恭(とくがわ よしやす、1921年(大正10年)1月… 德川 義恭(とくがわ よしやす、1921年(大正10年)1月18日 - 1949年(昭和24年)12月12日)は、日本の美術研究者、装幀家。 尾張徳川家の分家の当主である男爵・徳川義恕の四男。母方の祖父・津軽承昭は弘前藩主。長兄・徳川義寛は昭和天皇の侍従・侍従長。姉・祥子の夫は北白川宮永久王。次兄・義孝(津軽英麿の養子となる)の娘は、常陸宮正仁親王妃華子で、義恭の姪にあたる。 夫人・雅子(のりこ)は田安徳川家の徳川達成の長女。 1942年(昭和17年)、学習院高等科を卒業し、東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学。同年7月1日、三島由紀夫や東文彦と共に同人誌『赤絵』を創刊した。同誌および、1944年(昭和19年)10月発行の三島の処女作品集『花ざかりの森』(七丈書院)の装幀を担当した。
牧野 昇(まきの のぼる、1921年1月18日 - 2007… 牧野 昇(まきの のぼる、1921年1月18日 - 2007年3月2日)は、日本の技術評論家。元三菱総合研究所会長、東京大学工学博士。 栃木県出身。1944年東京帝国大学工学部卒業。同大学院修士課程修了。1956年東京大学工学博士。 東大の講師をへて、1951年東京計器製造所(現東京計器及び長野計器)に入社。在学中に発明したMT磁石の工業化に成功する。1964年三菱製鋼に移る。1970年三菱総合研究所の設立に参画し、専務、副社長を経て、1984年会長、1994年相談役。技術予測、産業政策の論評で知られた。1999年原子力事故防止のための「NSネット」初代理事長に就任。
杉本 悌二郎(すぎもと ていじろう、1921年1月18日 -… 杉本 悌二郎(すぎもと ていじろう、1921年1月18日 - 1988年10月25日)は、日本の実業家。元ノリタケカンパニーリミテド社長・会長。 愛知県生まれ。旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、1942年日本陶器入社。 通算15年の米国生活を経て、副社長就任。1971年には米国ノリタケ社長として、磁器製食卓用品に関する米国関税委員会公聴会で証言する。 1977年日本陶器代表取締役社長就任。積極経営を進め1981年に社名をノリタケカンパニーリミテドに変更。同年脳血栓で倒れ、1982年倉田隆文を後任社長とし社長を退き、代表取締役会長就任。1984年会長を退任し、相談役に就任。これまで務めていた森村グループ企業の日本碍子、日本特殊陶業、東陶機器(現・TOTO)などの役員からも退く。
糸居 五郎(いとい ごろう、1921年〈大正10年〉1月17… 糸居 五郎(いとい ごろう、1921年〈大正10年〉1月17日 - 1984年〈昭和59年〉12月28日)は、日本のアナウンサー、ラジオ・ディスクジョッキー(DJ)。 日本のラジオDJの草分け的存在として、ラジオの深夜放送で活躍した。 命日の12月28日は、上野修の提唱により糸居の功績をたたえる記念日として「ディスクジョッキーの日」と定められている。 ジャーナリストで、地域向け新聞『小石川新聞』の編集・発行を手掛けていた糸居銀一郎の五男(末子)として、東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)音羽に生まれる。本人は、父に鉱石ラジオのレシーバーを頭にかぶらされて聴いていたと、その自分の子供時代を語っている。
佐々木 直亮(ささき なおすけ、1921年1月17日 - 2… 佐々木 直亮(ささき なおすけ、1921年1月17日 - 2007年9月9日)は、医学博士、弘前大学名誉教授(衛生学)、疫学者。 1921年1月17日東京都港区三田綱町に生まれる。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、1943年9月慶應義塾大学医学部卒業。1956年弘前大学医学部教授(衛生学)に就任。1986年退官、弘前大学名誉教授の称号を授与される。2007年9月9日午後9時頃、脳卒中のため青森県弘前の自宅で死去(享年86)。墓所は東京都港区の青山霊園。二男は指揮者の佐々木修。幕末の豪商伊藤八兵衛の曾孫。渋沢栄一の後妻の兼子は伯叔母にあたる。 1974年日本における高血圧の疫学的研究について毎日学術奨励賞、1981年衛生学青森県褒賞、1983年青森県の特産物であるりんごの高血圧予防効果を世界にさきがけて指摘したことにより木村甚弥賞(りんご顕彰会)、1986年脳卒中・高血圧予防についての疫学研究と地域住民の保健活動の推進の貢献に対し保健文化賞(厚生大臣賞))、1995年勲三等旭日中綬章、1996年、脳血管障害に関する基礎的臨床的研究分野における多大の貢献に対し美原賞、同年日本公衆衛生学会推薦により中冨健康科学振興賞、2002年青森りんごの発展に貢献した功績により青森りんご勲章を授与された。
新納 真人(にいの まびと、1921年1月17日 - 200… 新納 真人(にいの まびと、1921年1月17日 - 2008年8月23日)は、日本の経営者。鐘淵化学工業(現在のカネカ)社長、会長を務めた。 東京都出身。1943年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に鐘淵紡績に入社。1949年に鐘淵化学工業(のちのカネカ)に転じ、1966年11月に取締役に就任し、1971年11月に常務、1974年11月に専務を経て、1978年11月に副社長に就任し、1984年11月には社長に昇格。1989年6月に会長に就任し、1994年6月から相談役を務めた。 2008年8月23日胆嚢癌のために死去。87歳没。
礒永 秀雄(いそなが ひでお、1921年1月17日 - 19… 礒永 秀雄(いそなが ひでお、1921年1月17日 - 1976年7月27日)は、詩人。旧朝鮮仁川出身。 1921(大正10)年1月17日、旧朝鮮仁川の生まれ。詩人・童話作家。京城中学、姫路高校をへて東京帝大文学部美学科に進学。昭和18(1943)年、学徒動員で南方(ハルマヘラ島)へ行き、敗戦の翌年6月に復員。山口県光市に居住。やがて高校教師をしながら詩作を試み、23(1948)年、小詩集『天路への誘い』『聖玻璃彷徨』『夜の聖歌隊』を刊行。同年、結婚。25(1950)年、詩誌「駱駝」創刊。26(1951)年、詩集『浮灯台』で第1回山口県芸術文化振興奨励賞を受賞。昭和47(1972)年、山口県文学者訪中団の一員として中国訪問。
藤井松一(ふじい しょういち、1921年〈大正10年〉1月1… 藤井松一(ふじい しょういち、1921年〈大正10年〉1月17日 - 1980年〈昭和55年〉10月6日)は、日本の日本近代史学者。 岩手県花巻市出身。東京帝国大学文学部卒。立命館大学教授を務めた。歴史科学協議会に属し、左翼的な立場から近代日本史を研究したが、59歳で死去した。
内村 良英(うちむら よしひで、1921年1月16日 - 2… 内村 良英(うちむら よしひで、1921年1月16日 - 2004年7月3日)は、日本の農林官僚である。 1945年に東京帝国大学経済学部を卒業後、農林省に入省する(食管局嘱託)。 食糧庁、農林経済局、水産庁漁政部、1963年~1967年外務省在ロンドン大使館一等書記官、農林経済局国際部長、食糧庁次長、農政局長、農林経済局長を経て、1974年に水産庁長官、1976年~1978年に農林事務次官に就任した。退官後は1981年~1985年に日本中央競馬会理事長、1987年から大日本水産会会長を務めた。 その他に日本農業研究所理事長、国際農友会会長、自然資源保全協会代表設立発起人、農村更生協会代表、農業者年金基金理事長など、農政分野で要職を歴任した。
山田 潔(やまだ きよし、1921年1月16日 - 1984… 山田 潔(やまだ きよし、1921年1月16日 - 1984年6月15日)は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。
上山 春平(うえやま しゅんぺい、1921年1月16日 - … 上山 春平(うえやま しゅんぺい、1921年1月16日 - 2012年8月3日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授。従三位。紫綬褒章受章者、文化功労者、勲二等授旭日重光章受章。 1921年、台湾で生まれた。台北高等学校で学び、高校時代から哲学や宗教に関心を持った。京都帝国大学文学部哲学科に進んだが、太平洋戦争の戦局悪化により徴兵され、1943年に卒業。その後は海軍に入隊した。人間魚雷「回天」での出撃経験を持つが、死を免れた。 戦後は1948年に和歌山県立田辺高等学校教諭となった。同年、愛知第二師範学校助教授に就いた。1954年、京都大学人文科学研究所助教授に転じた。1968年に教授昇格。1982年、第11代京都大学人文科学研究所所長に就任。
坂部 武夫(さかべ たけお、1921年(大正10年)1月15… 坂部 武夫(さかべ たけお、1921年(大正10年)1月15日 - 1987年(昭和62年)1月26日)は、日本の実業家。旭硝子(現AGC)社長や、同社会長を務めた。 広島県福山市出身。旧制広島高校を経て1943年東京帝国大学法学部政治学科卒業、旭硝子入社。1975年取締役総務部長に昇格。1981年から社長を務めた。社長在任中に「21世紀に繁栄する企業作り」を標榜し、新製品、新規事業への投資を中心とする拡大路線を指揮。エレクトロニクス、エンジニアリングセラミックス、バイオテクノロジー分野などに積極展開した。健康悪化により1987年1月には会長に退いたが、まもなく肺炎のため死去した。享年66。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
佐竹 申伍(さたけ しんご、1921年1月15日 - 200… 佐竹 申伍(さたけ しんご、1921年1月15日 - 2005年2月24日)は、日本の小説家。 東京小石川生まれ。本名・佐藤静夫。日本大学芸術学部卒。映画関係の仕事を経て、文筆活動にはいる。はじめ時代小説を書き、のち歴史小説を書いた。一時期NHK大河ドラマにあわせて執筆していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
久納 好孚(くのう こうふ、1921年1月15日 - 194… 久納 好孚(くのう こうふ、1921年1月15日 - 1944年10月21日)は、日本の海軍軍人。戦死による特進で最終階級は海軍少佐。未帰還になった神風特攻隊大和隊の隊長であり、特攻第一号とする主張がある。 1921年1月15日愛知県で生まれる。外地の大田中学校を経て、1942年9月法政大学専門部卒業。1942年9月第11期飛行予備学生。霞ヶ浦航空隊付。1943年8月予備少尉、徳島航空隊付。1943年12月265空付。1944年7月予備中尉、第二〇一海軍航空隊付。久納は法政大学在学時から羽田海軍予備航空団に在籍しており、他の予備学生の航空士官と比較して操縦技術はベテランの域に達していた。二〇一空は零式艦上戦闘機を爆戦として運用して敵艦隊を攻撃しようと計画し、副長玉井浅一中佐を中心として零戦による急降下爆撃の訓練を行っていた。
野々川 大介(ののがわ だいすけ、1921年1月15日 - … 野々川 大介(ののがわ だいすけ、1921年1月15日 - 2019年8月4日)は、日本の実業家。日本メナード化粧品の創業者。愛知県小牧市出身。 1935年に篠岡高等小学校を卒業。1941年に野々川産業を設立し、1950年にダリヤ商事社長を経て、1959年に日本メナード化粧品社長に就任し、1990年には会長に就任。1987年にはメナード美術館を開館させた。 1980年に藍綬褒章を受章し、1991年に勲三等瑞宝章を受章。 2019年8月4日老衰のために死去。98歳没。
宮田 敬助(みやた けいすけ、1921年(大正10年)1月1… 宮田 敬助(みやた けいすけ、1921年(大正10年)1月12日 - 2013年(平成25年)8月9日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。群馬県出身。 海軍大尉で終戦を迎えた後、警察予備隊・保安隊への入隊を経て海上自衛隊に転官し、少年術科学校長、第3護衛隊群司令、第11代護衛艦隊司令官、第17代横須賀地方総監などの要職を歴任した。海上自衛隊における最終階級は海将。 旧制沼田中学校を経て海軍兵学校を第69期で卒業。卒業後は重巡洋艦「那智」に乗組む。その後、重巡洋艦「三隈」乗組みを経て、戦艦「大和」乗組みとなり、太平洋戦争を迎えた。その後、駆逐艦の水雷長等で勤務し、戦争末期には人間魚雷「回天」を運用する部隊に配属され、大神基地で終戦を迎えた。
北田 卓史(きただ たくし 1921年1月12日 - 199… 北田 卓史(きただ たくし 1921年1月12日 - 1992年8月24日)は、日本のイラストレーター。本名、北田孝幸。 東京都に生まれ、東京工業専修学校機械科(今の東京工業大学附属科学技術高等学校)卒業。 児童文学の挿絵を多数描いた。マジックのような単一な線、四角い眼、無機質な表情、大人を描いても手足が短い子供のような頭身などが特徴。 乗り物をテーマにした作品が多い。中でもタクシーが好きで、代表作の一つ「車のいろは空のいろシリーズ」もタクシーの話。卓史は本名でなく、タクシーから命名したとされる。イラスト右下の署名は「TAXI」。 児童美術科連盟会員。1958年と1959年に日本童画会賞、1962年に小学館絵画賞佳作賞を受賞。
木村 勉(きむら つとむ、1921年1月12日 - 生死不明… 木村 勉(きむら つとむ、1921年1月12日 - 生死不明)は、和歌山県出身のプロ野球選手(外野手)。 粉河中学ではエースを務め、1学年下の伊勢川真澄とバッテリーを組んでいた。 1939年に南海軍に投手として入団するが、この年は僅か3試合の出場に留まる。なお、この年は鶴岡一人や岡村俊昭といった、後にコーチや監督として南海黄金期を支える人物も入団している。2年目から外野手に転向すると出場が増加し始め、3年目の1941年には捕手に転向。そこでレギュラーとなるが、その年末に応召。 戦後の1946年に南海改め近畿グレートリングに復帰するも、1年で解雇。翌1947年に国民リーグの唐崎クラウンに数少ないプロ野球経験者として入団。
江見 康一(えみ こういち、1921年(大正10年)1月12… 江見 康一(えみ こういち、1921年(大正10年)1月12日 - 2011年12月22日)は日本の経済学者。財政学専攻。生存科学研究所理事長。一橋大学・帝京大学名誉教授。
三國(三国) 一朗(みくに いちろう、1921年1月12日 … 三國(三国) 一朗(みくに いちろう、1921年1月12日 - 2000年9月15日)は、日本の放送タレント、エッセイストである。
遠藤 正介(えんどう しょうすけ、1921年〈大正10年〉1… 遠藤 正介(えんどう しょうすけ、1921年〈大正10年〉1月12日 - 1977年〈昭和52年〉5月4日)は、日本の官僚、実業家。妻は、遠藤マツ子。遠藤周作は、実弟。ペンネームは吹田紀夫。 鳥取県生まれ。1926年、父常久の転勤(第三国立銀行から安田銀行)で、一家で満洲関東州大連に移る。1935年6月23日、カトリック夙川教会聖テレジア大聖堂で主任司祭永田辰之助神父より兄弟で受洗。1933年、旧制灘中学校に入学。四修で第一高等学校に合格。1942年に東京帝国大学法学部を卒業し逓信省へ入省、1971年に電電公社理事、1973年に総務理事に就任。1977年2月に田村電機製作所社長に内定。趣味は、ゴルフ、観劇。
脇本 平也(わきもと つねや、1921年1月11日- 200… 脇本 平也(わきもと つねや、1921年1月11日- 2008年10月24日)は、日本の宗教学者、東京大学名誉教授(文学部)。 岡山県生まれ。1944年東京帝国大学文学部宗教学科卒業。 立教大学助教授を経て、1964年東京大学文学部助教授(宗教学)就任、70年教授に昇任、81年に定年退官し名誉教授、駒澤大学教授、国際宗教学研究所理事長。 1989年に紫綬褒章受章。94年秋、勲三等瑞宝章受勲。
江幡 修三(えばた しゅうぞう、1921年1月11日 - 2… 江幡 修三(えばた しゅうぞう、1921年1月11日 - 2009年6月3日)は、日本の法曹。検事総長。弁護士。 富山県魚津市出身。旧制富山高等学校を経て、1943年東京帝国大学法学部卒。東京地検総務部長、札幌地検検事正、東京高検検事長などを歴任し、1983年12月から2年間、検事総長。 財田川事件、松山事件の再審無罪判決に対し、控訴見送りを指示した。1976年のロッキード事件では最高検検事として捜査。1979年のダグラス・グラマン事件では、東京地検検事正として捜査を指揮した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
土居 良三(どい りょうぞう、1921年1月11日 - 20… 土居 良三(どい りょうぞう、1921年1月11日 - 2005年5月15日)は、日本の伝記作家。 東京生まれ。第一高等学校、東京帝国大学法学部を卒業。学徒出陣の一員で武山海兵団に入団。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。第二海軍衣糧廠(姫路市)被服部材成部員付兼運輸主任として勤務。1945年(昭和20年)9月に主計中尉に進み、同年10月、予備役に編入され解員(復員)。 戦後は実業界で、テキスタイル・コンサルティング代表取締役等を務めた。 軍艦奉行・木村摂津守(木村芥舟)の従者として咸臨丸に搭乗し、太平洋を渡り渡米した長尾幸作の曾孫で、その航海日誌『鴻目魁耳』を手がかりに、『咸臨丸海を渡る』を著し、1994年に和辻哲郎文化賞受賞。
中川 正文(なかがわ まさふみ、1921年1月11日 - 2… 中川 正文(なかがわ まさふみ、1921年1月11日 - 2011年10月13日)は、日本の児童文学作家、児童文化研究者。財団法人大阪国際児童文学館特別顧問、京都女子大学名誉教授、大阪府立国際児童文学館名誉館長。 京都女子大学教授、日本児童文学学会会長、日本保育学会理事、大阪府立国際児童文学館館長、財団法人大阪国際児童文学館理事長などを歴任した。 奈良県出身。生家は寺院であり、その長男として誕生した。早熟であり、中学生にして習作を手がけるなど、幼いころから創作活動に取り組んでいた。その結果、18歳にして自らの作品で原稿料を得ていた。1949年、龍谷大学文学部国文学科を卒業した。 1949年より京都女子大学に勤務し、同教授を経て、大阪府立国際児童文学館の館長を務めた。
宇佐ノ山 英策(うさのやま えいさく、1921年1月11日 … 宇佐ノ山 英策(うさのやま えいさく、1921年1月11日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。立浪部屋→双葉山道場→時津風部屋所属。本名は永松 英策。最高位は十両9枚目。 大分県宇佐郡四日市町(現宇佐市)出身。立浪部屋に入門し、1938年5月本名の「永松」で初土俵を踏む。同郷で部屋の横綱双葉山が独立し、双葉山道場(のち時津風部屋)を興すと移籍した。1943年5月で十両に昇進したが、一度も勝ち越すことなく最後の十両だった1947年5月で廃業した。
伊藤 慎一(いとう しんいち、1921年1月10日 - 20… 伊藤 慎一(いとう しんいち、1921年1月10日 - 2014年10月20日)は、新聞学者。 神戸市出身。1944年東京帝国大学文学部卒。1947年サン写真新聞入社、1950年日本新聞協会に入り、放送課長、編集課長、調査委員、1970年東京大学新聞研究所教授、76年同所長、81年定年退官、名誉教授、文教大学教授、1988年帝京大学教授。91年退職。
佐野 正一(さの しょういち、1921年(大正10年)1月1… 佐野 正一(さの しょういち、1921年(大正10年)1月10日 - 2014年(平成26年)3月20日)は、日本の建築家。大阪市生まれ。建築家安井武雄は岳父。 1942年(昭和17年)に東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、鉄道省(当時)に入省、海軍技術将校(建築部門)を経て1945年(昭和20年)に復員、運輸省、国鉄などで勤務。1955年(昭和30年)安井建築設計事務所に入社。1961年(昭和36年)同社社長に就任。その他、日本建築協会名誉会長、大阪府建築士事務所協会会長、日本建築士事務所協会連合会名誉会長、日本建築家協会関西支部顧問、建築審議会委員などを歴任。 2014年3月20日午前8時30分、腎臓疾患のため兵庫県西宮市の病院で死去。
助川 良平(すけかわ りょうへい、1921年〈大正10年〉1… 助川 良平(すけかわ りょうへい、1921年〈大正10年〉1月10日 - 1959年〈昭和34年〉6月15日)は、日本の衆議院議員(自由党→自由民主党)。 福島県田村郡片曾根村(船引町を経て現田村市)出身。父は衆議院議員を5期務め、農業政策の専門家として知られた立憲政友会所属の政治家・助川啓四郎。 東京帝国大学法学部政治学科卒業。福島県議会議員を経て1953年の第26回衆議院議員総選挙に自由党公認で立候補し初当選。以降連続3回総選挙に当選した。 父・啓四郎が農政を専門としていたことから、良平も農政のエキスパートとなり、自由党政調会農林部長・自由民主党産業局農林部長等を歴任した。 しかし1959年に入ってから病状が悪化し、福島県立医科大学附属病院に入院する。
飯島 晴子(いいじま はるこ、1921年〈大正10年〉1月9… 飯島 晴子(いいじま はるこ、1921年〈大正10年〉1月9日 - 2000年〈平成12年〉6月6日)は、俳人。 京都府出身、京都府立京都第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)、田中千代服装学院卒。卒業後は服飾関係の仕事に従事。1959年、夫の代理で『馬酔木』の俳句会に出席したことをきっかけに38歳から句作をはじめる。能村登四郎の指導を受け、1960年より『馬酔木』に投句。1964年、『鷹』創刊より同人、代表同人の藤田湘子(のち主宰)を補佐した。1966年、第1回鷹俳句賞を受賞、以後同結社の代表作家として活躍。1970年より現代俳句協会会員。1997年、第六句集『儚々』(ぼうぼう)により第31回蛇笏賞を受賞。
青木 外志夫(あおき としお、1921年1月8日 - 200… 青木 外志夫(あおき としお、1921年1月8日 - 2006年9月6日 )は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。元経済地理学会会長。 孫はメモリーアスリートの青木健。 滋賀県犬上郡彦根町(現・彦根市)生まれ。旧制・滋賀県立彦根中学校(現・滋賀県立彦根東高等学校)を経て、1941年に旧制・彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)を卒業。同年、旧制・東京商科大学(現・一橋大学)に進学するも、1943年12月、学徒出陣により歩兵第一五一連隊に応召。1944年に半年繰上げで卒業となる。1945年9月に歩兵第四四三連隊より復員し、1949年東京商科大学研究科に特別研究生として入学。1954年に同研究科(5年課程)を修了後、一橋大学経済学部助手、専任講師、助教授を経て、1965年に教授昇任。
金 英煥(キム・ヨンファン、김영환、1921年1月8日 - … 金 英煥(キム・ヨンファン、김영환、1921年1月8日 - 1954年3月4日)は、大韓民国の軍人。韓国空軍創設者の1人。父に金埈元。兄に金貞烈。 1921年1月 に生まれる。1939年3月、京畿公立高等学校卒業。卒業後は津田沼飛行学校に入学。1944年、関西大学入学。航空部におり、学生航空の鳥人として有名であったという。1945年、学徒出陣して陸軍予備士官学校に入学。卒業後は砲兵少尉となり咸興地区で終戦を迎えた。 1946年1月、軍事英語学校卒業、任少尉(軍番10016番)。第6連隊の創設に参加して同連隊A中隊長。隊員の多くが共産主義で意見が合わず、ついに集団で殴打される事件が起きると中隊長を辞した。
村上 一平(むらかみ いっぺい、大正10年(1922年)1月… 村上 一平(むらかみ いっぺい、大正10年(1922年)1月8日 - )は、日本の実業家。医療法人 同愛会 博愛病院理事長。ハクアイ社長。裁判所調停委員。 元米子市長野坂寛治は、父常三のいとこにあたる 鳥取県米子市尾高町出身。 啓成小学校、米子中学校(現在の米子東高校)を経て昭和19年(1944年)京都帝国大学経済学部卒業。昭和21年(1946年)米子市国民健康保険組合常務理事。昭和23年(1948年)米子信用金庫勤務、昭和29年(1954年)米子駅前支店長(初代)、昭和33年(1958年)米子西支店長。 昭和36年(1961年)市長である野坂が大山観光開発の社長になったので手伝うために入社する。
岩崎 允胤(いわさき ちかつぐ、1921年(大正10年)1月… 岩崎 允胤(いわさき ちかつぐ、1921年(大正10年)1月7日 - 2009年(平成21年)8月9日)は、日本の哲学者。一橋大学名誉教授。日本平和委員会代表理事、唯物論研究協会委員長等を歴任。 東京市本郷区生まれ。第一高等学校卒、1943年東京帝国大学法学部卒業。1949年東京大学文学部卒業。北海道大学文学部助教授、教授、1973年一橋大学社会学部教授、1980年唯物論研究協会委員長。1984年定年退官、名誉教授、大阪経済法科大学教授。日本平和委員会代表理事等を歴任した。 日本共産党の出隆(のちに共産党を除名)に師事して古代ギリシア哲学を専門としたが、左翼的立場にたち、梅原猛や河合隼雄を批判、また歴史に取材した戯曲や小説も書いた。
久万 俊二郎(くま しゅんじろう、1921年1月6日 - 2… 久万 俊二郎(くま しゅんじろう、1921年1月6日 - 2011年9月9日)は、日本の実業家。 阪神電気鉄道代表取締役社長・会長・取締役相談役、阪神タイガースオーナーを歴任した。 戸籍上の表記は久萬俊二郎。 兵庫県神戸市生まれ、高知県高知市出身。神戸一中、旧制高知高等学校を経て、戦時中の学徒出陣により東京帝国大学法学部を仮卒業後、戦争も熾烈になってきた1945年3月、一個中隊を率いて玉砕寸前まで戦った元海軍将校。 1946年に阪神電鉄入社。1978年取締役就任、1982年社長昇格。1992年から会長。1984年から阪神タイガースのオーナーを、明治大学・一場靖弘の、いわゆる「裏金問題」で辞任するまで20年間にわたり務めた。
黒木 曜子(くろき ようこ、1921年(大正10年)1月6日… 黒木 曜子(くろき ようこ、1921年(大正10年)1月6日 - 1959年(昭和34年)2月18日)は日本の歌手。本名は井関富沙子。
会津 伸(あいづ しん、1921年1月6日 - 2005年1… 会津 伸(あいづ しん、1921年1月6日 - 2005年12月31日)は、日本のドイツ文学者。 東京生まれ。1942年東京帝国大学文学部独文科卒、1949年東北大学文学部助教授、1961年から1963年スイスと西ドイツに学ぶ。1966年神戸大学文学部教授、1971年京都府立大学教授、1984年定年退官、名誉教授、愛知大学客員教授。1991年退職。
山崎 敬(やまざき たかし、1921年1月6日 - 2007… 山崎 敬(やまざき たかし、1921年1月6日 - 2007年2月2日)は日本の植物学者である。 小田原で生まれ、横浜で育つ。旧制新潟高校を経て、1944年に東京帝国大学を卒業した。植物分類学の本田正次の研究室で研究を続けた。1954年から東京大学講師、1972年から東京大学付属植物園助教授、1980年、教授。 1960年代にブータンでの現地調査や、小笠原諸島の学術調査に参加した。ゴマノハグサ科、ツツジ科などの分類群を研究し、早田文蔵の残したインドシナ採集標本の整理をすすめた。 1987年から1988年の間、日本植物分類学会の会長を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
井上 信也(いのうえ しんや、ラテン文字: Shinya I… 井上 信也(いのうえ しんや、ラテン文字: Shinya Inoué、1921年1月5日 - 2019年9月30日)は、日本出身の生物学者、顕微鏡学者。アメリカ合衆国国籍。駐ハンガリー公使井上庚二郎の長男としてイギリス・ロンドンで出生。末妹はピアニストの井上二葉。 細胞生物学における偏光顕微鏡、ビデオ顕微鏡の開祖とされ、著書「Video Microscopy」は、顕微鏡学者必携の名著である。井上以前には存在を疑問視すらされた紡錘体を直接観察することにより、その存在を最終的に証明し、長年にわたる論争に終止符を打った。また、レクチファイ偏光光学系など、偏光顕微鏡をはじめ各種の顕微鏡の革命的な技術を発明・開発してきた。
中田 一次(なかだ かずつぐ、1921年1月5日 - 200… 中田 一次(なかだ かずつぐ、1921年1月5日 - 2001年4月9日)は、日本の作曲家、指揮者、ファゴット奏者。童謡や宗教曲(キリスト教)などの作曲で知られる。筆名は楫山つとむ。 東京府豊多摩郡(後の東京市、現在の東京都渋谷区)出身東京音楽学校卒業。山形大学音楽科教授を経て、昭和音楽大学短期大学部名誉教授も務めた。日本フィルハーモニー交響楽団、東京管楽器協会などでファゴットとコントラファゴットを演奏、晩年は日本ファゴット(バスーン)協会会長を務めた。バッハ等古典作品のダブルリード合奏のための編曲も多く、またNHKラジオ「音楽の泉」テーマ曲として昭和30年代から40年代に流れたシューベルト「楽興の時」の編曲者でもある(番組テーマは後にピアノ独奏のものに変更。
御手洗 玄洋(みたらい げんよう、1921年〈大正10年〉1… 御手洗 玄洋(みたらい げんよう、1921年〈大正10年〉1月5日 - 2015年〈平成27年〉6月28日)は、日本の医学者。名古屋大学名誉教授。宇宙医学と視覚生理学の分野での功績で知られている。1995年(平成7年)、勲三等旭日中綬章受章。大分県佐伯市出身。 私生活では俳句と書道を嗜んだ。肺炎療養中であった俳人の山口誓子と知り合い、俳句を学んだ。 伯父はキヤノン創設者の御手洗毅。弟の御手洗冨士夫はキヤノン会長兼社長を務める。元キヤノン社長の御手洗肇は従兄にあたる。
内藤 初穂(ないとう はつほ、1921年1月3日 - 201… 内藤 初穂(ないとう はつほ、1921年1月3日 - 2011年10月20日)は、日本のノンフィクション作家。帝国海軍技術大尉。父内藤濯は仏文学者で『星の王子さま』の初訳者で著名。
賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日… 賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日 - 1991年〈平成3年〉2月20日)は、日本の女優、演出家。本名は塚原 初子。 文学座に入座して多くの舞台に立ち、地味な老け役で活躍した。喜びの琴事件で文学座を脱退後は劇団NLTを結成してその主宰となり、フランス喜劇の上演に意欲を燃やした。舞台のほか映画、テレビドラマへの出演も多い。メイクアップ技術の研究家としても有名で、入門書を出版している。主な出演舞台に『二十六番館』『島』、映画に『流れる』『女の歴史』など。演出家として『ロマノフとジュリエット』なども発表している。 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市牛込区余丁町(現在の東京都新宿区余丁町)に生まれる。
岡本 則一(おかもと のりかず、1921年 <大正10年> … 岡本 則一(おかもと のりかず、1921年 <大正10年> 1月3日 - 1994年 <平成6年> 6月3日)は、日本の経営者。安田生命保険社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1943年に東京商科大学を卒業し、1946年に安田生命保険に入社。1965年に財務部長に就任し、1969年5月に取締役、1972年12月に常務、1979年7月に専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1985年7月には社長に昇格。1993年4月には会長に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1994年6月3日急性心不全のために死去。73歳没。死没日付をもって正七位から従四位に進階した。
小山 路男(こやま みちお、1921年1月3日 - 1995… 小山 路男(こやま みちお、1921年1月3日 - 1995年1月10日)は、日本の社会保障学者。学位は、経済学博士(関西学院大学)。横浜市立大学経済研究所所長、上智大学社会福祉学科教授、社会保障研究所(現国立社会保障・人口問題研究所)所長などを歴任。 東京府東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。1941年(昭和16年)東京商科大学(現一橋大学)予科卒、1943年(昭和18年)同学部卒、1945年(昭和20年)同大学院特別研究生修了、東京産業大学助手。 1950年(昭和25年)横浜市立大学経済研究所助教授、1964年(昭和39年)教授。 1965年(昭和40年)「イギリス救貧法史論」で関西学院大学より経済学博士の学位を取得。
赤坂 長義(あかさか ながよし / -ちょうぎ、1921年1… 赤坂 長義(あかさか ながよし / -ちょうぎ、1921年1月3日 - 1994年6月26日)は、日本の脚本家、映画監督、テレビドラマ演出家、著述家、大学教官である。日本映像学会会員。 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市神田区小川町(現在の東京都千代田区神田小川町)に、神保町の東京堂(現在の東京堂書店)支配人の子息として生まれる。 旧制・第一高等学校在学時の1940年(昭和15年)に、橋川文三と同級であり、橋川に保田與重郎の『後鳥羽院』等の著作を勧めている。自らも詩作を行い、『歴程』同人であった。第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)、同校を卒業して東京帝国大学(現在の東京大学)文学部に進学した。
神尾季羊(かみお きよう、1921年1月2日 - 1997年… 神尾季羊(かみお きよう、1921年1月2日 - 1997年6月16日)は、俳人。愛媛県松山市出身。本名・匡。神尾久美子は妻。宮崎商業学校卒。宮崎神宮嘱託。1946年『ホトトギス』の高浜虚子に師事。1950年『菜穀美』の野見山朱鳥に師事し同人となる。1954年『椎の実』主催。73年『鷹』の藤田湘子に師事。1971年宮崎県文化賞受賞。宮崎県俳句協会名誉顧問。
有坂 隆道(ありさか たかみち、1921年1月2日 - 20… 有坂 隆道(ありさか たかみち、1921年1月2日 - 2004年6月18日)は、日本の歴史学者、関西大学名誉教授。専門は日本近世史。 1921年、東京生まれ。京都帝国大学文学部史学科で国史を専攻して卒業。1979年に学位論文『日本洋学史の基礎的研究』を関西大学に提出して文学博士の学位を取得。関西大学文学部助教授、後に教授。1992年に関西大学を定年退職し、名誉教授となった。 山片蟠桃や麻田剛立など日本洋学史を研究。古代史研究も行う。
中島 健吉(なかじま けんきち、1921年1月2日 - 20… 中島 健吉(なかじま けんきち、1921年1月2日 - 2011年12月13日)は、日本の実業家。平和の創業者。 群馬県出身。拓殖大学商経済学部を卒業。 1949年に平和商会(のちの平和)を創業し、社長に就任。1992年5月に会長を経て、2003年3月には名誉会長に就任。 1963年に藍綬褒章を受章し、1964年に紺綬褒章を受章。