髙野 宏一郎(たかの こういちろう、1939年4月27日 -… 髙野 宏一郎(たかの こういちろう、1939年4月27日 - )は、日本の政治家。初代新潟県佐渡市長(2期)。 新潟県佐渡市出身。慶應義塾大学商学部卒業。 佐渡テレビジョン代表取締役社長、マルゴ味噌代表取締役社長等を経て、2000年真野町長に就任。 2004年佐渡市初代市長に就任。2期8年務め、2012年任期満了に伴い退任。 現在は「曽我さん母娘を救う会」顧問を務める。
高橋 美徳(たかはし よしのり、1939年4月26日 - 2… 高橋 美徳(たかはし よしのり、1939年4月26日 - 2018年5月23日)は、日本のプロボクサー・プロボクシング・トレーナー経験者、プロモーターである。青森県黒石市出身。現役時代は三迫ボクシングジム所属。階級はウェルター級、2017年3月まで国際ボクシングスポーツジム会長、東日本ボクシング協会副会長兼事務局長も務めた。 青森商業高校では1957年全日本高校選手権ライト級で優勝。 法政大学でも1961年、全日本大学ウェルター級優勝。 同年、三迫ジムに入門し、8月1日の奥山利夫戦でプロデビュー。 2戦目にKO負けを経験したが、その後は17連勝をマークする。 1963年3月9日、ウェルター級の世界ランク入り目指してアメリカの強豪ガーランド・ランドールと対決したが、2回KOに敗れた。
金田一 敦子(きんだいち あつこ、1939年4月26日 - … 金田一 敦子(きんだいち あつこ、1939年4月26日 - )は、日本の元女優。 実業家・金田一国士の孫。従叔祖父に言語学者・民族学者の金田一京助がいる。父は東横百貨店渋谷店長。日本女子大学附属中学校を経て、日本女子大学附属高等学校に入学。1956年、女優をしていた叔母・三宅邦子の勧めで大映ニューフェイス10期生に応募し合格。同高校を2年で中退した。なお、同期には田宮二郎、叶順子、市田ひろみ、毛利郁子らがいた。叶順子、仁木多鶴子とともに大映若手三人娘として売り出された。 1957年4月3日公開の映画『忘れじの午後8時13分』で女優デビュー。1958年11月22日公開の『恋と花火と消火弾』では宇佐ひろ子役で主演した。
本阿弥光洲(ほんあみ こうしゅう、本名:道弘、1939年(昭… 本阿弥光洲(ほんあみ こうしゅう、本名:道弘、1939年(昭和14年)4月26日 - )は、日本の刀剣研師。国宝指定刀剣の研磨を数多く手がけ、文化財の保存にも尽力している。 1939年(昭和14年)東京都に生まれる。1958年(昭和33年)芝高等学校卒業。1962年(昭和37年)國學院大學文学部史学科卒業後、父・本阿弥日洲(人間国宝)に師事し、光意系本阿弥家18代を継ぐ。1971年(昭和46年)研磨技術等発表会(刀剣研磨・外装技術発表会 )無鑑査(現代に至る)。1984年、文化庁より猿投神社の重要文化財太刀行安の研磨、法隆寺聖霊院の国宝卒末呂王所持太刀の研磨修理の監修を委嘱される。その他、東京国立博物館、宮内庁、財団法人永青文庫、京都国立博物館から研磨修理を委嘱される。
古沼 貞雄(こぬま さだお、1939年4月25日 - )は、… 古沼 貞雄(こぬま さだお、1939年4月25日 - )は、東京都出身のサッカー指導者。 東京都立江戸川高等学校を経て、日本大学文理学部体育専修を卒業後、1964年に体育教諭として帝京高校に赴任。 1965年からサッカー部監督に就任し、高校選手権6回、高校総体3回の計9回の全国制覇に導いた。 帝京では木梨憲武ら、数々の部員を指導していた。 本人はサッカーの経験はなかった。 2003年限りで一線を退き、2004年はサッカー部部長、2005年からはJリーグ・東京ヴェルディのアドバイザーに就任。育成・普及面でのサポートを行っている。 2007年に流通経済大学付属柏高等学校、2008年からは矢板中央高等学校でも指導する。
和田 映子(わだ えいこ、1939年4月25日 - )は、日… 和田 映子(わだ えいこ、1939年4月25日 - )は、日本の元競泳選手。愛媛県出身。1956年メルボルンオリンピック・1960年ローマオリンピック日本代表。自由形の元日本記録保持者。 南宇和郡御荘中学校、奈良県立五條高等学校、天理大学卒。 1956年のオリンピック選考会で100m自由形で4位に入り、400mフリーリレー要員としてメルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは400m自由形と400mフリーリレーに出場し、ともに予選落ちだった。 1958年アジア競技大会では400m自由形で3位に入った。 1960年ローマオリンピック日本代表にも2大会連続で選出され、400m自由形と400mフリーリレーに出場した。
高山 俊隆(たかやま としたか、1939年4月25日 - 2… 高山 俊隆(たかやま としたか、1939年4月25日 - 2025年4月21日)は、日本の経営者。三和シヤッター工業会長を務めている。兵庫県出身。 1958年に灘高等学校を卒業後、1959年に同志社大学商学部を中退し、1963年に三和シヤッター工業に入社。 1972年4月に取締役に就任し、1974年4月には常務、1980年4月に副社長を経て、1981年5月に社長に就任。2007年10月には会長に就任し、2009年7月から2010年4月までに再び社長を務め、2019年まで会長を務めた。 2007年10月に三和ホールディングス社長に就任し、2012年4月に会長も兼任し、2014年6月には会長に専任。
渋谷 誠司(しぶたに せいじ、1939年4月24日 - )は… 渋谷 誠司(しぶたに せいじ、1939年4月24日 - )は、青森県弘前市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
能登 芳昭(のと よしあき、1939年〈昭和14年〉4月24… 能登 芳昭(のと よしあき、1939年〈昭和14年〉4月24日 - 2022年〈令和4年〉2月7日)は、日本の政治家。元北海道富良野市長(3期)。位階は従五位。 北海道富良野市出身。北海道富良野高等学校卒業。富良野市役所に入庁。1994年(平成6年)6月、収入役に就任。1998年(平成10年)、助役に就任。2002年(平成14年)、辞職。 2003年(平成15年)4月、富良野市議会議員に初当選。 2006年(平成18年)4月23日に行われた富良野市長選挙に自民党富良野沿線ブロックの推薦を受けて立候補。連合富良野の推薦を受けた元市議の佐々木雅夫を破り初当選を果たした。5月15日、市長就任。 2010年(平成22年)、前回戦った佐々木雅夫を破り再選。
芦刈 幸雄(あしかり ゆきお、1939年〈昭和14年〉4月2… 芦刈 幸雄(あしかり ゆきお、1939年〈昭和14年〉4月24日 - )は、日本の政治家。元大分県豊後大野市長(1期)。 大分県三重町(現・豊後大野市)出身。大分県立三重農業高等学校(現・大分県立三重総合高等学校)卒。卒業後は三重町役場に入り、建設、総務の各課長や助役を経て、三重町長を2期務める。2005年〈平成17年〉三重町は合併で豊後大野市となり、合併後の市長選挙に立候補し、当選する。2009年〈平成21年〉の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、落選した。
曽根 悟(そね さとる、1939年4月23日 - )は日本の… 曽根 悟(そね さとる、1939年4月23日 - )は日本の工学者・鉄道技術者で、工学院大学元教授、東京大学名誉教授、2005年から2013年まで西日本旅客鉄道(JR西日本)社外取締役を務めていた。専門は電気工学・交通システム工学・パワーエレクトロニクス。鉄道に関する著作・発言を広範に行っている。
蒲原 弘幸(かもはら ひろゆき、1939年4月22日 ‐ )… 蒲原 弘幸(かもはら ひろゆき、1939年4月22日 ‐ )は、日本の高校野球指導者。佐賀県出身。4校を甲子園大会に導いている。 佐賀県佐賀市(旧川上村)の生まれ。上京後、東京都立田園調布高等学校に進学。早稲田大学では野球部で三塁コーチを務めた。卒業後は河合楽器硬式野球部に所属したが、教員試験合格後、1964年に佐賀県立佐賀商業高等学校の監督に就任。翌年に第47回全国高等学校野球選手権大会出場に導いたが、スパルタ指導が問題視され辞任。その後、千葉県に移り、千葉県立東金商業高等学校では甲子園に導けなかったが、千葉県立千葉商業高等学校では1970年の第42回選抜高等学校野球大会に導いている。1974年に千葉県立印旛高等学校に移り3度の甲子園出場を果たす。
高見 成昭(たかみ しげあき、男性、1939年4月22日 -… 高見 成昭(たかみ しげあき、男性、1939年4月22日 - )は、愛媛県宇和島市出身の空手家。大山倍達の命により設立された極真会館愛媛県支部長・極真会館(松井派)四国本部長を歴任し、現在は空手道 高見空手の総師。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
中田 光雄(なかた みつお、1939年4月21日 - )は、… 中田 光雄(なかた みつお、1939年4月21日 - )は、日本の哲学研究者、哲学者。筑波大学名誉教授。 東京・小石川生まれ。1944年より群馬県。東京大学教養学部教養学科フランス分科卒、同大学院人文科学研究科比較文学比較文化博士課程中退、パリ大学大学院哲学科博士課程(仏国政府給費招聘留学)修了。Doc.es Lettres(哲学)。筑波大学、助教授、教授、名誉教授。常磐大学、教授。仏国P.Academiques勲章。
織田尚生(おだ たかお、1939年4月21日ー2007年5月… 織田尚生(おだ たかお、1939年4月21日ー2007年5月11日)は、日本の心理学者。 高知県生まれ。鳥取大学医学部卒、1974年同大学院医学研究科修了、「REM期覚醒法による精神分裂病者の夢に関する研究」で医学博士の学位を取得。1984年チューリッヒ・ユング研究所分析家資格取得。東洋英和女学院大学人間科学部教授を務めた。専攻は精神医学、臨床心理学、分析心理学。
大藏 律子(おおくら りつこ、旧姓・中釜(なかがま)、193… 大藏 律子(おおくら りつこ、旧姓・中釜(なかがま)、1939年4月19日 - )は、日本の政治家、市民活動家。元神奈川県平塚市長(2期)、元平塚市議会議員(4期)。 鹿児島県川辺郡万世町小湊(現・南さつま市加世田小湊)に生まる。万世町立小湊小学校、加世田市立小湊中学校(加世田市立万世中学校に統合され現・南さつま市立万世中学校)、鹿児島県立加世田高等学校を経て、1958年鹿児島大学文理学部理学科(現・理学部)に入学し、2年次秋に化学科の専門課程へ進む。1962年、鹿児島大学文理学部を卒業して栗田工業に入社し、横浜市にある中央総合研究所に勤務。入社翌年の春頃から労働組合活動にかかわる。結婚退職後、1967年(昭和42年)3月に平塚市に転居。
重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月… 重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月18日 - )は、日本のエッセイスト、食味評論家。 東京生まれ。東京都立戸山高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。朝日新聞社に入り、編集委員、常磐大学人間科学部教授(ジャーナリズム論)を経て、文芸ジャーナリスト。「週刊朝日」在籍中に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一といった作家たちの担当編集者を務めた。食や酒に関する随筆を主に手がける。
小林 秀司(こばやし しゅうじ、1939年4月17日 - )… 小林 秀司(こばやし しゅうじ、1939年4月17日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県出身。 岡谷工業高校時代にはインターハイ10000mで3連覇を達成。明治大学在学時の1960年スコーバレーオリンピックに出場、1500m34位、5000m24位、10000m21位だった。
戸梶 正夫(とかじ まさお、1939年4月17日 - )は兵… 戸梶 正夫(とかじ まさお、1939年4月17日 - )は兵庫県神戸市長田区出身の元プロ野球選手(捕手)。
奥島 孝康(おくしま たかやす、1939年4月16日 - 2… 奥島 孝康(おくしま たかやす、1939年4月16日 - 2024年5月1日)は、日本の法学者。位階は従三位、勲章は瑞宝大綬章。 専門は会社法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1976年、学位論文『現代会社法における支配と参加-現代フランス会社法研究』)。大野實雄(早稲田大学名誉教授)門下。 早稲田大学名誉教授、早稲田大学第14代総長(1994年11月 - 2002年11月)、白鷗大学第5代学長(2013年4月 - 2021年3月)、日本高等学校野球連盟第6代会長、ボーイスカウト日本連盟第10代理事長(2010年 - 2020年)、ボーイスカウト日本連盟第9代総長、元埼玉県公安委員会委員長を歴任した。
2代目水谷 八重子(みずたに やえこ、1939年(昭和14年… 2代目水谷 八重子(みずたに やえこ、1939年(昭和14年)4月16日 - )は、日本の女優、歌手、演出家、エッセイスト。本名、松野 好重(まつの よしえ)。
小出 義雄(こいで よしお、1939年4月15日 - 201… 小出 義雄(こいで よしお、1939年4月15日 - 2019年4月24日)は、陸上競技の元選手。佐倉アスリート倶楽部代表取締役。マラソン・中長距離選手の指導者。順天堂大学客員教授。千葉県佐倉市出身。 大きなサングラスが特徴で、小出正子は実子。高橋健一は婿にあたる。 千葉県立山武農業高等学校卒業後、家業の農業に従事していたが、陸上競技への思いを断ち難く出奔。小出の語るところによると、「電話工事のアルバイトや工事現場の作業員をやりながら食いつなぎ、昭和高圧(現在の高圧昭和ボンベ)駅伝部で競技を続けた」後に苦学の末、22歳で順天堂大学体育学部に入学。箱根駅伝に3年連続出場(1年時の第38回は5区区間10位、2年時の第39回は8区区間3位、3年時の第40回は8区区間5位)。
郷 通子(ごう みちこ、1939年4月15日 - )は、日本… 郷 通子(ごう みちこ、1939年4月15日 - )は、日本の生物学者 ・生物物理学者。元お茶の水女子大学学長。名古屋大学名誉教授。元日本生物物理学会会長。理学博士(名古屋大学・1967年)(学位論文「生体高分子の統計力学とそれのポリヌクレオチドの融解転移への応用」)。 タンパク質の分子進化を研究。エクソン・イントロン構造の研究(GO Plot)からタンパク質の立体構造の単位であるモジュールの概念を初めて提唱した。 夫は生物物理学者で京都大学名誉教授の郷信広。 福岡県生まれ。1958年東京都立両国高等学校卒業。1962年お茶の水女子大学理学部物理学科卒業、1967年名古屋大学大学院理学研究科博士課程物理学専攻修了。
吉川 淳(よしかわ あつし、1939年4月14日 - )は、… 吉川 淳(よしかわ あつし、1939年4月14日 - )は、日本の経済学者、元経済企画審議官。大阪学院大学経済学部名誉教授。奈良県出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
松尾 武(まつお たけし、1939年4月14日 - )は、元… 松尾 武(まつお たけし、1939年4月14日 - )は、元NHK所属のテレビドラマのディレクター・プロデューサー。 1962年NHKに入局、1997年に理事に就任、1999年に専務理事・放送総局長に就任する。2001年の退任後には日本放送出版協会の社長に就任する。第14、15期著作権審議会委員。日本映画テレビプロデューサー協会監事。
小川 敏明(おがわ としあき、1939年4月13日 - )は… 小川 敏明(おがわ としあき、1939年4月13日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
勝山 正嗣(かつやま まさつぐ、1939年4月12日 - )… 勝山 正嗣(かつやま まさつぐ、1939年4月12日 - )は、日本の元文部官僚。元鈴鹿工業高等専門学校校長。 1963年大阪工業大学工学部建築学科を卒業し、同年に文部省(現在の文部科学省)入省(技官)。旧文教施設部(現文教施設企画部)技術課管理官、計画課施設企画官、技術課長、指導課長、東京外国語大学事務局長、山形大学事務局長を経て、1996年7月より文部省大臣官房文教施設部長。1998年7月より鈴鹿工業高等専門学校校長。2004年5月より文教施設協会専務理事。公共建築協会理事(非常勤)。 2010年春の殊勲に於いて、瑞宝中綬章を受章。
岡本 宏(おかもと ひろし、1939年4月10日 - )は、… 岡本 宏(おかもと ひろし、1939年4月10日 - )は、日本の医学者、東北大学監事・名誉教授、医学博士(京都大学)。研究の中心は細胞の生死のメカニズムを解明することであり、特にインスリンを産出する膵臓細胞が壊れる仕組みを解明したことで知られる。瑞宝中綬章受章、日本学士院賞受賞。 古書の蒐集が趣味で、ニューヨークの古書店から約300万円で購入した種の起源の初版本を、東北大学附属図書館が百周年を迎えるのに合わせて寄贈した。
安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1… 安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1939年4月8日 - )は、茨城県土浦市出身(兵庫県西宮市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 兵庫県西宮市平松町で出生後に、実父の転勤で土浦市内に転居。土浦一高進学後は、2年次の1956年まで木内幸男監督の指導を受け、3年次の1957年夏に遊撃手兼控え投手として夏の甲子園へ出場。山本秀一を擁する県和歌山商との初戦に勝利したものの、高木守道を擁する県岐阜商の前に完封負けを喫した。 高校卒業後は1958年に慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、3年次の1960年秋季リーグの早慶六連戦では一番打者、遊撃手として活躍。
荒木 芳久(あらき よしひさ、1939年4月8日 - )は、… 荒木 芳久(あらき よしひさ、1939年4月8日 - )は、日本の男性脚本家。主にテレビアニメを手がけた。 東京府出身。東京都立大森高等学校放送同好会および日本大学芸術学部で脚本などの作劇を学び、卒業後は東映の脚本家に師事しテレビドラマを手掛ける傍ら、系列の東映動画の作品 ひみつのアッコちゃんの制作現場に呼ばれる。その後もフリーとして各社で仕事を重ね、日本サンライズにおいては『無敵超人ザンボット3』、『無敵鋼人ダイターン3』、『機動戦士ガンダム』、『戦闘メカ ザブングル』を始めとする富野由悠季監督作品や『無敵ロボ トライダーG7』や『最強ロボ ダイオージャ』等の作品を手がけた。
長友 啓典(ながとも けいすけ、1939年4月8日 - 20… 長友 啓典(ながとも けいすけ、1939年4月8日 - 2017年3月4日)は、日本のグラフィックデザイナー。東京造形大学客員教授。 大阪府大阪市阿倍野区に生まれる。大阪府立天王寺高等学校卒業後、浜松市に本社を置く鉄工所に旋盤工としての勤務を経て上京し、倉庫番、機械の修理工など職を転々とする。 20歳の時、当時勤務していた会社の社長の息子がアメリカ帰りのグラフィックデザイナーだったことから、当時桑沢デザイン研究所を紹介され、ここで恩師・田中一光に出会うと共に、田中からエディトリアルデザインを学ぶ。日宣美の入選を経て、田中に早川良雄を紹介され、早川の下で色彩感覚を身につける。またここでのちにK2を設立することになる黒田征太郎と出会う(のちに黒田は武者修行として一年半の間、ニューヨークへ渡る)。
東京 ぼん太(とうきょう ぼんた、1939年4月7日 - 1… 東京 ぼん太(とうきょう ぼんた、1939年4月7日 - 1986年10月14日)は、日本の芸人、歌手、漫談家。栃木県出身。トレードマークは唐草模様の風呂敷。本名は中山孝一。 作新学院で野球をやっていたが、肘のケガで中退する。コメディアンを志して上京した。芸名の由来は「東京の上野駅に着いた時にボーンと鐘が鳴った」ことが芸名のヒントになったといわれる。キャバレーなどを転々とした後に、1960年頃から寄席に出演。1963年からは唐草模様の風呂敷包みを背負ってテレビに登場して「夢もチボーもないね」「イロイロあらあな」など、栃木訛りを誇張したギャグで人気を博した。 レコードも発売しており「マアいろいろあらァな」は、20万枚のヒットとなった。
大城 伸彦(おおしろ のぶひこ、1939年〈昭和14年〉4月… 大城 伸彦(おおしろ のぶひこ、1939年〈昭和14年〉4月7日 - )は、日本の政治家。元静岡県伊豆市長(1期)。 明治大学工学部卒。東芝に入り、東芝テック三島工場長などを務めた。2001年静岡県修善寺町長に当選。2004年修善寺町は近隣3町と合併し、伊豆市が誕生。合併後の市長選挙に当選した。市長を1期務める。2008年退任した。
岸 香織(きし かおり、1939年〈昭和14年〉4月6日 -… 岸 香織(きし かおり、1939年〈昭和14年〉4月6日 - 2012年〈平成24年〉6月5日)は、宝塚歌劇団卒業生、宝塚歌劇団公演編成会議議員。本名は岸本理恵子(きしもと りえこ)。 公称身長156cm。愛称は「キッシャン」(姓に由来)。後輩の大方からはキシモトさんと呼ばれていた。 大阪府大阪市出身、大谷高等学校出身。 1957年、宝塚音楽学校入学。1959年、45期生として、宝塚歌劇団入団。宝塚入団時の成績は57人中26位。雪組公演『花田植え/ラブリーロマンス』で初舞台。のちに雪組に配属される。同期生には、高城珠里(元星組男役)、八汐路まり(元月組主演娘役)、藍葉子(野坂昭如と結婚、娘は花景美妃・愛耀子)など。
飯塚 真(いいづか しん、1939年4月6日 - )は、日本… 飯塚 真(いいづか しん、1939年4月6日 - )は、日本の銀行家。 茨城県出身。1964年に東京大学農学部を卒業し、同年に足利銀行に入行。1992年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務、1998年11月に専務を経て、2000年6月には頭取に就任。2002年6月から2005年2月までに特別顧問を務めた。
山下 典子(やました のりこ、1939年4月5日 - )は、… 山下 典子(やました のりこ、1939年4月5日 - )は、日本のエッセイスト、アドバイザー、コメンテイター。ミス日本コンテスト関東大会委員長、山下塾主宰者。元夫は脚本家のジェームス三木。息子は俳優の山下規介。公認候補者として所属した自由連合では政策審議会審議委員を務めた。 本名、山下憲子。満洲国三江省で生まれる。1955年、岩手県立盛岡商業高等学校入学。上京後、文化服装学院在学中に三木と知り合い、1960年3月1日に結婚。ジェームス三木事務所を設立、20年間にわたって三木の秘書を務める。三木との間に二男一女を生む。 1988年秋、ごま書房から『女房学入門』を出版。この本の中で、三木の浮気相手が押しかけてきても慌てず騒がず、三木への電話の取次ぎまでした体験を語る。
潮谷 義子(しおたに よしこ、1939年4月5日 - )は、… 潮谷 義子(しおたに よしこ、1939年4月5日 - )は、日本の政治家。元熊本県知事(公選第15・16代)。 同じ2000年に大阪府知事に初当選した太田房江に続く日本で2人目の女性知事として知られた。日本福音ルーテル教会熊本教会会員でもあり、知事選告示日には出陣式を兼ねて当選祈願礼拝が行なわれた。 佐賀県出身。佐賀県立佐賀高等学校(現佐賀西高校・佐賀北高校・佐賀東高校)、日本社会事業大学社会福祉学部卒業。 佐賀県、大分県で社会福祉主事を務め、その後熊本県の慈愛園乳児ホームの園長を務める。 1999年、当時の熊本県知事であった福島譲二に福祉関連政策のブレーンとして副知事に抜擢される。民間登用の女性副知事として、にわかに県民の注目を浴びていたところ、翌2000年2月25日に福島知事が急死。
塩田勉(しおた つとむ、1939年4月5日- )は、日本の英… 塩田勉(しおた つとむ、1939年4月5日- )は、日本の英文学・言語学者、早稲田大学名誉教授。 東京府(現中野区)生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。英国、フランスの大学で応用言語学を研究。ニュージーランドのカンタベリー大学講師、早稲田大学語学教育研究所教授を経て、所長。2004年早稲田大学国際教養学部教授を務め、2010年退職、名誉教授。専攻は文体論と英語教育。
高島平吾(たかしま へいご、1939年4月5日- 2024年… 高島平吾(たかしま へいご、1939年4月5日- 2024年1月6日)は、日本の編集者・翻訳家。 兵庫県出身。本名・福住治夫。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒。美術出版社勤務。1971~73年『美術手帖』編集長。のち『あいだ』編集長。
村田 耕一(むらた こういち、本名:村田 清照(むらた きよ… 村田 耕一(むらた こういち、本名:村田 清照(むらた きよてる)、1939年4月5日 - 2006年11月7日)は、日本のアニメーター。有限会社オープロダクション代表取締役。新潟県柏崎市出身。 1970年5月、塩山紀生、小松原一男、米川功真と共にOH!プロダクション(以下、OH!プロ)を設立する。OH!プロでは、東映動画班と東京ムービーの子会社であったAプロダクション班(現在のシンエイ動画の前身)に分かれて二社の作品を製作していたが、村田はAプロ班の中心アニメーターとして、原画、作画監督などを務め、多くの作品に取り組んだ。また、OH!プロ代表取締役として同社の経営に当たった。 村田はAプロ班のアニメーターとして同社の作品にかかわる中で、高畑勲、宮崎駿らと深い関係を築き、二人の作るアニメ映画やテレビアニメに参加し、作画監督として活躍した。
畠山 みどり(はたけやま みどり、1939年4月5日 - )… 畠山 みどり(はたけやま みどり、1939年4月5日 - )は日本の演歌歌手。本名は千秋 みどり(せんしゅう みどり)。北海道士別高等学校卒業。 北海道稚内市出身。北海道士別高校卒業後、デザイナーを志し上京し文化服装学院に入学するも、幼少時からの歌手の夢が棄て難く退学。古賀政男ギター学院へ入学し、レッスンに励む。一時は練習生として大橋節夫とハニー・アイランダースでハワイアンを歌っていた。 1960年、素人のど自慢番組『トップライトショウ』(ニッポン放送)で優勝したことでレコード会社の関係者の目に入り、日本コロムビアに入社。入社後1年4ヶ月間、船村徹のもとでレッスンに通うかたわら、島倉千代子らコロムビアの看板歌手の前座を務めたのち、1962年に「恋は神代の昔から」でデビュー。
田中 裕康(たなか ひろやす、1939年4月4日 - 201… 田中 裕康(たなか ひろやす、1939年4月4日 - 2017年8月3日)は、福島県出身のプロ野球選手。 磐城高校から中央大学を経て1962年に中日ドラゴンズへ入団。1965年に引退。
青山 善充(あおやま よしみつ、1939年4月4日 - )は… 青山 善充(あおやま よしみつ、1939年4月4日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法・民事手続法。東京大学名誉教授。公益財団法人日本スポーツ仲裁機構評議会会長。長野県高遠町(現・伊那市)出身。三ヶ月章門下。弟子に松下淳一、大橋眞弓、貝瀬幸雄など。
及川 正通(おいかわ まさみち、1939年4月4日 - )は… 及川 正通(おいかわ まさみち、1939年4月4日 - )は、日本のイラストレーターである。東京イラストレーターズ・ソサエティ会員。 旧関東州・大連生。横須賀高等学校定時制卒業後、16歳で横須賀市のデパートさいか屋に入社し、ポスターのデザイナーとして9年間勤務。1963年「SOULS OF NEGRO」を日宣美展に出展し入選したのを機にプロのデザイナーとしてデビュー。 その後主婦と生活社に4年間勤務後、1968年にフリーとなり横尾忠則と共同事務所「ジ・エンドスタジオ」を立ち上げ、天井桟敷のポスターなどを手がける。1972年「平凡パンチ」に連載した“ドッキリメント劇画”などで注目を浴びる。 1975年から、書籍・プレイガイド(チケットぴあ)会社のぴあが運営する情報雑誌「ぴあ」の表紙を担当し続け、2007年、「同じ雑誌の表紙イラスト画家として世界一長いキャリアを持つ人物」ということで、ギネス世界記録に登録された。
石川 達紘(いしかわ たつひろ、1939年〈昭和14年〉4月… 石川 達紘(いしかわ たつひろ、1939年〈昭和14年〉4月4日 - )は、日本の元検察官、元弁護士(2023年5月15日付で法曹資格を喪失)。 山口県出身。1958年下松工業高校工業化学科卒業。1962年中央大学法学部を卒業後、同年に23歳で司法試験合格。司法修習生17期を経て、1965年に検事任官。任官同期に原田明夫(検事総長)ら。 1982年東京地検特捜部副部長に就任。岡田茂の三越事件、リッカー事件、平和相互銀行事件、新薬スパイ事件、撚糸工連事件などに関わる。 1986年10月、河井信太郎以来、私立大学出身者としては2人目の法務省刑事局刑事課長に就任。 その後、法務省大臣官房会計課長を経て、1989年に東京地検特捜部長に就任し、金丸信の巨額脱税事件、ゼネコン汚職事件などを指揮した。
湯野川 孝夫(ゆのかわ よしお、1939年4月3日 - 20… 湯野川 孝夫(ゆのかわ よしお、1939年4月3日 - 2003年11月26日)は、日本の自動車技術者、実業家。元豊田工機代表取締役社長。 山形県米沢市出身。山形県立米沢興譲館高等学校を経て、1962年東北大学工学部機械工学科卒業。トヨタ自動車で開発に携わり、トヨタ自動車工業労働組副執行委員長等を経て、1992年には石坂芳男、白水宏典らとともに取締役に昇格した。豊田工機常務取締役、豊田工機代表取締役副社長を経て、2000年からは豊田工機代表取締役社長を務めていたが、2003年に出張先の東京都内のホテルで死亡しているのが発見され、覚王山日泰寺で社葬が行われた。
東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 20… 東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 2016年5月)は、日本の洋画家、歌手。二科会絵画部会員。 1939年に画家・東郷青児の長女として生まれる。立教女学院に在学。 1956年には、画家として二科展に初入選する一方で、歌手としてもデビューを果たし、ソロでジャズを歌い、朝丘雪路、水谷良重とトリオ「七光り三人娘」を組んでステージに立つこともあった。1958年の第9回NHK紅白歌合戦では、水谷良重、沢たまきとのトリオで「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」を歌っており、この時の音声が現存している。 1960年、勉学に専念するため、絵と歌を中断し、単身渡米しカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学する。
櫻井 武次郎(桜井 武次郎、さくらい たけじろう、1939年… 櫻井 武次郎(桜井 武次郎、さくらい たけじろう、1939年4月3日 - 2007年1月22日)は、日本の国文学者。神戸親和女子大学名誉教授。近世文学、特に俳諧が専門。 大阪府豊能郡(現豊中市)出身。高野山大学文学部卒業。園田学園女子大学助教授、親和女子大学助教授、神戸親和女子大学教授、名誉教授。 2002年「奥の細道の研究」で、早稲田大学より博士(文学)の学位を取得。 2007年1月22日、筋萎縮性側索硬化症のため死去。67歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
いわむら かずお(本名:岩村 和朗〈読み同じ〉、1939年4… いわむら かずお(本名:岩村 和朗〈読み同じ〉、1939年4月3日 - 2024年12月19日)は、日本の絵本作家。代表作に『14ひきのひっこし』などの「14ひきのシリーズ」。 東京都足立区に生まれる。6人兄弟で育ち、5歳の時に兄と2人で秋田県の祖父母の家に疎開。戦後東京に戻り、杉並区の8畳一間の借家で8人暮らしをした。 1958年(昭和33年)に東京都立西高等学校、1964年(昭和39年)に東京芸術大学美術学部工芸科を卒業。サラリーマン生活を経て1970年(昭和45年)『ぷくぷくの絵本』で絵本作家デビュー。1975年(昭和50年)、36歳のときに栃木県芳賀郡益子町に移住、畑を耕しながら創作活動を続ける。
木村 充(きむら みつる 1939年(昭和14年)4月3日 … 木村 充(きむら みつる 1939年(昭和14年)4月3日 - 1998年(平成10年)5月1日)は、日本の栃木県芳賀郡益子町の「益子焼」の陶芸家である。 益子焼の陶芸家である木村一郎の長女である滋子と結婚し、木村家に婿養子として入り、義父である木村一郎に師事し、木村一郎の逝去後に「木村窯」を2代目として引き継いだ。 1939年(昭和14年昭和14年)4月3日、栃木県塩谷郡藤原町(現・日光市)に生まれる。 栃木県立今市高等学校を卒業後、鬼怒川温泉の元湯共同組合の専務を務めていたが、その一方でちゃんちゃんこを着て鬼怒川温泉街をふらついており「鬼怒川温泉の風来坊」と渾名されていた。 そんな時に、益子焼の陶芸家である木村一郎の長女・滋子との縁談が持ち込まれた。