小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静… 小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。内野手。
1930年代生まれ:11,995人
小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静… 小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。内野手。
町田 章(まちだ あきら、1939年2月5日 - 2011年… 町田 章(まちだ あきら、1939年2月5日 - 2011年7月31日)は、考古学者。独立行政法人文化財研究所理事長。前奈良国立文化財研究所所長。 1939年、香川県善通寺市生まれ。1962年に関西大学文学部を卒業した後、立命館大学大学院に進み、東洋思想専攻修士課程で学ぶ。1964年に大学院を修了。卒業後は奈良国立文化財研究所に入所し、数々の遺跡発掘調査に携わった。特に1988年に長屋王家木簡を発掘したことが知られる。日本考古学協会、日本考古学会、考古学研究会に所属した。また奈良国立文化財研究所の平城宮跡発掘調査部長や文化庁文化財鑑査官などの要職を務めた。2011年7月31日、肺がんのため奈良市の自宅で死去。
西坂 徹雄(にしざか てつお、1939年2月5日 - 202… 西坂 徹雄(にしざか てつお、1939年2月5日 - 2022年2月14日)は、日本の実業家。総合商社の丸紅の元専務取締役。 1961年、滋賀大学経済学部を卒業。同年、丸紅飯田(現:丸紅)に入社した。丸紅ではプラント関連部門を歩み、プラント本部長を務めた。 1993年6月、丸紅の取締役に就任。1996年6月には常務取締役、1997年6月には専務取締役に昇任した。2001年6月に同社専務取締役を退任し、同社顧問となった。 丸紅退任後、2002年7月に有限会社ケエイ・エヌ・コンサルティング代表取締役に就任した。2012年4月、ストリームの社外取締役に就任した。 2022年2月14日、死去。83歳没。
中野 稔(なかの みのる、1939年2月5日 - 2021年… 中野 稔(なかの みのる、1939年2月5日 - 2021年4月4日)は、日本の光学合成技師。円谷プロダクション、日本現代企画を経て、デン・フィルム・エフェクトに所属していた。東京都出身。 日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科出身。同期には佐川和夫、東條昭平、坂本太郎がいた。 1972年、高野宏一、飯塚定雄と共に「デン・フィルム・エフェクト」を設立。 2016年、文化庁映画賞受賞。 2021年4月4日、肝不全のため死去。82歳没。
角田 紘一(つのだ こういち、1939年〈昭和14年〉2月5… 角田 紘一(つのだ こういち、1939年〈昭和14年〉2月5日 - 2014年〈平成26年〉1月14日)は、日本のアニメーター。教授や講師として世界各国で後進の育成に励んだ。 1939年(昭和14年)2月5日、北海道釧路市に生まれる。1963年(昭和38年)、武蔵野美術大学油絵科を卒業した後、同年に東映動画へ入社した。同社では『デビルマン』、『マジンガーZ』、『銀河鉄道999』、『サイボーグ009 超銀河伝説』、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』、『オーディーン 光子帆船スターライト』、『トランスフォーマー ザ・ムービー』などの原画、作画監督、キャラクターデザインを手掛けるなど数多くのアニメーション制作に携わった。
戸田 忠男(とだ ただお、1939年〈昭和14年〉2月4日 … 戸田 忠男(とだ ただお、1939年〈昭和14年〉2月4日 - 2016年〈平成28年〉12月22日)は、日本の剣道家。剣道範士八段。昭和37年と39年に全日本選手権を制した。 日本の二刀流の第一人者としても知られる。 1939年(昭和14年)、滋賀県生まれ。6歳で終戦を経験し、中学3年まで学校武道が禁止された中で育つ。 インターハイが復活した1954年(昭和29年)に大阪の今宮高校に進学。1955年、1956年と続けてインターハイに出場し、近畿大会では個人団体ともに優勝した。 慶應義塾大学法学部政治学科に進学後、当時剣道部師範をしていた中野八十二から指導を受け、上段を構えるようになる。在学中は日本一になれなかったが、卒業した年に戸田の後輩たちが全日本学生大会で初優勝を果たした。
足立 直樹(あだち なおき、1939年2月3日 - )は、日… 足立 直樹(あだち なおき、1939年2月3日 - )は、日本の実業家。凸版印刷代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。 1939年2月23日生まれ、静岡県袋井市出身。1958年3月、静岡県立磐田南高等学校卒業。1962年3月、中央大学法学部法律学科卒業。1962年4月、凸版印刷株式会社入社。2000年6月、常務取締役、専務取締役、代表副社長などを歴任した後、凸版印刷株式会社代表取締役社長に就任。2010年6月、社長を金子眞吾に譲り、凸版印刷株式会社代表取締役会長に就任。2012年5月、印刷工業会会長に就任。2012年6月、日本印刷産業連合会会長に就任。2019年6月、凸版印刷特別相談役に就任。
賀来 弓月(かく ゆづき、1939年2月3日 - )は、日本… 賀来 弓月(かく ゆづき、1939年2月3日 - )は、日本の外交官・評論家。ウィニペグ総領事、チェンナイ総領事、ムンバイ総領事を歴任した。 愛知県生まれ。1960年名古屋大学法学部在学中に外交官上級試験に合格。1961年外務省入省、オックスフォード大学修士課程に留学(国際関係論、国際法、EC法専攻)。 在英国日本国大使館、在ジュネーブ政府代表部、在ブラジル日本国大使館、在ニューヨーク日本国総領事館勤務を経て、外務省経済局国際経済第一課長、在デンマーク日本国大使館参事官、防衛庁防衛研究所、在イタリア日本国大使館公使、国際農業開発基金(IFAD)日本政府代表理事、在ブラジル日本国大使館公使、在ウィニペグ総領事、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1992-1994年東西センター(米議会設置シンクタンク)客員上席研究員兼所長特別顧問、在マドラス総領事、ボンベイ総領事。
町田 祥子(まちだ ようこ、1939年2月2日- )は、日本… 町田 祥子(まちだ ようこ、1939年2月2日- )は、日本の女優。本名は同じ。 東京都豊島区巣鴨出身。十文字高等学校卒業。プロモーション・プラスワンに所属していた。 1956年に「ミス松竹」に選ばれ、松竹に入社。 翌1957年に映画「土砂降り」でデビュー。 1968年に劇団欅に参加。 特技は日本舞踊、清元。
黒獅子 勇蔵(くろじし ゆうぞう、1939年2月2日 - 没… 黒獅子 勇蔵(くろじし ゆうぞう、1939年2月2日 - 没年不明)は、大阪府泉南郡岬町出身で、二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は尾崎 勇(おざき いさむ)。最高位は東前頭12枚目(1963年9月場所)。現役時代の体格は174cm、95kg。得意手は右四つ、寄り。 岸和田市立産業高校在学時は、相撲部で活躍した。高校を卒業後上京し、元大関・佐賀ノ花が率いる二所ノ関部屋に入門。1957年3月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名でもある「尾崎」。 体格には余り恵まれていなかったが、速攻と寄りを武器に着実に出世し、1962年9月場所で十両に昇進した。そして同場所より「黒獅子」に改名したが、この四股名の名付け親は同部屋の横綱・大鵬や弟弟子の麒麟児(後の大関・大麒麟)の時と同じく、二所ノ関親方(元・佐賀ノ花)であった。
百済 徳男 (くだら とくお、1939年2月2日 - )は、… 百済 徳男 (くだら とくお、1939年2月2日 - )は、日本の実業家。丸大食品株式会社代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。 広島県出身。1957年私立呉港高校卒業。1960年丸大食品入社。1970年購買部長。1973年取締役に昇格。1981年常務取締役。2001年から代表取締役社長を務め、ハム・ソーの価格競争が進むなか、コスト削減やキャンペーンによる収益改善にあたり、妖怪ウォッチとのコラボレーションなども行った。2019年代表取締役会長。
岡光 序治(おかみつ のぶはる、1939年(昭和14年)2月… 岡光 序治(おかみつ のぶはる、1939年(昭和14年)2月1日 - )は、日本の官僚。厚生事務次官を経て、収賄罪で懲役。出所後、ウィーティービーフーズ株式会社を設立し、同社社長や会長を務める。 広島県呉市出身。呉海軍工廠に勤務していた父親が、岡光1歳の時に亡くなり、親ひとり子ひとり、女手ひとつで育てられ、苦学して広島県立呉三津田高等学校に進学、東京大学法学部卒業後、1963年(昭和38年) 厚生省に入省した。社会局援護課に配属された。厚生省を選んだ理由は、子供の頃、呉の実家近くに岸信介らが設立した東洋パルプの工場があり、大量の汚水を瀬戸内海に流す光景が頭から離れず、豊かで美しい瀬戸内海を取り戻したいという思いからだという。
牛島 定信(うしじま さだのぶ、1939年2月1日 - )は… 牛島 定信(うしじま さだのぶ、1939年2月1日 - )は、日本の医学者・精神科医・精神分析家。学位は、医学博士(九州大学・課程博士・1970年)。福岡大学医学部教授・東京慈恵会医科大学教授・東京女子大学教授等を歴任。
白井 捷一(しらい しょういち、1939年2月1日 - 20… 白井 捷一(しらい しょういち、1939年2月1日 - 2025年2月20日)は、日本の政治家。元北海道長万部町長(2期)。愛知県豊橋市出身。町長在任時はまんべくんが人気があったためファンの間で”長万部超長という愛称で親しまれていた。 戦後開拓農家として長万部町で育つ。長万部町立双葉中学校(現・長万部町立長万部中学校)卒業。長万部農業協同組合(現・新函館農業協同組合)の参事を務めていた1995年4月23日、長万部町議会議員選挙に初当選した。以後、1999年、2003年にも当選した。2003年5月に議長就任。 2006年7月23日の長万部町長選挙において当選、町長に就任した。※当日有権者数:5,726人 最終投票率:84.09%(前回比:-pts) 前回と同じ構図になったが、2010年7月18日に再選を果たした。
金子 譲(かねこ ゆずる、1939年2月 - )は、日本の歯… 金子 譲(かねこ ゆずる、1939年2月 - )は、日本の歯科医師・歯学者。元東京歯科大学理事長、元学長。 元東京歯科大学歯科麻酔学講座教授。元日本歯科麻酔学会理事長。 神奈川県横浜市出身。1964年に東京歯科大学、1968年に同大学院修了後、同大学歯科麻酔学講座にて助手、講師、助教授を務め、1987年より教授に就任。2004年より2011年まで東京歯科大学学長、2011年より2014年まで同理事長。 1968年 東京歯科大学より歯学博士の学位を取得、学位論文の題は「骨折ならびに骨髄炎における血管像の変化に関する実験的研究」。 業績集:金子 譲名誉教授の歯科麻酔と業績 editor 福田謙一、東京歯科大学歯科麻酔学講座
石崎 允(いしざき まこと、1939年2月 - 2009年8… 石崎 允(いしざき まこと、1939年2月 - 2009年8月3日)は、日本の医学者。腎臓透析を専門とする。CAPD仙台カテーテルを開発した。 宮城県遠田郡小牛田町(現・美里町)に生まれる。小牛田町立小牛田中学校、宮城県古川高等学校を経て、東北大学医学部卒業。東北大学講師を経て仙台社会保険病院に勤務し、腎不全患者のために腎移植を推進すると共に、人工透析の技法を開発した。
新家 憲(あらや けん、1939年2月 - 2023年6月2… 新家 憲(あらや けん、1939年2月 - 2023年6月25日)は、日本の農学者・工学者。専修大学名誉教授。元専修大学北海道短期大学学長。農学博士(北海道大学)・工学博士(東京電機大学)。北海道函館市出身 1962年北海道大学農学部農業工学科卒業。1962年三菱重工業京都製作所京都製作所エンジン設計部門勤務。1969年本田技術研究所汎用開発課エンジン設計部門勤務。1971年専修大学美唄農工短期大学農業機械科講師。1972年同助教授。1980年専修大学北海道短期大学農業機械科教授。1987年専修大学北海道短期大学環境科学研究所教授。後に、専修大学北海道短期大学環境科学研究所所長。2005年専修大学名誉教授。
田中 千香士(たなか ちかし、1939年1月31日 - 20… 田中 千香士(たなか ちかし、1939年1月31日 - 2009年1月19日)は、日本のヴァイオリニスト、音楽教育家。父はヴァイオリニストの田中詠人、母は声楽家の田中伸枝、実姉はピアニストの田中希代子。 幼少時よりヴァイオリニストである父に指導を受けた。1950年、全日本学生音楽コンクールで1位。1951年、日本音楽コンクールで入選。1953年、同コンクールで1位。同年、桐朋学園を中退。1955年、パリ国立音楽院に留学しガブリエル・ブイヨン(英語版)に師事。1957年、同校を首席で卒業。1962年に帰国。 1963年、京都市交響楽団のコンサートマスターに就任。1966年、NHK交響楽団のコンサートマスターに就任。
田中 恭子(たなか きょうこ、1939年1月30日 - 20… 田中 恭子(たなか きょうこ、1939年1月30日 - 2007年9月4日)は、日本の国際政治学者。 岡山県倉敷市出身。1961年国際基督教大学卒、67年同大学院行政学研究科博士課程満期退学。1972年オーストラリア国立大学で博士号取得、1973-82年シンガポール大学助教授として日本語を教える。中部大学国際関係学部助教授、静岡県立大学教授、1998年南山大学教授。2002年『国家と移民 東南アジア華人世界の変容』でアジア・太平洋賞特別賞受賞。
徳沢 愛子(とくざわ あいこ、1939年〈昭和14年〉1月2… 徳沢 愛子(とくざわ あいこ、1939年〈昭和14年〉1月29日 - )は、日本の詩人。石川県出身。 1939年、石川県金沢市生まれ。1947年、金沢泉丘高等学校 卒業。1951年、金沢大学 教育学部 卒業 ※金沢方言詩集:『ほんなら おゆるっしゅ』、『いちくれどき』、『花いちもんめ』金沢方言詩集『金沢方言集』、金沢方言詩集 2『金沢方言集Ⅱ』、金沢方言詩集 3『金沢方言集Ⅲ』※中日新聞社で紹介:https://www.chunichi.co.jp/article/513474 「英霊の名誉を守り顕彰する会」の会長である佐藤和夫の実姉。彼の招きにより宗教研究の例会にて自身の宗教について講演した(2022年10月21日文教シビックホール)講演風景:https://www.nicovideo.jp/watch/sm41272723 https://bungeikan.japanpen.or.j
丹羽 宇一郎(にわ ういちろう、1939年(昭和14年)1月… 丹羽 宇一郎(にわ ういちろう、1939年(昭和14年)1月29日 - 2025年12月24日)は、日本の実業家。伊藤忠商事元社長、同社元会長。元中華人民共和国駐箚特命全権大使。 日本郵政取締役、特定非営利活動法人国際連合世界食糧計画WFP協会会長、早稲田大学特命教授、日中友好協会会長、グローバルビジネス学会会長、東京理科大学大学院経営学研究科技術経営専攻上席特任教授などを歴任。 愛知県名古屋市生まれ。愛知県立惟信高等学校、名古屋大学卒業後、1962年(昭和37年)4月、伊藤忠商事に入社。油脂部に配属。1968年(昭和43年)から1977年(昭和52年)までニューヨーク駐在。 1998年(平成10年)に代表取締役社長に就任。
川口 章(かわぐち あきら、1939年1月29日 - 199… 川口 章(かわぐち あきら、1939年1月29日 - 1998年12月21日)は、日本の経営者。尼崎信用金庫理事長を務めた。 兵庫県出身。1956年に神戸大学法学部を卒業し、同年に尼崎信用金庫に入社した。1977年に理事に就任し、1980年に常務、1983年に専務、1989年5月に副理事長を経て、1992年2月には理事長に就任。 1998年12月21日心不全のために死去。59歳没。
志賀 政司(しが まさし、1939年1月28日 - )は、福… 志賀 政司(しが まさし、1939年1月28日 - )は、福島県平市(現・いわき市)出身の元バスケットボール選手。 明治大学在学中、全日本に選ばれローマオリンピックに出場。 卒業後、日本鉱業に入社。引き続き全日本で活躍し、1963年世界選手権と東京オリンピック、1967年世界選手権に出場。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
須藤 甚一郎(すどう じんいちろう、1939年(昭和14年)… 須藤 甚一郎(すどう じんいちろう、1939年(昭和14年)1月27日 - 2020年(令和2年)8月11日)は、日本の芸能リポーター、政治家。目黒区議会議員(6期)、民主党参議院比例区第40総支部長を務めた。 東京府東京市板橋区(現在の東京都板橋区)出身。早稲田大学第二政治経済学部政治学科卒業[要出典]。 大学卒業後、女性用下着製造販売会社のトリンプ・インターナショナル・ジャパンでサラリーマン生活を送った後にマスコミ業界へ転身して女性週刊誌 『女性自身』 (光文社)、『微笑』(祥伝社)などの記者を務めた。 その後、梨元勝の誘いもあり、芸能リポーターに転身して1978年(昭和53年)から1985年(昭和60年)までテレビのワイドショー、『アフタヌーンショー』 (テレビ朝日)、さらに、『おはよう!ナイスデイ』 (フジテレビ)、『ルックルックこんにちは』 (日本テレビ)などに出演した。
たむら まさき(1939年1月26日 - )は、日本の撮影監… たむら まさき(1939年1月26日 - )は、日本の撮影監督。青森県出身。
大野 俊幸(おおの としゆき、1939年1月26日 - )は… 大野 俊幸(おおの としゆき、1939年1月26日 - )は、日本の実業家。コクド代表取締役社長や、プリンスホテル代表取締役社長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 セツ(いとう セツ、1939年〈昭和14年〉1月25日… 伊藤 セツ(いとう セツ、1939年〈昭和14年〉1月25日 - )は、日本の家政学・女性学者、昭和女子大学名誉教授。元社会政策学会代表幹事。 1939年北海道函館市生まれ。旧姓・松原。北海道函館西高等学校を経て、1962年北海道大学経済学部卒業。1968年同大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。1984年「クララ・ツェトキンの婦人解放論」で北海道大学より経済学博士の学位を取得。1968年北星学園女子短期大学講師、助教授。1974年東京都立立川短期大学助教授、教授、1989年昭和女子大学教授。1998年-2000年社会政策学会代表幹事。2000年-2004年昭和女子大学女性文化研究所所長、2004年 - 2009年大学院生活機構研究科長。
荒砂 ゆき(あれさ ゆき、1939年1月25日 - )は、日… 荒砂 ゆき(あれさ ゆき、1939年1月25日 - )は、日本の女優。出生は宮崎県、茨城県水戸市出身。本名・旧芸:田原久子。劇団俳優座第9期生(同期は二階堂有希子、富士真奈美、鎗田順吉、菅貫太郎、可知靖之など)。元劇団四季所属。 映画全盛期のころから衰退期に至るまで各映画会社の作品に出演し、情熱的なヒロイン役から個性的な脇役まで幅広くこなす女優として活躍する。芸名変更後は、各映画会社のいわゆる「お色気路線」作品に多数出演。1974年、谷崎潤一郎原作、神代辰巳監督観世栄夫主演の日活文芸ロマンポルノ『鍵』で主人公の妻「郁子」役に抜擢され、倦怠期の夫婦関係に悩む人妻を演じた。その後、活動の主場をテレビドラマに移す。
黒田 征太郎 (くろだ せいたろう、1939年1月25日 -… 黒田 征太郎 (くろだ せいたろう、1939年1月25日 - ) はイラストレーター・グラフィックデザイナー。日本工学院専門学校グラフィックデザイン科顧問。ニューヨーク在住を経て2009年より福岡県北九州市在住。
厚谷 郁夫(あつや いくお、1939年(昭和14年)1月25… 厚谷 郁夫(あつや いくお、1939年(昭和14年)1月25日 - )は、日本の化学者。理学博士(東北大学)。専門は分析化学。北見工業大学名誉教授。元北見工業大学学長。元財団法人オホーツク地域振興機構理事長。北海道函館市出身。 弘前大学文理学部を卒業し、東北大学大学院理学研究科博士課程修了。東北大学理学部助手。1971年(昭和46年)北見工業大学工学部助教授。1976年(昭和51年)同工学部教授。1996年(平成8年)北見工業大学6代学長に就任。2002年(平成14年)北見工業大学退官。同名誉教授。財団法人オホーツク地域振興機構理事長。東京農業大学生物産業学部客員教授(~2009年)。2015年 瑞宝中綬章受章。
那須 重信(なす しげのぶ、1939年1月22日 - )は、… 那須 重信(なす しげのぶ、1939年1月22日 - )は、元信越放送のアナウンサー。 1939年(昭和14年)長野県北安曇郡池田町出身。1958年(昭和33年)長野県松本県ヶ丘高校 卒業。1962年(昭和37年)日本大学卒業。1963年(昭和38年)信越放送入社。エグゼクティブアナウンサー、アナウンス部長。主に SBCニュースワイドのキャスター、SBC制作番組のナレーションを務める。2000年(平成12年)信越放送定年退職。 以降、NHK文化センター松本・長野県カルチャーセンター講師を務める。
佐々木 史朗(ささき しろう、1939年1月22日 - 20… 佐々木 史朗(ささき しろう、1939年1月22日 - 2022年4月18日)は、日本の映画プロデューサー。本名は佐々木正路(ささき まさみち)。日本アート・シアター・ギルド(ATG)二代目社長。 ATGにて、他の映画会社とは一線を画す非商業主義的な芸術作品を製作・配給し、数多くの若手映画監督の輩出に尽力した。 永年の映画界への貢献が称えられ、日本アカデミー賞協会特別賞や文化庁映画賞(映画功労部門)を受賞。東京国際映画祭の創設にも尽力。日本映画大学の理事長も長年務めた。黒沢清がカンヌ国際映画祭ある視点部門の監督賞を受賞した「岸辺の旅」の製作。 長年 新進気鋭の若手監督や錚々たる監督(大森一樹、
千葉 真一[注釈 1](ちば しんいち、JJ Sonny C… 千葉 真一[注釈 1](ちば しんいち、JJ Sonny Chiba [注釈 2], 1939年1月22日 - )は、日本の俳優・体操選手・空手家・歌手・芸能プロモーター・アクション監督・映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家・ナレーター・声優。
伊藤 卓(いとう たかし、1939年1月21日 - )は、日… 伊藤 卓(いとう たかし、1939年1月21日 - )は、日本の化学者。専門は有機金属化学。日本化学会を通した化学教育への貢献が評価される。横浜国立大学名誉教授。 岐阜県岐阜市出身。都立西高校卒業、東京工業大学工学部卒業、1967年に東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、東京工業大学資源化学研究所助手を経て1975年に横浜国立大学工学部助教授、1989年に同教授、組織替えにより2001年から同大学院工学研究院教授。2004年に定年退官、横浜国立大学名誉教授。 現在、株式会社アド技術顧問兼監査役。 1990年に日本化学会の理事に着任、化学教育へ取り組む。1999年から日本化学会副会長(2年間)、2001年に化学教育協議会副会長、2002年に日本科学教育学会の副会長。
宮村 武夫(みやむら たけお、1939年1月21日 - 20… 宮村 武夫(みやむら たけお、1939年1月21日 - 2019年8月16日)は、日本の牧師。新約聖書解釈学の権威。 東京府出身、日本クリスチャンカレッジ、ゴードン・コンウェル神学校、ハーバード大学神学部(新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。寄居教会(当時:日本新約教団)にて牧会後、青梅キリスト教会(当時:日本新約教団)、首里福音教会にて牧会。沖縄聖書神学校校長、日本センド派遣会総主事、宇都宮キリスト集会牧師、名護チャペル協力宣教師、クリスチャントゥデイ編集長を務めた。 2019年8月16日、胃癌のため死去。80歳没。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
伊達 忠一(だて ちゅういち、1939年〈昭和14年〉1月2… 伊達 忠一(だて ちゅういち、1939年〈昭和14年〉1月20日 - )は、日本の政治家。札幌臨床検査センター代表取締役会長。 参議院議員(3期)、参議院議長(第31代)、国土交通大臣政務官(第2次小泉改造内閣)、内閣府副大臣(第2次安倍内閣)、自由民主党幹事長代理、自由民主党参議院国会対策委員長、自由民主党参議院幹事長などを務めた。 北海道生まれ。芦別市出身とも上士幌町出身とも言われる。北海道芦別高等学校卒業。北海道立衛生検査技師養成所卒業。臨床検査技師。1963年4月から札幌医科大学付属病院検査部に勤務し、1965年9月に札幌臨床検査センター株式会社を設立した。 1983年4月、芦別市から北海道議会議員に初当選。
西田 良(にしだ りょう、1939年1月20日 - )は、日… 西田 良(にしだ りょう、1939年1月20日 - )は、日本の俳優。京都府亀岡市保津町出身。本名および旧芸名は西田 良明。代表作は『燃えよ剣』の原田左之助。オフィス ユーリー所属。
太宰 俊吾(だざい しゅんご、1939年1月20日 - )は… 太宰 俊吾(だざい しゅんご、1939年1月20日 - )は、日本の経営者。日立建機社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1961年に大阪大学工学部を卒業し、同年に日立建機に入社。 1995年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務、1999年6月に専務を経て、2003年4月に社長に就任。2006年4月に会長に就任し、2010年6月には相談役に就任。日立製作所、日立国際電気各取締役も務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
響矢 影男(ひびきや かげお、1939年1月20日 - 没年… 響矢 影男(ひびきや かげお、1939年1月20日 - 没年不明 )は、青森県八戸市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は新山 影男(しんやま かげお)。176cm、109kg。最高位は東十両10枚目。得意技は突っ張り、左四つ、寄り。 1955年3月場所に本名の「新山」で初土俵を踏む。翌場所序ノ口で「響矢」を名乗る。1960年7月場所に幕下で青錦大太郎と改名。改名の効果があったためか勝ち越しが続き、1961年1月場所に十両昇進。この場所は3勝12敗と大きく負け越し1場所で幕下へ陥落した。その後も負け越しが続いたが、1961年11月場所で四股名を「響矢」に戻し、1962年に入ってからは調子を取り戻し、1962年9月場所に十両に復帰した。
山中 毅(やまなか つよし、1939年1月18日 - 201… 山中 毅(やまなか つよし、1939年1月18日 - 2017年2月10日)は、石川県輪島市生まれの競泳選手。1956年メルボルンオリンピックの400m自由形・1500m自由形、1960年ローマオリンピックの400m自由形・800mフリーリレーで4つの銀メダルを獲得した。 石川県立輪島高等学校在学中の1956年メルボルンオリンピックに出場。自由形400mと1500mの2種目では、オーストラリアのマレー・ローズに次ぐ2位で銀メダルを獲得した。 早稲田大学教育学部進学後の1959年、自由形200m、400mで世界新記録を作った。 1960年ローマオリンピックでも、自由形400mでローズに敗れ銀メダルを獲得した。
渡辺明(わたなべ あきら、1939年1月18日 - 2003… 渡辺明(わたなべ あきら、1939年1月18日 - 2003年2月10日[要出典])は日本の自治官僚。自治医科大学事務局長、消防庁次長、沖縄開発庁振興局長、沖縄開発庁総務局長、沖縄開発事務次官。 埼玉県出身。東京大学法学部卒業。1963年 自治省入省。北海道東京事務所文書課・財政課。1983年 茨城県総務部長。1986年 自治省財政局公営企業第一課長。1988年7月 沖縄開発庁総務局企画課長。1990年1月 自治医科大学事務局長。1991年3月 消防庁次長。1992年6月 沖縄開発庁振興局長。1993年9月 沖縄開発庁総務局長。1995年1月10日 沖縄開発事務次官。1996年7月2日 退官。
寺内 タケシ(てらうち タケシ、本名は同じ読みで「寺内 武」… 寺内 タケシ(てらうち タケシ、本名は同じ読みで「寺内 武」、1939年1月17日 - 2021年6月18日)は、日本人のギタリストである。 作曲家、編曲家、音楽プロダクション経営者、実業家としての顔を持つ。 茨城県新治郡土浦町祇園町(現・土浦市)出身。ニックネームは「テリー」「エレキの神様」「寺さん」。1962年に「寺内タケシとブルージーンズ」を結成。その後バニーズや第二期ブルージーンズなども結成した。1500校を超える高校を回り「ハイスクール・コンサート」を開催。ロシア、アメリカ合衆国、ブラジル、台湾などの各国でも公演を行った。代表曲は『太陽に叫ぼう』(ブルージーンズ)、『太陽の花』『悪魔のベビー』(バニーズ)など。
小山 義一(こやま よしかず、1939年1月16日 - 20… 小山 義一(こやま よしかず、1939年1月16日 - 2019年5月)は、京都府出身の鉄道技術者である。 7000系電車(パノラマカー)のフロントアイ開発に携わったことで有名である。
佐々木 赫子(ささき かくこ、1939年1月16日 - )は… 佐々木 赫子(ささき かくこ、1939年1月16日 - )は日本の児童文学作家。日本児童文学者協会会員。 兵庫県神戸市生まれ。岡山大学教育学部卒業。 教職を経て子育て中、巡回図書館の蔵書のなかで児童文学に出会った。1970年夏、日本児童文学者協会主催「幼児教育と幼年文学の講座」を受講して創作活動を開始。1971年大石真らが主宰する 同人誌「子どもの町」掲載の「あしたは雨」が翌年の日本童話会賞を受賞。1973年関英雄を師とする 同人誌「てんぐ」に掲載された「旅しばいの二日間」は日本児童文学者協会新人賞を受賞した。「旅しばいの二日間」を長編化した『旅しばいのくるころ』が処女出版となった。 岡山の農村での疎開体験を素材にした上記2作は、逆境のなかでたくましく生きる子どもたちを描いて感動を呼ぶ作品であるが、一方であっけらかんとしたユーモアを見せる『きらくにいこうぜキックオフ』『勉強しないでいい点とれます』、怪談集「月夜に消える」などの作品もあり、創作の幅は広い。
岡村 多希子(おかむら たきこ、1939年〈昭和14年〉1月… 岡村 多希子(おかむら たきこ、1939年〈昭和14年〉1月15日 - )は、日本のポルトガル語研究者、ポルトガル文学研究者。東京外国語大学名誉教授。 東京府出身。旧姓は松尾。東京外国語大学ポルトガル・ブラジル学科卒業。2003年まで東京外国語大学教授。ヴェンセスラウ・デ・モラエスを研究、翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
石橋 純一(いしばし じゅんいち、1939年1月13日 - … 石橋 純一(いしばし じゅんいち、1939年1月13日 - )は、元NHKアナウンサー。東京都出身。東京都立芝商業高等学校、明治大学出身。松山局で定年退職し、そのまま嘱託職となった。
檜原勇多賀(ひばら ゆたか、1939年1月13日生まれ - … 檜原勇多賀(ひばら ゆたか、1939年1月13日生まれ - )は山口県岩国市出身の実業家。三菱重工を経て系列の長菱制御システム(現:MHIパワーコントロールシステムズ)では代表取締役社長などを歴任した。 京都大学大学院では機械工学を専攻、修士課程卒業。 三菱重工業に入社後、長崎造船所で勤務し蒸気タービンの設計エンジニアとして地熱発電プラントの拡販に関わる。三菱重工退職後、長菱制御株式会社では常務を経て代表取締役社長を歴任。 後に任意団体シニアネット長崎を設立、第2代会長に就任し長崎新聞社文化功労章を受章。 1989年から1時間6キロのウオーキングを日課とし、2020年東京五輪聖火リレーランナーに選出された。
川上 源太郎(かわかみ げんたろう、1939年1月13日- … 川上 源太郎(かわかみ げんたろう、1939年1月13日- 2013年)は、日本の社会学者、社会評論家・社会評論家。元清泉女学院大学副学長。 東京生まれ。1962年一橋大学社会学部卒業。1967年一橋大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。 1968年東京女子大学助教授、非常勤講師を務めたのち1985年から八千代国際大学(現秀明大学)教授、清泉女学院大学教授、副学長。 一橋大学では修士課程ではマルクス主義研究の高島善哉ゼミで、博士課程ではモンテスキュー研究の古賀英三郎ゼミで指導を受け、マックス・ヴェーバーを研究。 やがて民社党・公明党と関わりを持つ様になり、1975年に『親の顔が見たい』を上梓。
木暮 正夫(こぐれ まさお、1939年〈昭和14年〉1月12… 木暮 正夫(こぐれ まさお、1939年〈昭和14年〉1月12日 - 2007年〈平成19年〉1月10日)は、日本の児童文学作家。 元日本児童文学者協会会長。 群馬県前橋市連雀町(現・本町)に生まれる。群馬県立前橋商業高等学校定時制を卒業。 1959年、20歳の時に「光をよぶ歌」が毎日新聞主催の児童小説コンクールに入選。1961年石神井公園駅前にある福本土地住宅社に勤務する。翌年東久留米市店長になる。初めての単行本は、『ドブネズミ色の街』(理論社、 1962年)で1963年のサンケイ児童出版賞推薦となり、同年12月28日にNHKで単発ドラマとして放送される。同ドラマは、第4回モンテカルロ国際テレビ祭審査員特別賞(ウンダ賞)、国際放送カトリック協会賞、NHK放送総局長賞受賞など数々の賞を受ける。
安井 かずみ(やすい かずみ、1939年〈昭和14年〉1月1… 安井 かずみ(やすい かずみ、1939年〈昭和14年〉1月12日 - 1994年〈平成6年〉3月17日)は、日本の作詞家、訳詞家、エッセイスト、歌手。本名は漢字で一美。愛称はズズ (ZUZU)。初期のペンネームは みナみ カズみ。日本基督教団のクリスチャンでもあった(1993年受洗)。神奈川県横浜市出身。 フェリス女学院高等学校、文化学院油絵科卒業。ピアノや絵の好きな子供だった。文化学院油絵科に進んだころ、アルバイトで訳詞した「GIブルース」の大ヒットをきっかけにNHKの林叡作に勧められ、初めて作詞したのが「女の子だもん」。フェリス時代の同級生に藤村志保がいる。少女時代から絵画のほか、多数の習い事をしていた。