金澤 昭夫(かなざわ あきお、1930年4月19日 - 20… 金澤 昭夫(かなざわ あきお、1930年4月19日 - 2009年2月14日)は、日本の水産学者。専門は水産化学、水族栄養化学。鹿児島大学名誉教授、日本水産学会名誉会員、学位農学博士。 鹿児島県鹿児島市出身。1951年(昭和26年)3月旧制鹿児島水産専門学校(鹿児島大学水産学部の前身)水産製造科卒業。1952年(昭和27年)6月新制鹿児島大学水産学部助手に着任。論文「海藻のビタミンB群に関する研究」により、1962年(昭和37年)3月31日九州大学から農学博士の学位を授与される。1964年(昭和39年)5月、「藻類の成長を促進し品質を向上せしめる方法、海苔の養殖剤の製造法」に対して昭和39年度全国発明表彰発明協会会長賞を授与される。
坂本 幸夫(さかもと ゆきお、1930年4月19日 - )は… 坂本 幸夫(さかもと ゆきお、1930年4月19日 - )は、日本の経営者。読売ジャイアンツ広報部長、ハミングバード社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1953年に関西大学経済学部を卒業。大阪読売新聞社で記者を務め、1962年に読売ジャイアンツに出向し、1969年までに広報担当兼オーナー秘書兼広報部長を務めた。 1969年にパイオニアに転じ、販売部長と取締役を経て、1978年にはワーナーパイオニア常務に就任。 1983年にハミングバードを設立し、社長に就任。
佐野 宏哉(さの ひろや、1930年〈昭和5年〉4月19日 … 佐野 宏哉(さの ひろや、1930年〈昭和5年〉4月19日 - )は、日本の農林水産官僚。 1953年(昭和28年)、東京大学経済学部経済学科を卒業し、翌1954年(昭和29年)4月、農林省に入省。入省後、畜産局牛乳乳製品課長、農林経済局金融課長、林野庁林政部林政課長、農林省大臣官房企画室長、農林省大臣官房審議官、水産庁海洋漁業部長などを歴任。 1981年(昭和56年)7月27日、経済局長に就任。経済局長として日米農産物交渉の対応にあたった。 1984年(昭和59年)7月6日、水産庁長官に就任。長官として日ソサケ・マス交渉の対応にあたった。また在任中、水産工学研究所の設立に尽力した。 1986年(昭和61年)6月10日、退職。
長岡 新吉(ながおか しんきち、1930年〈昭和5年〉4月1… 長岡 新吉(ながおか しんきち、1930年〈昭和5年〉4月19日 - 2015年〈平成27年〉11月1日)は、日本の経済史学者、北海道大学名誉教授。 岩手県盛岡市出身。1953年東京大学経済学部卒、58年同大学院博士課程満期退学、1973年「明治恐慌史序説」で経済学博士。1958年弘前大学文理学部講師、62年助教授、1963年北海道大学経済学部助教授、70年教授、86 - 87年経済学部長、1996年定年退官、名誉教授、北海学園大学経済学部教授。2001年退職。 2009年4月瑞宝中綬章受章。 栗本慎一郎著『間違いだらけの大学選び』の北海学園大学の頁で、退官した北海道大学における看板教授として評価されていた。
鳥羽 董(とば ただす、1930年4月17日 - )は、日本… 鳥羽 董(とば ただす、1930年4月17日 - )は、日本の実業家。味の素代表取締役社長や、同社代表取締役副会長、ダイエー代表取締役社長を務めた。 1955年慶應義塾大学大学院経済学研究科修了、味の素入社。1981年取締役に昇格。1985年常務取締役。1987年代表取締役専務。1989年から代表取締役社長として「WE-21」計画を推し進めた。後任の代表取締役社長には江頭邦雄を推したが、創業家の反対で叶わず、1995年代表取締役副会長に退き、1996年にはダイエーに顧問として移った。1999年からダイエー代表取締役社長を務めて経営再建にあたった。
水野 好路(みずの こうじ、1930年〈昭和5年〉4月17日… 水野 好路(みずの こうじ、1930年〈昭和5年〉4月17日 - 1998年〈平成10年〉6月9日)は、昭和から平成時代の政治家。青森県十和田市長。 初代十和田市長の水野陳好の二男としてのちの十和田市に生まれる。1954年(昭和29年)岩手大学農学部を卒業し、青森県に出仕。青森県農林部土地改良二課長、同農林部次長などを経て、1981年(昭和56年)十和田市に出向し助役に就任する。退官後は日本基礎技術青森所長を経て、1992年(平成4年)10月、十和田市長に就任した。1996年(平成8年)再選したが、1998年(平成10年)在任中に死去した。 任期中は、農林業の振興、高森山周辺の観光開発、稲生川周辺整備、生活道路整備、国際交流の推進などに尽力した。
高田 衛(たかだ まもる、1930年4月17日 - 2023… 高田 衛(たかだ まもる、1930年4月17日 - 2023年7月5日)は、日本の日本近世文学研究者。旧・東京都立大学名誉教授。 富山県砺波市生まれ。生家は老舗料理旅館の水月楼(現:すいげつろうホテル)。早稲田大学第二文学部日本文学科卒業、同大学院文学研究科修士課程、東京都立大学大学院博士課程修了。立正学園女子短期大学(現・文教大学女子短期大学部)、都立大学、近畿大学の教職を歴任。 専攻は上田秋成研究であったが、1980年に中公新書で『八犬伝の世界』を刊行し、曲亭馬琴『南総里見八犬伝』を道教的な視点から分析し、伏姫を文殊菩薩、八犬士を八大童子とみる説を出して注目を集めた。近世後期の幻想文学の著述紹介に力を注ぐ。
小澤 俊夫(おざわ としお、1930年4月16日 - )は、… 小澤 俊夫(おざわ としお、1930年4月16日 - )は、日本のドイツ文学者、昔話研究者。筑波大学名誉教授。有限会社小澤昔ばなし研究所・社長。 弟は世界的な指揮者小澤征爾で、息子は歌手の小沢健二。 日本から中国に宣撫官として赴任した父に母も帯同し、満洲で生まれた。小さい頃に火傷を負い、それが原因でいじめを受ける。 ドイツのメルヒェンと呼ばれる口承伝承による昔話の研究が特に専門で、文学研究から民俗学にまたがる分野で幅広い研究を行っている。1998年、川崎市の自宅に「小澤昔ばなし研究所」を設立、昔話、メルヒェンの選集を多数出版している。 「子どもの本・九条の会」代表団員を務め、「たま九条の会」の呼びかけ人でもある。
小久保 均(こくぼ ひとし、1930年4月16日 - )は大… 小久保 均(こくぼ ひとし、1930年4月16日 - )は大韓民国慶尚北道生まれの作家。1937年両親の故郷広島に引き揚げる。広島大学文学部卒業。1972年「折れた八月」で直木賞候補に、1977年「夏の刻印」で芥川賞候補になる。小久保は言う、「広島は小説の材料に事を欠かない所だ」と、小説を始めようとする人に訴える。そして「お前はここが悪いのだ」と、手厳しい。<要出典>
杉原 泰雄(すぎはら やすお、1930年(昭和5年)4月15… 杉原 泰雄(すぎはら やすお、1930年(昭和5年)4月15日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(一橋大学)。一橋大学名誉教授、駿河台大学名誉教授。1973年から日本公法学会理事、1987年から1989年まで全国憲法研究会代表。田上穣治門下。 静岡県田方郡大仁町(現在の伊豆の国市)生まれ。樋口陽一などと国民主権論争を繰り広げた。田上穰治ゼミ出身で、一橋大学大学院法学研究科修了後、一橋大学憲法学講座第3代教授を務めた。一橋大学より法学博士の学位を取得。 大学院の指導学生に、浦田一郎(一橋大学名誉教授、元民科法律部会理事長)、辻村みよ子(東北大学名誉教授、学術会議会員)、成嶋隆(新潟大学名誉教授、教育法学会会長)、大津浩(明治大学教授)、糠塚康江(東北大学名誉教授)、只野雅人(一橋大学教授)、酒井明(法務官僚、千葉科学大学教授)、村田尚紀(関西大学教授)、小沢隆一(東京慈恵会医科大学教授、元民科法律部会副理事長)、毛塚勝利(中央大学名誉教授、元労働法学会代表理事)、彦惣弘(元立命館大学教授、元京都弁護士会長)等。
白井 厚(しらい あつし、1930年4月15日 - )は日本… 白井 厚(しらい あつし、1930年4月15日 - )は日本の大学人、社会思想史家。慶應義塾大学名誉教授。経済学博士。妻の白井尭子も社会思想史家。
須永 俊明(すなが としあき、1930年4月15日 - 19… 須永 俊明(すなが としあき、1930年4月15日 - 1995年9月4日)は、日本の医師、医学者。 埼玉県川越市出身。東京医科歯科大学卒。1979年より佐賀医科大学内科学教授に就任し、同医大付属病院総合診療部長、救急部長などを歴任した。 専門は、高脂血症、高血圧、高齢者の慢性期疾患であり、メタボリックシンドロームの臨床及び基礎的研究を行ったが、大学内で原稿を執筆中に心筋梗塞で倒れ、現職のまま死亡した。死後、従四位勲三等旭日中綬章が贈られている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
北野 祐秀(きたの ゆうしゅう、1930年(昭和5年)4月1… 北野 祐秀(きたの ゆうしゅう、1930年(昭和5年)4月14日 - 2016年(平成28年)2月27日)は、大阪府出身のレスリング選手・レスリング指導者。 旧制大阪市立中学校(現・大阪府立いちりつ高等学校)から慶應義塾大学へ進学し、1952年ヘルシンキオリンピックレスリング男子フリースタイルフライ級で出場して銀メダルを獲得した。その後、レスリング世界選手権(1954年・東京)、1954年アジア競技大会(フィリピン・マニラ)に出場していずれも銀メダルを獲得。 1960年ローマオリンピックではレスリング日本代表監督を務めた。また実業家として相撲茶屋初富を経営していた。 2016年2月27日、心筋梗塞により死去。
本橋 浩一(もとはし こういち、1930年4月12日 - 2… 本橋 浩一(もとはし こういち、1930年4月12日 - 2010年10月26日)は、日本の男性実業家、アニメーションプロデューサー。北海道室蘭市生まれ、小樽市育ち。日本アニメーション株式会社代表取締役社長。 1952年、中央大学法学部卒業。 1953年、学陽書房編集部。同年本橋電機社長。 1960年、聯合広告社代表。 1967年、小谷正一の紹介で日本万国博覧会電力館担当プロデューサー。 1972年、やはり小谷の奨めでズイヨー映像社長。 1975年、日本アニメーションを設立して代表取締役社長。 『フランダースの犬』『母をたずねて三千里』『あらいぐまラスカル』『赤毛のアン』などの作品で知られる〈世界名作劇場〉や、『未来少年コナン』『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』『HUNTER×HUNTER』などのテレビアニメ製作を手がけた。
福島 和夫(ふくしま かずお、1930年4月11日 - 20… 福島 和夫(ふくしま かずお、1930年4月11日 - 2023年8月19日)は、日本の作曲家・音楽学者。上野学園大学日本音楽史研究所所長、同研究所特任教授。本名は石橋 和夫(いしばし かずお)。 東京市麻布区霞町(現在の東京都港区)生まれ。玉川学園中学部中退後、独学で作曲を勉強。その後、鈴木博義や武満徹らと知り合い、芸術家グループ「実験工房」に参加。これには姉の福島秀子も参加している。 東洋的な響きに近いフルートのための作品を多数発表、代表作の『冥』などが生まれる。また『エカーグラ』は1959年に来日したストラヴィンスキーによって武満徹の『弦楽のためのレクイエム』などと共に絶賛されたうちの1曲である。
高島 準司(たかしま じゅんじ、1930年4月11日 - 2… 高島 準司(たかしま じゅんじ、1930年4月11日 - 2019年9月25日)は、日本の実業家。住友不動産社長を務めた。 新潟県三島郡出雲崎町出身。1954年に東京大学法学部を卒業。 住友石炭鉱業での勤務を経て、1971年9月に住友不動産に転職。1979年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格。2007年6月には会長に就任。社長在職中は、バブル崩壊で悪化した財務体質の改善に全力を尽くした。 2019年9月25日、心不全のために死去。89歳没。
多田 雄幸(ただ ゆうこう、1930年4月10日 - 199… 多田 雄幸(ただ ゆうこう、1930年4月10日 - 1991年3月8日〈60歳没〉)は、日本のヨットマン。新潟県出身。 史上初の世界一周単独ヨットレース「アラウンド・アローン(BOCレース(英語版))」クラスIIの優勝者。 1930年、新潟県長岡市生まれ。 新潟県立長岡中学校時代、グライダー部に所属、3級滑空士の資格を得た。3年生のとき、志願して予科練に入るが、戦争は末期、飛行機も壊滅状態で飛行訓練もできなかった。戦後、解体中の焼夷弾の不発弾が爆発し、右手などを負傷。 旧制新潟高等学校に入学。絵画や陶器に親しむ。卒業後、実家の商売を手伝い、衣類の行商を行う。 上京し、世田谷交通のタクシー運転手を経て、個人タクシー運転手となる。
石澤 秀二(いしざわ しゅうじ、1930年4月10日 - 2… 石澤 秀二(いしざわ しゅうじ、1930年4月10日 - 2025年12月9日)は、日本の演劇評論家、演出家。石沢秀二とも表記する。本名は石澤秀男。妻は劇作家の石沢富子。 東京都出身。早稲田大学卒、同大学院演劇専攻修士課程修了。1964年、フランス政府招へい芸術留学生として渡仏し、1967年に青年座に入団。雑誌「新劇」編集長を経て、1968年の桐朋学園短期大学演劇専攻創設に参加し、教授。同退職後、青年座文芸部長を経て、日本演出者協会副理事長、国際演劇評論家協会日本センター会長、日韓演劇交流センター会長を歴任。2005年「祈りの懸け橋-評伝田中千禾夫」で河竹賞受賞。1974―1981年岸田国士戯曲賞選考委員を務めた。
藤田 栄(ふじた さかえ、1930年(昭和5年)4月10日 … 藤田 栄(ふじた さかえ、1930年(昭和5年)4月10日 – 2012年(平成24年)11月10日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(1期)。静岡新聞社取締役、伊豆新聞会長。 静岡県出身。1949年(昭和24年)、静岡県立静岡城内高等学校卒業。早稲田大学商学部卒業。静岡新聞社に入り、取材、地方各部長、出版、編集各局長、論説委員などを歴任。1983年(昭和58年)12月、熊谷弘の衆院選立候補に伴う参議院補欠選挙で静岡県選挙区から自由民主党公認で立候補して当選。1986年(昭和61年)の第14回参議院議員通常選挙で落選した。静岡新聞社取締役。静岡県社会教育委員、伊豆新聞会長なども務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
柄澤 昭秀(柄沢 昭秀、からさわ あきひで、1930年4月9… 柄澤 昭秀(柄沢 昭秀、からさわ あきひで、1930年4月9日 - )は、日本の精神医学者。埼玉県浦和市(現さいたま市)生まれ。1955年東京慈恵会医科大学卒、同助手、講師、助教授、1961年「精神疾患の脳波的研究」で東京慈恵会医科大学医学博士、1972年東京都老人総合研究所精神医学研究室長、1975年同心理・精神医学部長、副所長、1993年日本社会事業大学教授、1997年定年、聖徳大学教授。老人の精神医学が専門。
岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8… 岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8日 - 2014年〈平成26年〉10月26日)は、日本の外交官、評論家。位階は従三位。サウジアラビアとタイ王国で特命全権大使を歴任し、また外務省で情報調査局長を務めた。祖父の岡崎邦輔は、陸奥宗光の従弟にあたる。 関東州・大連生まれ。白金小学校、旧制府立高等学校を経て、東京大学法学部入学。東大法学部在学中に外交官試験合格。大学を中退し、外務省に入省。八木秀次によれば、岡崎は卒業証書は小学校のものしか持っておらず、その後は大学まですべて「飛び級」だったという。岡崎邦輔は祖父。 外務省ではケンブリッジ大学での英語研修を皮切りに、在外で在フィリピン大使館、在フランス大使館、在米国大使館、在韓国大使館に駐在し、本省では国際連合局に勤務する。
瀬在 幸安(せざい ゆきやす、1930年〈昭和5年〉4月7日… 瀬在 幸安(せざい ゆきやす、1930年〈昭和5年〉4月7日 - 2025年〈令和7年〉2月15日)は、日本の医学者。位階勲等は従三位瑞宝大綬章。専門は心臓外科学。第10代日本大学総長。日本で初めて心筋梗塞の冠動脈バイパス手術を成功させ、その手術は人工心肺を用いないオフポンプで行われた。アジア初の冠動脈バイパス手術でもあり、心臓外科の国際的権威として知られる。また、補助人工心臓に関しても、日本初の臨床的応用・離脱に成功している。冠動脈バイパス術および補助人工心臓分野での離脱において、日本およびアジア・ヨーロッパ地域で最初に成功され、20世紀を代表する手術として『世界外科学史』に記載されている。医学界のみならず、教育界、外交・国際的権威との交流などさまざまな分野において活躍した。
竹村 健一(たけむら けんいち、1930年〈昭和5年〉4月7… 竹村 健一(たけむら けんいち、1930年〈昭和5年〉4月7日 - 2019年〈令和元年〉7月8日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。1989年第5回『正論』大賞受賞。 大阪府大阪市東成区(現:生野区)生まれ。旧制大阪府立生野中学校の1年生の時に、父の実家のある兵庫県朝来郡和田山町(現:朝来市)に引っ越す。旧制兵庫県立生野中学校に転校。卒業後、旧制姫路高等学校文科甲類(現:神戸大学文学部)に入学するが、学制改革により翌年新制京都大学に編入。アメリカ・フルブライト財団主催のフルブライト奨学金制度の第1号として、アメリカ合衆国のシラキュース大学、イェール大学、ソルボンヌ大学(旧:パリ大学)で学ぶ。
喜里山 博之(きりやま ひろゆき、1930年4月7日 - 2… 喜里山 博之(きりやま ひろゆき、1930年4月7日 - 2005年)は、日本の経済学者。元四天王寺国際仏教大学教授。経済哲学専攻。行泉院住職。 滋賀県滋賀郡坂本村(現・大津市坂本)生まれ。生家は比叡山延暦寺の里坊・行泉院。1953年大谷大学文学部哲学科(西洋哲学)卒業、1959年立命館大学大学院経済学研究科修了。四天王寺学園女子短期大学教授、四天王寺国際仏教大学短期大学部教授を経て、四天王寺国際仏教大学教授。 2000年3月にドイツ人の仏教研究者ブルーノ・ペツォルトの著作『ゲーテと大乗仏教』の翻訳を叡山学院から刊行した。2004年11月の「ペッツォルト夫妻を記念する会」の発足を主導し、『ゲーテと大乗仏教』の共訳者小嶋昭道とともに同会の発起人となった。
後藤 信幸(ごとう のぶゆき、1930年4月7日 - 201… 後藤 信幸(ごとう のぶゆき、1930年4月7日 - 2017年8月)は、日本のフランス・ドイツ文学者、詩人、翻訳家。亜細亜大学教養部助教授、教授。 大分県竹田市(当時の住所は、大分県直入郡竹田町古町575番地)に生れる。 1936年熊本県玉名郡弥富村の尋常小学校、1942年竹田中学校、1944年学徒勤労動員(北九州の軍需工場)を経て、1947年広島高等師範学校文科に入学。10代後半はロシア文学、ドイツ文学に親しみ、18歳ころより短歌を創作、手書き歌集『昼の夢』(200首)を宮柊二に送る。19歳頃より詩作。1960年、慶應義塾大学の通信教育で学ぶ。1965年慶應義塾大学文学部仏文科卒、学部論文は「シュペルヴィエルにおける詩的体験 - 記憶と忘却 -」。
桂木 洋子(かつらぎ ようこ、本名・黛 住恵(まゆずみ すみ… 桂木 洋子(かつらぎ ようこ、本名・黛 住恵(まゆずみ すみえ)、旧姓・富沢(とみざわ)、1930年4月6日 - 2007年3月)は、昭和中期(1940年代後半から1960年代前半)に活動した女優。 東京市四谷区(現・新宿区)に、家具屋の一人娘として生れる。四谷第三国民学校出身。1946年、東京都立麹町女子商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)[要出典]に在学中、母親の急逝に伴い中退して、松竹歌劇団に戦後の2期生として入団する(卒業と同時に入団とも)。初舞台は同年11月浅草松竹座公演の「秋の踊り」。同期に千草かほる、小柳久子(小柳ひさ子)などがいる。 1948年、黒澤明脚本の『肖像』を準備中、『女』のロケで国際劇場を訪れた木下惠介監督の目に留まり、その次作となる『肖像』で映画デビューする。
室矢 芳隆(むろや よしたか、1930年4月6日 - 201… 室矢 芳隆(むろや よしたか、1930年4月6日 - 2019年3月23日)は、日本の中距離走選手。石川県羽咋郡中甘田村(現・志賀町)出身。 塩田を営む室矢家の7人兄弟の次男として出生する。幼少より塩田の仕事の手伝いや船の櫓漕ぎ、素潜りでの貝採りなどで足腰を鍛えた。時代が軍国主義に向かう中で室矢も旧制中学校の半ばで志願兵となった。実際に戦地へ送られることなく終戦を迎え、新制石川県立羽咋高等学校の1回生として復学した。羽咋高では1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した広橋百合子より陸上競技の指導を受けた。元々走ることに自信を持っていた室矢は旧制中学最後の大会となる1947年(昭和22年)の全国中学陸上に800mで出場、2位に入賞した。
栗田 幸雄(くりた ゆきお、1930年4月6日 - 2024… 栗田 幸雄(くりた ゆきお、1930年4月6日 - 2024年5月17日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。福井県知事(公選第11・12・13・14代)。福井県鯖江市出身。 福井県工業技術センター(工業試験場)の整備や、福井県立大学の創設(1992年)、福井県産業振興施設(1995年)、福井県立音楽堂(1997年)、福井県児童科学館(1999年)、福井県立恐竜博物館(2000年)の建設など、産業や芸術文化、学術・教育分野等において大型公共施設の整備・拡充に積極的であった。 交通政策では、福井空港拡張整備計画、舞鶴若狭自動車道舞鶴東IC―小浜西IC間の延伸開通(2003年)や中部縦貫自動車道基本計画の促進による高速道路網整備、北陸新幹線や琵琶湖若狭湾快速鉄道の新線建設計画促進、JR小浜線電化(2003年)による高速鉄道網整備、敦賀港の港湾整備などを推し進めた。
鳥居 修晃(とりい しゅうこう、1930年4月5日 - )は… 鳥居 修晃(とりい しゅうこう、1930年4月5日 - )は、日本の認知心理学者。学位は、文学博士(東京大学)、東京大学名誉教授。東京農工大学工学部助教授、東京大学教養学部教授、聖心女子大学教授、日本基礎心理学会第3代理事長を歴任。視覚についての心理学を専門とした。妻は同じく心理学者で日本女子大学名誉教授の望月登志子。 1930年愛知に生まれる。1954年東京大学文学部心理学科卒業。1959年同大学院人文科学研究科博士課程修了後、東京工業大学理工学部助手、東京大学文学部助手。1964年3月に論文博士にて文学博士の学位を取得。1965年東京農工大学工学部助教授に就任。1966年渡米。ミシガン大学医学部視覚研究室、フロリダ州立大学分子生物物理学研究所の各研究員を経て、1970年東京大学教養学部助教授。
伊藤 正義(いとう まさよし、1930年4月4日 - 200… 伊藤 正義(いとう まさよし、1930年4月4日 - 2009年12月2日)は、日本の国文学者、能楽研究者、神戸女子大学名誉教授。 関西大学文学部教授・大阪市立大学文学部教授などを歴任。
松原 達哉(まつばら たつや、1930年4月3日 - 202… 松原 達哉(まつばら たつや、1930年4月3日 - 2020年8月9日)は、日本の臨床心理学者。岐阜県羽島郡上羽栗村伏屋(現・岐南町伏屋)出身。 専門は臨床心理学・カウンセリング心理学。臨床心理士・日本カウンセリング学会認定カウンセラー・上級産業カウンセラー。生活分析的カウンセリング法(LAC法)創案者。就学レディネスの研究。東京福祉大学名誉学長。立正大学心理学部名誉教授。故郷の岐南町図書館には松原から寄贈された図書による松原文庫があり、松原の著書、心理学・カウンセリング・幼児教育・家庭教育などに関する書籍がある。
松山 幸雄(まつやま ゆきお、1930年4月3日 - 202… 松山 幸雄(まつやま ゆきお、1930年4月3日 - 2021年10月30日)は、日本のジャーナリスト。 東京都出身。1953年東京大学法学部卒、朝日新聞社に入り、政治部、ワシントン特派員、ニューヨーク支局長を経て74-76年アメリカ総局長。論説委員兼編集委員、論説副主幹、1983年論説主幹、1985年取締役。退任後は、ハーヴァード大学客員研究員、1993年共立女子大学教授。1976年ボーン・上田記念国際記者賞、1977年『日本診断』で吉野作造賞、1978年日本記者クラブ賞、1986年ベストメン、1986年『国際対話の時代』で石橋湛山賞受賞。
吉田 次郎(よしだ じろう、1930年4月3日 - )は、… 吉田 次郎(よしだ じろう、1930年4月3日 - )は、日本の地方公務員、経営者。神奈川県総務部長、テレビ神奈川社長を務めた。神奈川県横浜市出身。勲四等瑞宝章受章。 1954年に東京都立大学人文学部を卒業し、同年に神奈川県庁に入庁。総務部長、湘南国際村専務を経て、1994年6月にテレビ神奈川社長に就任し、1998年6月までに務めた。2000年春の叙勲で勲四等瑞宝章を受章。
笹原 恵通郎(ささはら えつろう、1930年4月2日 - )… 笹原 恵通郎(ささはら えつろう、1930年4月2日 - )は、群馬県出身のプロ野球選手。 高崎高校、伊藤商店、桐生織物、大生相互銀行を経て1954年に東映フライヤーズへ入団。同年に退団した。
木村 尚三郎(きむら しょうさぶろう、1930年(昭和5年)… 木村 尚三郎(きむら しょうさぶろう、1930年(昭和5年)4月1日 - 2006年(平成18年)10月17日)は、西洋史学者(ヨーロッパ史)。東京大学名誉教授、静岡文化芸術大学名誉教授、地域経済総合研究所名誉評議員。日本女子大学文学部助教授、旧・東京都立大学法学部助教授、東京大学教養学部教授、静岡文化芸術大学学長などを歴任した。 1930年、東京都杉並区で生まれた。1948年、東京都立第十三高校を卒業し、旧制東京高校に入学。東京大学文学部西洋史学科に進み、中世史の堀米庸三に師事した。中世フランスの荘園研究を始めた。1953年、同大学を卒業し、同大学大学院に進んだ。 1958年、日本女子大学文学部助教授に就いた。
多田 智満子(ただ ちまこ、1930年4月1日 - 2003… 多田 智満子(ただ ちまこ、1930年4月1日 - 2003年1月23日)は、日本の詩人・随筆家・翻訳家・フランス文学者。福岡県福岡市の博多(現・博多区)出身。本名、加藤智満子。 銀行員だった父の転勤に伴い、幼少期を京都、東京などで過ごす。小学校5、6年で『プルタルコス英雄伝』や『平家物語』を愛読し、15歳で滋賀県愛知川沿いに戦争疎開した際にプラトン、エピクテトス、セネカなどを携えるなど、少女時代から異才を放っていた。また、謡曲や歌舞伎にも親しんだ。桜蔭高等女学校を卒業後、東京女子大学外国語科で学び、矢川澄子と親交を結ぶ。卒業後に慶應義塾大学文学部英文科に編入学するも、結核に罹り半年間休学。病床での思索が自らの文学的出発点となった。
葉 紀甫(すゑ のりほ、1930年(昭和5年)4月1日 - … 葉 紀甫(すゑ のりほ、1930年(昭和5年)4月1日 - 1993年(平成5年)2月12日)は詩人。元歴程同人。本名は早川 彰美(はやかわ あきよし)。 京城で生まれ、島根県出雲市で63歳で病没した。死因は心臓発作。同年に上梓された『葉紀甫漢詩詞集(一)(二)』に対して、第31回の藤村記念歴程賞が岡本太郎とともに授与された。1993年(平成5年)11月2日の朝日新聞に、入沢康夫による追悼文<「不帰順」の詩人・葉紀甫>が、掲載された。 葉の作品詩集はまれで、1967年(昭和42年)秋に刊行した口語自由詩の『わが砦』と、最晩年の私家版『葉紀甫漢詩詞集(一)』の2冊があるのみで、『わが砦』も彼の友人たちがまとめたものである。
荒谷 俊治(あらたに しゅんじ、1930年4月1日 - 20… 荒谷 俊治(あらたに しゅんじ、1930年4月1日 - 2020年1月1日)は、日本の指揮者。日本指揮者協会元会長。 広島県東広島市に生まれる。福岡県中学修猷館、旧制福岡高等学校を経て、1953年、九州大学法学部を卒業し、1955年、同文学部を卒業。九州大学在学中は、九大フィルハーモニーオーケストラ、福岡合唱協会に所属し指揮を行い、指揮法を石丸寛、作曲を高田三郎に師事する。 1959年、東京放送合唱団を指揮してデビュー。1968年、東京フィルハーモニー交響楽団指揮者に就任。1969年、文化庁派遣在外芸術研修員としてアメリカに留学し、ジョージ・セルのもとで研究して、1970年、クリーヴランド管弦楽団を指揮。
大戸 雄記(おおと ゆうき、1930年4月1日 - 2018… 大戸 雄記(おおと ゆうき、1930年4月1日 - 2018年6月4日)は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手。 宮崎大淀高校から鹿児島鉄道管理局を経て、1954年に南海ホークスへ入団。 南海では代走、守備固め要員として試合途中からの出場がほとんどで、1955年は111試合出場で110試合、1956年は97試合全て途中出場という記録だった。 1957年に引退。引退後は鹿児島鉄道管理局に指導者として復帰し、NHK鹿児島放送局の野球解説者としても活動した。
杉田 秀夫(すぎた ひでお、1930年 <昭和5年> 4月1… 杉田 秀夫(すぎた ひでお、1930年 <昭和5年> 4月1日 - 2019年 <令和元年> 11月8日)は、日本の医学者。国立精神・神経センター名誉総長。医学博士。専門は神経内科学。遺伝性神経筋疾患を研究。富山県出身。位階は正四位。
小久保 崇明(こくぼ たかあき、1930年4月 - )は、日… 小久保 崇明(こくぼ たかあき、1930年4月 - )は、日本の国文学者・国語学者。学位は、博士(文学)(日本大学・論文博士・1995年)(学位論文『「大鏡」の語彙・語法の研究』)。日本大学名誉教授。 埼玉県生まれ。1950年東京第一師範学校予科修了。1953年東京学芸大学中等教育学科国語専攻卒業。1958年日本大学大学院文学研究科国文学専攻修了。都留文科大学文学部講師、助教授、教授、日大文理学部教授、法学部教授、2000年定年、名誉教授。2015年春の叙勲で瑞宝中綬章受章。 1995年、学位論文『「大鏡」の語彙・語法の研究』で、日本大学より博士(文学)の学位を取得。
平野 孝國(ひらの たかくに、1930年4月 - 2021年… 平野 孝國(ひらの たかくに、1930年4月 - 2021年3月25日)は、日本の神道学者。新潟大学名誉教授。主な専門は神道学。 神奈川県出身。学生時代、柳田國男・折口信夫等の講義を受け、民俗学を学ぶ。副手・助手として柳田の研究室に勤務。外国の文化・民俗にも関心を持ち、1959年からオランダ、1961年からドイツへ留学するなど、文化人類学にも精通。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、神道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 神道/ウィキプロジェクト 神道)。
三浦 澄能(みうら すみよし)(1930年〈昭和5年〉3月3… 三浦 澄能(みうら すみよし)(1930年〈昭和5年〉3月31日-)は、日本の実業家。1993年から1996年まで住友電設で社長として在任していた。
小口 高(おぐち たかし、1930年3月31日 - 2010… 小口 高(おぐち たかし、1930年3月31日 - 2010年12月27日)は、日本の地球物理学者。元東京大学教授。地磁気、オーロラなどの研究が専門で、第1次から第3次の南極観測隊に参加し、第12次の南極観測隊では隊長兼越冬隊長を務めた。 長野県岡谷市出身。長野師範学校附属小学校、旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校の前身)、旧制第一高等学校を経て、東京大学理学部に進む。 1955年、東京大学の大学院生であった小口は、教授であった永田武に呼び出され、第1次南極観測隊の隊長に自分がなりそうだが、そうなれば一緒に来るかと尋ねられ、即座に同行を願い出た。小口は、1956年の第1次南極観測隊員に加わり、続いて第2次、第3次の南極観測隊員にも参加した。
大野 正隆(おおの まさたか、1930年3月31日 - )は… 大野 正隆(おおの まさたか、1930年3月31日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球審判員(パシフィック・リーグ)。 1947年福岡県中学修猷館を卒業。在学中は野球部に所属し、同期には、同じくパ・リーグ審判員となる吉田正雄、名古屋ドラゴンズ(現・中日ドラゴンズ)内野手の菅野武雄、一年後輩には、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の内野手として黄金期を支えた河野昭修がいる。その後、福岡第一師範学校(現・福岡教育大学)本科を卒業し、福岡県の公立学校の教員となる。 1959年、福岡県高野連・九州六大学・社会人野球の審判員を経て、菅野武雄からプロ野球審判員になることを勧められたことにより、1961年に教員を退職し、パ・リーグ審判員に就任。
元木 健(もとき けん、1930年3月31日 - )は、日本… 元木 健(もとき けん、1930年3月31日 - )は、日本の教育学者、同和教育研究者、大阪大学名誉教授。
奥村 公延(おくむら こうえん、1930年〈昭和5年〉3月3… 奥村 公延(おくむら こうえん、1930年〈昭和5年〉3月31日 - 2009年〈平成21年〉12月24日)は、日本の俳優。本名及び旧芸名は奥村 進。 秋田県出身。専修大学卒業。東京俳優生活協同組合、芳賀事務所、現代制作舎に所属していた。映像制作事業オミプロの主催者の小美濃たつやは彼の弟子にあたる。 もともとは普通に勤め人をしていて、「このまま自分は淡々とした人生を送って行くんだろうなと思っていた」という。1955年、銀座にたまたま行きつけの飲み屋があり、ここの女性従業員が新劇劇団「近代劇場」のプロデューサーと知り合いだったことから、このプロデューサーからテレビ番組の『ダイヤル110番』(日本テレビ)での役探しを頼まれ、奥村を紹介したところ、これが俳優デビューとなった。
坂本 鉄男(さかもと てつお、1930年3月31日 - 20… 坂本 鉄男(さかもと てつお、1930年3月31日 - 2022年4月28日)は、日本のイタリア文学者、コラムニスト。元ナポリ東洋大学教授。 神奈川県小田原市生まれ。東京外国語大学イタリア語科卒。東京音楽大学講師、東京外国語大学助教授。 1971年、ナポリ東洋大学の教授に就任。 1970年代半ばからサンケイ新聞の嘱託でイタリアとバチカン市国に関するコラムを2020年12月の引退まで執筆を続けた。 1979年、産経新聞連載の『イタリア通信』でイタリア文化会館のマルコ・ポーロ賞を受賞。 1983年、イタリア共和国功労勲章コンメンダトーレ章授与。 2000年、勲三等瑞宝章を受章。 2002年、ナポリ東洋大学教授を退官。
谷口 誠(たにぐち まこと、1930年3月31日 - 202… 谷口 誠(たにぐち まこと、1930年3月31日 - 2024年1月14日)は、日本の外交官、経済学者。専門は南北問題・国際経済。国連貿易開発会議議長、日本人として2人目のユニセフ議長、国連大使、日本人初OECD事務次長、早稲田大学教授等を歴任。 大阪府出身。羽曳野市立高鷲小学校、旧制大阪府立富田林中学校、新制大阪府立富田林高等学校を経て、一橋大学大学院経済学研究科修了後、ジョーン・ロビンソンの勧めで、ロビンソンの指導を受け1958年にケンブリッジ大学を卒業し、新渡戸稲造にあこがれ、1959年外務省入省。1960年にはケンブリッジ大学で修士号を取得。 国際連合新再生エネルギー会議議長や、国際連合貿易開発会議議長、日本人としての2人目のユニセフ議長、国連大使や日本人初のOECD事務次長を務めた後、早稲田大学教授、天津外国語学院客員教授等を歴任。
檜田信男(ひだ のぶお、1930年3月31日- ) は、日本… 檜田信男(ひだ のぶお、1930年3月31日- ) は、日本の会計学者、中央大学名誉教授。 北海道小樽市出身。早稲田大学商学部卒、1960年早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学、77年「近代監査機能の特性とその方法の研究」で商学博士。大東文化大学講師、専修大学助教授、教授、中央大学商学部教授。2000年定年となり、名誉教授。