黒田 重雄(くろだ しげお、1940年 - )は、日本の経営… 黒田 重雄(くろだ しげお、1940年 - )は、日本の経営学者。北海道大学名誉教授。北海学園大学開発研究所特別研究員。学位は、博士(経営学)(北海道大学)。瑞宝中綬章受章。 日本商店街学会会長や北海道マーケティング協会運営副委員長などを歴任。この他、北海学園大学経営学部非常勤講師(2011年~2015年)、北海学園大学大学院経営学研究科非常勤講師(2010年~2015年) マーケティングにおける消費者行動の国際比較など主にマーケティングや比較マーケティングの研究を手がける。
叶内 紀雄(かのうち としお、1940年(昭和15年)- )… 叶内 紀雄(かのうち としお、1940年(昭和15年)- )は、日本の銀行家。殖産銀行頭取を歴任した。 殖産相互銀行社長を務めた叶内長兵衛の孫として山形県山形市に生まれる。 山形県立山形東高等学校を経て中央大学法学部を卒業する。山形東高時代の同級生には、山形銀行頭取を歴任した三浦新らがいた。 中大卒業後、日本勧業銀行勤務を経て、殖産相互銀行入行。1987年には、在任25年に及んだ長谷川吉内社長の後を受け同行社長に就任する。 トップ在任中は普通銀行への転換、東証2部への上場など功績もあったが平成銀行、ミライオン銀行と2度にわたる合併破談を招いたとして引責辞任。特別相談役に退いた。
金子 義昭(かねこ よしあき、1940年 - )は、日本の財… 金子 義昭(かねこ よしあき、1940年 - )は、日本の財務官僚。 1963年(昭和38年)、大蔵省入省。同期に、小村武(日本政投銀総裁、大蔵事務次官、主計局長)、日高壮平(FISC理事長、国税庁長官)、中平幸典(信金中央金庫理事長、財務官)、西村吉正(銀行局長)、金野俊美(ヒメノ会長、印刷局長)、龍宝惟男(オーミケンシ社長)、米沢潤一(政策研究院大学教授、日銀理事、関税局長)、川嶋烈(茨城銀行頭取)、石坂匡身(大蔵財務協会理事長、損保協会副理事長、環境事務次官、理財局長)、田中寿(造幣局長)ら。
大谷 俊昭(おおや としあき、1940年(昭和15年) - … 大谷 俊昭(おおや としあき、1940年(昭和15年) - )は、日本の農業経済学者・農学者。専門は農業経済学。酪農学園大学名誉教授。元酪農学園大学学長。元酪農学園大学短期大学部学長。恩師は桃野作次郎。東京都目白出身。 東京都立立川高等学校卒業。1966年北海道大学農学部農業経済学科卒。1968年同大学院農学研究科修士課程修了。同年、酪農学園大学酪農学部助手。1975年同酪農学部助教授。1983年同評議員。1989年同酪農学部教授。同酪農学部農業経済学科長(~1995年)。1995年同学生部長(~1999年)。学校法人酪農学園理事。2001年酪農学園大学9代学長に就任。2005年酪農学園大学短期大学部学長。
吉崎 清富(よしざき きよとみ、1940年 - )は、日本の… 吉崎 清富(よしざき きよとみ、1940年 - )は、日本の現代音楽作曲家。 秋田県大館市生まれ。中学卒業と同時に上京し、桜美林高等学校卒業。東京芸術大学卒業、同大学院修了。作曲を下総皖一、石桁眞禮生に師事。ドイツ政府給費留学生としてベルリン国立音楽大学に留学。ボリス・ブラッハー、ジェルジ・リゲティに学ぶ。在学中の69、70、72年、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会に参加。ヴィオッティ国際音楽コンクール、ベルリン国際作曲コンクールなどの国際コンクールで入賞を果たす。同大卒業後、ベルリン工科大学電子音楽スタジオ研究員に着任。79年、スタンフォード大学コンピュータ音楽セミナーに参加。 鹿児島大学講師着任後、東京学芸大学教授、国立音楽大学講師、鹿児島大学教授を歴任。
村上 光鵄(むらかみ こうし、1940年 - )は、日本の法… 村上 光鵄(むらかみ こうし、1940年 - )は、日本の法学者。元裁判官、弁護士。大東文化大学法科大学院特任教授。元東京高等裁判所長官代行。娘はフジテレビ報道記者の村上真理子。
松尾 欣枝(まつお よしえ、1940年 - )は、日本の研究… 松尾 欣枝(まつお よしえ、1940年 - )は、日本の研究者。奈良女子大学名誉教授。 1940年福井県生まれ。元奈良女子大学大学院・人間文化研究科教授。福井県立若狭高等学校、奈良女子大学理学部理学科を経て、大阪市立大学大学院修了。学位:理学(博士)。卒業後は母校、奈良女子大学で助教授、教授を歴任。
青木 継稔(あおき つぐとし、1940年 - )は、愛知県出… 青木 継稔(あおき つぐとし、1940年 - )は、愛知県出身の医学者。専門は小児科学。第8代東邦大学学長・名誉学長。日本におけるウィルソン病の研究として知られる。
小田 忠雄(おだ ただお、1940年 - )は、日本の数学者… 小田 忠雄(おだ ただお、1940年 - )は、日本の数学者。専門は代数幾何学。トーリック多様体で有名な数学者。学位は、Ph.D(ハーバード大学・1967年)。東北大学名誉教授。名古屋大学助教授・東北大学教授を歴任。2018年瑞宝中綬章受章。 1958年、東海高等学校卒業。1962年、京都大学理学部数学科卒業。1967年、ハーバード大学で数学のPh.D取得(指導教官はフィールズ賞を受賞したデヴィッド・マンフォード)。その後、名古屋大学理学部助手、助教授を歴任。1975年から2003年まで東北大学大学院理学研究科教授。[要出典]2018年、瑞宝中綬章受章。 東北大学附属図書館長、京都賞基礎科学部門専門委員会委員長、名古屋大学大学院多元数理科学研究科の外部評価委員会委員長、社会奉仕団体キワニス日本地区の代表も務めた。
山本 有造(やまもと ゆうぞう、1940年 - )は、日本の… 山本 有造(やまもと ゆうぞう、1940年 - )は、日本の経済学者・歴史学者。京都大学名誉教授、元中部大学特任教授。専門は数量経済史、日本経済史特に日本帝国史、日本植民地史、貨幣・金融史。博士(経済学)。 京都市出身。1967年京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。三和銀行を経て、京都大学人文科学研究所助手、神戸商科大学助教授、京都大学人文科学研究所助教授、同教授、中部大学人文学部教授を経て、同大学特任教授。(2011年3月退職) 2019年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 学位は博士(経済学)京都大学(1993)。
黒田 朔(くろだ さく、1940年 - )は、日本の牧師。福… 黒田 朔(くろだ さく、1940年 - )は、日本の牧師。福岡県出身、大阪府岸和田市育ち。 福岡県で生まれ育ち、大阪で育つ。阪南市立鳥取中学校卒業と同時に大阪府岸和田市に移住。大阪府立岸和田高等学校在学中、高校の聖研に入り福音交友会岸和田聖書教会に在る英会話教室に通い出す。そこにいたマキキ聖城教会出身で福音交友会のアメリカ人宣教師に導かれ、同教会で受洗。 大阪市立大学卒業後、製薬会社に勤務していたが、牧師を目指す為に製薬会社を退職して聖書神学舎に入る。1970年4月から岸和田聖書教会に赴任し、13年間牧師をしていた。高校時代の聖研で知り合った友達と結婚し、3男2女の父親になった。 1983年からマキキ聖城教会の牧師に赴任し、多くの日系人・日本人クリスチャンの為に奉仕をしている。
川上 元美(かわかみ もとみ、1940年 - )は日本のデザ… 川上 元美(かわかみ もとみ、1940年 - )は日本のデザイナー、川上デザインルーム代表。東京芸術大学、金沢美術工芸大学、神戸芸術工科大学などの客員教授を歴任。現在、多摩美術大学美術学部環境デザイン学科客員教授。GENOVA家具展金賞(イタリア)、アメリカ建築家協会主催インターナショナル・チェア・デザインコンペティション1席(USA)、iFデザイン賞(ドイツ)など国内外の賞を多数受賞。 1940年(昭和15年)、兵庫県に生まれる。兵庫県立芦屋高等学校、東京芸術大学美術学部工芸科(ID専攻)卒業。東京芸術大学院美術研究科(デザイン)修士課程終了。その間、作品集『アンジェロ・マンジャロッティ1955-64』(青銅社)に出会い、強く感銘する。
横山 紘一(よこやま こういつ、1940年 - )は、日本の… 横山 紘一(よこやま こういつ、1940年 - )は、日本の仏教学者。唯識塾塾長。立教大学文学部名誉教授。鹿島神流師範。
久保 紘之(くぼ こうし、1940年 - )は日本のジャーナ… 久保 紘之(くぼ こうし、1940年 - )は日本のジャーナリスト・評論家。産経新聞編集特別委員を歴任。
広渡 勲(ひろわたり いさお、1940年 - )は日本の演出… 広渡 勲(ひろわたり いさお、1940年 - )は日本の演出家、音楽プロデューサー。
堤 堯(つつみ ぎょう、1940年 - )は日本のジャーナリ… 堤 堯(つつみ ぎょう、1940年 - )は日本のジャーナリスト、評論家。
高野 太郎(たかの たろう、1940年 - 2001年10月… 高野 太郎(たかの たろう、1940年 - 2001年10月)は、ギタリスト、歌手。 福島県立郡山工業高校卒業後に、東北電力に就職する。アタウアルパ・ユパンキのフォルクローレに惹かれ、1960年、アルゼンチンに渡る。当地で、実際に、アタウアルパ・ユパンキ本人と出会う。 日本に戻りしばらくの後、1975年、東京都港区六本木に、タンゴとフォルクローレのライブ演奏も行われるアルゼンチン料理の店『六本木カンデラリア』を開業する。営業日にタンゴの生演奏が聴けるタンゲリアとしての『六本木カンデラリア』は、日本においても、注目を浴びていた。日本において、アルゼンチンのフォルクローレの認知度を高める。『ガウチョ・ハポネス』(Gucho japonés、日本のガウチョ)というあだ名がある。
藤村 久和(ふじむら ひさかず、1940年 - 2025年3… 藤村 久和(ふじむら ひさかず、1940年 - 2025年3月31日)は、日本の民俗学者・民族学者。北海学園大学名誉教授。河野広道門下。北海道を代表するアイヌ文化の研究者の一人。 北海道釧路市に生まれる。 北海道学芸大学教育学部を卒業し、[要出典]1963年に北海道厚田村立聚富小学校の教員となる。以後、石狩町立南線小学校(1969年)を経て、1970年に教員を退職し北海道開拓記念館の研究員に転じた。記念館時代にアイヌ古老からの聞き取りを始める。 1984年に北海学園大学教養部教授に就任し、1998年に同人文学部、1999年に同大学院文学研究科の教授となる。北海学園大学では学芸員課程設置の準備に携わり、1999年に課程設置が実現した。
孫内 あつし(まごない あつし、1940年 - 2025年1… 孫内 あつし(まごない あつし、1940年 - 2025年12月1日)は、もっぱらクレヨン画によって知られた日本の画家。 青森市生まれ。生家は遊郭街に近い神社で、次男として生まれた。 1958年に東奥義塾高等学校を卒業し、1960年に美術担当として青森放送に入社し、1972年に退社するまで、自社制作番組の美術制作に携わった。 青森放送退社後は、青森市を中心に、複数の飲食店やブティックを経営するかたわら、クレヨン画による創作活動を始めた。 1990年、初の個展を、青森市の五拾壹番館ギャラリーで開催した。 1992年以降、公募展に入選するようになり、1993年には東京都に転居して、1996年からは東京でも個展を開くようになった。
保沢 紀(ほざわ おさむ、1940年 - )は、日本の衣装デ… 保沢 紀(ほざわ おさむ、1940年 - )は、日本の衣装デザイナー。テレビ番組衣装担当。東京衣裳の社員だった。 「フジテレビ衣裳部の鬼・保沢紀」としてバラエティ番組に出演したことで知られる。通称「衣装の保沢さん」。 栃木県生まれ。1959年に栃木県立栃木高等学校卒業。同校の第60回卒業の同期生には、ヤマトホールディングス会長の有富慶二、京都大学名誉教授の入倉孝次郎、キッコーマン社長の牛久崇司、東邦大学名誉教授の岸清がいた。 東京衣裳入社後、フジテレビ詰めとなり、同局の多くの番組で出演者の衣裳を担当した。 1985年7月2日放送の『ものまね王座決定戦』に「フジテレビ衣裳部所属」の肩書きで審査員として出演し、以降はレギュラー審査員として出演を続けた。
荒井 致徳(あらい よしのり、1940年 - 2018年11… 荒井 致徳(あらい よしのり、1940年 - 2018年11月29日〈78歳没〉)は、日本のアマチュア野球指導者。息子は元プロ野球選手の荒井修光。 成田高校から法政大学に進み、1962年から2年間成田高校の監督を務めた。1970年からは千葉県立我孫子高等学校硬式野球部監督に就任し、甲子園に2回出場。1991年の甲子園出場時には息子・荒井修光(1995年のドラフト会議で日本ハムファイターズから2位指名を受け入団、元新庄剛志専属広報、現同球団事業統轄本部コミュニティリレーション部ディレクター)との親子鷹出場で話題を呼んだ。1994年、中央学院高等学校硬式野球部監督に就任。1996年秋季千葉県大会優勝、1998年、エース安原政俊(後に1998年のドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け入団)を擁して夏の甲子園東千葉大会ベスト4に進出。
明石 紀雄(あかし のりお、1940年 - 2025年 )は… 明石 紀雄(あかし のりお、1940年 - 2025年 )は、日本のアメリカ史学者、筑波大学名誉教授。 東京都生まれ。1958年、東京都立日比谷高等学校卒業。1962年、ハヴァフォード大学卒業。1964年、ウィスコンシン大学大学院歴史学研究科修士課程修了。同志社大学、津田塾大学助教授を経て、1987年、筑波大学助教授、のち教授。1995年、「アメリカ合衆国建国精神についての研究 - トマス・ジェファソンの「自由の帝国」の理念を中心に」で筑波大学より文学博士の学位を取得。2004年、定年退官、名誉教授。2025年、病により他界。85歳没。
岡田 幹治(おかだ もとはる、1940年 - 2021年7月… 岡田 幹治(おかだ もとはる、1940年 - 2021年7月21日)は、日本のジャーナリスト・ノンフィクション作家。 元朝日新聞論説委員、元朝日ニュースター(CS放送)キャスター、元『週刊金曜日』編集長。 新潟県高田市(現・上越市)生まれ。1959年新潟県立高田高等学校卒業。 1964年、一橋大学社会学部を卒業後、朝日新聞社に入社。1979年にワシントン特派員を経て、1988年に朝日新聞論説委員となる。2000年、同社を定年退社。『週刊金曜日』編集長を経て、フリージャーナリストに転身した。現在は、食の安全や公共事業、日本経済を主なテーマにして、市民の立場から取材・執筆・講演活動をしている。 FSN(食の安全を考えるネットワーク)理事のほか、上智大学や法政大学の講師、東京経済大学の非常勤講師も務めている。
村田 修(むらた おさむ、1940年 – 2025年9月9日… 村田 修(むらた おさむ、1940年 – 2025年9月9日)は、日本の水産学者。近畿大学名誉教授。近畿大学水産研究所顧問。近大マグロ考案者。 福井県小浜市出身。福井県立小浜水産高等学校(現:福井県立若狭高等学校海洋科学科)を経て、近畿大学農学部水産学科卒業後、近畿大学水産研究所教授や水産養殖種苗センター長、水産研究所所長などを歴任。水面を網で区切って行う養殖方法、小割式網イケス養殖技術の開発やブリからの採卵など、海水魚養殖研究の黎明期に中心的な役割を果たした。その後、世界初のヒラメ種苗生産や、クロマグロやクエなどの新養殖魚種の開発などに精力的に取り組み、成果をあげた。 2025年9月9日、和歌山県田辺市内の病院で肺炎により死去。
中村 仁一(なかむら じんいち、1940年 - 2021年6… 中村 仁一(なかむら じんいち、1940年 - 2021年6月5日)は、日本の医師、医療評論家。 長野県更埴市(現千曲市)生まれ。長野県上田高等学校を経て、1966年京都大学医学部卒業(医学士)。財団法人高雄病院院長、理事長を経て、2000年より社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所所長、医師。1996年より、市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰。医師による延命治療の拒否を唱えている。 生前は 毎月第3土曜日に京都市内にて「自分の死を考える集い」を開催し講演をしていた。 また、1970年代にはクイズプレイヤーとして数々のクイズ番組に出場し、「クイズグランプリ」グランドチャンピョンなど数々の優勝経験を持ち、さらに日本テレビ系「アメリカ横断ウルトラクイズ」の栄えある第1回で、機内800問(当時)ペーパーテストでは第1位で優勝者の松尾清三とわずか5点差の707点で第2位の成績を残すが、アメリカ本土上陸後のチェックポイント「サンディエゴ」で敗者となり、シャチにキスされるという罰ゲームを受けた。
後藤 晃吾(ごとう こうご、1940年 - 2023年12月… 後藤 晃吾(ごとう こうご、1940年 - 2023年12月24日)は、静岡県島田市出身のアマチュア野球選手(投手)。 榛原郡金谷町(現島田市)出身で、金谷中学時は県下に知られた投手。掛川西高では2年生の時、エースとして1957年夏の甲子園予選山静大会決勝に進み清水東高と対戦。後に大学の1年先輩となる漆畑勝久や早大に進む鈴木悳夫らに打ち崩され大敗、甲子園出場を逸する。 明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは、同期の八木孝と投の二本柱を組み1961年春季リーグで優勝、ベストナイン(投手)にも選出される。同年の全日本大学野球選手権大会に出場するが、準決勝でエース宮田征典を擁する日大に敗れた。リーグ通算43試合13勝10敗、防御率1.87、96奪三振。
國定 浩一(くにさだ こういち、1940年(昭和15年) -… 國定 浩一(くにさだ こういち、1940年(昭和15年) - 2024年(令和6年)1月24日)は、日本の経済評論家。大阪学院大学大学院商学研究科教授。専門は日本経済、関西経済。旧字の「國」が常用漢字に入っていないため、新聞やテレビ等では国定浩一と表記されることもある。 東京府生まれの大阪府育ち。大阪府立北野高等学校、東京大学法学部卒業。 大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件においては専務取締役として最終処理を担当している。 「金は汗を流して稼げ」がモットーである。外資系企業に対しては懐疑的な見解を採り、聖域なき構造改革に反対の立場に立つ。堀江貴文、村上世彰の手法を早くから批判し、小泉改革が格差を生んだとして小泉純一郎や竹中平蔵を強く批判している。
伴 襄(ばん のぼる、1940年(昭和15年) - )は、日… 伴 襄(ばん のぼる、1940年(昭和15年) - )は、日本の官僚。元建設事務次官。大阪府出身。
大泰司 紀之(おおたいし のりゆき、1940年 - )は、日… 大泰司 紀之(おおたいし のりゆき、1940年 - )は、日本の哺乳類学者。元酪農学園大学教授(環境システム学部生命環境学科)、北海道大学名誉教授。ニホンジカを中心とする資源保全学/形態・構造/生物多様性・分類/ を専門に研究をおこなった。 1940年旧満洲国生まれ。1964年北海道大学獣医学部獣医学科卒、1964年-1971年北海道大学助手、1971年-1980年北海道大学講師、1980年-1995年北海道大学助教授、1995年-2004年北海道大学教授。 1996年日本解剖学会評議員、2001年野生動物医学会評議員、1996年日本獣医学会評議員、1995年野生生物保護学会理事。 書籍等出版物として、「中国鹿類動物(華東師範大学出版社) 1992年」「歯の比較解剖学(医歯薬出版株式会社)1989年」「中国の野生哺乳動物[日本語・中国語・英語の3ヵ国語で出版](中国林業出版社)2000年」などがある。
田村 昌三(たむら まさみつ、1940年 - )は日本の工学… 田村 昌三(たむら まさみつ、1940年 - )は日本の工学者、東京大学名誉教授。専門は安全工学、火薬。 広島県に生まれる。1969年、東京大学大学院工学系研究科燃料工学専門課程博士課程修了。工学博士。研究テーマは「硝酸酸化とニトロ化に関する研究」。 修了後、東洋紡績に入社する。その後、東京大学工学部反応化学科講師、同助教授を経て、1990年より東京大学工学部反応化学科教授。1994年に東京大学工学部化学システム工学科教授。1995年に東京大学大学院工学系研究科化学システム工学専攻教授を歴任し、1999年より東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻教授に就任。2004年横浜国立大学安全・安心の科学教育研究センター教授。
織田 善行(おだ よしゆき、1940年 - )は、日本の実業… 織田 善行(おだ よしゆき、1940年 - )は、日本の実業家。アメリカンファミリー生命保険会社(AFLAC)日本法人の設立に関わり、取締役人事部長、常務取締役を経て退職。現アドベンチャーコーチング株式会社代表取締役。広島県出身。
川野 浩一(かわの こういち、1940年 - )は、日本の平… 川野 浩一(かわの こういち、1940年 - )は、日本の平和運動家。原水爆禁止日本国民会議議長。 1940年に朝鮮半島の平安北道(現在の北朝鮮)で生まれ、翌年父の徴兵を機に長崎市へ引き揚げた。1945年8月9日、爆心地から約3km離れた長崎市本紙屋町(現・麹屋町)の自宅付近で被爆。爆心地付近の浦上に住んでいた曽祖母を亡くした。1958年に長崎県立長崎東高等学校を卒業後、結核治療のため入院。当時は60年安保闘争が高まりを見せていた時期であり、病床で何もできない自分に劣等感を抱いたという。1961年に長崎県入庁後は組合活動に没頭し、長崎県職員労働組合青年部長・書記長のほか、長崎県労評センター議長・自治労長崎県本部委員長・連合長崎会長などを歴任した。
三田 信一(みた しんいち、1940年 - 2000年2月2… 三田 信一(みた しんいち、1940年 - 2000年2月25日)は、日本の木管楽器奏者、作曲家。 1940年、沖縄県越来村(現沖縄市)で、大阪出身の父と沖縄出身の母の間に生まれる。 沖縄県立コザ高等学校卒業後、フルートや尺八の奏者として嘉手苅林昌、玉城安定らのコンサートやレコーディングに木管楽器奏者として参加。手先が器用で、マッチ棒を数千本を組み合わせて尺八を手作りした逸話がある。 作曲家としてフォーシスターズが歌い、沖縄県だけで10万枚を売上げる大ヒットとなった「ちんぬくじゅうしい」のほか、「ウーマクカマデー」(以上、朝比呂志作詞)「たうちー一代(作詞:上原直彦)」「軽便鉄道節(作詞:徳田安周)」などの曲を書き上げる。
宮 健三(みや けんぞう、1940年(昭和15年) - )は… 宮 健三(みや けんぞう、1940年(昭和15年) - )は、日本の工学者、工学博士。東京大学名誉教授。日本保全学会理事長。専門分野は原子力工学、保全工学、核融合工学、電磁構造工学。現在は原子力推進の立場から学会を中心に活動をおこなっている。
森田 安一(もりた やすかず、1940年 - )は、日本の歴… 森田 安一(もりた やすかず、1940年 - )は、日本の歴史学者、日本女子大学名誉教授、放送大学客員教授。スイス史が専門。
木本 建治(きもと けんじ、1940年 - 1996年12月… 木本 建治(きもと けんじ、1940年 - 1996年12月29日)は、日本の元ラグビー選手、同指導者。
久我 清(くが きよし、1940年〈昭和15年〉 - 202… 久我 清(くが きよし、1940年〈昭和15年〉 - 2025年〈令和7年〉6月1日)は、日本の経済学者。専門は一般均衡理論。大阪大学名誉教授。 大阪市出身。数理経済学の大家である森嶋通夫の弟子。森嶋が大阪大学社会経済研究所(社研)の内紛で去った後も社研に残り、研究活動を続けた。阪大社研をその草創期より眺め、かつ、支えてきた。まさに「阪大社研の生き字引」とでも言うべき存在である。 森嶋と同様、一般均衡理論や経済成長理論の分野での業績が多い。
辰巳 信哉(たつみ しんや、1940年 - 2007年12月… 辰巳 信哉(たつみ しんや、1940年 - 2007年12月27日)は、日本の造園系地方公務員。位階は従六位。瑞宝双光章。 兵庫県赤穂郡上郡町に生まれる。岡山大学農学部園芸学科を卒業後、1962年から兵庫県庁に勤務し、一貫して公園部門を歩み、県立公園の整備や管理に携わる。1993年から公園緑地課長を務める。 2000年に定年退職後、兵庫県園芸・公園協会常務理事や、日本造園修景協会およびランドスケープコンサルタンツ協会の理事を務めた。 2002年に、第24回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 2005年に有限会社パークサービス研究所を設立した。 2007年12月死去。死没日付をもって従六位に叙され、瑞宝双光章を追贈された。
宮崎 政宣(みやざき まさのぶ、1940年 - 2026年5… 宮崎 政宣(みやざき まさのぶ、1940年 - 2026年5月5日)は、日本の地方公務員。元長崎県副知事。出納長、教育長、交通局長などを歴任し、副知事時代には県内の市町村合併を推進した。県庁退職後、公益財団法人長崎県すこやか長寿財団理事長等を務めた。 長崎県立長崎東高等学校を経て、1964年関西大学法学部卒業後、同年に長崎県入庁。観光課長、人事課長、1990年交通局長、1992年農林部長、1994年教育長を経て、1995年4月出納長。長崎県知事の金子原二郎に行政手腕を買われ、1999年4月副知事に就任。着任に際して各部課の横断的な協力に基づく総合行政の必要性を訴え、その調整に努めたいと所感を述べた。
井垣 康弘(いがき やすひろ 1940年 - 2022年2月… 井垣 康弘(いがき やすひろ 1940年 - 2022年2月26日)は、日本の裁判官、弁護士。 大阪府出身。京都大学法学部卒業。大学2年生の時に無免許運転で捕まる。 1967年、裁判官に任官。2005年、裁判官を定年退官。その後、弁護士になる。 裁判官退官前に癌を患い、人工声帯で裁判を行っていた。 2022年2月26日、急性虚血性心疾患により82歳で死去。 神戸連続児童殺傷事件で行われた審判の裁判長であった。この審判では加害者を医療少年院に送致することを決定していた。2005年に裁判官を退官後、弁護士を務めていた2015年、神戸連続児童殺傷事件の加害者を家庭裁判所に送致する決定文の全文を文藝春秋に提供して公開した。
西里 喜行(にしざと きこう、1940年 - 2024年2月… 西里 喜行(にしざと きこう、1940年 - 2024年2月2日)は、日本の沖縄史学者、琉球大学名誉教授。 中琉日関係史の研究に尽くし、琉球王府の外交文書「歴代宝案」の編さん事業に長年携わった。 沖縄県竹富島生まれ。1969年京都大学大学院文学研究科博士課程(東洋史学専攻)単位取得満期退学。1970年琉球大学教育学部講師。1972年同大学助教授。1983年同大学教授。1996年定年退官、名誉教授。2004年「清末中琉日関係史の研究 琉球所属問題始末」で京都大学文学博士。 1987年から2003年まで琉球王国評定所文書編集委員会委員、1990年以降は県歴代宝案編集委員会委員、1991年以降は県歴代宝案編集委員会作業部会委員。
山崎 高哉(やまざき たかや、1940年 - 2024年8月… 山崎 高哉(やまざき たかや、1940年 - 2024年8月12日)は、教育学者、京都大学名誉教授、大阪総合保育大学学長。 奈良県生まれ。1967年京都大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。1994年「ケルシェンシュタイナー教育学の特質と意義」で教育学博士。天理大学講師、富山大学教育学部講師、助教授、1988年京都大学教育学部助教授、教育学研究科教授、2003年定年退官、名誉教授、佛教大学教育学部教授、2006退官後、大阪総合保育大学初代学長に就任する。2018年3月で任期を終える。2024年8月12日死去。叙従四位、瑞宝中綬章追贈。 弟子に片山勝茂、弘田陽介、平松隆円、増田翼らがいる。
山本 肇(やまもと はじめ、1940年 - 2006年10月… 山本 肇(やまもと はじめ、1940年 - 2006年10月29日)は、元NHKの解説委員。 静岡県静岡市出身。静岡県立静岡高等学校、京都大学法学部を卒業後1962年NHK入局。神戸、大阪放送局を経て報道局社会部記者、ニュースキャスター、プロデューサー、解説主幹、地元静岡放送局長を務めた。 1994年、第31回ギャラクシー賞・テレビ部門個人賞を受賞。 NHKを定年退職した後、1997年に静岡県文化財団副理事長に就任。静岡県コンベンションアーツセンター「グランシップ」の館長も務め、教育、文化、地域振興などの分野で活躍した。2006年10月29日に66歳で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
奥原 征一郎(おくはら せいいちろう、1940年〈昭和15年… 奥原 征一郎(おくはら せいいちろう、1940年〈昭和15年〉 - )は、日本の実業家。グローカル代表取締役会長。コトブキ技研工業初代社長。呉商工会議所名誉会頭。呉観光協会会長。 広島県呉市出身。1962年、慶應義塾大学文学部社会学科卒業、寿工業入社。1972年、取締役副社長を経て1979年、代表取締役、同年にコトブキ技研工業初代社長に就任。 1983年、社会福祉法人白寿会理事長。1984年、コトブキシステム創立、代表取締役。1992年、コトブキグループ本部設置、代表に就任する。1995年、呉ビール代表取締役。 1989年、呉商工会議所副会頭、1995年、常議員を経て同年より会頭。 奥原が代表取締役を務めていたアジア特殊製鋼(船舶などに使う特殊鋼母材の専門メーカー)は2012年4月3日、事業を停止し、事後処理を弁護士に委任したと発表した。
河村 陽子(かわむら ようこ、1940年 - 2023年)は… 河村 陽子(かわむら ようこ、1940年 - 2023年)は元NHKアナウンサー。 1963年に慶応義塾大学を卒業してNHKへ入局した。アナウンサーとして「スタジオ102」「生活の知恵」「シルバーシート」などの司会やディレクターを担当し、後年は「ラジオ深夜便」のアンカーを務めた。 「深夜便」アンカーを卒業後、同番組の早朝コーナー「明日への言葉」のディレクター・インタビューアーを務めたほか、2010年代に放送大学「もう一度みたい名講義 ~放送大学アーカイブス~」の案内役も担当する。 2023年11月に他界して葬儀が営まれたことを、2023年11月14日23時過ぎにラジオ深夜便で須磨佳津江が報告した。
孫福 弘(まごふく ひろむ、1940年 - 2004年6月1… 孫福 弘(まごふく ひろむ、1940年 - 2004年6月17日)は、日本の大学経営研究者。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス事務長、総合政策学部教授、マスダ教育財団理事長などを歴任した。 1962年慶應義塾大学文学部を卒業し、慶應義塾職員となり、秘書課長、国際センター事務長などを歴任。この間、1980年 - 1981年にはフルブライト上級研究員としてミシガン州立大学などで研究にあたる。1988年には、教育行政上の功績により慶應義塾賞を受賞した。1990年に開設された湘南藤沢キャンパスの初代事務長を務め、1997年から1999年には大学行政管理学会初代会長を務めた。その後、塾監局人事部長、業務改革推進室長、理事・塾監局長を経て、教員に転じ、2001年には総合政策学部教授となり、桜美林大学大学院客員教授にもなった。
針原 孝之(はりはら たかゆき、1940年 - 2020年3… 針原 孝之(はりはら たかゆき、1940年 - 2020年3月4日)は、日本の国文学者。二松学舎大学名誉教授。2019年瑞宝中綬章受章。 富山県生まれ。國學院大學国文科卒。同大学院修士課程修了。東洋大学講師、二松学舎大学助教授、教授。2011年定年退任、名誉教授。 2019年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 上代文学、特に大伴家持が専門。
松川 隆治(まつかわ りゅうじ(たかはる)、1940年 - … 松川 隆治(まつかわ りゅうじ(たかはる)、1940年 - )は、日本の郷土史家、かくれキリシタンの末裔。 長崎外海キリシタン研究会代表、外海潜伏キリシタン文化資料館館長。 長崎県西彼黒崎村(現長崎市)生まれ。駒澤大学卒業。長崎県立高校教諭(県立島原工高、国見高、上五島高、長崎明誠高の教諭を歴任)。先祖は、かくれキリシタン。祖父は帳方(ちょうかた: 信仰組織の組頭)を務め、母親には幼いころに「オラショ」(潜伏キリシタンの祈り)を習う。 長崎巡礼センター在籍外海潜伏キリシタン調査に従事。長崎外海キリシタン研究会代表。外海潜伏キリシタン文化資料館館長(2017年3月19日に開館)。外海地区連合自治会会長、外海ボランティアガイド協会会長、外海文化愛好会会長。
及川 紀久雄 (おいかわ きくお、1940年 - 2026年… 及川 紀久雄 (おいかわ きくお、1940年 - 2026年5月9日)は、日本の工学者。工学博士(慶應義塾大学)。薬剤師。新潟薬科大学名誉教授。社会福祉法人新潟いのちの電話理事長。「津南・北野大塾」副塾長。専門は、環境安全科学、木質炭化物の高機能化、資源循環型エコシステム、野菜の高品質科学。 岩手県出身。1967年、千葉大学大学院修士課程修了(薬学修士)後、財団法人日本環境衛生センターに勤務。1977年、新潟薬科大学薬学部環境化学講座講師、助教授、教授。2002年、応用生命科学部環境安全科学研究室教授。2009年4月1日、新潟薬科大学名誉教授。国土交通省北陸地方整備局水質アドバイザー、新潟県環境影響評価審査会委員、新潟市環境審議会会長。
川勝 守(かわかつ まもる、1940年 - 2021年7月1… 川勝 守(かわかつ まもる、1940年 - 2021年7月16日)は、日本の東洋史学者、九州大学・大正大学名誉教授。拝島大師本覚院山主でもあり、僧名は「川勝 賢亮」(かわかつ けんりょう)。 1940年、東京で生まれた。東京大学文学部東洋史学科で学び、1964年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科に進み、1972年に博士課程を満期退学。 1973年に九州大学文学部講師となった。1980年、学位論文『明清時代、賦・役制度史の基礎的研究』にを東京大学に提出して文学博士の学位を取得。1987年、九州大学文学部教授となり、東洋史学講座を担当。1998年、九州大学を退官し、名誉教授となった。その後は大正大学文学部教授として教鞭を執った。