金田 龍之介(かねだ りゅうのすけ、1928年6月15日 -… 金田 龍之介(かねだ りゅうのすけ、1928年6月15日 - 2009年3月31日)は、日本の俳優。本名は同じ。1970年頃までは異体字で表記された金田竜之介名義の作品もある。血液型はA型。三男は俳優の金田拓三。過去の出演作品については、金田 龍之介権利継承者である満里子夫人から、オフィス天童に委任されている。
1928年(昭和3年)生まれ:995人
金田 龍之介(かねだ りゅうのすけ、1928年6月15日 -… 金田 龍之介(かねだ りゅうのすけ、1928年6月15日 - 2009年3月31日)は、日本の俳優。本名は同じ。1970年頃までは異体字で表記された金田竜之介名義の作品もある。血液型はA型。三男は俳優の金田拓三。過去の出演作品については、金田 龍之介権利継承者である満里子夫人から、オフィス天童に委任されている。
原田 孝一(はらだ こういち、1928年6月15日 - )は… 原田 孝一(はらだ こういち、1928年6月15日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
小室 金之助(こむろ きんのすけ、1928年6月15日 - … 小室 金之助(こむろ きんのすけ、1928年6月15日 - 2015年8月23日)は、法学者、弁護士、創価大学名誉教授。
安倍 洋子(あべ ようこ、旧姓:岸〈きし〉、1928年〈昭和… 安倍 洋子(あべ ようこ、旧姓:岸〈きし〉、1928年〈昭和3年〉6月14日 - 2024年〈令和6年〉2月4日)は、日本の書家。岸信介の長女、安倍晋太郎の妻、安倍寛信・安倍晋三・岸信夫の母。 三代にわたる政治家一家である岸・安倍家の「ゴッドマザー」的存在で、長らく清和政策研究会所属議員夫人たちのリーダーを務め、政界に信奉者が多いことから「政界のゴッドマザー」と称されていた。 岸信介・良子夫妻の第2子・長女として、東京府豊多摩郡中野町千光前(現:東京都中野区中野)に生まれた。父:信介の満州国政府への赴任中(1936年 - 1939年)は、中野の家で母方の祖母:千代に育てられた。 1941年に一家は新宿区新宿柏木に転居したが、1945年に洋子が白百合高等女学校(現:白百合学園中学校・高等学校)を卒業した後、岸家の実家がある山口県田布施町へ疎開し、洋子も山口銀行の田布施支店に勤務した。
八木 貞二(やぎ ていじ、1928年(昭和3年)6月14日 … 八木 貞二(やぎ ていじ、1928年(昭和3年)6月14日 - 2009年(平成21年)12月7日)は、宮内庁侍従次長。農学博士。 誠実で穏やかな侍従であったと伝えられ、長年にわたり天皇に仕えた。学生時代から登山に親しみ、当時皇太子であった明仁上皇の日本山岳会への入会のきっかけを作った。大学では鯨を研究した。1945年(昭和20年)、静岡中学卒業。1949年(昭和24年)、旧制静岡高等学校卒業。東京大学農学部水産学科卒業。1964年(昭和39年)東宮侍従となり、1989年(平成元年)即位に伴い侍従に就任。1995年(平成7年)から1999年(平成11年)まで、侍従次長を務めた。定年退職後も天皇の御用係として、さらに数年勤めた。
赤羽 信久(あかばね のぶひさ、1928年 <昭和3年> 6… 赤羽 信久(あかばね のぶひさ、1928年 <昭和3年> 6月14日 - 2008年 <平成20年> 5月12日)は、日本の通商産業技官。科学技術庁原子力安全局長や、科学審議官、新技術開発事業団理事長などを歴任した。 東京出身。1953年東京工業大学(のちの東京科学大学)化学科卒業、通商産業省入省。科学技術庁長官官房総務課長補佐を経て、1968年科学技術庁原子力局放射能課長。1970年工業技術院標準部繊維化学規格課長。1971年科学技術庁原子力局核燃料課長。 1973年通商産業省基礎産業局化学製品課長。1974年通商産業省大阪通商産業局通商部長。1975年工業技術院総務部研究業務課長。1977年科学技術庁長官官房参事官。
千石 保(せんごく たもつ 1928年(昭和3年)6月13日… 千石 保(せんごく たもつ 1928年(昭和3年)6月13日 - 2016年(平成28年)10月21日)は、日本の教育者。子供の実態研究の、第一人者である。 富山県出身。早稲田大学法学部卒。東京地方検察庁(東京地検)検察官(検事)、法務総合研究所教官、総理府参事官を経て、私財を投じ、1975年(昭和50年)に財団法人日本青少年研究所を設立、2008年(平成20年)現在同研究所理事長および所長を兼任。 中曽根康弘内閣の臨時教育審議会では、第3部会に所属し、文部官僚の立場と軌を一にする形で、教育の規制緩和に反対した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
白鳥 伸雄(しらとり のぶお、1928年(昭和3年)6月12… 白鳥 伸雄(しらとり のぶお、1928年(昭和3年)6月12日 - 2016年(平成28年)2月26日)は、元競輪選手。千葉県習志野市出身。旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)卒業。日本競輪学校創設以前の期前選手で選手登録番号2224。現役時は日本競輪選手会千葉支部所属。初出走は1950年3月1日の神戸競輪場。「輪聖」と呼ばれる。 1928年6月12日、千葉県習志野市に生まれる。近所の自転車屋に「いい身体してるから、競輪選手になったらどうだ」と勧められたのがきっかけで試験を受け、10日練習しただけで合格。さらにその2か月後には当時の慢性的な選手不足も手伝い、競輪のことをほとんど知らないまま神戸競輪場で競輪選手としてデビューし、翌4月に10連勝を達成してA級に特進した。
柳父 章(やなぶ あきら、1928年6月12日 - 2018… 柳父 章(やなぶ あきら、1928年6月12日 - 2018年1月2日)は、翻訳語研究者、比較文化論研究者。桃山学院大学名誉教授。本名・章新(ゆきよし)。 東京生まれ。父は農商務省の官吏。旧制浦和高等学校に進むが、20歳の時肺結核を病み、サナトリウムで8年の療養を余儀なくされる。その後東京大学に入り、はじめ理系だったが「文転」し、教養学部国際関係論を卒業した。同期に蓮實重彦がおり、在学中、「東京大学新聞」に「黒船ショック以後」「武内宿祢」などを載せ、五月祭賞を受賞、堀田善衛らの賞賛を受けた。卒業後は評論家となるべく、私塾講師などをしながら著述を出すが、1987年、大学時代のフランス語の師であった平井啓之の誘いで桃山学院大学教授となる。
遠山 サキ(とおやま サキ、1928年〈昭和3年〉6月12日… 遠山 サキ(とおやま サキ、1928年〈昭和3年〉6月12日 - 2018年〈平成30年〉12月15日)は、日本のアイヌ文化伝承者。北海道の浦河町でアイヌ文化全般の知識や技能、技術を体得した伝承者であり、日本国内外で活躍したアイヌ文化伝承者の第一人者とされる。 北海道浦河町の姉茶地区で誕生した。8歳のときに姉茶尋常小学校に入学、小学3年で野深小学校に転入したが、アイヌの生まれであることを理由にいじめに遭い、あまり学校には通わずに少女時代を過ごした。 結婚後に子供たちが独立した頃より、アイヌの衣装の製作を始めた。さらに、浦河を代表する伝承者の1人である浦川タレからアイヌ文化の教えを受けて、次第にアイヌ文化に傾倒していった。
小幡 欣治(おばた きんじ、1928年6月12日 - 201… 小幡 欣治(おばた きんじ、1928年6月12日 - 2011年2月17日)は、日本の劇作家。 東京市浅草区(現・東京都台東区)出身。東京都立京橋化学工業学校(後の東京都立羽田工業高等学校で、現在の東京都立つばさ総合高等学校)卒業。 元々演劇や文学に傾倒しているわけではなかったが、演劇雑誌の懸賞募集に初めて戯曲を書いて入選したのをきっかけに、1950年に「悲劇喜劇戯曲研究会」に入会。工員、セールスマンなどを務める傍ら演劇界での活動を続け、1956年に「畸生児」で第2回新劇戯曲賞(後の岸田國士戯曲賞)を受賞。菊田一夫の後継者存在とも言われたことがあった。1975年芸術選奨新人賞受賞。それ以降商業演劇だけでなく新劇を手掛け、1999年には第7回「山本安英の会」記念基金に贈られた。
梅田 佳声(うめだ かせい、本名:梅田 義彦(うめだ よしひ… 梅田 佳声(うめだ かせい、本名:梅田 義彦(うめだ よしひこ)、1928年6月12日 - 2015年8月27日)は、東京都中央区出身の紙芝居師。江戸弁の語りをし、自身で脚色を行い、紙芝居の世界観を形づくった。 1948年に長谷川一夫主宰の新演伎座演技研究所に入所。その後、梅田弘の芸名で多摩川園歌劇団、デン助劇団などの舞台に立ったほか、漫才師としても活躍。のち、ろく膜炎を患い芸能界を引退、東京の印刷会社に勤務。 1981年台東区立下町風俗資料館で紙芝居用の自転車を見かけたことをきっかけに、勤務先を定年後、毎月第1と第3日曜日、同資料館で紙芝居の実演を行うようになった。 1993年ごろ入手した、計600枚からなる怪談仕立ての長編紙芝居「猫三味線」を、1996年、お江戸日本橋亭で2日間にわたり全巻通しで上演。
中村 寛之助(なかむら かんのすけ、1928年6月11日- … 中村 寛之助(なかむら かんのすけ、1928年6月11日- 2010年3月31日 )は、日本の経営者。協和発酵工業社長、会長を務めた。 鳥取県出身。1953年に京都大学経済学部を卒業し、同年に協和醱酵工業に入社した。1976年3月に取締役に就任し、1982年3月に常務、1985年3月に専務を経て、1987年3月に副社長に就任し、1991年8月には社長に昇格。1996年3月に会長に就任し、1998年6月に取締役相談役を経て、2001年6月に相談役に就任。 2002年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2010年3月31日、肺炎のために死去。81歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
金田 幸三(かねだ こうぞう、1928年(昭和3年)6月10… 金田 幸三(かねだ こうぞう、1928年(昭和3年)6月10日 - 2017年(平成29年)6月15日)は、日本の実業家。位階は従四位。 元ニチレイ社長・会長。後に、学校法人和洋学園理事長。現在の福島県白河市出身。
中込 道夫(なかごめ みちお、1928年6月10日 - 20… 中込 道夫(なかごめ みちお、1928年6月10日 - 2010年)は、日本の政治学者、川柳作家。 東京府(北区)出身。柳名・清水みちを。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院国際政治学専攻修士課程修了。新聞記者、私立高校教諭などをへて、1967年神奈川県逗子市で池子弾薬庫反対市民会議を結成。1983年6月フィリピンのミンダナオ島の未開地で青年海外協力隊などの協力で農業大学を開設、副学長となる。足利工業大学教授、適正科学研究所所長。
佐藤 徳雄(さとう とくお、1928年6月8日 - 2005… 佐藤 徳雄(さとう とくお、1928年6月8日 - 2005年7月31日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(3期)。 福島県郡山市出身。郡山商卒。小学校教諭、福島県教組委員長、県労連議長を経て、1983年の第37回衆議院議員総選挙で旧福島1区から日本社会党公認で立候補して初当選。3期務めた。1993年に引退した。 1998年、勲三等旭日中綬章受章。 2005年7月31日、死去。77歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
福島 幸雄(ふくしま ゆきお、1928年〈昭和3年〉6月8日… 福島 幸雄(ふくしま ゆきお、1928年〈昭和3年〉6月8日 - 2001年〈平成13年〉1月11日)は、NHKのアナウンサー。 東京生まれ。日本大学第一中学校(現在の日本大学第一高等学校)を経て、千葉外事専門学校(現在の麗澤大学)を卒業した。 1949年(昭和24年)、NHKにアナウンサーとして入局した。同期には八木治郎、小川宏といった、後に民放のワイドショーで司会を担当するアナウンサーがいた。 1960年(昭和35年)から2年間、アメリカ・ワシントンのVOAに出向し、東京オリンピックをはじめとしたスポーツ実況、『ニュースセンター9時』(NC9)のスポーツコーナー、『スポーツアワー』の司会などスポーツキャスターの草分けとして活動し、夏冬で5回の五輪を担当した。
吉田 文雀(よしだ ぶんじゃく、本名:塚本 和男、1928年… 吉田 文雀(よしだ ぶんじゃく、本名:塚本 和男、1928年6月8日 - 2016年8月20日)は、人形浄瑠璃文楽の人形遣い。東京都出身。 父、祖父の影響で幼少の戦前から文楽や歌舞伎に触れてきた、戦時中は好きが高じて文楽の楽屋に出入りし戦中多くの遣いが疎開や戦地に赴いた為、人手が足りなかった為舞台に立つことになる。1945年8月に文楽座入りし、2代目吉田玉市の預かり弟子で吉田和夫を名乗る。翌年正式に南座で初舞台。1950年に3代目吉田文五郎の正式な門下になり2代目中村扇雀(後の4代目坂田藤十郎)と仲がよかったので師である文五郎の「文」と扇雀の「雀」を合わせて文雀となる。1991年紫綬褒章受章。1994年、重要無形文化財(人間国宝)認定。
中野 達雄(なかの たつお、1928年6月8日 - 2002… 中野 達雄(なかの たつお、1928年6月8日 - 2002年6月11日)は、よみうりテレビ社長・会長。福岡県出身。
宇野 善康(うの よしやす、1928年6月8日-2015年3… 宇野 善康(うの よしやす、1928年6月8日-2015年3月11日)は、日本の社会心理学者。 愛知県豊田市出身。1958年慶應義塾大学大学院博士課程満期退学、慶大文学部助手、1962年講師、1964年助教授、1969年「革新的アイデアの開発普及過程に関する研究 コミュニケーション科学的観点からのアプローチ」で社会学博士。1971年教授、1972年同社会学研究科教授、1994年定年退任、名誉教授、愛知淑徳大学教授。2004年退職。普及学、イノベーション理論を研究した。宇野の「革新的アイデア」はイノベーションに対応する邦訳語であり、技術革新よりも広い原義を表している。
山梨 清松(やまなし せいしょう、1928年6月8日 - 2… 山梨 清松(やまなし せいしょう、1928年6月8日 - 2015年2月10日)は、日本の建築家。(株)綜合設計事務所 代表取締役会長。(社)日本建築士会連合会理事、副会長、顧問。(社)日本建築家協会理事。静岡県建築士会会長。(財)静岡県建築住宅まちづくりセンター理事長。日本大学(非常勤講師)等を歴任した。 日本大学理工学部卒業(1952年)、卒業設計「空港の設計」卒論「明治以降の構造の変遷史」、東京大学大学院建築学科博士課程修了(1957年)、丹下健三研究室所属(大学院の同期は槙文彦、神谷宏冶))。 丹下研究室(1952~57年)では、図書印刷原町工場、丹下健三自邸などの設計に参画した。 山梨が丹下健三自邸の基本設計を担当したことについては、藤森照信が「X-Knowledge HOME特別編集no.5(2005年8月発行エクスナレッジ)に、『丹下健三自邸の謎』p38-43という論文が掲載されている。
津村 節子(つむら せつこ、1928年〈昭和3年〉6月5日 … 津村 節子(つむら せつこ、1928年〈昭和3年〉6月5日 - )は、日本の小説家。勲等は旭日中綬章。本名は吉村 節子(よしむら せつこ、旧姓北原)。日本芸術院会員、文化功労者。名誉三鷹市民。 福井県福井市生まれ。1965年「玩具」で芥川賞、1990年『流星雨』で女流文学賞、1998年『智恵子飛ぶ』で芸術選奨文部大臣賞、2003年「長年にわたる作家としての業績」で恩賜賞・日本芸術院賞受賞。同年日本芸術院会員となる。2011年「異郷」で川端康成文学賞受賞。ふるさと五部作に『炎の舞い』、『遅咲きの梅』、『白百合の崖』、『花がたみ』、『絹扇』がある。夫も小説家の吉村昭。
田中 健五(たなか けんご、1928年(昭和3年)6月4日 … 田中 健五(たなか けんご、1928年(昭和3年)6月4日 - 2022年(令和4年)5月7日)は、日本のジャーナリスト、編集者、実業家。『諸君!』、『文藝春秋』、『週刊文春』編集長を経て、文藝春秋社長(第7代)。 広島県広島市出身。海軍兵学校教授であり、高松宮宣仁親王に英語を指導したことでも知られる田中酉熊の五男として生まれる。 都立一中から1945年(昭和20年)4月、海軍兵学校に第77期生として入学するも敗戦により退校、旧制東京高校を経て、1953年東京大学文学部独文科を卒業。就職難の時代、たまたま文藝春秋新社(現・文藝春秋)の試験を受け入社。半藤一利は同期生。当時の文藝春秋は社員数100人にも満たない小さな会社だった。
香原 志勢(こうはら ゆきなり、1928年6月4日 - 20… 香原 志勢(こうはら ゆきなり、1928年6月4日 - 2014年11月16日)は、日本の人類学者。立教大学名誉教授。専攻は人類学、比較行動学。 1928年、東京生まれ。旧制麻布中学校を経て、1945年に旧制都立高等学校理科乙類に入学。戦時下の空襲で自宅や母と妹を失った。1948年に東京大学理学部人類学科に入学。人類学教室では、木村邦彦、寺田和夫、埴原和郎らがいた。1951年に卒業し、同大学大学院に進んだ。 1954年、信州大学医学部第二解剖教室助手に採用された。1956年に講師、1960年に助教授昇格。鈴木誠の下で解剖学実習などにあたるとともに、信州大学在職中には長野県南佐久郡北相木村の栃原岩陰遺跡の発掘に参加した。
宮 次男(みや つぎお、1928年6月2日 - 1994年2… 宮 次男(みや つぎお、1928年6月2日 - 1994年2月20日)は、日本の美術史家。専門は日本中世絵画史。 三重県出身。東北大学文学部卒。東京国立博物館、東京国立文化財研究所勤務。1960年「醍醐寺五重塔の壁画」(共同研究)で学士院恩賜賞受賞。77年「金字宝塔曼陀羅の研究」で東北大学より文学博士の学位を取得。東京国立文化財研究所情報資料部長、87年実践女子大学教授。
竹本 弘一(たけもとひろかず 、1928年6月1日 - 19… 竹本 弘一(たけもとひろかず 、1928年6月1日 - 1993年3月18日)は、映画・テレビドラマ作品の監督・演出家。和歌山県出身。 東映映画撮影所で数々の映画作品に助監督として携わったが、当時の映画業界は斜陽を迎えていたため監督への昇進は叶わず、テレビの世界に活路を求めた。1966年、38歳の時に『悪魔くん』で監督デビューを果たす。以降は主に、東映のテレビ作品で辣腕を振るい『キイハンター』・『プレイガール』・『バーディー大作戦』などの大人向けアクション作品を演出する。他にも『仮面ライダー』・『秘密戦隊ゴレンジャー』など多くのキャラクター作品を演出し、幅広く活躍した。 長年活動を続けた東映を離れた後、大映テレビに移籍する。
黒田 実郎(くろだ じつお、1928年6月1日-1999年8… 黒田 実郎(くろだ じつお、1928年6月1日-1999年8月18日)は、幼児心理学者。 大阪市生まれ。1952年関西学院大学大学院心理学博士課程満期退学、ロンドン大学大学院心理学博士課程修了、聖和女子短期大学専任講師、55年助教授、61年教授、64年聖和女子大学教授、1970年「条件づけによる幼児の行動変容に関する実験研究」で関西学院大学文学博士。80年聖和大学教育学部教授。99年定年退任。没後正五位勲三等瑞宝章受勲。ジョン・ボウルビィのアタッチメント理論の権威であった。
佐藤 寿々江(さとう すずえ、1928年6月1日- 2016… 佐藤 寿々江(さとう すずえ、1928年6月1日- 2016年11月13日)は、日本の彩色家。現在の東京都渋谷区出身。 以前は映画館で上映される映画のポスター写真に色づけを加える彩色の作業に携わっていたが、1951年3月場所に日本相撲協会が、幕内最高優勝賞品の一つとして優勝額の贈呈を再開するにあたり、掲額される優勝額のモノクロ写真に、手作業で着色する作業を延べ62年間にわたって担当し続けた。この優勝額は5年余りにわたって蔵前国技館、次いで両国国技館に掲額された。 晩年は体調を崩したため、以前の同僚が彩色作業を手伝うこともあったが、2014年1月、優勝額を提供する毎日新聞社から、佐藤が高齢になったことに伴い、優勝額の着色作業から引退することを正式に発表。
田島 稔(たじま みのる、1928年〈昭和3年〉6月 - … 田島 稔(たじま みのる、1928年〈昭和3年〉6月 - 2023年〈令和5年〉1月14日)は、日本の建設技官。国土地理院長を務めた。 1928年に栃木県栃木市に生まれる。1952年3月東京大学理学部地球物理学科卒業後、同年4月建設省地理調査所勤務。1967年2月理学博士(東京大学)。1982年11月国土地理院長。1984年11月同院を退職。1985年6月学校法人中央工学校理事を経て学校法人中央工学校・中央実務専門学校校長。
小坂 太郎(こさか たろう、1928年(昭和3年)5月30日… 小坂 太郎(こさか たろう、1928年(昭和3年)5月30日 - 2010年(平成22年)11月8日)は、秋田県出身の詩人。第7回小熊秀雄賞受賞。本名小坂 芳太郎(こさか よしたろう)。 秋田県雄勝郡西馬音内町(現、羽後町)生まれ。旧制県立横手中学校卒。1951年(昭和26年)より郷里の中学校にて教職に就き、1989年(平成元年)羽後町立三輪中学校(教頭)を定年にて退官。教職の傍ら郷里を基底に詩作を続け、1960年(昭和35年)に思潮社より第一詩集『北方の眼』を刊行。生涯に詩集十冊のほか、評論や随筆集などを著した。1973年(昭和48年)詩「米」(『北の儀式』所収)にて第十回総評文学賞、翌1974年に第四詩集『北の儀式』にて小熊秀雄賞、1987年(昭和60年)には第八詩集『北の鷹匠』で秋田県芸術選奨を受賞している。
木村 恒久(きむら つねひさ、1928年5月30日 - 20… 木村 恒久(きむら つねひさ、1928年5月30日 - 2008年12月27日)は、日本のグラフィックデザイナー。東京造形大学客員教授。 大阪市出身。1946年に大阪市立工芸学校(現・市立工芸高校)図案科卒。1950年代にかけて大阪で精力的にデザイン制作や批評活動を展開、永井一正、片山利弘、田中一光らとともに「若手四天王」と称された。 1960年に上京し日本デザインセンターに入社、1964年に独立する。この間の1962年、日本建築家協会主催の「モデュール展」で原弘と共同制作を行い、ADC銅賞を受賞している。1964年の東京オリンピックではピクトグラムの制作に携わっている。 1966年には、前年に宇野亜喜良、永井一正、和田誠らとともに開催した展覧会「ペルソナ」で毎日産業デザイン賞を受賞している。
堀口 宏(ほりぐち ひろし、1928年5月30日 - 没年不… 堀口 宏(ほりぐち ひろし、1928年5月30日 - 没年不明)は、日本のプロボクサー。栃木県真岡市出身。元日本バンタム級王者。 ピストン堀口は実兄。 通算戦績 101戦82勝(24KO)11敗6分2無効試合 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
佐藤 勝(さとう まさる、1928年〈昭和3年〉5月29日 … 佐藤 勝(さとう まさる、1928年〈昭和3年〉5月29日 - 1999年〈平成11年〉12月5日)は、日本の作曲家。北海道留萌市出身。 生家の近くに映画館があり、母親が映画好きだった事を受け勝は映画に興味をもち、そこから流れる音楽に心打たれた彼は将来映画音楽を担当する作曲家になろうと心に決める。旧制留萌中を経て国立音楽学校にて音楽を学び、岡本敏明に師事。卒業後は映画音楽家を志して卒業1週間前に知り合った作曲家の早坂文雄の門下に入り、音楽学校の講師やバンドマンで生計をたてながら早坂に師事する。また、同じ北海道出身の作曲家・伊福部昭の作品にも大きな影響を受けた。 1952年(昭和27年)、映画『三太と千代ノ山』(新理研映画)で映画音楽を初担当。
佐藤 一郎(さとう いちろう、1928年5月27日 - 20… 佐藤 一郎(さとう いちろう、1928年5月27日 - 2020年2月8日)は、日本の中国文学者、慶應義塾大学名誉教授。 1928年、東京府で生まれた。慶應義塾大学文学部で学び、1950年に卒業。 慶應義塾大学助教授となり、後に教授昇格。1991年、『中国文章論』を慶應義塾大学に提出して文学博士の学位を取得。1993年に慶應義塾大学を退任し、名誉教授となった。その後は大正大学教授として教鞭をとった。2000年、大正大学を定年退職。 2020年2月8日午後9時、脳梗塞のため横浜市で死去。91歳没。
渡辺 富美雄(わたなべ ふみお、1928年5月25日 - )… 渡辺 富美雄(わたなべ ふみお、1928年5月25日 - )は、日本の日本語学者・国語教育学者。 山梨県富士吉田市生まれ。1956年東京都立大学大学院人文科学研究科国語学修士課程修了。新潟大学教育学部助教授、教授、1978年頃文部省初等中学教育局小学校教育課教科調査官および同教育局主任視学官を経て、1997年頃東京家政学院大学教授、同大学院研究科長。新潟県の方言研究を行った。
村上 不二夫(むらかみ ふじお、1928年5月24日 - 2… 村上 不二夫(むらかみ ふじお、1928年5月24日 - 2023年11月29日)は、日本の俳優・タレントである。本名は深浦 不二夫。 旧芸名は三村 恭二、三村 俊夫。 東京都出身。旧制日大三中・明治大学商学部卒。新東宝に入社後、1954年に映画『月の光』で俳優デビュー。『遊星王子』(1958年、NTV) の遊星王子 / ワクさん役で有名。 大映を経て、テレビ朝日『アフタヌーンショー』などワイドショー・情報番組のレポーターとして活躍。 1992年7月から9月までテレビ朝日『お昼の独占!女の60分』のメイン司会を担当した。 その後も情報番組のコメンテーター、講演や執筆活動などで活躍している。 2020年2月21日放送のテレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』日本の景気を考えるのコーナーで当時84歳の干しイモ製造の男性が出演。
小堺 昭三(こさかい しょうぞう、1928年5月24日 - … 小堺 昭三(こさかい しょうぞう、1928年5月24日 - 1995年3月7日)は、日本の作家。 福岡県大牟田市生まれ。旧制福岡県立八幡中学校卒。火野葦平の秘書を務め、のち『週刊文春』のルポライターを経て作家となる。1951年「朝鮮海峡」で新潮社文学賞佳作、1959年「基地」で芥川賞候補、1960年「自分の中の他人」で直木賞候補。『密告―昭和俳句弾圧事件』(ダイヤモンド社、1979年)では西東三鬼を特高のスパイと断定し、三鬼の遺族から版元ともども名誉毀損で民事提訴され、1983年に敗訴した。 戦記、昭和史、近代史実録もの、官能小説、また政界・実業界実録ものなど、週刊誌記者出身らしい作風で知られた。
佐野 洋(さの よう、1928年〈昭和3年〉5月22日 - … 佐野 洋(さの よう、1928年〈昭和3年〉5月22日 - 2013年〈平成25年〉4月27日)は、日本の推理作家、評論家。本名は丸山一郎。 東京市大森(現・東京都大田区大森)出身。東京中学卒業。 旧制一高に首席合格、東京大学文学部心理学科卒業。大学時代、日野啓三、大岡信らと同人誌『二十代』、『現代文学』を作る。彼ら文学仲間には「推理小説好き」であることはかくしていた。 1953年、読売新聞社に入社。当初兼業作家だったため、ペンネームは「社の用」にかけて付けた。1959年に新聞社を退社。最も好きな推理作家として英国のアンドリュー・ガーヴの名を挙げている。黒岩重吾に「血や汗を流していない小説」と批判され、「むしろ賛辞と受け止めたい」と返したほど知的遊戯としてのミステリを貫いているが、一方で「同一の主人公のシリーズばかり書くと、作品のパターンが繰返しになり、マンネリズムに陥る」などの理由からシリーズ探偵には否定的な立場を取り、エキセントリックな犯罪、大掛かりなトリック、大邸宅大家族などのゴシックロマン的な背景も排除するなど、ほどのよいリアリズム、中庸さが持ち味でもある。
芹沢 昭三(せりざわ しょうぞう、1928年5月22日 - … 芹沢 昭三(せりざわ しょうぞう、1928年5月22日 - 1995年5月27日)は、日本の政治家、教諭。静岡県伊東市長(3期)、伊東市議会議員(4期)を歴任した。 静岡県田方郡伊東町(現・伊東市)生まれ。1949年、巣鴨経済専門学校を卒業。知人に「先生をやってみないか」と勧められ、1950年に熱海市立多賀中学校の教師となる。その後、伊東市立北中学校などで社会科を教えた。 1963年、勤評闘争や学力テスト闘争が激化するなか「単なる組合活動だけでは解決できない。自治体に議員を送るべきだ」と考えた芹沢は教員を退職。伊東市議会議員選挙に自ら立候補し初当選を果たした。1979年まで4期務めた。議員時代は日本社会党に所属した。
藤家 禮之助(ふじいえ れいのすけ、1928年5月22日 -… 藤家 禮之助(ふじいえ れいのすけ、1928年5月22日 - 2010年11月13日)は、日本の中国史学者、東海大学名誉教授。 京都府生まれ。早稲田大学卒、同大学院文学研究科博士課程満期退学。東海大学文学部助教授、教授。1987年、「漢三國兩晉南朝の田制と税制」で、早稲田大学より文学博士を取得。1998年、定年退任、名誉教授。六朝史が専門。 2010年11月13日、進行性食道癌のため死去。
五十嵐 豊(いがらし ゆたか、1928年5月20日 - 19… 五十嵐 豊(いがらし ゆたか、1928年5月20日 - 1982年3月4日)は、日本の芸術家、郷土民芸作家、スキー選手。 スキーの国体選手・監督(栃木県)でもある。 作品は、那須町の自然や動物、子供を題材にした作品が多く特に駒やりんどうが描かれていることが多い。木工品や益子焼、黒羽藍染、烏山和紙、木彫、布絵など作品は多岐にわたるが、栃木県の伝統工芸を使用しているのが特徴である。 栃木県那須郡那須村(現・那須町)出身。 那須温泉郷の1つ八幡温泉五十嵐旅館の次男坊として誕生。 旧制宇都宮中学を卒業後、1947年(昭和22)東京美術学校(東京美術学校最後の卒業生)に入学。在学中は高田正二郎などに師事し、1952年(昭和27)に卒業した。
清水 龍瑩(しみず りゅうえい、1928年5月20日 - 2… 清水 龍瑩(しみず りゅうえい、1928年5月20日 - 2001年9月15日)は、日本の経営学者。 東京・小石川(現在の文京区白山出身。1958年慶應義塾大学経済学部卒業。1963年同大学院経済学専攻博士課程満期退学。1972年「製品計画の理論と手法 企業成長の動態的分析」で商学博士の学位を取得。慶大商学部助教授を経て、1973年教授。1994年定年となり、名誉教授。退職後は東京国際大学教授を務めた。1967年カリフォルニア大学バークレー校に留学(Research Fellow。1978年8月まで)。慶應義塾大学商学部長,慶應義塾理事(1987年9月まで)。慶應義塾図書館長(1991年9月まで)。
長谷部 栄一(はせべ えいいち、1928年5月17日 - )… 長谷部 栄一(はせべ えいいち、1928年5月17日 - )は大阪府出身の元プロ野球選手、高校野球・社会人野球監督。
寺田 和夫(てらだ かずお、1928年5月17日 - 198… 寺田 和夫(てらだ かずお、1928年5月17日 - 1987年9月5日)は、日本の人類学者、東京大学教養学部教授。 1928年、横浜市生まれ。第一高等学校から、東京大学理学部人類学科へ進んだ。1951年に卒業し、同大学院に進学。 1956年、教養学部助手に採用された。1958年から1969年、東京大学アンデス地帯学術調査団の一員としてペルーで考古学遺跡の発掘調査に従事。助教授を経て、教授した。1962年、学位論文『人体計測値による親子の類似性の分析』を東京大学に提出して理学博士の学位を取得。在職中に死去した。 ラテンアメリカの歴史と文化を専攻し、師泉靖一のインカ文化・アンデス文明研究を引き継いだ。
金子 隆芳(かねこ たかよし、1928年〈昭和3年〉5月17… 金子 隆芳(かねこ たかよし、1928年〈昭和3年〉5月17日 - 2022年〈令和4年〉7月2日)は、日本の心理学者。文学博士。専門領域は知覚心理学、色彩学。筑波大学名誉教授。日本心理学会元理事長。社会的活動としては、日本色覚差別撤廃の会会長を務めた。位階勲等は正四位瑞宝中綬章。 その後、日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師等を務めた。「石原式色覚異常検査表」に代わる新しい学校教育用色覚検査表「色のなかまテスト」(Color Mate Test、CMT)を眼科医の高柳泰世と共同で開発。自らが色覚異常であることを公表し、日本色覚差別撤廃の会会長として活動した。
中嶋 宏(なかじま ひろし、1928年5月16日 - 201… 中嶋 宏(なかじま ひろし、1928年5月16日 - 2013年1月26日)は、日本の医師、神経精神医学者。位階は従三位。勲等は勲一等。 世界保健機関(WHO)事務局長(第4代)を務め、国連傘下の国際機構を率いる長としては初めての日本人であった。東京医科大学難病治療研究所所長、国際医療福祉大学国際医療福祉総合研究所所長なども歴任した。 千葉市に生まれ、1955年(昭和30年)に東京医科大学を卒業。 その後、パリ大学において、薬物が脳や神経への効果を通していかにして人間の行動に影響するかを研究する、神経精神薬理を専攻した。その間、1956年もしくは1958年(昭和31-33年)から1967年(昭和42年)までフランス保健医療研究局(INSERM)に科学者として勤務し、同分野での基礎研究と臨床研究を継続した。
中浜 博 (なかはま ひろし、1928年5月16日 - 20… 中浜 博 (なかはま ひろし、1928年5月16日 - 2008年4月3日)は、医師。元聖霊病院(名古屋)院長。専門は、心臓外科で、医学博士(名古屋大学)。スペイン医学博士。東京都出身。ジョン万次郎の直系の子孫(4代目)で、日本海事史学会会員でもあり、ジョン万次郎に関する研究と著作で知られる。 中浜東一郎の長男・清の子として生まれる。学習院高等科(旧制)を経て、名古屋大学医学部を卒業。その後、心臓外科治療の研究のためスペインに赴き、マドリッド大学大学院を修了。帰国後、東京において、聖母病院、東京厚生年金病院に勤務した後、1996年名古屋に移住。以後、聖霊病院院長、中日病院外科部長等を歴任した。2008年4月3日、虚血性心疾患のため79歳で死去。
諏訪 兼位(すわ かねのり、1928年5月15日 - 202… 諏訪 兼位(すわ かねのり、1928年5月15日 - 2020年3月15日)は、日本の地球科学者。専門は岩石学・地質学。学位は、理学博士(名古屋大学・論文博士・1962年)(学位論文「領家変成帯の岩石学的及び地質学的研究」)。名古屋大学名誉教授、日本福祉大学名誉教授。日本アフリカ学会元会長。 鹿児島県鹿児島市生まれ。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)、第七高等学校造士館 (旧制)を経て、1951年東京大学理学部地質学科卒業。 1962年、学位論文「領家変成帯の岩石学的及び地質学的研究」で、名古屋大学より理学博士の学位を取得。 その後、名古屋大学理学部地球科学教室教授、名古屋大学理学部学部長、日本福祉大学情報社会科学部学部長、日本福祉大学学長を歴任。
杉谷 昭(すぎたに あきら、1928年5月15日 - 201… 杉谷 昭(すぎたに あきら、1928年5月15日 - 2016年5月24日)は、日本史学者。 島根県簸川郡今市町(現・出雲市)生まれ。1953年九州大学文学部史学科卒。1968年「明治前期地方制度史研究」で國學院大學文学博士。佐賀大学助教授、教授、1993年定年退官、名誉教授、久留米大学教授。佐賀城本丸歴史館初代館長。
崎田 直次(さきた ただじ、1928年5月15日-2001年… 崎田 直次(さきた ただじ、1928年5月15日-2001年5月9日)は、日本の法学者。商法学者。専門は会社法。中央大学名誉教授。 1952年中央大学法学部法律学科卒業。中央大学法学部助手。1957年中央大学法学部助教授。1964年中央大学法学部教授。1965年中央大学大学院法学研究科教授。1969年中央大学法学部長・同大学院法学研究科委員長(~1969年)。1970年学校法人中央大学評議員(~1994年)。1972年学校法人中央大学常任理事(~1982年)。1999年中央大学定年退職。同名誉教授。 この他、旧司法試験第二次試験考査委員(1972年~1983年)、社団法人私立大学連盟常務理事(1973年~1983年)、文部省教育委員養成審議会委員(1977年~1985年) 指導教授は田中耕太郎の弟子筋の片山金章。