一柳 豊勝(いちやなぎ とよかつ、1925年(大正14年)5… 一柳 豊勝(いちやなぎ とよかつ、1925年(大正14年)5月16日 - 1993年(平成5年)7月20日)は、日本の学者。専門は社会保障、福祉行政。元龍谷大学社会学部教授。 1925年(大正14年)5月16日に愛知県名古屋市に生まれる。 法政大学法学部政治学科を卒業し、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校大学院でPolitical Science専攻博士課程を修了する。 中部圏都市問題研究所長、同朋大学文学部講師、同大学社会福祉学部助教授・教授を経て、龍谷大学社会学部教授に就任する。 1993年(平成5年)7月20日に脳内出血により死去、68歳。
中村 尚美(なかむら なおよし、1925年5月16日 - )… 中村 尚美(なかむら なおよし、1925年5月16日 - )は、日本の日本近代史学者。 茨城県出身。早稲田大学文学部国史学科卒。早稲田大学助教授、社会科学部教授。1996年定年、名誉教授。
金井 宏之(かない ひろゆき、1925年5月16日 - 20… 金井 宏之(かない ひろゆき、1925年5月16日 - 2012年1月26日)は、日本の実業家、切手収集家。 繊維機器・不織布メーカーである金井重要工業の社長・会長。切手収集家としてはモーリシャスの切手コレクションで世界的に知られ、財団法人切手文化博物館理事長、有馬切手文化博物館(神戸市)館長を務めた。 1925年5月16日、兵庫県尼崎市生まれ。裕福な実業家を父に持ち、5歳の時にはじめて切手を収集した。13歳の時に趣味にのめりこみ、大学在学中に2つの切手収集クラブを設立した。金井は早稲田大学で政治経済学を学んだあと、日本大学で工学の学位を取得した。大学修了後、祖父が設立した繊維機械製造会社に勤務。
菊村 到(きくむら いたる、本名:戸川 雄次郎(とがわ ゆう… 菊村 到(きくむら いたる、本名:戸川 雄次郎(とがわ ゆうじろう)、1925年5月15日 - 1999年4月3日)は、日本の作家・小説家。神奈川県平塚市出身。 旧制湘南中学を経て、1944年に仙台陸軍予備士官学校へ入学。翌年卒業し秋田へ見習士官として赴任したが、そこで終戦を迎える。復員直後から早稲田大学文学部英文学科へ通い、この頃から執筆活動を始める。 1948年、大学卒業と共に読売新聞社へ入社。社会部の記者として活動する傍らで執筆活動を行うようになり、同年6月に『川の上』1949年10月に『死臭』を発表し作家としてデビュー。1954年には『受胎告知』が第32回芥川賞候補となる。 この頃までは本名で活動していたが、やがて記者活動との兼ね合いから、1955年の結婚を境に「菊村到」のペンネームで執筆を行うようになる(後述)。
高橋 武光(たかはし たけみつ、1925年5月15日 - 2… 高橋 武光(たかはし たけみつ、1925年5月15日 - 2012年10月10日)は、日本の経営者。大日本インキ化学工業(現在のDIC)社長、会長を務めた。 東京都出身。1947年に東京大学工学部応用化学科を卒業し、同年に大日本インキ化学工業に入社。1974年11月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1986年6月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1994年3月には社長に昇格。1998年6月には会長に就任。 2012年10月10日老衰のために死去。87歳没。
北川 桂太郎(きたがわ けいたろう、1925年5月14日 -… 北川 桂太郎(きたがわ けいたろう、1925年5月14日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手・内野手・外野手)。
佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021… 佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021年7月1日)は、日本の実業家。ノリタケカンパニーリミテド社長・会長や、中部経済同友会代表幹事、学校法人名城大学理事長を務めた。勲三等瑞宝章、スリランカラトナ勲章、藍綬褒章受章。 愛知県で佐伯卯四郎(のちに日本陶器社長・会長)の子として生まれる。 旧制愛知一中(のちの愛知県立旭丘高等学校)を経て、1943年東京商科大学(のちの一橋大学)予科入学、1945年陸軍予備士官学校卒業。1948年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本陶器入社。大学では古川栄一ゼミナールに所属。 日本陶器では一貫して営業畑を歩み、本社での営業やニューヨークに通算17年駐在を経て、1971年取締役、1973年常務取締役、1981年専務取締役、1985年代表取締役副社長。
新野 幸次郎(にいの こうじろう、1925年5月13日 - … 新野 幸次郎(にいの こうじろう、1925年5月13日 - 2020年12月13日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。神戸大学第9代学長。 鳥取県八頭郡八東町(現・八頭町)の商家の二男として生まれる。鳥取県立商業学校(現・鳥取県立鳥取商業高等学校)から、1943年に兵庫県立神戸高等商業学校(現・兵庫県立大学)に進学するも、太平洋戦争中で勉強ができず、1946年に神戸経済大学(現・神戸大学)に進んだ。同大学で宮田喜代蔵に師事し、1949年に卒業。卒業と同時に文部教官に任官し、神戸大学経済学部助手となり、1952年講師、1953年助教授を経て、1963年に教授に就任した。1976-1978年に経済学部長兼経済学研究科長、1985-1991年に学長を務めた。
平田 豊(ひらた ゆたか、1925年5月13日 - )は、日… 平田 豊(ひらた ゆたか、1925年5月13日 - )は、日本の経営者。東京都出身。 1948年に京都帝国大学法学部法学科を卒業し、同年に三和銀行に入行。1970年11月に取締役を就任し、常務、専務を歴任。 1977年9月にユニチカ副社長に就任し、1982年4月には社長に昇格。社長在任時には、経営の再建に尽力した。1989年6月から1993年6月までに会長を務めた。 1989年4月から1年間日本紡績協会会長を務めた。
五十嵐 清(いがらし きよし、1925年(大正14年)5月1… 五十嵐 清(いがらし きよし、1925年(大正14年)5月12日 -2015年(平成25年)9月12日 )は、日本の法学者。専門は、比較法学・民法総則・不法行為法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1961年)。北海道大学名誉教授。新潟県新潟市出身。比較法学の第一人者。[要出典] 専門は、比較法学・民法総則・不法行為法。個人研究としてヨーロッパ近代法史・国際私法・法社会学も研究対象としている。また、各大学または法科大学院では、民法を担当し民法に関する学術書も出しているが、基幹の研究は、あくまで比較法である。 民法総則・比較法分野 不法行為法・医事法・法哲学・法社会学分野
山地 進(やまじ すすむ、1925年5月12日 - 2005… 山地 進(やまじ すすむ、1925年5月12日 - 2005年5月27日)は、元・日本航空名誉顧問。東京都世田谷区出身。趣味・特技はゴルフ、社交ダンス。
中西 香爾(なかにし こうじ、1925年5月11日 - 20… 中西 香爾(なかにし こうじ、1925年5月11日 - 2019年3月28日)は、香港生まれの日本の化学者。コロンビア大学名誉教授。名古屋大学特別教授。初代サントリー生物有機科学研究所所長。位階は従三位。文化勲章受章。 有機化学の分野、特に生物活性天然有機化合物の分野で高い評価を受けており、円偏光二色性、核オーバーハウザー効果などを構造決定の技術として導入した業績は名高い。イチョウから得られる化合物ギンコライド類やスズメバチの毒成分であるフィラントトキシンの研究などがよく知られている。趣味はマジック。 他に全米科学アカデミー化学賞など。
田口 一男(たぐち かずお、1925年(大正14年)5月11… 田口 一男(たぐち かずお、1925年(大正14年)5月11日 - 1983年(昭和58年)5月1日)は日本の政治家。日本社会党所属の衆議院議員。三重県尾鷲市出身。
木島 則夫(きじま のりお、1925年〈大正14年〉5月10… 木島 則夫(きじま のりお、1925年〈大正14年〉5月10日 - 1990年〈平成2年〉4月13日)は、日本の司会者、ニュースキャスター、アナウンサー、政治家。民社党所属の参議院議員(2期)。 東京都出身。旧制横須賀中学(現神奈川県立横須賀高等学校)、明治学院大学文学部英文科を卒業。1948年に、読売新聞社の採用試験を受け不合格となったが、NHKのアナウンサー採用試験で合格し入局、クイズ番組『危険信号』『生活の知恵』などの司会を担当した。1964年3月にNHKを退職し、その直後の同4月より、日本教育テレビ(NET。現テレビ朝日)と局契約アナウンサー(嘱託職)を結び、『木島則夫モーニングショー』の司会を1968年3月まで務め(『モーニングショー』自体も初代の総合司会者だった)、「泣きの木島」と呼ばれて人気を集めて、ワイドショーブームの火付け役となった。
南川 直(みなみかわ ただし、本名同じ、1925年5月10日… 南川 直(みなみかわ ただし、本名同じ、1925年5月10日 - 2001年1月)は、日本の俳優。北海道札幌市出身。逗子開成中学出身。俳優の田宮二郎は従弟にあたる。 終戦の翌年に復員後、鎌倉アカデミアの演劇科に進学。演技の勉強を積んだのち1950年に太泉映画(後の東映)のニューフェース一期生に合格。 脇役として地道ながら数多くの作品に出演。 1961年から放送開始したテレビ映画『特別機動捜査隊』ではレギュラーの刑事役として10年活躍。しかし健康上の問題を理由に役者を引退した。 1991年の単発テレビ時代劇『忠臣蔵 風の巻・雲の巻』では浅野家家老の役でサプライズ出演を果たす。
橋田 壽賀子(はしだ すがこ、1925年〈大正14年〉5月1… 橋田 壽賀子(はしだ すがこ、1925年〈大正14年〉5月10日 - 2021年〈令和3年〉4月4日)は、日本の脚本家、劇作家、タレントである。本名:岩崎 壽賀子(いわさき すがこ)(旧姓:橋田)。位階は従三位。静岡県熱海市名誉市民。 1949年(昭和24年)、松竹に入社し、脚本部に配属される。1964年(昭和39年)『袋を渡せば』でテレビドラマの脚本家デビュー。同年、東芝日曜劇場のために執筆した『愛と死をみつめて』の脚本が話題となって以後、テレビドラマの脚本家として話題作・ヒット作の数々を世に送り出した。 代表作は『おんな太閤記』、『おしん』、『いのち』、『橋田壽賀子ドラマ おんなは一生懸命』、『春日局』、『渡る世間は鬼ばかり』、『橋田壽賀子スペシャル 源氏物語 上の巻・下の巻(光源氏第1部・第2部)』、『おんなは度胸』、『春よ、来い』、『なるようになるさ。
鎌田久子(かまた ひさこ、1925年〈大正14年〉5月10日… 鎌田久子(かまた ひさこ、1925年〈大正14年〉5月10日 - 2011年〈平成23年〉1月17日)は、日本の民俗学者。成城大学名誉教授。 静岡県磐田郡天竜村(後の磐田市)生まれ。実践女子専門学校卒、国学院大学卒。柳田國男に師事、柳田の秘書も務めた。南方熊楠賞(1990年制定)では選考委員を務めた。2003年には「南方二書」の原本を発見した。 2011年1月17日、卵巣がんにより死去。
佐々木 銀弥(ささき ぎんや、1925年5月10日 - 19… 佐々木 銀弥(ささき ぎんや、1925年5月10日 - 1992年9月5日)は、日本史学者。名は「銀彌」とも。 山形県飽海郡遊佐村(現・遊佐町)生まれ。東京大学文学部国史学科卒、立正大学講師、助教授、茨城大学人文学部助教授を経て、中央大学文学部教授を務めた。1992年9月5日、呼吸不全のため死去。67歳没。
宮本 十蔵(みやもと じゅうぞう、1925年5月10日 - … 宮本 十蔵(みやもと じゅうぞう、1925年5月10日 - 2004年8月14日)は、日本の哲学者。岐阜大学名誉教授。 兵庫県生まれ。1952年東京大学文学部哲学科卒。信州大学人文学部助教授、岐阜大学教養部教授、1999年名誉教授。マルクス・ヘーゲルを研究した。
小林豊(こばやし ゆたか、1925年5月9日- )は、日本の… 小林豊(こばやし ゆたか、1925年5月9日- )は、日本の放送作家。 大阪府泉佐野市生まれ。大阪外国語大学ドイツ語科卒。放送作家として朝日放送テレビ「味をたずねて」、FM大阪「うまいものあれこれ」などを担当。大阪樟蔭女子大学非常勤講師。
林 巳奈夫(はやし みなお、1925年5月9日 - 2006… 林 巳奈夫(はやし みなお、1925年5月9日 - 2006年1月1日)は、日本の考古学者。専門は中国考古学、特に青銅器・玉器を研究した。京都大学名誉教授。日本学士院会員。1995年勲三等旭日中綬章受章。 1925年、神奈川県藤沢市鵠沼に生まれた。父・林達夫は著名な思想家・評論家で、明治大学教授や平凡社『世界大百科事典』編集長を務めていた。その長男で、父を編集者・言論人として認める一方で、自身は父を越えるべく「自ら生み出す者としての学者になろうと思った」と語っていた。京都大学文学部史学科で学び、1950年に卒業。 卒業後は、父の伝手で一時期平凡社編集部に勤務。しかし1957年、京都大学人文科学研究所助手に採用された。
石見 尚(いわみ たかし、1925年5月7日 - )は、日本… 石見 尚(いわみ たかし、1925年5月7日 - )は、日本の農業経済学者、協同組合運動家。 和歌山県生まれ。1950年東京大学農学部農業経済学科卒、全国指導農協連合会、1953年国立国会図書館調査局、1962年「「経済学批判」体系における「土地所有」論の構成にかんする研究」で東大農学博士。1973年農村開発委員会、のち日本ルネッサンス研究所を設立、主宰。
手代木 渉 (てしろぎ わたる; 1925年(大正14… 手代木 渉 (てしろぎ わたる; 1925年(大正14年)5月6日 – 2007年(平成19年)3月7日) は、主に昭和時代の第二次世界大戦後に活躍した発生生物学者で、弘前大学理学部(現、理工学部)教授、学生部長、学部長、学長を歴任した。プラナリア(ウズムシ)の研究で理学博士(東北大学1962年)、後に斯学の国際学会(Turbellarian Biology 1990)を主催した。 1925年(大正14年)5月6日]、福島県耶麻郡豊川村沢部(現、喜多方市豊川町沢部長尾)に生まれる。父の名は藤一(とういち)母の名はマツヨ、四男だった。生家はかつて世襲の肝煎(きもいり)の家系。会津盆地北西部に位置する稲作を主とする農村で自然が豊かな地元の村立豊川小学校(現、喜多方市立豊川小学校)に通学した。
橋本 勲(はしもと いさお、1925年5月6日 - 2007… 橋本 勲(はしもと いさお、1925年5月6日 - 2007年2月6日)は、日本の経済学者・マーケティング学者。元京都大学経済学部教授。経済学博士(京都大学・論文博士・1972年)。 商業資本論研究における生産的労働と不生産的労働に関する研究など、商業資本や流通問題の原理的研究,またマーケティング研究, とりわけマーケティング学説史の研究など多岐にわたる先駆的業績を残す。マーケティングに関する歴史的研究のリーダーの一人。 香川県高松市に生まれる。香川県立商業学校/昭和17年卒(現・香川県立高松商業高等学校)、高松経済専門学校(現・香川大学)を経て、東京商科大学(現・一橋大学)を卒業する。香川大学の助手、講師、助教授を経て、1962年より京都大学助教授となり、商業論、マーケティング論講座を担当した。
森田 桂(もりた かつら、1925年5月6日- 2013年1… 森田 桂(もりた かつら、1925年5月6日- 2013年11月14日 )は、日本の経営者。学位は、理学博士。武田薬品工業社長、会長を務めた。大阪府出身。 1948年に京都大学理学部化学科を卒業し、同年に武田薬品工業に入社。1961年から1年間アメリカ国立衛生研究所に留学。1982年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1989年6月に副社長に就任し、1991年6月には社長に昇格した。1993年6月から会長を務め、1997年6月から相談役を務めた。 1997年11月には勲二等瑞宝章を受章した。 2013年11月14日、急性心不全のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
森 清(もり きよし、1925年5月6日 - 2008年6月… 森 清(もり きよし、1925年5月6日 - 2008年6月24日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。正四位勲二等。 愛媛県新居浜市出身。1948年に東京大学法学部政治学科を卒業後、自治省に入省する。自治省官房長などを経て、消防大学校校長を最後に退官。1976年に行われた第34回衆議院議員総選挙に旧愛媛2区から自由民主党公認で立候補し当選(当選同期に愛知和男・鳩山邦夫・中村喜四郎・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正など)。以後、1度の落選を挟んで通算当選4回。防衛政務次官などを歴任した。自民党では福田赳夫-安倍晋太郎派(清和会)に所属し、中川派の旗揚げにも参加した。
井口 朝生(いぐち あさお、1925年(大正14年)5月6日… 井口 朝生(いぐち あさお、1925年(大正14年)5月6日 - 1999年(平成11年)4月9日)は、日本の歴史小説作家、時代小説作家。日本文芸家協会会員。 東京生まれ。日本大学文学部(歴史専攻)卒業。父は時代小説作家の山手樹一郎。弟は国文学者の井口樹生。姪は詩人の井坂洋子。 少年時代は堀辰雄や立原道造の作品を愛読した。小説の道に進むべく、棟田博主宰の小説勉強会「風らい会」に参加。父には内緒で講談倶楽部賞に応募、佳作を受賞するが、同じ住所であったために父にばれてしまい、一騒動あったと言う。童門冬二、永井路子、平岩弓枝ら、講談倶楽部賞関係の新人が集まった『小説会議』に参加、父が同人誌のスポンサーとなる。
阿部 脩(あべ おさむ、1925年〈大正14年〉5月6日 -… 阿部 脩(あべ おさむ、1925年〈大正14年〉5月6日 - 没年不明)は、日本のプロレスラー、レフェリー、俳優、大相撲力士。 北海道旭川市出身。角界入りし、高砂部屋から大成山(おおなりやま)の四股名で1941年1月場所初土俵。1946年11月場所を最後に廃業。プロレスに転身して力道山率いる日本プロレスの初期メンバーとしてキャリアをスタートさせる。身長175cm、体重103kgという当時としては恵まれた体格を活かし、パワー溢れるレスラーとして活躍。その後、東京プロレスを経て国際プロレスへ移籍した。 プロレスラー引退後は国際プロレスのレフェリーに転向する。髭を蓄えており、ホイッスルを吹く独特で特徴のあるスタイルから「髭のレフェリー」「髭の阿部」の愛称で親しまれた。
榎本 保郎(えのもと やすろう、1925年5月5日 - 19… 榎本 保郎(えのもと やすろう、1925年5月5日 - 1977年7月27日)は、日本の牧師。アシュラム運動の普及に貢献した。「ちいろば牧師」の愛称で知られる。三浦綾子の「ちいろば先生物語」で広く知られるようになった。 配偶者はアシュラムセンター主事の榎本和子(1925-2023)。榎本栄次牧師は実弟。後宮俊夫牧師は義弟。娘は実践神学者の榎本てる子(関西学院大学准教授、1962-2018)。 1925年、兵庫県三原郡神代村(現南あわじ市神代)に生まれる。1938年に旧制洲本中学校に入学する。少年時代は軍国少年だった。1944年に徴兵検査を受け、満州に出征する。1945年満州で敗戦を迎える。帰国後、敗戦の喪失の中で虚無感に陥っていた。
平田 幸正(ひらた ゆきまさ、1925年5月5日 - 201… 平田 幸正(ひらた ゆきまさ、1925年5月5日 - 2014年2月15日)は日本の医師、医学博士、元日本糖尿病学会会長、初代東京女子医科大学病院糖尿病センター所長。 山口県小郡町(現山口市)出身。幼少期に開業医であった実父が急逝し、結核の母と自給自足で戦前戦中期を過ごした。同時期に多数の親類や知人を病で失い、「人命を救いたい」として自らも医者を目指し、九州大学医学部に進学した。 1948年9月に同学を卒業後に大学院に進み、助手、講師などを務めた。1960年から二年間の米国留学を経験し帰学。1970年に世界で初めてインスリン自己免疫症候群の症例を報告した。1953年7月、九州大学医学博士。1969年10月から鳥取大学第一内科教授。
増沢 洵(増澤 洵、ますざわ まこと、1925年〈大正14年… 増沢 洵(増澤 洵、ますざわ まこと、1925年〈大正14年〉5月5日 - 1990年〈平成2年〉10月12日)は、東京都生まれの日本の建築家。1952年発表の自邸吹抜けのある家『最小限住居』などで著名。
坪井 直(つぼい すなお、1925年〈大正14年〉5月5日 … 坪井 直(つぼい すなお、1925年〈大正14年〉5月5日 - 2021年〈令和3年〉10月24日)は、日本原水爆被害者団体協議会代表委員。広島県原爆被害者団体協議会理事長。広島市名誉市民。元中学校教諭。 1925年、広島県音戸町(現・呉市)生まれ。 広島市に原爆が投下された1945年8月6日、広島工専(現在の広島大学工学部)への通学途中、爆心地から1.5kmの地点で直接被爆し、顔や両腕に大やけどを負いながら生き延びた(原爆投下から3時間後、中国新聞カメラマン松重美人が御幸橋西詰めの欄干付近を撮影した写真に、救援を待ちながら坐っている坪井の姿が写っている)。NHKスペシャル『きのこ雲の下で何が起きていたのか』(2015年8月6日放送)でその時の様子を語っている。
山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 20… 山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 2006年3月9日)は、日本の歌人。 前川佐美雄に師事。深い古典教養と幻想性を混交させた作風から「現代の巫女」とも評された。女流における前衛歌人の代表的存在である。 愛知県名古屋市西区出身。父・渡辺鑑三は尾張藩医の末裔で、その従兄は俳人の沼波瓊音。母タマエ(旧姓馬島)の本家も代々の尾張藩医で、後水尾天皇を快癒させたことで知られる高名な眼科医の家系。母方の祖父は明治の蘭方医。母は尾上柴舟に師事して国文学を学んでいた。二兄一姉をもつ次女(次兄は智恵子生誕以前に死亡)。6歳の秋に父が脳出血で倒れて半身不随となり、療養のために愛知県知多郡新舞子の別宅に移住。
内田 祥哉(うちだ よしちか、1925年5月2日 - 202… 内田 祥哉(うちだ よしちか、1925年5月2日 - 2021年5月3日)は、日本の建築生産学者、建築家。東京大学名誉教授。日本学士院会員。一級建築士資格所有。 東京都生まれ。内田祥三(建築構造学の大家で東京帝国大学学長を歴任)の二男。兄は、敗戦後まもなく夭逝した建築家内田祥文。 武蔵高等学校 (旧制)を卒業。東京帝国大学工学部建築学科卒業後、逓信省、電気通信省を経て、日本電信電話公社建築部(現・NTTファシリティーズ)に勤務。 1961年、東京大学工学博士。論文の題は「建築構法の分析と綜合の研究」。 東京大学助教授-教授-名誉教授、明治大学教授、金沢美術工芸大学教授を歴任。1993年、日本建築学会会長。
加藤 一郎(かとう いちろう、1925年5月2日 - 199… 加藤 一郎(かとう いちろう、1925年5月2日 - 1994年6月19日)は、日本のロボット工学者。 日本のロボット工学、バイオメカニクス、ヒューマノイド研究の第一人者で、義手の研究から人型ロボット研究に入り、1973年に世界初の二足歩行可能なフルスケール人間型ロボット「WABOT-1」、1984年に音楽演奏ロボット「WABOT-2」、動完全歩行する「WL-10RD」等を製作した。千葉工業大学講師、早稲田大学助教授、教授、理工学部長を歴任。バイオメカニズム学会、日本ロボット学会、日本IFToMM会議の創立者、会長。早稲田大学教授在職中に逝去し、加藤研究室は弟子の高西淳夫、菅野重樹に受け継がれた。
大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14… 大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14年)5月1日 - 2005年(平成17年)7月21日)は、日本の銀行家、実業家。みちのく銀行頭取を務めた。 北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。医家に生まれ、父・小市は函館市に診療所を開設。のちに病床を20以上備えた函館一の規模を誇る病院となった。 旧制函館中学、旧制弘前高校を経て東北大学法学部を卒業する。弘前高校時代の同期には鈴木清順(映画監督)、一期下にはその弟の鈴木健二(NHKアナウンサー)もいた。 大学卒業当初は、弁護士を目指して司法試験に6度挑戦したとされるが、突破できなかったため、渋々ながら齢32にして当時の弘前相互銀行に入行。
上山 安敏(うえやま やすとし、1925年5月1日 - 20… 上山 安敏(うえやま やすとし、1925年5月1日 - 2021年10月28日)は、日本の法制史学者。専門は、西洋法制史・法社会史・法思想史。京都大学名誉教授。 1925年、兵庫県生まれ。徴兵を受けて出征し、1949年11月、シベリアより復員帰国。1953年、京都大学法学部卒業。大学院に進み、1956年より京都大学法学部助手。1958年、同助教授に昇進。1965年、学位論文『ドイツ官僚制成立論』を京都大学に提出して法学博士号を取得。1966年、同教授に昇進。1989年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。 京都大学退職後は奈良産業大学法学部教授として教鞭をとった。2000年に奈良産業大学を退任。
勝呂 信静(勝呂 信靜、すぐろ しんじょう、1925年5月1… 勝呂 信静(勝呂 信靜、すぐろ しんじょう、1925年5月1日 - 2012年1月26日)は、日蓮宗の僧侶、仏教学者。 東京都生まれ。父は勝呂智静。1948年東京帝国大学文学部印度哲学科卒。1987年「初期唯識説の研究」で東京大学文学博士。立正大学助教授、教授、96年定年退任、名誉教授。1991年東方学術賞受賞。法光山蓮昌寺住職。
向井 武文(むかい たけふみ、1925年5月1日 - ?)は… 向井 武文(むかい たけふみ、1925年5月1日 - ?)は、日本の経営学者、東京経済大学教授を長く務め、おもに経営管理論の分野で業績を残した。 広島県安芸郡音戸町に生まれ、戦時下の1943年に広島県立呉第二中学校(後の広島県立呉宮原高等学校の前身)を卒業し、1944年に東京産業大学附属工業経営専門部に入学したが同年12月に徴兵され、陸軍第1航空軍第13航空教育隊に入隊し、以降、水戸市の陸軍航空通信学校学生などを経るが、軍隊生活の中で健康を害し、陸軍病院に入院する。 戦後、1947年に東京商科大学附属商学専門部に入学し、1949年に東京商科大学に入学、病気による休学を挟み1954年に卒業し、さらに一橋大学大学院商学研究科に進み、1956年に修士課程を修了した。
古寺 宏(こでら ひろし、1925年5月 - 1989年7月… 古寺 宏(こでら ひろし、1925年5月 - 1989年7月26日 )は、日本の政治家。公明党衆議院議員(2期)。
水原 一(みずはら はじめ、1925年〈大正14年〉4月30… 水原 一(みずはら はじめ、1925年〈大正14年〉4月30日 - 2008年〈平成20年〉10月26日)は、日本の国文学者。専門は中世文学、特に『平家物語』などの軍記物語。駒澤大学名誉教授。 東京生まれ。駒澤大学大学院修了、同教授、1997年退職、二松学舎大学教授。 1980年『延慶本平家物語論考』により角川源義賞受賞。
戸田嘉徳(とだ よしのり、1925年4月29日 - 2016… 戸田嘉徳(とだ よしのり、1925年4月29日 - 2016年9月1日)は日本の大蔵官僚。仙台国税局長、大臣官房専売公社監理官、大臣官房審議官(関税局担当)、大臣官房審議官(銀行局担当)、日本銀行政策委員会大蔵省代表委員、公正取引委員会事務局長、航空貨物通関情報処理センター理事長、自動車保険料率算定会副理事長、日本地震再保険社長などを歴任。 東京府出身。府立高等学校、東京大学法学部法律学科卒業。1948年9月 大蔵省入省。主計局配属。1955年10月 国立国会図書館調査及び立法考査局経済部経済法令課。1956年7月 津島税務署長。1957年6月 東京国税局総務部総務課長。1968年6月 銀行局特別金融課長。
竹村嘉夫(たけむら よしお、1925年4月29日 - )は、… 竹村嘉夫(たけむら よしお、1925年4月29日 - )は、日本の写真家。 東京出身。1943年3月、旧制豊山中学を卒業。その後、水産講習所(現東京海洋大学)に入学・卒業。農林省水産試験所に勤務するかたわら、1978年佐々木崑らと自然科学写真協会(のち、日本自然科学写真協会となる)を創立して理事長となる。1982年退官し、1983年自然科学写真センターを設立。
田中 小実昌(たなか こみまさ、1925年〈大正14年〉4月… 田中 小実昌(たなか こみまさ、1925年〈大正14年〉4月29日 - 2000年〈平成12年〉2月26日)は、日本の小説家、翻訳家、随筆家。直木賞・谷崎潤一郎賞受賞。 東京市千駄ヶ谷生まれ。父・田中種助はバプテストの神学校を出た東京市民教会の牧師。40歳の種助と46歳の母・マサ子の長男として生まれる。父の転勤で4歳から広島県呉市東三津田町で育つ。7歳のとき、父が呉三津田の山に「アサ会」という十字架のない独自のキリスト教教会を創立。 実家近くの広島県立呉第一中学(現・呉三津田高校)を受験するが失敗し、旧制西南学院中学に入学。母親の意向で一年後に呉第一中学の編入試験を受け2年から転校した。同級に井上忠。
岩田 弘志(いわた ひろし、1925年4月29日 - 200… 岩田 弘志(いわた ひろし、1925年4月29日 - 2008年7月29日)は、日本の政治家。位階は正五位。勲等は勲三等。 北海道庁商工観光部部長、北海道室蘭市長(第19・20・21・22代)などを歴任した。 兵庫県姫路市出身。官立浜松工業専門学校(現・静岡大学工学部)を卒業する。北海道庁にて胆振支庁の支庁長や商工観光部の部長を経て、1979年に室蘭市長に当選した。 初当選以降、1995年まで4期16年を務め、白鳥大橋着工という実績を残している。当選当時、60億円を超える不良債務を抱えていた市政の財政赤字を解消するため、初めて外部に財政診断を依頼し、財政再建団体への転落を回避し自主再建の道を選択することで行財政改革を行った。
山内 久(やまのうち ひさし、1925年〈大正14年〉4月2… 山内 久(やまのうち ひさし、1925年〈大正14年〉4月29日 - 2015年〈平成27年〉9月29日)は、東京府(現・東京都)出身の脚本家。 父は弁士の山野一郎(本名:山内幸一)、兄は俳優の山内明、弟は作曲家の山内正、妻は脚本家の野田高梧の娘で脚本家の立原りゅうである。作曲家の小杉太一郎は義弟(妹の夫)、エッセイストの山内美郷は姪(兄の子)にあたる。 脚本を担当した「幕末太陽伝」(日活、1957年)の公開時はまだ松竹に在籍していたため、「田中啓一」というペンネームを使用しており、「盗まれた欲情」「果しなき欲望」(共に日活、1958年)の際には「鈴木敏郎」というペンネームを使用している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大木 伸夫(おおき のぶお、1925年4月29日 - 201… 大木 伸夫(おおき のぶお、1925年4月29日 - 2013年12月30日)は、日本の演歌歌手である。本名は、川内 優(かわうち まさる)。佐賀県伊万里市出身。日本浪曲協会名誉顧問。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
杉崎 一雄(すぎさき かずお、1925年(大正14年)4月2… 杉崎 一雄(すぎさき かずお、1925年(大正14年)4月28日 - 1998年(平成10年)4月6日)は、日本の国語学者である。 東京府(現在の東京都)に生まれる。國學院大學卒業後、同大学の助教授として活動した。その後は共立女子短期大学や中京大学等に勤務しそれぞれ教授として活動した。この頃に大学教授としての傍ら、古代から現代までの文法における謙譲語を中心とした敬語法の研究に携わった。 また、この頃に池上秋彦や金田弘、鈴木丹士郎らと共に国語辞典の『大辞泉』の編纂に携わり、同委員の敬語専門として活動した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017… 木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017年3月1日)は、ソ連・ロシア研究者、青山学院大学名誉教授。 岡山県倉敷市生まれ。1950年旧制京都大学文学部哲学科卒業。朝日新聞社モスクワ支局長、同調査研究室主任研究員、青山学院大学国際政治経済学部教授、2001年定年退任、名誉教授。日ロ交流協会常任理事。
鈴木 重靖(すずき しげやす、1925年4月27日 - 20… 鈴木 重靖(すずき しげやす、1925年4月27日 - 2021年1月19日)は、日本の経済学者。山口大学名誉教授。広島経済大学名誉教授。国際貿易論専攻。東京都文京区出身。経済学博士(1968年、京都大学で取得)。