伊集 加代(いしゅう かよ、1937年5月20日 - )は、… 伊集 加代(いしゅう かよ、1937年5月20日 - )は、日本の歌手、セッションシンガー。旧芸名、伊集 加代子(いしゅう かよこ)。東京都出身。 東邦音楽短期大学声楽科でクラシックを学び、卒業後ジャズボーカリスト水島早苗に師事。フォー・シンガーズ、シンガーズ・スリーなどグループコーラスの活動と並行して、スタジオコーラス・CMソングなど数千作品に参加。「スキャットの女王」と呼び親しまれ、1960年代後半から1980年代にかけて活躍した代表的な女声スタジオコーラスシンガーの一人。 参加作品は多数・多岐に亙り、クレジットなしで参加していることも多い。以下にその代表的なものを以下に挙げる。なお、シンガーズ・スリー名義の活動も一部含む。
米塚 義定(よねづか よしさだ、1937年5月19日 - 2… 米塚 義定(よねづか よしさだ、1937年5月19日 - 2014年10月18日)は日本及びアメリカの柔道家。柔道の段位は講道館9段で、空手道でも8段を所有している。アメリカでは“ヨネ”として知られた。 青森県北津軽郡武田村(のちの中泊町)出身。小さい頃は相撲や陸上競技に取り組んでいた。武田中学校を卒業後、五所川原高校に入学してから柔道を始め、受け身の練習を始めてから2年後の高校3年次には青森県代表として国体出場を果たした。日本大学に進学すると、4年間の学生生活で引き分けはあっても負け試合は1度もなく、副主将を務めて全日本学生柔道優勝大会などで活躍した。 1960年に大学を卒業後、ニューヨーク州柔道協会に招聘されてアメリカで柔道指導にあたる事になった。
松田 岩夫(まつだ いわお、1937年(昭和12年)5月19… 松田 岩夫(まつだ いわお、1937年(昭和12年)5月19日 - 2022年(令和4年)2月3日)は、日本の政治家、通産官僚。位階は従三位。元衆議院議員(通算3期)、元参議院議員(2期)。 岐阜県岐阜市出身。第3次小泉改造内閣において、2005年(平成17年)10月31日から2006年(平成18年)9月26日まで、内閣府特命担当大臣(食品安全、科学技術政策)、情報通信技術 (IT)担当大臣を務めた。 岐阜県立加納高等学校を経て、1960年(昭和35年)に東京大学法学部(法律学)を卒業後、通商産業省に入省。同期に、堺屋太一、熊野英昭(元通産事務次官)、高橋達直、吉田文毅(特許庁長官)、若林茂(大臣官房審議官、旧ヤハギ社長)など。
岡部 弘(おかべ ひろむ、1937年5月19日 - )は、株… 岡部 弘(おかべ ひろむ、1937年5月19日 - )は、株式会社デンソー元代表取締役社長。 愛知県刈谷市出身。1960年名古屋大学経済学部卒業。同年、日本電装(現デンソー)入社。総合企画室長等を経て代表取締役社長(1996年-2003年)、代表取締役会長(2004年-2007年)等を歴任。2005年より第13代愛知県経営者協会会長。
伊東 章夫(いとう あきお、1937年5月19日 - )は、… 伊東 章夫(いとう あきお、1937年5月19日 - )は、石川県金沢市出身の漫画家、挿絵画家。伊東 あきお名義で貸本漫画を手がけた。 1975年、科学まんがシリーズ『先祖をたずねて億万年』(原作:井尻正二、新日本出版社)で日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
田口 文章(たぐち ふみあき、1937年5月18日 -201… 田口 文章(たぐち ふみあき、1937年5月18日 -2011年9月11日 )は、日本の生物学者。 埼玉県出身、埼玉県立春日部高校卒。1959年北里衛生科学専門学院卒業、1965年ペンシルベニア大学教養学部微生物学科卒業。北里大学衛生学部微生物学教室助手を経て、1977年に同大学衛生学部教授となった。アメリカ合衆国のウイスター研究所、フランスのパスツール研究所、ドイツのロベルト・コッホ研究所などへ留学し、1979年同大学院教授を併任。2003年より同名誉教授、微生物管理機構理事長となった。H2J株式会社取締役、特定非営利活動法人燃料電池・水素エネルギーネットワークの顧問などを勤める。 シロアリから分離させた水素生成菌やパンダの糞から分離した廃棄物処理菌など、地球環境へ配慮した微生物の有効利用研究の第一人者として知られ、2009年10月1日、同研究でイグノーベル賞・生物学賞を受賞した。
秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18… 秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18日 - )は、日本の歌人・文芸評論家・随筆家・教育者。学位は、文学博士。短歌結社「歩道」編集長、斎藤茂吉記念館館長、日本歌人クラブ顧問(第6代会長)。千葉県出身。 第一歌集『街樹』における時代の息吹を反映した新鮮な詠風から出発し、以後現在に至るまで旺盛な作歌活動を続けている歌人。1966年(昭和41年)に「歩道」に入会し佐藤佐太郎に師事。都市風景や現代の世相を鋭敏な感覚で捉えた作品に優れたものが多く、雄渾な歌風を特色とする。また、オーロラ、鯨など、従前の歌人が対象とすることのなかった海外詠も多く、作品の幅が広い。1970年代(昭和40年代後半)から十数年間、歌人佐藤佐太郎を献身的に支え、その随聞をまとめた『短歌清話』上下二巻は、佐藤佐太郎の純粋短歌の世界を余すところなく伝える好著である。
加藤 尚武(かとう ひさたけ、1937年5月18日 - )は… 加藤 尚武(かとう ひさたけ、1937年5月18日 - )は、日本の哲学者、倫理学者。京都大学名誉教授。公立鳥取環境大学名誉学長(初代学長)。人間総合科学大学特任教授。元東京大学特任教授。 ヘーゲル研究者であるが、シェリングなどドイツ観念論全般についての著述もある。1979年哲学奨励山崎賞受賞。 1980年代にバイオエシックス(生命倫理学)を日本に導入した。また近年は環境倫理についても積極的に発言を行っている。 環境倫理学と生命倫理学の分野をリード。脳死、原発など現代を鋭敏に捉える。著書に『ヘーゲルの「法」哲学』(1993年)、『新・環境倫理学のすすめ』(2005年)など。 東大在学中は共産主義者同盟(ブント)に加盟。
西岡 清吉(にしおか せいきち、1937年5月18日 - )… 西岡 清吉(にしおか せいきち、1937年5月18日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
安部 譲二(あべ じょうじ、1937年5月17日 - 201… 安部 譲二(あべ じょうじ、1937年5月17日 - 2019年9月2日)は、日本の小説家、タレント。 元暴力団員であり、自らの服役経験を基にした自伝的小説『塀の中の懲りない面々』などの著作がある。元日本航空のスチュワードとしても勤務した。また漫画原作者としても、第51回小学館漫画賞を受賞した柿崎正澄の漫画『RAINBOW-二舎六房の七人-』などの作品がある。血液型O型。 本名は安部 直也(あべ なおや)。元妻は実業家、エッセイストの遠藤瓔子で、ゲームソフトの原作・監督などを手がける遠藤正二朗は遠藤との子にあたる。 下記、ヤクザ時代の過去については「大体、10%だけがホントで、あとは膨らました脚色ですよ」、「作家は政治屋や役人と一緒で、ホントのことなんか言うわけがねぇんだよ」とも発言している。
滝沢 信一(たきざわ しんいち、1937年(昭和12年)5月… 滝沢 信一(たきざわ しんいち、1937年(昭和12年)5月16日 - )は、日本の政治家。元新潟県十日町市長(1期)。 新潟県中魚沼郡十日町(現・十日町市)出身。早稲田大学卒。十日町市議会議員、十日町商工会議所副会頭、滝沢印刷会長などを経て、2001年、十日町市長に当選した。2005年に合併による十日町市が発足、合併直後の市長選挙に立候補したが、元川西町長の田口直人に破れて落選した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
康 芳夫(こう よしお、1937年5月15日 - )は、東京… 康 芳夫(こう よしお、1937年5月15日 - )は、東京都出身のプロデューサー。自称「虚業家」。また、「伝説のプロデューサー」という異名でも知られる。 東京大学卒業。
伊達 貞宗(だて さだむね、1937年(昭和12年)5月15… 伊達 貞宗(だて さだむね、1937年(昭和12年)5月15日 - 1981年(昭和56年)11月9日)は伊達宗家33代当主。32代当主・伊達興宗の子。妻は小野寺利子。子に泰宗、真美(伊達氏の歴史を綴ったエッセイ『伊達家の風景』等の著者)。 学習院大学卒業。父の死後、家督を相続。仙台市博物館の名誉館長を務めた。 朝宗 - 宗村 - 義広 - 政依 - 宗綱 - 基宗 - 行宗 宗遠 - 政宗 - 氏宗 - 持宗 - 成宗 - 尚宗 - 稙宗 - 晴宗 - 輝宗 政宗 - 忠宗 - 綱宗 - 綱村 - 吉村 - 宗村 - 重村 - 斉村 - 周宗 - 斉宗 - 斉義 - 斉邦 - 慶邦 - 宗基 邦宗 - 興宗 - 貞宗 - 泰宗 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
池田 行彦(いけだ ゆきひこ、1937年〈昭和12年〉5月1… 池田 行彦(いけだ ゆきひこ、1937年〈昭和12年〉5月13日 - 2004年〈平成16年〉1月28日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正三位、勲章は旭日大綬章。旧姓は粟根。 衆議院議員(10期)、内閣官房副長官(政務担当)、総務庁長官(第7代)、防衛庁長官(第50代)、外務大臣(第119、120代)、自由民主党政務調査会長(第42代)、自由民主党総務会長(第40代)等を歴任した。 妻・紀子の父は内閣総理大臣を務めた池田勇人。妻の姪・慶子の夫は衆議院議員の寺田稔。 兵庫県神戸市生まれ。父・粟根信行は行彦の7歳時に死去し、その後、父の郷里である広島市中島本町(現在の平和記念公園内)へ移る。1945年8月6日の原爆投下時は母の妹宅近くの豊田郡(現三原市)本郷町(現在の広島空港周辺)に疎開していたので、被爆を免れた。
池田 英俊(いけだ ひでとし、1937年〈昭和12年〉5月1… 池田 英俊(いけだ ひでとし、1937年〈昭和12年〉5月13日 - 2023年〈令和5年〉1月16日)は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 進学校・福岡高校では当初遊撃手であったが、1年次の1953年秋から投手に転向。2年次の1954年には夏の甲子園県予選で準決勝に進み、小倉高の畑隆幸と投げ合うが0-1で惜敗。その後も県予選で敗れ、甲子園出場はならなかった。 高校卒業後は西鉄の誘いを断り、1956年に兄が講師をしていた明治大学へ進学。1年次の同年秋季リーグから投手陣の主軸となり、東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、2年次の1957年秋季に7勝を記録。長嶋茂雄らのいた立大には及ばぬも2位躍進に貢献したが、冬休みのランニング中に肉離れを起こす。
坂野 潤治(ばんの じゅんじ、1937年(昭和12年)5月1… 坂野 潤治(ばんの じゅんじ、1937年(昭和12年)5月13日 - )は、日本の歴史学者。専門は、近代日本政治史。東京大学名誉教授。
多氣田 力(たけだ つとむ、1937年5月13日 - 201… 多氣田 力(たけだ つとむ、1937年5月13日 - 2017年9月7日)は、日本の実業家。アサツーディ・ケイ(ADK)代表取締役社長、コナミスポーツ&ライフ代表取締役会長。三重県出身。 1961年3月に早稲田大学第一文学部卒業と同時に旭通信社に入社。取締役、第一営業本部長、常務取締役を経て1996年3月に代表取締役社長に就任。1999年1月に第一企画と合併。2001年9月に代表取締役相談役に退き2002年4月に代表取締役を退任し青山学院大学大学院経営学研究科履修生となる。2003年3月に北海道日本ハムファイターズに移籍し相談役となる。同年6月にコナミ取締役、2004年6月にコナミスポーツ&ライフの代表取締役会長となる。
村橋 俊一(むらはし しゅんいち、1937年5月12日 - … 村橋 俊一(むらはし しゅんいち、1937年5月12日 - )は、日本の化学者。専門は、有機合成化学・有機金属化学。大阪大学名誉教授。日本化学会会長、日本学術会議会員、同連携会員などを歴任。曽祖父・村橋次郎、祖父・村橋素吉、父・村橋俊介ともに化学者。 大阪府吹田市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鈴木 茂嗣(すずき しげつぐ、1937年5月12日 - )は… 鈴木 茂嗣(すずき しげつぐ、1937年5月12日 - )は、日本の法学者。刑事訴訟法。京都大学名誉教授。日本学士院会員。法学博士。東京都出身。指導教官は平場安治。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
伊丹 潤(いたみ じゅん、1937年5月12日 - 2011… 伊丹 潤(いたみ じゅん、1937年5月12日 - 2011年6月26日)は、韓国の建築家、画家。在日韓国人2世で本名は庾東龍 (ユ・ドンヨン、유동용)。本貫は茂松庾氏。 伊丹潤の名は、生まれて初めて韓国行きの飛行機に乗った伊丹空港の「伊丹」と、親しく交流していた朝鮮出身の作詞・作曲家・歌手であった吉屋潤(よしやじゅん、またはキル・オギュン(길옥윤))の「潤」とを合わせて作ったものである。姓の漢字「庾(ユ)」が、常用漢字として認められていなかったためもあるという(人名用漢字の項も参照)。 東京都出身。1964年、武蔵工業大学工学部建築学科卒業。1968年に伊丹潤建築研究所設立。2007年から2008年まで、日本民藝館運営委員。
大森 政輔(おおもり まさすけ、1937年(昭和12年)5月… 大森 政輔(おおもり まさすけ、1937年(昭和12年)5月11日 - )は、日本の裁判官。元内閣法制局長官。弁護士(八重洲法律事務所)。兵庫県出身。
保谷 高範(ほうや こうはん、1937年〈昭和12年〉5月1… 保谷 高範(ほうや こうはん、1937年〈昭和12年〉5月11日 - 2006年〈平成18年〉8月27日)は日本の政治家。西東京市長(1期)、旧保谷市長(2期)。位階は従五位。勲等は旭日小綬章。 法政大学経済学部卒業後、市長就任前に保谷中町四郵便局長に就任し、特定郵便局長業務推進連絡会保谷部会長を務めた。その後、政界へ進出。 1993年(平成5年)、保谷市長選挙に自由民主党、公明党、民社党、日本新党の推薦を受けて立候補し、5選を目指した都丸哲也を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:74,320人 最終投票率:48.50%(前回比:-pts) 1997年(平成9年)、保谷市長選挙に自民党、公明党の推薦を受けて立候補し、日本共産党推薦の都丸を破って再選を果たした。
宮本 恵美子(みやもと えみこ、現姓:寺山、1937年5月1… 宮本 恵美子(みやもと えみこ、現姓:寺山、1937年5月10日 - 2023年12月7日)は、日本の元女子バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール女子金メダリスト。東洋の魔女 (Oriental Witches) の主力メンバー。 和歌山県和歌山市出身。和歌山市立明和中学校時代に近畿大会で優勝。和歌山商業高校在学中にスカウトされて、実業団の日紡貝塚(当時)に入部。 入部当初は不器用なタイプで、アタックは強烈だがレシーブやトスがこなせず、「試合に出られなくても球拾いで頑張る」と自分に言い聞かせて、2年間控えにまわる。その姿を見続けてきた大松博文監督(当時)は「必ずモノになる」と確信したと述懐している。
髙井 伸夫(たかい のぶお、1937年5月9日 - 2023… 髙井 伸夫(たかい のぶお、1937年5月9日 - 2023年2月7日)は、日本の弁護士。弁護士法人髙井・岡芹法律事務所の創業者、元代表社員。経営法曹会議幹事。社団法人日中協会理事。愛知県名古屋市出身。東京大学法学部卒業。専門分野は企業からの人事・労務問題、会社役員関係等々、使用者側に立つ労働法・労働問題。 この他、財団法人カシオ科学振興財団監事、財団法人労働科学研究所評議員、財団法人日本盲導犬協会理事長等々を歴任。
栗塚 旭(くりづか あさひ、1937年〈昭和12年〉5月9日… 栗塚 旭(くりづか あさひ、1937年〈昭和12年〉5月9日 - 2025年〈令和7年〉9月9日)は、日本の俳優。男性。身長175cm(1967年1月)。劇団くるみ座出身。 北海道札幌市出身。札幌市立向陵中学校、京都府立洛北高校卒業。 1965年にテレビドラマで演じた土方歳三が当たり役となり、以降も多くのドラマや映画、舞台で土方を演じた。 幼少のころに父を亡くし、札幌市立向陵中学校を卒業するころには母も亡くしたため、教師をしていた兄夫婦を頼って1953年に京都市へ移り住む。 高校へは編入というかたちで入学し、定時制へ1年間通ったのち、全日制へ移った(定時制当時は、法然院などへ来ていた映画撮影隊のロケーションを昼間の空いた時間を使ってよく観に行っていた)。
木島 安史(きじま やすふみ、1937年5月9日 - 199… 木島 安史(きじま やすふみ、1937年5月9日 - 1992年4月27日)は、日本の建築家。木島安史+YAS都市研究所 計画・環境建築で、多くの建築作品を残した人物。また、大学教授として人材育成にもあたった。朝鮮黄海道海州市生まれ。 1962年 早稲田大学理工学部建築学科卒業。1962年からトロハ研究所。1966年 早稲田大学大学大学院修了。丹下健三都市建築設計研究所入所。1967年、エチオピアハイレシェラシェI世大学講師。1970年、相田武文とYAS都市研究所 計画・環境建築を設立。1971年、熊本大学に招かれる。1980年 熊本大学工学部教授。1991年 千葉大学工学部教授。熊本では両角光男、東京では橋本文隆と組んで活動した。
杉山 卓(すぎやま たく、1937年5月8日 - )は、日本… 杉山 卓(すぎやま たく、1937年5月8日 - )は、日本の男性アニメーター、アニメ演出家、アニメ監督。造形表現研究所所長及びタクプロダクション代表(株式会社デック)。京都アニメーション共同創業者の八田陽子(旧姓: 杉山)は実妹。2019年現在は静岡県浜松市北区に在住。妻も東映動画の元アニメーター(入社は杉山より3年後)である。 東京府(後の東京都)出身。太平洋戦争末期は山形県に疎開していた。東京都立豊多摩高等学校卒業。高校時代は山岳部に所属していた。宮崎駿夫人となる大田朱美とは中学高校で同窓だったという。 1956年5月、浪人生として東京芸術大学油絵科を目指していた時に、新聞に載った東映動画の募集広告を見た姉の勧めで採用申込に応じ、東映動画(現・東映アニメーション)に1期生として入社する。
梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5… 梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5月19日)は、日本の文芸評論家。本名は佐藤春夫。 新潟県新潟市生まれ。1957年に新津高校を卒業し、法政大学文学部に入る。在学中に、吉本隆明と出会い、雑誌「試行」に文学評論を発表する。1962年より千葉県の県立高校に教諭として勤務し、1998年に退職する。その後、弘前学院大学教授、法政大学大学院講師などを務めた。 2010年5月19日0時8分、千葉市中央区の病院で食道癌による敗血症のため73歳で死去。
松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は… 松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。
梶谷 素久(かじたに もとひさ、1937年(昭和12年)5月… 梶谷 素久(かじたに もとひさ、1937年(昭和12年)5月8日 - )は、日本の社会学者。 岐阜県生まれ。1961年東京外国語大学英語科卒。1964年京都大学大学院文学研究科社会学修士課程修了、64年暁烏賞受賞。名城大学法学部助教授、教授、2008年定年。 1972-1974年オックスフォード大学客員研究員、1990年カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員教授。国際社会学会 (ISA) 終身会員。
砂原 幸雄(すなはら ゆきお、1937年(昭和12年)5月8… 砂原 幸雄(すなはら ゆきお、1937年(昭和12年)5月8日 - 2020年(令和2年)8月12日)は、日本の実業家・テレビディレクター。 東京放送 (TBS) の社長・会長、横浜ベイスターズの球団オーナー、東京エレクトロンの取締役を務めた。 香川県出身。慶應義塾大学文学部卒業。 1961年(昭和36年)、TBSに入社。1967年(昭和42年)に制作部に配属され、『半七捕物帳』『時間ですよ』などのサブプロデューサーを務めた。1977年(昭和52年)にはテレビ編成部専任部長、1984年(昭和59年)にはニューヨーク支局長にそれぞれ異動となり、ニューヨーク支局長時代にはマスターズゴルフの中継権交渉などを担当した。
長崎 浩(ながさき ひろし、1937年5月8日- )は、日本… 長崎 浩(ながさき ひろし、1937年5月8日- )は、日本の社会評論家、身体運動学者。元の妻は東大名誉教授の長崎暢子。 東京生まれ。東京大学理学部卒、同大学院修士課程を経て、東京大学物性研究所、東北大学医学部リハビリテーション医学研究施設、東京都老人総合研究所勤務。1986年東北大学医学博士。1999年から東北文化学園大学医療福祉学部教授。2009年退職。 学生時代は1960年安保運動に参加し第一次共産主義者同盟で活動した。全共闘運動には助手共闘の一員として参加する。その後も左翼活動家として著述活動を続けた。 成田空港問題において、成田開港翌年の1979年に三里塚芝山連合空港反対同盟の幹部が政府と締結した覚書(その後情報漏洩により協定は流産となった)の文案は、長崎が書いたものだといわれる。
児玉 隆也(こだま たかや、1937年5月7日 - 1975… 児玉 隆也(こだま たかや、1937年5月7日 - 1975年5月22日)は、日本のジャーナリスト。田中角栄の金脈問題追及で知られる。 兵庫県芦屋市生まれ。終戦の1か月前、8歳のときに画家だった父を栄養失調で亡くす。以来、母が物売りや雑役婦をして家計を支えた。兵庫県立芦屋高等学校を卒業する年の2月、55歳で定年退職した母に、仕送りは要らないから、4年間、東京で勉強させてくれと頼み、早稲田大学第二政経学部に入学。働きながら大学に通う。21歳のときに岩波書店の月刊総合誌『世界』の懸賞原稿に入選する。 卒業する1年前から光文社の女性週刊誌『女性自身』の編集部でアルバイトをはじめ、卒業後に光文社に入社。
中村 孝雄(なかむら たかお、1937年5月7日 - )は日… 中村 孝雄(なかむら たかお、1937年5月7日 - )は日本の俳優。本名同じ。 東京府(現・東京都)出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。俳優小劇場、田村企画、中里事務所に所属していた。 俳優座養成所第11期生。 主に時代劇や刑事ドラマに出演し、多数の悪役を演じている。 近年は、千葉県浦安市で演劇サークルの演劇指導を行っている。元芸優(芸能企画部)専属講師。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
広田 勇(廣田 勇、ひろた いさむ、1937年5月7日 - … 広田 勇(廣田 勇、ひろた いさむ、1937年5月7日 - )は、日本の気象学者、京都大学名誉教授。 北海道北見市生まれ、1961年東京大学理学部物理学科卒、1966年同大学院地球物理学専攻博士課程満期退学、1968年「成層圏における大規模大気擾乱に関する研究」で理学博士。東大助手、1972年気象庁気象研究所主任研究官、1974年京都大学理学部助教授となり、1983年教授。2001年定年退官、名誉教授となる。1998年-2006年日本気象学会理事長を務めた。2008年日本気象学会藤原賞受賞。
能勢 弘之(のせ ひろゆき、1937年5月7日 - 2000… 能勢 弘之(のせ ひろゆき、1937年5月7日 - 2000年8月1日)は、日本の法学者。専門は刑事訴訟法。法学博士。元北海道大学法学部教授。大学院入学の時点では小山昇に師事して民事訴訟法を専攻するも、のちに専攻を転じて田宮裕のもとで刑事訴訟法を研究した。 陽気な人柄で、酒豪、愛煙家であった。アメリカ・ベイラー医科大学教授で医学博士(北海道大学)の能勢之彦は長兄。自治省官僚出身の岩見沢市市長だった能勢邦之は次兄。北海道大学文類から法学部への進学次の成績は全文系学生中の全優首席で、法学部在学中は「カミソリ能勢」の異名を取る秀才であった。大学院進学時には、同期の熊本信夫、中村睦男とともに「花の昭和36年組」と呼ばれた。
阿部 達二(あべ たつじ、1937年5月7日)は、日本の編集… 阿部 達二(あべ たつじ、1937年5月7日)は、日本の編集者・著作家。本名は達児。 青森県青森市生まれ。1961年、早稲田大学政治経済学部を卒業。同年、文藝春秋に入社し、編集者として勤務。『文學界』編集長、文春文庫編集長、出版局長、編集局長を歴任した。 1999年、文藝春秋を退職。以後、「阿部達二」名義で著述家として活動。江戸川柳や古典芸能に関する造詣が深く、古典文芸に関する作品を多く執筆している。 編集者時代の主な担当作家に藤沢周平がいる。藤沢とはデビュー以来30年以上の交友を持った。後年藤沢やその作品に関する講演を行い、また著作を発表している。
濵田 益嗣(はまだ ますたね、1937年(昭和12年)5月6… 濵田 益嗣(はまだ ますたね、1937年(昭和12年)5月6日 - )は、日本の実業家。株式会社赤福前代表取締役会長(10代目当主、2代社長)、株式会社濵田総業社長。元皇學館大学常任理事、伊勢商工会議所会頭、アイティービー会長(代表権はない)。男性。三重県伊勢市出身。父は濵田裕康、母は佳代子。妻は現赤福社長(4代)の濵田勝子、 最初の名前は益種で、1962年から1963年の間に改名したとされる(『伊勢年鑑』)。 赤福9代目当主、裕康の長男として生まれた。生後9か月にして出征していた父親を戦争で失い当主となるが、実際は8代当主の未亡人である濵田ますが切り盛りし、赤福が1954年に企業化した際、ますが企業としての赤福初代社長に就任している。
小沢 遼子(小澤遼子、おざわ りょうこ、1937年〈昭和12… 小沢 遼子(小澤遼子、おざわ りょうこ、1937年〈昭和12年〉5月4日 - )は、日本の政治家、評論家。 地方議員時代には浦和市議会議員を3期、埼玉県議会議員を1期務めた。 東京都出身。埼玉県立浦和第一女子高等学校、療養生活を経た後に法政大学社会学部心理学科卒。学生時代は学生運動に明け暮れていた。後の平凡パンチのインタビュー[要文献特定詳細情報]で法政大学に入学した理由を「病み上がりだったので入学しやすく、卒業しやすいところを選んだ。」と語っている。卒業後、広告代理店、出版社勤務を経て、1967年、当時継続していたベトナム戦争に異議を唱えるため、ベトナムに平和を! 埼玉市民連合結成、自ら代表としてベトナム反戦運動を展開。
富永 格郎(とみなが ただお、1937年5月4日 - 201… 富永 格郎(とみなが ただお、1937年5月4日 - 2014年7月18日[要出典])は、京都府京都市中京区西ノ京小堀町出身のプロ野球選手である。ポジションは投手。 立命館高校では1955年に、チームの主戦投手として、二塁手の辰市祐英らとともに夏の甲子園に出場。立命館高はこの大会で、中京商や桐生高などと共に優勝候補のひとつと目されていた。準々決勝では津久見高の田中喜八郎と投げ合い完封勝利。準決勝に進むが坂出商の岡崎秀智投手(中大-電電関東)に抑えられ、1-2で惜敗した。8月には辰市らとともに全日本高校選抜チームの一員として初のハワイ遠征を果たす。同年の神奈川国体は準々決勝で新宮高の前岡勤也に投げ勝ち2-0で完封、準決勝に進むが四日市高の高橋正勝に抑えられ敗退。
上野 茂(うえの しげる、1937年〈昭和12年〉5月3日 … 上野 茂(うえの しげる、1937年〈昭和12年〉5月3日 - )は、日本の裁判官。大阪地方裁判所長、高松高等裁判所長官などを歴任した。 1960年(昭和35年)に金沢大学法文学部を卒業後、第14期司法修習生。1962年(昭和37年)4月10日に静岡地方裁判所・静岡家庭裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
宮本 信生(みやもと のぶお、1937年5月3日 - )は、… 宮本 信生(みやもと のぶお、1937年5月3日 - )は、日本の外交官・外交評論家。 京都府京都市生まれ、愛媛県出身。1962年慶應義塾大学法学部卒、1990年「中ソ対立生成・発展の基本要因についての研究: 米中ソの「核」と中ソの大国民族主義・意識の結合」で法学博士。1962外務省入省、駐キューバ特命全権大使、駐チェコ特命全権大使を歴任後、外交評論家として執筆、講演活動に入る。2000年、フルート奏者・歌手・女優の神崎愛と結婚。
北白川 道久(きたしらかわ みちひさ、1937年〈昭和12年… 北白川 道久(きたしらかわ みちひさ、1937年〈昭和12年〉5月2日 - 2018年〈平成30年〉10月20日)は、日本の旧皇族。北白川宮永久王と同妃祥子の第1王子。北白川宮第5代当主。皇籍離脱前の身位は王で、皇室典範における敬称は殿下。皇族時代の名は、北白川宮道久王(きたしらかわのみや みちひさおう)であった。男系では崇光天皇の19世子孫、女系では明治天皇の曾孫にあたる。 1937年(昭和12年)5月2日午前9時53分、北白川宮永久王と同妃祥子の第1王子として、東京市芝区高輪の北白川宮邸で誕生。1940年(昭和15年)9月4日、父宮・永久王が事故により薨去。わずか3歳で北白川宮家を継承。未成年のため終戦時の宮家の当主の中で唯一の非軍人だった。
柳谷 郁子(やなぎたに いくこ、1937年5月2日 - )は… 柳谷 郁子(やなぎたに いくこ、1937年5月2日 - )は、日本の小説家、随筆家。文学同人誌『播火』主宰・編集長。〈播磨の黒田武士顕彰会〉理事。日本ペンクラブ会員。日本文藝家協会会員。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪二葉高等学校を経て、1961年早稲田大学教育学部英語英文学科を卒業する。1987年、第1回神戸新聞文芸賞小説部門優秀賞を受賞する。1997年、『月柱』で第14回大阪女性文芸賞を、『藤村の海』で第3回小諸・藤村文学賞を受賞する。2009年、黒田官兵衛を主人公にしたNHK大河ドラマの実現を目指す運動の一環で、絵本『官兵衛さんの大きな夢』を執筆する。同作品は、「官兵衛の生き方を通して、子どもたちに夢や希望を抱いてほしい」という思いから、わかりやすい言葉を選んで文章を書いたという。
正岡 道一(まさおか みちかず、1937年(昭和12年)5月… 正岡 道一(まさおか みちかず、1937年(昭和12年)5月2日 - )は、日本の実業家である。セシール創業者として知られた。 愛媛県久万高原町に生まれる。近江高等学校卒業後、自衛隊に入隊するが後に除隊する。その後タイヤ販売会社に入社し勤務した。1970年(昭和45年)に香川県高松市にてアジア物産を創業し、低価格の下着を中心としたカタログ通信販売の開発に携わった。 その後は多くの職に向けたカタログの製作及び開発に携わり、一般家庭向けのカタログの作成にも携わった。後に「セシール」に商号変更し、代表取締役社長に就任する。また、出身の久万高原の名誉町民やこけしの寄贈にも携わった。しかし1992年(平成4年)に商標権の侵害疑惑によりハヤシニットに控訴し、大阪高等裁判所にて開廷したものの後に棄却となった。
阿部 正寿(あべ まさとし、1937年〈昭和12年〉5月2日… 阿部 正寿(あべ まさとし、1937年〈昭和12年〉5月2日 - )は、日本の政治活動家、著述家。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の反共活動を1960年代から支えた。「12双」の一人でもある。 世界戦略総合研究所会長。教団の広報委員長、国際勝共連合事務総長などを歴任した。 福岡県京都郡犀川町(現・みやこ町)に生まれる。1960年3月、九州大学文学部社会学専攻卒業。 1967年11月頃、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の日本会長の久保木修己は、東京都渋谷区の統一教会本部に沢浦秀夫、野村健二、阿部らを招き、「勝共啓蒙団」を結成した。「勝共啓蒙団」は李相憲が書いた『新しい共産主義批判』の原稿を韓国から入手し、野村と阿部が中心となって日本語に訳し、出版した。
二上 洋一(ふたがみ ひろかず、1937年5月1日 - 20… 二上 洋一(ふたがみ ひろかず、1937年5月1日 - 2009年1月16日)は、日本のミステリ評論家、少年小説研究家。本名、倉持功。別名、千葉健児、金田一郎、根岸洋。 茨城県生まれ。早稲田大学卒業。在学中はワセダミステリクラブに所属。学生時代から『宝石』誌上に「高木彬光論」などの推理小説論を発表。1961年、ミステリ誌『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の短編コンテストにて「古事記殺人事件」が最終選考に残る。1962年、権田萬治や島崎博らと『みすてりい』を創刊。 集英社で少女漫画の編集に携わる傍ら、70年代後半には『幻影城』の月評執筆者および幻影城新人賞の予選委員としても活動した。ミステリ評論のみならず、少年小説研究家でもあり、1978年に評論集『少年小説の系譜』で日本児童文学学会奨励賞を受賞。
長谷川 彰(はせがわ あきら、1937年5月 - )は、日本… 長谷川 彰(はせがわ あきら、1937年5月 - )は、日本の物理学者。前国立大学法人新潟大学学長。現新潟工科大学学長。専門は重い電子系のバンド計算。
小幡 鋹伸(おばた としのぶ、1937年5月 - )は、日本… 小幡 鋹伸(おばた としのぶ、1937年5月 - )は、日本の実業家。名古屋東部陸運代表取締役社長や、豊田スタジアム代表取締役社長、愛知県トラック協会会長、全日本トラック協会副会長などを歴任した。 愛知県豊田市出身。1956年愛知県立岡崎高等学校卒業。1962年明治大学商学部卒業。1966年オバタ産業代表取締役社長。1971年名古屋東部陸運代表取締役社長。1974年メイダイ代表取締役。1992年豊田市体育協会長。2000年名古屋東部陸運代表取締役会長、豊田スタジアム代表取締役社長。2002年豊田商工会議所副会頭。2011年全日本トラック協会副会長、愛知県トラック協会会長。 2018年に旭日中綬章を受章し、名古屋東急ホテルで祝賀会を開催。
司波 寛(しば ゆたか、1937年5月 - 2021年7月)… 司波 寛(しば ゆたか、1937年5月 - 2021年7月)全国路地のまち連絡協議会世話人、財団法人都市農地活用支援センターアドバイザー、日本の都市プランナーで都市計画協会マスター都市プランナー。(社)国土政策研究会理事、都市計画コンサルタント協会理事、文部科学省革新技術活性化委員。日本都市計画家協会副会長、東京理科大学講師、八王子市都市計画マスタープラン策定委員など歴任。技術士建設部門、一級建築士。神戸市生まれ。 1962年 東京大学工学部土木工学科卒。 1962年 - 1966年 日本技術開発株式会社勤務。 1966年 - 1968年 東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程修了。