弓削 達(ゆげ とおる、1924年3月31日 - 2006年… 弓削 達(ゆげ とおる、1924年3月31日 - 2006年10月14日)は、日本の歴史学者。専攻は古代ローマ史。東京大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。経済学博士。元日本学術会議会員。
1924年(大正13年)生まれ:861人
弓削 達(ゆげ とおる、1924年3月31日 - 2006年… 弓削 達(ゆげ とおる、1924年3月31日 - 2006年10月14日)は、日本の歴史学者。専攻は古代ローマ史。東京大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。経済学博士。元日本学術会議会員。
大川 栄二(おおかわ えいじ、1924年〈大正13年〉3月3… 大川 栄二(おおかわ えいじ、1924年〈大正13年〉3月31日 - 2008年〈平成20年〉12月5日)は、群馬県桐生市出身の実業家、美術品蒐集家。大川美術館創設者・初代館長。 群馬県桐生市生まれ、実家は畳屋であった。桐生高等工業学校(現・群馬大学工学部)染色化学科卒業。1946年、三井物産入社。1969年、株式会社ダイエーへ移り、副社長を経て1976年にマルエツ株式会社(旧サンコー)代表取締役社長。1981年、株式会社ダイエー取締役副社長。1983年株式会社丸興(後ダイエーファイナンス、現セディナ)会長。中内㓛社長付きの部長という肩書きで、新店舗開発など最前線で指揮をとり、急成長するダイエーを影から支えた。
増島宏(ますじま こう、1924年3月31日- )は、日本の… 増島宏(ますじま こう、1924年3月31日- )は、日本の政治学者。元法政大学教授。 埼玉県生まれ。東京大学法学部政治学科卒。法政大学社会学部助教授、教授。1994年定年退職。門下に高橋彦博。
平山 高明(ひらやま たかあき、1924年3月31日 - 2… 平山 高明(ひらやま たかあき、1924年3月31日 - 2023年7月15日)は、日本のカトリック教会の司教。洗礼名は「ペトロ」。2000年までカトリック大分司教区長を務め、引退後は大分司教区名誉司教。 1924年(大正13年)3月31日、朝鮮・京城(現在の韓国・ソウル)にて生まれる。祖父は長崎出身の実業家であり、日本二十六聖人の映画『殉教血史 日本二十六聖人』を製作した平山政十。 長崎海星中学校、宮崎農林専門学校畜産科を卒業後に阿蘇開拓団に加わって農業に従事。その後1950年(昭和25年)4月に聖スルピス大神学院に入学し、大神学院卒業年の1957年(昭和32年)3月19日、浄水通聖霊教会(カトリック浄水通教会)でカトリック福岡司教区の深堀仙右衛門司教によって司祭に叙階された。
西口 雅博(にしぐち まさひろ、1924年〈大正13年〉3月… 西口 雅博(にしぐち まさひろ、1924年〈大正13年〉3月31日 - 没年不明)は、日本の実業家。金盃本舗社長。大阪草履製造業協組副理事長。全国高級装履メーカー連合会会長。 奈良県御所市出身。西口紋太郎の長男。趣味はゴルフ、旅行。住所は大阪市浪速区御蔵跡南之町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
三戸部 スエ(みとべ すえ、1924年〈大正13年〉3月31… 三戸部 スエ(みとべ すえ、1924年〈大正13年〉3月31日 - 1986年〈昭和61年〉4月24日)は日本の女優。北海道夕張市出身。本名同じ。 日本大学芸術科(現・日本大学藝術学部)中退。太平洋戦争の戦時中当時は瑞穂劇団に参加し所属。 1971年に俳優座を退団。フリーとなって商業演劇、映画やテレビドラマに多く出演。脇役・老け役としての実力は高く評価された。1986年4月24日、胃癌のため死去。62歳没。 親類に作家の橘善男がおり、2001年に三戸部の半生を題材にした「小説俳優座―わざおぎ狂乱」(鳥影社)を出版している。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
平鹿川 泰二(ひらかがわ たいじ、1924年3月31日 - … 平鹿川 泰二(ひらかがわ たいじ、1924年3月31日 - 1992年4月11日)は、秋田県平鹿郡雄物川町(現役当時、現・同県横手市)出身で立浪部屋(入門時は春日山部屋)に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 泰治(さとう たいじ)。最高位は西前頭13枚目(1957年5月場所)。現役時代の体格は179cm、100kg。得意手は左四つ、上手投げ、下手投げ。 地元の小学校を卒業後上京し、蒲田区(現・大田区)内の製薬会社に勤務していたが、16歳の時に角界入りを決意。元関脇・藤ノ川雷五郎が率いる春日山部屋へ入門し、1941年1月場所で初土俵を踏んだ。同期生には、後に年寄・春日山を襲名することとなる藤川(後、「信州」から「大昇」へ改名、最高位・前頭筆頭)らがいる。
高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月3… 高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は、法相宗の僧。薬師寺元管主。法相宗管長。分かりやすい法話により「話の面白いお坊さん」、「究極の語りのエンタテイナー」とも呼ばれ、そこから百万巻写経勧進の道を切り開いて金堂、西塔など薬師寺の伽藍の復興に道筋をつけるなど、薬師寺の再生に生涯をささげた。 大阪市出身。俗名は高田好一。裕福な家庭に生まれたが、11歳のとき証券会社勤務の父を肺結核で失い困窮した。母方の実家は東大寺龍蔵院で、知人だった薬師寺の管主橋本凝胤が弟子として好胤を引き取った。凝胤の教育は厳しかった。幼少期、友人宅に呼ばれて遊びに行ったとき、レコードで浪曲の「清水港は鬼より怖い、大政・小政の声がする」というくだりを耳にして、薬師寺にはもっと怖い鬼(橋本凝胤)がいると思ったという。
徳網 茂(とくあみ しげる、1924年3月30日 - 197… 徳網 茂(とくあみ しげる、1924年3月30日 - 1976年5月23日)は京都府出身のプロ野球選手、野球指導者。
小林 丈児(こばやし じょうじ、1924年3月30日-198… 小林 丈児(こばやし じょうじ、1924年3月30日-1985年8月6日)は、日本の政治学者。専門は、政治学・比較政治学。元中央大学教授。北海道釧路市出身。 1952年中央大学法学部(旧制)卒業。1952年中央大学法学部助手。1957年中央大学法学部助教授。1964年中央大学法学部教授。1985年在職中に心不全で逝去。 この他に、日本比較法研究所副所長、日本政治学会理事、東京外国語大学外国語学部・明治大学法学部・早稲田大学法学部・立教大学法学部の非常勤講師を務めた。 専門は、政治学・比較政治学。特に、政治原論、平和学、地方自治論、アメリカ政治史、イギリス政治史などを研究。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
薄井 憲二(うすい けんじ、1924年3月30日 - 201… 薄井 憲二(うすい けんじ、1924年3月30日 - 2017年12月24日)は、日本のバレエダンサー、振付家、バレエ指導者、舞踊評論家、舞踊史研究家。 蘆原英了、東勇作に師事してバレエを学び、第2次世界大戦後の日本バレエ界で活躍した。1930年代から収集を続けているバレエ関連の文献資料は、個人が収集したものとしては世界有数といわれる。 モスクワ国際バレエコンクールやヴァルナ国際バレエコンクールなど内外のバレエコンクールの審査員を歴任し、2006年に第4代日本バレエ協会会長に就任した。 東京で生まれた。母や姉とともに歌舞伎や宝塚歌劇団などの舞台を観に行くことが多く、幼少時から踊りを見るのは好きだった。
高橋 悦二郎(たかはし えつじろう、1924年3月30日 -… 高橋 悦二郎(たかはし えつじろう、1924年3月30日 - 2015年8月14日)は、日本の小児科医。 東京府(現中野区)出身。1952年東京大学医学部卒。1960年医学博士。東大病院小児科勤務、1955年東京・愛育病院勤務、小児科部長。1980年愛育会総合母子保健センター保健指導部長。院長代行、愛育研究所副所長を歴任。1989年定年退職。女子栄養大学教授。東京都小児保健協会会長。
中濃 教篤(なかの きょうとく、1924年3月30日-200… 中濃 教篤(なかの きょうとく、1924年3月30日-2003年4月30日)は、日蓮宗の僧侶、政治・社会運動家。 神奈川県出身。1945年立正大学仏教学部卒。インドシナ解放闘争に共鳴、アジア仏教徒会議などに参加。1971年日蓮宗現代宗教研究所長、79年顧問。東京都台東区領玄寺住職。
鈴木 久男(すずき ひさお、1924年3月29日 - 200… 鈴木 久男(すずき ひさお、1924年3月29日 - 2005年9月12日)は日本の数学者、珠算史研究家、国士舘大学名誉教授。 大正13年(1924年)3月29日、東京府南足立郡(現、東京都足立区)に生まれた。昭和25年(1950年)、専修大学商経学部商業学科卒業。昭和33年(1958年)、文部省より珠算史の研究で大学講師の認定を受け、昭和35年(1960年)、国士舘大学政経学部講師。昭和44年(1969年)、同助教授。昭和49年(1974年)同教授。昭和51年(1976年)、日本大学文理学部国文学科卒業。平成5年(1993年)、国士舘大学定年退職、名誉教授の称号を受ける。平成14年(2002年)、勲四等旭日小綬章を受章。
森川 保治(もりかわ やすはる、1924年〈大正13年〉3月… 森川 保治(もりかわ やすはる、1924年〈大正13年〉3月29日 - 2013年〈平成25年〉2月1日)は、日本の政治家。奈良県大和高田市長(3期)。位階は従五位。 奈良県出身。天理外国語専門学校(現天理大学)卒。森川商会を経営し、会長となる。ほか旭光コンクリート工業社長、大和高田商工会議所顧問、奈良新聞政経懇話会会員、社会福祉法人理事長、大和高田市教育委員長、奈良地裁調停委員などを務めた。 1979年大和高田市長選挙に立候補し、当選する。市長を3期務め、1991年に退任する。 1993年大和高田商工会議所会頭に就任。1997年勲三等瑞宝章を受章。2013年死去。死没日付をもって正八位から従五位に進階した。
邱 永漢(きゅう えいかん、1924年3月28日 - 201… 邱 永漢(きゅう えいかん、1924年3月28日 - 2012年5月16日)は、日本および台湾の実業家、作家、経済評論家、経営コンサルタント。株式会社邱永漢事務所代表取締役。 旧本名は邱炳南、帰化後の本名は丘永漢。初期の筆名は邱炳南および丘青台。株の名人で「金儲けの神様」と呼ばれた。日本亡命後に筆名「邱永漢」を使うようになり、この筆名は戦前の台湾文学界で活躍した作家の西川満がつけたという説があるが、邱本人が否定している。 1924年3月、婚外子として日本統治時代の台湾台南市に生まれる。10人兄弟の長男。父邱清海は台湾人実業家。母堤八重は久留米生まれの日本人。 1937年、13歳のとき台北高校尋常科に入学。
伊達 三郎(だて さぶろう、1924年3月27日 - 199… 伊達 三郎(だて さぶろう、1924年3月27日 - 1991年9月12日)は、日本の俳優。本名は桜 春太郎(さくら しゅんたろう)、別名義:伊達 岳志(だて たけし)。 大阪市大正区出身。大映出身。さとう事務所に所属していた。興國商業高校卒業。 復員後の1945年に大映京都に入社し、翌1946年、片岡千恵蔵と古川ロッパが共演した稲垣浩監督の『おかぐら兄弟』でデビューを果たす。以降は大映の名物悪役として活躍。時代劇からヤクザ映画まで、その特徴ある面長な風貌で、大映映画の全盛期を支えた。 大映倒産後はテレビドラマに本格的に進出し、刑事ドラマや時代劇では悪役を数多く演じた。1991年9月12日死去。
大谷 藤郎(おおたに ふじお、1924年3月27日 - 20… 大谷 藤郎(おおたに ふじお、1924年3月27日 - 2010年12月7日)は、日本の厚生官僚(テクノクラート)。元厚生省医務局長。大学教授。精神障害者やハンセン病患者の人権保護・待遇改善に積極的に取り組み、1993年にはWHOからレオン・ベルナール賞を授与された。国際医療福祉大学初代学長。 1924年3月27日、滋賀県に生まれる。1952年(昭和27年)京都大学医学部卒業(在学中は小笠原登に師事)。1959年(昭和29年)、旧厚生省に医系技官として入省した。 入省後は、1962年(昭和37年)から精神衛生課に勤務し、全国精神障害者家族会連合会(略称・全家連、2007年破産・解散)の創設支援、1965年(昭和40年)の精神衛生法の改正などに携わった。
城崎 進(じょうさき すすむ、1924年3月26日 - 20… 城崎 進(じょうさき すすむ、1924年3月26日 - 2017年8月1日)は、日本の神学者。専門は旧約聖書学。関西学院大学名誉教授、名誉神学博士。 兵庫県西宮市出身。1946年関西学院大学商経学部卒業。同大学院に在籍後、文学部神学科に編入学。相浦忠雄教授の下で、旧約聖書学を専攻した。1951年に文学部神学科助手に就任、その際神学部開設のための実務に当たった。1954年よりアメリカのユニオン神学校に留学。1963年に関西学院大学神学部教授。1969年の大学紛争時に学長代行代理として学内正常化に努力する。その後、院長代行代理、学長代理、院長代理などを歴任し、1977年に神学部長、1981年から学長を務めた。
二瓶 英雄(にへい ひでお、1924年 <大正13年> 3月… 二瓶 英雄(にへい ひでお、1924年 <大正13年> 3月26日 - 1999年 <平成11年> 8月9日)は日本の柔道家(講道館9段)。北海道柔道連盟副会長、北海道警名誉師範等を務めた。位階は正六位。 樺太の豊原市(現・ユジノサハリンスク)に出まれ、樺太庁豊原中学校在学中に柔道を始めた。記録上の講道館入門は1939年3月付で卒業後は樺太鉄道局に勤め、太平洋戦争に伴う兵役と終戦後1947年6月までの抑留生活を経て、北海道へ引き揚げ後は札幌鉄道局(現・JR北海道鉄道事業本部)に復職。 1948年5月2日に戦後初の柔道日本一を決める全日本選手権が講道館で開催され、当時5段位の二瓶は北海道代表で出場したが初戦で徳島代表の湊庄市5段に敗れた。
牛原 陽一(うしはら よういち、1924年3月25日 - 1… 牛原 陽一(うしはら よういち、1924年3月25日 - 1977年2月7日)は、昭和期の映画監督。 大正13年(1924年)京都府に映画監督、牛原虚彦と元女優、三村千代子の長男として生まれる。関東大震災で罹災した虚彦・千代子の2人は、横浜より救難船・米国船籍ウェスト・オロワ号に乗り神戸へ。その後、京都へ移り、陽一誕生。 慶應義塾幼稚舎入学後、普通部、経済学部と進学。戦局が悪くなる中、慶應義塾大学を仮卒業し、短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、1944年9月、海軍経理学校に入学。1945年に経理学校を卒業し、同年6月、海軍主計少尉任官と同時に舞鶴海軍施設部配属。終戦後、復員、慶應義塾大学に復学し卒業。
高瀬 文志郎(たかせ ぶんしろう、1924年3月23日 - … 高瀬 文志郎(たかせ ぶんしろう、1924年3月23日 - 2015年1月9日)は、日本の天文学者(銀河天文学)。 学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1961年)。東京大学名誉教授。 兵庫県西脇市出身。萩原雄祐、鏑木政岐、広瀬秀雄に師事。東京大学東京天文台附属木曽観測所の初代所長を務めたことで知られる。 のちに天文学者となった東京大学での学問的な弟子としては磯部琇三、岡村定矩、濱部勝などがいる。また、逗子市長・島根大学法文学部を経て龍谷大学法学部教授となった富野暉一郎(政治家・政治学者)も、高瀬の門下生である。 高瀬の業績を記念してその名前は小惑星に名付けられた。高瀬の名がつけられた小惑星については(2838) Takaseを参照。
伊藤 宗一郎(いとう そういちろう、1924年〈大正13年〉… 伊藤 宗一郎(いとう そういちろう、1924年〈大正13年〉3月21日 - 2001年〈平成13年〉9月4日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。勲章は旭日桐花大綬章。衆議院議員を13期務め、在任中には科学技術庁長官、防衛庁長官や第69代衆議院議長などを歴任した。宮城県名誉県民。 宮城県加美郡中新田町(現加美町)で呉服屋を営む父・宗太郎と、母・ときの長男として生まれた。少年時代には陸軍歩兵第4連隊の一日連隊長を務める機会があった。宮城県古川中学校(現・宮城県古川高等学校)、旧制第二高等学校文科甲類を経て、1947年に東北大学法学部を卒業。高校在学中に太平洋戦争が勃発、大学在学中には1年間軍務に就いて陸軍少尉に任官されていた。
三隅 二不二(みすみ じゅうじ/じふじ、1924年(大正13… 三隅 二不二(みすみ じゅうじ/じふじ、1924年(大正13年)3月21日 - 2002年(平成14年)5月31日)は、日本の心理学者。専攻は社会心理学。文学博士。元九州大学教授、大阪大学名誉教授、筑紫女学園大学・短期大学元学長。財団法人集団力学研究所初代所長。 福岡県出身。クルト・レヴィンによって創始されたグループ・ダイナミックス(集団力学)を日本に紹介し、その普及と発展に力を注いだ。リーダーシップをパフォーマンスとメンテナンスの2つの機能の複合として捉えるPM理論で世界的に知られる。 日本グループ・ダイナミックス学会の設立に尽力し、2代目会長に就任。以来、長きに渡って同学会の幹部を務める。また九州大学教育学部教授在任中の1967年(昭和42年)、学界と地元企業の交流の場として集団力学研究所を設立。
水庭 進(みずにわ すすむ、1924年3月21日-2017年… 水庭 進(みずにわ すすむ、1924年3月21日-2017年6月14日)は、戦前・戦後に活躍したアナウンサー、教育者、文筆家、俳人。 東京生まれ。東京外国語学校英語科卒。日本放送協会の国際放送の英語アナウンサーを務めた。俳人協会会員。 巣鴨学園を経て東京外国語学校(現・東京外国語大学)、英米科3年生在学時の1944年、学生アルバイトとして英語アナウンサーとなり、その後1946年に職員として入局。 戦後の国際放送再開以降も英語アナウンサーとしてニュースや朗読番組などで活躍し、1967年の吉田茂国葬の実況生中継も行った。チーフアナウンサー、アジア部長、欧米部長、国際局次長などを務め、1980年に定年退職。
田中 範隆(たなか のりたか、1924年(大正13年)3月2… 田中 範隆(たなか のりたか、1924年(大正13年)3月21日 - )は、日本の政治家。元福岡県筑紫野市長(2期)。 福岡県出身。1945年、長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)卒。卒業後は田中油糧工業に入り、専務を経て、社長となる。また、筑紫野市商工会議所会頭も務めた。筑紫野市議会議員を経て、1995年、筑紫野市長に初当選。1999年は無投票で再選。2003年に元筑紫野市議の平原四郎に敗れた。
西山 孝(にしやま たかし、1924年(大正13年)3月21… 西山 孝(にしやま たかし、1924年(大正13年)3月21日 - 2002年(平成14年)7月25日)は、日本の政治家。元愛知県豊田市長(3期)。 愛知県出身。挙母町立青年学校で3年学ぶ。1942年(昭和17年)、名古屋高等工業学校土木科(名古屋工業大学の前身)卒業。挙母町役場に勤務。1965年(昭和40年)4月、豊田市建設部長に就任。1971年(昭和46年)4月、土木部長に就任。1975年(昭和50年)4月、助役に就任。 1975年(昭和50年)11月、豊田市長の佐藤保が健康上の理由により、任期満了に伴う市長選への不出馬を表明。次いで佐藤は、挙母町立青年学校教諭時代の教え子である西山を後継者として強く推した。
佐藤 安太(さとう やすた、1924年3月20日 - 201… 佐藤 安太(さとう やすた、1924年3月20日 - 2019年2月26日)は、日本の実業家。勲等は勲四等。学位は博士(工学)(山形大学・2010年)。山形大学工学部客員教授、福島工業高等専門学校客員教授、財団法人日本玩具文化財団名誉理事長、特定非営利活動法人ライフマネジメントセンター理事長。おもちゃの王様との異名を持つ。 有限会社佐藤ビニール工業所社長(初代)、株式会社宝ビニール工業所社長(初代)、株式会社タカラビニール工業所社長(初代)、株式会社タカラ社長(初・第3代)などを歴任した。 佐藤ビニール工業所を創業し、のちにタカラに改組し、一代で日本屈指の玩具メーカーにまで成長させた。タカラの社長として「ダッコちゃん」、「リカちゃん人形」、「人生ゲーム」、「チョロQ」、「トランスフォーマー」などのヒット商品を次々と開発したことから、「おもちゃの王様」と呼ばれた。
洪 悦郎(こう よしろう、1924年3月20日 – 2009… 洪 悦郎(こう よしろう、1924年3月20日 – 2009年1月4日)は、東京都出身の建築学者。 文禄の役時に朝鮮半島より日本へと送られた学者・書家の洪浩然を祖とする家系である。東京大学建築学科卒業後、東京大学大学院に進学するものの中退し、同大学の工学部助教授を経て教授となる。その後、1984年に北海道大学工学部教授、1989年に室蘭工業大学工学部教授を歴任し、1994年に退官。日本コンクリート工学協会では会長を務めたほか、日本建築学会でも副会長を務めた。 1986年に北海道新聞文化賞を受賞。1991年には紫綬褒章、1996年には勲二等瑞宝章が授与されている。2009年1月4日、東京都目黒区の病院にて心不全で亡くなった。
鈴木 乙一郎(すずき おといちろう、1924年(大正13年)… 鈴木 乙一郎(すずき おといちろう、1924年(大正13年)3月20日 - 2012年(平成24年)1月3日)は、日本の政治家。1987年から2003年まで旧栃木市長を務めた。栃木市名誉市民。 1924年(大正13年)3月、栃木県下都賀郡豊田村小宅(現小山市小宅)の農家の長男として生まれる。小学校を卒業した1937年(昭和12年)、東京浅草の麻問屋に修業に行く。鈴木が語ったところによると修業先の麻問屋は厳しい家だったというが、この修業時代に培ったマナーや人脈は後に事業を興した際に役立ったという。また当時、将来に備えて夜学にも通っており、睡眠時間2,3時間、休みは月1日のみの生活が続いたという。 1941年(昭和16年)、徴用の知らせを受け愛知県豊川の火薬工場に配属されたが、同年12月に開戦の知らせを聞き、軍への入隊を志願。
長谷部 七郎(はせべ しちろう、1924年3月19日 - 1… 長谷部 七郎(はせべ しちろう、1924年3月19日 - 1976年10月5日)は、日本の政治家。日本社会党所属の衆議院議員(1期)。 秋田県出身。1941年秋田県立金足農業学校(現・秋田県立金足農業高等学校)卒。農林省秋田食糧事務所に入り、全食糧労組秋田支部委員長、1955年から秋田県議を4期務め、1969年の第32回衆議院議員総選挙において秋田2区から日本社会党公認で立候補して当選、1期務めた。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選した。1976年死去。
倉田 保雄(くらた やすお、1924年3月19日 - 201… 倉田 保雄(くらた やすお、1924年3月19日 - 2011年11月18日)は、国際問題評論家、エッセイスト。 東京都生まれ。暁星中学を経て1945年慶應義塾大学経済学部卒業後、時事通信、ロイター、UPI通信社東京支局勤務。 1952年フルブライト留学生として米国留学。1953年共同通信に入社。ロンドン特派員、パリ支局長、編集委員。早稲田大学・慶大講師。 1989年から2002年までNHK「視点・論点」のコメンテーター。1994年フランス国家功労勲章(シュバリエ級)受章。ヨーロッパ特に英国、フランスについての著書多数。 2011年11月18日、虚血性心疾患のため死去。87歳没。
田中 正司(たなか しょうじ、1924年3月19日 - 20… 田中 正司(たなか しょうじ、1924年3月19日 - 2020年1月26日)は、日本の社会思想史家、経済学史家。横浜市立大学名誉教授。 横浜市立大学図書館長を経て、一橋大学社会科学古典資料センター第3代主任教授。1970年経済学博士(専修大学)。ジョン・ロックやアダム・スミスを中心とするイギリス思想について研究をおこなった。 東京生まれ。昭和第一商業学校(現 昭和第一高等学校)を経て、戦時中の1943年、横浜市立横浜商業専門学校 (旧制)(現 横浜市立大学)を繰り上げ卒業、三菱石油に入社。1945年3月に召集されるが、まもなく終戦。1946年、三菱石油を退社し、東京商科大学(現一橋大学)本科に入学。
磯貝 碧蹄館(いそがい へきていかん、1924年3月19日 … 磯貝 碧蹄館(いそがい へきていかん、1924年3月19日 - 2013年3月24日)は、俳人、書家。 東京出身。本名は甚吉。豊南商業学校(現・豊南高等学校)中退。川柳、自由律俳句を経て、1954年中村草田男に師事。1960年『与へられたる現在に』で角川俳句賞受賞。1966年『握手』で俳人協会賞受賞。1974年俳誌「握手」を創刊し主宰する。2004年句集『馬頭琴』により第5回雪梁舎俳句大賞特別賞受賞。書を金子鷗亭に学び、創玄展審査員を務めた。2013年3月24日、肺癌のため死去。89歳没。
河西 計介(かさい けいすけ、1924年3月19日 - )は… 河西 計介(かさい けいすけ、1924年3月19日 - )は、日本の実業家。阪神百貨店(現:エイチ・ツー・オー リテイリング)代表取締役社長・代表取締役会長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1947年に京都大学法学部卒業し、同年に阪神電気鉄道入社。1983年阪神百貨店(現:エイチ・ツー・オー リテイリング)代表取締役社長。1989年阪神電気鉄道非常勤取締役を兼務。1995年阪神百貨店代表取締役会長。名誉顧問。大阪商工会議所名誉議員を務めた。
唄 孝一(ばい こういち、1924年3月18日 - 2011… 唄 孝一(ばい こういち、1924年3月18日 - 2011年1月11日)は、日本の民法学者。旧・東京都立大学名誉教授。文化功労者。大阪府出身。 東京大学では川島武宜に師事し、家族法を専攻する。川島の影響を受け、実態調査を積極的に行うなど、法規範の研究に新たな方法論を盛り込むことに尽力した。1960年の母親の突然死をきっかけに、医事法の研究も行うようになる。世界医事法学会副会長、日本医事法学会代表理事などを歴任。日本の医事法学分野における最高権威といえる存在。 2012年3月、唄孝一の研究資料を収集した『医療と法と倫理(ELM)専門総合資料館」(仮称)』が明治大学内に開設され、2015年に『ELM(法・医・倫理の資料館)』として本開館された。
三重野 康(みえの やすし、1924年(大正13年)3月17… 三重野 康(みえの やすし、1924年(大正13年)3月17日 - 2012年(平成24年)4月15日)は、第26代日本銀行総裁。 現在の東京都生まれ。満鉄に勤務した父親の転勤で、生後間もなく 満洲に渡り、小学校卒業まで満州で育った。中学1年から2年の1学期までの1年あまりを大分県の伯母宅で過ごし、大分中学校に通う。この時の同級生に前大分県知事の平松守彦がいる。中学2年の2学期から卒業までを満州に戻って地元の鞍山中学を卒業。当時父は鞍山市長を務めていた。一高に進む。三重野自身は、故郷は満州、大分は第二の故郷と話していた。 一高時代の同クラスには、髙木友之助、作家の清岡卓行、青山行雄、牟田口義郎らがいた。
木下 茂德(きのした しげのり、1924年(大正13年)3月… 木下 茂德(きのした しげのり、1924年(大正13年)3月17日 - 1999年(平成11年)4月25日)は、日本の建築学者。工学博士。日本大学名誉教授。第8代日本大学総長。1989年から1990年まで日本建築学会会長(第41代)を務めた。位階は正四位。 出生地は愛知県犬山市。出身地は香川県小豆郡池田町(現小豆島町)。 旧厚生省・中央児童福祉審議会委員、旧科学技術庁参与、総務庁・老人問題懇談会委員、厚生省・中央心身障害者対策協議会委員、日本不動産学会副会長などを歴任。 専門は高齢者・福祉施設の建築計画。 建築経済学のうち建築生産学。
石田 茂樹(、1924年〈大正13年〉3月17日 - 199… 石田 茂樹(、1924年〈大正13年〉3月17日 - 1997年〈平成9年〉)は、日本の俳優、僧。本名は石田 千尋。長男は俳優・声優の石田太郎。 石川県金沢市出身。龍谷大学文学部真宗学科卒業。 大阪市立枚方中学校(現:枚方市立枚方中学校)の教諭を経て、毛利菊枝が主宰する劇団くるみ座や、森繁久彌の森繁劇団などを経て、東宝の専属俳優となる。 東宝の映画では、ほとんどが端役での出演であるが、特撮映画やクレージー映画などに常連出演して活躍した。1960年代以降はテレビドラマにも出演している。 俳優引退後は、地元の金沢市にある浄土真宗本願寺派乗敬寺の住職を務めていた。 1997年、死去。乗敬寺の住職は長男の太郎が俳優業の傍ら引き継いだ。
石井藤吉郎(いしい とうきちろう、1924年3月16日 - … 石井藤吉郎(いしい とうきちろう、1924年3月16日 - 1999年6月30日)は、東京六大学野球・社会人野球で活躍した野球選手・監督。 茨城県大洗の旅館に生まれ、5歳の時に亡くなった母の遺志に沿うように野球を始める。旧制水戸商業に進んで投手として活躍、1942年に文部省主催の“幻の甲子園大会”に出場、当時では超大型の181cmから速球を投げ込む左腕の好投手として注目され、準々決勝まで進む。 早稲田大学法学部に進み、1943年には出陣学徒壮行早慶戦にベンチ入りする。将来のエースとして嘱望されるが応召、終戦当時満州にいた石井は捕虜となり1947年まで約2年シベリアに抑留される。 1947年秋日本に帰りついた石井は早大に復学、栄養失調の影響でブクブクに太ったその姿ではさすがに即復帰とはいかなかったが、その年暮れのキャンプからチームに合流、周囲の度肝を抜く豪打を連発した。
高松 秀明(たかまつ ひであき、1924年3月16日 - 2… 高松 秀明(たかまつ ひであき、1924年3月16日 - 2019年4月14日)は、歌人。 北海道出身。東京外国語学校卒。岡山巌に師事し、同人誌『木立』を主宰した。『歌と観照』同人の他、個人誌『獅子座』を刊行した。1996年、『宙に風花』で第23回日本歌人クラブ賞を受賞。
今野 栄喜(こんの えいき、1924年3月15日 - 201… 今野 栄喜(こんの えいき、1924年3月15日 - 2015年11月11日)は、旭化成副社長、蝶理社長。2015年、肺炎により91歳で死去。第69第衆議院議長の伊藤宗一郎とは旧制古川中学校(現・宮城県古川高等学校)の同級生。
本野 盛幸(もとの もりゆき、1924年3月15日 - 20… 本野 盛幸(もとの もりゆき、1924年3月15日 - 2012年8月24日)は、日本の外交官。元駐フランス大使。元日仏会館名誉理事長。元外務大臣本野一郎は祖父。 父親は外交官の本野盛一 (1895-1953)、母親は伊東義五郎の三女で日仏混血の清子(仏名レネー・マリー)。幼少時代は日本国外で暮らし、10歳になって日本に戻った。旧制学習院高等科から東北帝国大学を経て海軍に入り、軍令部特務班員となる。終戦後は東京大学法学部を経て外務省に入省し、外務公務員、外交官となった。 外務省経済局長、1978年から在モロッコ大使、在ニューヨーク総領事等を経て、1983年に外務審議官(経済担当)、1984年からフランス大使。
神谷 信之助(かみたに しんのすけ、1924年3月15日 -… 神谷 信之助(かみたに しんのすけ、1924年3月15日 - 1999年1月8日)は日本の政治家。参議院議員(日本共産党公認、通算3期)。日本共産党中央委員会名誉幹部会委員。 京都府京都市下京区出身。日活撮影所の表具師の長男。1941年(昭和16年)旧制京都第二中学校卒業後、学徒出陣して久留米陸軍予備士官学校に入学。1945年(昭和20年)に東亜同文書院大学を卒業。翌年西日本新聞政治部記者となるが、二・一ゼネスト参加を理由に解雇される。1948年(昭和23年)京都府職員となり労働組合活動を始め、翌年には京都府職員労働組合書記長に就任した。1952年には日本共産党へ入党すると共に府職員労働組合書記長となる。
安恒 良一(やすつね りょういち、1924年3月15日 - … 安恒 良一(やすつね りょういち、1924年3月15日 - )は日本の政治家。元日本社会党参議院議員(連続3期)。
田所 祐(たどころ ゆう、1924年3月15日 - 2005… 田所 祐(たどころ ゆう、1924年3月15日 - 2005年1月13日)は、日本の内科医師、馬主。 兵庫県神戸市にある総合病院である田所病院の院長であった。 兵庫県神戸市にある田所医院の院長として、弟の順、健とともに医師として活動した。阪神タイガースの専属ドクター、さらに日本ボクシングコミッション公認ドクターとして関西エリアでのボクシング興行でリングドクターを務めていた。 1995年の阪神・淡路大震災では、病院兼自宅が半壊、被害に巻き込まれた順とその夫人を亡くすという不幸に見舞われた。そのような状況であったが、同年12月28日には、所有馬マヤノトップガンが有馬記念を制して得た賞金の一部(1000万円)を日本赤十字兵庫県支部へ寄付した。
朴 容万(パク・ヨンマン、朝鮮語: 박용만/朴容萬、1924… 朴 容万(パク・ヨンマン、朝鮮語: 박용만/朴容萬、1924年3月15日 - 1996年10月19日)は、大韓民国の政治家。第9・10・12・13代大韓民国国会議員。本貫は密陽朴氏。号は嶺岩(ヨンアム、영암/嶺岩)。 日本統治時代の慶尚北道豊基郡(現・栄州市)に生まれた。1942年、金泉高を卒業後に内地に渡り、1944年に中央大学専門部法科を卒業した。1945年に早稲田大学文学部英文学科を中退し、翌年にソウル大学校文理科大学に編入し、1949年に卒業。 光復後、ソウルで留学生同盟本部委員長を務め、1946年7月に李哲承などと共に全国学生総連盟を組織し、共同議長を務めた。反共・反託闘争を通じて李承晩の信任を得たため、その後は李の大統領秘書官を務めた。
南 利明(みなみ としあき、1924年3月14日 - 199… 南 利明(みなみ としあき、1924年3月14日 - 1995年1月13日)は、日本の喜劇俳優。本名は野津 俊三(のづ しゅんぞう)。
東海 稔(あずまうみ みのる、1924年3月14日 - 1… 東海 稔(あずまうみ みのる、1924年3月14日 - 1963年6月10日)は、東京都品川区北品川出身で荒磯部屋(入門時は伊勢ヶ濱部屋)に所属した大相撲力士。本名は近藤 稔(こんどう みのる)。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭14枚目(1953年3月場所)。現役時代の体格は174cm、166kg。 14歳の時、元関脇・清瀬川が率いる伊勢ヶ濱部屋(後、荒磯部屋に改称)へ入門し、1939年1月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は「御殿山」で、これは、出身地の北品川にある山に因んでいる。 その後幕下まで昇進するも、1944年に応召され、復員後の1945年6月場所を以って廃業した。 しかし、1950年に再度、伊勢ヶ濱部屋へ入門。
花井 哲郎(はない てつろう、1924年3月13日 - 20… 花井 哲郎(はない てつろう、1924年3月13日 - 2007年10月26日)は、日本の地球科学者。専門は古生物学。神奈川県生まれ。 地理学者・花井重次(はない しげじ、1900年3月18日 - 1981年6月9日)の長男として生まれる。1943年に弘前高等学校へ入学、1945年に東京帝国大学理学部地学科地質学科に進学し、1948年に大学を卒業。卒業論文は三陸海岸の宮古層群の研究。卒業演習は中国中生代の貝形虫。2年間の大学院特別研究生を経て、燃料地質学講座の助手。1953年より3年間フルブライト交換留学生としてアメリカ・ルイジアナ州立大学に留学。H. V. Howe教授に貝形虫研究を学ぶ。1956年、ルイジアナ州立大学で博士の学位を取得。