宮川 毅(みやかわ つよし、1925年4月27日 - 200… 宮川 毅(みやかわ つよし、1925年4月27日 - 2000年8月6日)は、日本のジャーナリスト、翻訳家。 米国生まれ。東京大学文学部卒業、共同通信社に入り論説委員、1964年東京オリンピック、1972年札幌オリンピック組織委員会の海外担当、国際オリンピック委員会五輪オーダー(功労章)受章。日本オリンピック委員会常任委員。国際オリンピック委員会報道委員。スポーツ関係の翻訳も多い。1995年、勲四等旭日小綬章受章。 2000年8月6日、肺血栓のため死去。
胡桃沢 耕史(くるみざわ こうし、1925年4月26日 - … 胡桃沢 耕史(くるみざわ こうし、1925年4月26日 - 1994年3月22日)は、日本の作家。本名は清水 正二郎。海外を舞台にした冒険小説や、ユーモア推理小説で人気を博した。 東京府南葛飾郡(現在の東京都墨田区)生まれ。代表作に冒険小説『天山を越えて』、『翔んでる警視』シリーズ、直木賞受賞作『黒パン俘虜記』などがある。 東京府立第六中学校(現在の東京都立新宿高等学校)から拓殖大学商学部卒業。少年時代から直木三十五や牧逸馬のような流行作家に憧れて、作家を志す。また漫談家への憧れもあり、中学時代に内務省保安局から鑑札をもらって談譚協会に所属して、大都映画の弁士をしたり、劇場で淡谷のり子や笠置シヅ子などの歌手の司会をしたこともある。
長野 ハル(ながの はる、1925年4月26日 - 2025… 長野 ハル(ながの はる、1925年4月26日 - 2025年1月1日)は、日本のプロボクシング・マネージャー。東京都出身、帝拳ジム所属。女性。 1948年に実践女学校卒業後、第二次世界大戦後の大就職難のさなか、帝拳ジムに就職し、当時の会長で日本プロボクシング協会初代会長でもあった本田明の秘書となった。入社するまで長野は、帝拳がボクシングの会社だということを知らなかったという。 しかし明は1965年7月3日、64歳で死去。明は、後継者を次男・明彦にするよう遺言した。長野はこれを守るべく尽力する。しかし明彦は当時17歳(立教高校3年)と若すぎ、協会は明彦の就任を拒否した。そこで明の未亡人で明彦の母でもある本田ハルを名目上の会長に据え、数年後に明彦を会長に就任させた。
富永 一朗(とみなが いちろう、1925年4月25日 - 2… 富永 一朗(とみなが いちろう、1925年4月25日 - 2021年5月5日)は、日本の漫画家。勲等は勲四等。称号は岡山県高梁市(旧:川上郡川上町)名誉市民。 京都府京都市生まれ。父は大分県佐伯市出身、母は福島県南会津郡田島町(現・南会津町)静川出身。父は京都の大丸に勤務していた。家族に弟がいる。 3歳のとき父を肺結核で失い、母の郷里の田島町で2年間を過ごした後、5歳の時から父の郷里の大分県佐伯市に移り、中学卒業までそこで育つ。小学校4年頃から田河水泡の真似をして漫画を描き始める。大分県立佐伯中学(現在の大分県立佐伯鶴城高等学校)に2番の成績で合格。同校1年生のとき、地元で小学校教員をしていた母が不倫事件を起こして子供を産み東京に出奔。
荻本 伊三武(おぎもと いさむ、1925年4月24日 - )… 荻本 伊三武(おぎもと いさむ、1925年4月24日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。
佐藤 経明(さとう つねあき、1925年4月23日 - 20… 佐藤 経明(さとう つねあき、1925年4月23日 - 2014年8月5日)は、日本の経済学者、横浜市立大学名誉教授。比較経済体制論専攻。 日本領朝鮮平壌生まれ。旧制第六高等学校を経て、1952年東京大学経済学部卒、1954年同大学院修了。堤清二は友人。1956年愛知大学専任講師、1957年東京都立商科短期大学講師、助教授、1970年横浜市立大学商学部助教授、1972年教授、1988年定年退官、名誉教授、日本大学経済学部教授、1995年定年退職。 2012年胃癌のため胃を全摘出する。2014年8月5日、89歳で死去。
土山 秀夫(つちやま ひでお、1925年(大正14年)4月2… 土山 秀夫(つちやま ひでお、1925年(大正14年)4月23日 - 2017年(平成29年)9月2日)は、日本の病理学者、医師。長崎大学名誉教授、長崎平和宣言文起草委員、核兵器廃絶ナガサキ市民会議代表、「核兵器廃絶―地球市民長崎集会」実行委員会顧問、長崎県九条の会共同代表ほか。元長崎大学学長。世界平和アピール七人委員会委員。 1925年(大正14年)4月23日、長崎県長崎市に生まれる。1943年(昭和18年)、長崎県立長崎中学校を卒業。1945年(昭和20年)8月9日、午前中は長崎を離れていたが、夕方に長崎に戻ったため、被爆。1952年(昭和27年)、長崎医科大学(現長崎大学医学部)を卒業。その後、長崎大学医学部助手、講師、助教授を務める。
伊丹 公子(いたみ きみこ、1925年4月22日 - 201… 伊丹 公子(いたみ きみこ、1925年4月22日 - 2014年12月15日)は、日本の俳人・詩人。本名・岩田 きみ子。俳人の伊丹三樹彦は夫、同じく俳人の伊丹啓子は長女。 高知県出身。兵庫県立伊丹高等女学校(現・兵庫県立伊丹高等学校)卒業。1946年、三樹彦に師事。同年、三樹彦編集・発行の同人誌「まるめろ」創刊。1949年、日野草城主宰の俳誌「青玄」が創刊され、「まるめろ」は合流。2005年の「青玄」解散後は、2006年に啓子が創刊した「青群」に参加。1972年、現代俳句協会賞受賞。また、詩を村野四郎に師事。2014年12月15日、心不全のため死去。
鈴木 忠(すずき ただし、1925年4月21日 - 2018… 鈴木 忠(すずき ただし、1925年4月21日 - 2018年10月25日)は、日本の経営者、銀行家。清水銀行頭取を務めた。静岡県庵原郡富士川町(現在の富士市)出身。 1946年に高岡経済専門学校を卒業し、駿州銀行(現在の清水銀行)に入行した。 1975年に取締役に就任し、1977年に常務、1981年に専務を経て、1985年6月には頭取に就任した。1989年6月、相談役に就任した。 2018年10月25日、老衰のため死去した。93歳没。
八木 治郎(やぎ じろう、1925年〈大正14年〉4月20日… 八木 治郎(やぎ じろう、1925年〈大正14年〉4月20日 - 1983年〈昭和58年〉4月18日)は、日本のアナウンサー、テレビ番組司会者。元NHKアナウンサーを経てフリー。 東京生まれ。幼・少年期を現在の千葉県香取市で過ごした。旧制千葉県立佐原中学校(現在の千葉県立佐原高等学校)から陸軍士官学校予科→陸軍航空士官学校を経て1949年、東京大学文学部中国文学科卒業。 同年NHK(日本放送協会)に入局。同期入局には小川宏、大塚利兵衛、福島幸雄、穂坂俊明らがいる。熊本、長崎勤務を経て、1953年にラジオの『音楽夢くらべ』で本格的にアナウンサーを開始。報道・芸能・社会番組などを担当。人気クイズ番組『私の秘密』では高橋圭三がNHKを退局しフリーになってからは、後任として1962年から4年間司会を務めた。
岸本 弘(きしもと ひろむ、1925年4月18日 - )は、… 岸本 弘(きしもと ひろむ、1925年4月18日 - )は、日本の教育学者、明治大学名誉教授。 広島県豊田郡木江町生まれ。1945年8月6日広島高等学校在学中校庭で被爆 (1975年9月、被爆者健康手帳を交付される)、1951年早稲田大学商学部を卒業。1954年東京大学教育学部卒。明治大学文学部助教授(教職)、教授、1996年定年、名誉教授、東京経営短期大学教授。夫人は翻訳家の岸本紀子(1933- 京大英文科卒)。
國登 國生(くにのぼり くにお、1925年(大正14年)4月… 國登 國生(くにのぼり くにお、1925年(大正14年)4月18日 - 1995年(平成7年)10月3日)は、東京府北豊島郡板橋町(出生当時、現在の東京都板橋区)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は藤 國松(ふじ くにまつ、旧姓は小川(おがわ))。身長174 cm、体重126 kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東小結(1954年1月場所・1954年5月場所)。 甥は、お笑いタレントのグレート義太夫。 小学校を卒業後、鉄工所に勤務する。体の大きさと力強さから周囲に力士になることを勧められた。1939年(昭和14年)1月15日、職場の休みを利用して両国の相撲部屋に入門しようとして出羽海部屋を訪ねて行った。
清水 洋(しみず ひろし、1925年〈大正14年〉4月17日… 清水 洋(しみず ひろし、1925年〈大正14年〉4月17日 - 1991年〈平成3年〉12月13日)は、日本の音響工学者。工学博士(東北大学・1962年)。東北大学名誉教授、日本音響学会名誉会員。専門は電気音響工学、超音波工学。 新潟県新潟市白山浦(現 新潟市中央区白山浦)出身。1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1948年(昭和23年)3月に東北大学工学部電気工学科を卒業。 1948年(昭和23年)3月に東北大学電気通信研究所助手に就任、菊池喜充のもとで研究、1955年(昭和30年)11月に同研究所助教授に就任、1962年(昭和37年)12月に東北大学工学部通信工学科第四講座教授に就任。
樋口 美世(ひぐち みよ、1925年4月16日 - )は、日… 樋口 美世(ひぐち みよ、1925年4月16日 - )は、日本の歌人。 茨城県出身。駒澤大学文学部国文学科卒業。 少女時代より作歌を始める。結婚で一時中断した後、駒澤大学国文学科に学ぶ。1957年に「女人短歌」に入会し編集委員を務める。1965年「地中海」入会。1980年より81年まで日本歌人クラブ幹事。歌集に「形」「翼がほしき」「白昼」「零るる刻」など。日本歌人クラブ、現代歌人協会所属。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
五井 孝蔵(ごい こうぞう、1925年4月15日 - 200… 五井 孝蔵(ごい こうぞう、1925年4月15日 - 2007年1月12日)は、秋田県出身のプロ野球選手(投手、内野手)。 旧制秋田県立角舘中學校から立教大学へ進学し、主将を務めた。リーグ通算13勝32敗。 1950年に創立された近鉄パールスへ入団。3月31日に対毎日オリオンズ戦でプロ入り初登板、5安打5与四球2奪三振の内容で完封勝利を挙げた。初登板完封勝利は日本プロ野球史上10人目、球団およびパ・リーグでは初めての記録となった。この年は37試合を投げて8勝15敗の成績だった。1951年9月16日の対阪急ブレーブス戦で、野口二郎からパ・リーグ史上初、日本プロ野球史上3人目の代打サヨナラ本塁打を放っている。
浦野 省吾(うらの せいご、1925年4月15日 - 202… 浦野 省吾(うらの せいご、1925年4月15日 - 2021年9月7日)は、日本の経営者。ニチロ社長を務めた。長野県出身。 1948年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に農林中央金庫に入社。1975年8月に理事を経て、1984年5月から1985年9月までに副理事長を務めた。1989年6月に日魯漁業(のちのニチロ)に転じ、取締役顧問に就任し、1990年1月には社長に就任。1995年6月に取締役相談役を経て、1996年4月には顧問に就任。 1999年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2021年9月7日に老衰のために死去。96歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
川野 洋(かわの ひろし、1925年4月14日 − 2012… 川野 洋(かわの ひろし、1925年4月14日 − 2012年12月18日)は、日本の哲学者、美学者。文学博士(大阪大学、1986年)。東京都立科学技術大学名誉教授、東北芸術工科大学名誉教授。 旧満州国撫順市生まれ。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)および第七高等学校造士館 (旧制)卒業。1951年東京大学文学部哲学科卒業、 1955年東京大学助手、1961年東京都立航空工業短期大学講師(1965年助教授)、1971年東京都立工科短期大学教授、1986年東京都立科学技術大学(現・東京都立大学)教授、1990年長野大学教授、1994年東北芸術工科大学教授。 1990年東京都立科学技術大学名誉教授、1996年東北芸術工科大学名誉教授。
齋藤 勇(斎藤勇、さいとう いさむ、1925年4月13日 -… 齋藤 勇(斎藤勇、さいとう いさむ、1925年4月13日 - )は、日本の経済学者。専攻は日本経済史・社会政策、日本近・現代史。 東京府北豊島郡岩淵町(現・東京都北区)生まれ。1938年東京市富久尋常小学校卒業後、海軍省大臣官房、東京帝国大学農学部水産学教室、私塾必成塾に勤務。1943年東京府立第四中学校夜間部卒業。同年城北高等補習学校卒業。1945年海軍兵学校繰上卒業。1949年第一高等学校文科丙類卒業。1953年名古屋大学経済学部経済学科卒業、同大学経済学部農業経済政策講座助手。1958年日本福祉大学助教授。1963年名古屋市立女子短期大学助教授、1967年教授。1987年退職、愛知大学教養部教授。
時津山 仁一(ときつやま じんいち、1925年4月13日 -… 時津山 仁一(ときつやま じんいち、1925年4月13日 - 1968年11月21日)は、福島県石城郡(現:福島県いわき市、出生地は東京府荏原郡(現:東京都品川区))出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は藁谷 純一(わらがい じゅんいち)。最高位は東関脇。 1925年4月13日、東京府荏原郡(現:東京都品川区)で生まれる。子供の時に両親が離婚、父親とは死別したために孤児として育ち、親戚に引き取られて全国を転々とした。岩手県花巻で床屋を営む家に嫁いだ叔母に引き取られた際は床屋職人として厳しく指導されたが、当時は小学生で遊びたい時期だったことから逃げ出しては強引に連れ戻され、性格が内気で暗くなっていった。
則武 保夫(のりたけ やすお、1925年4月12日 - 20… 則武 保夫(のりたけ やすお、1925年4月12日 - 2002年11月18日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授、元立正大学教授。専攻は国際金融論、金融論。神戸経済大学(現 神戸大学)に入り、新庄博のもとで金融論を専攻。門下生には、瀧口治元山口大学教授、有馬敏則大阪学院大学教授・元滋賀大学教授、藤原秀夫同志社大学教授、平島真一元専修大学教授、藤田誠一神戸大学教授、高屋定美関西大学教授などがいる。2002年、従三位勲三等旭日中綬章受章。
鷲見 康夫(すみ やすお、1925年4月11日 - 2015… 鷲見 康夫(すみ やすお、1925年4月11日 - 2015年10月12日)は、日本の抽象画家。 1925年(大正14年)、大阪府に生まれる。7歳のときに彦根に引っ越す。関西大学専門部経済科(旧制)、および立命館大学専門部経済科(旧制)を卒業後、大阪市立高等学校・中学校で美術と英語、社会科の教師となる。建設省建設大学校(建設美学)、大同工業大学(造形・意匠)、宝塚造形芸術大学、名古屋芸術大学(現代美術)、関西大学(絵画)などでも講師を務めた。1954年(昭和29)、中学の同僚の嶋本昭三の勧めにより第7回芦屋市展に作品を出典する。この時に吉原治良と知り合い、その後吉原に絵画を習うようになる。1955年(昭和30年)に具体美術協会に加入した。
杉山 英男(すぎやま ひでお、1925年(大正14年)4月1… 杉山 英男(すぎやま ひでお、1925年(大正14年)4月11日 - 2005年(平成17年)2月18日)は、日本における木質構造の学問・研究の草分けであり、第一人者。国内外で評価が高い。工学博士、農学博士。東京大学名誉教授。 1925年(大正14年)、静岡県生まれ。静岡県立静岡中学校卒業。第一高等学校、東京大学建築学科、東京大学大学院で学ぶ。1951年(昭和26年)より明治大学工学部、1973年(昭和48年)より東京大学農学部、1986年(昭和61年)より東京理科大学理工学部で教育・研究に当たる。日本建築学会賞、日本農学賞、米国林産学会業績賞などを受賞。正五位。瑞宝中綬章。 木質構造研究会(事務局:東京大学大学院農学生命科学研究科生物材料科学専攻 木質材料学研究室)では、「木材・木質材料・木質構造に関する研究・技術開発の推進に多大な貢献をした個人」を対象に、木質材料・木質構造技術研究基金賞:第一部門(杉山英男賞)を授与している。
江藤 隆美(えとう たかみ、男性、1925年〈大正14年〉4… 江藤 隆美(えとう たかみ、男性、1925年〈大正14年〉4月10日 - 2007年〈平成19年〉11月22日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。自由民主党の衆議院議員として建設大臣、運輸大臣、総務庁長官を歴任した。 宮崎県日向市梶木の小作農の家に生まれる。福治の二男。世界恐慌の影響もあって家計は苦しく、小学5年生で出稼ぎに出され、1日55銭の肉体労働をした。 旧制富高実業学校(現在の宮崎県立門川高等学校)を経て、1947年に旧制宮崎農林専門学校(現在の宮崎大学)を卒業。同年には宮崎県富島町農業会技手となり、翌年6月には宮崎県南臼杵畜産農業協同組合参事に就任した。 1955年、宮崎県議会議員選挙に出馬し当選。
小口 武彦(おぐち たけひこ、1925年4月7日 - 200… 小口 武彦(おぐち たけひこ、1925年4月7日 - 2006年12月30日)は、日本の物理学者。元日本物理学会会長。長野県岡谷市出身。 この項目は、物理学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:物理学/Portal:物理学)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
豊田 きいち (とよだ きいち、本名:豐田 龜市、1925年… 豊田 きいち (とよだ きいち、本名:豐田 龜市、1925年4月6日 - 2013年1月10日)は、日本の編集者、著作権研究者。 1925年生まれ。旧制獨協中学校、旧制第二高等学校を経て、陸軍予備士官学校で終戦を迎える。1943年(昭和18年)早稲田大学に入学。1946年(昭和21年)、師である言語学者・金田一京助の移動に伴い、國學院大學に転入。1949年(昭和24年)卒業。同年、小学館に入社。『小学一年生』から始まり、二年から六年まで学習雑誌の編集部に在籍、51年『小学六年生』編集長、1959年に日本初の週刊少年誌となる『週刊少年サンデー』を創刊、初代編集長に就任する。63年『女性セブン』初代編集長。
中居 清(なかい きよし、1925年4月6日 - 2017年… 中居 清(なかい きよし、1925年4月6日 - 2017年1月8日)は日本の杜氏、画家、陶芸家[要出典]。岩手県出身の南部杜氏である。 1925年(大正14年)4月6日、岩手県更木村(現在の北上市更木)の農家に生まれた。 1942年(昭和17年)11月5日、17歳のときから宮城県米谷町(現在の登米市)の酒蔵、佐藤酒造店で働き始めた。1943年(昭和18年)3月20日から徴用されて横浜の高射砲を製作する工場で働き、1944年(昭和19年)4月に徴兵検査を受けて甲種合格。終戦後は岩手に戻った後、宮城県石巻市の平孝酒造で平野佐五郎のもと働いた。1948年(昭和23年)から岩手県の喜久盛酒造で働いた後、1954年(昭和29年)11月から宮城県塩竈市の浦霞に移っていた平野佐五郎に再び入門した。
中根 鎭夫(なかね しずお、1925年(大正14年)4月5日… 中根 鎭夫(なかね しずお、1925年(大正14年)4月5日 - 2018年(平成30年)1月3日)は、日本の政治家。岡崎市長(5期)、愛知県議会議員(2期)、岡崎市議会議員(4期)、岩津町議会議員(1期)、東海市長会長、全国市長会副会長などを歴任した。 愛知県額田郡常磐村大字大柳(現・岡崎市大柳町)に元常磐村長の大山巌の長男として生まれた。祖母の実家である奥殿村(現・岡崎市奥殿町)の中根八郎の養子となるも、8歳のときに養父を胃がんで亡くす。奥殿尋常高等小学校(現・岡崎市立奥殿小学校)、岩津農商学校(現・愛知県立岩津高等学校)卒業。愛知第二師範学校本科に入学するが、1944年(昭和19年)5月に特別甲種幹部候補生制度が導入されると、これに志願。
田中 真晴(たなか まさはる、1925年4月5日 - 200… 田中 真晴(たなか まさはる、1925年4月5日 - 2000年6月21日)は、日本の経済学者。 京都市生まれ。1947年、京都帝国大学(現・京都大学)経済学部卒。大学院をへて1950年に京都大学経済学部助手、講師へ就任。1954年には助教授、1967年には教授に就任した。1968年、「ロシア経済思想史の研究 プレハーノフとロシア資本主義論史」で京大経済学博士。1974年、甲南大学経済学部教授、1986年京大名誉教授、甲南大学理事、経済学部長。1987年には経済学史学会代表幹事に。1991年には名誉教授、龍谷大学経済学部教授。1994年、退職。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
稲葉 益巳(いなば ますみ、1925年4月5日 - 1998… 稲葉 益巳(いなば ますみ、1925年4月5日 - 1998年2月14日)は日本の医師。東京都出身。稲葉クリニック院長。臨床毛喪医学研究会初代会長、日本美容外科医師会会長を務めた。 東京都杉並区阿佐ヶ谷出身。昭和医学専門学校(現・昭和大学)卒業。 体臭研究の第一人者として知られた。1979年、わきがの根治手術の開発により日本医師会最高優功賞受賞している。養毛剤の開発でも知られる。体臭や男性型脱毛症についての執筆もある。 日本には同名の2つの美容外科学会(JSASとJSAPS)があり、晩年は2つの美容外科学会の統一に向けた調整に尽力した。 1998年2月14日、呼吸不全のため、東京都杉並区の自宅にて死去(72歳)。
松山 善三(まつやま ぜんぞう、1925年4月3日 - 20… 松山 善三(まつやま ぜんぞう、1925年4月3日 - 2016年8月27日)は、映画監督、脚本家。 神戸に生まれ、横浜で育つ。 1944年、横浜第三中学校(現:神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校)卒業。中学校の同期生に佐野浅夫(俳優)がいる。その後、岩手医学専門学校(現・岩手医科大学)薬学部に入学するが、1946年中退。雑誌社でアルバイトをしているときに、斎藤良輔門下の脚本家と知り合い、映画に興味を持つ。 1948年、助監督公募に合格して松竹大船撮影所助監督部に入社する。中村登、吉村公三郎につくかたわら、同期入社の斎藤武市、中平康、鈴木清順らと「赤八会」というグループを作り、同人雑誌にシナリオを発表する。
角田 式美(かどた しきみ1925年4月2日 - )は、実業… 角田 式美(かどた しきみ1925年4月2日 - )は、実業家、角栄建設(後・ジョイント・レジデンシャル不動産)、角栄ガス創業者。
篠原 一男(しのはら かずお、1925年4月2日 - 200… 篠原 一男(しのはら かずお、1925年4月2日 - 2006年7月15日)は、日本の建築家。 静岡県生まれ。1947年東京物理学校卒業後、東北大学で数学を専攻。建築に転向し東京工業大学建築学科で清家清に師事。1953年卒業後、1986年定年退官に至るまで東工大の教壇に立ち、プロフェッサーアキテクトとして、住宅を中心とする前衛的な建築作品を一貫して手がけた。 磯崎新と並んでメタボリズム後の日本建築界のリーダーと目され、特に1970年代以降の住宅建築デザインに多大な影響を与えている。坂本一成、白澤宏規、長谷川逸子、葛西潔、葛西秀一郎、高橋寛、高橋晶子、武田光史、西村博司、坂牛卓、安田幸一ら篠原研究室出身者の他、伊東豊雄へも直接的な影響を与えており、彼らは、篠原のカリスマ性や哲学的スタイルから「篠原スクール」「エピステーメー派」などと称された。
新井 明(あらい あきら、1925年4月1日 - 2004年… 新井 明(あらい あきら、1925年4月1日 - 2004年7月28日)は、元日本経済新聞社社長。栃木県那須烏山市出身。 1949年、早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。1963年政治部長、1970年編集局長となり、取締役労務担当、常務社長室長、副社長大阪本社代表、電波担当などを経て、リクルート事件に絡み当時の森田康社長が引責辞任したことを受け、1988年7月、社長に就任。 1991年、イトマン事件初公判の冒頭陳述で検察側が「被告が日経の協力者に1,000万円を支払った」と指摘した問題では、直ちに調査委員会を設置して「社内協力者」が実在しないことを証明。検察側には一歩も引かない姿勢を示して、事実上、過ちを認めさせ、言論報道機関としての日経の信用回復に全力を挙げた。
大本 修(おおもと・おさむ、 1925年4月1日 - 200… 大本 修(おおもと・おさむ、 1925年4月1日 - 2008年10月15日)は、日本の電気工学者。工学博士。 1925年4月1日、岡山県上房郡有漢町(現在の高梁市)出身。1944年に関西中学校を卒業後、旧制第六高等学校を経て芝浦工業専門学校に入学。主に電気工学を専攻とする。 戦後の学制改革により芝浦工業大学となった後に卒業。その後はアメリカ合衆国へ渡り、マサチューセッツ工科大学客員研究員、アメリカ航空宇宙局(NASA)客員研究員などを務める。NASA時代にはアポロ計画に参画、人工衛星取付用太陽電池の開発に携わっている。 1973年に芝浦工業大学工学部教授に就任。1991年から1997年までの6年間、芝浦工業大学学長を務めた。
遠藤 達雄(えんどう たつお、1925年4月1日 - 198… 遠藤 達雄(えんどう たつお、1925年4月1日 - 1989年7月5日)は、九州工業大学名誉教授。福岡県出身。旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)卒業、九州大学大学院博士課程修了。 不規則に変動する荷重による金属疲労を評価するレインフロー法(雨だれ法:w:rainflow-counting algorithm)を開発。この功績により、「Mr.RainFlow」と称される。
石田 一雄(いしだ かずお、1925年4月1日 - 1985… 石田 一雄(いしだ かずお、1925年4月1日 - 1985年8月12日)は、日本の経営者。京都府出身。 1947年に京都大学工学部応用化学科を卒業し、同年に阪神電気鉄道に入社。 主に車両部門で務め、1979年6月に取締役に就任し、1982年6月には常務に就任した。 1985年8月12日、運輸省(現・国土交通省)本庁舎で開催された日本民営鉄道協会の会議に私用で出席出来なくなった電鉄本社代表取締役社長:久万俊二郎(阪神タイガース球団オーナー)の代理として出席した電鉄本社専務取締役(球団社長)の中埜肇に同行し、大阪へ戻る為に搭乗した日本航空123便の墜落事故で中埜と共に犠牲となった。60歳没。
福田 茂夫(ふくだ しげお、1925年4月1日 - 2011… 福田 茂夫(ふくだ しげお、1925年4月1日 - 2011年11月12日)は、日本の政治学者、名古屋大学名誉教授、専門は、国際政治史、アメリカ外交史。京都府出身。京都大学法学部卒業。 2011年11月12日、心不全のため死去。
森 英雄(もり ひでお、1925年4月1日 - 2001年5… 森 英雄(もり ひでお、1925年4月1日 - 2001年5月10日)は、日本の実業家。住友化学社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1947年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1977年3月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1985年3月から1993年3月までに社長を務め、1993年3月から会長を務めた。 1990年5月から1994年5月までに日本化学工業協会会長を務め、大阪商工会議所副頭取も務めた。 1999年に勲二等旭日重光章を受章。 2001年5月10日、肺炎のために死去。76歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
毒島 邦雄(ぶすじま くにお、1925年〈大正14年〉4月1… 毒島 邦雄(ぶすじま くにお、1925年〈大正14年〉4月1日 - 2016年〈平成28年〉10月22日)は、日本の実業家。パチンコメーカーである三共の創業者であり、同社名誉会長。息子の毒島秀行は2008年より三共のCEOを務めている。 群馬県桐生市境野町に生まれる。1943年に桐生工専(現:群馬大学工学部)附属桐生商工学校を卒業。戦後間もなくして三共電機製作所を創業、その後三共運送、桐生フードセンター、三共技研などを創業。 パチンコ業平和工業の常務を経て、1966年4月に名古屋市で株式会社中央製作所を設立し、同年5月に三共製作所、11月に三共へ商号変更。1981年4月に桐生市へ本社を移転、1995年には東京証券取引所2部に上場、1997年には1部上場、2008年8月に渋谷区渋谷に移転した。
小村 康一(こむら こういち、1925年4月1日 - 200… 小村 康一(こむら こういち、1925年4月1日 - 2009年12月16日)は、外交官で元チリ大使、ブラジル大使。日本ブラジル中央協会理事。拓殖大学第15代総長。神奈川県出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小池 健男(こいけ たけお、1925年(大正14年)4月1日… 小池 健男(こいけ たけお、1925年(大正14年)4月1日 - )は、日本のフランス文学者。 福島県福島市生まれ。1956年東京教育大学卒、58年同大学院修士課程修了、1966年同助教授、1977年筑波大学助教授、大妻女子大学短期大学部教授。
田中 恒利(たなか つねとし、1925年4月1日 - 201… 田中 恒利(たなか つねとし、1925年4月1日 - 2014年1月12日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(6期)。 愛媛県東宇和郡俵津村(現在の西予市明浜町出身)で、半農半漁の家に生まれる。家業だけでなく、青年団活動においても活躍した。1953年に日本大学専門部社会学科を卒業。地元に戻り、愛媛県立宇和高等学校教諭、愛媛労農会議副議長を経て、1969年の総選挙で旧愛媛3区から社会党公認で立候補し初当選した。1972年、1976年、1979年の選挙にも3度立候補したが落選した。それを経て、1980年にはトップ当選となった。その後、1993年まで衆議院議員を6期務めたが、1996年に政界から引退した。
林 正道(はやし まさみち、1925年(大正14年)4月1日… 林 正道(はやし まさみち、1925年(大正14年)4月1日 - 2008年(平成20年)9月8日)は、日本の工学者、元地方公務員・実業家。工学博士(北海道大学)。北見工業大学・道都大学元学長。北見工業大学・道都大学名誉教授。専門は、コンクリート工学。 北海道江別市出身。1948年(昭和23年)に北海道大学工学部土木工学科を卒業し、北海道庁網走土木現業所に入所。1951年(昭和26年)北海道開発局土木試験所に移る。1970年(昭和45年)同所所長。1975年(昭和50年)北海道開発局退官。日本セメント顧問。1977年(昭和52年)北見工業大学工学部教授。1984年(昭和59年)北見工業大学4代学長に就任。
永峰 肇(ながみね はじめ、1925年4月1日 - 1944… 永峰 肇(ながみね はじめ、1925年4月1日 - 1944年10月25日)は、大日本帝国海軍軍人。 1925年4月1日に宮崎県住吉村の貧しい農家に長男として生まれる。家計が貧しかったことから学費をかけずに勉強し、地元では優秀な生徒として知られていた。1942年5月に佐世保第二海兵団へ入団し、同年8月に駆逐艦「初春」へ乗り組む。同年12月1日には三重海軍航空隊へ入隊(丙飛15期)、1943年3月27日には谷田部海軍航空隊(第31期飛行練習生)を経て、同年9月20日には徳島海軍航空隊(戦闘機専修)を終えている。1944年1月29日には築城海軍航空隊を経て、同年2月11日には南方方面へ行くよう命令を受けている。
西田 誠哉 (にしだ せいや、1925年4月 - 2003… 西田 誠哉 (にしだ せいや、1925年4月 - 2003年8月20日)は、日本の外交官。国連大使、駐スイス特命全権大使、駐イタリア特命全権大使、外務省参与、愛知県顧問等を歴任。 鳥取県鳥取市出身。1945年旧制東京産業大学(のちの一橋大学)卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1946年外務省入省、経済部総務課。1951年-1952年ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院留学。1952年欧米局第一課。 1955年在連合王国大使館三等書記官、1958年国際連合局政治課、1962年大臣官房書記官、1963年在米国日本大使館一等書記官、1964年在イラン大使館一等書記官、1966年大臣官房書記官、1967年経済局スターリング地域課長。
永井 路子(ながい みちこ、1925年〈大正14年〉3月31… 永井 路子(ながい みちこ、1925年〈大正14年〉3月31日 - 2023年〈令和5年〉1月27日)は、日本の歴史小説家。本名は黒板擴子(くろいた ひろこ)。茨城県古河市および神奈川県鎌倉市の名誉市民。 東京府東京市本郷区に生まれる。実父は来島清徳、実母は声楽家の永井智子。実父は生後数年で死去している。 母が一人娘だったため、母の実家を継ぐ目的で、血縁的には大叔父に当たる永井八郎治の長女として入籍。3歳で茨城県古河町(現:古河市)に転居して、当地で育つ。茨城県立古河高等女学校(現:茨城県立古河第二高等学校)卒業。1944年、東京女子大学国語専攻部を卒業。戦後は東京大学で経済史を学んだ。 1949年、歴史学者の黒板勝美の甥で同じく歴史学者となる黒板伸夫と結婚し、東京・中野に転居。
竹内 敏晴(たけうち としはる、1925年(大正14年)3月… 竹内 敏晴(たけうち としはる、1925年(大正14年)3月31日 - 2009年(平成21年)9月7日)は、東京生まれの日本の演出家。「竹内レッスン」と呼ばれる演劇的レッスンを基にした独自の「からだとことば」のワークショップを主宰した。 生後すぐに難聴になり耳がまったく聞こえなくなった後、少年期から青年期にかけて薬による治療効果で徐々に片耳が聞こえるようになり、一般には自然に済んでしまう言語習得を意識的に自力で行わなければならなかった、という特殊な経験と、その間培われた鋭敏な感覚により、人と人とが声やことばを本当には交わし合ってはいないこと、つまりふれあっていないことに気づき、演出家への道を歩む上で演技とは何かを追求することと相まって、演技レッスンにより、人と人との真のふれあいとは何か、出会いとは何かを探り、一人一人の人間的可能性を開くことを目指すようになる。
中村 克郎(なかむら かつろう、1925年3月31日 - 2… 中村 克郎(なかむら かつろう、1925年3月31日 - 2012年1月22日)は日本戦没学生記念会「わだつみ会」元理事長。産婦人科医師。 山梨県で産婦人科を営む傍ら、太平洋戦争の学徒出陣に集い、その後戦死などをした学生の手記・随筆をまとめた文学作品「きけ わだつみのこえ」の著者の一人。同書は1949年出版後、増刷、映画化された。 その後「わだつみ会」の理事長に就任。太平洋戦争の恐ろしさと平和への尊さ・大切さを広く全国にPRする啓蒙活動を行った。2008年、「きけ わだつみのうた」の編纂・執筆に際して集めた戦争関係の資料を展示する史料・図書館である「わだつみ平和文庫」を設立。 2012年1月22日、肺炎のために逝去。
河野 眞(こうの まこと、1925年3月31日 - 2011… 河野 眞(こうの まこと、1925年3月31日 - 2011年6月5日)は、日本の倫理学者。広島大学名誉教授。 鳥取県八頭郡智頭町出身。1951年広島文理科大学哲学科卒業、同助手。1962年「シェリングにおける現実的世界の実践的構造」で広島大学文学博士。1965年広島大助教授、1974年教授、文学部長、1988年定年退官、名誉教授、安田女子大学教授、1989年副学長、1990年学長。2004年退任。同年秋、瑞宝中綬章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
横尾 幸弘(よこお ゆきひろ、1925年3月31日 - 20… 横尾 幸弘(よこお ゆきひろ、1925年3月31日 - 2009年12月25日)は、戦後の日本ギター界の黎明期にギターを発展させた。日本のクラシック・ギタリスト兼作曲家。171cm、B型。 1925年3月31日、大分県日田市川原町三隈川河川の町屋の和紙卸商横尾紙店、父東次、母時枝。7人兄弟の三男として生まれた。両親はともに達筆であり町内ポスターなどの制作も手掛けていた。また母方の祖父横尾清は日田郡立工藝學校家具科の教諭であった。 1931年大分県三芳尋常高等小学校へ入学。1939年中学3年生の時京都の大学へ通う一つ上の兄大助が持ち帰ったギターの影響を受け横尾は独学でギターを学び始める。京城歯科医専(現在のソウル大学)へ主席の成績で入学するもののギターへの思いが強く両親の反対を押し切り中退する。