佐藤 千敬(さとう ちひろ、Raymond Augustin… 佐藤 千敬(さとう ちひろ、Raymond Augustin Chihiro Sato, O.P., 1926年3月31日 - 2002年11月12日)は、日本のカトリック教会聖職者でドミニコ会士。カトリック仙台司教区第5代司教を務めた。洗礼名は「アウグスチノ」で修道名は「ライムンド」。 宮城県仙台市に生まれる。福島県郡山市で幼少期を過ごし、仙台二中、海軍兵学校を経て、東北帝国大学に進学。1948年3月28日、仙台 北五十人町(現 角五郎丁)教会(現 西仙台教会)でドミニコ会の渡辺吉徳神父から受洗。1949年3月に 東北帝国大学法文学部経済学科を卒業し、1949年4月にドミニコ会に入会。 1953年にカナダ・オタワ市のドミニコ会神学校に入学し、現地で1959年に初代仙台教区長マリー・ジョゼフ・ルミュー大司教により司祭に叙階。
かこ さとし(加古 里子、1926年3月31日 - 2018… かこ さとし(加古 里子、1926年3月31日 - 2018年5月2日)は、日本の絵本作家、児童文学者、工学博士、技術士(化学)。本名は中島 哲(なかじま さとし)。ペンネームの「里子」は俳号。 福井県今立郡国高村(後の武生市、現在の越前市)に生まれ、8歳より東京府東京市(現在の東京都)板橋区に育った。東京府立第九中学校(現在の東京都立北園高等学校)、旧制成蹊高等学校から、東京大学工学部応用化学科に学ぶ。成蹊高校時代の教師に中村草田男がいた。1945年、疎開先の三重県で終戦。この年の9月より大学の授業が再開された。1946年、演劇研究会に入り、舞台装置デザイン・作製子供向けの演劇脚本を書き始める。
加古 里子(かこ さとし、1926年3月31日 - )は、日… 加古 里子(かこ さとし、1926年3月31日 - )は、日本の絵本作家、児童文学者。工学博士、技術士(化学)。本名は、中島 哲(なかじま さとし)。ペンネームの「里子」は俳号。かこさとし名義でも活動している。
森井 清二(もりい きよじ、1926年 <大正15年> 3月… 森井 清二(もりい きよじ、1926年 <大正15年> 3月31日 - 2019年 <平成31年> 3月2日)は、日本の実業家。関西電力元社長、会長。京都府京都市出身。第2代社長を務めた芦原義重の娘婿でもある。位階は従三位。 1949年に京都大学工学部を卒業し、関西配電(のちの関西電力)に入社した。 1977年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1982年6月に専務、1983年6月に副社長を経て、1985年11月からは社長を務め、大飯原発3、4号機の建設を推進した。1987年の関電二・二六事件の際には、動議の議決を棄権した。1991年2月に美浜原発2号機における蒸気発生器細管破断事故を受けて、事故原因をほぼ解明してから、同年11月に社長を辞任した。
平良 敬一(たいら けいいち、1926年3月31日 - 20… 平良 敬一(たいら けいいち、1926年3月31日 - 2020年4月29日)は、建築評論家で多くの建築雑誌で編集に勤めた。沖縄県生まれ。 旧制浦和高等学校を経て、名古屋帝国大学工学部金属学科に入学するも、1946年、新制の東京大学に再入学。
舟知 恵(ふなち めぐみ、1926年3月30日 - )は、日… 舟知 恵(ふなち めぐみ、1926年3月30日 - )は、日本の詩人、インドネシア文学翻訳家。 奈良県出身。本姓・五百沢。1943年長生高等女学校(現・千葉県立茂原高等学校)卒、1970年アテネ・フランセ卒。72-76年ジャカルタ滞在。1977年「現代インドネシア詩集・恋人は遠い島に」で日本翻訳文化賞受賞。
中条 静夫(ちゅうじょう しずお、1926年〈大正15年〉3… 中条 静夫(ちゅうじょう しずお、1926年〈大正15年〉3月30日 ‐ 1994年〈平成6年〉10月5日)は、日本の俳優。本名、中條 靜雄(読み同じ)。 東京府八王子市出身。東京府立第二商業学校(後の東京都立第二商業高等学校)卒業。田上事務所に所属していた。 新聞記者の父がもうけた二男二女の長男として静岡で生まれる。名の静雄は生誕の地名・静岡の一字からとられたものだという。小学生の時、父の仕事の都合で上京(新宿から八王子へと移る)。1943年12月、東京府立第二商業学校を繰り上げ卒業して兵役につき、1945年9月に復員。従軍当時の上官から「学生のくせに名前がチュウジョウ(中将)とは何事か、お前がチュウジョウなわけがない、お前はナカジョウだ」と理不尽な説教をされてたびたび殴られたと後年テレビインタビューで述懐している[要出典]。
飯坂 良明(いいざか よしあき、1926年3月30日 - 2… 飯坂 良明(いいざか よしあき、1926年3月30日 - 2003年10月3日)は、日本の政治学者、思想評論家。学習院大学名誉教授。 富山県出身。1948年東京帝国大学法学部卒業。1951年同大学大学院特別研究生終了。 学習院大学講師、助教授、1958年教授。図書館長、法学部長、東洋文化研究所所長。1995年定年前に退職し、同大学名誉教授、聖学院大学学長就任。在職中に死去。 世界宗教者平和会議日本委員会評議員、WCRP平和研究所所長、アジア宗教者平和会議事務総長を務めた。
鈴木 和夫(すずき かずお、1926年(大正15年)3月30… 鈴木 和夫(すずき かずお、1926年(大正15年)3月30日 - 2008年(平成20年)3月28日)は、昭和から平成時代の政治家。宮城県多賀城市長。多賀城市名誉市民。 宮城県宮城郡多賀城村(多賀城町を経て多賀城市)に生まれる。仙台工業専門学校卒業。1963年(昭和38年)5月、多賀城町議会議員に初当選し、以来連続8期、31年3ヵ月の長きにわたり町議会議員、市議会議員を歴任した。1979年(昭和54年)5月から1989年(平成元年)6月までは市議会議長を務めた。 1994年(平成6年)8月、多賀城市長に就任し、2006年(平成18年)8月まで3期12年在職した。水害対策のためのポンプ場の整備や中心市街地の整備、JR仙石線連続立体交差事業の促進などに尽力した。
内藤 明人(ないとう あきと、本名・内藤 進、ないとう すす… 内藤 明人(ないとう あきと、本名・内藤 進、ないとう すすむ、1926年3月29日 - 2017年3月20日)は、日本の経営者、リンナイ株式会社社長、会長や、社団法人日本ガス石油機器工業会会長、中部経済同友会代表幹事、名古屋商工会議所副会頭などを歴任した。 愛知県名古屋市生まれ。父は、林兼吉とともに林内商会(後の林内製作所〜リンナイ)を創業した内藤秀次郎で、その三男として生まれた。旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、旧制第八高等学校から東京大学工学部に進んで、機械工学を学び、村田一、山口開生、石川六郎らと交わる。卒業後は大企業へ就職するつもりだったが、兄が第二次世界大戦で戦死したため事業の後継者と期待され、1948年に大学を卒業し、林内商会に入社した。
伊藤 白潮(いとう はくちょう、1926年3月29日 - 2… 伊藤 白潮(いとう はくちょう、1926年3月29日 - 2008年8月12日)は、俳人。 千葉県横芝町(現・横芝光町)生まれ。本名・和雄。千葉大学教育学部卒。1948年田中午次郎に師事。50年『鴫』同人。75年『鴫』を復刊し、主宰となる。俳人協会評議員、市川市俳句協会会長。
金子 善一郎(かねこ ぜんいちろう、1926年〈大正15年〉… 金子 善一郎(かねこ ぜんいちろう、1926年〈大正15年〉3月28日 - 1999年〈平成11年〉12月22日)は、日本の経営者。サカタのタネ社長を務めた。福島県白河市出身。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 1951年に東北大学農学部農学科を卒業し、同年に坂田種苗(現在のサカタのタネ)に入社。 1966年に取締役に就任し、1974年7月に専務を経て、1979年7月には社長に就任。 1988年4月に藍綬褒章を受章。 1999年12月22日肺炎のために在任中に死去。73歳没。死没日付をもって従五位に叙され、勲四等旭日小綬章を追贈された。
松本 幸男(まつもと ゆきお、1926年3月28日 - 19… 松本 幸男(まつもと ゆきお、1926年3月28日 - 1983年1月28日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。社会保険労務士。 埼玉県入間郡三ヶ島村(現・所沢市)出身。1940年、三ヶ島村立三ヶ島尋常高等小学校卒。陸軍特別幹部候補生を経て、戦後、豊岡町(現・入間市)にあったジョンソン基地に入り、労働運動に参加。全駐労埼玉地連書記長、同副委員長となる。その後所沢市議会議員を経て、日本社会党から埼玉県議会議員選挙に立候補し当選。1979年4月の県議選で落選、同年10月の第35回衆議院議員総選挙に旧埼玉2区から日本社会党公認で立候補するも次点落選。翌年の第36回衆議院議員総選挙で初当選した。
梶山 静六(かじやま せいろく、1926年〈大正15年〉3月… 梶山 静六(かじやま せいろく、1926年〈大正15年〉3月27日 - 2000年〈平成12年〉6月6日)は、日本の政治家。位階は正三位。 内閣官房長官(第60・61代)、法務大臣(第52代)、通商産業大臣(第49代)、自治大臣(第36代)、国家公安委員会委員長(第46代)、衆議院議員(9期)、自由民主党国会対策委員長(第35代・37代)、自由民主党幹事長(第29代)を歴任した。竹下派七奉行の1人に数えられる。 茨城県出身。茨城県立太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)、陸軍予科士官学校、陸軍航空士官学校(59期・軍曹)卒業後、日本大学旧工学部(現・日本大学理工学部)土木工学科卒業。家業の石材業を継ぐ。
田尻 靖幹(たじり やすもと、1926年(大正15年)3月2… 田尻 靖幹(たじり やすもと、1926年(大正15年)3月27日 - 2013年(平成25年)5月1日)は、日本の政治家。熊本市長(2期)。位階は正六位。勲四等旭日小綬章。 熊本県熊本市出身。1950年早稲田大学専門部卒。1954年熊本市役所に入り、観光、総務の各部長、経済、総務の各局長を経て、1980年助役に就任。1984年まで務めた後、1986年の熊本市長選に立候補して当選し、2期8年務めた。在任中は全国に先駆けて環境基本条例を制定、1991年には近隣の旧飽託郡4町合併などを行った。1994年に市長を引退。1999年春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。2013年死去。死没日付をもって正六位を追贈された。
神雷 龍之助(じんらい りゅうのすけ、1926年3月27日 … 神雷 龍之助(じんらい りゅうのすけ、1926年3月27日 - 1984年11月6日)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋に所属した元大相撲力士。本名は海津 正道(かいづ まさみち)。現在の茨城県神栖市出身。168cm、109kg。最高位は西十両12枚目。得意技は右四つ、寄り。 1941年5月場所に初土俵。1953年1月場所に十両昇進。十両は計13場所務め、十両下位で2場所連続で4勝11敗と大敗した1956年9月場所限りで廃業した。廃業後は滋賀県大津市で相撲料理店「ちゃんこ神雷」を経営した。
中山 英一(なかやま えいいち、1926年3月26日 - 2… 中山 英一(なかやま えいいち、1926年3月26日 - 2010年7月8日)は長野県出身の部落解放運動家。 長野県南佐久郡栄村(現・佐久穂町)の被差別部落に生まれる。父は小作農兼ぞうり売りだった。生家は地元の部落40戸の中で立場も経済力もナンバー2だったという。 小学校に入って間もなく、被差別民としての出自を知る。郷里の小学校を出てから東京の上級校に入ったが、当時は部落出身と知られることを恐れ、当時の苗字(被差別部落に固有の三文字の稀姓)や郷里の住所をたびたび偽っていた。「私は様々な名字を使った。『近衛』と『徳川』は一回だけ使ったが、比較的多用したのは『井出』と『篠原』、これは村の医者の名字で、次いで『倉沢』と『阿部』、これは村長の名字で、三番目は『木内』、『中山』、これは地主の名字であった。
肥後 亨(ひご とおる、1926年〈大正15年〉3月25日 … 肥後 亨(ひご とおる、1926年〈大正15年〉3月25日 - 1964年〈昭和39年〉3月8日)は、日本の政治活動家。広義の行動右翼に該当するが任侠系人士ではない。東京商科大学(現・一橋大学)中退。 1950年代から1960年代にかけて、各地の選挙に出馬して奇怪なパフォーマンスを繰り広げた右翼活動家である。個人的な信念によって選挙に出馬しているように見えたが、実際は政界の大物から資金の提供を受け、革新陣営に対する選挙妨害を目的とした政治ゴロであった。保守・革新の対立する時代(55年体制)において、「権力の選挙」「金力の選挙」の象徴的人物。 最終的に、1963年4月のニセ証紙事件に関連して発覚した「はがき横流し事件」で1963年5月に逮捕された。
井上 忠(いのうえ ただし、1926年3月25日 - 201… 井上 忠(いのうえ ただし、1926年3月25日 - 2014年9月20日)は、日本の哲学者。博士(学術)(論文博士・1996年)。東京大学名誉教授。古代ギリシア哲学が専門だが、言語哲学や自然科学との関係の上に哲学研究を行った。2006年瑞宝中綬章受勲。 広島県呉市生まれ。広島県立呉第一中学校を経て、1943年、第一高等学校に入学。田中小実昌は呉第一中学の同級。1945年春、戦中の特例で2年で一高を卒業し、東京大学法学部政治学科に入学。1948年、法学部を卒業後、文学部哲学科に入学。出隆の指導のもと今道友信や加藤信朗の後輩として古代哲学を専攻、同大学院特別研究生満期退学。1957年、東京大学教養学部専任講師となる。
林 周二(はやし しゅうじ、1926年3月25日 - )は、… 林 周二(はやし しゅうじ、1926年3月25日 - )は、日本の経営学者、統計学者。東京大学名誉教授、静岡県立大学名誉教授。
翠川 修(みどりかわ おさむ、1926年3月25日 - 20… 翠川 修(みどりかわ おさむ、1926年3月25日 - 2017年11月6日)は、日本の医学者。京都大学名誉教授。専門は病理学。 長野県小県郡出身。父は、京城帝国大学助教授の翠川磐。旧制長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、旧制静岡高等学校を経て、1949年京都大学医学部卒業。1958年同大学医学部助教授。1959年ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン医学部に留学。1962年岐阜県立医科大学(現・岐阜大学医学部)教授。1963年京都大学医学部教授。1978年フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞選考委員。1983年ドイツ病理学会名誉会員。1989年京都大学退官、同大学名誉教授。
鈴木 明雄(すずき あきお、1926年3月25日 - )は、… 鈴木 明雄(すずき あきお、1926年3月25日 - )は、日本の経営者。エステー化学社長を務めた。東京都出身。 1950年に東京大学工学部計測工学科を卒業し、同年にエステー化学に入社。 1958年に取締役に就任し、1963年に常務、1966年に専務を経て、1987年9月には社長に就任。1998年9月から2002年6月までに会長を務めた。
西岡 久雄(にしおか ひさお、1926年3月25日 - 20… 西岡 久雄(にしおか ひさお、1926年3月25日 - 2015年8月24日)は、日本の地理学者。専門は経済地理学。学位は、経済学博士(青山学院大学・論文博士・1980年)。青山学院大学名誉教授。立地論、経済地理学が専門。 奈良県出身。1948年東京帝国大学経済学部卒、1955年東京大学大学院経済学研究科経済地理学修了。1957年青山学院大学経済学部専任講師、1962年助教授、1967年教授、1985年経済学部学部長・経済研究所所長、1987-1991年学長。1989-1990年青山学院院長代行。1994年定年、名誉教授、駿河台大学教授、2001年退任。 1980年「立地と地域経済 経済立地政策論」で青山学院大学より経済学博士の学位を取得。
水谷 静夫(みずたに しずお、1926年3月25日 - 20… 水谷 静夫(みずたに しずお、1926年3月25日 - 2014年7月2日)は、日本の国語学者、言語学者。東京女子大学名誉教授。 1926年、東京浅草で生まれた。東京大学文学部国文学科で学び、1948年に卒業。 1949年より国立国語研究所に勤務。1964年、東京女子大学教授に就いた。1991年に東京女子大学を定年退職し、名誉教授となった。 2014年7月2日午後10時47分、肺炎のため東京都板橋区の病院で死去。88歳没。 早くから、言語学に統計学的手法を導入して論ずる計量言語学、さらには数理言語学、計算言語学の分野を国語学においても確立するため、コンピュータの導入による日本語の自然言語処理を論じ、その普及に貢献した(計量国語学会の記事も参照のこと)。
榎本 敏夫(えのもと としお、1926年3月24日 - 20… 榎本 敏夫(えのもと としお、1926年3月24日 - 2017年7月2日)は、政治家秘書。田中角栄の秘書として知られている。タレントの榎本三恵子は元妻。元北区議会議員の榎本 一(えのもと はじめ)は長男。 東京府東京市北区の質屋の息子として生まれる。大正大学文学部哲学科卒後に民主自由党(後の自由民主党)の職員になる。1955年5月から1962年7月まで東京都の北区区議会議員を務めた。1956年に日本電建に総務部長として入社し、1965年に田中角栄衆議院議員の秘書となった。1971年から1972年まで通商産業大臣秘書官、1972年から1974年まで内閣総理大臣秘書官であった。 1976年に発覚したロッキード事件において、田中角栄首相の秘書(首相秘書官)としてロッキード社の代理人であった丸紅から5億円を受け取ったとして同年7月に外国為替法違反で逮捕され、同年8月に起訴された(田中角栄は外国為替法違反だけでなく受託収賄罪でも起訴された)。
神吉 俊和(かんき としかず、1926年3月24日 - 20… 神吉 俊和(かんき としかず、1926年3月24日 - 2002年3月26日)は、兵庫県明石市出身のプロ野球選手。 明石中学校から関西大学に入学。1950年には春のリーグで最高殊勲選手を受賞する。 1951年に大洋ホエールズへ入団。1953年に引退。 その後、大都魚類の取締役を務めていた。 2002年に肺炎のため死去。 1男1女の父であり、それぞれ医者になっている。 ロビンスの選手時代に監督であった小西得郎が長男の名付け親である。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
土居 君雄(どい きみお、1926年3月23日 - 1990… 土居 君雄(どい きみお、1926年3月23日 - 1990年10月2日)は、日本の実業家。ドイ(カメラのドイ)創業者。広島県広島市出身。 1943年、関西甲種商業学校(現関西大学第一高校)卒業。戦後大阪で伯父の写真材料会社に勤務。左前となったため1956年、妻の郷里・福岡県福岡市で土居商店として独立した。当初は問屋から製品を仕入れ小売店に納入する二次卸だった。メーカー直結の問屋が流通経路を牛耳る時代、新参者が食い込む隙はなく苦戦。悩んだ末、末端の写真館やDPE店、土産物屋へのダイレクトメールを思いつく。これも当時は簡単に資料が集められず、市町村役場の商工係にアンケート用紙を送り顧客名簿を作成した。
片岡 真太郎(かたおか しんたろう、1926年3月23日 -… 片岡 真太郎(かたおか しんたろう、1926年3月23日 - 2016年11月1日)は、洋画家。 大阪府大阪市東区に生まれる。鈴木信太郎に師事。1948年、関西学院大学在学中に第3回行動美術展に初入選。1959年にシェル美術賞展佳作賞を受賞し、その後も朝日選抜新人展、第3回ふらんす・クリティック賞絵画展、「現代美術の動向」展などに出品。1961年には神戸市立美術館の新鋭作家展に『神将』を招待出品し、神戸新聞社賞を受賞する。同作品は1963年の京都国立近代美術館開館展にも招待出品された。1960年代に高橋和巳、五木寛之、永井龍男、曽野綾子等の挿絵や装丁を担当し、1974年に第5回講談社出版文化賞・さしえ賞を受賞した。
土田 衞(つちだ まもる、1926年3月23日 -2023年… 土田 衞(つちだ まもる、1926年3月23日 -2023年5月4日)は、日本の演劇研究者。専門は近世期の演劇。大阪女子大学名誉教授。河竹賞受賞。 大阪市生まれ。1948年京都帝国大学文学部国文科卒業、大阪府立池田高等学校教諭。1961年京都大学文学部大学院退学、愛媛大学文理学部助教授。1971年同教授。1975年大阪女子大学学芸学部教授、1989年退職、名誉教授、佛教大学教授。 1989年『歌舞伎絵尽し年表』(須山章信共編)で河竹賞受賞。2004年4月、瑞宝中綬章受章。
中川 米造(なかがわ よねぞう、1926年3月23日 - 1… 中川 米造(なかがわ よねぞう、1926年3月23日 - 1997年9月30日)は、日本の医師・医学者。 朝鮮・京城生まれ。穀物取引業を営む中川泰治の長男。京都府出身。旧制松江高等学校を経て1949年京都大学医学部卒、1955年医学博士。1950年京都大学附属病院耳鼻科助手、1955年大阪大学医学部講師、80年教授。89年定年退官し、名誉教授。滋賀医科大学教授、大阪国際女子大学教授を経て、1996年仏教大学教授。1970年阪大医学部の森永ヒ素ミルク中毒症追跡調査会代表を務め、訴訟では原告側証人として因果関係を証言。68年に札幌医科大学で実施された日本初の心臓移植(和田心臓移植事件)については告発する会を結成し、「病者のための人権宣言」を発表。
若杉 嘉津子(わかすぎ かつこ、1926年3月23日 - 没… 若杉 嘉津子(わかすぎ かつこ、1926年3月23日 - 没年不明)は、日本の女優である。本名勝田 英津子(かつた えつこ)。女優時代の初期には、若杉 須美子(わかすぎ すみこ)、若杉 紀英子(わかすぎ きえこ)の芸名を使っていた。 1926年(大正15年)3月23日、山形県南陽市に生まれる。誕生の日に母を亡くし、1928年(昭和3年)、2歳で東京市大塚の勝田家に養子に出された。幼時の記憶をなくしていたために長らく勝田家の実子と思い込んでいたが、女学校時代に戸籍謄本を偶然目にして養子であることが判明する。出生時の真実については、2000年(平成12年)のインタビューで初めて明らかにしたため、それ以前に出版されたキネマ旬報社・刊『日本映画人名事典』(1995年)の若杉嘉津子の項目などでは「1928年東京市出身」となっている。
久米 三四郎(くめ さんしろう、1926年3月22日 - 2… 久米 三四郎(くめ さんしろう、1926年3月22日 - 2009年8月31日)は、日本の核化学者。大阪府出身。 旧制大阪府立高津中学校、旧制高知高等学校、大阪帝国大学卒業。製薬会社勤務を経て、大阪大学理学部講師を務めるかたわら、反原発の運動家として全国各地で多数の講演を行った。反原発運動全国連絡会を結成し、『はんげんぱつ新聞』の発刊に携わるなどの活動もあった。 1973年、国内で初めて原発の安全性が問われた、四国電力の伊方原子力発電所設置許可取り消し請求訴訟において、原告(住民)側補佐人を務めた。 高速増殖原型炉もんじゅの設置許可の無効確認を求めた行政訴訟(もんじゅ訴訟)でも、原告側の特別保佐人として、建設に反対の論陣を張った。
野口 渉(のぐち わたる、1926年3月22日 - 没年不明… 野口 渉(のぐち わたる、1926年3月22日 - 没年不明)は、愛知県出身のプロ野球選手。明、二郎、昇、渉とプロ野球選手を輩出した野口四兄弟の末弟。
生地竹郎(おいじ たけろう、1926年3月21日-1980年… 生地竹郎(おいじ たけろう、1926年3月21日-1980年7月14日)は、日本の中世英文学者。 広島生まれ。父は陸軍主計少将・生地竹之助。1951年東北大学文学部英文科卒、山形大学講師、東北大学教養部助教授、上智大学文学部教授。1974年『ウィリアムスの見た農夫ビアズの夢』で日本翻訳文化賞受賞。
桜井 センリ(さくらい センリ、1926年〈大正15年〉3月… 桜井 センリ(さくらい センリ、1926年〈大正15年〉3月20日 - 2012年〈平成24年〉11月10日)は、日本のピアニスト、コメディアン、俳優。本名・桜井 千里。ワタナベエンターテインメント所属。 公式プロフィール上では1930年(昭和5年)3月20日生まれとなっているが、実際は1926年(大正15年)生まれ。これはハナ肇とクレージーキャッツの他のメンバーとのバランスを取るためだったとされている(最年少の安田伸は1932年(昭和7年)生まれ)。その結果、旧制中学の後輩である石橋エータロー、犬塚弘より年少ということになった。旧名・桜井 ヘンリーとして父志郎の赴任地のイギリス・ロンドンに生まれ、3歳までその地で育つ。
安野 光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日 - 20… 安野 光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日 - 2020年12月24日)は、日本の画家・装幀家・絵本作家。元美術教員。島根県鹿足郡津和野町出身。東京都小金井市在住。文化功労者。 40年以上にわたって描かれた代表作の1つ『旅の絵本』シリーズ全10冊のうち9冊までの累計発行部数は、152万部を記録している(2022年1月末時点)。 子供の頃より画家になる夢を抱いていた。美術のみならず、科学・数学・文学などにも造詣が深く、豊かな知識と想像力を駆使して独創性あふれる作品を発表した。原色や派手な色をほとんど使わない淡い色調の水彩画で、細部まで書き込まれながらも落ち着いた雰囲気の絵を描く[要出典]。
村上雄藏(むらかみ ゆうぞう、1926年(大正15年)3月2… 村上雄藏(むらかみ ゆうぞう、1926年(大正15年)3月20日 - 1986年(昭和61年)11月15日)は日本の教育者、日本海軍軍人。 一般的には村上雄蔵と表記。父秋太郎、母繁子の長男として兵庫県神戸市に出生。幼少より困窮に苦しむ。神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)夜間部に通う傍ら、神戸川崎造船所(後の川崎重工業神戸造船所、現在の川崎重工業船舶海洋ディビジョン神戸工場)に勤務。 1944年(昭和19年)、帝国海軍飛行予科練習生(甲飛15期)、三重海軍航空隊から浦戸海軍航空隊(高知)に移り終戦(終戦時2等飛行兵曹)。戦後は神戸に戻り、GHQからの払い下げ品を闇市で販売して生計を立てる。この時実践的な英会話を身に付ける。
日下 実男(くさか じつお、1926年3月20日 - 197… 日下 実男(くさか じつお、1926年3月20日 - 1979年9月11日)は、日本の科学評論家、科学読物作家、翻訳家。 愛知県安城市出身。1947年、東京大学理学部物理学科卒業。朝日新聞社に入り、科学記者、欧米特派員を経て、1969年退社。 日本宇宙飛行協会(副会長)、日本海洋学会などに所属し、科学評論家として活躍。 1961年、『ロケットよ土星をめざせ』で小学館児童文化賞佳作賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
畠中 道雄(はたなか みちお、1926年3月20日 - 20… 畠中 道雄(はたなか みちお、1926年3月20日 - 2016年11月5日)は、日本の経済学者、大阪大学名誉教授。専門は計量経済学(とくに時系列分析)。Ph.D.(ヴァンダービルト大学)。福岡県出身。 大阪大学社会経済研究所(以下、阪大社研)において、森嶋通夫や二階堂副包と共に阪大社研の黄金時代を現出する。森嶋らの離任後は後任の稲田献一らと共に研究業績をあげ、内紛後の阪大社研を盛り立てた。[要出典]計量経済学研究の第一人者であり、Econometrica等、世界的ジャーナルの編者も務めた。Econometric Societyのフェロー。[要出典] この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
天野 哲夫(あまの てつお、1926年3月19日 - 200… 天野 哲夫(あまの てつお、1926年3月19日 - 2008年11月30日)は、日本の小説家。 覆面作家沼正三の著作として出版された奇書『家畜人ヤプー』について、作者であると告白したことで知られる。 福岡市出身。市立福岡商業(現・福岡市立福翔高等学校)卒。戦前は満州を放浪、戦後は種々の職業を経て1967年から校正者として新潮社に勤務。その傍ら小説を執筆し、沼正三の代理人を名乗っていたが、1982年、自身が『家畜人ヤプー』の作者のひとりであると公表。その真偽や関与の程度をめぐってはなお論争があるが、沼正三の著作のうち『家畜人ヤプー』の後半部分や『マゾヒストMの遺言』の著者は天野であることが確かとされる。
岡 並木(おか なみき、1926年3月19日 - 2002年… 岡 並木(おか なみき、1926年3月19日 - 2002年12月7日)は、日本のジャーナリスト、交通及び比較都市論を専門とする評論家。 東京都出身。1952年に東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。編集委員などをつとめる。1985年の退社後は、西武百貨店顧問。のち静岡県立大学国際関係学部教授を経て、武蔵野女子大学文学部教授。 父親は、大正から昭和初頭に、民族・民俗学や考古学の専門書、山岳書を出版した「岡書院」店主の岡茂雄。叔父は民族学者の岡正雄。従兄弟(正雄の息子)に文化人類学者の岡千曲。 衣食住に加えて、交通、移動の重要性とこれらが顧みられていない現状を説き、「衣食住交」を提唱した。
高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 19… 高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 1981年1月3日)は、日本の歴史学者・民俗学者。専攻は、日本文化史・民俗学。元京都女子大学教授。 1926年、愛知県名古屋市で生まれた。愛知県立明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)を経て、京都大学文学部史学科に入学。1951年に卒業し、同大学大学院にて国史学を専攻して柴田實に師事した。また先輩の竹田聴洲と出会い、民俗学を志した。 京都女子大学非常勤講師に就いた後、1961年に同大学助教授に就任。1966年に教授昇格。1977年より国立民族学博物館客員教授も務めた。 専門は民俗学で、宗教民俗学。没後には法藏館より『高取正男著作集』(全5巻)が刊行された。
辻 久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子、1926年3月16… 辻 久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子、1926年3月16日 - 2021年7月13日)は、日本のヴァイオリニストである。大阪芸術大学名誉教授。辻久子弦楽塾塾長。
塩田 重利(しおた しげとし、1926年3月16日 - )は… 塩田 重利(しおた しげとし、1926年3月16日 - )は、日本の歯学者。専門は、歯学、口腔外科学、顎顔面外科学、中医学。 博士(医学)。東京医科歯科大学名誉教授。
桑原 章吾(くわばら しょうご、1926年3月16日 - 2… 桑原 章吾(くわばら しょうご、1926年3月16日 - 2008年1月6日)は、日本の医学者(微生物学)。元学校法人東邦大学理事長。勲三等旭日中綬章受章。 愛知県名古屋市生まれ。1943年9月東京帝国大学医学部を卒業。1949年5月松本医科大学助教授を経て、1954年5月に東邦大学医学部細菌学教授として着任、1969年4月同大学医学部長・学校法人東邦大学理事を経て、同年11月学校法人東邦大学理事長に就任、1991年8月に退任するまでの連続7期22年間理事長を務め、同大学の充実発展と経営基盤に尽力した。また、私立医科大学理事長会代表幹事、厚生省中央薬事審議会委員を始め社会福祉法人鶴風会、日本ワックスマン財団などの理事を務め、学会においては日本化学療法学会、日本感染症学会、日本細菌学会、日米医学協力委員会コレラ専門部会等で長く要職にあった。
五十嵐 広三(いがらし こうぞう、1926年3月15日 - … 五十嵐 広三(いがらし こうぞう、1926年3月15日 - 2013年5月7日)は、日本の実業家、政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 企業組合ほっかい民芸舎理事長、北海道民芸品株式会社代表取締役社長、北海道旭川市長、衆議院議員(5期)、建設大臣(第59代)、内閣官房長官(第58代)、株式会社ほくみん代表取締役会長などを歴任。 1926年生まれ。1943年に北海道庁立旭川商業学校(現・北海道旭川商業高等学校)を卒業後、愛別村立愛山国民学校の助教として勤務した。その後、陸軍第7師団に入営し訓練を受けていたが、1945年に太平洋戦争が終結した。その後、1953年に民芸品販売店を開き、ほっかい民芸舎の理事長、北海道民芸品の社長などを歴任した。
坂本 文次郎(さかもと ぶんじろう、1926年3月15日 -… 坂本 文次郎(さかもと ぶんじろう、1926年3月15日 - 1994年11月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手)。 旧制海草中学卒業後は、社会人野球の日本発送電と海南日東紡を経て、1951年に大映スターズへ入団。同年は主に三塁手として起用され、規定打席(31位、打率.242)にも到達した。1953年には全試合出場を果たし、打率.280(15位)を記録。1954年には三塁手シーズン最多補殺をマークした。これは今でも日本記録である。1955年は自己最高の打率.295(12位)を残す。1958年までレギュラーを守るが、同年のシーズン終盤から葛城隆雄が台頭し定位置を譲る。しかし1960年には二塁手、遊撃手として復活、96試合に先発し初のリーグ優勝に貢献した。
金川 千尋(かながわ ちひろ、1926年3月15日 - 20… 金川 千尋(かながわ ちひろ、1926年3月15日 - 2023年1月1日 )は、日本の経営者。信越化学工業社長、会長を歴任した。 日本統治時代の朝鮮・大邱生まれ、東京都出身。1950年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に極東物産(のちの三井物産)に入社。1962年2月に信越化学工業に転じ、1975年1月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1983年8月に副社長に就任し、1990年8月には社長に昇格した。2010年6月から会長を務めた。 取締役就任翌年に、信越化学が米国のロビンテック社との合弁で設立したシンテックの合弁側持ち株を買収して100%子会社化することを提案、当時の社長・小田切新太郎が取締役会の反対を押し切り買収を決断、シンテックの経営を任された金川は世界一の塩ビメーカーに育て、信越化学グループの利益源となる超優良企業に育てた。
早川 宗八郎(はやかわ そうはちろう、1926年3月15日 … 早川 宗八郎(はやかわ そうはちろう、1926年3月15日 - 2014年8月26日)は、日本の工学者。東京工業大学名誉教授、同大学元理学部長、職業能力開発総合大学校元校長、同大学校名誉教授。日本基督教団の牧師でもあった。東京大学工学博士。専門は固体光物性、紛体物性、エネルギー変換物性。 東京市本所区に生まれる。父50歳、母41歳という老齢の父母のもと、7人兄弟の末子として誕生した(8人目の子供だが1人は夭逝していた)。下町育ちそのままに、中学2年生までは毎日午後9時過ぎまでガキ大将として日々を過ごした。また、幼年のころから剣道の修練に励んだ。中学3年生のときにそれまでの生活にむなしさを感じ、第一高等学校に入ることと、剣道から禅の道に転換する目標を立てた。
河原 勇(かわはら いさむ、1926年(大正15年)3月15… 河原 勇(かわはら いさむ、1926年(大正15年)3月15日 - 2012年(平成24年)3月1日)は、日本の政治家。東京都目黒区長(2期)。 1926年3月15日、杉並区に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業。東京都出納長室主査、目黒区戸籍課長、区民課長、総務課長、福祉問題担当主幹、区民センター管理事務所長、区民部長、企画部長、助役を経て、1990年自・社・公・民・社民連・進歩・スポーツ平和・サラ新の8党からの推薦を受けて目黒区長選挙に出馬し、当選。1994年には自・社・新生・公・日本新・さきがけ・民社7党の推薦を受けて再選を果たした。1998年5月に区長引退を表明し、10月20日の任期満了に伴って辞任した。