村田 直昭(むらた なおあき、1937年(昭和12年)5月 … 村田 直昭(むらた なおあき、1937年(昭和12年)5月 - )は、東京都出身の元防衛官僚。第21代防衛事務次官。
1937年(昭和12年)生まれ:1,155人
村田 直昭(むらた なおあき、1937年(昭和12年)5月 … 村田 直昭(むらた なおあき、1937年(昭和12年)5月 - )は、東京都出身の元防衛官僚。第21代防衛事務次官。
宮井 泰良(みやい やすよし、1937年(昭和12年)5月 … 宮井 泰良(みやい やすよし、1937年(昭和12年)5月 - )は、日本の元政治家。元公明党衆議院議員(2期)。 山口県出身。1962年近畿大学法学部卒業。聖教新聞社に入り、公明党山口県連事務局長、同党中国地方副本部長などを歴任し、1969年の第32回衆議院議員総選挙において山口2区から公明党公認で立候補して当選した。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選。1976年の第34回衆議院議員総選挙ではトップに返り咲いた。1979年の第35回衆議院議員総選挙には立候補せず引退(後継者は吉井光照)。この他公明党中央委員、同党山口県本部県民運動本部長にもなった。
山田 敬三(やまだ けいぞう、1937年4月30日 - )は… 山田 敬三(やまだ けいぞう、1937年4月30日 - )は、日本の中国文学研究者、神戸大学名誉教授。 大阪外国語大学、京都大学大学院修了。九州大学教養部助教授、神戸大学文学部教授、福岡大学文学部教授を経て、神戸大学名誉教授。日本現代中国学会理事を長く務め、現在は同顧問。専門は魯迅だが、華人文学、台湾文学など幅広い分野で業績がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
秋山 礼巳(あきやま ひろみ、1937年4月29日 - 20… 秋山 礼巳(あきやま ひろみ、1937年4月29日 - 2012年2月14日)は、日本の彫刻家。 広島県広島市に生まれる。武蔵野美術大学で学び、その後、パリへ移住。 1966年から1968年まで、パリ国立高等美術学校で学び、ジャン・アルプを通じてアレクサンダー・アルチペンコからコンスタンティン・ブランクーシまでの現代彫刻を学んだ。また、秋山は共同作業を重視する彫刻シンポジウムの運動にも参加。1967年には、オーストリアのサンクト・マルガレーテン・イン・ブルゲンラントで開催された「ヨーロッパ彫刻家シンポジウム」に参加した。 秋山は、ドイツではニュルンベルク、サンクト・ヴェンデル、オッゲルスハウゼン、イタリアではローマ、カナダではバンクーバー、オーストリアではウィーン、バッド・クロイツナハ、そして日本で開催された石彫刻家のシンポジウムに参加した。
出光 芳秀(いでみつ よしひで、1937年4月26日 - )… 出光 芳秀(いでみつ よしひで、1937年4月26日 - )は、日本の実業家。新出光代表取締役会長・社長。 妻は推理作家の夏樹静子、長男は俳優の出光秀一郎。 出光佐三は伯父。出光計助は叔父。出光昭介、出光裕治、出光昭、大和勝は従兄。別所純子は従妹。出光豊は兄。 新出光創業者出光弘の四男として、福岡県福岡市に生まれる。1956年福岡県立修猷館高等学校卒業。1961年早稲田大学商学部卒業。 1962年1月新出光石油(現・新出光)に入社。1985年2月新出光石油取締役福岡支店長、同年6月常務、1987年3月専務、1993年6月新出光代表取締役専務を経て、1997年6月社長に就任。2011年6月会長に就任。
松田 松雄(まつだ まつお、1937年4月26日 - 200… 松田 松雄(まつだ まつお、1937年4月26日 - 2001年4月25日)は、日本の洋画家。無所属。第10回昭和会展昭和50年度(1975年)林武賞受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
斎藤 勝(さいとう まさる、1937年4月25日 - )は、… 斎藤 勝(さいとう まさる、1937年4月25日 - )は、日本のバレーボール指導者、アスレティックトレーナー、元バレーボール全日本男子監督。東海大学名誉教授。 東京都出身。東京都立目黒高等学校、日本体育大学体育学部体育学科を卒業後、教師となる。並行して、数々の中学、高校、大学でバレーボール部の監督として采配を振った。 1970年、第7回世界選手権で、全日本男子チームのトレーナーを務めた(当時は、東海大一高の監督で、日本協会科学技術研究員だった)。 1972年のミュンヘン五輪でも、同じく全日本男子チームのトレーナーを務め、松平康隆監督とともに、倒立歩行など、独自のトレーニング方法を考案した。 1984年、ロス五輪後に、全日本男子チームの監督に就任(当時は、東海大学体育学部教授で、同大学のバレーボール部監督)。
歌田 実(歌田 實、うただ みのる、1937年(昭和12年)… 歌田 実(歌田 實、うただ みのる、1937年(昭和12年)4月25日 - )は、日本の地質学者。 山梨県北巨摩郡小淵沢町(現・北杜市)出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学理学部卒業。1971年、東京大学から論文「本邦新第三紀凝灰岩類中の沸石帯」により理学博士を授与された。 1985年同大学理学部助教授。1986年東京大学総合研究資料館(現・東京大学総合研究博物館)助教授。1993年同資料館教授。1996年東京大学総合研究博物館教授[出典無効]。退官後、同大学名誉教授。
梅村 清弘(うめむら きよひろ、1937年4月25日 - 2… 梅村 清弘(うめむら きよひろ、1937年4月25日 - 2020年11月26日)は、日本の体育社会学者、学校法人梅村学園名誉総長。 名古屋市生まれ。父は中京大学学長・梅村淸明。中京大学商学部卒業、慶応義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了、1964年日本大学大学院文学研究科博士課程満期退学。中京商業高校(現・中京大学附属中京高等学校)校長、理事長代理、中京大学体育学部教授、同学部長。1980年中京大学学長、1988年理事長、1990年総長を兼務。2010年名誉総長。2009年、旭日重光章受章。2020年11月26日死去。叙正四位。
石川 フミヤス(いしかわ フミヤス、1937年4月24日 -… 石川 フミヤス(いしかわ フミヤス、1937年4月24日 - 2014年11月24日)は、日本の漫画家。京都府京都市南区唐橋門脇町出身。本名は石川文康。血液型はB型。 子供の頃から手塚治虫の漫画に慣れ親しむ。高校卒業後、病弱だったため就職を断念、家でも出来る仕事として漫画家を目指す。 1956年12月、日の丸文庫より『復讐の鬼』でデビュー。その後は『影』(日の丸文庫)、『街』(セントラル出版)などの貸本漫画誌に執筆。1959年、さいとう・たかを、桜井昌一、辰巳ヨシヒロらとともに漫画家グループ「劇画工房」に参加する。1960年、「劇画工房」解散後「さいとう・プロダクション」設立と共にスタッフとなる。
玉懸 博之(たまかけ ひろゆき、1937年4月23日 - )… 玉懸 博之(たまかけ ひろゆき、1937年4月23日 - )は、日本思想史学者。文学博士(東北大学・論文博士・2000年)(学位論文「日本中世思想史研究」)。東北大学名誉教授。 岩手県二戸郡金田一村(現・二戸市)生まれ。1963年東北大学文学部日本思想史専攻卒業。68年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、東北大学文学部助手、73年講師、77年助教授、1986年教授(日本思想史)。2000年、「日本中世思想史研究」で、東北大学より文学博士の学位を取得。2001年定年退官、名誉教授、いわき明星大学教授、図書館長。2004年退職。日本思想史学会会長を務めた。
福田 弘平(ふくだ こうへい、1937年4月23日 - 20… 福田 弘平(ふくだ こうへい、1937年4月23日 - 2013年1月19日)は、日本の政治家。和紙職人。烏山町長を1期務めた。 1937年(昭和12年)、栃木県那須郡烏山町(現那須烏山市)の和紙職人の家に生まれる。大学を中退して全国の和紙産地で3年間修業した後、家業を継ぐ。1965年(昭和40年)、福長押絵を創設。1982年(昭和57年)、合名会社福田製紙所の代表社員に就任。和紙業者の廃業が続出する中、色付き和紙を用いた押絵を開発するなど和紙の再興に力を注いだ。 2002年(平成14年)4月14日、烏山町長選挙で当選。2005年(平成17年)10月1日、烏山町が那須郡南那須町と新設合併して那須烏山市が発足したことに伴い町長を失職した。
渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、… 渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、日本の文筆家、動物評論家。 東京に、フランス文学者・渡辺一夫の長男として生まれる。東京都立小石川高等学校卒、東京大学教養学部教養学科フランス科卒。 大学卒業後、日本航空に入社、パリ、ブリュッセルに9年間滞在。1994年退社し、ヨーロッパ流の犬の飼い方に関心をもち著作、翻訳を行う。趣味の釣りに関する著作もある。
高木 時夫(たかぎ ときお、 1937年4月21日 - 20… 高木 時夫(たかぎ ときお、 1937年4月21日 - 2006年1月23日)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 浦和高校時代はサッカーをしていたこともあった。捕手として1954年秋季関東大会県予選決勝に進むが、浦和商に惜敗。高校卒業後は日本大学へ進学し、東都大学リーグでは在学中3度の優勝を経験。宮田征典とバッテリーを組み、1959年秋季リーグの優勝に貢献。リーグ通算31試合出場、73打数20安打、打率.274、0本塁打、6打点、ベストナイン1回受賞。大学同期に会田豊彦・黒木基康(大洋)・笹木士朗(日本鋼管)らがいた。大学卒業後は富士製鐵釜石に入社し、1961年に常磐炭砿の補強選手として都市対抗に出場。
須藤 豊(すどう ゆたか、1937年4月21日 - )は、高… 須藤 豊(すどう ゆたか、1937年4月21日 - )は、高知県安芸郡安芸町出身の元プロ野球選手(内野手)・監督。現在は野球解説者。
武藤 博(むとう ひろし、1937年〈昭和12年〉4月20日… 武藤 博(むとう ひろし、1937年〈昭和12年〉4月20日 - )は、日本の政治家。埼玉県・旧上福岡市の最後の市長である。 埼玉県浦和市生まれ、6人兄弟の次男。父は浦和市議会議員、浦和市収入役を務めた。 元大蔵・財務事務次官、元日本銀行副総裁で、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長及び理事の武藤敏郎は弟。 1955年3月、浦和市立高等学校卒業。父病気のため高校卒業後は東京都内で3年間の修業を積んだ後、地元で浴場を開業した。1966年、上福岡に支店を出したことを契機に転居。PTA活動などをきっかけに市議会議員へ。 1979年4月、統一地方選挙上福岡市議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。
花沢 英雄(はなざわ ひでお、1937年4月20日 - )は… 花沢 英雄(はなざわ ひでお、1937年4月20日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉県立銚子商業高等学校から1956年に大映スターズへ入団。1957年まで在籍したが制球に難があり1勝もできなかった。
平井 宜雄(ひらい よしお、1937年4月19日 - 201… 平井 宜雄(ひらい よしお、1937年4月19日 - 2013年11月26日)は、日本の法学者。専門は民法及び法政策学。東京大学名誉教授。前専修大学法科大学院院長。法制審議会委員。財団法人不動産適正取引推進機構会長。東京出身。
庄司 薫(しょうじ かおる、1937年4月19日 - )は日… 庄司 薫(しょうじ かおる、1937年4月19日 - )は日本の小説家。本名は福田章二(ふくだ しょうじ)。
安倍 圭子(あべ けいこ、本名:木村圭子、旧姓:安倍圭子、1… 安倍 圭子(あべ けいこ、本名:木村圭子、旧姓:安倍圭子、1937年4月18日 - )は、日本のマリンバ奏者、作曲家。東京都出身。世田谷区立代沢小学校を経て、中学2年生の時に山梨英和中学校から松山東雲中学校へ転校。松山東雲高等学校、東京学芸大学教育学部音楽専攻打楽器科を卒業。 山梨の中学生の頃には木琴を習っていたが、1950年に音楽を用いた布教で知られるアメリカのラクーア伝道団が学校に来て、メンバーが賛美歌を奏でた。この時にマリンバに出会う。 14歳でNHKの洋楽オーディションに合格し、演奏活動を始める。外国の音楽家の日本公演が難しい時代だったが、音楽史に残る世界的な演奏家が転校先の松山市の学校の体育館で演奏を見る機会があった。
加治 久典(かじ ひさのり、1937年4月18日 - 201… 加治 久典(かじ ひさのり、1937年4月18日 - 2014年4月6日)は、日本の実業家。ハローデイ創業者。同社元会長。福岡県出身。 1937年、福岡県苅田町の生まれ。福岡県立京都高等学校卒業。1958年、21歳の時、父親から15坪の食料品店である有限会社かじやを引き継ぎ、後のハローデイの礎を築く。2014年4月6日、癌性リンパ管症にて、76歳死去。 株式会社かじやが経営不振に陥るが、長男の加治敬通の入社により、危機を乗り越え、株式会社ハローデイ設立。同社社長に就任。2008年、同社会長。
青木 宥明(あおき ひろあき、1937年4月18日- 200… 青木 宥明(あおき ひろあき、1937年4月18日- 2001年11月8日)は、静岡県出身のプロ野球選手。
雨宮 淳(あめのみや あつし、1937年4月18日 - 20… 雨宮 淳(あめのみや あつし、1937年4月18日 - 2010年2月8日)は、彫刻家。位階は従四位。日本芸術院会員。 雨宮治郎の子、雨宮敬子の弟として東京府に生まれる。父、姉とともに芸術院会員となっている。 日本大学芸術学部を卒業後、彫刻家北村西望に師事し、1963年日展初入選、1984年西望賞受賞、1991年内閣総理大臣賞受賞、1997年日本芸術院賞受賞、2001年日本芸術院会員。日展常務理事。 2010年2月8日、心不全のため死去。72歳没。墓所は多磨霊園。叙従四位に叙され、旭日中綬章追贈。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山里 朝盛(やまざと ちょうせい、1937年(昭和12年)4… 山里 朝盛(やまざと ちょうせい、1937年(昭和12年)4月18日 - 2014年(平成26年)1月14日)は、日本の政治家。沖縄県糸満市長。 琉球大学農学部卒業。糸満市収入役を経て、2000年市長選挙に立候補。元職の上原宜成を破り当選。2004年の選挙では、新人の西平賀雄に敗れ次点で落選。 2007年、旭日双光章。2012年からは糸満市社会福祉協議会会長を務めた。 2014年1月14日、癌で死去。
加藤 順介(かとう じゅんすけ、1937年4月17日 - )… 加藤 順介(かとう じゅんすけ、1937年4月17日 - )は、日本の経営者。小糸製作所社長、会長を務めた。東京都出身。 1960年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に小糸製作所に入社した。1968年に取締役に就任し、1972年に常務、1979年に専務を経て、1985年6月に副社長に就任し、1997年6月には社長に昇格した。2003年6月に会長、2007年6月に取締役相談役を経て、2009年6月には相談役に就任。 2002年4月に藍綬褒章を受章。
小檜山 博(こひやま はく、男性、1937年4月15日 - … 小檜山 博(こひやま はく、男性、1937年4月15日 - )は、日本の小説家。本名は「博」を「ひろし」と読む。神田日勝記念美術館館長。元北海道教育大学特任教授。札幌市在住。 北海道滝上町生まれ。北海道苫小牧工業高等学校電気科卒業。高校卒業後、北海道新聞社に勤務する傍ら執筆活動を開始。「文學界」、「新潮」、「すばる」等の文芸誌にて作品を発表するほか、「北方文芸」などで同人活動を行う。 1976年に発表した『出刃』が第1回北方文芸賞を受賞し、第75回芥川賞候補となったのを皮切りに、本格的な作家活動に乗り出す。 1983年、『光る女』が第17回北海道新聞文学賞・第11回泉鏡花文学賞を受賞。 1987年、『光る女』は相米慎二によって映画化され、キネマ旬報ベストテン第9位になった。
三木 靖(みき やすし、1937年4月15日 - 2023年… 三木 靖(みき やすし、1937年4月15日 - 2023年11月17日)は、日本の歴史学者。鹿児島国際大学短期大学部名誉教授。専門は中世城郭史。 東京出身。1965年に早稲田大学大学院文学研究科修了。鹿児島短期大学学長を経て、鹿児島国際大学との統合により、同大学短期大学部教授・学部長を務める。また、鹿児島国際大学生涯学習センター長、鹿児島県文化財保護審議会会長、音楽療法士養成協議会顧問を歴任する。研究では日本古文書学会、九州史学会、南島史学会で活動した。南九州における中世城郭史のほか薩摩島津氏の研究において第一人者である。 2013年4月に、瑞宝中綬章を受章。 2020年には、第71回南日本文化賞(学術部門)を受賞。
淀野 隆(よどの たかし、1937年4月15日 - 2022… 淀野 隆(よどの たかし、1937年4月15日 - 2022年7月31日)は、新聞記者、イベントプロデューサー、作家。 京都府出身。父は文芸同人誌「青空」同人、フランス文学者淀野隆三。京都府立桃山高等学校から慶應義塾大学文学部に進学し社会学専攻(1961年卒業)。産業経済新聞社社会部勤務。1964年東京オリンピックの取材、川端康成ノーベル賞受賞特派員などに従事した後1969年同社退社。1970年から万国博覧会等のプロデューサーとして活動。元電通総研客員研究員。NPO法人亜州友好協会の理事であり、上海万博開幕1000日まえの発行雑誌(2007年8月創刊)として、2か月刊日本PR雑誌の編集、執筆を担当。
佐木 隆三(さき りゅうぞう、本名:小先 良三〈こさき りょ… 佐木 隆三(さき りゅうぞう、本名:小先 良三〈こさき りょうぞう〉、1937年〈昭和12年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉10月31日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家で、北九州市立文学館名誉館長、九州国際大学元客員教授。当初は純文学作家として活動したが、直木賞受賞の『復讐するは我にあり』以降は犯罪ノンフィクションで人気を博し、後年は法廷のルポルタージュでも広く知られる。旧朝鮮咸鏡北道穏城郡生まれ。 両親とも広島県出身で、父親は農家。一旗あげようと田畑を売り払って朝鮮に渡り、良三は朝鮮で生まれる。1941年(昭和16年)、銀山の所長をしていた父が呉の海軍に召集されたため、一家で日本に引き揚げた。
和田 明(わだ あきら、1937年4月15日 - 1992年… 和田 明(わだ あきら、1937年4月15日 - 1992年3月21日)は、元早稲田実業学校高等部(早実)硬式野球部監督。
吉田 曠二(よしだ ひろじ、1937年4月15日 - )は、… 吉田 曠二(よしだ ひろじ、1937年4月15日 - )は、日本のジャーナリスト、歴史家。 京都市生まれ。1963年同志社大学大学院法学研究科修士課程修了。1964年朝日新聞大阪本社入社。入社後も大学院時代の師田畑忍に師事し、日本近現代史研究を継続。1997年定年退職、名城大学非常勤講師となり外交史、政治史の講義を担当。
岸 義人(きし よしと、1937年4月13日 - 2023年… 岸 義人(きし よしと、1937年4月13日 - 2023年1月9日)は、日本とアメリカ合衆国で活動した有機合成化学者。専門は天然物化学。ハーバード大学名誉教授。天然物化学における驚異的な功績により2010年から名古屋大学特別教授。米国エーザイの副社長も務めた。 愛知県名古屋市出身で、戦時中に岐阜県美濃加茂市に疎開。岐阜県立加茂高等学校を経て、1961年に名古屋大学理学部を卒業したのち、名古屋大学農学部助教授などを経て、1974年にハーバード大学教授として招聘された。2009年現在ハーバード大学名誉教授。 1966年 理学博士「ウミホタルルシフェリンの構造とその全合成」。 海洋産天然物の研究を行い、パリトキシン、マイトマイシン、テトロドトキシン、ハリコンドリンBなどの全合成を達成した。
田中誠二(たなか せいじ、1937年4月13日 - )は日本… 田中誠二(たなか せいじ、1937年4月13日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はA型。東海財務局長、税務大学校長、長野銀行頭取、同行会長などを歴任。 東京都大田区出身。世田谷区立奥沢中学校、東京都立日比谷高等学校、東京大学法学部卒業。1961年4月 大蔵省入省(為替局総務課)。1967年7月 高田税務署長。1984年6月 理財局国有財産総括課長。1985年6月 大臣官房会計課長。1986年6月10日 東海財務局長。1987年6月 税務大学校長。1988年6月 退官。同年7月 船舶整備公団理事。1990年7月 証券保管振替機構常務理事。1993年6月 同機構専務理事。1996年5月 長野銀行顧問。
及川 順郎(おいかわ じゅんろう、1937年4月13日 - … 及川 順郎(おいかわ じゅんろう、1937年4月13日 - 2018年7月22日)は、日本の政治家。山梨県出身。元参議院議員(2期)。二十一世紀ヒューマン協会会長。 1937年4月13日、山梨県に生まれる。 1962年、日本大学理工学部卒業。その後、鳳書院出版業務、聖教新聞記者を務める。 1964年、公明新聞の編集を務める。 1969年12月27日、第32回衆議院議員総選挙に、山梨県全県区から公明党公認候補として立候補し、次点で落選する。以降、衆議院議員総選挙に合わせて4回立候補し、全て落選する。 1983年6月26日、第13回参議院議員通常選挙に立候補し、次点で落選する。 1986年7月6日、衆参同日選挙の第14回参議院議員通常選挙に立候補し、初当選する(以降、連続2期)。
市川 一朗(いちかわ いちろう、1937年4月12日 - )… 市川 一朗(いちかわ いちろう、1937年4月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。 参議院議員(3期)、農林水産副大臣(第1次小泉第2次改造内閣、第2次小泉内閣)などを歴任。 宮城県栗原郡鶯沢町(現在の栗原市鴬沢地区)出身。仙台第一高等学校卒業後、東京大学文科一類入学。1961年、東京大学法学部(私法コース)卒業と同時に建設省に入省する。国土庁防災局長、建設省都市局長、建設省総務審議官を経て、1993年に国土事務次官に就任し、翌1994年に退官。 1995年の第17回参議院議員通常選挙に無所属(新進党推薦)で宮城県選挙区から立候補し、初当選。当選後は新進党の参議院会派である平成会に所属したものの、最後まで新進党には入党しなかった。
田辺 義三(たなべ よしぞう、1937年4月12日 - 20… 田辺 義三(たなべ よしぞう、1937年4月12日 - 2018年9月12日)は、群馬県出身の元プロ野球選手(捕手、外野手、内野手)。 桐生高校では3年次の1955年、捕手として春の選抜に出場。今泉喜一郎とのバッテリーで決勝に進出するが、坂崎一彦・山本八郎・広島尚保らがいた浪華商に延長11回3-4でサヨナラ負け、準優勝に終わる。同年は夏の選手権にも出場したが、2回戦で日大三高のエース並木輝男に抑えられ、4-10で敗れた。同年8月には1年下の外野手間所宏全(阪急)らと共に全日本高校選抜チームの一員として初のハワイ遠征を果たし、4番を打った。 身長174cmは当時としては大型で、高校屈指の強打の捕手として中日、大映、東映、大洋などが獲得合戦を繰り広げたが、卒業後の1956年に西鉄ライオンズへ入団。
山田 卓生(やまだ たかお、1937年4月12日 - 201… 山田 卓生(やまだ たかお、1937年4月12日 - 2013年10月25日)は、日本の法学者。専門は民法・法社会学。横浜国立大学名誉教授。弁護士。来栖三郎門下。 愛知県名古屋市出身。1956年愛知県立瑞陵高等学校卒業。1960年東京大学法学部卒業。1962年東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。1973年ハーバード・ロー・スクール修了(LLM)。1962年東京大学社会科学研究所助手、1967年中央大学法学部専任講師、1968年同助教授、1974年同教授、1980年横浜国立大学経済学部教授、1994年同留学生センター長、1998年日本大学法学部教授、2004年日本大学大学院法務研究科教授、2008年同退職、あさひ法律事務所顧問を歴任。
太佐 順(たさ じゅん、1937年(昭和12年)4月12日 … 太佐 順(たさ じゅん、1937年(昭和12年)4月12日 - )は、日本の作家。 鹿児島県肝属郡内之浦町(肝付町)出身。本名・順一。週刊誌記者、PR誌編集、出版社等に勤務。『新潮』『すばる』他の文芸誌に作品を発表。1974年(昭和49年)『季刊藝術』に掲載した「『父』の年輪」で芥川賞候補になる。1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙・鹿児島選挙区に進歩党公認で出馬、落選した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
森田 次夫(もりた つぐお、1937年4月11日 - 202… 森田 次夫(もりた つぐお、1937年4月11日 - 2020年4月2日)は、日本の政治家、元参議院議員(1期)。 東京都出身。1956年東京都立第四商業高等学校卒。1957年日本遺族会に入り、同事務局長を経て、1994年専務理事になる。1998年の第18回参議院議員通常選挙で自民党から比例区に立候補して当選。2000年日本遺族会副会長に就任。2002年の第1次小泉第1次改造内閣で厚生労働政務官に就任。2004年の第20回参議院議員通常選挙に立候補せず政界から引退。2006年に靖国神社総代に就任。 2012年から日本遺族会の会長代行を務めた。 2020年4月2日、膵臓がんのため、東京都内で死去。
加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月1… 加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント、ギタリスト、ピアニスト、ウクレレ演奏者、画家。本名、池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは、若大将。作曲家として、弾 厚作(だん こうさく)のペンネームを用いる。 神奈川県横浜市生まれ、茅ヶ崎市出身。公益財団法人日本セーリング連盟応援団長、文化功労者。勲等は旭日小綬章。 父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。妹は池端亮子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である。 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月までいた。
櫻木 晶(、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日… 櫻木 晶(、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の映画美術監督。和歌山県出身。日本映画美術監督協会特別会員。 1961年に、東宝へ美術助手として入社。黒澤明や市川崑らの監督作品に携わったのち、1984年に映画『ゴジラ』にて美術デザイナーとして一本立ちした。1997年4月、定年退職しフリーとなる。 美術監督としては、セットのクオリティの高さを第一に掲げていた。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
寺島 泰(てらしま ゆたか、1937年4月10日 – 201… 寺島 泰(てらしま ゆたか、1937年4月10日 – 2019年9月12日)は、日本の環境衛生工学者。大阪産業大学教授。京都大学名誉教授。 福井県小浜市出身。1960年京都大学工学部土木工学科卒業。 1976年工学部教授に就任。専門分野は環境衛生工学。2001年、定年により退職。 2017年、瑞宝中綬章を受章。
松山 恵子(まつやま けいこ、1937年〈昭和12年〉4月1… 松山 恵子(まつやま けいこ、1937年〈昭和12年〉4月10日 - 2006年〈平成18年〉5月7日)は、日本の演歌歌手。本名:岡崎 恒好(おかざき つねこ)。庶民派で知られ、「お恵ちゃん」(おけいちゃん)の愛称で幅広いファンに親しまれた。裾の幅が広いフリフリのドレスにハンカチがトレードマーク。所属レコード会社は日本マーキュリーレコード⇒東芝レコード。 1937年、福岡県戸畑市(現在の福岡県北九州市戸畑区)で生まれる。生後すぐに父の仕事の関係から東京へ引っ越すが、終戦後の食糧難のため、父の故郷の愛媛県宇和島市へ引っ越す。 中学2年生で出場した「日本コロムビア全国歌謡コンクール」で10位入賞を果たし、関係者の注目を集めた。
石 弘光(いし ひろみつ、1937年4月9日 - 2018年… 石 弘光(いし ひろみつ、1937年4月9日 - 2018年8月25日)は、日本の経済学者。専門は財政学。学位は、経済学博士(一橋大学・論文博士・1977年)(学位論文「財政構造の安定効果 : ビルトイン・スタビライザーの分析」)。一橋大学名誉教授(第14代学長)、放送大学名誉学長(第6代学長)、中国人民大学名誉教授。オックスフォード大学客員教授、政府税制調査会会長なども務めた。 東京府(現・東京都)出身。父は教育学者(学校経営学)の石三次郎(元全国家庭科教育協会長・東京教育大学(現筑波大学)教授)。環境ジャーナリストの石弘之(元東京大学教授)は弟。末弟の石和久は日本の医師、医学博士であり順天堂大学名誉教授。
湊谷 武雄(みなとや たけお、1937年4月9日 - )は福… 湊谷 武雄(みなとや たけお、1937年4月9日 - )は福井県出身の元プロ野球選手、横浜ベイスターズ代表取締役(1997 - 2003年)。選手時代の姓は松井。 福井県立若狭高等学校では1955年、エースとして甲子園に春夏連続出場を果たす。春の選抜では準々決勝に進むが、県尼崎高の今津光男投手に完封を喫する。同年の春季北信越地区大会県予選決勝で、武生高を相手にノーヒットノーランを達成。北信越地区大会でも決勝で大町南高を降し優勝した。同年夏の選手権では、2回戦で立命館高の富永格郎投手に抑えられ敗退。カーブ、ドロップ、シュートが武器だった。高校同期には、後にプロで同僚となる遊撃手の浜中祥和がいた。 1956年に投手として大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。
寺田 縉太郎(てらだ しんたろう、1937年(昭和12年)4… 寺田 縉太郎(てらだ しんたろう、1937年(昭和12年)4月9日 - )は、日本の実業家。BPカストロール名誉会長。ペトロルブ・インターナショナル名誉会長。曽祖父は浅野財閥の創始者・浅野総一郎。Sansan創業者兼代表取締役社長の寺田親弘は三男。 東京都出身。富士産業会長を務めた寺田統一郎の長男として誕生。戦時中は岐阜県揖斐郡に集団疎開を経験した。 1961年(昭和36年)慶応義塾大学経済学部卒業、同年日本石油に勤務。1978年(昭和53年)9月ペトロルブ・インターナショナルを設立し、社長、会長、名誉会長を歴任。 名前の「縉」は中国のめでたい席に必ず飾る赤い絹を指し、縁起のよい意味をとって名が付けられた。
八木橋 惇夫(やぎはし あつお、1937年4月8日 - )は… 八木橋 惇夫(やぎはし あつお、1937年4月8日 - )は、日本の官僚。環境事務次官、商工組合中央金庫副理事長、沖縄振興開発金融公庫理事長などを務めた。
稲尾 義文(いなお よしふみ、1937年4月8日 - )は、… 稲尾 義文(いなお よしふみ、1937年4月8日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(内野手)。 鎮西学院高から社会人野球の日炭高松を経て、1961年に広島カープへ入団。 1964年限りで、現役を引退。
植草益(うえくさ ます、1937年4月8日-2019年 )は… 植草益(うえくさ ます、1937年4月8日-2019年 )は、日本の経済学者、東京大学名誉教授。 神奈川県鎌倉市大船生まれ。1962年慶應義塾大学経済学部卒、1967年同大学院博士課程中退、1983年「産業組織論」で東京大学経済学博士。東京大学経済学部教授を務め、1998年定年退官、名誉教授、東洋大学経済学部教授。2006年退職。1983年『産業組織論』で日経・経済図書文化賞受賞。1984年交通図書賞、1992年テレコム社会科学賞、1995年エネルギー・フォーラム賞、1998年公益事業学会賞受賞。日本経済政策学会会長を務めた。
岩本 由輝(いわもと よしてる、1937年4月8日 - )は… 岩本 由輝(いわもと よしてる、1937年4月8日 - )は、日本の経済学者・歴史学者、東北学院大学名誉教授。専門は歴史経済学。 東京府東京市中野区東中野(現・東京都中野区)に生れる。1961年東北大学経済学部卒業。1967年同大学院経済学研究科博士課程修了、「近世漁村の共同体の変遷 商品経済の進展と村落共同体」で経済学博士の学位を取得。同年山形大学講師、助教授、教授、1988年東北学院大学教授。2005年比較家族史学会会長。2011年退任、名誉教授。