北田 卓史(きただ たくし 1921年1月12日 - 199… 北田 卓史(きただ たくし 1921年1月12日 - 1992年8月24日)は、日本のイラストレーター。本名、北田孝幸。 東京都に生まれ、東京工業専修学校機械科(今の東京工業大学附属科学技術高等学校)卒業。 児童文学の挿絵を多数描いた。マジックのような単一な線、四角い眼、無機質な表情、大人を描いても手足が短い子供のような頭身などが特徴。 乗り物をテーマにした作品が多い。中でもタクシーが好きで、代表作の一つ「車のいろは空のいろシリーズ」もタクシーの話。卓史は本名でなく、タクシーから命名したとされる。イラスト右下の署名は「TAXI」。 児童美術科連盟会員。1958年と1959年に日本童画会賞、1962年に小学館絵画賞佳作賞を受賞。
木村 勉(きむら つとむ、1921年1月12日 - 生死不明… 木村 勉(きむら つとむ、1921年1月12日 - 生死不明)は、和歌山県出身のプロ野球選手(外野手)。 粉河中学ではエースを務め、1学年下の伊勢川真澄とバッテリーを組んでいた。 1939年に南海軍に投手として入団するが、この年は僅か3試合の出場に留まる。なお、この年は鶴岡一人や岡村俊昭といった、後にコーチや監督として南海黄金期を支える人物も入団している。2年目から外野手に転向すると出場が増加し始め、3年目の1941年には捕手に転向。そこでレギュラーとなるが、その年末に応召。 戦後の1946年に南海改め近畿グレートリングに復帰するも、1年で解雇。翌1947年に国民リーグの唐崎クラウンに数少ないプロ野球経験者として入団。
江見 康一(えみ こういち、1921年(大正10年)1月12… 江見 康一(えみ こういち、1921年(大正10年)1月12日 - 2011年12月22日)は日本の経済学者。財政学専攻。生存科学研究所理事長。一橋大学・帝京大学名誉教授。
三國(三国) 一朗(みくに いちろう、1921年1月12日 … 三國(三国) 一朗(みくに いちろう、1921年1月12日 - 2000年9月15日)は、日本の放送タレント、エッセイストである。
遠藤 正介(えんどう しょうすけ、1921年〈大正10年〉1… 遠藤 正介(えんどう しょうすけ、1921年〈大正10年〉1月12日 - 1977年〈昭和52年〉5月4日)は、日本の官僚、実業家。妻は、遠藤マツ子。遠藤周作は、実弟。ペンネームは吹田紀夫。 鳥取県生まれ。1926年、父常久の転勤(第三国立銀行から安田銀行)で、一家で満洲関東州大連に移る。1935年6月23日、カトリック夙川教会聖テレジア大聖堂で主任司祭永田辰之助神父より兄弟で受洗。1933年、旧制灘中学校に入学。四修で第一高等学校に合格。1942年に東京帝国大学法学部を卒業し逓信省へ入省、1971年に電電公社理事、1973年に総務理事に就任。1977年2月に田村電機製作所社長に内定。趣味は、ゴルフ、観劇。
脇本 平也(わきもと つねや、1921年1月11日- 200… 脇本 平也(わきもと つねや、1921年1月11日- 2008年10月24日)は、日本の宗教学者、東京大学名誉教授(文学部)。 岡山県生まれ。1944年東京帝国大学文学部宗教学科卒業。 立教大学助教授を経て、1964年東京大学文学部助教授(宗教学)就任、70年教授に昇任、81年に定年退官し名誉教授、駒澤大学教授、国際宗教学研究所理事長。 1989年に紫綬褒章受章。94年秋、勲三等瑞宝章受勲。
江幡 修三(えばた しゅうぞう、1921年1月11日 - 2… 江幡 修三(えばた しゅうぞう、1921年1月11日 - 2009年6月3日)は、日本の法曹。検事総長。弁護士。 富山県魚津市出身。旧制富山高等学校を経て、1943年東京帝国大学法学部卒。東京地検総務部長、札幌地検検事正、東京高検検事長などを歴任し、1983年12月から2年間、検事総長。 財田川事件、松山事件の再審無罪判決に対し、控訴見送りを指示した。1976年のロッキード事件では最高検検事として捜査。1979年のダグラス・グラマン事件では、東京地検検事正として捜査を指揮した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
土居 良三(どい りょうぞう、1921年1月11日 - 20… 土居 良三(どい りょうぞう、1921年1月11日 - 2005年5月15日)は、日本の伝記作家。 東京生まれ。第一高等学校、東京帝国大学法学部を卒業。学徒出陣の一員で武山海兵団に入団。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。第二海軍衣糧廠(姫路市)被服部材成部員付兼運輸主任として勤務。1945年(昭和20年)9月に主計中尉に進み、同年10月、予備役に編入され解員(復員)。 戦後は実業界で、テキスタイル・コンサルティング代表取締役等を務めた。 軍艦奉行・木村摂津守(木村芥舟)の従者として咸臨丸に搭乗し、太平洋を渡り渡米した長尾幸作の曾孫で、その航海日誌『鴻目魁耳』を手がかりに、『咸臨丸海を渡る』を著し、1994年に和辻哲郎文化賞受賞。
中川 正文(なかがわ まさふみ、1921年1月11日 - 2… 中川 正文(なかがわ まさふみ、1921年1月11日 - 2011年10月13日)は、日本の児童文学作家、児童文化研究者。財団法人大阪国際児童文学館特別顧問、京都女子大学名誉教授、大阪府立国際児童文学館名誉館長。 京都女子大学教授、日本児童文学学会会長、日本保育学会理事、大阪府立国際児童文学館館長、財団法人大阪国際児童文学館理事長などを歴任した。 奈良県出身。生家は寺院であり、その長男として誕生した。早熟であり、中学生にして習作を手がけるなど、幼いころから創作活動に取り組んでいた。その結果、18歳にして自らの作品で原稿料を得ていた。1949年、龍谷大学文学部国文学科を卒業した。 1949年より京都女子大学に勤務し、同教授を経て、大阪府立国際児童文学館の館長を務めた。
宇佐ノ山 英策(うさのやま えいさく、1921年1月11日 … 宇佐ノ山 英策(うさのやま えいさく、1921年1月11日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。立浪部屋→双葉山道場→時津風部屋所属。本名は永松 英策。最高位は十両9枚目。 大分県宇佐郡四日市町(現宇佐市)出身。立浪部屋に入門し、1938年5月本名の「永松」で初土俵を踏む。同郷で部屋の横綱双葉山が独立し、双葉山道場(のち時津風部屋)を興すと移籍した。1943年5月で十両に昇進したが、一度も勝ち越すことなく最後の十両だった1947年5月で廃業した。
伊藤 慎一(いとう しんいち、1921年1月10日 - 20… 伊藤 慎一(いとう しんいち、1921年1月10日 - 2014年10月20日)は、新聞学者。 神戸市出身。1944年東京帝国大学文学部卒。1947年サン写真新聞入社、1950年日本新聞協会に入り、放送課長、編集課長、調査委員、1970年東京大学新聞研究所教授、76年同所長、81年定年退官、名誉教授、文教大学教授、1988年帝京大学教授。91年退職。
佐野 正一(さの しょういち、1921年(大正10年)1月1… 佐野 正一(さの しょういち、1921年(大正10年)1月10日 - 2014年(平成26年)3月20日)は、日本の建築家。大阪市生まれ。建築家安井武雄は岳父。 1942年(昭和17年)に東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、鉄道省(当時)に入省、海軍技術将校(建築部門)を経て1945年(昭和20年)に復員、運輸省、国鉄などで勤務。1955年(昭和30年)安井建築設計事務所に入社。1961年(昭和36年)同社社長に就任。その他、日本建築協会名誉会長、大阪府建築士事務所協会会長、日本建築士事務所協会連合会名誉会長、日本建築家協会関西支部顧問、建築審議会委員などを歴任。 2014年3月20日午前8時30分、腎臓疾患のため兵庫県西宮市の病院で死去。
助川 良平(すけかわ りょうへい、1921年〈大正10年〉1… 助川 良平(すけかわ りょうへい、1921年〈大正10年〉1月10日 - 1959年〈昭和34年〉6月15日)は、日本の衆議院議員(自由党→自由民主党)。 福島県田村郡片曾根村(船引町を経て現田村市)出身。父は衆議院議員を5期務め、農業政策の専門家として知られた立憲政友会所属の政治家・助川啓四郎。 東京帝国大学法学部政治学科卒業。福島県議会議員を経て1953年の第26回衆議院議員総選挙に自由党公認で立候補し初当選。以降連続3回総選挙に当選した。 父・啓四郎が農政を専門としていたことから、良平も農政のエキスパートとなり、自由党政調会農林部長・自由民主党産業局農林部長等を歴任した。 しかし1959年に入ってから病状が悪化し、福島県立医科大学附属病院に入院する。
飯島 晴子(いいじま はるこ、1921年〈大正10年〉1月9… 飯島 晴子(いいじま はるこ、1921年〈大正10年〉1月9日 - 2000年〈平成12年〉6月6日)は、俳人。 京都府出身、京都府立京都第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)、田中千代服装学院卒。卒業後は服飾関係の仕事に従事。1959年、夫の代理で『馬酔木』の俳句会に出席したことをきっかけに38歳から句作をはじめる。能村登四郎の指導を受け、1960年より『馬酔木』に投句。1964年、『鷹』創刊より同人、代表同人の藤田湘子(のち主宰)を補佐した。1966年、第1回鷹俳句賞を受賞、以後同結社の代表作家として活躍。1970年より現代俳句協会会員。1997年、第六句集『儚々』(ぼうぼう)により第31回蛇笏賞を受賞。
青木 外志夫(あおき としお、1921年1月8日 - 200… 青木 外志夫(あおき としお、1921年1月8日 - 2006年9月6日 )は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。元経済地理学会会長。 孫はメモリーアスリートの青木健。 滋賀県犬上郡彦根町(現・彦根市)生まれ。旧制・滋賀県立彦根中学校(現・滋賀県立彦根東高等学校)を経て、1941年に旧制・彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)を卒業。同年、旧制・東京商科大学(現・一橋大学)に進学するも、1943年12月、学徒出陣により歩兵第一五一連隊に応召。1944年に半年繰上げで卒業となる。1945年9月に歩兵第四四三連隊より復員し、1949年東京商科大学研究科に特別研究生として入学。1954年に同研究科(5年課程)を修了後、一橋大学経済学部助手、専任講師、助教授を経て、1965年に教授昇任。
金 英煥(キム・ヨンファン、김영환、1921年1月8日 - … 金 英煥(キム・ヨンファン、김영환、1921年1月8日 - 1954年3月4日)は、大韓民国の軍人。韓国空軍創設者の1人。父に金埈元。兄に金貞烈。 1921年1月 に生まれる。1939年3月、京畿公立高等学校卒業。卒業後は津田沼飛行学校に入学。1944年、関西大学入学。航空部におり、学生航空の鳥人として有名であったという。1945年、学徒出陣して陸軍予備士官学校に入学。卒業後は砲兵少尉となり咸興地区で終戦を迎えた。 1946年1月、軍事英語学校卒業、任少尉(軍番10016番)。第6連隊の創設に参加して同連隊A中隊長。隊員の多くが共産主義で意見が合わず、ついに集団で殴打される事件が起きると中隊長を辞した。
村上 一平(むらかみ いっぺい、大正10年(1922年)1月… 村上 一平(むらかみ いっぺい、大正10年(1922年)1月8日 - )は、日本の実業家。医療法人 同愛会 博愛病院理事長。ハクアイ社長。裁判所調停委員。 元米子市長野坂寛治は、父常三のいとこにあたる 鳥取県米子市尾高町出身。 啓成小学校、米子中学校(現在の米子東高校)を経て昭和19年(1944年)京都帝国大学経済学部卒業。昭和21年(1946年)米子市国民健康保険組合常務理事。昭和23年(1948年)米子信用金庫勤務、昭和29年(1954年)米子駅前支店長(初代)、昭和33年(1958年)米子西支店長。 昭和36年(1961年)市長である野坂が大山観光開発の社長になったので手伝うために入社する。
岩崎 允胤(いわさき ちかつぐ、1921年(大正10年)1月… 岩崎 允胤(いわさき ちかつぐ、1921年(大正10年)1月7日 - 2009年(平成21年)8月9日)は、日本の哲学者。一橋大学名誉教授。日本平和委員会代表理事、唯物論研究協会委員長等を歴任。 東京市本郷区生まれ。第一高等学校卒、1943年東京帝国大学法学部卒業。1949年東京大学文学部卒業。北海道大学文学部助教授、教授、1973年一橋大学社会学部教授、1980年唯物論研究協会委員長。1984年定年退官、名誉教授、大阪経済法科大学教授。日本平和委員会代表理事等を歴任した。 日本共産党の出隆(のちに共産党を除名)に師事して古代ギリシア哲学を専門としたが、左翼的立場にたち、梅原猛や河合隼雄を批判、また歴史に取材した戯曲や小説も書いた。
久万 俊二郎(くま しゅんじろう、1921年1月6日 - 2… 久万 俊二郎(くま しゅんじろう、1921年1月6日 - 2011年9月9日)は、日本の実業家。 阪神電気鉄道代表取締役社長・会長・取締役相談役、阪神タイガースオーナーを歴任した。 戸籍上の表記は久萬俊二郎。 兵庫県神戸市生まれ、高知県高知市出身。神戸一中、旧制高知高等学校を経て、戦時中の学徒出陣により東京帝国大学法学部を仮卒業後、戦争も熾烈になってきた1945年3月、一個中隊を率いて玉砕寸前まで戦った元海軍将校。 1946年に阪神電鉄入社。1978年取締役就任、1982年社長昇格。1992年から会長。1984年から阪神タイガースのオーナーを、明治大学・一場靖弘の、いわゆる「裏金問題」で辞任するまで20年間にわたり務めた。
黒木 曜子(くろき ようこ、1921年(大正10年)1月6日… 黒木 曜子(くろき ようこ、1921年(大正10年)1月6日 - 1959年(昭和34年)2月18日)は日本の歌手。本名は井関富沙子。
会津 伸(あいづ しん、1921年1月6日 - 2005年1… 会津 伸(あいづ しん、1921年1月6日 - 2005年12月31日)は、日本のドイツ文学者。 東京生まれ。1942年東京帝国大学文学部独文科卒、1949年東北大学文学部助教授、1961年から1963年スイスと西ドイツに学ぶ。1966年神戸大学文学部教授、1971年京都府立大学教授、1984年定年退官、名誉教授、愛知大学客員教授。1991年退職。
山崎 敬(やまざき たかし、1921年1月6日 - 2007… 山崎 敬(やまざき たかし、1921年1月6日 - 2007年2月2日)は日本の植物学者である。 小田原で生まれ、横浜で育つ。旧制新潟高校を経て、1944年に東京帝国大学を卒業した。植物分類学の本田正次の研究室で研究を続けた。1954年から東京大学講師、1972年から東京大学付属植物園助教授、1980年、教授。 1960年代にブータンでの現地調査や、小笠原諸島の学術調査に参加した。ゴマノハグサ科、ツツジ科などの分類群を研究し、早田文蔵の残したインドシナ採集標本の整理をすすめた。 1987年から1988年の間、日本植物分類学会の会長を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
井上 信也(いのうえ しんや、ラテン文字: Shinya I… 井上 信也(いのうえ しんや、ラテン文字: Shinya Inoué、1921年1月5日 - 2019年9月30日)は、日本出身の生物学者、顕微鏡学者。アメリカ合衆国国籍。駐ハンガリー公使井上庚二郎の長男としてイギリス・ロンドンで出生。末妹はピアニストの井上二葉。 細胞生物学における偏光顕微鏡、ビデオ顕微鏡の開祖とされ、著書「Video Microscopy」は、顕微鏡学者必携の名著である。井上以前には存在を疑問視すらされた紡錘体を直接観察することにより、その存在を最終的に証明し、長年にわたる論争に終止符を打った。また、レクチファイ偏光光学系など、偏光顕微鏡をはじめ各種の顕微鏡の革命的な技術を発明・開発してきた。
中田 一次(なかだ かずつぐ、1921年1月5日 - 200… 中田 一次(なかだ かずつぐ、1921年1月5日 - 2001年4月9日)は、日本の作曲家、指揮者、ファゴット奏者。童謡や宗教曲(キリスト教)などの作曲で知られる。筆名は楫山つとむ。 東京府豊多摩郡(後の東京市、現在の東京都渋谷区)出身東京音楽学校卒業。山形大学音楽科教授を経て、昭和音楽大学短期大学部名誉教授も務めた。日本フィルハーモニー交響楽団、東京管楽器協会などでファゴットとコントラファゴットを演奏、晩年は日本ファゴット(バスーン)協会会長を務めた。バッハ等古典作品のダブルリード合奏のための編曲も多く、またNHKラジオ「音楽の泉」テーマ曲として昭和30年代から40年代に流れたシューベルト「楽興の時」の編曲者でもある(番組テーマは後にピアノ独奏のものに変更。
御手洗 玄洋(みたらい げんよう、1921年〈大正10年〉1… 御手洗 玄洋(みたらい げんよう、1921年〈大正10年〉1月5日 - 2015年〈平成27年〉6月28日)は、日本の医学者。名古屋大学名誉教授。宇宙医学と視覚生理学の分野での功績で知られている。1995年(平成7年)、勲三等旭日中綬章受章。大分県佐伯市出身。 私生活では俳句と書道を嗜んだ。肺炎療養中であった俳人の山口誓子と知り合い、俳句を学んだ。 伯父はキヤノン創設者の御手洗毅。弟の御手洗冨士夫はキヤノン会長兼社長を務める。元キヤノン社長の御手洗肇は従兄にあたる。
内藤 初穂(ないとう はつほ、1921年1月3日 - 201… 内藤 初穂(ないとう はつほ、1921年1月3日 - 2011年10月20日)は、日本のノンフィクション作家。帝国海軍技術大尉。父内藤濯は仏文学者で『星の王子さま』の初訳者で著名。
賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日… 賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日 - 1991年〈平成3年〉2月20日)は、日本の女優、演出家。本名は塚原 初子。 文学座に入座して多くの舞台に立ち、地味な老け役で活躍した。喜びの琴事件で文学座を脱退後は劇団NLTを結成してその主宰となり、フランス喜劇の上演に意欲を燃やした。舞台のほか映画、テレビドラマへの出演も多い。メイクアップ技術の研究家としても有名で、入門書を出版している。主な出演舞台に『二十六番館』『島』、映画に『流れる』『女の歴史』など。演出家として『ロマノフとジュリエット』なども発表している。 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市牛込区余丁町(現在の東京都新宿区余丁町)に生まれる。
岡本 則一(おかもと のりかず、1921年 <大正10年> … 岡本 則一(おかもと のりかず、1921年 <大正10年> 1月3日 - 1994年 <平成6年> 6月3日)は、日本の経営者。安田生命保険社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1943年に東京商科大学を卒業し、1946年に安田生命保険に入社。1965年に財務部長に就任し、1969年5月に取締役、1972年12月に常務、1979年7月に専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1985年7月には社長に昇格。1993年4月には会長に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1994年6月3日急性心不全のために死去。73歳没。死没日付をもって正七位から従四位に進階した。
小山 路男(こやま みちお、1921年1月3日 - 1995… 小山 路男(こやま みちお、1921年1月3日 - 1995年1月10日)は、日本の社会保障学者。学位は、経済学博士(関西学院大学)。横浜市立大学経済研究所所長、上智大学社会福祉学科教授、社会保障研究所(現国立社会保障・人口問題研究所)所長などを歴任。 東京府東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。1941年(昭和16年)東京商科大学(現一橋大学)予科卒、1943年(昭和18年)同学部卒、1945年(昭和20年)同大学院特別研究生修了、東京産業大学助手。 1950年(昭和25年)横浜市立大学経済研究所助教授、1964年(昭和39年)教授。 1965年(昭和40年)「イギリス救貧法史論」で関西学院大学より経済学博士の学位を取得。
赤坂 長義(あかさか ながよし / -ちょうぎ、1921年1… 赤坂 長義(あかさか ながよし / -ちょうぎ、1921年1月3日 - 1994年6月26日)は、日本の脚本家、映画監督、テレビドラマ演出家、著述家、大学教官である。日本映像学会会員。 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市神田区小川町(現在の東京都千代田区神田小川町)に、神保町の東京堂(現在の東京堂書店)支配人の子息として生まれる。 旧制・第一高等学校在学時の1940年(昭和15年)に、橋川文三と同級であり、橋川に保田與重郎の『後鳥羽院』等の著作を勧めている。自らも詩作を行い、『歴程』同人であった。第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)、同校を卒業して東京帝国大学(現在の東京大学)文学部に進学した。
神尾季羊(かみお きよう、1921年1月2日 - 1997年… 神尾季羊(かみお きよう、1921年1月2日 - 1997年6月16日)は、俳人。愛媛県松山市出身。本名・匡。神尾久美子は妻。宮崎商業学校卒。宮崎神宮嘱託。1946年『ホトトギス』の高浜虚子に師事。1950年『菜穀美』の野見山朱鳥に師事し同人となる。1954年『椎の実』主催。73年『鷹』の藤田湘子に師事。1971年宮崎県文化賞受賞。宮崎県俳句協会名誉顧問。
有坂 隆道(ありさか たかみち、1921年1月2日 - 20… 有坂 隆道(ありさか たかみち、1921年1月2日 - 2004年6月18日)は、日本の歴史学者、関西大学名誉教授。専門は日本近世史。 1921年、東京生まれ。京都帝国大学文学部史学科で国史を専攻して卒業。1979年に学位論文『日本洋学史の基礎的研究』を関西大学に提出して文学博士の学位を取得。関西大学文学部助教授、後に教授。1992年に関西大学を定年退職し、名誉教授となった。 山片蟠桃や麻田剛立など日本洋学史を研究。古代史研究も行う。
中島 健吉(なかじま けんきち、1921年1月2日 - 20… 中島 健吉(なかじま けんきち、1921年1月2日 - 2011年12月13日)は、日本の実業家。平和の創業者。 群馬県出身。拓殖大学商経済学部を卒業。 1949年に平和商会(のちの平和)を創業し、社長に就任。1992年5月に会長を経て、2003年3月には名誉会長に就任。 1963年に藍綬褒章を受章し、1964年に紺綬褒章を受章。
スマイリー小原(スマイリーおはら、1921年1月2日 - 1… スマイリー小原(スマイリーおはら、1921年1月2日 - 1984年4月30日)は、日本のジャズミュージシャン、指揮者である。小原真澄名義での活動もあった。本名栗原照夫。神奈川県中郡秦野町(現在の秦野市)生まれ、横浜市中区山手育ち。 印刷業組合長などを務めた横浜の有力者栗原佐輔の子として生まれる。佐輔は木曾義仲の忠臣・樋口兼光が先祖という曽屋の旧家栗原林太郎家に1881年12月23日に生まれ、26歳で横浜に出て横浜市中区松影町に於いて印刷業を始めた。 照夫(=スマイリー小原)は少年時代からスポーツ万能で、寿尋常小学校卒業後、旧制本牧中学校に入学し野球部に入部。ポジションはファーストで、苅田久徳コーチの指導のもと、若林忠志や劉瀬章と共にプレイしている。
岡田 純一(おかだ じゅんいち、1921年1月2日 - 19… 岡田 純一(おかだ じゅんいち、1921年1月2日 - 1988年1月20日)は、日本の経済学者。 東京市小石川区(現東京都文京区)生まれ。1944年早稲田大学政治経済学部経済学科卒。1966年「経済学における人間像」で関西学院大学経済学博士。白百合短期大学助教授、聖心女子大学助教授、早稲田大学商学部教授を務め、在職中に67歳で死去した。キリスト教に関心が深かった。
七代目 春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし、1921… 七代目 春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし、1921年1月2日 - 1962年9月27日)は、落語家。本名∶染谷 晴三郎。出囃子は『喜撰』。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)、一時TBSの専属だった時期もある。俗に『染谷の小柳枝』。 軽く飄々とした芸風で「甲府い」「野ざらし」などを得意とした。大食漢であったが、それがもとで晩年は糖尿病と結核に悩まされたため、若くして没した。「医者から結核なので栄養をつけなきゃいけないってんですがね。そしたら糖尿がひどくなっちまうンで、あたしゃどうしたらいいんだ。」とこぼしていた。 性格は大変粗忽で物忘れ勘違いが多かったという。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。
村田 倉夫(むらた くらお、1921年(大正10年)1月1日… 村田 倉夫(むらた くらお、1921年(大正10年)1月1日 - 2015年(平成27年)3月21日)は、日本の実業家。京成電鉄第7代社長。 東京府豊多摩郡杉並村(現・東京都杉並区)高円寺に生まれる。 東京府立第二中学校(現東京都立立川高等学校)を経て、1940年東京商科大学(現一橋大学)予科へ。 1942年東京商科大学学部を卒業し、日本興業銀行に入行。翌年応召、東部軍経理部から南支方面へ主計将校として派遣される。 1947年に興銀復帰するが、最初の出向として1953年から1956年、旧中島飛行機グループなど5社が出資し、発足した直後の富士重工業へ。 2度目の出向は1964年、大商証券へ取締役として。
渡辺 博之(わたなべ ひろゆき、1921年1月1日 - 19… 渡辺 博之(わたなべ ひろゆき、1921年1月1日 - 1990年10月2日)は、大阪府大阪市阿倍野区出身のプロ野球選手(外野手、内野手)・監督。 旧制桃山中学校卒業後、同志社大学に進学し野球部に所属した。1941年と1942年春秋リーグ戦では関西六大学リーグ初優勝かつ4連覇(戦後まもなくの1946年春秋リーグ戦連覇で6連覇)に貢献するなどエースとして活躍。在学中に南海軍から入団の打診を受けるも拒否し、卒業後に応召を受ける。戦後は会社員として働くが、それから間もなく独立し、御堂筋に洋品雑貨の店を構えていた。これと並行してノンプロチーム「全大阪」に参加し、1946年から1948年まで3年連続で都市対抗に出場。
牧角 三郎(まきずみ さぶろう、1921年(大正10年)1月… 牧角 三郎(まきずみ さぶろう、1921年(大正10年)1月1日 - 2002年(平成14年)3月10日)は、日本の法医学者。医学博士、九州大学名誉教授、元日本法医学会会長。 九州大学医学部法医学教室に長く在籍し、薬毒物の分析法や血痕の簡易検査法の研究で成果を上げた。また、免田事件、島田事件、別府3億円保険金殺人事件などで法医学鑑定を手掛け、鳥取県科学捜査研究会顧問、福岡県科学捜査研究会常任理事、日本法医学会会長などを歴任した。 1921年(大正10年)1月1日、鹿児島県川辺郡知覧町に生まれた。 旧制鹿児島県立川辺中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、1945年(昭和20年)9月に九州帝国大学医学部を卒業し、第2外科・温泉治療学研究所を経て、1948年(昭和23年)6月に法医学教室に入局した。
桑原 啓善(くわはら ひろよし、1921年1月1日 - 20… 桑原 啓善(くわはら ひろよし、1921年1月1日 - 2013年7月22日)は、日本の詩人、心霊研究家。ペンネームは山波 言太郎(やまなみ げんたろう)。慶應義塾大学経済学部卒業。 学生時代に心霊研究の迷信を叩くことを試みるが、逆に心霊研究を正しいと考えるようになり、同研究の道に入る。心霊科学研究会を創設した浅野和三郎の後継者である脇長生に師事。1985年、任意団体「シルバー・バーチの会」(後のニューエイジ団体『生命の樹』)を設立し、「ネオ・スピリチュアリズム」を唱導する。 1992年、癒やしの力を持つ発声法として「リラ」を考案。人間の耳には聞こえない自然界の呼吸音が癒やしと生命力の回復になると考え、これを「自然音楽」と呼び、この自然音楽で人を癒やす「自然音楽療法」を1995年に開始。
小林 幸雄(こばやし ゆきお、1921年1月1日 - 201… 小林 幸雄(こばやし ゆきお、1921年1月1日 - 2012年6月11日)は、日本の経営者。北海道テレビ放送社長を務めた。東京都出身。 1944年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。召集され武山海兵団に入団。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、舞鶴経理部に配属。同年12月、海軍主計少尉に任官。小松基地第48魚雷調整班主計長に転じ、1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1946年1月に朝日新聞社に入社。東京本社週刊朝日編集部員、社会部員、西部本社社会部次長、福岡総局次長、東京本社通信部次長、同社会部次長、静岡支局長などを務めた。
羽坂 勇司(はさか ゆうじ、1921年1月1日 - 2020… 羽坂 勇司(はさか ゆうじ、1921年1月1日 - 2020年1月12日)は、日本の歯科医師、青山学院元理事長。 1921年東京都生まれ。青山学院中等部卒業、1941年に繰り上げで青山学院高等部卒業、陸軍に召集される。復員後は、現在の日本歯科大学で歯学を学び、さらに慶應義塾大学医学部で細菌学を研究し、1961年に医学博士号取得。論文の題は「ムタビール型変異菌(村瀬)の出現機序に関する研究 」。横浜市で開業し、横浜市磯子歯科医師会会長、同監事などを歴任。1977年から青山学院理事、1988年から青山学院校友会副会長などを歴任し、青山学院理事長に就任し、1990年~2005年までその職にあった。2007年旭日中綬章を受章。
小山 弘志(こやま ひろし、1921年1月1日 - 2011… 小山 弘志(こやま ひろし、1921年1月1日 - 2011年2月16日)は、国文学者。東京大学教養学部名誉教授。謡曲を専門とした。 東京生まれ。旧制一高を経て、1943年東京帝国大学国文科卒。戦後、東大教養学部教授を務め、1974-1976年教養学部長。1981年定年退官後は、国文学研究資料館館長を務めた。 2011年2月16日、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去。90歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
永井 博(ながい ひろし、1921年1月1日 - 2012年… 永井 博(ながい ひろし、1921年1月1日 - 2012年11月7日)は、日本の哲学者、筑波大学名誉教授、日本学士院会員。 1921年、愛知県で生まれた。東京文理科大学で学び、卒業。1959年、学位論文『数理の存在論的基礎』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。 卒業後は東京教育大学助教授に就いた。1978年より同大学は筑波大学となり、後に教授昇格。1984年に筑波大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は東海大学教授として教鞭をとった。1996年、日本学士院会員に選出された。2012年11月7日に死去。 専門は科学哲学、科学史。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
川井 正(かわい まさし、1921年(大正10年)1月1日 … 川井 正(かわい まさし、1921年(大正10年)1月1日 - 1991年(平成3年)4月27日)は、日本の作家。 東京(現在の東京都台東区)に生まれる。1943年(昭和18年)法政大学英文学科を卒業する。 TBSの放送部長、審議室委員などを経て、1976年(昭和51年)にTBSを退社、以後作家活動に入る。 1991年(平成3年)4月27日に死去、70歳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
牛尾 一弘(うしお かずひろ、1921年(大正10年)1月1… 牛尾 一弘(うしお かずひろ、1921年(大正10年)1月1日 - 2004年(平成16年)9月25日)は、日本の政治家。島根県江津市長(2期)。位階は正五位。 島根県那賀郡江津町(現・江津市)出身。1937年、島根県立江津工業学校(現・島根県立江津工業高等学校)卒。1966年、江津市議会議員に当選し、文教厚生、建設の各委員長、副議長を務める。1990年、江津市長に当選し、市長を2期務める。1998年、市長を退任する。1999年、勲四等旭日小綬章を受章する。2004年に死去。死没日付をもって正五位に叙された。
渡辺 敬蔵(わたなべ けいぞう、1921年 - 没年不明)は… 渡辺 敬蔵(わたなべ けいぞう、1921年 - 没年不明)は、秋田県出身の元プロ野球選手(外野手)。 秋田市立土崎商業学校(現・秋田市立秋田商業高校)では渡辺誠太郎と共に投手として活躍した。渡辺誠太郎とは後にプロ野球においてもチームメイトとなっている。卒業後の1942年に阪神軍に入団した。 シーズン途中に大洋軍(後の大洋ホエールズとは無関係)に移籍したが、同年引退した。
佐藤 俊夫(さとう としお、1921年 - )は、日本の倫理… 佐藤 俊夫(さとう としお、1921年 - )は、日本の倫理学者、東京大学名誉教授。 第一高等学校から1943年東京帝国大学文学部倫理学科卒。1950年東大教養学部講師、助教授、教授、1981年定年退官、名誉教授、信州大学教授。
岡田 富美也(おかだ ふみや、1921年 - )は、日本の外… 岡田 富美也(おかだ ふみや、1921年 - )は、日本の外交官、国際公務員。駐ジョルダン(ヨルダン)特命全権大使、北海道派遣特命全権大使、駐ポルトガル特命全権大使等を歴任した。 千葉県出身。成田中学校、第一高等学校文科甲類を経て、1948年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。1964年外務大臣官房書記官。1966年外務省国際連合局経済課長。1969年外務省経済局国際貿易課長。1970年外務省経済局外務参事官。 1971年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官。1972年在インド日本国大使館参事官。1974年外務大臣官房調査部外務参事官兼経済協力局。同年在オーストラリア日本国大使館公使。1976年在トロント日本国総領事館総領事。
三崎良周(みさき りょうしゅう、1921年-2010年)は、… 三崎良周(みさき りょうしゅう、1921年-2010年)は、天台宗の僧、仏教学者。 埼玉県生まれ。早稲田大学文学部卒。1981年「台密の研究」で早稲田大学より文学博士。早稲田大学文学部助教授、教授。91年定年、名誉教授。1980-91年早稲田大学仏教青年会会長。