和佐見 勝(わさみ まさる、1945年5月23日 - )は、… 和佐見 勝(わさみ まさる、1945年5月23日 - )は、日本の実業家。丸和運輸機関(現AZ-COM丸和HD)創業者・代表取締役社長最高経営責任者(CEO)。 埼玉県吉川市出身。実家は地主で農家。8人兄弟の6人目として生まれた。中学校入学後、吉川市の合同市場の青果市場でアルバイトし、卒業後は父親の反対を振り切り、高等学校に進学せず、日本橋の丸日青果八百正に就職。19歳で独立して、千葉県習志野市で青果仲買業を開業した。 21歳の時に東京進出を果たしたが、連帯保証人となった知人が自動車事故で死亡し、連帯債務返済のため24歳の時に店を失う。押してはいけない印をおしちまったんだ・・・と後に本人は語る。
小出 寛治(こいで かんじ、1945年5月22日 - )は、… 小出 寛治(こいで かんじ、1945年5月22日 - )は、日本の実業家。NTTグループの要職を歴任した。 長崎県出身。1968年東京大学法学部卒業後、日本電信電話公社に入社。1997年日本電信電話取締役を経て、2002年西日本電信電話副社長、2003年NTTデータ副社長、2005年NTTリース(後にNTTファイナンス)社長に就任。2007年にイーバンク銀行との業務提携を行った。2009年、同社取締役相談役に退いた。2014年度電気通信協会賞受賞。
井深 亮(いぶか まこと、1945年5月22日 - )は、日… 井深 亮(いぶか まこと、1945年5月22日 - )は、日本の実業家、ソニーPCL株式会社元専務取締役、社会福祉法人希望の家元理事長。 1945年5月22日、井深大(ソニー創業者の一人)と妻・勢喜子(前田多門の次女)の長男として生まれる。 麻布高等学校(現・麻布中学校・高等学校)を経て、1968年、立教大学理学部物理学科卒業。その後米国に留学しブラウン大学を修了。 立教大学3年次に、中学1年の時から別居状態であった両親が離婚したが、父の井深大は幼少期に父親を亡くしており、仕事が多忙であったため子供との付き合いに戸惑っていたことと、母は世間知らずのお嬢様育ちでプライドが高かったことに加え、母は父の前田多門と夫の井深大を比較するところがあり、それも両親が別れる一因であったとされる。
法木 秀雄(ほうぎ ひでお、1945年5月21日 - )は、… 法木 秀雄(ほうぎ ひでお、1945年5月21日 - )は、日本の実業家、経営学者。クライスラー日本法人代表取締役社長や、早稲田大学商学学術院教授を務めた。学位は、経営学修士(スタンフォード大学)。 千葉県木更津市富士見生まれ。 千葉県立木更津高等学校を経て、1969年一橋大学経済学部経済学科卒業、日産自動車入社。日産自動車村山工場総務部で人事及び日産自動車栃木工場建設を担当。その後本社で経営企画や経理を担当。1981年スタンフォード大学経営大学院 SLOAN Course修士課程修了、経営学修士。 1991年北米日産副社長。1992年BMW JAPAN常務取締役として、営業を担当。 1996年クライスラージャパン代表取締役社長、日本自動車輸入組合理事。
松下 芳夫(まつした よしお、1945年5月21日 - 20… 松下 芳夫(まつした よしお、1945年5月21日 - 2020年2月29日)は、大分県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 別府緑丘高校から電電近畿へ入社。都市対抗野球にチームは出場するも試合には出ていない。 1967年ドラフト会議で近鉄バファローズから5位指名を受け入団。 1軍出場は1968年の偵察メンバー1試合のみ。1969年に引退。
橋本 久義(はしもと ひさよし、1945年5月21日 - )… 橋本 久義(はしもと ひさよし、1945年5月21日 - )は、元官僚、工業経済学者、政策研究大学院大学名誉教授。 福井県生まれ。東京都立戸山高等学校卒、1969年東京大学工学部精密機械工学科卒業、通商産業省(現経済産業省)入省、1987年情報産業局鋳鍛造課長、1989年中小企業庁技術課長、1991年立地公害局立地指導課長、1993年工業技術院総括研究開発官、1994年8月埼玉大学教授(政策科学研究科)、1997年10月政策研究大学院大学教授(埼玉大学政策科学研究科が独立)、名誉教授・客員教授。
昔昔亭 桃太郎(せきせきてい ももたろう、1945年5月20… 昔昔亭 桃太郎(せきせきてい ももたろう、1945年5月20日 - 2025年12月28日)は、落語芸術協会所属の落語家。長野県小諸市出身。本名∶柳澤 尚心。出囃子∶『旧桃太郎の唄』。 長野県更級農業高等学校を卒業した[要出典]。 1965年6月、5代目春風亭柳昇に入門、前座名は「昇太」。1969年4月、二ツ目に昇進し、「春風亭とん橋」と改名。1972年、「笑橋」と改名。[要出典] 1981年10月、真打に昇進し、「3代目昔々亭桃太郎」と改名[要出典]。昔々亭桃太郎を名乗った落語家が何人いたか正確な数は不明だが、本人は「初代は鬼が島に行った人で、自分は三代目」と発言している(落語芸術協会のホームページや、本人のサインでは三代目となっている)。
八坂 恭介(やさか きょうすけ、1945年(昭和20年)5月… 八坂 恭介(やさか きょうすけ、1945年(昭和20年)5月20日 - )は、日本の政治家。前大分県杵築市長(新制)(2期)。元杵築市長(旧制)(1期)。元杵築市議会議員(5期)。旭日小綬章受章。 1964年(昭和39年)3月、大分県立杵築高等学校卒業。1968年(昭和43年)3月、日本大学法学部卒業。同年4月、美容師専門学校に就職し、事務局長に就任。1974年(昭和49年)、同校を退職。同年、株式会社協栄シスコムに入社。 1983年(昭和58年)、杵築市議会議員選挙に出馬し、初当選。以後5期連続当選。 2002年(平成14年)、杵築市長選挙に出馬し、初当選。 2005年(平成17年)10月1日、杵築市が隣接する速見郡山香町・西国東郡大田村と合併し、新制の杵築市が誕生した。
岩井 正浩(いわい まさひろ、1945年5月20日 - )は… 岩井 正浩(いわい まさひろ、1945年5月20日 - )は、日本の音楽学者、神戸大学名誉教授。 高知県生まれ[要出典]。1969年愛媛大学専攻科(音楽専攻)修了後、東京藝術大学研究員、愛媛大学助教授、神戸大学教育学部助教授、発達科学部教授、2011年定年退官、名誉教授、愛知淑徳大学教授[要出典]。 1995年「子どもの歌の音楽文化史的研究 日本伝統音楽を視座とした1900-1940年の展開」で神戸大学学術博士。
籔本 信裕(やぶもと のぶひろ、1945年5月19日 - … 籔本 信裕(やぶもと のぶひろ、1945年5月19日 - )は、日本の経営者。みなと銀行頭取を務めた。 兵庫県出身。1969年に京都大学法学部を卒業し、同年に神戸銀行に入行した。1999年6月にさくら銀行執行役員に就任し、2000年4月に常務、2001年4月にみなと銀行専務を経て、2006年6月に頭取に就任。2010年6月に会長に就任。
河田 悌一(かわた ていいち、1945年5月18日 - )は… 河田 悌一(かわた ていいち、1945年5月18日 - )は日本の中国哲学研究者。関西大学東京センター長(2021年4月1日~)。一般社団法人大学基金推進機構理事長(2020年9月1日~ ※一般社団法人大学資産共同運用機構から名称変更)。一般社団法人大学資産共同運用機構理事長(2018年7月1日~ 2020年8月31日)。日本私立学校振興・共済事業団理事長(2010年1月1日~2018年3月31日)。関西大学教授・学長(第38・39代)。専門は中国思想史、現代中国論。大阪大学博士(文学)。 1945年、京都府京都市生まれ。1958年、京都市立北白川小学校を卒業。同志社中学校に進み、1961年に卒業。
筒井 隆彌(つつい たかや、1945年〈昭和20年〉5月17… 筒井 隆彌(つつい たかや、1945年〈昭和20年〉5月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の愛知県議会議員。元愛知県議会副議長。藍綬褒章、旭日中綬章受章。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立千種小学校、名古屋市立今池中学校、東邦高等学校を経て、1968年(昭和43年)に日本大学法学部政治経済学科政治哲学専攻を卒業。在学中は日本大学雄弁会に所属し、全日本学生討論大会で内閣総理大臣杯を受賞した。 大学卒業後、橋本繁蔵参議院議員の秘書を経て、1975年(昭和50年)、愛知県議会議員選挙に当時最年少の29歳で初当選。以降自由民主党に所属し、名古屋市名東区選挙区選出の愛知県議会議員として活動した。
高橋 重行(たかはし しげゆき、1945年5月16日 - 2… 高橋 重行(たかはし しげゆき、1945年5月16日 - 2010年3月1日)は、千葉県旭市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。 千葉商業高校では監督に見込まれ、千葉市内に下宿していた。同期の仁礼豊と投の二本柱を組み、4番打者として1962年春季関東大会決勝に進むが、鎌倉学園の永田善一(大毎)に完封負けを喫する。鎌倉学園には竹之内雅史がいた。同年夏の甲子園千葉県予選でも準決勝に進出するが、習志野高に敗退。他の高校同期に遊撃手の鴇田忠夫、三塁手の江田昌司がいた。 夏の大会後に高校を中退し、大洋ホエールズへ入団。入団して2年間は一軍では投げられず、整理対象選手であった。1964年に別所毅彦ヘッドコーチから認められ、先発として速球と大きなカーブを武器に17勝を記録(シュートも投げたが、渡米前はおもに速球と大きなカーブで投球を組み立てていた)。
田中 保昭(たなか やすあき、1945年5月16日 - 20… 田中 保昭(たなか やすあき、1945年5月16日 - 2024年1月20日)は、日本の実業家。 広島県出身。広島大学附属高等学校、武蔵大学経済学部経営学科卒業。1968年、広島銀行入行。1974年に大和重工に入社し、取締役、住宅機器営業本部営業部長を経て、1983年に代表取締役社長。広島運輸代表取締役社長、バスストップ代表取締役社長も兼任。2019年に取締役会長。 2024年1月20日死去。78歳没。
遠藤 直哉(えんどう なおや、1945年(昭和20年)5月1… 遠藤 直哉(えんどう なおや、1945年(昭和20年)5月16日 - )は、日本の弁護士。フェアネス法律事務所代表。 弁護士法人フェアネス法律事務所の代表弁護士を務める。弁護士として、医療をはじめとする様々な分野でのソフトローによる社会改革を提唱する。特に医療の分野には造詣が深く、「刑事罰は謙抑的であるべきである。医療ミスがおきるたびに医師が逮捕されると他の医師が委縮し、必要な治療をすることにさえ逡巡する事態が懸念される」「刑事介入は一時的な予防になっても、長期的な改革を進めることにはならない。刑事事件の捜査や取り締まりは、密行性を持ち、閉鎖的で、手続きの透明性に欠ける。多様な議論をオープンにすることが困難なため、積極的かつ前向きな改善を検討する場にならない」等の自説を主張し、医療事件を刑事事件で裁くことに反対する。
岸本 晢夫(きしもと せきお、1945年5月16日 - )は… 岸本 晢夫(きしもと せきお、1945年5月16日 - )は、日本の経営者。北越コーポレーション社長を務めている。 東京都出身。1969年に東京大学経済学部を卒業し、同年4月に三菱商事に入社した。1995年7月に北越製紙に転じ、1999年6月に取締役に就任し、2001年6月に常務、2004年6月に専務を経て、2006年7月に副社長に就任し、2008年4月には社長に昇格。 2023年11月に秋の叙勲で旭日中綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
堀 啓二郎(ほり けいじろう、1945年5月16日 - )は… 堀 啓二郎(ほり けいじろう、1945年5月16日 - )は、日本の実業家、日商岩井株式会社(現・双日株式会社)元代表取締役専務執行役員・CFO、山九株式会社取締役。 1945年5月16日生まれ。1968年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、岩井産業株式会社入社。同年10月、日商株式会社と岩井産業株式会社合併により日商岩井株式会社(現・双日株式会社)に商号変更。 1993年6月、同社機械経理部長、1995年10月、主計部長、1996年4月、物資経理部長兼務、1999年1月、同社関連事業部部長、同年6月、監査役(常勤)に就任。2001年6月、同社執行役員に就任、2002年4月、管理ユニットリーダー、同年6月、常務執行役員に就任。
藤原 真(ふじわら まこと、1945年5月15日 - )は、… 藤原 真(ふじわら まこと、1945年5月15日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 西脇高校では当初、三塁手であったが、在学中に工業課程が西脇工業高校として独立したことで野球部も分離されると当時のエースは西脇工業の方へ移ったことで投手を始める。慶應義塾大学へ進学し投手へ転向。東京六大学野球リーグでは渡辺泰輔、佐藤元彦が卒業した2年生時から活躍。 1966年春季リーグでは慶大初の最下位という屈辱を味わう。 1967年春季リーグの優勝に貢献。121回を投げて、同季のベストナインに選出される。直後の全日本大学野球選手権大会では、決勝で中大の宮本幸信と投げ合うが、1-3で惜敗し準優勝にとどまる。
日高昭二(ひだか しょうじ、1945年5月15日 - )は、… 日高昭二(ひだか しょうじ、1945年5月15日 - )は、日本近代文学研究者、神奈川大学名誉教授。妻は歌人の日高堯子。
小川 弘文(おがわ ひろふみ、1945年5月15日 - )は… 小川 弘文(おがわ ひろふみ、1945年5月15日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
島田 伸也(しまだ しんや、1945年5月15日 - 201… 島田 伸也(しまだ しんや、1945年5月15日 - 2016年11月20日 )は、高知県出身の元プロ野球選手(内野手)、元競輪選手。
西澤 良記(にしざわ よしき、1945年5月15日 - )は… 西澤 良記(にしざわ よしき、1945年5月15日 - )は、日本の医学者、公立大学法人大阪初代理事長。 1970年、大阪市立大学医学部を卒業し、医学士取得。同年医師免許を取得し、1975年、大阪市立大学大学院医学研究科を修了。医学博士取得。 その後、同大学助教授、教授、大学院教授、附属病院副院長、医学部長兼大学院医学研究科長。 2007年8月より米国トーマス・ジェファーソン大学客員教授を務める。 2010年、公立大学法人大阪市立大学理事長兼大阪市立大学学長。2016年、医療法人蒼龍会井上病院名誉院長兼副理事長。 2019年より公立大学法人大阪理事長として、大阪府立大学と大阪市立大学の統合を担う。
鈴木 博之(すずき ひろゆき、1945年5月14日 - 20… 鈴木 博之(すずき ひろゆき、1945年5月14日 - 2014年2月3日)は、日本の建築史家。工学博士(東京大学・1984年)(学位論文「ヴィクトリアン・ゴシックの崩壊過程の研究」)。東京大学名誉教授。2005年紫綬褒章受章。位階は正四位、勲等は瑞宝中綬章。 東京大学工学部教授、東京大学大学院工学系研究科教授、青山学院大学総合文化政策学部教授、博物館明治村館長、公益財団法人明治村副理事長などを歴任した。 東京都生まれ。文京第一中学校、都立小石川高校を経て、1968年、東京大学工学部建築学科を卒業、大学院に進む。1974年に東京大学工学部の専任講師となる。1974年から1975年にかけて、ロンドン大学附属コートールド美術研究所に留学していた。
吉沢 秀和(よしざわ ひでかず、1945年5月13日 - 2… 吉沢 秀和(よしざわ ひでかず、1945年5月13日 - 2025年1月2日)は、長野県出身のプロ野球選手(投手)。1967年までの登録名は吉沢 勝。 実家は長野県で農家を営んでおり、親族がいたことから下宿して進んだ北海高等学校では2年生の時、控え投手として1962年の春夏の甲子園に出場。春の選抜では1回戦で御所工に敗退、吉沢の登板はなかった。夏の選手権では準々決勝に進み、伊藤久敏投手を擁する久留米商と対戦。先発した3年生エース松谷栄司が5回に負傷退場し、吉沢は急遽リリーフに立つが、9回に3点を取られ逆転負け。苦い甲子園デビューとなった。同年の岡山国体では1回戦で先発。作新学院の八木沢荘六、加藤斌に投げ勝ち完封勝利を飾る。
杉橋 陽一(すぎはし よういち、1945年5月13日 - )… 杉橋 陽一(すぎはし よういち、1945年5月13日 - )は、ドイツ文学者、俳句研究家。東京大学名誉教授。 東京生まれ。東京都立西高等学校卒、1969年東大文学部独文科卒、同大学院修士課程修了、1981年東大教養学部助教授、1992年教授。2009年退職。 1985-1987年、西ドイツのボッフム大学で講師。1992年『剥落する青空-細見綾子論』で俳人協会評論賞受賞。
山田 パンダ(やまだ パンダ、1945年〈昭和20年〉5月1… 山田 パンダ(やまだ パンダ、1945年〈昭和20年〉5月13日 - )は、フォークシンガー、元かぐや姫メンバーである。本名は山田嗣人(やまだ つぐと)、別名に山田つぐと。 佐賀県神埼郡千代田町大字崎村字黒津(現:神埼市)生まれ。のち福岡に移り、大牟田市立橘中学校を卒業、久留米大学附設高等学校(学力不振で中退)、福岡県立嘉穂高等学校で学ぶ。高校卒業後、八幡大学法経学部に進学後中退し、明治大学工学部に再入学し卒業。 明大在学中は放送研究会に属し、日本テレビでアルバイトに明け暮れ、この頃福留功男と知り合う。シュリークスから第二次かぐや姫に参加。ボーカルとウッドベース(コントラバス)を担当。作詞・作曲の代表曲は「僕の胸でおやすみ」「けれど生きている」(かぐや姫)。
宮﨑 礼壹(みやざき れいいち、1945年(昭和20年)5月… 宮﨑 礼壹(みやざき れいいち、1945年(昭和20年)5月13日 - )は、日本の検察官。元内閣法制局長官。
小畑 やすし(おばた やすし、1945年5月13日 - 20… 小畑 やすし(おばた やすし、1945年5月13日 - 2010年1月8日)は、日本の元子役。本名は木幡 泰(こわた やすし)。 1945年5月13日、兵庫県に生まれる。4人兄弟の長男であった。海軍少将木幡行は祖父。父親が東映の社員だった関係で、知り合いの大映プロデューサーに勧められ、1952年に公開された小石栄一監督映画『死の街を脱れて』で子役デビューを果たした。 以後、愛くるしい名子役として江利チエミ主演の「サザエさんシリーズ」のかつを役(初代)を始め、多数の作品に出演する。特に、同じく子役だった松島トモ子とのコンビによる、仲木繁夫監督映画『あんみつ姫』二部作や毛利正樹監督映画『たん子たん吉珍道中』の三部作は当時の少年少女に圧倒的な人気を呼んだ(先述のサザエさんシリーズでも松島はワカメ役を演じ、コンビで出演している)。
簾内 政雄(すのうち まさお、1945年5月12日 - )は… 簾内 政雄(すのうち まさお、1945年5月12日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。 満州で生まれるもすぐに引き揚げた。能代高では1963年、3年生の時にエース、四番打者として夏の甲子園に出場。1回戦は長浜北高を大差で降すが、続く2回戦で林田真人のいた岡山東商業高に敗退した。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立へ入社。1965年の都市対抗野球に日立製作所の補強選手として出場。同じく富士重工業から補強された高橋恒夫と左右の二本柱を組み、チームの準々決勝進出に貢献。これを含め都市対抗野球大会には3年連続出場した。 1965年のプロ野球ドラフト会議で東京オリオンズから5位指名を受けるも拒否し、日本鉱業に残留。
東 由多加(ひがし ゆたか、1945年5月12日 - 200… 東 由多加(ひがし ゆたか、1945年5月12日 - 2000年4月20日)は、日本の劇作家、演出家。東京キッドブラザース主宰。 台湾生まれ。長崎県長崎市育ち。長崎県立長崎西高等学校卒業、早稲田大学教育学部中退。自らの作・演出によるミュージカル80作品を上演。 作家の柳美里はかつて女優を志して、東の劇団に所属していたが、東は柳に「あなたは演じるより、書きなさい」と作家になる事をすすめた。柳は自身を18歳から31歳頃まで東と同棲した「伴侶」だと言っているが、東が多数の愛人を作ったことで破局し、柳がある既婚男性との子供を身ごもり破局した際には東が柳と同居し、柳の子供の育児のサポートを務めた。
駒田 格知(こまだ のりとも、1945年5月12日 - 20… 駒田 格知(こまだ のりとも、1945年5月12日 - 2025年10月23日以前)は、日本の魚類学者。医学博士。 1945年、三重県出身。岐阜大学大学院農学研究科(修士課程)を修了し、朝日大学歯学部及び同学大学院歯学研究科助教授を務めた後、名古屋女子大学家政学部及び同学大学院生活学研究科教授に就任。朝日大学に就職後は、当時長良川河口堰の建設や魚類の奇形の発生が社会問題となっていたこともあり、木曽三川でアユの研究を開始した。駒田が研究を開始した1970年代には多くのアユに関する研究が世界中で発表されていたことから、周囲は冷ややかな反応を示したが、アユに形態異常の多い理由を解明した研究がなのことを知り、長期的にその研究に取り組んだ。
眞部 利應(まなべ としお、1945年5月11日 - 、略字… 眞部 利應(まなべ としお、1945年5月11日 - 、略字で「真部利応」とも)は、日本の実業家。元九州電力社長、顧問であり、九州通信ネットワークの初代会長である。やらせメール事件が発覚した当時の社長であり、玄海原発の再稼働を強行に推進した。 また、 肥後銀行社外取締役でもある。 趣味はゴルフ、尺八、将棋。 香川県 三木町 井戸村生まれ。香川県立高松高等学校を経て、1968年3月京都大学工学部電気工学科卒業。
斎藤 徹郎(さいとう てつろう、1945年(昭和20年)5月… 斎藤 徹郎(さいとう てつろう、1945年(昭和20年)5月11日 - 2001年(平成13年)7月30日)は、日本の大蔵官僚。2001年1月6日の中央省庁再編で無くなった北海道開発庁の最後の事務次官。 農林水産省官僚・斎藤誠の長男。祖父は弁護士の斎藤賞資。祖母すみは練木合資会社社長や粕壁銀行取締役兼支配人などをつとめた練木市左衛門の長女。 東京大学法学部卒業後、大蔵省に入省(主計局法規課)。弘前税務署長。 1986年から主計局主計官兼主計局法規課。各主計官らの編成した予算と法律との関わりを専門的に研究する役割を担った。東京国税局長や関税局長などを経て、2000年に北海道開発事務次官。2001年7月30日にくも膜下出血のために死去。
岩原 豊子(いわはら とよこ、現姓:和田、1945年5月11… 岩原 豊子(いわはら とよこ、現姓:和田、1945年5月11日 - )は、日本の元バレーボール選手、指導者。1968年メキシコオリンピック、1972年ミュンヘンオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。 疎開先の母の実家(茨城県)で生まれ、東京都台東区育ち。バレーボール強豪校の中村高校に進学し、全日本総合選手権ベスト4などに貢献した。 1964年に実業団のヤシカに入部し、セッターに転向する。1967年に全日本メンバーに選出され、同年の世界選手権優勝、1968年のメキシコオリンピック準優勝などに貢献した。 国内では、1967年度の第1回日本リーグでベスト6およびレシーブ賞を獲得し、チーム準優勝に大きく貢献した。
河上 邦彦(かわかみ くにひこ、1945年5月10日 - )… 河上 邦彦(かわかみ くにひこ、1945年5月10日 - )は、日本の考古学者、元神戸山手大学教授。 1945年、大阪市生まれ。1965年関西大学大学院文学科日本史学専攻修士課程修了(後に1995年「後期古墳の研究」を関西大学に提出して文学博士の学位を取得)。 卒業後は、1970年より奈良県立橿原考古学研究所に勤務し、1972年に同研究所技師となる。1980~82年、北京大学に留学。橿原考古学研究所第三調査室長、副所長および同附属博物館館長を務め、神戸山手大学教授を兼任した。また、中国西北大学客員教授。中国社会科学院古代文明研究センター客員研究員。広陵町教育委員会文化財保存センター所長。 飛鳥京跡、牧野古墳、東明神古墳、下池山古墳、黒塚古墳など多くの調査を担当した。
菅原 牧子(すがわら まきこ、1945年5月9日 - )は、… 菅原 牧子(すがわら まきこ、1945年5月9日 - )は、日本のアナウンサー、プロデューサー、日本大学芸術学部放送学科特任教授。 岩手県陸前高田市出身。青山学院大学文学部フランス文学科卒業。俳人協会会員、岩手県ふるさと大使、陸前高田市ふるさと大使。 1968年4月、TBSにアナウンサー第13期生として入社(同期には小島一慶・松永邦久・池田園子・石井和子・見城美枝子・郷司淑子)。 35年間、アナウンサー・番組企画制作者として活躍。『歌のない歌謡曲』、『菅・牧のお昼ですよ』、『講談社 ラジオブックス』他多数に出演。1987年、アノンシスト賞 テレショップ番組最優秀賞。1990年、アノンシスト賞 放送活動賞。
安部 憲幸(あべ のりゆき、1945年〈昭和20年〉5月8日… 安部 憲幸(あべ のりゆき、1945年〈昭和20年〉5月8日 - 2017年〈平成29年〉4月6日)は、フリーアナウンサー。元朝日放送(ABC)アナウンサー。 愛称は「アベロク」(ラジオの冠番組タイトルにも使用。他に「あべ六」「アベ六」とも)。愛称の由来(意味)は、6チャンネル(ABCテレビ)の安部から来ているという説、大学に6年通ったからという説がある。ABC時代の後輩アナウンサーで、部下でもあった名字が同じ読みの阿部成寿との区別にもなっている。 島根県安来市出身。島根県立安来高等学校から國學院大學文学部日本文学科に進学した。大学卒業後の1970年に、アナウンサーとして朝日放送(ABC)へ入社した。
前田 勝敏(まえだ かつとし、1945年5月7日 - )は、… 前田 勝敏(まえだ かつとし、1945年5月7日 - )は、日本の実業家。ホーマック(後のDCMホーマック)元会長兼社長・DCM Japanホールディングス(後のDCMホールディングス)初代社長・DCM Japan初代社長。北海道釧路市出身。 ホーマック初のプロパー社長で、カーマ(後のDCMカーマ)・ダイキ(後のDCMダイキ)との経営統合による持株会社・DCM Japanホールディングス(後のDCMホールディングス)の初代社長となった。 しかし、DJHDの社長就任後、ホーマックの取引先やホーマック関連会社役員によるインサイダー事件が発生し、久田宗弘副社長(当時、カーマとDCM Japanの2社の社長を兼任)を後継に指名し、DJHDの社長を引責辞任した。
中山 信弘(なかやま のぶひろ、1945年5月7日 - )は… 中山 信弘(なかやま のぶひろ、1945年5月7日 - )は、日本の法学者。専門は知的財産法。東京大学名誉教授。明治大学研究・知財戦略機構顧問。日本学士院会員。弁護士(西村あさひ法律事務所顧問)。来栖三郎門下。 学界を代表して政府の知的財産法関連の審議会に多数参加している他、知的財産制度改革を推進する知的財産戦略本部の本部員を務める。知的財産戦略本部および推進事務局の改革案には、早急であり「議論が足りていない」と頑として反対意見を述べ、推進事務局の姿勢を反対意見を封じ込めるものとし「あまりにも独善的」と強く批判した。特に、2003年の第6回知的財産戦略本部での意見表明は、衆議院法務委員会でも取り上げられた。
円谷 峻(つぶらや たかし、1945年5月7日 - 2017… 円谷 峻(つぶらや たかし、1945年5月7日 - 2017年2月25日)は、日本の法学者。位階は従四位。 専門は、民法・消費者法。特に、契約法・不法行為法・消費者契約法を研究。横浜国立大学名誉教授。 福島県生まれ。1969年横浜国立大学経済学部卒業、1971年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、1974年同博士課程単位取得退学。指導教官は好美清光。同年横浜国立大学経営学部専任講師、1975年助教授、1989年教授、1990年同国際経済法学研究科教授、1994年同国際開発研究科教授、1999年同国際経済法学研究科長、2006年定年退任、名誉教授、明治大学大学院法務研究科(法科大学院)専任教授。
増田 実(ますだ みのる、1945年(昭和20年)5月7日 … 増田 実(ますだ みのる、1945年(昭和20年)5月7日 - )は、日本の政治家。元埼玉県幸手市長(3期)。司法書士。旭日小綬章受章。 埼玉県北葛飾郡幸手町(現・幸手市)出身。1968年、立教大学法学部卒。司法書士試験に合格し、事務所を開業。1979年、幸手町議会議員に当選。1986年の市制施行により幸手市議会議員となる。同市議会副議長を務め、1993年、幸手市長に当選した。1997年と2001年にも再選した。2003年に幸手市は茨城県猿島郡五霞町との合併を目指し、その準備を進めていた。しかし、市民の中から、県外の五霞町より同県の久喜市との合併を望む声があり、4月の市議会議員選挙で久喜市との合併派が半数を超え、市議会では久喜市と鷲宮町との合併を優先する決議案が可決された。
金田 義倫(かねだ よしのり、1945年5月6日 - 202… 金田 義倫(かねだ よしのり、1945年5月6日 - 2020年3月22日)は、京都府中郡峰山町(現:京丹後市)出身の日本のプロ野球選手(投手)、スコアラー。プロの現役時代はほぼ打撃投手として活動した。 父は峰山町で建設会社を営んでいた。 京都府立峰山高等学校時代はエースとして活躍し、1962年夏の全国高校野球京都府大会の準優勝に貢献した。高校のコースは機械科だった。 1964年に阪急ブレーブスに入団。3年生夏の府大会の2回戦の際に、監督の西本幸雄が視察に来ており、これが入団の決め手になった。高校の10年先輩だった野村克也のいる南海ホークスへの入団が周囲では取り沙汰されて新聞にも出たため、怒った父が「契約金はいくらでも結構」という条件で阪急の球団事務所に電話で申し入れたという。
清田瞭(きよた あきら、1945年5月6日 - )は、日本の… 清田瞭(きよた あきら、1945年5月6日 - )は、日本の実業家。大和証券グループ本社取締役会長、東京証券取引所代表取締役社長を経て、日本取引所グループ取締役兼代表執行役最高経営責任者(CEO)。
村上 征勝(むらかみ まさかつ、1945年5月6日 - )は… 村上 征勝(むらかみ まさかつ、1945年5月6日 - )は、日本の計量文献学者。統計数理研究所名誉教授、前同志社大学教授。専門は人文社会科学領域のデータ解析。 中華人民共和国・南京市生まれ。1968年北海道大学工学部精密工学科卒、1974年同大学院工学研究科博士課程満期退学。1973年スタンフォード大学統計学修士課程修了。1977年「統計的決定問題における残念度-安心度比基準とその応用」で北大工学博士。1974年文部省統計数理研究所研究員、82年同助教授、89‐94年総合研究大学院大学助教授兼任、92年中国人民大学名誉客員教授(称号)、94年数理研・総研大教授。2004年同志社大学文化情報学部教授。
新田 和長(にった かずなが 1945年5月5日 - )は、… 新田 和長(にった かずなが 1945年5月5日 - )は、日本の実業家、レコードプロデューサー。元レコードディレクター、ミュージシャン。
坂中 英徳(さかなか ひでのり、1945年〈昭和20年〉5月… 坂中 英徳(さかなか ひでのり、1945年〈昭和20年〉5月5日 - 2023年〈令和5年〉10月20日)は、日本の法務官僚。外国人政策研究所設立者。 法務省で34年間入国管理行政に携わり、東京入国管理局長、名古屋入国管理局長、福岡入国管理局長、仙台入国管理局長などを歴任。在日朝鮮人との出会いをきっかけに「50年間で移民1000万人受け入れる」という「移民1000万人計画」を提唱し、移住を推進しないで衰退する「小さな日本」ではなく、移住を推進する「大きな日本」を目指すべきだと主張していた。
牧野 聖修(まきの せいしゅう、1945年5月4日 - )は… 牧野 聖修(まきの せいしゅう、1945年5月4日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(4期)。
肥後 正弘(ひご まさひろ、1945年(昭和20年)5月4日… 肥後 正弘(ひご まさひろ、1945年(昭和20年)5月4日 - )は、日本の政治家。元宮崎県小林市長(2期)。 玉川大学文学部卒業。1971年(昭和46年)、旧小林市役所に入庁。福祉事務所長、財政課長などを歴任した。2003年(平成15年)6月、小林市収入役に就任。 2006年(平成18年)3月20日、旧小林市が須木村と合併。新市制による小林市が誕生。同年5月、改めて市の収入役に就任。2007年(平成19年)4月、小林市副市長に就任。 2010年(平成22年)4月の小林市長選挙で初当選。4月23日、市長就任。二度の市長選の選挙結果は下記参照。 2018年(平成30年)4月の市長選挙には出馬せず、2期8年で市長を退任した。
水盛 五実(みずもり いずみ、1945年(昭和20年)5月3… 水盛 五実(みずもり いずみ、1945年(昭和20年)5月3日 - )は、日本の官僚。大蔵省印刷局長、オリックス生命保険社長を歴任した。
牧 剛尓(まき ごうじ、1945年〈昭和20年〉5月3日 -… 牧 剛尓(まき ごうじ、1945年〈昭和20年〉5月3日 - )は、日本の政治家。元大分県竹田市長(1期)。 大分県出身。京都大学農学部卒。大分県庁に入り、大分土木事務所長、土木建築部企画検査室長、日田土木事務所長などを務める。2005年〈平成17年〉新たな竹田市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、当選する。2009年〈平成21年〉の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、落選した。