王育徳(おう いくとく、台湾語: Ông Io̍k-tek、… 王育徳(おう いくとく、台湾語: Ông Io̍k-tek、1924年1月30日 – 1985年9月9日)は、台湾出身の言語学者。日本で台湾語や中国語諸言語の研究をおこなうかたわら、国民党独裁政権下で台湾独立運動をおこなった。明治大学講師、のちに同大学商学部教授。1969年から死去まで東京外国語大学の台湾語講座も担当した。 王育徳は1924年(大正13年)、日本統治下の台湾台南市で生まれた。台北高校を卒業後、1943年10月に東京帝国大学文学部支那哲文科に入学したが、太平洋戦争激化のために翌年台湾に戻り、そこで終戦をむかえた。 第二次世界大戦後は台湾の台南第一中学で教壇に立つかたわら、台湾語による演劇活動を行っていた。
盛田 慶吉(もりた けいきち、1924年1月30日 - 20… 盛田 慶吉(もりた けいきち、1924年1月30日 - 2009年3月28日)は、日本の経営者。敷島製パン社長、会長を務めた。 父は敷島製パン3代目社長である盛田秀平。5代目社長の盛田淳夫は長男。 愛知県出身。1948年に早稲田大学商学部を卒業。 松坂屋での勤務を経て、1949年に敷島製パン監査役に就任し、1951年に取締役、1958年に常務を経て、1969年には社長に就任。1998年には会長に就任。 1998年11月に藍綬褒章を受章。 2009年3月28日急性心筋梗塞のために死去。85歳没。
尾関 雅則(おぜき まさのり、1924年(大正13年)1月2… 尾関 雅則(おぜき まさのり、1924年(大正13年)1月29日 - 2014年(平成26年)1月1日)は、日本の電気工学者。鉄道技術者。元鉄道総合技術研究所理事長。 愛知県名古屋市生まれ。旧制長野県立松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て1946年東京帝国大学電気工学科卒業、同年運輸省に入省。1972年日本国有鉄道電気局長に転じ、1975年同理事。1979年日立製作所に転じ、1981年同取締役。1985年情報処理学会会長就任。1987年鉄道総合技術研究所理事長に就任し、1990年退職。
菊池 章子(きくち あきこ、1924年1月28日 - 200… 菊池 章子(きくち あきこ、1924年1月28日 - 2002年4月7日)は、東京市(現東京都)出身の歌手である。本名は菊池 郁子。妹は歌手の多摩幸子。義子に大久保直彦、孫にcaminoのKIKUとBREATHのメンバーだった菊池一仁がいる。 1924年(大正13年)1月28日(月曜日)、東京市の下谷に生まれる。1927年(昭和2年)畑秀水の門下生となり琵琶を習う。1930年(昭和5年)6才で免許皆伝となり、菊池錦祠を襲名する。のちに菊池祠水となる。 その後、歌謡曲に興味を持ち、九段にあった「大村能章歌謡学院」に入った。日華事変が起こった後は、学院の生徒と共に軍の病院などで慰問活動を行う。女学校の低学年にもかかわらず、彼女が唄うと、アンコールの声が鳴り止まなかった。
板見 甲子夫(いたみ かねお、大正13年(1924年)1月2… 板見 甲子夫(いたみ かねお、大正13年(1924年)1月28日 - 没年不明)は日本の教育者。 大阪大学大学院医学系研究科皮膚・毛髪再生医学寄附講座 教授板見智の実父。 1943年浜松高等工業学校航空工学科卒業。1948年米子市立第四中学校教諭。1978年県立米子南商業高校校長。 1981年県立米子東高校校長。1983年鳥取県米子市教育長。 特技は柔道。住所は米子市角盤町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
戸田 正直(とだ まさなお、1924年1月27日 - 200… 戸田 正直(とだ まさなお、1924年1月27日 - 2006年9月5日)は、日本の心理学者。北海道大学名誉教授。専攻は、認知心理学。岐阜県生まれ。 社会的相互作用の認知モデルにおいて、アージ理論と名づけられた感情メカニズムモデルを提案した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
木村 礎(きむら もとい、1924年1月26日 - 2004… 木村 礎(きむら もとい、1924年1月26日 - 2004年11月27日)は、日本の歴史学者。専門は、地方史・村落史。明治大学名誉教授。 東京都生まれ。明治大学専門部地歴科を経て1950年東京文理科大学史学科卒業。1958年に明治大学文学部助教授、1963年教授、1980年大学院長、1988年学長となる。この間1972年に「日本の共同体」で文学博士の学位を取得。1991年の替え玉入試事件を受けて翌年3月末をもって学長を辞任。1995年定年、名誉教授。著作集全11巻がある。 2004年11月27日、脳内出血のため死去。
京極 純一(きょうごく じゅんいち、1924年〈大正13年〉… 京極 純一(きょうごく じゅんいち、1924年〈大正13年〉1月26日 - 2016年〈平成28年〉2月1日)は、日本の政治学者。専門は政治意識論、日本政治論。東京大学教授、千葉大学教授、東京女子大学学長などを歴任した。文化功労者。日本学士院会員。
吉田 亮(よしだ りょう、1924年1月25日 - 2004… 吉田 亮(よしだ りょう、1924年1月25日 - 2004年7月27日)は日本の医学者。専門は公衆衛生学。第9代千葉大学学長。
倉嶋 厚(くらしま あつし、1924年1月25日 - 201… 倉嶋 厚(くらしま あつし、1924年1月25日 - 2017年8月3日)は、日本の気象エッセイスト、気象学者。理学博士(東京教育大学(現・筑波大学))。かつてテレビで気象キャスターとして活躍した。 長野県長野市生まれ。父は仏教関係の新聞を出版していた倉島元弥。兄は長野市長を務めた倉島至。 旧制・長野縣長野中學校(現・長野県長野高等学校)を経て、中央気象台付属気象技術官養成所研究科(現・気象大学校)を卒業後、1949年に気象庁入庁。気象庁主任予報官、札幌管区気象台予報課長、鹿児島地方気象台長を歴任。 1984年気象庁を定年退職。業務で付き合いがあったNHKに招聘され外部解説委員となり、『ニュースセンター9時』『にっぽん列島ただいま6時』『NHKおはようサンデー』『NHKモーニングワイドサンデー』で気象情報、気象キャスターを担当。
尾崎 知光(おざき さとあきら、1924年1月25日 - )… 尾崎 知光(おざき さとあきら、1924年1月25日 - )は、日本の国語学者・国文学者。専攻は国語学史・国学・古代文学。愛知県立大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。尾崎忠征、尾崎良知の子孫。1949年東京大学文学部国文学科卒業。1949年名古屋大学文学部文部教官三級、1955年愛知県立女子短期大学助教授、1957年愛知県立女子大学助教授、1961年同大学教授、1966年愛知県立大学教授。1988年、定年退職、愛知県立大学名誉教授、愛知淑徳大学文学部教授。1999年、定年退職。
鈴木 秀次(すずき ひでじ、1924年1月25日 - 200… 鈴木 秀次(すずき ひでじ、1924年1月25日 - 2002年4月13日) は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。日本学士院賞受賞。 北海道滝川市出身。1942年北海道帝国大学予科工類修了。1945年北海道帝国大学理学部物理学科卒業、東北帝国大学金属材料研究所助手。1950年東北大学金属材料研究所講師。1953年東北大学金属材料研究所助教授。1954年日本金属学会功績賞受賞。1955年東北大学理学博士。1956年シカゴ大学金属研究所客員研究員。1959年日本原子力研究所副主任研究員。1963年東京大学理学部教授。1967年松永賞受賞。1970年ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲンガウス客員教授。
高木 吉友(たかぎ よしとも、1924年(大正13年)1月2… 高木 吉友(たかぎ よしとも、1924年(大正13年)1月25日 - 1991年(平成3年)6月3日)は、日本の実業家。 秋田県雄勝郡院内町出身。旧姓は伊藤。明治大学法学部中退。 養父から受け継いだ商店を企業として発展させ、不動産・旅行代理店・家電量販店等の事業にも進出。首都圏を代表するスーパーマーケットチェーン忠実屋を築き上げた。1954年に株式会社化すると社長に就任し、1991年に会長となった。同年6月3日、心不全のため死去。 1987年藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鎮目 和夫(しずめ かずお、1924年1月24日 - 201… 鎮目 和夫(しずめ かずお、1924年1月24日 - 2015年8月16日)は、日本の内科医。東京女子医科大学名誉教授。 東京市(現新宿区)出身。鎮目恭夫の兄。1946年東京帝国大学医学部卒。1947年同冲中重雄内科入局。1951-1954年オレゴン大学に学ぶ。1952年医学博士。1956年東京大学助手(東大病院冲中内科)。1964年医学部講師。1968年虎の門病院内分泌科部長。1972年東京女子医科大学内科学主任教授、1984年同大学内分泌疾患総合医療センター所長。1994年名誉教授。 1981年日本医師会医学賞、1984年紫綬褒章受勲。日本学術会議会員。スウェーデン王国北極星勲章、勲三等瑞宝章受勲。
岡村 初博(おかむら はつひろ、1924年(大正13年)1月… 岡村 初博(おかむら はつひろ、1924年(大正13年)1月23日 - 2014年(平成26年)1月5日)は、日本の政治家。三重県津市長(5期)。 三重県出身。津市市議会議長をしていた岡村末次郎の長男として生まれる、旧制津中学から旧制第八高等学校を経て、軍事色が強まった昭和17年9月東京帝国大学文学部西洋史学科に入る。東京帝国大学では野球部に入り東京六大学野球に打ち込んだ。近鉄バッファローズの監督になった立教大学野球部の西本幸雄と練習試合を行う。慶應義塾大学野球部の別当薫とも試合をしている。帝国大学在学中学徒動員で昭和18年に出征、日本帝国陸軍中部第三十八部隊に入隊、東満州に出兵した。昭和20年8月関東軍の主力が内地防衛のため帰国した中、8月12日牡丹江衛門を出て行軍した。
奥山 融(おくやま とおる、1924年1月21日 - 200… 奥山 融(おくやま とおる、1924年1月21日 - 2009年11月7日)は、日本の実業家・映画プロデューサー。元松竹株式会社社長。創業家である白井家、大谷家以外からは永山武臣以来2人目の社長であった。父は元松竹専務の奥山市三、次男は元松竹専務でチームオクヤマ代表の奥山和由。 京都市出身。京都府立京都第一中学校、第五高等学校を経て、1947年京都帝国大学法学部政治学科卒業。同年大和証券入社。1951年松竹入社。主に映画興行部門、国際部門を歩き、1955年プロデューサー、国際部長を経て1968年取締役、1971年常務、1974年専務、1978年副社長。1986年、松竹大船撮影所50周年を期して「ニュー大船調」を打ち出す。
坂元 正一(さかもと しょういち、1924年(大正13年)1… 坂元 正一(さかもと しょういち、1924年(大正13年)1月20日-2006年(平成18年)12月28日)は、日本の産婦人科学者。医学博士(東京大学)。元東京大学医学部教授、東京大学名誉教授。勲二等瑞宝章受章。 東京都出身。神戸一中を経て、海軍兵学校を卒業(72期)。第二次世界大戦期は艦上爆撃機操縦員であった。 1950年(昭和25年)東京大学医学部卒。1956年(昭和31年)東大医学博士、東大助手。関東中央病院産婦人科部長、1963年東大医学部講師、1965年助教授、1970年教授となる。1984年定年退官、名誉教授、東京女子医科大学教授・母子総合医療センター所長、1992年埼玉医科大学教授。
辻村 江太郎(つじむら こうたろう、1924年1月20日 -… 辻村 江太郎(つじむら こうたろう、1924年1月20日 - 2019年 )は、日本の近代経済学者。専門は理論経済学、計量経済学。慶應義塾大学名誉教授。神奈川県生まれ。日本の計量経済学的分析の草分けである。 「実証科学」を信条とし[要出典]、理論経済学を応用した研究は多岐にわたる。日本経済の一般的相互依存関係、初期研究としてはエンゲル係数などで知られる消費者行動理論等を研究し、多くの業績を残す。辻村と尾崎巌と小尾恵一郎は慶応大学の計量経済学・統計学の三羽烏と呼ばれた。マネタリズムをはじめとする新自由主義経済学には否定的立場をとった[要出典]。 その研究は日本のみならず、国際的評価を受けた。1968年に『消費構造と物価』(勁草書房)で日経・経済図書文化賞、1974年に『日本経済の一般均衡分析』(筑摩書房)でエコノミスト賞、1981年に『Economic Policy and General Interdependence』(Kogaku-sha)で福沢賞、1997年に日本統計学会賞を受賞する。
竹内 慶夫(たけうち よしお、1924年1月20日 - 20… 竹内 慶夫(たけうち よしお、1924年1月20日 - 2009年7月5日)は、日本の鉱物学者・結晶学者。専門は、結晶学・鉱物学。東京生まれ。 日本鉱物科学会、日本結晶学会などに所属。1980年−1981年に日本結晶学会会長、1982年−1983年に日本鉱物学会会長を歴任。 著書「Tropochemical Cell-Twinning – A Structure-Building Mechanism in Crystalline Solids」において、竹内がその存在を予言していた積層構造をもった鉱物が発見され、スウェーデンの研究者によって竹内石(Takéuchiite)と命名された。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
甫田 鵄川(ぼた しせん、1924年1月20日 - 2016… 甫田 鵄川(ぼた しせん、1924年1月20日 - 2016年6月25日)は、日本の書家。奈良県出身。本名は甫田茂。木村知石に師事し、日展を主な発表の場として活動した。1997年、日展出品作「菜根譚」により日本芸術院賞を受賞した。 奈良県に生まれる。近畿大学を卒業した。木村知石に師事し、1954年に日展に初入選した。 1960年の第3回日展では特選・苞竹賞を受賞した。以後も日展で活動を続け、1993年に内閣総理大臣賞を受賞した。1997年には、日展出品作「菜根譚」により日本芸術院賞を受賞した。 また、天真書道会を主宰し、日展参事を務めた。2009年には奈良市杉岡華邨書道美術館で「甫田鵄川と門人展」が開催され、甫田とその門人の作品が紹介された。
森 幹太(もり かんた、1924年1月19日 - 2000年… 森 幹太(もり かんた、1924年1月19日 - 2000年11月15日)は、日本の俳優。本名:鈴木 威。秋田県由利郡下浜村(現 秋田市)出身。
太田垣 貴美(おおたがき たかみ、1924年1月19日 - … 太田垣 貴美(おおたがき たかみ、1924年1月19日 - 1991年11月12日)は、日本の経営者。北大阪急行電鉄社長を務めた。兵庫県城崎郡城崎町(現在の豊岡市)出身。 1946年に早稲田大学理工学部電気工学科を卒業し、1948年4月に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1967年11月に北大阪急行電鉄に出向し、取締役、常務、専務を経て、1980年6月に社長に就任。 1988年4月に藍綬褒章を受章。 1991年11月12日に死去。67歳没。
高島 照治(たかしま てるじ、1924年〈大正13年〉1月1… 高島 照治(たかしま てるじ、1924年〈大正13年〉1月18日 - 2006年〈平成18年〉3月17日)は、日本の農業家、政治家。主な役職に群馬県議会議員、同議長、嬬恋村議会議員、日本ホルスタイン登録協会会長など。 大正13年(1924年)、群馬県吾妻郡草津町に生まれる。長野県立小諸商業学校(現・長野県小諸商業高等学校)を卒業。 太平洋戦争終結後復員すると、1946年(昭和21年)に嬬恋村(群馬県吾妻郡)に入植し、仙之入開拓農協(全国開拓農業協同組合連合会参照)を設立して組合長に就任した。 群馬県の畜産に関する様々な団体の要職を歴任したほか、1984年(昭和59年)からは日本ホルスタイン登録協会の会長を務め、牛の個体識別システムの導入に携わった。
中島 健(なかじま たけし、1924年1月17日 - 199… 中島 健(なかじま たけし、1924年1月17日 - 1990年1月24日)は、日本の経営者。三井信託銀行社長を務めた。東京都出身。 1945年に東京帝国大学経済学部を卒業し、三井信託銀行に入行した。1973年に取締役に就任し、1977年に常務、1979年に専務、1982年に副社長を経て、1987年6月には社長に就任。 1990年1月24日急性心不全のために社長在任中に死去。66歳没。
鹿島 保夫(かしま やすお、1924年1月17日 - 197… 鹿島 保夫(かしま やすお、1924年1月17日 - 1976年10月29日)は、日本のロシア文学者。 東京出身。1949年早稲田大学露文科卒業。戦後、新日本文学会、多喜二・百合子研究会、ソビエト研究者協会などに所属し、また、中央労働学院講師(1958年度 - 1960年度)を務めた。そのほか、日ソ親善協会事務局にも勤務し、その後、著述業に専念した。ソビエト文芸理論の研究にかかせない資料である『ソヴェト芸術論争』(青木文庫、1954年)を江川卓とともにまとめた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
木村 筆之助(きむら ふでのすけ、1924年(大正13年)1… 木村 筆之助(きむら ふでのすけ、1924年(大正13年)1月17日 - 1984年(昭和59年)4月26日)は大相撲の元幕内格行司。伊勢ノ海部屋所属。師匠は初代木村今朝三。長野県伊那市出身。本名は田畑 啓。生家は伊那市の映画館「伊那旭座」。 1936年1月、12歳で相撲界へ入門。兵役で一時相撲界を離れたが、1946年11月場所から三段目格で復帰した。 1958年7月場所に幕内格行司に昇格。1967年7月場所より2代木村今朝三を襲名したが、1970年9月場所より今朝三の名跡を返上し筆之助に戻した。今朝三の名跡はこれ以降襲名する者が現れていない。 1966年11月場所より幕内格の筆頭行司であったが、上位の行司が急に廃業したり、病気休場したこともあり、行司の成績考課制度が導入された1972年~1973年頃の一時期は三役の取組を裁いたことがある。
川勝 堅二(かわかつ けんじ、1924年1月16日 - 20… 川勝 堅二(かわかつ けんじ、1924年1月16日 - 2010年7月4日)は、日本の実業家。三和銀行会長兼頭取や、UFJ銀行名誉顧問を務めたほか、経団連副会長等の公職も務めた。1987年ベルギー王冠勲章コマンドール章受章、1991年エセックス大学名誉博士、1992年大英帝国勲章受章、1994年勲一等瑞宝章受章。 京都府亀岡盆地の八木町出身。実家は呉服店。旧制京都府立園部中学校(京都府立園部高等学校の前身)を経て、1942年4月、旧制東京商科大学(一橋大学の前身)予科入学。クラスの同級生には速水優(元日本銀行総裁)や本間要一郎(横浜国立大学名誉教授)、岡稔(元一橋大学教授)が、他クラスの同期に俳優の久米明がいる。
土田 直鎮(つちだ なおしげ、1924年(大正13年)1月1… 土田 直鎮(つちだ なおしげ、1924年(大正13年)1月16日 - 1993年(平成5年)1月24日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。元国立歴史民俗博物館長。
稲葉 興作(いなば こうさく、1924年1月16日 - 20… 稲葉 興作(いなば こうさく、1924年1月16日 - 2006年11月26日)は、シンガポール生まれの実業家。石川島播磨重工業社長、会長、日本商工会議所会頭を務めた。
中東 素男(なかひがし もとお、1924年1月16日 - 2… 中東 素男(なかひがし もとお、1924年1月16日 - 2014年 )は、日本の経営者。大阪府出身。 1941年に江田島の海軍兵学校に入学し、1949年に大阪大学工学部応用化学科を卒業し、同年に宇部興産(現:UBE)に入社。1975年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1988年6月に副社長に就任し、1991年6月に社長に昇格した。1995年6月に会長に就任し、1999年6月から相談役を務めた。 2001年から化学工学会会長を1年間務めた。
山下 文男(やました ふみお、1924年〈大正13年〉1月1… 山下 文男(やました ふみお、1924年〈大正13年〉1月16日 - 2011年〈平成23年〉12月13日)は、いわゆる「津波てんでんこ」を広めた日本の津波災害史研究家。元日本共産党中央委員会文化部長。『津波ものがたり』で「日本自然災害学会賞」功績賞、「平成15年度防災功労者表彰」などを受賞。 1924年1月16日生まれ。岩手県気仙郡綾里村(現大船渡市三陸町綾里)出身。1896年の明治三陸津波では、山下の祖母ら親族3人を含む一族9人が溺死した。1933年の9歳の時にも昭和三陸津波に遭い、高台に登って難を逃れた。この時期の昭和東北大凶作も体験している。 1967年の善隣学生会館事件について、「井上清の中傷に答える 厳然たる事実にもとづいて」を著し、歴史学者井上清による日本共産党と日中友好協会への批判に反論した。
後藤 昌次郎(ごとう しょうじろう、1924年1月15日 -… 後藤 昌次郎(ごとう しょうじろう、1924年1月15日 - 2011年2月10日)は岩手県出身の弁護士(東京弁護士会所属)。 岩手県和賀郡黒沢尻町(現・北上市)生まれ。旧制黒沢尻中学校(現岩手県立黒沢尻北高等学校)卒業、旧制第一高等学校文科および理科卒業、東京大学法学部を経て、1954年に弁護士となる。 かかわった主な事件として松川事件、八海事件、青梅事件、土田・日石・ピース缶爆弾事件、警視総監公舎爆破未遂事件、日大闘争警官傷害致死事件などがある。1992年に東京弁護士会人権賞受賞した。神戸連続児童殺傷事件では冤罪を主張しており、A少年を偽計による「自白調書」で逮捕・勾留した警察官・検察官を告発している。
後藤 次男(ごとう つぐお、1924年1月15日 - 201… 後藤 次男(ごとう つぐお、1924年1月15日 - 2016年5月30日)は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
吉本 均(よしもと ひとし、1924年1月15日 - 199… 吉本 均(よしもと ひとし、1924年1月15日 - 1996年3月29日)は、日本の教育学者。広島大学名誉教授。教育学博士。 広島県比婆郡東城町(現・庄原市)生まれ。1952年(旧制)広島文理科大学教育学科(現・広島大学)を卒業。1956年広島大学教育学部に着任。そのころ、ペスタロッチ研究者長田新のもとでペスタロッチ全集の編集翻訳作業に携わる。日本における教育方法学の確立に貢献したといわれる。1987年に広島大学を退官。その後は、神戸女子大学教授となった。 1996年3月29日、脳梗塞のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宮地 裕(みやじ ゆたか、1924年1月14日- )は、日本… 宮地 裕(みやじ ゆたか、1924年1月14日- )は、日本の国語学者、大阪大学名誉教授。妻の宮地敦子(故人)も国語学者(元関西学院大学教授・龍谷大学名誉教授)。
池田 武邦(いけだ たけくに、1924年1月14日 - )は… 池田 武邦(いけだ たけくに、1924年1月14日 - )は、日本の建築家、実業家。元日本設計代表取締役社長で株式会社日本設計名誉会長、株式会社日本設計池田研究室代表、ハウステンボス株式会社代表取締役会長、環境NPO「聚」理事長。日本の高層建築の黎明に携わった。
十代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1924年1月14日 - … 十代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1924年1月14日 - 2004年1月31日)は、東京都豊島区出身の落語家、南画家(雅号:籬風)。落語芸術協会会長(第4代)。落語江戸(東京)桂派宗家。血液型はO型、本名∶関口 達雄。父は同じく落語家初代柳家蝠丸。出囃子は『武蔵名物』。 早くから噺家志望であったが、軍需工場工員を経て1944年に召集令状を受ける。終戦後日本に帰国後の1946年6月、2代目桂小文治に師事し、父の名であった柳家小よしを名乗るが、後に師の亭号が桂だったために桂小よしに改名。1948年10月、2代目桂伸治に改名し二つ目昇進。1958年9月、春風亭柳昇、2代目桂小南、三笑亭夢楽、三遊亭小圓馬、4代目春風亭柳好とともに真打昇進。
秋山 虔(あきやま けん、1924年1月13日 - 2015… 秋山 虔(あきやま けん、1924年1月13日 - 2015年11月18日)は、日本の文学者。専門は、国文学・中古文学。東京大学名誉教授。紫綬褒章受章。日本学士院会員、文化功労者。勲二等瑞宝章受章。 国士舘短期大学助教授、東洋大学助教授、東京大学文学部教授、東京女子大学教授、駒沢女子大学教授、紫式部学会会長などを歴任した。 岡山県出身の国文学者であり、主として中古文学を専攻した。『源氏物語』の成立論をはじめ、構造論、人物論、さらには作者である紫式部に関する作家論など、多彩な方法論を展開した。その結果、『源氏物語』研究の指導的存在となり、学界に大きな影響を与えた。また、平安時代の和歌をはじめ、物語、説話文学、さらには漢文学に至るまで、作品成立時の社会的環境の下での作者の心理、意識、表現などを解明した。
小野木 学(おのぎ まなぶ / おのき がく、1924年1月… 小野木 学(おのぎ まなぶ / おのき がく、1924年1月13日 - 1976年8月24日)は、昭和期の日本の洋画家。東京府出身。甥の上矢津(かみやしん)は画家、現代美術家、版画家。 本名の読みは「おのぎ まなぶ」であるが、絵本作家としての筆名は本名と同じ表記で「おのき がく」の読みを用いている。 1924年、北豊島郡巣鴨町(現・豊島区)に小野木秀雄・シヅ夫妻の四男として生まれる。軍事教練中に肺を患い、療養中に独学で油絵を学ぶ。のち農林省関連の施設に勤務するかたわら、絵画の勉強を続ける。1952年の第17回自由美術展で入選。翌1958年に自由美術協会会員となるが、1961年から翌1962年にかけてパリへ留学した後の1963年に退会。
今村 宣夫(いまむら のぶお、1924年〈大正13年〉1月1… 今村 宣夫(いまむら のぶお、1924年〈大正13年〉1月12日 - 2006年〈平成18年〉9月9日)は、日本の農林官僚。水産庁長官を務めた。愛媛県出身。 1947年に高文行政科に合格し、1948年に京都大学法学部を卒業し、同年に農林省に入省した。1974年7月に大臣官房審議官に就任し、1979年7月から1981年9月までに水産庁長官を務めた。 2006年9月9日急性肺炎のために死去。82歳没。
宮下 稔(みやした みのる、1924年1月12日 - 200… 宮下 稔(みやした みのる、1924年1月12日 - 2007年8月11日)は、日本の鉄道技術者、実業家。京阪電気鉄道社長、会長などを務めた。 鳥取県岩美郡岩美町出身。1945年、京都帝国大学工学部機械工学科卒業後、当時の京阪神急行電鉄(1943年に阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併して発足。企業としては現在の阪急阪神ホールディングス)に入社。車両部門(守口車両部)に配属される。元は軍艦の建造を志望していたが、太平洋戦争の敗戦により鉄道に方向を変更した。 1949年に京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄から分離して再発足すると京阪に移り、1967年に車両部長となる。この時代に通勤電車の混雑対策として、日本で初となる5扉通勤電車の京阪5000系電車(1970年製造)を開発した。
増渕 興一(ますぶち こういち、1924年〈大正13年〉1月… 増渕 興一(ますぶち こういち、1924年〈大正13年〉1月11日 - 2016年〈平成28年〉4月1日)は、日本の溶接研究者、工学者。アメリカ合衆国・マサチューセッツ工科大学名誉教授。専門は溶接。2016年現在、同大学では唯一の日本人終身待遇名誉教授である。 北海道小樽市生まれ。その後、栃木県足利市に転居。旧制成蹊高等学校、東京帝国大学第一工学部船舶工学科卒業。1959年東京大学より工学博士号を授与される。米国バッテル研究所勤務を経て、マサチューセッツ工科大学工学部船舶工学科準教授。その後、1971年に教授に昇格。1973年にアメリカ国籍取得。 ボストン日本人会会長、三井造船技術顧問、神鋼商事技術顧問、川崎重工業技術顧問、日本大学客員教授、徳島文理大学客員教授などを歴任する。
猪瀬 敏弘(いのせ としひろ、1924年〈大正13年〉1月1… 猪瀬 敏弘(いのせ としひろ、1924年〈大正13年〉1月11日 - 2007年〈平成19年〉8月12日)は、日本の実業家。中田大三とともに神戸電鉄グループの発展に尽力した。 1924年(大正13年)1月11日、福島県生まれ。1944年(昭和19年)高知市立高知商業高等学校を卒業。 京都帝国大学へ入学するも中退し、1947年(昭和22年)神有三木電気鉄道(現:神戸電鉄)に入社する。1964年(昭和39年)6月より秘書室長を経て、1970年(昭和45年)6月神鉄観光の取締役に就任。 1976年(昭和51年)6月より神戸電鉄の経理部長に就任、1979年(昭和54年)からは取締役に就任した。1985年(昭和60年)6月より神戸電鉄の代表取締役常務に就任。
楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は… 楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は、日本の歌手・女優・声優である。本名は楠山 敏江(くすやま としえ)。愛称はビンチャン。
渡部 忠世(わたべ ただよ、1924年1月11日 - 202… 渡部 忠世(わたべ ただよ、1924年1月11日 - 2024年3月18日)は、日本の農学者、京都大学名誉教授。専攻は作物学。 神奈川県生まれ。1949年京都大学農学部卒業。1962年「 [ロク]化現象を中心とするモチ玄米の特性に関する研究」で農学博士の学位を取得。西京大学農学部講師、京都府立大学助教授、1968年鳥取大学農学部助教授、1972年京都大学農学部助教授、教授、京都大学東南アジア研究センター所長、1987年定年退官、名誉教授、放送大学教養学部教授。農耕文化研究振興会代表。 アジアの米や稲作についての調査・研究を行ってきた経験から、日本の農業の衰退に警鐘を鳴らし続けている。 2024年3月18日午後8時半、老衰のため死去。
井上 實(いのうえ みのる、1924年(大正13年)1月10… 井上 實(いのうえ みのる、1924年(大正13年)1月10日 - 2021年(令和3年)11月11日)は、日本の銀行家。東京銀行頭取を務めた。 東京出身。1947年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に東京銀行に入行した。 ニューヨーク支店、外国総務部、総務室各次長、同室長を歴任。 1972年11月に取締役に選任され、ロンドン支店長委嘱。常務、専務、副頭取を経て、1985年9月に前任である渡辺康病没により、頭取に就任し、1990年6月に相談役に退く。 1996年4月に三菱銀行との合併で発足した東京三菱銀行では相談役、特別顧問を務めた。 2021年11月11日、死去。97歳没。
本田 睦(ほんだ むつみ、1924年(大正13年)1月10日… 本田 睦(ほんだ むつみ、1924年(大正13年)1月10日-1991年(平成3年)2月16日)は、日本の工学者。専門は高速空気力学。東北大学名誉教授、工学博士。東北大学高速力学研究所(現東北大学流体科学研究所)所長を務めた。 鹿児島県日置郡串木野村(現・いちき串木野市)出身。父は後に串木野市議会議長を務める本田戸助。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)四年修了を経て、1942年(昭和17年)9月に旧制第七高等学校造士館理科を卒業。1945年(昭和20年)9月東京帝国大学第一工学部航空学科卒業。終戦直後で職がないため、卒業後一時帰郷してカライモ(サツマイモ)づくりや戦災で焼けた自宅の建て直しをおこなった。
酒井 忠治(さかい ただはる、1924年〈大正13年〉1月1… 酒井 忠治(さかい ただはる、1924年〈大正13年〉1月10日 - 2012年〈平成24年〉6月9日)は、日本の書家・漢文学研究家。 雅号は南山。(財)致道博物館顧問、鶴岡市文化財保護審議委員長、左衛門尉酒井家分家当主、鶴岡書道会顧問。 旧庄内藩主酒井家20代当主・酒井忠良の次男として山形県西田川郡鶴岡町(現・鶴岡市)に生れる。書家の松平穆堂より指導を受ける。1939年(昭和14年) - 山形県立鶴岡中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業。 1962年(昭和37年)3月 - 昭和三十六年度学芸員無試験認定 合格。(財)致道博物館副館長。 1995年(平成7年)11月27日 - 鶴岡市の文化賞「高山樗牛賞」を受賞。
前沢 迪雄(まえざわ みちお、1924年1月10日 - 没年… 前沢 迪雄(まえざわ みちお、1924年1月10日 - 没年不明)は、日本の俳優、声優。東京府出身。 日本大学芸術学科卒業。1950年6月、田中明夫、真木恭介、西乃砂恵、高城淳一、三島雅夫とともに劇団七曜会の創立に参加、1955年、劇団葦の創立に参加、その後、フリーランス期間、風の会を経て、プロダクション・エムスリーに所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
岡安 大仁(おかやす まさひと、1924年1月9日 - 20… 岡安 大仁(おかやす まさひと、1924年1月9日 - 2017年1月12日)は栃木県出身の医学者。 栃木町入舟町(現・栃木市入舟町)に生まれる。旧制栃木県立栃木中学校を経て、日本大学医学部卒業。元日本大学医学部教授。 元日本歯科大学客員教授。ピースハウス病院ホスピス最高顧問。信愛病院ホスピス棟顧問。 兄の岡安恒武は詩人・歯科医、その妻の岡安歌子は日本画家であった。