濱田 泰三(はまだ たいぞう、1928年2月13日 - 20… 濱田 泰三(はまだ たいぞう、1928年2月13日 - 2019年8月17日)は、日本の文学者(フランス文学)、文芸評論家。早稲田大学名誉教授、公益財団法人パブリックヘルスリサーチセンター顧問。「濱田」の「濱」が旧字体のため、新字体で浜田 泰三(はまだ たいぞう)と表記されることもある。 日本放送協会での勤務を経て、早稲田大学法学部教授、早稲田大学図書館館長(第12代)、学校法人早稲田大学常任理事、財団法人パブリックヘルスリサーチセンター理事長などを歴任した。 フランス文学者であるとともに、文芸評論家としても活躍した。また、レフ・トロツキーやルネ・グルッセの著作の翻訳を手掛け、仏教など宗教に纏わる識見も有するなど、多才な活動を展開した。
平山 宗宏(ひらやま むねひろ、1928年〈昭和3年〉2月1… 平山 宗宏(ひらやま むねひろ、1928年〈昭和3年〉2月13日 - 2022年〈令和4年〉12月30日)は、日本の医師・小児科学者。学位は医学博士(東京大学・1960年)。東京大学名誉教授。母子健康手帳の普及に貢献したことでも知られる。 東京大学医学部保健学科母子保健学教室第2代主任教授、日本総合愛育研究所(1997年より日本子ども家庭総合研究所)所長などを歴任。 東京都生まれ。1954年 東京大学医学部卒、1960年東京大学より医学博士の学位を取得。アメリカでの研究を経て、1966年 東京大学医学部保健学科母子保健学教室助教授、1971年 同第2代主任教授(現東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻国際生物医科学講座発達医科学教室)。
高橋 康夫(たかはし やすお、昭和3年(1928年)2月13… 高橋 康夫(たかはし やすお、昭和3年(1928年)2月13日 - )は、日本の実業家。 シーコム常勤監査役。TBS元総務局次長。 全国朝日放送取締役の高橋義治の弟。電通顧問の高橋治之、イ・アイ・イグループ代表高橋治則の叔父。 長崎県出身。高橋猪之助・信の次男。 昭和26年(1951年)法政大学経済学部経済科を卒業。同年東京放送(現:TBS)に入社。 昭和45年(1970年)秘書部長、昭和52年(1977年)総務局次長、昭和58年(1983年)退社。 その後、同社関連会社ジー・アンド・シー常務、昭和62年(1987年)代表社長、平成3年(1991年)相談役に就任。 平成4年(1992年)4月、ジー・アンド・シーをT・B・Sプラザと改称し、翌年退任。
生松 敬三(いきまつ けいぞう、1928年2月12日 - 1… 生松 敬三(いきまつ けいぞう、1928年2月12日 - 1984年5月24日)は、日本の哲学者・思想史家。元中央大学教授。 1928年、東京生まれ。旧制東京高等学校を経て、東京大学文学部哲学科卒業。同大学院修了。卒業後は東京大学東洋文化研究所に入り、後に中央大学へ移った。非常勤講師として東京大学大学院でも教えていたが、癌により1984年に死去。
松岡 正文(まつおか まさふみ、1928年(昭和3年)2月1… 松岡 正文(まつおか まさふみ、1928年(昭和3年)2月12日 - )は、日本の政治家。福岡県山田市(現・嘉麻市)長(2期)。 福岡県出身。福岡県立嘉穂中学校(現・福岡県立嘉穂高等学校・附属中学校)卒。山田市議会議員、同議長、消防組合副議長などを経て、1985年、山田市長選挙に立候補し、初当選した。1期目の1988年に全国初の配偶者条項などを含めた政治倫理条例を制定した。1989年の市長選挙でも再選。1993年の市長選では元山田市議の武信弘隆に敗れて落選した。
浦野 雄幸(うらの ゆうこう、1928年2月12日 - 20… 浦野 雄幸(うらの ゆうこう、1928年2月12日 - 2011年7月5日)は、日本の法学者。元裁判官。法務省で民事執行法など基本法の立法、法改正に携わった。1993年より東海大学大学院専任教授。弁護士。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
野上 啓二(のがみ けいじ、1928年2月12日 - 201… 野上 啓二(のがみ けいじ、1928年2月12日 - 2018年4月2日)は、日本の経営者。岡山県出身。 1948年に山口経済専門学校を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。1980年9月に取締役に就任し、1986年9月には常務に就任した。 1987年10月に豊田通商専務に就任し、1988年6月には副社長に就任し、1989年6月に社長に昇格した。1995年6月から1998年6月までに会長を務めた。 JR東海、トヨタ自動車で顧問を務めた。 2018年4月2日老衰のために死去。90歳没。
田宮 謙次郎(たみや けんじろう、1928年2月11日 - … 田宮 謙次郎(たみや けんじろう、1928年2月11日 - 2010年5月5日)は、茨城県下館市(現・筑西市)出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・コーチ・監督、解説者・政治家。
永川 玲二(ながかわ れいじ、1928年2月11日- 200… 永川 玲二(ながかわ れいじ、1928年2月11日- 2000年4月22日)は、日本の英文学者、翻訳家。ジェイムズ・ジョイスやシェイクスピア、ガルシア・ロルカの翻訳者として知られる。 東京大学文学部英文科を卒業後、旧・東京都立大学助教授などを経て、1970年からスペインのセビリアに定住し、主に海洋文学史を研究。ブロンテ「嵐が丘」、ジョイス「ユリシーズ」翻訳が著名である。 鳥取県米子市に生まれた。父は永川重幸。 1945年2月、広島陸軍幼年学校を脱走、軍学校の脱走者は逮捕されたら銃殺刑に処されることが決まっていたため日本全国を転々と逃亡して8月の敗戦を迎え、この体験が丸谷才一の小説『笹まくら』の題材となった──と伝えられていたが、永川玲二の弟の永川祐三によるとこの話は虚構であり、実際には1942年4月に広島の陸軍幼年学校に入学、そのまま卒業し、1945年4月、東京代々木の陸軍予科士官学校に入学したことが資料の上で裏付けられるという。
坂本 二郎(さかもと じろう、1928年2月11日 - 19… 坂本 二郎(さかもと じろう、1928年2月11日 - 1985年4月17日)は、日本の経済学者。 大阪市生まれ。一橋大学卒業、1962年同助教授、1969年教授、中央教育審議会臨時委員となったが、批判を集め、1970年大学を退官しNHK解説委員に転じた。1984年国際商科大学教授。高度経済成長期に未来学者として活躍し、「二十一世紀論」を提言した。日本未来学会理事。ゼミナールの指導学生に寺西重郎など。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
柿本 多映(かきもと たえ、1928年2月10日 - )は、… 柿本 多映(かきもと たえ、1928年2月10日 - )は、日本の俳人。本名は妙子。 滋賀県大津市に生まれる。実家は天台宗総本山の園城寺(三井寺)。1947年、京都女子専門学校(現・京都女子大学)卒業。当初は短歌に携わるが、1951年の結婚を機に作歌から遠ざかる。1976年、西武百貨店大津俳句教室にて句作を開始。1977年、赤尾兜子の「渦」入会。1981年に兜子が没してのちは橋閒石、桂信子に師事。「草苑」「白燕」「犀」同人を経て、現在は無所属。渦賞、滋賀県出版文化賞、現代俳句協会賞(1988年)、草苑賞、桂信子賞(2013年)、詩歌文学館賞(2014年)、現代俳句大賞(2017年)、蛇笏賞(2020年)、第65回毎日芸術賞などを受賞。
江藤文夫(えとう ふみお、1928年2月9日-2005年3月… 江藤文夫(えとう ふみお、1928年2月9日-2005年3月23日)は、日本の映像論、思想・文化評論家、成蹊大学名誉教授。 神奈川県出身。本名は山口欣次。兄は東洋史学者の山口修。 東京大学経済学部卒。美学者中井正一に影響を受けた。『映画芸術』編集部在籍を経て、フリーの評論家。 1971年成蹊大学文学部教授、映像論、思想・文化論を講じた。その間に、山本安英の会やかわさき市民アカデミーなど多くの文化運動に携わった。 1998年成蹊大学を定年退任、名誉教授。
丹羽 邦男(にわ くにお、1928年2月9日 - 1994年… 丹羽 邦男(にわ くにお、1928年2月9日 - 1994年8月16日)は、日本の農業史学者。 東京府阿佐ヶ谷出身。1951年3月東京大学農学部農業経済科卒、1961年「わが国土地領有制の解体過程」で農学博士の学位を取得。福島大学講師、1957年岐阜大学農学部講師、1963年助教授、1966年神奈川大学経済学部教授。65歳で在任中に死去。
堀田 昌郎(ほった まさお、1928年2月9日 - 2011… 堀田 昌郎(ほった まさお、1928年2月9日 - 2011年4月21日)は、日本の実業家。中部日本放送社長を務めた。三重県尾鷲市出身。 1953年に北海道大学農学部を卒業し、1956年に中部日本放送に入社した。 ラジオ局長、取締役、常務、専務、副社長を経て、1993年6月に社長に就任した。1997年6月から2003年6月までに会長を務め、2003年6月から相談役に就任した。 2003年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2011年4月21日呼吸不全のために死去。83歳没。
大江 志乃夫(おおえ しのぶ、1928年2月8日 - 200… 大江 志乃夫(おおえ しのぶ、1928年2月8日 - 2009年9月20日)は、日本の歴史学者、作家。茨城大学名誉教授。専門は日本近現代史。文学博士(東京教育大学)。 大分県大分市生まれ。父は陸軍軍人の大江一二三(敗戦時に大佐。陸士32期)。大分県師範学校附属小学校(現大分大学教育福祉科学部附属小学校)、東京市立富久小学校、東京府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)を経て、1944年、熊本陸軍幼年学校を卒業し陸軍予科士官学校へ進学。1945年陸軍航空士官学校に入学し、在学中に敗戦。敗戦による士官学校の解散に伴い復員。1950年旧制第五高等学校卒業、1953年旧制名古屋大学経済学部卒業、1954年名古屋大学大学院経済学研究科中退。
吉原米治 (よしはら よねじ、1928年2月8日 ‐) は、… 吉原米治 (よしはら よねじ、1928年2月8日 ‐) は、日本の元政治家。元日本社会党衆議院議員(通算5期)。国会議員白書には「よねはる」とある。
新島 淳良(にいじま あつよし、1928年2月7日 - 20… 新島 淳良(にいじま あつよし、1928年2月7日 - 2002年1月12日)は、日本の中国文学者、コミュニティー活動家。
村石 昭三(むらいし しょうぞう、1928年2月7日 - )… 村石 昭三(むらいし しょうぞう、1928年2月7日 - )は、日本の言語教育学者。国立国語研究所名誉所員。埼玉大学教育学部教授・東京家政大学教授を歴任。 静岡県生まれ。東京文理科大学大学院心理学研究科修士課程修了。国立国語研究所所員、同言語教育研究部長。1989年、埼玉大学教育学部教授。1993年、退官、東京家政大学教授。 言葉の誤用を指摘する『お言葉ですが…』という題の本は、高島俊男より先に村石が出していた。
辻 義文(つじ よしふみ、1928年2月6日 - 2007年… 辻 義文(つじ よしふみ、1928年2月6日 - 2007年2月11日)は、香川県生まれの日本の経営者。日産自動車の社長、会長、日本自動車工業会会長、日本経済団体連合会副会長を歴任。日産リバイバルプラン以前、1990年代の経営危機において、日産自動車座間工場閉鎖を始め大規模なリストラを敢行した。 香川県高松市出身。旧制高松中学、東京大学工学部を卒業後、1954年に日産自動車入社。生産畑を歩み、1992年同社社長就任、1996年に塙義一を後継社長として会長となり、日本自動車工業会の会長や日本経済団体連合会副会長も務めた。 石原俊、久米豊ら歴代日産社長の拡大路線による失敗を受けて社長となり、1990年代にかけて経営危機に陥った日産のリストラを推し進めた。
居安 正(いやす ただし、1928年2月6日 - )は、日本… 居安 正(いやす ただし、1928年2月6日 - )は、日本の社会学者、神戸大学名誉教授。 1928年、兵庫県伊丹市で生まれた。神戸大学文理学部哲学科社会学専攻で学び、1953年に卒業。 卒業後は、大阪府立北野高等学校教諭となった。京都大学大学院に進み、1961年に博士課程を単位取得退学。 1964年に大阪薬科大学助教授に就いた。1965年、関西大学文学部新聞学科専任講師に転じた。1966年に助教授昇格。1968年より同大学社会学部に配置換え。1970年、神戸大学教養部助教授となった。1974年に教授に昇任。1988年に神戸大学を退任し、大阪大学人間科学部教授となった。1991年に大阪大学を定年退官。
倉田 清(くらた きよし、1928年2月6日 - 2002年… 倉田 清(くらた きよし、1928年2月6日 - 2002年)は、日本のフランス文学者、翻訳家。神奈川大学名誉教授。 東京府生まれ。1953年東京外国語大学フランス学科卒。1958年から1960年までパリ大学文学部留学。上智大学助教授、教授、神奈川大学教授、1998年定年退任、名誉教授。 シャルル・ペギーを中心にキリスト教文学を研究、翻訳した。フランス語のみならずイタリア語、スペイン語、英語に通じ、語学教科書も数多く執筆した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
西尾 迢富(にしお はるとみ、1928年(昭和3年)2月6日… 西尾 迢富(にしお はるとみ、1928年(昭和3年)2月6日 - 2009年(平成21年)8月18日)は、日本の政治家。鳥取県鳥取市長(3期)。 鳥取県鳥取市出身。鳥取農林専門学校(現・鳥取大学農学部)を卒業。鳥取県庁に入り、民生、農林水産の各部長を務める。その後鳥取県土地開発公社監事を経て、1987年鳥取市助役に就任する。 1990年の鳥取市長選挙に立候補して当選、3期務める。2002年の市長選挙では4選を目指したが、元国土交通省官僚の竹内功に敗れて落選した。2003年春の叙勲で、勲四等旭日小綬章を受章。 2009年8月18日午前5時5分、鳥取市の病院で死去、81歳。死没日をもって正五位に叙される。
勝田 吉太郎(かつだ きちたろう、1928年2月5日 - 2… 勝田 吉太郎(かつだ きちたろう、1928年2月5日 - 2019年7月22日)は、日本の政治学者。京都大学名誉教授、奈良県立大学名誉教授、鈴鹿国際大学名誉学長。専門はロシア政治思想史、ロシア精神史、アナーキズム。法学博士(京都大学)。 愛知県名古屋市生まれ。刑法学の瀧川幸辰に師事した(政治思想史講座の前任は恒藤恭)。 1944年名古屋市立名古屋商業高等学校卒業、1947年大阪外事専門学校卒業。1951年京都大学法学部卒業、同助手。1953年京都大学法学部講師、1954年助教授。1962年3月、京都大学にて「近代ロシヤ政治思想史 西欧主義とスラブ主義」で法学博士の学位を取得。1964年7月教授、1962年コロンビア大学ロシア研究所客員教授、1977年北海道大学スラブ研究センター兼任教授、1981年金沢工業大学工学部客員教授。
土井 茂(どい しげる、1928年2月5日 - 2013年5… 土井 茂(どい しげる、1928年2月5日 - 2013年5月29日 )は、日本の映画監督、テレビドラマ演出家である。広島県府中市府中町出身。 第六高等学校を経て1951年、京都大学経済学部卒業。京都大学に入学後、映画部に所属する。同部員の同僚に映画監督となった松尾昭典と太田昭和がいた。映画好きが高じ、大映京都撮影所の助監督募集に合格し入社。助監督として溝口健二監督の『新・平家物語』(1955年)や木村恵吾監督の『初春狸御殿』(1959年)などの作品に参加。さらに監督として2本の映画に参加するが、映画の衰退でテレビ映画の演出家に転じる。以降、『東京警備指令 ザ・ガードマン』(1965年 - 1971年)、『赤い疑惑』(1975年 - 1976年)、『赤い衝撃』(1976年)、『夜明けの刑事』(1976年)、『噂の刑事トミーとマツ』(1979年 - 1981年)、『少女に何が起ったか』(1985年)など、大映テレビの名作のほとんどを手がけた。
碓田 のぼる(うすだ のぼる、1928年2月5日 - )は、… 碓田 のぼる(うすだ のぼる、1928年2月5日 - )は、歌人、教育運動家。長野県生まれ。本名・登(教育関係の著作には本名を用いる)。 17歳で国鉄長野工場の見習工となり、夜間中学を経て東京物理学校(現・東京理科大学)を卒業。高校教諭を経て、全国私教連委員長、全教副議長などを歴任。渡辺順三に師事。新日本歌人協会全国幹事、日本民主主義文学会員、国際啄木学会会員。歌集『花どき』で多喜二・百合子賞受賞。左翼的な立場から短歌、石川啄木についての文芸評論を行う。 日本共産党の党員でもあり、1992年・1995年の参院選に比例区から出馬した。
暉峻 淑子(てるおか いつこ、1928年2月5日 - )は、… 暉峻 淑子(てるおか いつこ、1928年2月5日 - )は、日本の経済学者、評論家。埼玉大学名誉教授。夫は農業経済学者の暉峻衆三。長男は映画評論家の暉峻創三。弟は音楽プロデューサーの栗山章。 高分子化学の権威であり、九州大学名誉教授となる栗山捨三の三女として大阪府に生まれる。福岡県福岡高等女学校を経て、日本女子大学文学部卒業後、東京大学の東畑精一研究室に勤務しつつ法政大学大学院社会科学研究科経済学専攻に学び、同博士課程満期退学。1955年、東畑精一研究室で知り合った暉峻衆三と結婚。1991年「豊かさとは何か」で経済学博士の学位を取得。鶴見女子大学助教授、教授、1977年埼玉大学教授、1991年定年退官、1993年教育学部名誉教授、日本女子大学教授、1998年退職。
木島 始(きじま はじめ、1928年2月4日 - 2004年… 木島 始(きじま はじめ、1928年2月4日 - 2004年8月14日)は、日本の詩人、英米文学者、翻訳家、童話作家、作詞家。本名は小島 昭三(こじま しょうぞう)。 新日本文学会、日本文芸家協会、各会員。 京都府京都市中京区生まれ。第六高等学校在学中に敗戦を迎える。1947年東京大学文学部英文科入学、学生運動に加わり、東京大学新聞を編集する。また在学中から詩誌「列島」などに加わり、発行人もつとめた。 1951年卒業、東京都立北野高等学校教諭として英語を教える。 1953年野間宏の跋文を得て『木島始詩集』を刊行、1954年専修大学講師、1963年法政大学第一教養部講師となり、助教授、教授を務める。
三浦 大四郎(みうら だいしろう、1928年2月4日 - 2… 三浦 大四郎(みうら だいしろう、1928年2月4日 - 2017年6月21日)は、東京都出身の映画館経営者、映画製作者、映画評論家。 東京目黒に山下要、ふゆの四男として生まれる。次兄は誕生時に死去していたため3人兄弟の末っ子として育つ。山下家の四男で、大四郎と命名された。成城高等学校 (旧制)から東京大学経済学部卒業。兄にドイツ文学者の山下肇、ロシア文学者の泉三太郎。 東京大学在学中は学業よりも幼い頃 からの夢であった演劇に情熱を注ぎ、俳優としての活動に勤しんだ。卒業後は船舶会社に就職していたが、1951年、三浦寛子と結婚し、岳父母三浦守(作家・三角寛)よしえ夫妻の養子となり、三角寛経営の映画館、人世坐、文芸坐、文芸地下劇場、弁天坐の経営に携わることとなる。
福田 豊彦(ふくだ とよひこ、1928年2月4日 - 201… 福田 豊彦(ふくだ とよひこ、1928年2月4日 - 2015年6月9日)は、日本の歴史学者。東京工業大学・国立歴史民俗博物館名誉教授。日本中世史専攻。 1928年、新潟県新潟市生まれ。1959年に北海道大学大学院文学研究科修士課程を修了。 北海道大学文学部助手、東京工業大学教授を経て、国立歴史民俗博物館教授となった。1993年に定年退官。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山口 俊夫(やまぐち としお、1928年2月3日 - 200… 山口 俊夫(やまぐち としお、1928年2月3日 - 2007年12月12日)は、日本の法学者(フランス法・労働法)。東京大学名誉教授。日仏法学会会長。元中央労働委員会会長。東京都出身。
鴨居 玲(かもい れい、男性、1928年2月3日 - 198… 鴨居 玲(かもい れい、男性、1928年2月3日 - 1985年9月7日)は、日本の洋画家である。社会や人間の闇を描いた画家であった。 下着デザイナーの鴨居羊子は姉。 石川県金沢市生まれ。1941年、旧制金沢中学校(現在の金沢高等学校)に入学。1946年、金沢市立金沢美術工芸専門学校(現在の金沢美術工芸大学)に入学。宮本三郎に師事する。1950年、金沢市立金沢美術工芸専門学校洋画科専攻を卒業。二紀会同人に推挙される。1952年、芦屋・田中千代服装学園の講師となる。 1959年、31歳で初渡欧。1961年に帰国し、二紀会を退会。1964年、創作活動に行き詰まり、南米、フランスの首都パリ、イタリアの首都ローマを渡り歩く。
秋間 実(あきま みのる、1928年2月3日 - )は、日本… 秋間 実(あきま みのる、1928年2月3日 - )は、日本の哲学者。旧・東京都立大学名誉教授。マルクス主義哲学を研究した。元唯物論研究協会委員長。 東京生まれ。1951年東京大学文学部哲学科卒。同大学院修士課程修了。北海道大学講師、助教授、東京都立大学人文学部助教授、教授。1988年唯物論研究協会委員長。1991年定年退官、名誉教授。九条の会賛同人。
紀平 悌子(きひら ていこ、1928年〈昭和3年〉2月2日 … 紀平 悌子(きひら ていこ、1928年〈昭和3年〉2月2日 - 2015年〈平成27年〉7月19日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)、元日本婦人有権者同盟会長。旧姓佐々。 福岡県福岡市に生まれるが、父佐々弘雄が九大事件で失職し、東京都港区に転居する。実家目前の、東京府立第三高等女学校(現東京都立駒場高等学校)に通う。4年時に飛び級で旧制聖心女学院に入る。戦中の混乱で休学するも戦後新制聖心女子大学専門部歴史科を卒業。 1948年10月9日、父の佐々弘雄が参議院議員在職中に病死。 1949年、新聞記者であった紀平行雄と結婚し紀平姓となる。しかし行雄はすぐに肺結核で倒れ、失業した。困り果てた悌子は、父親が生前褒めていた市川房枝を訪ねる。
上田 霊城(うえだ れいじょう、1928年〈昭和3年〉2月2… 上田 霊城(うえだ れいじょう、1928年〈昭和3年〉2月2日 - 2020年〈令和2年〉10月8日)は、日本の真言宗僧侶。真言宗御室派の大僧正。1992年(平成4年)度第30回密教学芸賞受賞。 初期 - 中期 - 後期 - インド - チベット - 中国 - 日本 東寺真言宗※ - 高野山真言宗※ - 真言宗善通寺派※ - 真言宗醍醐派※ - 真言宗御室派※ - 真言宗大覚寺派※ - 真言宗泉涌寺派※ - 真言宗山階派※ - 信貴山真言宗※ - 真言宗中山寺派※ - 真言三宝宗※ - 真言宗須磨寺派※ - 真言宗東寺派 新義真言宗※ - 真言宗智山派※ - 真言宗豊山派※ - 真言宗室生寺派 如来 - 菩薩 - 明王 - 天 即身成仏 三密 入我我入 曼荼羅 護摩 東密(古義 - 広沢流 小野流)・新義 『大日経』・『金剛頂経』・『蘇悉地経』・『理趣経』 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。
佐藤 孝行(さとう こうこう、本名読み:さとう たかゆき、1… 佐藤 孝行(さとう こうこう、本名読み:さとう たかゆき、1928年〈昭和3年〉2月1日 - 2011年〈平成23年〉5月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)、運輸政務次官、国務大臣総務庁長官(第20代)、自民党総務会長(第34代)、自由民主党行政改革推進本部長などを歴任した。 北海道瀬棚郡北檜山町(現久遠郡せたな町)出身。旧制函館中学定時制、明治大学政治経済学部政治学科卒業。 自民党の実力者・河野一郎の秘書を経て、1963年の衆院選で旧北海道3区から初当選し以後11期当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
大塚 滋(おおつか しげる、1928年2月1日 - 2023… 大塚 滋(おおつか しげる、1928年2月1日 - 2023年8月8日)は、日本の食品化学者、食物史研究者、『文学雑誌』同人。元武庫川女子大学教授。専攻は食文化論、食品化学。 新潟県生まれ。大阪大学理学部卒。1961年「肝臓ニトロ基還元酵素系に関する研究」で理学博士。大阪府立大学助教授、東洋食品工業短期大学教授、米国マサチューセッツ州ウースター生物学研究所研究員、武庫川女子大学教授、同生活美学研究所研究員、1998年退職。 2023年8月8日死去。95歳没。
田中 晃三(たなか こうぞう、1928年2月1日 - 201… 田中 晃三(たなか こうぞう、1928年2月1日 - 2018年9月25日)は日本の政治家。板橋区議(3期)、東京都議(6期)、第38代都議会議長を歴任した。位階は正五位。 1928年2月1日、埼玉県加須市に生まれる。1952年に京都大学工学部冶金学科を卒業。1971年から板橋区議会議員を3期10年務める。1981年、東京都議会議員選挙に板橋区選挙区から立候補して初当選する。都議会では、警務消防委員会委員長(1987年から1988年)、都議会自民党総務会長(1990年から1991年)、各会計決算特別委員会委員長(1991年から1992年)、都議会自民党幹事長(1994年から1995年)、議会運営委員会委員長(1994年から1995年)、予算特別委員会委員長(1995年)、臨海副都心開発特別委員会委員長(1995年から1997年)を歴任した。
阿部 肇一(あべ ちょういち、1928年2月1日 - 201… 阿部 肇一(あべ ちょういち、1928年2月1日 - 2014年11月7日)は、日本の歴史学者、博士。駒澤大学学長、社会文化史学会会長を歴任。専門は中国禅宗史。 埼玉県大宮町(現さいたま市大宮区)に、普門院住職の長男として生まれる。1944年、駒澤大学専門部地理歴史学科に入学。1947年3月、駒澤大学専門部歴史地理科歴史学専攻卒業。文学部の同期に歴史科の芥川龍男、地理科に中島義一や陶芸家の井高帰山がいる。1947年4月、駒澤大学専門部地理専修科に入学し、翌年修了。 1948年、駒澤大学文学部人文学科に入学。1950年、同大学を中退し、東京文理科大学歴史学科に転学。1953年、東京文理科大学大学院研究科に進学。
飯島 紀(いいじま おさむ、1928年2月 - )は、日本の… 飯島 紀(いいじま おさむ、1928年2月 - )は、日本の古代オリエント学者。 東京市目黒村(現:目黒区)生まれ。1945年芝中学校(旧制)卒業後、1949年成城高等学校 (旧制) 卒業。1953年京都大学理学部化学科卒業。京都大学文学部にて聴講生としてセム語を履修。松下電器産業に勤務、1988年退職。日本オリエント学会会員。
中村 卓彦(なかむら たくひこ、1928年1月31日 - 1… 中村 卓彦(なかむら たくひこ、1928年1月31日 - 1995年3月10日)は、昭和から平成時代の労働運動家。日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連)委員長。福岡県北九州市生まれ。 1945年4月陸軍幼年学校卒業、陸軍予科士官学校に入学、在学中に敗戦。1947年2月日本製鐵に入社、八幡製鐵所化工部に勤務。1951年3月明治工業専門学校二部卒業。1955年2月八幡製鉄労組専従執行委員。同年に八幡製鉄労組内のインフォーマルグループ・盟友会に入会。先輩の宮田義二が自宅で開いていた「宮田学校」の門下生にもなった。1960年8月同志会の蔀充にかわり八幡製鉄労組書記長に選出。1968年IMF-JC事務局次長。
大野 靖子(おおの やすこ、1928年1月30日 - 201… 大野 靖子(おおの やすこ、1928年1月30日 - 2011年1月6日)は、日本の脚本家。 東京市麻布区出身。本名は大野靖(オオノヤス) 。1945年、東京都立第三高等女学校卒業。 さまざまな職を転々としながら、演劇活動に熱中。三好十郎に師事。児童劇団の脚本が青江舜二郎に評価されたのが縁で、子ども番組「お父さんの職場」の構成に携わる。以降、1962年からフジテレビ、NHK、テレビ朝日など各局でテレビドラマの脚本を手がけた。 時代劇から現代劇まで幅広く手掛け、向田邦子、橋田壽賀子らと共に女流脚本家の地位を確立した。 特にフジテレビでは、五社英雄ディレクターと組んで「三匹の侍」「眠狂四郎」などの時代劇や、岡田太郎ディレクターと組んでメロドラマ、森川時久ディレクターとは社会派の「若者たち」と、多様なジャンルで活躍。
中本 ムツ子(なかもと ムツこ、1928年〈昭和3年〉1月3… 中本 ムツ子(なかもと ムツこ、1928年〈昭和3年〉1月30日 - 2011年〈平成23年〉4月28日)は、日本のアイヌ文化伝承者。地元・千歳市において、古老からの伝承の聞き取りなど、それまで「アイヌ文化不毛の町」と言われた千歳において、アイヌ文化の伝承活動を立ち上げ、千歳アイヌ文化伝承保存会を中心となって設立したほか、アイヌ語学習用の書籍の出版、アイヌ文学のCD化、アイヌ教室の開催などで、北海道内外でのアイヌ文化の伝承や啓発に努め、特に言葉の伝承に尽力した。北海道千歳村(後の千歳市)蘭越出身。 アイヌの子として、差別と貧困のなかに育った。幼少時より体が弱く、自身曰く「劣等感の塊のような子」だった。
宮脇 昭(みやわき あきら、1928年(昭和3年)1月29日… 宮脇 昭(みやわき あきら、1928年(昭和3年)1月29日 - 2021年(令和3年)7月16日)は、日本の生態学者、横浜国立大学名誉教授。地球環境戦略研究機関国際生態学センター長。元国際生態学会会長。 岡山県川上郡成羽町(現・高梁市成羽町)出身。岡山県立新見農林学校(現・岡山県立新見高等学校)卒業を経て、広島文理科大学生物学科卒業。児童文学者の宮脇紀雄は兄。 国内外で土地本来の潜在自然植生の木群を中心に、その森を構成している多数の種類の樹種を混ぜて植樹する「混植・密植型植樹」を提唱し活動している。 「日本の常緑広葉樹を主とする照葉樹林帯では土地本来の森は0.06%しか残っていない。ほとんど人間が手を入れて二次林や人工的で単一樹種の画一樹林にしてしまった。
馬場 あき子(ばば あきこ、1928年(昭和3年)1月28日… 馬場 あき子(ばば あきこ、1928年(昭和3年)1月28日 - )は、日本の歌人、評論家、能作家、教育者。勲等は旭日中綬章。歌誌かりん主宰(短歌結社:歌林の会)、日本芸術院会員、文化功労者。本名は岩田 暁子(いわた あきこ)。かつての本名は馬場 暁子(ばば あきこ)。 小学生時代に韻文の面白さに目覚め、『古今集』や『平家物語』の韻律に強く心を揺さぶられた。1948年に日本女子専門学校(現昭和女子大学)国文科卒業後、中学、高校で教鞭をとった。 窪田章一郎に師事し、その主宰誌「まひる野」に入会。1977年、歌作と著述に専念するために教職を辞した。翌年には歌誌「かりん」を創刊。歴史の裏側に追いやられてきた、紡ぎ、包丁を持つことに象徴される「女手」の意味を掘り返し、そこに思想の根元と創作の動機を見据えようとした。
白井 文吾(しらい ぶんご、1928年〈昭和3年〉1月27日… 白井 文吾(しらい ぶんご、1928年〈昭和3年〉1月27日 - 2024年〈令和6年〉10月29日)は、愛知県渥美郡田原町(現:田原市)出身の日本の新聞記者、実業家。株式会社中日新聞社顧問名誉会長。株式会社中日ドラゴンズ名誉オーナー。 株式会社中日新聞社代表取締役社長・会長、株式会社中日ドラゴンズオーナー、株式会社ナゴヤドーム代表取締役社長、一般社団法人共同通信社理事会長、東海テレビ放送取締役、名古屋市教育委員会委員長、日本新聞協会理事を歴任した。 愛知県成章中学校(現:愛知県立成章高等学校)、静岡高等学校(現:静岡大学)を卒業後、1949年(昭和24年)中部日本新聞社(現:中日新聞社)に入社する。
小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう、1928年〈昭和3年… 小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう、1928年〈昭和3年〉1月26日 - 1991年〈平成3年〉11月4日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等。建設大臣(第52代)、通商産業大臣(第43代)、衆議院議員(8期)。 神奈川県横浜市出身。父親は衆議院議員の小此木歌治。三男は元衆議院議員の小此木八郎。1945年5月の横浜大空襲で母と妹を亡くす。 神奈川県立第一中学校を経て、1952年に早稲田大学文学部哲学科卒業。父の教育方針で関西で修業、1953年に父が死去、家業の材木商を継ぐ。藤木企業の大番頭の伊藤清蔵の長女と結婚。 1963年、横浜市会議員にトップで初当選。人口増加問題や遅れをとっていた都市整備問題に取り組む。
笠原 嘉(かさはら よみし、1928年1月26日 - 202… 笠原 嘉(かさはら よみし、1928年1月26日 - 2025年10月6日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。名古屋大学名誉教授。元藤田保健衛生大学教授。元日本精神神経学会理事長。学位は、医学博士(京都大学・1959年)。 中井久夫、宮本忠雄、木村敏、安永浩らとともに、日本における精神病理学第2世代を代表する人物である。1958年、京都大学で師事した村上仁教授から精神病理学を学んだ。学園紛争時代には京都大学保健管理センターに勤務し、ひっそりと留年をくり返す学生に気づき、スチューデント・アパシー(退却神経症)の研究を行った。また、日本における健康保険制度は諸外国と比して低廉に受診できるメリットがあるが、一方面接時間は10分程度が限界であり(初診のみ45分程度必要と述べている)、薬物療法を補完する技法として外来でできる小精神療法を提唱している。
青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日… 青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日 - 2019年(令和元年)5月4日)は、日本の政治家、実業家。石巻ガス創業者で、同社代表取締役社長を経て、石巻市長を務めた。位階は従五位。 宮城県雄勝町(現石巻市)生まれ。石巻町立石巻商業学校(現宮城県石巻商業高等学校)、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を経て、1952年(昭和27年)一橋大学を卒業後、同年三井船舶入社。三井船舶の出入り業者に東京ガスがいたことなどで都市ガスの時代が来ることを予感し、1959年(昭和34年)に石巻ガスを創業して同社代表取締役社長に就任。1967年(昭和42年)石巻青年会議所理事長。 1972年(昭和47年)石巻市長に初当選。
村田 辰夫(むらた たつお、1928年1月25日 - 202… 村田 辰夫(むらた たつお、1928年1月25日 - 2020年7月6日)は、日本の詩人、翻訳家。梅花女子大学名誉教授。 滋賀県大津市生まれ。大津商業学校卒、1943年陸軍少年通信兵学校に入り、北支派遣電信第九連隊に配属、1946年復員、1947年同志社大学文学部卒、同大学院修士課程修了、1952年滋賀県立膳所高等学校教諭、1966年梅花女子大学助教授、教授、1998年名誉教授。 『シェイマス・ヒーニー全詩集』(1966 - 1991)『水準器』『電燈』『郊外線と環状線』『さ迷えるスウィニー』『人間の鎖』で2014年度第51回日本翻訳出版文化賞翻訳特別賞受賞。2015年6月現在、日本翻訳家協会副理事長。
今村 俊三(いまむら しゅんぞう、1928年1月25日 - … 今村 俊三(いまむら しゅんぞう、1928年1月25日 - 1990年12月24日)は日本の俳人。 大分県大分市生まれ。教職にあった父親の転勤にともない、中津市、若松市(現北九州市)、直方市などで幼少期・少年期を過ごし、終戦を福岡市で迎える。旧制福岡県立福岡中学校在学中に、右上葉浸潤、左肺上部空洞、左腎臓結核を併発、その後死去まで、結核と闘うことになる。 1946年、同中学校卒業。桂樟蹊子および石田波郷に師事。「霜林」「鶴」を経て、1979年、「桃滴舎」を創刊、主宰。1980年から1983年まで、西日本新聞のコラム「風車」を担当。句集10冊のほかに、「風車」のコラムをまとめた『桃滴コラム』、「桃滴舎」に連載したエッセイなどをまとめた『桃滴記』『桃滴日録』などの著書がある。